『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著 
    * 適応原理の機能とは
 考えられる最善も、最悪のことも、あまり変わらないという。人間は直ぐに
適応し通常状態に戻る、という。30歳半ばまで自己配転をしてきた中で、常に
「そのときは、そのとき、何とかなる」と不安と恐怖心に押しつぶされないよう
に暗示をかけ、何とか乗越えてきた。適応原理が、その度に、働いたていた。
崖っぷちには知恵が湧き出て、底知れぬ力が働く。火事場の馬鹿力である。
《 適応原理の機能は、以下のように機能する。
 現在の自分の状態に関する判断は、自分が慣れている状態よりも良いか悪い
かに基ずく。適応は、部分的には、単なる神経細胞の性質である。それは
新しい刺激に対しては活発に反応するが、徐々に「馴化」し、馴れてしまった
刺激に対しては殆ど発火しなくなる。生命の関わる重要な情報を含んでいる
のは「変化」であり、安定状態ではない。しかしながら人間は、認知的は極限
に対し適応してしまう。私たちは、単に慣れるだけでなく、再調整をする。
私たちは、自分のために多くの標的を創り出し、その標的の一つに当たるたびに、
それを別の標的へと置き換えていく。一連の成功の後には、目標を高くするし、
首の骨を折るような大きな挫折の後は、目標を低くする。 …(略)
 適応の原理と、人の幸福の水準は遺伝子が高いという発見を結びつけると、
私たちは衝撃的な可能性にたどり着く。<長期的には、あなたに何が起こるかは
さして重要でない。幸福であれ不運であれ、あなたは、常に自分の幸福の基準点、
つまり幸福におけるあなたの脳の初期水準に戻ってくる。> それは、あなたの
遺伝子によって決定されることが大きい。遺伝子というものが知られるはるか昔、
1759年にアダム・スミスは同じ結論にたどりついている。
< 変化が予測されない永遠的な状況下においては、すべての人の心は、遅かれ
早かれ、生来の平穏な通常状態へと戻ってくる。繁栄において、ある一定の
時間が過ぎれば元の状態に戻り、逆境において、ある一定の時間が過ぎると、
その状態に戻っていく。>
 この考えが正しいとすれば、私たちは皆、「快楽のトレッドミル」と呼ばれて
きたものの上に留まっていることになる。人生においても、好きなだけ一生懸命
働き、欲しいだけ富をえ、果樹を植え、愛人を囲うことができるが、少しも先に
行くことはできない。なぜなら自分の「自然ないつもの平穏状態」を変えることが
できないので、蓄えた富は単に期待値を上げるだけで、以前の状態に比べてより、
幸せだということにならないからである。しかしながら、私たちはその努力が
無駄であることに気づくことなく、それが人生ゲームで勝つために役立っている
限り、努力を続ける。常に自分が持っている以上のものを欲し続けて、回し車の
上のハムスターのように、走って走って走り続けるのである。 》

▼ 6年前の節目から現在に至るまで、それ以前と比べて、格落ち感や、
 引け目が思いの外、少なかった。逆に、今まで意識することがなかった、
人たちを凝視する機会になった。その姿は、節目以前の自分の姿でもある。
人間は深い内面をそれぞれが持っていて、日々刻々、変化し、順応している。
それが分からないのが大方の人間であり、他者を元もと分かってない上に、
内的順応の変化など知りようがない。平穏な状態と、波乱の織りなす絵柄が、
その人の人生になる。そして、永遠の彼方にプッチと消え去っていく。 

・・・・・・
5539,閑話小題 〜消防士の収入
2016年05月15日(日)
   * 地に足が着いた人生 ー2
 先日の小テーマで、「地に足が着いた人生」を書いた。
そこで地方公務員資格試験は、如何なるものかと、「地方公務員資格試験」と、
「消防士」の二つで検索したところ、消防士の平均収入が700万以上とあった。
 危険な仕事としても? あまりに・・  〜その辺りから〜
≪ 消防士は718万円が平均年収!(地方公務員給与実態調査結果の概要調べ)
 消防士に支払われる給料の平均は36万円が基本で諸手当が65万円で、
民間企業と比較すると非常に高くなっています。 民間企業平均の平均年収は
409万円となっており、消防士はその300万円以上高い年収を得ている事になる。
消防士に割り当てられる諸手当を調べたところ、特殊勤務手当てがあり、
(1) 危険作業手当(2) 不快作業手当(3) 重勤務作業手当
(4) 非常災害業務手当 (6) 消防業務手当などの手当てがつきます。
