<「人生楽しいかい?」ゲオルギー・システマスキー著>
   * 人生楽しいかい?
 『人生は楽しいかい?』の問いかけが題名の本。
現在の私に、そう問われれば、『た・の・し・い』である。 
両親から、「事業でも、趣味でも、遊びになるまで徹すれば楽しめる」と
常日頃から教わってきた。それが可能かどうかを見極めて、一度、始めたら、
徹することと… 。リタイア後に、この指令そのままのように、スケジュール
を立て、毎日を過ごしている。そうでもしてないとバランスを崩し、炎上する
自らの弱さを知るため。これらの指令は現実そのもの。老いの知恵でもある。
SJのヨガを5年4ヶ月、合計千回以上、参加してきたが、この指令の多くが
ヨガに重なる。 毎日を楽しくなければ、大元からグラツクほど、過去の否定
材料が山積みにある上に、老化現象である。外的炎上はあっても、内的炎上は
直接、老人性ウツに直結する。
  〜アマゾンの内容紹介より〜
≪世界各国の教育、医療、軍事、セキュリティ関係者が注目するロシア武術
「システマ」。本書はストーリー形式で、その独特のメソッドを伝えるもの。
 うだつの上がらないサラリーマンの僕が出会った謎のロシア人“ゲオ”。
小太りで一見パッとしないゲオが僕に伝えてくれたのは、ロシア特殊部隊で
 生まれた「人生を変える方法」だった――。
 【システマとは?】 冷戦後のロシア発! 
アメリカ、ヨーロッパ、中東、アジアの45か国、250以上の団体で実践。
世界各国の教育、医療、軍事、セキュリティ、関係者が絶賛する人間能力
開放メソッド。
  プロローグ 出会い
 [本書の使い方]
【指令1】「よかったこと」に目を向ける
【指令2】ゆっくりやる
【指令3】知る
【指令4】距離を測る
【指令5】呼吸する
【指令6】姿勢を整える
【指令7】視点を動かす
【指令8】限界に触れる
【指令9】最悪を想定する
【指令10】動き続ける
【指令11】力む
【指令12】成功体験を忘れる
【指令13】相手を観察する
【指令14】衝突をコントロールする
【指令15】分かち合う
【指令16】任せる
【指令17】生きろ        ≫

▼ 15年間の準備期間と、実業30年、計45年間は、上記そのままを、自らに
 指令し、実践してきたようなもの。誰も助けてはくれない現実の中、自演
自作で前に向かって歩くしかない。「そんなこと、全員が、そうしているじゃ
ないか!今さらじゃない!」 といえば、そのとおり。「楽しい」かどうかは、
解釈の問題。要は目的と目標を明確にして、計画をたて、歩んでいるかどうか。
楽しくしていれば、楽しいことが寄ってくる。
<動き続けよ、湖面のように静かに> 現実から目を逸さず、逃げないこと。
「正・中心・一点・無」の心構えで立向かうこと。泣いても笑っても、
同じ人生。笑って楽しまなくては。「楽しむ」のは天性もあるが、第二の天性、
習慣化でも身につけることが可能。次回から、それぞれの指令を取上てみる。
 静かに、問題の中心を見続けて、動き続けること。悪貨に染まらないこと。
悪貨なら、染まりようがないか? …「ところで、昨日は楽しかったか?」か。
「早朝の自転車散歩に、午前中のTVドラマに、SJも、夕刻の大相撲TV観戦に…」
上げればキリがない。楽しいことを意識をして探し出したからである。

・・・・・・
5596,閑話小題 〜庭石、売ってもらえませんか
2016年07月11日(月)
 * 庭の石、売らないか
 一昨日、家内が出かけた後に、70歳半ばの土建屋の親方風の訪問者。
玄関先の「赤石」を指差し、『お宅の庭を以前から、見せてもらっていたが、
これなどの庭石を、売ってもらえませんか?』と言う。 そんなことは、
いまだかつて無かったこと。 瞬時に、『そういう意思は全くありません』と
断ったが、その後、30分ほどしてから『失礼もいいとこ!』と、怒りが
起きてきた。お金が窮したと思ってのことか、嫌がらせか! 流石、ここは
城下町・長岡の世界。 こういうのを「石ぶつけ」という。 乗ってきて、
その価値を知らなければ、ただほどの値段で買い叩く。可愛いものだが。
  * 欧米世界は、女性がトップの座に
 英国首相は、メイ氏とレッドソムの女性候補一騎打ちに、結果はいかに。
米国では、大統領候補クリントンが有利。フランスでは極右のルペンが
首相の座を狙っている。また、ドイツの現首相がメルケンである。
米国経済界の女性トップとして、イエレンFRB議長の存在がある。
また先日、イタリアの主都ローマで市長選が行われ、ビルジニア・ラッジ
当選し、ローマ市長となった。この勢いだと、東京都知事も、小池氏が勝利し
そうな空気にある。 ロシア、中国は、組み易しと喜んでいるだろうが。
一時代前には考えられない現象である。
   * 参院選挙で
 参院選挙。 二つの区分のうち、一つは民進党の議員に、もう一つは
維新の党に投票をした。アベノミクスには反対だが、改憲には賛成。
で、とちらを優先か? といえば、改憲。で、二つに分けた。今の内に、
改憲だけはしておかないと!

