ハイブリッド世界の本質

(前回の「メモ-5」の続き)

えーと。。

ところで、前回の「メモ-5」の記事で、横浜へ行って「船に乗ってきた(w)」と書いたのだけど、その船の名前は「マリンルージュ」で、そのウィキペディアには、サザンオールスターズの曲の「LOVE AFFAIR〜秘密のデート〜」(2005年)の歌詞に本船が登場する、と書いてありました(→歌詞)。もちろん、僕はこの曲をよく知っているのだけど、この「つながり」に今頃、気付きました、泣。*1

更に、前回の記事で、「Dance and Music Center in The Hague」の建築コンペについて書いたのだけど、その建設予定地を、「グーグルマップ」で探して、その「ストリートビュー」を見て、また泣きました(→ストリートビュー)、泣。そこ(建設予定地)に映っているのは、レム・コールハースの(初期の)代表作、「ネザーランド・ダンス・シアター」(「Netherlands Dance Theater」、1987年竣工)です*2。つまり、これを取り壊す、ということです。今頃、気付きました、泣。「情報空間」(ビット空間)は断片的過ぎて困ります。*3

それから、前回の記事で、ジェイン・ジェイコブズ著「アメリカ大都市の死と生」(1961年)を読んだ感想で、「(前略)ジェイコブズの批判は正しい。でも、僕はハワードを擁護する、というか、「都市論」以前に、これは思考パターン(の違い)の問題だと思う。」と書いたのだけど、こんなことを書いてはイケナイ。ジェイン・ジェイコブズは、都市の人間を「観察」したのであり、「観察」には、常に何らかの「真理」があるものなのである。

また、前回の記事の追記で、「ジェイコブズは「アメリカ大都市の死と生」で、犯罪を予防するために、都市に「多様性」が必要なのだと論じている。でも一方、近年の「数学」や「経済学」では、より人間的な「人間」のモデルを用いている。「都市論」もそうあるべき。」と書いたのだけど、(本当に「多様性」が犯罪を予防しているかは別として*4)、最悪の被害を回避しようとするのも、「人間」の古くからの行動の一つである。つまり、これも「より人間的な「人間」のモデル」なのである(マックスミン原理*5)。いずれにせよ、ジェイン・ジェイコブズは、「都市」に関する可能なあらゆる全てを考え尽くそうとしたのであり、それは近年の建築学、都市工学、政治学、経済学、等々の専門分化(または、学問ごとの正統性)に居直った態度*6とは一線を画している。(ジェイン・ジェイコブズの)この本はほんと素晴らしい。*7

(あと、その前回の記事の追記で、「ハワードの「田園都市」の都市モデルは、「良きイギリス人」を(そこに暮らす)人間像においている」とも書いたのだけど、これは「明日の田園都市-2」の記事で書いたように、かなり「言い換え」ている表現で、エベネザー・ハワード著「明日の田園都市」(1902年)は、その前の「明日の田園都市」の記事で書いたように、決して「長閑(のどか)な」本ではなく、もっといろいろと「工夫」(発明)がされている。これは、イギリスの「保守」思想が分かると、あ、なるほど(!)と感嘆してしまえるような「工夫」です。そのうちブログに書く。)

それから、前回の記事で書いた「アイコン建築」について、少し考えてみた(アウトラインだけ)。別ブログの「雑記5」の記事の注釈7で、磯崎新の「新建築2009年3月号」の「〈建築〉/建築(物)/アーキテクチャー」の小論から、「プロテスタンティズムモダニズムもその運動の始まりは、アイコンの破壊だった」の一文を引用したのだけど、この意味は、アレグザンダー・ツォニス著「ル・コルビュジエ 機械とメタファーの詩学」(2007年)の第1章を読むと、よく分かる。そのうちブログに書く(たぶん)。*8

まっ、大体は前に「レッセフェールの教訓」の記事の追記で書いたような話なのだけど、まず第一に、「アイコン」(聖像)も「アイコンの破壊」(聖像破壊)も、どちらも「宗教」運動だったということ。第二に、ル・コルビュジエはその後者(「アイコンの破壊」)を「モダニズム」運動に結び付けたということ。そして第三に、マックス・ウェーバー著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1905年)を読まなければ(!)と思い立ったということ、ではなくてw、上記のル・コルビュジエの本の第1章と稲葉振一郎著「社会学入門―“多元化する時代”をどう捉えるか」(2009年)*9の第10講「ウェーバーマルクス主義」(のP.178-181)を読むと、すぐ気付くようなことです。キーワードは「修道院」。いずれにせよ、ル・コルビュジエマックス・ウェーバーから読むと良い、ということが分かった。そのうちブログに書く(たぶんw)。