 現在全国の消防職の職員は15万8000名。
30代の平均年収は600万円、40代になると720万円といわれており、50代では
800万円以上と民間の平均よりも非常に高くなっています。民間の場合は50代
になると年収が減少する傾向が多いのですが、消防士は着実に上昇する。≫
 とあった。成るほど、自信に満ちた彼の受け応えも、こういう背景があった。
   * 「道」という漢字は、「生首」に由来する
 ある本に、「道」という漢字は、「生首」に由来するとあった。
道は「導く」の意味もある。道は血生臭いのである。人生を道に例えると、
納得する。道には血と汗と涙が詰まっている。
≪ ・古代中国では、自分の領地をへいで取り囲み、そこから外へ抜ける道
 には敵の首を埋めて、攻め込まれないように「まじない」をしたとする説。
・敵から討ち取った生首をちょうちんのようにぶら下げ、「まじない」がわり
 にして外に通じる道を進んだとする説。
いずれの説も討ち取った敵方の生首を魔よけや、まじないがわりに使ったこと
が道の漢字の成り立ちに含まれています。
・「行が変化→辶(みち)」、と、「首(シユ/シウ→チウ疇=長く通っている
意味)」。 長く通じている「みち」→「道を行く」「みちびく」の意味。≫
▼ 人生の道を切り開くとは、戦い、血だらけで進み、途中で行倒れて・・
 と解っていても、進むしかない。急ぐのも、ゆっくり行くのも、人生。
 とすると、ゆっくり急ぐのがベストということか。 人によるが。

・・・・・・
5174,人生相談という気晴らし! 〜⑤
2015年05月15日(金)
           『人生、しょせん気晴らし』中島義道
   * 個人主義者の覚悟
 自分を、「アウトサイダー」「ソリスト」「個人主義者」と自認している。
老いるということは、孤独の重圧に押し潰されていく過程でもある。だから、
そのスタンスを取ってきたが、それでも、弱気になることがある。
今さら、「世間びと」になれないし、なる気は一切ないが、彼らの破壊兵器も
ただならぬものがある。だから、「自分とは何だろう」と考えるに丁度よい
エネルギーになる。どの道、永遠の彼方に消滅していく。老いは厳しいのです。
≪ Q: 〜個人主義者にとっての老後を生きるヒントは?〜
 現在、53歳既婚、フリーランスで仕事をしている男です。
私は元来、めんどうくさがり屋でわがままで、人付き合いも苦手です。
特に冠婚葬祭、歓迎会、忘年会など、あらゆる会合や行事に出席を拒否。
こんな利己的性格ですから当然、会社組織に馴染めるはずもなく、こうして
一人で事業をし、近隣との人間関係の希薄なマンション生活をしています。
しかし、現在、老後の問題など何となく将来に一抹の不安を感じています
(目の前にある離婚の危機による自信喪失でしょうか)。自分本位な生き方
をしてきたため、義理を欠くことも多く、自ら世間を狭くしているように
感じています。いずれしっぺ返しがくるように思います。
個人主義生活者に「老後を生きるヒント」を教えてください。
 A: 〜「自分とは何か?」という問いを突き詰めて生きることです〜
個人主義生活者」にと、その「老後を生きるヒント」とい言葉によって、
あなたが何を期待されているのかよくわかりません(そもそも「個人主義
とう言葉の意味がはっきりしない)。もし、長く世間に背いて自分本位を
貫いてきたが、老境に至り身体もガタが来ているし、このまま一人で生きて
いくのも寂しいし不安だから、どうにかしたい、というのなら、あなたの言う
ところの「個人主義」をきっぱり捨ててしまえぱいいのです。前後左右の
他人の思惑に常に媚び、自分勝手な考えはぐいと抑え込み、厭なことも率先
してなし、「和」を大切にし、これから必死になって「もちつもたれつ」の
人間関係を復元するのです。それはイヤだ、やはり「個人主義」を貫いた
まま安全な老後を迎えたい、と言いたいのなら、そんなムシのいい話はない
と答えましょう。「いずれしっぺ返しが来る」ことを予見もせずに、よくも
個人主義」などに乗ってきましたねえ。失礼ながら、おめでたいとしか
言いようがありません。わが国民が、「個人主義」を蛇蝎のように嫌っている
ことを知らなかったとは! 漢然と知っていたとしても、その大量破壊兵器
の威力に対する自覚がなかったとは!あきれ果てます。しかし、もはや手遅れ
ですから、残された老後は、先に言ったように、「個人主義」をできるだけ
「緩和」して、世間との和解策に奔走するか、あるいは潔く居直って、暗く
寂しい老後を迎えるか、のどちらかしかないように思います。そして、ここ
