電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

別にどっちも「三」がつくからじゃねえぞ

先日触れた、浅羽通明『右翼と左翼』では、小泉前総理、安倍総理を代表とする二世、三世議員はなぜ人気があるのかについて述べたこんな一節があった。

おそらく「自由」「平等」の思想は、人間が求めるあり方の一面しか充たしてくれないのでしょう。縛られず、序列づけられず、個として生きたい欲求と同程度に、人間は、崇敬できる権威から自らの使命を与えられ、世の中の序列のどこかに正しく位置づけられたい欲求を持っている。そうされてこそ、人は生きる意味に充たされ、安心立命できるのですから。しかし、「左翼」の思想は、解放闘争の戦列に加わるかたちでしか、この充実を与えてくれないのではないか。(p237)

たいぶ前『マリみて』人気の保守反動性(笑)について書いたが、まさにこれは同じ理屈だろう。
安倍総理が持つ「岸信介の孫」という血統は、ほんの15年ばかり前であれば、まだ人によっては「岸信介=元A級戦犯」というマイナスイメージの方が大きかったかも知れない。
んが、バブル崩壊後の長期低空飛行景気(「いざなぎ景気を超えた」なんて言われてもほとんどの人間が信じてない)の果て、昭和高度経済成長期ノスタルジーが蔓延した状況は、かつて満洲国の経済と産業の開発計画をほとんどゼロから作り出し、そのノウハウ応用で戦後の高度経済成長に大きく寄与した岸信介の再評価にもつながっていないとは言い切れない。
(少なくとも、これも先日触れた『週刊新潮』で連載中の野口悠紀雄「戦時体制いまだ終わらず」はそのへんの業績を、思想的な善悪抜きに詳細に明かしている)
しかしいうまでなく、安倍晋三自身はべつに戦犯でもない代わりに、満州国商工大臣の業績もない。
そういや昔、同じような人間がいたような気がする。浅羽通明『右翼と左翼』でフランス革命の経緯に触れてるのを読んでて、思い出した。ナポレオン三世だ。
別にどっちも「三」がつく、ってコジツケじゃねえぞ!

衣食足りて(栄光や血統の)シンボルを求める

大ナポレオンことボナパルトは、フランス大革命後、陸軍の砲兵士官として旧王党派の反動クーデター鎮圧で頭角をあらわし、革命打倒をもくろむ他のヨーロッパ君主諸国を破り、返す刀で一時はヨーロッパの大部分を征服した。
そのナポレオンが皇帝に戴冠したのは革命の裏切り行為とも見なされたが、一方で彼は「革命政権を守るための国民軍」の優秀な軍人には多くの栄誉を与えた。ナポレオンが熱狂的に支持された理由のひとつはここにある。
彼はまさしく前記引用の「崇敬できる権威から自らの使命を与えられ、世の中の序列のどこかに正しく位置づけられたい欲求」をよくかなえてくれるカリスマだったわけだ。
んが、その甥ナポレオン三世には、とくに軍人としての業績など何もない。当時のフランスの大衆が彼を支持して大統領に就かせ、次いで民主的手続きで皇帝に即位(!)させたのは、大ナポレオンの血統という栄光の「イメージ」に拠ったに過ぎない。
しかし実際、ナポレオン三世は、当時のフランスの、右翼、左翼、元貴族、軍人、ブルジョワ商人、農民や労働者の貧乏人、いずれにとっても「なんでもない人」ゆえに「みこし」として担ぐにはそこそこ都合よい人間だったらしい。
帝政復活は貴族主義者をも肯定するし、大ナポレオンの係累ということで前述の名誉恩賞を欲しがる軍人は支持する。また、ナポレオン三世は一応『貧困の絶滅』とかいう著書を出して社会主義政策も謳い、貧民の機嫌も取ってたそうである。
そもそも、ナポレオン三世が権力を握った1848年頃とは、大革命が最初に起きた1789年からすでに50年以上が経ち、マリーアントワネットがお菓子食ってても水呑百姓は泥水すすってたというほどの極端な階級格差はさすがにだいぶ是正され、そろそろ革命下の大衆も「衣食足りて(栄光の血統とかいった)シンボルを求める」となってた時期らしい。
笠井潔の小説『群集の悪魔』は、1848年革命前夜のパリを舞台に、ナポレオン三世の暗躍を描いたミステリだった。この作中では、革命の進行による貴族−地主−農民の伝統的結びつきの風化、進展する産業社会化によって、土着の共同体から切り離された庶民大衆が「群集」と化し、そんな「群集」の漠然とした気分に、ナポレオン三世は「なんでもない人」ゆえに「みこし」として乗った、と分析し、そんなナポレオン三世を、次世紀の大衆独裁者ムッソリーニヒトラーの先駆と暗示している。
この小説、面白くないわけではないが、わたし個人としては片手落ち感が強い。
ナポレオン三世がこずるいだけの「なんでもない人」なのはわかった。でも、それを支持した大多数の大衆については一切批判もしてないし、だからといって騙された可哀想な被害者とも描いてないし、大衆の「崇敬できる権威から自らの使命を与えられ、世の中の序列のどこかに正しく位置づけられたい欲求」にも踏み込んでもいない。
安っぽい扇動家をアッサリ支持する愚民大衆を批判にしても良いのに、全共闘世代たる笠井先生は、根底の部分で大衆性善説を信じたがってる人ゆえなのかもしれない。