・・・・・・
2015年07月11日(土)
思いが人生をつくる ー? 最もやっかいな‘スピリチュアルなプライド’
        『思いが人生をつくる』〜ジェームズ&リリー・アレン
   * もっとやっかいな‘スピリチュアルなプライド’
 人間は程度の差があるにせよ、多かれ少なかれ、‘知的プライド’も、
‘スピリチュアルなプライド’を持っている。 問題になっている「IS」
 の原理主義をみれば、極端なプライドが浮び上がって見えてくる。
 それは、ユダヤ教キリスト教も同じこと。 〜その理由とは〜
≪・「知的プライド」より、もっとやっかいなのが「スピリチュアルなプライド」。 
 なぜならこのプライドは、「知的プライド」よりもあいまいで、なおかつ人を
 容易にだますからです。「スピリチュアルなプライド」が、同じ信仰をもたない
 人に対して「救われない存在」というレッテルを貼るのです。「スピリチュアルな
 プライド」をもつ人が、「世界はおかしい、すべてさかさまだ。私たちが社会を
 正さなければいけない。私たちだけが、スピリチュアルな信仰を啓発することが
 できる」という発言をするのです。
・しかし世界は、このような人が生まれる前から存在していましたし、
 彼らの信仰する宗教が現れる前に存在していたという事実はどう説明するので
 しょう? 「自分よりも他人をもっと尊重しましょう」というスローガンは、
 明らかに受け入れがたいものです。この「人を混乱させる」スピリチュアルな
 プライドを排除しましょう! すべての宗教は善であり、神の道を純粋に説いて
 いるはずなのです。私たち人間はすべて、人生の灯りを探求しており、また
 自分たちの灯りに従って生きているのです。そして一番の理想は、その灯り
 のみに従うこと。すぐ他人よりも優れている人は、すべての人に奉仕しなければ
 いけません。「知的プライド」を克服する良い方法は、「私たちは無知である」
 と知ることで膨大な量の知識、無限の世界、そして私たちが想像もつかない
 ような概念のことを考えるのです! ≫
▼ 「自分よりも他人をもっと尊重しましょう」は、一見、素晴らしい言葉。
 「自分と同じように他人を尊重しましょう」が正しい。出来ないなら、まず
フリをすればよい。人は概ね一ランク〜二ランクは自分を買い被っている。
問題は、自覚できるか出来ないか。出来ないと、他人の揚げ足をとって、
鬱憤を晴らすしかない。だから、世には争いが絶えない。しかし、これなくして
人は生きられない時がある。生きる灯り、これは経験と知識を通し得るしかない。
・・・・・・
4866,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー34
2014年07月11日(金)
   * 開業前の戸惑い
 店の先頭に立った切った張ったの千葉・長岡の8年間の生活から、今度は、
小さいが社長の立場。御客との直接接点がゼロになってしまった。しかし、準備
期間の一年は、開業直前までは何もかも独りである。学校に新卒、職安には中途
採用、リクルートには東京まで管理職の募集に行かなければならないが、それら
は長岡で経験済み。前宣伝も広告代理店と打ち合わせ、ホテルの備品の購入の
全てを自ら決定していく。それらが、直前に集中するため、加熱状態になるが、
それが面白い? 既存の組織があれば、それぞれの部門の責任者を決め、一つ
ずつ対話をしながら決定していくのが、それが無い場合、独り言を口に出して
決めていく。開設準備室のベニア板一枚、隔てたゼネコンの現場事務所の主任が、
それが何とも不気味だと注意もされた。8年ぶりの今回も、独りからの出発。
 この慣れには、3〜6ヶ月は、かかるが、戸惑が先にたつ。 全て、置いた
環境が自分を慣れさせる。ホテル開業の数週間前に、学生ショップの開店。
その後、ホテル開業になる。 その間に、色いろなことがあった。
ある30歳前後の女性が、開設事務所に履歴書を持って訪ねてきた。
『私は古町で、学生ショップの会社の事務をしている。ある長岡の問屋の方から、
貴方のことを聞いているが、貴方の経営戦略が面白そうなので、是非、事務に
