<「自分」から自由になる沈黙入門〜小池龍之介(著) >
   * スローパンク
 フローパンクという聞きなれない言葉があった。〜ネット検索をすると〜
《スローパンク:ゆっくりと空気が抜けていくパンクのこと。
「走っていて、気がついたら空気圧が減っていた」という現象がこれに当たる。
いったん空気圧が低くなっても、空気を入れるとある程度走れるときもある。
原因は、タイヤに異物が刺り、中のチューブに微細な穴が開いていることが多い。
この場合、異物を取り除くと一気に空気が抜けることがある。そのほか、バルブ
不良、バルブ根元部分の亀裂、チューブの劣化などが原因のことも。》
▼ 人生、老いる頃からスローパンクをして、最期は、走行不能になり、
 消えていくのが定め。ここで、「話し言葉も、行動もスローパンクに従い、
生きなさい。天皇のお言葉も、行為もスロー。意味も中身もありはしない。
天皇それ自体が象徴。それで良い」と勧める。それをパンクの状態と類推する
ところが面白い。この随想日記自体が、面白い知識・情報を探し、ダイジェスト
にして書いているスローバンクと真逆の習慣。面白いのは、「お嬢さん言葉」を
有効に使って間をおいて「沈黙」を保つことを勧めている。露骨な嫌な視線と
言葉に、ただ沈黙をするしかないが、その場決済の、あるイメージを持つ。
内面エネルギーは人一倍強いので… 結果、内面から抹消したことになる。
まさか、こんな内面処理の技術を身につけるとは。処理後は、目の前にいても、
いないと同じ。まさか、自分が??… 想像もできないだろう。
 スローパンクは、その逆。天皇のように、お嬢様のように、ユッタリと空気が
抜けるように、日々過ごせば良い。 空気の抜けたタイヤと車輪の痛みは激しい。
ちゃっかり、ポイントだけは抑えているため、周りは大変! ったく。 
私のタイヤの空気は? 時々、パンク防止剤を入れ替えているが、どうも悪路で
振動がきつい。 あの男、空気の抜けた自転車で、ガタガタ音をたてて走っている。 
自分も同じ姿だろうに。

・・・・・・
5427,人生で最も大切な技術 ー? 快楽は見せかけの友人
2016年01月24日(日)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福と快楽  …重大な混同 
 「安楽こそ幸福」といえば、欧米の長期のバカンスがある。合理的日常から
離れて、ひたすらボ〜っとする。遊び慣れ快楽など今さらの人が求めるのは、
生活の雑事から開放され、ひたすら大自然と一体になること。それが安楽。 
文化人の行きついたところが、「安楽」なら、未開人と何処が違うのか。
 で、構造主義に到達する。〜その辺を抜粋〜
≪ 外的な要因と精神的態度、すなわち心構えのうち、どれが本当の幸福を
 もたらすもので、どれがそれを阻害するものかを見分せようとする場合、
「幸福とそれに似て非なる特定の状況」とをはっきり区別することが必要。
最も起こしやすい間違いは、「快楽を幸福」と取り違えること。
 ヒンズー教には、「快楽とは幸福の影に過ぎない」という教えがある。
 快楽は、肉体的、美的、知的な刺激を受けた直接の結果である。
場所とか瞬間などの条件が揃った特定の状況において、束の間の快楽を
経験することができる。快楽は本来、一定で、快楽に誘引される感動は
直ぐにかすんで無色になり、ついには不快感さえ味わうようになる。
 ・・(略)快楽はまた個人的な経験でもある。その大部分が自己中心的で
あるがゆえに、自分本位に陥り、時には他者の幸せと矛盾することもある。
 性的行為は、快感を相手と交換しあうことで相互に快楽を得る。しかし、
この種の快楽も、相互関係と利他の心が中心にある場合にのみ純粋な幸福を
感じられるものである。他者を犠牲にし、快楽を経験することもできるが、
そこから幸福を得ることはまずない。 快楽は、残酷、暴力、傲慢、欲、
その他の心情と結びつくこともあり、本当の幸福とは両立しない。
 フランスの作家で批評家のドールヴィイは、「快楽とは狂人の幸福であり、
幸福は聖人の喜びである」と書いている。中には復讐や拷問を楽しむ人間
もいる。同様に、競争相手の破滅に有頂天になるビジネスマンもいれば、
盗品を肴に祝杯を傾ける盗賊もいるし、闘牛の観客は牛の死を見て狂喜する。
そのどれもが束の間の快楽に過ぎず、時にはそれが病的な高揚状態をもたらす。
 これらも幸福とはまったく無縁である。・・・(略)
快楽とは異なり、心が純粋に生気に溢れた状態は、たとえ状況に影響
されることがあっても、支配されることはなく、意気消沈することはない。
持続性があり、経験を積むうちに鍛えられる。時間の経過でそれは第二の
天性と呼ばれ習慣として体得され、達成感という副産物をもたらしてくれる。
 本物の幸福は、活動とは無縁である。それは人間の在り様、すなわち、
心がどのように機能するかについて正しい理解に到達することで、感情の
バランスが見事にとれている状態を指す。 普通の快楽は、快適な対象と
接したときに生じるが、その接触がなくなると快楽は消滅する。
 反対に、永続的な安楽は、内なる本質と完全に調和している期間中ずっと
持続する。 安楽は、自己への執着を超えて、内側から発散してくる平安な
無我の状態を一つの側面とする。自分とうまく調和できている人は、
