ネコとネズミと帽子

 

 

 ネコがネコ用生成AIのCatGPTに話しかけていた。

ネコ「なあ、どこに行ったらネズミが取れるかな」

CatGPT「ねらい目はこの場所です」

ネコ「これはどこだ?」

CatGPT「通りの向こうの駐車場の側溝です」

ネコ「そうか、ありがとう」

 

 一方そのころ、ネズミも、ネズミ用生成AIのRatGPTに話しかけていた。

ネズミ「ネコに捕まることが怖いんだが、どこに逃げたらいいだろう」

RatGPT「おそらくCatGPTは、ネズミがこの場所を通ると予想するはずです。ネコはそれを鵜呑みにしますから、この場所は避けた方が賢明です」

ネズミ「そうか、ありがとうRatGPT」

 

 ネコは一日中、CatGPTの示した場所で待っていましたが、ネズミは現れません。待ちくたびれてもう一度、CatGPTに尋ねました。

ネコ「見つからないなあ」

CatGPT「おそらくRatGPTの入れ知恵でしょう。ここを避けるべきだと教えたんだと思います」

ネコ「じゃあどこにいるのかな」

CatGPT「うーん。逃げてるんでしょうね。ランダムに歩き回れば、見つかることもありますよ」

ネコ「頼りないなあ」

 それでもネコはCatGPTに教えられた通り、いろんな場所を歩き回った。するとネズミがいるではないか。

ネコ「よし、見つけた」

 ネコはネズミを追いかける。気づいたネズミはもちろん逃げる。トムとジェリーさながらの追いかけっこ。とうとうネコがネズミに追いついた瞬間、大きな帽子が落ちてきて、二人は捕まってしまった。

帽子「おお、やっぱりHatGPTは賢いな。おかげでネズミとネコをいっぺんに捕まえることができた」

 そして帽子は、ネズミとネコをむしゃむしゃと食べましたとさ。

幽霊役

道路から見える半開きのドアの内側には、市松模様リノリウムの床が広がっており、そこに焦げ茶色のズボンを履いた男の脚がごろんと伸びているのが見えた。立派な長い脚である。だが見えるのは黒の革靴からズボンのベルトまでで、上半身は見えない。

 こんなところでどうして床に寝ているのだろう。ひょっとしたら病気で倒れているのではないか。気になったので思い切って中に入ってみることにした。

 仰向けに寝ている男の、水色のシャツの胸の部分からは、ナイフの柄が突き出ていた。しかしなぜか血は出ていない。ナイフが栓になっていて、抜いた途端に血が噴き出るのかもしれない。