までがんばってきたのですから、できれば「転向」せずに「個人主義」を
貫くことをお勧めします。それには、自分ひとりでできる仕事を見出すことが
絶対に必要です。単なる趣味ではなく、あなたの実存の中核に届く仕事。
例えば、「自分はなんでこうまで人付き合いが苦手なのか、利己的なのか、
自分本位なのか」という問いを、つまり「自分とは何だろう?」という問いを
突き詰めることです。そのためには、絶えず思索しなければならず、これまで
の体験を微細に至るまで想い起こさねばならず、多方面にわたる読書も
しなければならない。つまり、孤独かもしれませんが、ずいぶん充実した
老後をエンジョイできるのではないでしょうか。≫
▼ ほぼ大部分の人の心には、相談者のような恐れを抱えている。老いて、
 弱って、病気になって、疎んじられ、永遠の絶対無に吸取られ消滅するのが
人生である。個人主義を我が国民は蛇蝎のように嫌っているのは、一連の中で、
多いに実感したが、それ自体も幻想でしかない。
・・・・・・
4809,ある明治女性の世界一周日記
2014年05月15日(木)
   「ある明治女性の世界一周日記―日本初の海外団体旅行」野村みち(著)
 何気なく、図書館内を彷徨っていたら、この本が目につき借りてきたが、
現在の朝のNHKの連ドラの「花子とアン」の、出身校の東洋英和女学校出身と
あったことも借りる動機にもなった。そして、読んでみて、面白いこと。
ランダムに、どのページを開いても、その日その日の、本人の視線が、
そのまま直に伝わる。  ーAmazonの内容紹介よりー
「母親からの厳しい「良妻賢母」教育と共に、東洋英和女学校キリスト教
英語という新しい教育を受けた明治の女性、野村みち。豊かな感性と柔軟性で、
真摯に、率直な心情を綴った世界旅行記。」 ーレビューよりー
《 元横浜YWCA会長を務めた野村みちの「世界一周日記」。若い頃から洋行に
 憧れを持っていたことが書かれていた。その「世界一周」は、1908年3月18日
から96日間にかけて行われた。冒頭に旅のルートが掲載してあり、米太平洋郵船
会社のモンゴリア号で横浜港を出港し、ハワイを経由し、サンフランシスコ、
ソルトレークシティ、シカゴ、ボストン、ワシントン、ニューヨーク、英国
ホワイトスターライン社のセドリック号で大西洋を渡り、ロンドン、パリ、
ローマ、ナポリヴェネチア、ベルリン、サンクトペテルブルク、モスクワ、
シベリア鉄道を利用してウラジオストック敦賀に帰ってくる世界一周旅行。
一行54名、女性3人。筆者の夫は、横浜の実業家・野村洋三氏で、外国人相手の
古美術商のサムライ商会を営んでいました。本町通りにあったサムライ商会は
横浜の古い写真集を見ていると必ず登場するようなエキゾチックでユニークな
外観をしています。258ページに写真が掲載してありますので。筆者の家族の
写真や世界一周時の集合写真も掲載してあり、文章だけでなく当時のイメージ
が理解できるようになっていました。旅行中の装いも和装で通す意味合いも
書いてあり、このあたりに聡明さが伺えます。アメリカのルーズベルト大統領
との謁見や、パリで名バイオリニストのサラサーテの演奏を聞いたことも記され
ています。 巻末に番外編として「野村みちとは」と題する生涯を、北川原美乃
さんが25ページにわたって紹介していました。戦後すぐマッカーサーが占領下の
日本で初めて接した民間人が野村夫妻だったことも書いてあります。
そのような生き方を貫いた女性であることが分かる書でした。》
▼ 100年前の96日間の世界一周日記、そこに女性が3人、加わっての旅行、
 それは大変だっと思われるが、幕末、明治初期の一女性の目で見た当時の、
外国への視線が面白い。長年にわたり、多くの人が様ざまな経験をして記録に
残されているのに、改めて感心する。情報端末がノートしかない時代に、その
人の記録が逆に、生々しさとして、後世の者の心に訴える。横浜で外国人相手
の古物商をしていたため、カルチャーショックは、さほど無かったようだが、
そうでなかったら、その参加自体してなかっただろう。ところで、居間の座椅子
の横に、二年以上も「世界の旅行記101」が置いてあり、毎日、数分間、読む。
2〜3ページに要約した101の旅行記が、それぞれ何人かが分担して書いてある。
ところが、どれもこれも、重いため、せいぜい、一日、数分しか読めないが、
それでも門前の小僧で、少しずつ、階段を下りるように、何とか読んでいる。 
それらから比べれば、ツアーで内容が軽いが、それ故に、親近感がわいてくる。 
世界は広く、それぞれ深い!