家族、隣人、場合によっては社会全体とも良好な関係を維持するために
自発的に貢献しようとする。 要するに、快楽と幸福は直接的な関係がない。
だからといって快適な感覚を求めてはならないということはない。
 壮大な景色、海水浴、バラの香りの楽しみをすべて止めなければならない
理由はない。ただ、心の平静さが損なわれ、満足感を得ることに執着し、
快楽の妨げとなる何事をも毛嫌いするようになると、快楽は障害となる。
 快楽は、幸福どは本質的に異なるとはいえ敵ではない。ただ問題になるのは、
快楽がどのように経験されるかである。所有に取りつかれるとき、あるいは、
心の自由が妨げられるとき、食欲と依存症の兆候が頭をもたげ、幸福が妨害
される。一方、心地よい瞬間とか、心が平静で自由な状態で経験される快楽は、
幸福に影を投げかけることはなく、かえって幸福を引き立てることになる。≫
▼ 40歳半ば、母親の軽い痴呆症や、病など家庭内問題が山積し、兎に角、
目先のストレスを解消する必要性があった。 そこで見つけ出したのが、
秘・異郷ツアー。未知への旅の不安は並大抵ではないが、大自然との邂逅が、
ストレスへの即効薬に気づいた。それまで、年一回のツアーが、2〜3回に
なっていた。極限の日々が、想像を絶する大自然や、異文化、異文明の出会い
に導いてくれた。あと講釈としても、「この大自然と出会うため、この日々
のストレスがある」と、思わせるほど強烈なインパクトがあった。
 それらの邂逅での一瞬の至高体験から湧き出て蓄積された『安楽の池』が、
心の奥に静かに佇んいるから、何ごとにも平然としていられる。 
『快楽の池』は、あるか? 〜以下が偶然だが、脈絡として続いていく。
『快楽の池』『安楽の池』『地獄の池』の管理のため、人は神をつくった?
・・・・・・
5063,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜?
2015年01月24日(土)
            ー「私が語り伝えたかったこと」河合隼雄著ー
   * 日本人と宗教
以下の内容は、巷の日本人の宗教観をズバリ言い当てている。
これに世間論(世間=神様)を混ぜれば日本人論にもなる。人間は、地勢と、
人種と、貧富などの社会的立場で細かく差別されている。更に最期は死という
避けることが出来ない最大の不幸?が待っている。で、神という共同幻想
つくり上げ、その幻覚で今を生きようとする。しかし、日本では、互い監視の
世間様が神の役割を果たしている。 ーその辺りを抜粋ー
≪ 人間が生きてゆく上で、何らかの宗教が必要であり、それは経典や儀礼など
 を通じて教えこまれると世界の多くの人が信じているなかで、日本人はよほど
特異なのである。このことを知らずに、終戦後に渡米した日本のインテリたちが、
「宗教」という欄に「無し」と書いて、コミュニストと断定されるようなことが
よくあった。 「無宗教」などと公言するのは、欧米では大変なことである。
 そこで、日本人の宗教について欧米人に尋ねられたとき、筆者は次のように
答えることにしていた。日本人は宗教が日常生活と著しく混っていて、本人も
意識していないのに、宗教的な言動をしているのだ。たとえば、最初にあげた
「もったいない」にしても、これを「宗教教育」と思っていた親は少ないが、
結果的にはそれは大切な宗教教育になっているのだ。食事のとき「いただきます」
と言うのもそうであろう。一神教のように明確な超越者の存在を意識しないが、
あいまいな形で、自分を超えたものに対する感謝の念を表現する。
 日本人の場合、自分確かな存在としての神、というよりは、自分を包む存在
としての自然ということが、宗教の中核にあるように思う。自然のうつろいに
対してきわめて敏感である。それに美的感覚が結びついて、日常生活のなかでも
それに呼応するかずかずの行事をもっている。そのような体験のなかで、仏教の
言う「無常」は感じとられるし、人生を支える「循環」のイメージが体感される。
 これはおそらく輪廻という思想に結びつくことだろう。日本では、茶道、華道
などという考え方がある。さらに、お茶を飲むとか花をアレンジするとか、欧米
であれば日常生活に属することが、「道」という超越的な考えと結びつく。
このようなことを習慣にしているので、家庭内における諸生活が、知らず知らず
のうちに広い意味の宗教につながっていくのである。≫
▼ 7割が森林に覆われ、海に囲まれた島国では、自然が人間と一体化をして、
 直接間接的に自然の摂理が人を支配する。それが日常生活では「道」として
 我々を支配する。
・・・・・・・
4698, シニアの人生設計は三年の中期計画を
2014年01月24日(金)
  * シニアは「何事も予防に勝る良薬なし」でいく 
            ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著)
シニアは3年の中期計画で、年ごとに、一年をプラスする方式は納得できる。 
ーその辺りを抜粋
《 現在、自分が65歳と仮にすると、乎均寿命へ男79・5歳ー65歳=14・5歳、
 女86.3歳ー65歳=21.3歳)が人生の残り時間の目安となります(この男女間の