男の蒼白な顔には見覚えがあった。映画やテレビに良く出ている個性派俳優だ。名前は確か、朧田潤之介。おぼろだという名前は芸名だろう。

 死んでいるのだろうか。

 取りあえず救急車を呼んだ方がいいかもしれない。スマホを取り出して119番にかけた。

「はいこちら119番です。火事ですか、救急ですか」

 落ち着いた女性の声が聞こえた。

「ええと」

「火事ですか、それとも救急ですか」

「救急です。男の人が倒れているのを見つけました。胸にナイフが刺さっているようです」

「場所はどこですか?」

「わかりません。散歩の途中なので」

「近くに住居表示はありませんか」

 外を見ると電柱があり地番が書いてある。

「新宿区西新宿6-6-6です」

「あなたのお名前を教えてください」

「名乗るようなものではありません」

「困ります。お名前をお願いします」

「それは」

 話していると、男がやにわに起き上がってきた。

「何を話しているんだね」

「あっ、痛くないんですか」

「これか」男はナイフの柄を指さした。「痛くない、役作りだよ」

「なんだすみません。119番通報してしまいました」

「そうか、謝って切っておいてくれよ」

 私は119番のオペレーターに、「大丈夫だったようです、ごめんなさい」と早口で言うと、相手の返答も聞かずにスマホを切った。

「死んでいるように見えたかい?」

「はい、ナイフも刺さっているし、顔も蒼白なので」

「そうか。ならば役作りは成功だ。ところで君は誰かね」

「通りがかりの者です。半開きのドアから脚が見えたので気になって中に入りました」

「驚かせて申し訳ない。お詫びのしるしにお茶でもおごるよ」

 朧田潤之介はすくと立ち上がった。身長は2メートル近くあるのではなかろうか。見上げるほどだ。

 しかし見上げた顔はやはり青白い。

「その顔はメイクですか?」

「そうだよ」

「真に迫っていますね」

「そうかい?」

「ええとても。死んでいるようにしか見えません」

 そんな他愛もない会話をしているうちに、この名うてのプレイボーイとして知られる俳優が先月、交際している女性に刺されたとの記事を読んだことを思い出した。しかし、それで死んだのかどうかまでは覚えていない。今ここでウィキペディアでも見ればわかるかもしれないが、それは失礼にあたるだろう。むしろ本人にはっきりと訊く方が良いのではないか。

「あなたは幽霊じゃないですか?」

「うん、確かに幽霊役をやるんだ、来月に新宿の劇場でね」

「そうじゃなくて、役柄のことじゃなくて、あなたは本当に死んでいるんじゃないですか?」

「そう見えたのなら光栄だ。どうしてそう思う」

「先月、交際相手の女に刺されたはずじゃ」

「刺されたよ」

「胸のあたりを」

「ああ、刺された。痛かったというか今も痛い」

「大丈夫なんですか舞台に出て」

「大丈夫だよ。痛かったけど命に別状はない。こうしてピンピンしているさ」

「あなたは幽霊なんじゃないですか?」

「幽霊じゃないよ。失礼だな。君こそ幽霊じゃないのかい」

「どうしてですか」

「私は名のある俳優だ。しかし君は一体だれだ?君のことは何一つ分からない。男なのか女なのか、若いのか年寄りなのか、賢いのか愚かなのか、右なのか左なのか、外向的なのか内向的なのか、さっぱり分からない。何一つだ。すごいな」

 俳優は蒼白な顔でまくし立ててきた。それは怒っているようにも、何か疚しいことを隠しているようにも思えた。疚しいこととはなんだろう。

 幽霊であることか。幽霊と思われたくないということか。

 この俳優が幽霊であるかどうかを調べるにはどうしたらいいのだろう。

 一つだけ方法を思いついた。

 私は今ポケットにダガーナイフを持っている。これでこの俳優の腹を突き刺せば、もし人間ならば血が出るだろうし、幽霊ならば平気だろう。

「どうして黙っているんだ。怒ったのか?」

 私はポケットからナイフをそっと出すと、彼から見えないように、奴の腹に垂直にすべりこませた。手応えは驚くほどなかった。しかしそれが、彼が幽霊であるためなのか、それともダガーナイフの切れ味が鋭いためなのか、私には判断がつかなかった。俳優は何もなかったように歩いている。血も出ていない。これも、彼が幽霊であるためなのか、それともナイフが栓になっているためなのか、判断できなかった。

 次にどうすればいいのだろう。私の頭はぐるぐる回っていたが、答えは出ない。このまま二本のナイフを突き刺した男と一緒に歩いて行かなくてはならないのだろうか?

ゴミ屋敷の資源回収

 

 

はじめに

 ゴミ屋敷が社会問題化して既に久しい。

 ゴミ屋敷の何が悪いのか、多くの人には自明であろうが、改めて確認しておく。まずは美観であろう。ゴミ屋敷は外から見ても「ゴミ屋敷」であることが多くの場合露わとなっており、都市・村落の景観を損ねることはなはだしい。近隣が協力して美しい街並みを築いても、ゴミ屋敷が一つあるだけで台無しとなる。「こちらから、ベッピンさん、ベッピンさん、一人飛ばしてベッピンさん」というギャグがあるが、「美しい家、美しい家、一軒飛ばして美しい家」といった具合である。昔のトウモロコシには時々、黒い粒が混じっていたりしたが、そんな感じである。ピアノの鍵盤の中に、一つだけ音の出ない鍵盤が混じっている、そんな感じである。