雇って欲しい』という。私にすれば『エッ何?』の小説のような話。
『商道徳上、いくら何でも、それは出来ないでしょう』といっても、なかなか
引き下がらない。最後は引下がったが、今度は『私が立場上、駄目なら親友が
働きたいというので、駄目もとで、面接だけでも!』と、本人を連れてきた。
それが品が、この上ない上流階級?ふうの御婦人。 私を余程の凄腕と勘違い
をしているよう。なるほど、長岡と新潟だけでも、これだけ割りきりが違うと、
思い知った。 もう一つ、開業直前、地元紙に〈学生ショップを併設した面白い
ホテル〉の見出しで、記事を書いて貰った。掲載された当日の夕方、自宅に一本
の電話、『私は三条駅前で学生服を販売している者だが、貴方のアイデア
ホテル開業を羨ましく思う。間違いなく成功するでしょう・・』と、一方的な話。
何と答えてよいか分からず、「はい、そうですか、有難うございます」と、
丁重に答えるしかなかった。15年の準備期間を経た立ち上げ。 その戦略を
褒めてもらったり、押しかけが来たり! 世の中は、面白いもの。
その間には、前の会社の、ある社員が訪ねてきて『会社がピンク色?に染まり、
誰一人、真剣に仕入れをしない。あるのは男女間の噂話。このままでは会社が
潰れてしまう。クーデターを起こすので戻って欲しい!』と必死の訴え! 
私も命を張った大勝負の時節!で、断ったが、これ、誰にも言わなかった秘話。
その数ヶ月後、会社の危機を議論をした翌日、心不全で亡くなっていた、という。
彼の口癖が『とにかく、この会社が好き!』だった。何とも哀く気の毒な出来事
だった。 この頃から、姉夫婦の立ち上げた会社の不調の噂も流れてきていた。 
商売は常時戦場!決して生易しくない。
・・・・・・
4499, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー2
2013年07月11日(木)
   『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』中村仁一著
  *「治療に関する思い込み度テスト」
「私たちの医療に対する信頼は思い込みでしかない」と著者は、医師の立場から
切り捨てている。私も変わっているので、このテストで○は2〜3つしかない。
現在の医療を信頼してはいけないということ。
特に老人は、病院にとって金のなる木。信頼するほど真逆の結果、
搾り取られるだけ!というのも、至極当然。その結果、何とか長生きした先が
特老というのも、極論とも思えない。還暦を過ぎたなら、病院でチューブで
繋がれる道でなく、自然死を選ぶのも一つの選択。 ーその辺りから抜粋ー
≪「医療の鉄則」があります。1、死にゆく自然の過程を邪魔しない 
1、死にゆく人間に無用の苦痛を与えてはならない今の医療現場では、この真逆
 が行われている。 私が主催する「自分の死を考える集い」の参加者に、
 以下のような「治療に関する思い込み度テスト(信頼度テスト)」を行なった。
�ちょっと具合が悪くなると、すぐ医者にかかる
�薬を飲まないことには病気はよくならない  �病名がつかないと不安             
�医者にかかった以上、薬をもらわないことには気がすまない 
�医者は病気のことなら何でもわかる     �病気は注射を打つほうが早くよくなる           
�よく検査するのは熱心な医者だ       �医者にあれこれ質問するのは失礼だ           
�医者はプロだから、自分に一番いい治療法を教えてくれるはず
�大病院ほど信頼できる医者がたくさんいる 
�入院するのなら大病院・大学病院が安心できる�外科の教授は手術がうまい           
�マスコミに登場する医者は名医だ      �医学博士は腕がいい              
�リハビリはすればするほど効果が出る
 いくつ◯がつきましたか? 奇人、変人の多い「集い」では、
 ○印がゼロがかなりでした。
�の説明は学術専門誌の編集長・インゲルハイム氏の言葉の引用です。
ニューイングランド・ジャーナル・メディシン」の編集長は「病気の80%は
医者にかかる必要がない、かかった方がいいのが10%強、かかったために悪い