・・・・・・
4442, 閑話小題 ーリタイア後の幸せ度
2013年05月15日(水)
  * リタイア後の幸せ度
 退職後の幸せ度は、一番高いのは創業者、二番目は違う会社で勤めている人、
三番目が、そのまま再雇用している人、最後は、そのままリタイアした人、
という調査結果がある。一番高いのが創業者は自分が、そうだから分かる。
それも、私のように会社を倒産させた人がいうと、強がりにように聞こえる
だろうが、複雑な実感である。挫折感より遥かに達成感が強いことは確か。 
自己完結してキレイサッパリするから。意外なのは、完全リタイア組の幸福度
が一番低いこと。長年かけたライフワークを持ってないためだろう。
「自分が、まだ有用の存在でいたい」のか。後は、解釈になる。収入の関係も
あるのだろう。幸せの感じ方は様ざま。 鼻歌でスキップしていくしかない?
そのためには、少々のお金と、知恵と、意欲が必要である。一番の問題は、
やはりお金に行き当たるのか。
  * 節目を超えたようだ!
 昨日、もう一つのブログ《バードウォッチ》に。「一月ほど前か、現在の自分
と娑婆に対し、底知れぬ可笑しさを感じて、知らずに独り腹から笑っていた。
これで節目を乗り越えたようだ。こういうのをアップスケール(脱皮)という。
独り万歳! あとは、心置きなく流しの遊びの世界で我を忘れればよい。
割り切るのに、やはり二年。節目としての4分割の最後のシリーズ。 
心の還暦になる」と書いた。50歳になった時が、これかと思ったが・・、
もう一破壊が必要だったようだ。そして少し楽しめ!ということになる。
まだまだ重いし、最近、何事にも面倒が先に立つ。ただ、バイアスが日ごと
取れて好奇心が強くなっている。遊びに対して、まだまだ修行が足りない。 
「節目を打て」というが、なるほどである。
(後記)ところで偶然だが、去年の以下の文章が、これに連動していた。
    面白いもの。決して傷は浅くないということか!

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
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  今日のYoutube

 今日の午後から、「歯医者」の予定。
歯周病で、5回ほどの通院が必要とか。

 パソコンの不調の修理。結局4万円もかかった。
ウィルスが入って・・・ これまで、こういう修理を要するのは
初めての経験。 
 
 去年暮れに買った4KTVもまた、WiFiが不調で、Youtubeなどが
みれず、結局は、元から配線を直接、つなげることにした。
この不調は、イタチゴッコで、何かの切欠で、復旧に手間取る。
直接配線で、この心配がなくなる。



・・・・・・
4068, 疲れたら憩がよい、彼等もまた、遠くにはゆくまえ!