 それだけにとどまらない。ゴミ屋敷からは多くの場合、悪臭が放たれている。硫黄臭が噴出して「黄色い虹」を描いていることさえある。ゴミの中には生ゴミ、食べかけの食品や腐った野菜が混じっていたり、果ては排泄物が混じっていたりするからだ。先ほどの比喩で言えば、トウモロコシの粒の中に一つだけ悪臭を放つ粒が混じっていたり、ハーモニカの孔の中に一つだけ悪臭を放つ孔が混じっているようなものである。

 さらに住人の問題がある。ゴミ屋敷の住人は、体を病んだり、心を病んだりしている場合が圧倒的に多い。逆に言えば、心か体が病んでいなければ、家がゴミ屋敷になることはないだろう。よく言われるのが「セルフ・ネグレクト」、つまり、自分で自分の世話をするのを放棄した状態である。そうした人々を助け出すのも重要な課題である。

 

  • ゴミ屋敷をいかに見つけるか

 ゴミ屋敷を見つけるのは一般にはそれほど難しくはない。近隣の人々も大抵それに気が付いている。

 しかし全てのゴミ屋敷が見つけやすいわけではない。例えばマンションの高層階で、高度にプライバシーが確保された住居の中がゴミ屋敷になっている場合、外観からは分からず、また、臭いがさほど出ていない場合、簡単には見つけにくい。

 その対策としてドローンの活用が考えられる。高層階住居各戸のベランダから中を撮影すれば、そこがゴミ屋敷と化しているかどうか概ね判断できる。もちろん、カーテンなりが完全に閉められている場合には困難ではあるが、ゴミ屋敷の場合にはそこまで遮蔽が完全でない場合がほとんどである。

 低層階の場合には人手を使って調べ、高層階はドローンというのが現実的な「捜索手法」ということになるだろう。

 

 2.ゴミ屋敷からどのような資源を回収するか

 まずは金属ということになるだろうか。特に電気製品には多数の金属が含まれている。

 ゴミ屋敷を築く人の中には、元電気屋や修理工で、人並み以上に電気製品等に関する知識があり、そのためにゴミ集積場などから電気製品を持ち帰って修理をしているうちに、やがて持ち帰る方が主になってしまい、結果的に多数の電気製品がゴミ屋敷内に積みあがっている場合がある。電気製品に含まれるレアアース等を考えると、まさに宝の山である。

 例えばパソコンには金、銀、銅、白金、パラジウム、ニッケル、コバルト、リチウム、ベリリウム、セレン、マンガンガリウムゲルマニウムなどが含まれている。金は1グラムで6000円くらい、プラチナは1グラム3000円くらい、銀は安いがそれでも1グラム80円くらいにはなる。途上国のスラムのゴミ山で金属を探すより、日本のゴミ屋敷で金属を探す方がおそらくはるかに効率が高いだろう。さらに電池などの中には錆びて有毒な物質を生み出すものも含まれており、もし雨漏りなどで排水が流れ出すと、環境汚染のみならず健康被害を引き起こす可能性さえある。

ガラスが含まれている場合もある。酒瓶や醤油の瓶に加えて、割れた窓ガラスが放置されて危険な状態になっていることもあるだろう。ガラスも資源としてリサイクル可能である。

またビニールやプラスチック、ペットボトルなどが大量に積みあがっている場合も多い。現代の生活では特に、プラスチックなど石油精製製品が包装材等に大量に使われている。コンビニやスーパーのレジ袋、肉や魚のトレイ、飲料のボトル等。これもこまめに捨てるなり、リサイクルボックスに出すなりしなければ、たちまち相当の量になる。ゴミ屋敷の場合もこれがかなりの量を占めている場合がある。