*10

他には、ル・コルビュジエの「300万人のための現代都市」(1922年)の中心部に建つ24棟の高層オフィスビルはそれぞれが「十字型」なのだけど、かつての中世都市の中心部には「ゴシック様式の教会」が天を衝くように建っていて、そして、これも「十字型」なのである(→グーグルマップ)というような話も、少し考えてみた(アウトラインだけ)*11。つまり、第一に、これも「アイコン」ではないか、ということ。第二に、「教会」を「高層オフィスビル」にすり替えているところに、「聖像破壊者」としてのル・コルビュジエの真骨頂があるのではないか、ということです。(そして第三に、「合理的組織化」がされている、ということです)。

でも、このようなアプローチでは、(類推的に)何とでも言えてしまえるので、結構、難しいのかも知れない。また、ル・コルビュジエは「モダニスト」の中でも、かなり特異なのではないかとも思える。もちろん、「モダニズム」は決して一枚岩の運動ではなかったのだけど、「アイコン建築」について考えるならば、モダニズムの先駆者であるアドルフ・ロース(→動画*12に着目したほうが良いのかも知れない(と今、気付いた、泣)。ぼちぼち考える。

うーん。キーワードは、ではない、キー建築は「シカゴ・トリビューン新聞社」の建築コンペ(1922年)のアドルフ・ロースの案(→ここの一番左)だと思う*13。まさに「アイコン建築」です。更に、これは究極の消去法(抽象)*14の外観だと思う。つまり、「高層建築」*15という必然的に目立つ建築(「アイコン」となる建築)に対して、どのような「アイコン」が最も目立たない(最も保守的)かといった観点から、この外観(ドリス式の円柱)が選ばれている(もちろん、当時の装飾的なゴシック・リヴァイヴァル様式に対して、骨太の古典主義様式で対抗するという図式もあったかも知れないし、または、「新聞社」なので、コラム(column)と円柱(column)の語呂合わせかも知れない)のだと思う。これを「消極的アイコン」と名付ける。

まっ、少なくとも、このようにして考えると、このアドルフ・ロースの建築コンペの案の外観と、アドルフ・ロースが設計した一連の(無装飾・無様式の、モダニズムの)白い住宅の外観が全く矛盾しない、ということが言えるのである。

また、上記のその一連の白い住宅の外観は、アドルフ・ロース自身が書いているように、20世紀の都市生活者(または、故郷喪失者)の倫理と外見(ファッション)に由来している。よって、都市生活の上に「情報空間」(ビット空間)が覆い重なっている21世紀の今日の「ハイブリッド世界」においては、建築のモダニズムの(最も保守的な)基層が耕されて、柔らかい(のような)土壌に生まれ変わるのではないか、と考えられる*16。そして、その上で建築のモダニズムの正当かつ批判的な後継者たらんとするならば、答えは「アイコン建築」以外にはあり得ないのではないか、と僕は考える(もちろん、これは「仮説」です。他には、建築自身が建築自身の「アイコン」を再帰的に選択し続けるという「ポストモダン」な選択(「果てしない循環」としての恒常性)も考えられるけど、歴史的にみれば、その行く末はかつてのゴシック・リヴァイヴァル様式と同じになる、と思われる)。*17

…と、頭で考えるよりも早く、手を動かしてしまった(即興で書いてしまった)けど、すごい極端(簡単)にまとめると、第一に、建築のモダニズムと「アイコン建築」は矛盾しない、ということ。第二に、20世紀の建築は「都市空間」(アトム空間)から生まれた、21世紀の建築は上記の「ハイブリッド世界」から生まれる、ということです。また、アドルフ・ロースに倣うならば、21世紀に「建築」は消滅する、そして、かつて「建築」と呼ばれていたものは、「アイコン」(または「ランドマーク」)と「建物」の混合物になる、ということです。

今のところは、「アイコン建築」という用語は、フランク・ゲーリー*18が設計した「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」(1997年)とか中東のドバイ(→動画動画)に建っているような「高層建築」等に対する「蔑称」として使われるケースが多いけど、歴史的にみれば、概ね、「蔑称」だったものが次世代を制覇しちゃうものなのです(おいおいw)。と言うわけで、21世紀の建築は「アイコン建築」です(キリッ)。以上。*19