6年間余の時間差は夫婦の人生設計図を描くうえで重要な意味を持ちます)。
さらに健康寿命で考えると、男70・4歳ー65歳=5.4歳、女73.6歳ー65歳=8.6歳
となります。平均寿命-健康寿命"不健康期間と考えると、男性は9.1年、女性は
12・7年という長い時間になります。これらの基礎的な数字を踏まえたうえで
人生設計図を描くとしても、10年以上にわたる長期プランは、不確定要素の
大きさからみて現実的とは思えません。そこで3年間の中期計画でローリングで
(1年目が終わったら4年目を入れて)常にこれからの3年間を計画対象とするのは
如何か。10先を見通すのは困難でも、これから3年間だけを視野に入れて計画を
毎年修正していくのならある程度・具体的な数字を書き込むことができるはず。》
▼ 二年前のOECD加盟各国の平均寿命は、日本が82.6歳で34ヵ国中トップ
 だったが、死ぬまでの不健康期間が、その分、増えたことになる。
で、私は平均健康寿命年齢まで2年半しかない? とすると元気な現在、
何をすべきかを、より真摯に考えなければならない。しかし50代までに
個人として、やりたい事を終え、65歳で会社関係が・・ さほど焦りはない。
男70・4歳の平均不健康年齢からみて、寝たきりや入院などの介護を受けている
人が、身辺の3分1は存在している筈だが、知人にさほど見当たらない。 
元気な人しか会などに出てこないため? シニアは、病気に関して予防が第一。
お金に関しては、まず手堅く、専守防衛が基本。3年の中期計画として、身辺
の物理的整理(処分)ぐらいだが、こうなると、私個人の資産が何も無いのが
プラスに感じる。言い残したいことは、この随想日記に、13年近くかけて、
ほぼ書き出してある。 で、振り返ってみて、この詩を思い出した!
 * 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
   生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
   生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
   生きてゐる事は滑稽な事だ          「滑稽」 高橋新吉
 *「何もないのだ/わかったか/わかるということもないのだ」 高橋新吉
・・・・・
4331, 自己とつきあうということ ー1
2013年01月24日(木)               
 * 自己への思考の旅    
         「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
 哲学者のソクラテスモンテーニュパスカルなどを取り上げながら
「自己とつきあうということ」を考える書である。アマゾンの紹介には、
【 悩む人も、悩まない人にも。モンテーニュら偉大な思想家たちの思索を
 たどりながら、他者や世界と繋がる自己発見への旅。そして、誰もがそこから
逃れられない厄介な「自己」とのよりよい関係の構築を模索する。】とある。
6年前に買って目を通したが、熟読はしてなかった。しかし、節目時に改めて
読んでみると、思わない発見がある。バイアスが薄れ、ゆとりを持って過去を
振り返ると、前だけを見ていた時には気づかなかった自分が見えてくる。
一昨年の節目時には「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を読んでいた。
そこでは、「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」「不幸」など15章の
テーマの人生の真髄を、傷ついた心に語りかけてくれた。そして現在、
今度は古今東西の哲学者の引用で、自己の行蔵に対し語りかけてくれる。 
 ー プロローグの「自己の旅」の、次の言葉が良い!ー
《 終わりなき旅 = そこから自己への旅が始まる。その旅は、いまだ
 知られていない自己をめざす思考の冒険である。はっきりしたルートも
道しるべもなければ、方向指示器もない。目的地がどこにあるか分からないし、
目的地がどこか定かでない。その旅の途上では、われわれひとりひとりが、
手さぐりで一歩一歩進まなければならない。 しかしその歩みを通じて、
自己がどのような存在であり、自己として生きることがいかなることか
少しずつ見えてくるであろう。自己の旅は、われわれが自己の多様な側面を
説き明かしていく思考の経験であり、自分との対話や反省や試みを介して
自己を掘り下げていく経験である。しかし、その経験は自己に収束して閉じて
しまうものではない。それとは逆に、自己への旅は、自己の生を可能にしている
他者や、世界へとつながるものである。自己への旅には、あらかじめ定められた
出発の時があるわけでも、終わりの時があるわけでもない。それはどこに行き
つくか分からない。その旅の途中で、自分が、他者が、世界が、どのように
違って見えてくるのかも分からない。それを身をもって知ること、それこそが
自己への旅の醍醐味であろう。》
▼ 自分の立居位置で、確かに物事は違って見えてくる。特に人の滅多にない
 経験?後なので私の自己の旅路は複雑である。事業を目指すと決心してからの
45年間の自分の行蔵を省みるだけで、自分を身を持って知ることになる。