2012年05月15日(火)
  * 挫折について      ー「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著より 
≪「人間のプライドの究極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事が
あります、と言い切れる自覚ではないか」(太宰治・〈走れメロス〉) という科白もある。
これなぞは負の体験こそ人間に正当な自負心を与えうる唯一の立脚点ではないかと、負を
プラスに転化しているのだ。・・・たえず自分の弱さや、醜さや、愚かさを思い知らされて
いるというが、それがしかし、自分というものを知る第一歩なんだ。そして自分の悩みを
知ることを通じて以外にどうして他人を知ることが出来るのだろう。
その点からいえば君の悩みは、まだまだ浅すぎるかもしれない。自分はもっともっと悩む
べきだ、と考えてみる必要があるかもしれない。「ひょっとして、人間が愛するのは、
太平無事だけではないかもしれないではないか? 人間が苦痛をも同程度に愛することだって、
ありうるわけだ。いや、人間がときとして、恐ろしいほど苦痛を愛し、夢中にさえなることも、
間違いなく事実である。」(ドフトエフスキー「地下室の手記」より) 
・・・世に文豪と呼ばれるほどの人びとの書いたものを読めば納得できよう。
彼らが作品に描いてみせた人間的苦悩の深さは、とても凡人には耐え難いほどだが、そう
いう深い苦しみ苦悩を通じてこそ彼らは、その反対に光り輝く美や愛や幸福やを、
あれだけ深く生き生きと感じることができたのだった。・・・
「疲れたら憩がよい、彼等もまた、遠くにはゆくまえ!」(尾崎一雄「痩せた雄鶏」) 
おそらく挫折して世に出れなかった日々、尾崎さん自身、この言葉を自分に言い聞かせ、
じっと耐えていたのだろうと思う。 ≫
 ▼「死ぬほど苦しんだと言い切れる自覚がプライドの立脚点」には考えさせられる。
負の体験を現在しているが、これをプラスに転化にするには、結果から、原因を徹底的に
見つめなければならない。まだ、悩みが足りないのは分かっている。しかし、盛んだった日々
の光りがあれば闇もあって当然と思ってしまう。幸せも、不幸も解釈次第。死んでしまえば、
全てチャラ! だから人生は面白い。負の節目が挫折になるが、プラスの節目もある。
しかしマイナスの節目ほど次のステップには効果的である。
・・・・・・・・・
3702, 自己を見つめる -21
2011年05月15日(日)
  * 死について ー②         「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)  
【 元気旺盛のただなかで、突如、不治の病を宣告された人は、初めは死を、不条理な
運命として呪誼し、憎悪し、拒否するが、次第にやがて、その苛酷な宿命を受容して、
死を覚悟し、承認するようになるという心理学的研究も存在する。人間が死と立ち向かう
心理的状況は、種々様々である。 死を迎え入れ、その定めを覚悟し、その準備を整える
用意は、憂き世の終末に向けて身辺を整理することを含む。 そこには、種々雑多な
俗世間的な事柄が絡みつくが、それらはみな、老境の責務だとも言える。ありうべき
介護や臨終、葬儀やさまざまな後始末、それらをすべて、何らかの仕方で見越しながら、
誰もが、終末に身構えざるをえないのが、死にまといつく憂き世のしがらみである。
 たいていの日本人なら、死んだら、草場の蔭から子孫を見守り、お盆には憂き世に帰り、
生者と交わることを望み、しかしやがて年月が経てぱ、往時茫々、すべては諸行無常
なかに消え去ってゆくのがこの世の定めだとして、それを、詮方ないことと心得る諦念を、
心中密かに保持しているであろう。 あるいは、永遠の生命の流れとしての浄土に、
自己が繋がり、久遠の仏性に救い上げられるという強い信仰をもつ人もあるかもしれない。 
さらにはまた、西洋からの宗教思想の影響のもとで、死に際して、神の恩寵と審判が下され、
裁きが行われるという終末観を抱き、神に救済されることを祈って、日夜、信仰と精進に
励んで生きる、敬謙な人々も存在するであろう。 死という終わりに直面する私たちが
抱くさまざまな不安や、懐疑や、憂悶や、希望や、希求や、欣求には、果てしがない。 
 それらの種々の想念と気遣いのすべては、いかに人間が、死の影のもとに、蜉蝣のような
自己の身の上を、儚いながらも、充実した有意義なものとして構築して生きようとするか
という、胸痛む事実を、告知している。人間は、徹頭徹尾、死の影のもとに生きる
存在者なのである。 この憂悶にみちた現実が、人間の生存の真実である。】
▼ 結局は、大部分の人にとって壮絶な死に際が待ち構えているが、敢えて知らないふり
をし、日々の細事に気を紛らわせるしかない。それも、物心とも準備を怠ってきた人は、
ただ動転し、目先を辛うじて生きるしかない。その結果、事故や、争いに巻き込まれ、
老醜を曝す結果となりがちでなる。それは、家系とか、持っている体質にも関係してくる。
やはり人の死は大方悲惨と覚悟をすべき。問題は、当の本人が、それに独り直面し、