(というか、ブログに初めて「建築論」らしきことを書いた気がするw。「都市論」が「謎を解くこと」であるならば、「建築論」は「謎を作ること」なのかも知れない。この違いは、単純に「設計者」のコントロール下にあるか否かである(そして、この中間に「公共建築」がある)。いずれにせよ、「アイコン」と「アイコンの破壊」と「アイコン建築」と「モダニズム」と「ポストモダン」の関係を、(情念と常識を飛び越えて)事実と論理によって、再定義する必要がある。続きは、また今度書く。)

では、今日の本題。

本題は、前回の「メモ-5」の記事の最後で「次回(中略)書く」と書いた、クリス・アンダーソン著「フリー〜〈無料〉からお金を生みだす新戦略」(2009年)の第13章「(ときには)ムダもいい」と第14章「フリー・ワールド」についてなのだけど、んー、この2つの章を読めば分かります(おいおいw)。「私たちが足を踏み入れたハイブリッド世界の本質」は何かについては、同書の第13章(のP.262-263)に簡潔に分かりやすく(著者自身の体験を元に)書かれています。そして、僕はそれに2つ付け加えるというだけですw。キーワードは「希少さ」*20。次回書く。今回は即興で「アイコン建築」論を書いたけど、これは想定の範囲外だった、泣。

ハイブリッド世界の本質-2」に続く。

(追記)

あと、前回の「メモ-5」の記事(と上記)で書いた、「Dance and Music Center in The Hague」の建築コンペの最終16案の感想を、ネットサーフィンしてみた。と言っても、僕は(外国語は)英語しか読めないのだけど、英語では「ザハ・ハディド(No.16)」の案が(ダントツの)一番人気だった。僕の一押しの「トーマス・ラウ(No.14)」の案はそうでもなかった。僕は「メカノー(No.11)」の案が勝つと思っている。その理由はこの案以外は、(これは設計の与条件のせいでもあるけど)、中層の建物のボリュームが敷地に対して大きすぎる(敷地にマッチしていない)からです。でも、「メカノー(No.11)」の案は、そこを割り切って、低層と高層を組み合わせた形の建築にすることで、この問題を上手く解決している。そこがいいと思った。

あと、この建築コンペの感想を読んでみて面白かったのは、「ノック・オフ」(「knock-off」)という言葉を、割と頻繁に見かけたこと。これは「模造品」、「劣化コピー」という意味です。例えば、「「ディラー・スコフィディオ+レンフロ(No.07)」の案は、レム・コールハースの「ジュシューの図書館コンペの応募案」(1992年)のノック・オフだ(!)」といった具合です。要するに、「ノック・オフ」を作ってはいけないのだ、ということです。また、これと関連して、レム・コールハース(巨匠、造物主)に対するアンビバレントな感想も多かった。例えば、「Aedas Limited(No.01)」の案は、どちらかと言えば、古いタイプの建築(日本でも90年代前半で見かけなくなった?)なのだけど、この案が意外と高評価されていた。そして、その理由が、全16案の中で最も「レム・コールハースに似ていない」からだった。このような文化は、良し悪しは別として、(次回書く予定の)クリス・アンダーソン著「フリー〜〈無料〉からお金を生みだす新戦略」(2009年)の第14章「フリー・ワールド」で書かれている中国の模造文化(「儒教では、他人の作品をまねることは敬意の表明」(P.269)であるらしい)とは対照的である。

あと、オランダ語が読めれば、もっと(建築関係者以外の)リアルな感想も探せたかも知れない(泣)。以上。*21

(追記2)

あと、割とどうでもいいことだけど、昨日(日曜日)模試の帰りに、久々に書店へ行った(w)。本多久夫著「形の生物学」(2010年)とマイケル・サンデル著「これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学」(2010年)は、普段なら迷わずに「タイトル買い」しているところだけど、耐えた(泣)。来年、読む。後者のマイケル・サンデルについては、前に「コーリン・ロウ-3」の記事の追記と「メモ-2」の記事と追記で書いた、仲正昌樹著「集中講義!アメリカ現代思想―リベラリズムの冒険」(2008年)に解説されている。でも、この本はその「メモ-2」の記事の冒頭で書いたように、「読後感が独特」で、「リベラリズム」(ジョン・ロールズら)が主役の本であるにも関わらず、読み終えると、「コミュニタリアニズム」(マイケル・サンデルら)が一番輝いて見えるという変わった本だったという他に還元され得ぬ記憶が、今、鮮やかに蘇る(泣)。以上。*22