非力な、無知な、しかし理想だけは高い自分がいる。その時々に全力を出して
いたので、その時々の自分に後悔は一切無い。出来ない人ほど、辛辣に、
実践するものを非難する。同じ後悔なら、実践者の方が良いことを一番
知っているためだ。この経験で実感したことは、「人生はハッピーエンドより、
後悔の無いアンハッピーエンドの方が良いのでは?」ということ。 
後悔の無いアンハッピーなどあるのかどうかの疑問もあるが、実際に私の
経験が、そうである。実際にアンハッピーではない、といえば、その通り。
  要は、これも自分との付き合い方。どっちにしても大方はアンハッピー
の悶絶の死が待っている。 この内なる旅、面白くなる。
・・・・・・
3956, 他人を責める「新型うつ」について ー2
2012年01月24日(火)
 数ヶ月前に、閑話小題で「(他人の)せい病」について書いたが、その時は、
それが現代型「新型うつ」とは知らなかった。たまたま周辺の何人かの異様な
言動の「うつ病」現象が耳に入ってきた。共通点は、自分の内側に向かうのでなく、
周辺に怒りをぶつけることである。 秋葉原の大量殺人犯のは、この拡大版。 
自分に自信を持てない反面、その防波堤としてプライドが異常に高いのが特徴。 
現在の日本の国そのものが「新型総うつ」であるが、怒りを国政のトップに叩き
つけ潰していく異常性は、国の末期現象といえる。自分より他人を責めるのは、
情報化社会の特徴である。自分より社会に、他人に、怒りの原因を探しやすい
ためである。そういう私も、この一連の出来事の八割は、二つの経済震災と
自然災害と現在でも信じている。借入総額の七割を返済しても、残り三割の
総額が十億もあり、売上が三分の一、四分の一に激減すれば無理というのも
言い訳にならない。出来ることは、瀬戸際の一歩手前で見切ることぐらい。 
 以前書いた、文章をコピーしてみる。
≪ 2011/06/28 閑話小題   ◎ エイズ並みの、恐ろしい性病
 人間、ギリギリに立つと、本性が出てくるもの。その中で最もリアルに出る
のが「他人(ひと)のせい」にする悲しいサガ(性)。人間には「あなた群」
というのがあって、色いろな気持ちや体験を通して培った感覚や、体の細胞たち
からの記憶が、人の中に蠢いている。過去の色いろな感情や感覚が、塊になって、
その時々の感情や感覚を仲間として同居していて出番を待っている。 
その一つが「他人(あのひと)のせい」病である。さしずめ、今回の倒産劇の
「三つの震災」を倒産理由にしている我が内なる、それである。
そう書きながら、これらの八割が原因と脳の奥からの声が聞こえてくるが・・
原因や責任転嫁は動揺から生じることが多い。「他人のせい」は、メビウスの輪で、
「原因は自分にもある」ことに気づかなくしてしまう。東北大震災も、あれは
数百年に一度の天災が原因である。そこまで、想定できないのは自明である。
それを政治は言明できないという恐ろしい事態である。≫
▼ 医者に行くとハッピードラッグをくれるが、これが攻撃対象に怒りを
 ブツケル劇薬になる代物。秋葉原の集団殺人犯、どうだったか?
 ・・・・・・
3591,10分ルールと、30、60、90秒ルール ー2
2011年01月24日(月)
 * 「3分、90秒、30秒ルール」とは、
  ー3分ルールー
ボクシングの1ラウンド、即席ラーメンの待ち時間、公衆電話は以前3分10円。
これは目先、集中していられる時間で心の小さなリズムでもある。読みかけの本
を読むときに、いま一度、前書き、後書き、これから読もうとするページに目を
通すと、読まなかった時に比べて二倍は効率がよくなる。これもポイントに集中
して一度、本を鳥瞰してから読めば、理解度も高めることになる。
  ー90秒ルールー
 これは感情的な反応は90秒でいったん収束することを基にしている。
驚きや、不安感、恐怖といった感情的な反応が脳に起きると、その興奮が収束
するまでに90秒かかる。その90秒間、慌てふためいたり、パニックを深めるような
行動をせず、じっと脳の興奮が収まるのを待てば、理性的な対応が出切る。 
非理性的な対応を90秒以上に引き延ばすことを抑制する利点もある。
私の場合、それより10秒ルールが必要だ。まず、10秒、そして30秒である。
 他に60秒ルールというのがあり、学習成果を維持したり、特定の行動を良い
習慣として身につけたい時に、学習や行動の後、60秒以内にそれに良い評価を
与えてやればよい。褒めたりする時は、60秒以内に実施したほうが良い。
  ー30秒ルールー
 コマーシャルが、これである。対象に強力なメッセージを与えたい時の適正
の時間である。これ以上になると、間延びをしてしまうし、それ以下では情報量
が少なすぎる。首相や大臣のブラサガリの一言コメントも大よそ、これ位。
 〜以上、取り上げてきたルールの組み合わせで世の中の動きが決まっていて、
知らないうちに慣らされている面もあるが。そういえば、人と人間と、時と時間
の関係は非常に似ている。「間は、ルールの構築から成り立つ」ということか。

つれづれに

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  今日のYoutube