衣類が多い家もある。住民が着道楽で、多数の衣類を所有していたが、それを片付けられずに放置している場合や、電気製品と同様に古着を拾ってきてしまうクセがある場合もあるだろう。新品であれば場所を取るだけで、古着業者に売ったり、途上国や被災地に支援物資として送ることもできるだろうが、着たまま洗濯せずに放置した衣類や布団、毛布、カバンなどは、汗や汚れがついたまま悪臭を放ち、捨てるか燃やすくらいしか処分法がない。しかし中には、ダイヤモンドやルビー、サファイア、真珠などでできた宝飾品(指輪、ネックレス、ブローチ、ブレスレット等)がその中に埋もれていることもあり、まさに宝探しである。

趣味や嗜好品が混じっている場合もある。例えばスポーツ用品。ゴルフクラブやテニスのラケット、スキー板やサーフボード、バスケットのゴールやバレーのネットなどである。音楽が趣味の人の場合には楽器(ピアノ、フルート、バイオリン、ビオラ、トランペット、ドラム等々)や楽譜、レコード、カセット。オーボエばかりが33本出て来たことがあり、この時はさすがに「馬鹿の一つオーボエ」という言葉が口をついて出た。絵画が趣味の人であればキャンパスや絵の具、イーゼル、画板など。他に趣味の品としては例えば碁石、将棋盤、その他のゲームボード、トランプ、けん玉などのおもちゃ。これらは保存状態が良ければ古道具屋が値段付きで回収する場合があるが、そうでなければ鉄くずや木くず、プラスチックとして材質別にリサイクルに出すことになるだろう。「シャネルの碁盤」は、マリリン・モンローのサインでもついていれば高く売れるが、将棋盤はムリだ。人形も、保存状態がよければ売れることがあるが、壊れた人形は不気味である。

食料がゴミの中に埋もれていることもあるが、多くの場合は賞味期限だけでなく消費期限がとうの昔に過ぎており、口にすると健康を害するおそれがある。もちろん住民が冷蔵庫などに管理している食品はそのままにしておくべきだが、その中でもあまりにも期日の過ぎた腐った食品などは、廃棄するか、畜産飼料にするか、肥料にするか、といったことが現実的な選択肢となる。

紙類が多くの場所を占めていることもある。読書が趣味で、大量の本や雑誌を購入し、それがいつの間にか本棚からあふれ出て、廊下へ、居室へ、食卓へ、台所へ、玄関へ、ベランダへ、果てはトイレや風呂までも。「積ん読」だったものが、「溢れ読」「崩れ読」へと変貌してゆくのである。これらを資源とするには、古本屋への売却が基本であるが、古新聞など価格が付かないような類のものは、紙資源として古紙回収業者に引き取ってもらうことになるだろう。函入りの立派な文学全集や百科事典が二束三文で、ボロボロになった一昔前のヌード付き週刊誌が高価ということもあり得る。希少性が価格に影響するからだ。「レーニン全集」なども今や読む人は零人だろう。

 市販の本や雑誌、新聞以外に、当人のメモやノートが残っている場合がある。これも時として貴重な情報資源となる。メモ類が大量の場合には人手で検証するのは困難であるので、OCRを使って読み込みAIが一次的な解釈をするということになるだろう。珍しい体験をしたとか、あるいは、自らの犯罪記録を残している場合もあるだろう。前者の場合には出版やサイトでの公開などが考えられ、後者の場合には捜査機関に連絡することで、未解決事件の真相が明らかとなったり、冤罪の人間が釈放されたりすることもあるだろう。メモだけでなく、アナログ写真のアルバムが大量に出土することもある。これも、過去の風俗等を知るのに貴重なことがある。

 