(6月15日 追記)

記事に画像を足してみた。うーん。やや足しすぎたかも知れない。まっ、いいか(w)。

*1:と言っても、横浜で「秘密のデート」をしてきたわけではない(そこは歌詞と違うw)。この曲は、前に別ブログの「柏 マイ・ラブ」の記事で書いた、爆風スランプの「KASHIWA マイ・ラブ 〜ユーミンを聞きながら〜」の横浜市バージョンだろうか。「メモ-4」追記の記事も参照(「有楽町で逢いましょう」、「渋谷で5時」)

*2:この頃の(初期の)レム・コールハースの建築は、「ロシア構成主義」的(立体の「組み合わせ」的)だった。レム・コールハースは、著書「コールハースは語る」(2008年)で、「なぜレオニドフに関心があったのですか。」の質問に、「(前略)彼は火急の建築家だった。(中略)彼はいつも黒のなかに白い線を描いた。火急の建築家は本質だけを描きだし、それが僕を魅惑するのです。なぜなら僕は建築のエッセンスに関心があって、建築のしがらみや複雑な手続きから、いやそもそもの物質性すべて(引用者註:「アトム」)から逃れようとしているからです。」と答えている(P.18)。「理想都市」、別ブログの「雑記6」の記事参照(同書)。「画像テス」の記事参照(「マグニドゴルスク都市計画」、イワン・レオニドフ、1930年)。ところで、割とどうでもいいことだけど、このブログを「白黒反転」にしている理由はこれ(レオニドフ)です。でも、そろそろ元(別ブログ)に戻そうかな、と思っている。白黒反転だと、可愛い「顔文字」を入れても、あまり可愛くはならない(泣)。そこが不自由というか、あ、顔文字は「本質」的ではないということか。(´・ω・`)ショボーン

*3:1987年に竣工した「ダンス・シアター」を、わずか23年で解体するのはどうなんだ(?)とも考えたけど、レム・コールハースは著書「コールハースは語る」(2008年)で、「建物の存続が最長で二五年であるというのが自動的な条件になれば、プレッシャーは少なくなるでしょうね。」と語っている(P.94)。

*4:実際、そんなデータはないし、犯罪発生率は大都市のほうが高い。良し悪しは別として、ウィキペディアの「ルドルフ・ジュリアーニ」(ニューヨーク市元市長)の項参照。あと、「遊具広場、囲って安心?孤立?…都立公園」(読売新聞、2010年4月13日)も参照。

*5:「(前略)このように、最悪の数値が最大化されるような行動を選ぶ方法を「マックスミン原理」(Max-min principle)といいます。マックスミン原理は、わたしたちの日常的な判断とも一致します。(中略)また、災害など緊急時のリスク管理にもこの方法論が用いられるのが一般的です。最悪の被害を想定し、それがもっとも少なくなる(負の利益をゼロに近づけて最大化する)ような政策を施行するのです。」(小島寛之著「確率的発想法〜数学を日常に活かす」(2004年)、P.120)。「日食」の記事参照(「ミニマックス型」)。いずれ詳しく書く。

*6:モリスの建築論」注釈4の記事参照(「人々はどんどん愚かになっていくのでは」)

*7:前回の「メモ-5」の記事で、「まっ、しばらく様子見する(w)」と書いたのだけど、今のところ、まだ反響はないようである。一応、検索してみると、「黒川訳より読みやすい」、「読みにくい黒川訳のほうが良かった」、「黒川訳の意味のわからなさは、私をジェイコブズに近づけた」、「黒川訳には熱意があった、山形訳はクールすぎる」、「あとがき(山形浩生の「訳者解説」)が一番面白い」とか、そんな感じでした(w)。と言うよりも、黒川訳が意外とちゃんと読まれていて、そっちに驚いた(汗)。別ブログの「ノエル」5の記事参照(「最初の5ページで挫折した」)。あと、読売新聞(2010年5月10日)に小説家・評論家の松山巖の書評がある→本よみうり堂