 もう積雪のピークは終わったようだ。早朝は、1~2度の温度。
起きてパソコンの前に座るのが、風邪をぶり返さないか心配だが、
何とか咳き込まないですんでいる。

 昨日から、風邪のため休んでいたスポーツジムのフルコースを
始めたが、少しシンドイ。あと2~3日で元に戻るはずだが。



・・・・・・
3591,10分ルールと、30、60、90秒ルール ー2
2011年01月24日(月)
   * 「3分、90秒、30秒ルール」とは、
  ー3分ルールー
 ボクシングの一ラウンド、即席ラーメンの待ち時間、公衆電話は以前3分10円などある。
これは目先、集中していられる時間で心の小さなリズムでもある。読みかけの本を読むときに、
いま一度、前書き、後書き、そして、これから読もうとするページに目を通すと、読まな
かった時に比べて二倍は効率がよくなる。これもポイントに集中して一度、本を鳥瞰してから
読めば、理解度も高めることになる。
  ー90秒ルールー
 これは感情的な反応は90秒でいったん収束することを基にしている。
驚きや、不安感、恐怖といった感情的な反応が脳に起きると、その興奮が収束するまでに
90秒かかる。その90秒間、慌てふためいたり、パニックを深めるような行動をせず、じっと
脳の興奮が収まるのを待てば、理性的な対応が出切る。 非理性的な対応を90秒以上に引き
延ばすことを抑制する利点もある。 私の場合、それより10秒ルールが必要だ。
まず、10秒、そして30秒である。他に60秒ルールというのがあり、学習成果を維持したり、
特定の行動を良い習慣として身につけたい時に、学習や行動の後、60秒以内にそれに良い
評価を与えてやればよい。褒めたりする時は、60秒以内に実施したほうが良い。
  ー30秒ルールー
 コマーシャルが、これである。対象に強力なメッセージを与えたい時の適正の時間である。
これ以上になると、間延びをしてしまうし、それ以下では情報量が少なすぎる。首相や大臣の
ブラサガリの一言コメントも大よそ、これ位。
 ~以上、取り上げてきたルールの組み合わせで世の中の動きが決まっていて、
知らないうちに慣らされている面もあるが。そういえば、人と人間と、時と時間の関係は
非常に似ている。「間は、ルールの構築から成り立つ」ということか。
 ・・・・・・・・
3226, フリー -3
2010年01月24日(日)
  ー以下は、印象的な部分をランダムに抜粋してみたー
* 世界中のビジネスがアトム経済からビット経済圏へ大きく変化している潮流を説いている。
 「ウェブの世界には、貨幣経済以外に、評判(トラフィック)経済と注目(リンク)経済がある」
  と、核心をついている。 
* googleは、多くの人から評価・注目されているページを検索結果の上位に表示している。
  知りたいのは、評判経済・注目経済があることを、googleは見抜いて、その検索を無料で
  提供することでアクセスを独占し、そこに広告を出すことで収益を上げた。
*「市場に参入するもっとも破壊的な方法は、既存ビジネスが収益源としている商品を
  タダにすること。すると、その市場の顧客はいっせいに押しかけてくる」 無料で
  使ってくれる顧客をたくさん獲得すれば、その中の顧客が有料の商品を買ってくれる
  可能性が高くなる。 無料には顧客を爆発的に増やすパワーがある。 したがって全ての
  情報はフリーになりたがる。 今の情報化社会が次の世代に変わろうとしている。
 「人々が欲するものをタダであげて、 彼らがどうしても必要とするときにだけ有料で売る
  ビジネスモデルをつくる」
*<新たなる価値インターネットの出現によって、製造コスト、仕入コスト、オペレーション
  コストが 劇的に下がり、これによって収益モデルがかわったことを例をあげて紹介している。
  中国をはじめとした不正コピーの問題に対し
  防ごうとするのではなく 逆にどういかすか、も示唆してくれている。 >
   ~以上だが、ビットは、コピーが可能であり、圧縮などによりコストが劇的に下がり続ける。
 それが、アトム経済の価格も影響をし始めてきた。これは経済だけでなく思想的領域まで
 影響している。そこまで掘り下げて考えないと、このフリーの潮流を理解できない。
 それだけこの情報革命は世界の有りかたを変えようとしている。
  ーここで紹介されているビジネスモデルとして、以下の4つを上げているー
(1) 直接的内部相互補助・・・ 消費者の気を「無料」で引き、その他のものを販売する。
   ex)一枚スーツを買えば2枚目はタダ。オンラインゲーム(ゲームは「無料」だが、
    アイテムは「有料」)
(2)三者間取引 ・・・ コンテンツを「無料」で提供し消費者を集め、その後広告を
   乗せるなど第三者から収益を生む。
       ex)google、Mixi、TV等
(3)フリーミアム ・・・ 「無料」版サービスと機能追加した「有料」プレミアム版
   サービスを販売する。
       ex) MixiとMixiプレミアム
(4)非貨幣市場 ・・・ 対価を期待しない市場 ここでは対価として評判と人気
       ex ) Wikipedia 等
 ・・・・・・・・
2851, チベット旅行記 -2
2009年01月24日(土)