3.住人との関係

 ゴミ屋敷の主がまだ生きている場合には、その当人から話を聞くという形で、有益な教訓が得られる場合がある。なぜ家がゴミ屋敷になったのか、それまでの経緯はどうであったのか、といったことだ。但し、話があまりにも長く、かつ薄く、それ以上の有益な情報が期待できない場合には、人型アンドロイドを置いて対話をさせ、人間は撤収することが推奨される。費消される人的資源の方が大きいからである。また、人の記憶は上書きされやすくあてにならないことにも注意すべきであり、事実との照合が望ましい。

 ゴミ屋敷の住人は、男性の独り暮らしが多く、42%を占める。しかし、女性の独居も33%おり、35%は複数人で暮らしている。複数人で暮らしている場合、家族(夫婦、親子、兄弟など)が8割以上を占めているが、家族でない場合も2割弱程度存在する。家族でない場合は、友人同士、先生と生徒、漫才コンビ新興宗教の教祖と信徒、といったパターンがある。最後者の場合、数十人がゴミ屋敷の中で息をひそめて暮らしていた事例がある。だが祭壇のロウソクの火が引火して火災になり発覚した。

 痛々しい事例としては、ゴミ屋敷の中から住んでいた人の遺体が見つかる場合がある。遺体は一体の場合がほとんどだが、中には夫婦や親子、兄弟などが両方とも亡くなっていることもある。そして多くの場合、死亡から相当な時間が経過しているため、残念ながら臓器や角膜の再利用には適さない。したがって、資源として回収することはできず、荼毘にして埋葬ということになる。

遺体の死亡理由が他殺や自殺であった物件は告知義務が発生するが、元は「ゴミ屋敷だった」というだけでは告知義務は発生しない。土地も家も生まれ変わり、ゴミ屋敷の資源回収は完成したと言えるだろう。

 

4.おわりに

 では他殺や自殺のあった事故物件はどうするか。一つの成功事例として、そのまま「ゴミ屋敷型お化け屋敷」というアトラクションにする方法がある。開店一年目は物珍しさで年間利用客が10万人に達した。しかし二年目には6万人まで減少。なんらかのテコ入れが必要な時期に来ている。

 

 

 

 

[book]日本の映画産業を殺すクールジャパンマネー

 

ヒロ・マスダ『日本の映画産業を殺すクールジャパンマネー』光文社新書を読みました。

最近は下火になったが、ひところ「クールジャパン」という言葉特に政府から盛んに発信され、日本が「誇る」文化を外国に売り込もうと声高に喧伝された。しかしはかばかしい成果を挙げたという話は聞かないまま、流行語としてはとうに旬を過ぎてしまった。その陰で、税金の垂れ流しあるいは関係者が甘い蜜をすするといったことが行われてきた。その代表例が、本書で詳述される「株式会社ANEW」だろう。

 「株式会社ANEW」とは、「All Nippon Entertainment Works」を縮めた略語で、日本の物語をハリウッドで映画化することを手助けするための、官製映画会社である。経済産業省商務情報政策局文化情報関連産業課課長(当時)の伊吹英明氏(自民党の有力代議士である伊吹文明氏の息子)を中心となって動き、産業革新機構が60億円を出資して、2011年10月に設立された。七本の「企画」が発表されたものの、結局一本も映画化に成功することなく(脚本などの企画段階にとどまり、撮影に入ったものさえ皆無)、この企業は22億円の損失を出して2017年に「ただ同然」で身売りされることになる。損金の多くは、関係者の報酬に消えたと見られる。トップに据えられたサンフォード・R・クライマン氏だけで年額数千万円にものぼる給与を得ていた。そればかりか、ANEWの米国拠点である「ANEW USA LLC」は、「クライマン氏の個人会社、を日本の公的資金で丸抱え」(p.141)したようなもので、クライマン氏は「映画プロデューサーが本来負うべき経済的リスクを何ら負うことなく、映画が利益を生んだ時にはそこからもシェアを受け取る「二重取り」ができる」(p.143)という、絶好の立場が与えられていたという。これでは日本はただのカモではないか?