*8:ちなみに、この本の第1章によると、ル・コルビュジエは若い頃、(ニーチェの他に)、ルソーの本も読んでいたらしい。「メモ」、別ブログの「アルチュセール」注釈8の記事参照(ニーチェ)。「メモ-2」、「レッセフェールの教訓」追記、「モリスの建築論」追記の記事参照(ルソー)。あと、この本の同章には、ル・コルビュジエの出身地の「ラ・ショー=ド=フォン」の都市史についても詳しく書いてある。そのウィキペディアによると、ラ・ショー=ド=フォンは、2009年に世界遺産リストに登録されている。ウィキペディアの「ラ・ショー=ド=フォンとル・ロックル」の項によると、「1794年の火災で、町の建造物群は焼失した。(中略)啓蒙時代の申し子といえる都市計画が採用された。(中略)公益と私益の間で合意された成果であった。1834年に(中略)新しい都市計画が採用された。(中略)火災の延焼を防ぐために安全性や衛生面が考慮された(中略)、全ての人に良い日当たりを保障することも考慮された。そして再建が実行され、都市の碁盤目状の区画に従い(中略)発達した。」とのこと。あ、なるほど。旧ブログの「Guide to Shopping」の記事参照(「空間の二重性」、カンザスシティウォルト・ディズニー

*9:十九世紀の罠」、「モリスの建築論」注釈4の記事参照(同書)

*10:ウィキペディアの「Florence Charterhouse」の項参照

*11:別ブログの「雑記5」の記事の注釈8では、ル・コルビュジエの「300万人のための現代都市」(1922年)と「輝く都市」(1930年)の「中心」部の用途の違いについて書いた。一つ補足すると、後者の「輝く都市」の中心は「二重」になっているとも言える。つまり、都市全体の「中心」(空間の中心)と、図を人体に似せることによって表現される「中心」(人体の頭部)という二つの「中心」が一枚の図面に、狡猾に重ね合わされているのである。

*12:メモ-4」、旧ブログの「Natural World-1」の記事参照(アドルフ・ロース)。ル・コルビュジエは、アドルフ・ロースを(「恐ろしく目醒めた」建築家であると)絶賛している。

*13:ついでに、その右上はワルター・グロピウス案です、「モダニズム」の記事参照(ワルター・グロピウス)。あと、この建築コンペの他の案がここにある。建築史的には、「中世リヴァイヴァル様式とモダニズムの両方が重なった初の建築コンペであった」とされている。実際に建ったのはこれ(ネオ・ゴシック様式)。ちなみに、この建築コンペのアドルフ・ロース案は、建築史上の「三大謎」の一つに数えられている(後の二つは誰も知らない)w。

*14:このアドルフ・ロース案の外観は、マルセル・デュシャンの「レディメイド」に通じる感性かも知れない(いや、たぶん違う)。別ブログの「スロー雷雨」、旧ブログの「写真銃-1」、「写真銃-3」、「Natural World-2」の記事参照(「レディメイドの選択は常に視覚的な無関心、そしてそれと同時に好悪を問わずあらゆる趣味の欠如に基づいています。」、マルセル・デュシャン

*15:別ブログの「イオンレイクタウン」注釈2、旧ブログの「TRANSPARENCY」、「Material World-2」の記事参照(「"form follows function"は史上、前例がなかった高層建築(摩天楼)の芸術論」、ルイス・サリヴァン

*16:明日の田園都市-2」の記事参照(「柔らかく耕し、」)

*17:モダニズム」の記事参照(「一九世紀の建築家は様式リバイバルの果てしない循環にとりつかれ、」)

*18:別ブログの「別世界性」の記事参照(「Serpentine Gallery Pavilion 2008」、フランク・ゲーリー

*19:「ゴシック」も元は「粗野で野蛮」という意味の「蔑称」だった(→ウィキペディア)。「印象派」も「単なる印象を絵にするとは何事か」という意味の「蔑称」だった。あと、旧ブログの「アメリカの住宅」の記事参照(「2x4は1830年代にアメリカのシカゴで誕生した。これの前身は「バルーン工法」と呼ばれていた。(中略)当時のまだ職人気質だった大工たちがこの新しい工法を「まるでバルーン(風船)みたいだ」と罵ったことからその名が付いたとされている。」)

*20:H&Mモデル」、旧ブログの「希少性」の記事参照(「希少性」)。別ブログの「100年後」の記事参照(「何でも自由にコピーできるとモノに希少価値がなくなるでしょ。(中略)社会のシステムが変わると思います。」、ひろゆき

*21:「5年後、言葉の壁は消える」、グーグルが検索技術への取り組み」(日本経済新聞、2010年6月9日)

*22:ハーバード白熱教室」(NHK教育、2010年4月4日〜6月20日、全12回)、英語版は「Justice with Michael Sandel