 100年前に、死を覚悟に、よくぞ・・・。江戸時代に外国人が日本に潜入したようなもの、
 それもヒマラヤを越えて。仏を心の底から信じなければ乗り越えることが不可能なことが
 次々と続く。信じるとは何かを、この旅行記を通して少しは理解できたようだ。 
* 断事観三昧
 テントが二つ三つみえる。そこに行くと怪しい者と思われる。他を見ると間道がありそうな
ところが、ちょいと見える。とにかくどうにか極まりをつけなければならんと思って、そこに
座り込んだ。私は理論上で決められぬことがあると断事観三昧に入って事を決めるのである。
そもそも断事観三昧とは、およそ道理で決めれる事は道理によるけれども、理論上決められない
将来のことなどは仏陀に従って座禅により無我の観に入り、そこで発見された観念に傾くのを
もって、その取るべき方法を決定する事。深い意識の中に入っていき自分も何もないところで
問うてみるとは、次元の違う世界へのつながりを求めてどうあるべきか、どうするべきか
判断するということである。 この方法を仮に断事観三昧と名づけた。
 解)窮地に追い込まれて独りで決断しなければならない時に座禅の無我の観に入り、
自分を超越した深い意識の中で判断をする、すなわち仏の心境で判断すれば、仮に上手く
いかないとしても、次の知恵が湧き出てくる。人間は最後の最後は自分の心奥の無
 (正中心一点無)で、判断しなければならない。 そのためには、孤独の世界を、
孤独の時間と場所を確保しなければ。
*積雪中の座禅
 羊を追い立てますと、余ほど疲れたとみえて少しも動かない。無理もない。
相当の荷物を背負っている上に今日昼までは草を喰っておりましたけれども、その後は
高山に登って来たのですから草も得られなかった。サア進むことができないといって
進まずにはいられないから、可哀そうではございますけれども、押し強く後から叩きつけて
みたりいろいろなことをしたが、羊は動かない。ようやくのことで首にかけてある綱を
引っ張って二間ばかり進むと、また立ち往生する。芯まで冷え込んだ身体や衣服、荷物を
十分に乾かすこともできない中、なんと今度は大雪が降ってきた。岩も隠れ場所も見つからず、
とうとう荷物を背負わせていた二頭の羊が雪中に座り込んでしまって一歩も動かなくなった。
「こりゃどうしても羊と一緒に死なねばならんのか。何とか方法がないものか。この前聞いた
ところでは14~5日も人に会うまい。どこで羊の荷を下ろし、夜着を出してかぶり、
さらに頭の上にカッパをかぶって、羊の寝転んで居る間にはいって「積雪中の座禅」ときめこんだ。
羊もその方が良いと見えてジッと私に寄り添っている。その羊も余程私に慣れているものですから、
まるで私の子のような具合に二つが左右に寄り添うて寝て居った。「だんだんと寒さを感じて
非常に感覚が鈍くなって、こりゃどうも危ない。しかし今更気を揉んだところで仕方がないから
このまま死ぬより外はあるまい」と覚悟を決めたのであった。雪中の中を夢うつつにいると、
突然に自分のそばで動く者がある。ふと目をさますと、二匹の羊が身震いをしている。 
それから身体を動かそうとするが思うように動かない。よこで雪を解かして麦焦しの粉をバター
を入れて1杯ばかり食べた。・・・
 解)ヒマラヤでの窮地の雪中座禅は、100年の時空を超えて読む者の心に伝わる迫力がある。
 「現代の生き仏」と呼ばれる天台宗大阿闍梨、酒井雄 師は仕事にことごとく失敗し、
 妻を自殺で ... しかし、出家後、厳しい修行に耐えて、千日回峯行に二回も挑み、
 二回とも達成した。それに通じるところがある。深い決意が無ければ決して達成できない
 ことである。それが深いほど仏の心に深く通じるのである。信仰の力とは何か、必死とは
 何かが教えられる究極の場面である。ただただ、感動してしまった。
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2008年01月24日(木)
 2486, 閑話小題
 * 片岡球子
 この人の「面魂・シリーズ」の絵を初めて見たときには驚いた。たまたまインターネット
で見つけたが、写楽の現代版というか、奇をてらった何ともいえない味わいがあった。
画壇からは、ゲテモノといわれ不遇だったが、小林古径に「ゲテモノと秀作は紙一重
それを大事にしなさい」という言葉に励まされたという逸話が良い。それにしても味わい
深い絵である。先日、103歳で亡くなったとマスコミで報じていた・・  
http://www.shibayama-co-ltd.co.jp/tamakoyuki.htm  
 * 昨夜の夢
 昨夜は、奇妙な夢をみた。 夢の世界の中で、2~3歳の自分が、60年近く前の実家の
商店の入り口を凝視して、その詳細をこと細かく見ている。ところが気持ちを集中した
ためか呼吸を何分か?忘れ、息が出来なくなり目が覚めてしまった。夢の世界に没頭しすぎて
呼吸するのを忘れ、独りパニック状態に陥ってしまい三十分ほど激しい動悸と動揺が続いた。
久々に深夜の漆黒の恐ろしさを味わってみた。「睡眠時無呼吸症」だが、よほど夢の中で
神経を集中していたことになる。一~二度、睡眠時無呼吸の経験はあったが、これほどの
経験は初めてである。霊日記の先祖霊・四四太郎様は、次に何を言ってくるやら?