 ANEWの設立意図がそもそもおかしいと著者は指摘する。もしANEWが関わった映画の企画が成功しても、それで利益を得られるのはいわゆる「アバブ・ザ・ライン」(監督や脚本家、スター)だけで、「ビロー・ザ・ライン」(撮影、照明、衣装など映画産業で働く労働者)には何ら利益がないのだ。しかし支援すべきは後者ではないのか?ANEWがハリウッドの監督や脚本家に報酬を支払っても、日本の映画産業に資することはない。そればかりか、2012年、TIFFCOM(東京国際映画祭に付随する見本市)で行われたセミナーで、ジャパン・フィルムコミッション副理事長(後に理事長)の田中まこ氏は、日本でのロケの利点として「週末・深夜・長時間労働に対応し、残業代がかからず、エキストラを無償で用意できる場合がある」(p.204)としている。つまり、日本で労働者を安く買い叩けると世界に向けて宣伝しているのである。これでは日本の映画産業で働く人々の待遇が良くなるわけはなく、また、上部がそのような問題意識を全く持ち合わせていないことも分かる。労働者の待遇改善に向かおうとする外国の映画産業とは真逆の動きをしている。

 著者はANEWに関して経産省に情報開示を迫るが、経産省側は疚しいためかひたすら逃げる。あるいは、初めから「文書を作らない」。日本の情報公開制度における問題点が、そのままここでも露わになっている。総括もおざなりだ。

 経産省にはそれなりに優秀な学生が就職しているはずであるが、なぜこのような「無能の極み」のような政策が実行されてしまうのだろうか?長時間労働をしているうちに疲弊してしまうのだろうか?それとも政治家や関係者の利害を中心に動いているうちに政策がねじ曲げられてゆくのだろうか?本書を読む限りにおいて、経産省という役所は文化を扱うのは不適としか言いようがない。

平田知久『ネットカフェの社会学』を読みました。

平田知久『ネットカフェの社会学慶応義塾大学出版会、2019年を読みました。

 

 著者は社会情報学会の中でも「期待の若手」だったが、現在ではすっかり中堅の研究者となり、おそらく学界を背負って立つことになるだろう。学会でも何度かご一緒したが、その鋭い意見には敬服するばかりだった。
 さて本書はそんな平田氏が京都大学に提出した博士論文。タイトルにもあるように、ネットカフェがテーマだが、特に日本のそれと東・東南アジア諸国のそれとを比較して各国での特徴を描き出したところに眼目がある。日本のネットカフェを見ているだけでは、それがどれだけ他国と違う発展形態を遂げたのか分からない。ネットカフェという小さな窓から、その国の姿が垣間見えるのである。
 日本のネットカフェの特徴は、その「個別ブース」性と、「静寂」にある。なぜそうなのか。著者の見立てでは、他人のくつろぎを邪魔しないように、他人への干渉を避けるという配慮が、日本では行き届いているということになる。
 それに対して、著者が行ったアジア諸国のネットカフェは、多かれ少なかれ喧噪の場である。第4章で紹介されるソウルのネットカフェは友人と連れ立って遊ぶ場所という性格があり「うるさい」。第5章で紹介される台北のカフェは、カナダビザに取得をアシストするという、「ケア」の側面を持ったものがある。バンコクでは、家にパソコンを持たない子どもたちが、ネットを使わなくてはできない宿題をするために、ネットカフェに集っている(第6章)。それだけではなく、「バーガール」たちが、お客をつなぎとめるためのラブレター(より直截的な言い方をすれば「セックス・レター」)を書くために、ネットカフェが使われてもいるのだ。
 著者による「半構造化型インタビュー」は堅実なものだが、時として失敗することも正直に書かれている。北京での取材で、質問の途中ら、日本の文化に興味を持つインフォーマントたちに、逆に質問責めに遭ってそれ以上の調査を断念している(p.203)。彼らは決して裕福ではないのに、『週刊少年ジャンプ』の簡体字版がネットより早く読めるなら一冊30CNYまで払う、ネットより早く日本の劇場版アニメを中国で観ることができるなら150CNY出してでも行く、等と語るのだ。中国についてはその広大さと問題の複雑さから、著者は単純な結論を留保しているように見えるが、ここに描かれているのもまさに中国の一面だろう。
 個人が自由にネット接続できるスマホの時代には、ネットカフェが徐々に役割を終えようとしているとしても、「ネットカフェにおける歓待の実践とその応用は、共にあることの現代的な困難がオンライン上に散見されるように映る現代においてこそ、希求されていると考えることもできるだろう」と著者は語る。地球全体が一足飛びに理想郷になることはない以上、著者のこのような探求は今後も続いていくだろう。本書の元になった研究自体は2010年前後のものであるので、多少はここに描かれた事実も変化はしているだろうが、その時期の貴重な定点観測として価値を失わないだろうと私は考える。