結果になったのが10%弱」と言いました。4世紀半以上も前の話なのに、
今も反論がないそうです。病気を治す中心をなすのは、本人の自然治癒力です≫
▼ これでも日本の医療制度は世界一のレベル。病院とはいえ、経営システム
 が必要で、一番の利益になる老人に、可能な限りの医療を施すのも自然である。
問題は、当人の死に方の選択になる。そのためには、このような視点を知って
おくべきである。少しの延命のため、無用の苦痛を与えるのが果たして治療と
いえるのだろうか? 40年前に父が大手術の一年後に亡くなったが、亡くなる
一月ほど前にポツリ言った言葉が耳に残っている。「あれ程の苦痛なら手術を
しなかった!」と。悪性のガンは、どのみち助からない。なら、人間ドックも
手術も無用ということになる。医者が自然死を勧めるほど実態は薬漬け、
チューブつき。酒を飲んできた人は麻酔の効きが悪いというし・・
死に際の厳しさは、実際は壮絶だろうが、生き返って誰も証言しようがない。
生きているうち、楽しみ、味わうしかないのか。
・・・・・
4125, マネー大動乱
2012年07月11日(水)
     「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」増田悦佐
 世界の激動する国際金融危機を解りやすくダイジェストに俯瞰した内容。
著者の視点で日本国内のついての悲観論と、欧米や新興国についての楽観論に
対して、まだ日本はマシと論じている。 それぞれの章ごとに、ポイントになる
部分を書き出して、それについて論じてみる。世界のマネーは動乱に入った。
 ー 第一章 アメリカは財務省ウォール街複合体に潰される?!
        〜上位一パーセントの総取り!
【 2007年で、最も裕福な1パーセントが合衆国の全ての資産の34.6パーセント
 を所有しており、次の19パーセントの人口が50.5パーセントを所有している。
要は、二割の人口が85パーセントの資産を占めている。逆に連邦政府が定める
貧困ライン(4人家族で2万2千ドル=180万)以下の生活をおくっている人
が4620万人。人口比にすると15パーセントも存在する。信じられないことだが、
生活保護フードスタンプ低所得者向け食料配給カード)など、国や州の援助
がなければ生活が出来ない人が47〜8パーセントもいる。失業率は2008年
初頭で5パーセントだったのが、リーマンショックで10パーセントを一時期
超えたが、去年の秋には8パーセントまで下がってきた。ではオバマの失業対策
が上手くいったかというと、そうでなく、職探しを諦めてしまった失業者が、
労働人口から外れた「無業者」になって、失業調査から外れてしまっただけ。
・・アメリカの実質世帯所得は5万ドルで日本円すると400万円。
これも下落傾向にある。】
▼ ネットでその辺を調べたところ、「全人口の上位1%の税引後世帯収入の
 割合は1979年の約8%から2007年の17%に上昇、2倍になった。全人口の上位
5分1の富裕層が受けとる税引後世帯収入は、1979年の43%からさらに上昇し、
2007年には53%だった。言い換えれば、上位5分の1の富裕層の総額は、他の
5分の4所得を超えている。」とあった。現在の日本も、同じ傾向にある。
特に地方の衰退は激しい。世界的みて富裕層といわれる人は100万ドル、
 日本では1億前後の流動資産を持っている人をいう。だいたい1・8%の
世帯が入るとか。50数世帯に一世帯というと、なる程、そうか?である。
身辺を見渡してみて、豊かそうな人は、その位は持っていそうである。
 そういう人たちは、何があっても、しぶとく豊かさを守る知恵がある。
 ・・・・・・
3759, ユング ー 2
2011年07月11日(月)
       < ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー� >
 あまりに有名な幻覚?だが、序文の冒頭から以下のような刺激的な内容から
始まっている。 ーまずは、その部分からー
【ユソグは六八歳のとき、日課の散歩中凍った道路で滑って、くるぶしを折った。
その二、三日、はげしい心臓発作に襲われた。彼は病院で酸素とカンフル注射で