寝る前に、霊様と会話したのも影響したのだろうが。あの時の夢の中の「凝視の集中力」
は、目が覚めた後でも持続していた。
 * YKって何?!
最近、空気が読めないことをYKというらしい。「ためして合点」というNHKの番組
でも、「解明‘会話ブーム’の秘密」というテーマで「空気が読めないーYK」を扱っていた。
相手と対処する時は「にこやかに、そして同調することが基本」とか。携帯電話やインター
ネット社会では、生の人間関係の基本を知らない人が闊歩して軋轢が頻繁に発生しているため、
こういう言葉が出てきたと思われる。一般的に「TPOS」という言葉がある。時と場合を
察知、特性を演出せよである。こんなことは当たり前のことで逆に、それを意識的に壊し、
それを楽しんできた。「YKなど、気にすることはない!」は、それなりの信念がなければ
いえないが、「空気が読めない」ことなど、全く気にすることはない!ただ基本の
カーネーギー著「人を動かす」位は、読んでおけ!ということ。
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2007年01月24日(水)
 2122, 下流喰い -6   (~Q~;) おはよう~~ファ~
「日掛け金融」の存在は、この本を読むまで全く知らなかった。「超高利貸し」が法律で認められ、
現に存在していた。スナックの開店直後などに時たま見かけた得体の知らない人が、
『日掛け金融』の人達だったようだ・・。 飲食ビル経営の人が、サイドビジネスで店子などに
金貸をしている話は聞いたことがあったが、夜の深い世界の一端なのだろう。 
まずは、その部分を抜粋してみよう。
 ー日掛け金融の世界ー
九州などの西日本一円に今も数多く存在する日掛け金融(日腑貸金業者)も、その歴史は古いという。
もともと市中の鮮魚商や八百屋といった現金商売、水商売などを対象に、日掛けで金を貸す業者をさし、
毎日、店先に顔を出しては仕入れ金などを用立てたり、日賦などを集金する業態で成り立っている。
地方の飲み屋街に行くと、いまだに顔馴染みの日賭け金融業者が店の合鍵を持って、毎夜、店の
カウンターの置かれた返済金を回収していくという。価率が幾らだとか、回転率が幾らだとか
考えないで、今日は5000円の売り上げがあったから、3000円を返しておこう、という世界が現在も
厳然としてあるという。いうなれば出入りしている雑多な業者の日常に密着し、小回りを極度に
利かせた小口の貸し出し、土着的な金融業。出資法附則第9項に定義付けがなされている。
  (字数制限のためカット 2010年01月24日)
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2006年01月24日(火)
1757, ライブドア・ショック-2           (。´_`)ノおはぁよ~
それにしても、もう逮捕とは早いものだ。系列下の証券会社の副社長が自殺をしたのだから相当
違法行為すれすれか、隠された違法行為が多くあったのだろう。結局は、マネーゲーム屋でしか
なかったのか? 堀江は、あまりにも華やかな寵児だったが週刊誌に書かれていたとおり
「乗取り屋」でしかなかった。この男を利用しようとした自民党の体質もあるが、亀井には
丁度よい対抗馬だった。民主党のトーンが低いのも、堀江に袖にされた経緯があるからだ。  
自民の武部幹事長が、選挙時に堀江に「私の弟、息子」と連呼している映像を放映していたが、
お笑いでは済まされまい。これからフジ・TVの反撃が始まるだろうが、脅し取られた事実は否めない。
昨夜はフジだけが特番を組んでいなかったのも不自然?である。私の苗字が堀井で、堀江逮捕と
連呼されると自分が逮捕されたように錯覚して切迫感が出てくる。特捜が踏み込んだ時に、一番
初めに押収したのが携帯電話。なるほど、過去の通話の記録をチェックすれば多くの情報が取れる。
このライブドアのキッカケは内部告発だろう。あれだけ強引に買収をしてきたのだから、多くの
恨みを買って当然である。
   (字数制限のためカット 2011年01月24日)
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2005年01月24日(月)
 1392, 危ない格言ー2
「性格については」のコーナーは、捻りが面白いので、私にとっては真骨頂でもある。
 ー性格についてー
・性格は演じられる、見せるためにも,隠すためにも。
 (my感想)-そう思っているだけじゃないか? 実際は、その演技そのものが
 観られているんじゃないか? 以前から、チンドン屋と皮肉っていた「演技する人」。
 それに殉じて亡くなってしまったが、閉鎖社会の哀れさである。
・君が行い得る最善の行動を言ってみたまえ。そうしたら、君がなし得る最悪の行動を
 予測することにしよう。
「my感想)-これ22・23歳の日記の自分の行為だ。 最悪の行動であった。
 しかし、冷笑をして何もしないよりずっといいだろう!いや、しない方が良かったか?