ギリギリの極みの中で、苦痛の中で最期を向かえ、意識が消えていくことである。
 ・・・・・・・
3337, サイバーとは超格差社会
2010年05月15日(土)
 ー「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著)  ー8
 * サイバーとは超格差社会
  ー まずは、その部分を抜粋してみる ー  P-236
 私は過去のコラムで「サイバーとは超格差社会」と書いたが、一方でこれは持たざる者、
立場の弱い者に大きな恩恵をもたらすものだとも考えている。 その格差といえば情報と
知恵の差である。仮に判らないことがあっても質問できる双方向性。実はこれこそが
サイバーの最大の特徴でもある。そこから自然にコミュニティが生まれ、互いのノウハウ
を交換しあうことによって更に自らを高めることができる。電子町内会の誕生である。 
こうしたことも、かつてなかったスタイルの「恩恵」であろう。サイバー社会の格差を
埋めるのもまたサイバーなのである。 この事実に我々はもっと注目すべきだ。
なのに現状、インターネット上の最大の産業がポルノ、またはポルノまがいのコンテンツ
になっているのは情けない話である。「あらゆる技術は軍事目的で開発され、ポルノ目的
で広まる」ともいうから(写真もビデオも、もちろんインターネットもそう)、
ある程度は仕方がないことなのかなとも思う。 しかしインターネットが我々の身近な
ものに降りてきて10年あまり、そろそろ次の段階にステップアップすべきなのではないか。
 「次の段階」、それは前述したように人々が学び、情報武装して賢明な市民となり、
甘言を弄する政府の嘘を見抜き、健康で文化的な生活を生涯に渡って維持することである。 
そして、そのためにサイバーを有効活用することだ。サイバー社会が人に恩恵をもたらす
ものである限り、私はそこを自らの事業ドメインとして関わり続けていこうと考えている。
▼ 現在、サイバーに対してマイナーの視点で論じる傾向があるが、負け犬の遠吠でしかない。
弱い立場の者に大きな恩恵をもたらすが問題は知恵である。 知恵と才覚があれば、その中で
格差を埋めることが可能である。そのためには哲学の基礎も必要になる。 哲学をもって
ネットを使えるかどうかで、その差は大きく左右する。考えないでネットにハマッタら、
底なしのバカ?になる。 HP・ブログに10年前に気持ちを集中してなかったら、
良し悪しは別にして現在の世界観とは全く違っていたはず。これからiPadと簡易ブログの
ツイッターが爆発的に普及した時に、この蓄積は何ものにも変えがたくなる。 
知らないうちにサイバーに移動していたことになる。ますます情報=通貨の度合いが
強くなる。恐慌も含めて、こんな時代が見れるとは思ってみなかった!
 ・・・・・・・
2962,若者たちは今 -2
2009年05月15日(金)
 -若者が危ない!ー
いつの時代にも「今時の若者は」と言われてきたが、少し前の経済週刊誌に
「現在の20歳代が危ない」という特集があった。
その特徴として、
・上昇志向なし          ・10歳代で「失われた10年」を経験
・二年で3割離職         ・20歳代前半の43パーセントが非正規社員
・親との同居率6割           ・職場に不満は過半数
・海外志向のない若者が半数    ・あまりモノを買いたがらない 等々である。
 今さらだが、彼らには弱肉強食の意識が欠落、若いときに辛い体験をして、それを
バネにして上を目指そうという気持ちが欠落している。韓国、中国などの若者に比べて、
全く人生に対する姿勢が劣っているようだ。例の「ゆとり教育の犠牲者」なのである。 
こういうマイナスの回転に引きこまれた世代は、何処までもマイナスがついて回る
のだから、気の毒といえば気の毒。我われの世代が逆にプラスの回転だったから、
それが鮮明に見えるのである。
  (以下、字数の関係でカット11年05月15日)
・・・・・・・・・
2598, 中国の地震について
 2008年05月15日(木)
中国の地震は、死者行方不明は十万人以上の可能性も出てきた。産経新聞が行方不明9万と
報道していたが、まだ真偽は解らない。中越中越沖地震がマグネチュードが6・8、
今回の中国の地震が、7.8 。 震度が一違うと32倍というから、いかに大きな地震
だったか!が推測できる。32年前の文革真っ只中に24万人の死者の地震があったというから、
日本の最近の地震とは規模が違う。この地震もも、マグネチュードが7・8だったという。
最近は誰もがデジカメか携帯電話のカメラや、ビデを撮ってしまうから情報管制は難しい。
連日、生々しい写真が出始めいる。スマトラ沖地震と、ミャンマーのサイクロン、そして、
この地震と大規模の災害が続いている。それも中国にとって華やかなオリンピックの
聖火リレーの最中に。
  (以下、字数の関係でカット09年05月15日)
・・・・・・・・・
2007年05月15日(火)
2233, しお壷の匙  ー2        (´∀`σ)σ オハYO!
この中の「銭金について」の上司の言葉と、本人の動揺が面白い! 