一度目は悲劇、二度目は茶番

実際、ナポレオン三世が皇帝を勤めていた第二帝政期(1851〜1871年)というのは、フランスの庶民もそこそこ裕福になり、「パンとサーカス」の時代だったようだ。
今、フランス第二帝政期に眼を向ける、って案外とタイムリーな視点かもって思うぜ。このへん、俺はちっとも専門家ではないで思いつきを垂れ流し気味に書いてるだけだから、もっと専門の学者が論じてくれたら面白い気がする。
この第二帝政期、大衆消費文化が大いに発達したことは、ベンヤミンが『ボードレールにおける第二帝政期のパリ』に書いてた。これ、学生時代に読んだが難解だったのでかなり忘れた。えらく乱暴に要点だけ言えば、当時パリでは従来の土着的な「お得意様」によって成立する町の商店に代わり、ショーウィンドゥで不特定多数の大衆化した客の目を惹くショッピングモールが発達した時期ということだそうで、商店街が壊滅し商品陳列数の多さで客を引くショッピングセンターが栄える現代の「ファスト風土」((C)三浦展)環境の先駆けじゃん!
フローベールの代表作『ボヴァリー夫人』が書かれたのもこの時期(1857年)だった。フローベールの『ボヴァリー夫人』といえば、お蓮實重彦先生が詳しくお解説してくださっているおフランス文学のお代表作なわけだが、わたしに言わせると、ボヴァリー夫人はオタクである。これは茶化しているのではない!
ボヴァリー夫人というのは田舎医者の嫁さんなのだが、たまたま田舎貴族の社交サロンにちょっとだけ参加してその世界に魅了され、貴族階級の恋愛物語(ハーレクィンロマンスのようなものだ)を読み耽り、恋に恋するように不倫を繰り返す(出会い系にハマるヒマな団地妻主婦のようなものだ)。
この小説が時に「近代文学の祖」などと呼ばれるのは、従来の文学では、シェイクスピア作品などのように悲恋の主人公は王侯貴族階級だったが、主人公がまったくの庶民階級で、それが身分不相応に従来の王侯貴族階級のマネをやらかす点にある。
そんなボヴァリー夫人の物語はよく、騎士道物語を読みすぎた末、それを実践し始めたドン・キホーテの物語になぞられられる。
だがそれって、現代に当てはめたら、エロゲーのやりすぎで本当に少女誘拐監禁に走った『首輪王子』こと小林泰剛とか、『下妻物語』に出てくる自分をマリーアントワネットに見立てた田舎ヤンキー娘のようなものではないか?
これは別にギャグではない。かつてマルクスは言ったらしい、ええと「歴史上の偉大な人物は二度現れる、一度目は悲劇として、二度目は茶番として」とかなんとか。これ何のこと言ってるのかというとずばり、初代ナポレオンとナポレオン三世のことなんだとさ。そりゃ本物のマリーアントワネットやサド侯爵は悲劇でも、下妻物語や小林泰剛は、「分不相応を自覚しろ」というパロディ的茶番にしかならんわな。
――さて、ナポレオン三世の最期はいかなるものであったか? これはマジで現代日本に対し、皮肉な教訓になると思う。
1870年、普仏戦争が勃発すると、ナポレオン三世は、痔でケツが痛いのをおして軍馬に跨り戦場に赴いたが、アッサリ敗北する。新興プロシアはよりによって占領したパリでドイツ帝国建国を宣言し、ヤケクソになったパリ市民はコンミューンを作って無政府状態に突入、以後、フランスに王制、帝政は復活しないまま現在に至る。
ナポレオン三世自身には実戦の経歴なんてまったくないのに、フランス国民はヨーロッパ最高の軍人ナポレオンの古い威光の「神話」を彼に重ねていた。それを打ち破ったプロイセン軍は、こちらも実戦経験こそ少ないものの、鉄道による迅速な兵員移動、電信による命令伝達、従来の小銃が一分間に二発しか撃てないのに、一分間に七発撃てる新式のドライゼ小銃という、「技術」を持っていた。
「神話」は「技術」に殺されたのである。
大東亜戦争敗戦の一端は、日露戦争の奇跡的大勝利の神話化、八紘一宇の皇国神話(それも元々は、過酷な帝国主義競争時代、国民が一丸となり近代化に向かうために必要なものだった面は否定できない。が、いつしか形骸化した面も否定できない)を信じすぎた点にあった。戦後日本は、そんな戦前戦中の「神話」に頼りすぎた失敗を「技術」で大いに挽回した。だが、今やその戦後の復興、高度経済成長が「神話」になりつつあるのは皮肉というべきか……。