 冷笑をしていると、後でキツイしっぺ返しがくるが。
・ねたみと嫉妬ー復讐を実行しえる力と構想にまで届かない弱さのせめてものウサ晴らし。
(my感想)-だから巧妙に近づいてくる小キツネを選別しなくては!志とかいうが、
 最後は誰も挫折するのだろう。
・先入観は、弱者が精神に準備する鎧だ。
(my感想)ー強者の先入観をどう説明するのかね?もっと性質が悪いのでは?、
 いや弱いのでは!
・反省とは、行ってしまったことに附す終止記号のようなものだ。要するに、やらかして
 しまったことへの関心を打ち止めにすることに役立つのであって、次の行動を導く
 ことにはようがない。 (字数制限のためカット 2011年01月24日)
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2004年01月24日(土)
 1025, 「眠りについてのお話」-3
一番悪いのは「眠れないことに対するストレス」である。
 寝れないときの私の知識とノウハウを書いてみると
・単純イメージの繰り返し、羊の数を数えてみたり、砂漠の砦で自分が
 インデアンになり騎兵隊の兵士を1人ずつ 撃ち殺していったり、
・色々の可笑しな小話を思い出したり、 
・海外旅行の思い出を一つずつイメージしてみたり、
・体の器官を頭の頂上から力を抜いていくとか、  
・般若心経をユクッリ、ハッキリ心の中で唱える  
等々、寝れないときのネタを仕入れて準備をしておく。 寝れないで海外旅行を全て
思い出したことがあった。3時間かかったが、むしろ楽しい時間であった。実家の商売を
5年間従事した時、隔月に夜行列車で仕入れに出ていた。23時前後の寝台車に乗るのだが、
これほど睡眠に悪い環境はない。線路の継ぎ目の音とか他のお客の鼾や駅に着く度の乗車客
の音とか、最悪の状態。翌日は問屋を数十軒駆けずり歩くから、充分の睡眠が必要になる。
初めは苦労したが何事も慣れ。寝る時に「ここで睡眠をとるのだ!」という意思を持って
寝ると意外と寝れるのだ。線路の継ぎ目の音は単純音の繰り返し、その音のリズムに乗って
しまえばよいと考えた。そして、それが即効であった。その時思ったのは「寝るのは意思」
ということであった。何事も、まずは意思と、それに対する準備が必要。それと楽観である。
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2003年01月24日(金)
 660, 夢のない話
ツアー旅行をしてると、添乗員から色々な面白い話を聞ける。ネパール旅行の時の30歳位
の女性の添乗員の話が印象的。新婚ツアーの添乗が凄いという。お互いの旦那のランクが
時間とともに、お互いに解るという。 それと女の自分達の評価も見えてくる。そうすると
ナンバーワンの旦那に皆が憧れを持つ。そういう心理が見ていて何とも面白いという。
成田離婚など当然の事。お互いにこんな筈でなかったと冷めて激しい喧嘩が始まる。
数組が本当に成田離婚になるという。二組のカップルがお互いの相手を好きになって、
編成替えをしてしまった。ケースもあったとか。これにはさすがに驚いたという。
添乗でいろいろなカップルを見ていると、結婚だけはしたくなくなると言っていたのが
印象に残っている。底の浅い男女が表面的なものでお互い結ぶついているのが、露出して
見えるからだ。そのまま小説になるような題材だ。サ??のついた♂♀の集団を束ねて
いくのだから、これほど人間の生態として面白いものはないだろう。
3組に一組は離婚する時代。30年近く前の勤めていた時の話だが、結婚しているはずの
人が駅でオニギリを食べていた。何気なく冗談で「かみさんに逃げられたの?」と聞いた。
本人「・・・」数ヶ月後、その人が離婚した事を聞いたが後の祭り。
いろいろある。「毎日こうもくだらん事をよくかけるな!」という声が聞こえてきそう!
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2002年01月24日(木)
 310、地球を一周する
以前読んだ本でまだ忘れられないのが、「地球のエネルギーのポイントが西周りで
一周する]という説である。その本が何か忘れたが社会主義のピークの時代、怪しげな
それと見えた。中国、インド、アラブ、そしてヨーロッパ、アメリカー現在。
アメリカの時代ももう終わったように感じる。これからは再び中国、インドにポイント
が移っていく、あながち間違ってはいない。日本はもう横丁というところ、面白い説である。
ヨーロッパもアメリカも、使い古しの雑巾にみえる。アジアはまだ使用前のように感じられる。
真実をついているようだ。思想的にもこれからは、儒教・仏教的考え方が求められていくと
考えると自然だ。
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1月24日 金曜日1969年
「勇気を出そう、肉体はどんなに弱くとも精神で勝ってみせよう。いよいよ25歳だ。
一個の男の力の全てが示される年齢に達したのだ」 ベートーベンの言葉だ。人事管理の
授業に出席できず。終了後にやっと着いた。 昼飯をとった後、ゼミの外山と喫茶店へ行く。
そこに兼古が来る。午後からはゼミに出席、あまり面白くない。三人ぐらいが勝手に
喋っている感じであった。18時に帰寮。夜半に寿司を食べに行く。