「学生気分が抜けない頭でっかち」を注意された時のカルチャーショック。誰もが一度
通らなければならない精神的脱皮の時である。働くとは何か?金を稼ぐことである。
生きるためである。そして、その中に生甲斐を見出していくことである。一度、徹底的に
自分を破壊して、金を稼ぐプロとして再生しなければならない。これが三年目にくるか、
十年目にくるか、それぞれ違うだろうが。
  ーまずは、その部分を抜粋してみるー
「・・ある日、私は上司に呼ばれ、きみはまだ学生気分が抜けていないんじゃないか、
お世辞、お愛想の言い方がへただ、と注意された。突然のことに当惑していると、
上司は自分の机の抽出しから一冊の本を取り出し、いきない「これは何だッ。」
と呶鳴った。見れば、それは私の本だった。当時、新潮文庫の一冊として上板された、
プラトーン・田中美知太郎訳「ソークラテースの弁明」であった。
私は己れを慰めるためにそれを書店で求め、通勤の往き帰りに電車のなかで読んでいた。 
上司はそれを私の机の中から取り出し、咎めているのだった。「俺はお前が週刊誌を
読んでいる姿、見たことねえぞ。これは何だ。こんなもの読みやがって。こんなもの
読んでて、金に頭を下げられると思ってんのか。人間の心は捨てろ。 そうすれば、
どんなことだって平気で出来る。人におべんちゃらを言うことだって、人を騙すこと
だって平気で出来る。俺たちは人に頭を下げることによって、飯を喰ってんじゃねえぞ。
金に頭を下げることによって、喰ってるんだ。いいか。お前はその屈辱にもよう堪えん
男じゃないか。金に頭を下げることのありがたさを知ったら、どんなことだって出来る。
屈辱に堪えること、それがお前の喰う飯の味だ。お前だって、金なしには飯が喰えん男
じゃねえか。その金は誰からもらうっているんだ。おう、どんな別嬪も便所へ行ったら、
パンツを脱いでしゃがむんだ。人間の心を捨てろ。いいか。」 ・・・  
私にあっては、この小事件は大きな意味・価値を持っていた。
  (以下、字数の関係でカット11年05月15日)
・・・・・・・・
2006年05月15日(月)
1868, ブログは社会革命ー 2   おはよ?!(*^ワ^*)i
 いま一つ劇的なポイントがあった。それはブログに書かれた記事は検索エンジン
とっても検索されやすいということ。わかりやすく言えば、ブログの記事や日記は
一本一本が独立したHPのような形式になっている。
   (以下、字数の関係でカット10年05月15日)                  
・・・・・・・・
2005年05月15日(日)
1503, 平等について ー1
 ー不平等が人間の基本ー
フランス革命の旗印は「自由・平等・博愛」である。その自由に重心を置いたのが、
自由主義であり、平等に重心を置いたのが、社会主義である。博愛に重心を置いたのが
宗教というところか。「自由」については何回か書いたが、今度は「平等」について
考えてみよう。『日常生活に哲学は必要だ』ー三浦朱門と鷲田小弥太の対談集ー
の中の「平等について」の一節に明快に書いてあった。 これから考察してみる。
ーまずは抜粋してみるが、「平等」に対して、これだけ解りやすく納得させてくれる
のも珍しい。
   ー「不平等が人間の基本」ー
・三浦 社会主義の基盤は平等です。さっき、人間は共産主義者が好きなのでは
ないという話がでましたが、それは実は平等が好きだということなんです。実際、
遠見に見ると、人間なんてどれもこれも同じなんです。たとえば学校を見ると、
卒業式とかなんかで、クラスの記念写真を撮りますね。これが制服など着たりして
いるとなおさら、みんなと同じである。だが、少し近づいてみると、男の子がいたり、
女の子がいたりする。 偏差値も違うし、歌の上手い子もいる。ハンサムな子、
美人な子、逆にブスな子もいる。これだけの要素を順列組み合わせしてみても、
千差万別といってよいほど違う。まして人間の要素というのはこれだけではない。 
本当に一人ひとり違う。 だから、社会を構成上で大切なのは、平等の適用範囲
なのでしょうね。平等の心地よさは大事です。それは社会を安定させる重要な要素。
人間を遠距離で見るか、中距離で見るか、近距離で見るか。市民的平等、遺伝子的
平等、文化的平等などさまざまな局面を考えてみると、やはり平等は社会保障
法律の局面に限るべきだと思います。その部分の平等が保障されていれば、
その社会はまずはよしとしなくてはなりません。ところが平等とはなんでも同じで
なければならないととらえられている。
・鷲田 まず人間は基本的に不平等であると心得なくてはなりません。その基本的に
不平等である人間が社会的生活を営む上で、なるべく円滑にいくように考えだされて
のが平等という概念であることを知らなくてはなりません。そのためには、法律に
定められた平等以外に不平等であるのが人間の姿なのです。それを心得させるものは