ショートショート「ボケと介護」

[ショートショート]  ボケと介護

「どうもー、『ボケと介護』です。老人と孫でコンビを組んで、まだ結成1年目です。車椅子に乗っているのが僕のおじいちゃん、高森庄吉75歳です。おじいちゃん、あいさつして。・・・。ああ今日はちょっと調子が良くないようですね。そして僕が孫の高森翔太21歳です。学生と、芸人と、おじいちゃんの介護、三足のワラジを履いてます。名前だけでも覚えて帰ってください。

 おじいちゃんも、ごあいさつして」

「おお」

「見ての通りおじいちゃんはボケ老人なので、おじいちゃんがボケたところに、孫の僕がツッコミならぬ介護を入れていくというスタイルでネタをしていきます。ショートコント、ボケ老人と孫」

「おお」

「おじいちゃん、そろそろ財産譲って欲しいんだけど。おじいちゃんの預金通帳は仏壇の下だっけ。あった。だいぶ額が減ってるね、何に使ったの。ケータイ会社からの引き落としが多いなあ。変なオプションいっぱい付けられてんじゃないの。今度僕が代わりに行って解約してあげるね。その代わり浮いた分は僕がもらうよ」

「おお」

「ショートコント、ボケ老人と孫その2.おじいちゃん、財産譲って欲しいんだけど。おじいちゃんの預金通帳は仏壇の下だっけ。あれ、なんか隣に、昔の日記帳があるぞ。高森庄吉って、おじいちゃんの日記だね。何書いてるのかな。漢字が難しくって読めないや。あ、ここは読めるぞ。秀子さん、大好きって。おばあちゃんじゃないじゃん。おじいちゃんも若い頃はいろいろあったんだね」

「おお」

「ショートコント、ボケ老人と孫その3。あれ、ちょっと臭いなあ。おじいちゃんウンチした?すみません、ショートコントの途中ですが、失礼しておじいちゃんのおムツを代えさせていただきます。はい、こうして、こうして、こうして。あれ、おじいちゃんウンチ出てないじゃん。オナラだったのか。おじいちゃん、上手いボケだね。まあそのままオムツは代えますね。

 ショートコント、ボケ老人と孫その3.おじいちゃん、財産譲って欲しいんだけど。おじいちゃんの預金通帳は仏壇の下だっけ。あれ、ないなあ。どこだろう。冷蔵庫かな。あ、冷蔵庫にあった。おじいちゃんすっかりぼけてるなあ。仏壇の下に戻しておこう」

「おお」

「おじいちゃん、汗かいてくさくなってるね。舞台の上ですが失礼して、おじいちゃんを入浴させたいと思います。ええと、お風呂の準備お願いします。ありがとうございます。あれ、ちょっと熱いかな。おじいちゃんは割とぬるめが好きなんで、少し水を足してください。これでいいかな。はい、おじいちゃんお風呂入りますよ。気持ちいいかな」

「秀子・・・」

「秀子って誰?ここは死んだおばあちゃんじゃないんかーい。どうも、ありがとうございました」