哲学であるということなのです。「平等と権利の主張」
・三浦 平等は社会生活を営む上で便宜的な概念であって、人間の本質でないという
ことことですね。だが、その平等の概念がしばしば混乱するのは、ほかでもない、
権利意識と平等が混同されるからではないでしょうか。
・鷲田 権利を主張するのに平等を楯にする。しかしね、平等を楯にした権利の主張は
利己主義に過ぎないよ。その証拠に、こちらに何かを寄越せ!という権利の主張なら
大いに平等を口にしますが、平等にするためにこちらの何かを削らなくてはならない
ような場面では、平等のビョの字も出なくなる。
・鷲田 いまの政治家や役人の二代目なんてのは世襲化しているが、これを如何考えるか。
・三浦 何代目であろうが、一応外交官試験を通ったり、選挙に当選しているのだから、
やはり平等と見なくてはなりません。
・鷲田 平等は聞こえがよいし、居心地がいいかもしれない。また、社会生活を
円滑に回転させるための円滑油としての効果もある。だが、それはあくまでも法律的な
枠組みに限られたことだとわきまえなくてはならない。良識などという言葉は私には
もっとも似合わないが、やはりそういう良識を持ち合わせてないと、品位のない社会
になってしまいますね。その良識を確立するためにも哲学を持たなくてはなりません。
ーー
以上、書き写すのに時間がかかったが、私にとって、それをするだけの価値は充分あった。 
まずは、「平等が基本」という前提が突き崩された。しかしよく考えてみれば、子供の時
から社会を見ていても「不平等が基本」にあった。裕福な家庭の友達と、貧困の家庭の
友達は厳然とあった。 学歴の差も、美人とブスの差もあった。成績の良い子もいれば、
劣等性もいた。 弱い子は虐めの対象になっていた。色いろな人がいるのが社会である。 
   (以下、字数の関係でカット12年05月15日)
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2004年05月15日(土)
1138, つれづれなるままにー駅の風景
(字数の関係でカット2,008年5月15日)
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2003年05月15日(木)
771、ゆっくり急げ!
(字数の関係でカット2,008年5月15日)
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2002年05月15日(水)
407,ホームページを開いて一年
 以前「テーマ随想日記を書いて一年」を書いたが。このテーマはホームページである。
「ホームページつくりを通して、パソコンをわがものにする」と目標を立て、実行して
一年半経つ。やはり人生が根本的に変わろうとしている。 情報化を実感している。
たどたどしく、やってきたというのが実感だ。一つの目安が、現在のこの時期と考えている。
ここで一回ホームページの解体の時期かもしれない。 実施は夏以降か? 
現在の自分の現状に似ている。今までのビジネスや人間関係や慣例の解体のプロセスの
時期だ。ゼロベースからの見直しである。ホームページづくりと、旅行の積み重ねと、
去年の9・11で、世界と世界観が全く変わってしまったからだ。やはり情報は最も大事で
ある。どこまで一人になりきれるか、とりあえず一人に。 とくに「??会」といっている集まり。 
当分は「空」への過程だ。 そしてある時期がきたら、新しい「色」を求める。 ポイントは
「電脳、グローバル、21世紀へ、前向き、楽しさ、興味」である。濡れ落ち葉にはなりたくない。
ここで他者のホームページが見えはじめてきた。素晴らしいホームページにいきあたる。
それと自分のホームページとのリンクがポイントである。特にリンクの分類がポイントに
なってくる。それとやはり絞込みが重要だ。そうしないと、みさかえなく情報が入ってくる。
現在、電脳というキーワードがある。その時代に入ったことが実感できるかできないかが
分岐点だ。ポイントはホームページだ。 自分のリンク集でもいい。
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2001年05月15日(火)
 赤面ー自嘲ー入力ミス
日記の文章で、文面に2日に一度は入力ミスがある。1度見直せばこんなに多くない
はずなのだが。2?3日前より一度パソコン内のメモ帳上に書いた上で、コピーして
載せるように切りかえた。ブラインドタッチの訓練をかねている為、余裕が無かった
ことと、日記帳という気楽さという言い訳は公開した以上成り立たない。書き直す方法は
明後日にパソコンの先生の授業課題なので土日に直すつもりだ。
毎日は書かなかった日記を公開すると同時に欠かさず書き始めるのも自身が可笑しい。