生き続けた。ユソグに付き添っていた護婦は後に、「私は、死にかけている人が
一種の白熱光で取り囲まれているのを見たことがありますが、あなたもそういう
光で取り囲まれていましたよ」と彼に語った。この状態でユングは、生と死の間
をさまよった人々によってしばしば述べられてきた幻影を経験したらしい。
その第一は、約千マイルの上空から見られ、青い光に浸された海と陸地のある
地球の幻影だった。彼は、赤味を帯びた黄色のアラビアの砂漠や雪でおおわれた
ヒマラヤ山脈を見分けることができた。つぎにそのそばに、彼は阻石のような
巨大な石の塊を見た。 しかしそれは、彼がインドで見たことがある、ある寺院
のようにくり抜かれていた。その入口の近くに、一人のヒソズー教徒が結珈趺坐
の姿勢で坐っていた。ユソグはこう言っている。 近づくにつれて、「私は、
あらゆるものがはがされて行くかのような感じがした。 私が目指したか、
欲したか、あるいは考えたあらゆるものや、走馬灯の様な地上の全ての光景が、
消え去るか、私からはぎとられていった。それは、この上ない苦痛の過程だった」。
そして彼が、そのヒンズ教徒によって、灯心が一杯ともっている寺院内部に案内
されたとき、「私の真の仲間であるすぺての人々」にまさに会おうとしている様
だという確信と、自分の生命の意義と自分が、この世に送られて来た理由が突然
わかったのだという確信をもった。そのとき、ヨーロッパの方角からなにかが
彼のほうへ浮き上がって来た。彼は、それが自分の治療をしていた医者だという
ことがわかった。しかしこの医者は古代のコスー医療の神、エスクラピウスの
寺院のあるところーの支配者に変わってしまっていた。その医者はユングに、
「あなたは死ぬことが許されないでしょう。少なくとも三〇人の女性があなたが
この地球を去るという計画に抗議をしています」と説明した。ユングは、
その幻影があせるにつれて、深い絶望感を感じた。自分はしぼらくの間死んで
いて、それから生によびもどされると確信していた多くの人々のように、
ユングはもどらざるをえないことに憤慨した。その医者が古代の王の形をして
ユングのまえにあらわれたので、彼は、この医者は死のうとしている 
ー実際その医者の死が、彼自身の死の代わりになるのだろうーと信じた。
一九四四年四月四日、ユングがベッドの上に坐ることを許された最初の日、
その医者は熱のために病床につき、その直後敗血症で死んだ。 ユングが、彼の
最後の患者だった。 それは幻影の時期であった。「毎晩私は、もっとも純粋な
至福な状態のなかに浮いて驚いた」。朝が近づくと、彼は「今灰色の朝が再び
やって来ると、今灰色の世界がその贈り物の箱をもってやって来る」と感じた
ものである。そして彼が肉体的により丈夫になるにつれて、幻影は止んだ。
ユングは幻影を、ある形の夢か幻覚とみなさず、根本的な現実に対する洞察と
みなした。「それは想像の産物ではなかった。幻影と体験はまったく現実的な
ものであった。それらについて主観的なものはなにもなかった。
それらはすべて、絶対的な客観視をもっていた」。 】
▼ これは、まさかと思えるほど衝撃的だった。ということは、私には父親が
 亡くなって10年ぐらい、妙な霊感が身に備わった。しかし、その直後に
結婚し、様々な事業体験で極限の経験をしてきた中で、その新たな感覚が増強
されていった。この感覚は他人に言っても信じてくれないことは
(自分が経験してない時を考えれば)分かりすぎるほど分かっていた。
その中で、この文章である!

つれづれに

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  今日のYoutube

 昨日の、国会喚問が、なかなか面白かった。
相撲の取り組みと、同時進行でみるには丁度良い。
これでは、安倍自民党が悪党で、元文部次官が善玉の構図。
こんなものだろう、利権とは。せっかく、改憲の気運が、
これで大幅に後退する。




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3759, ユング ー 2
2011年07月11日(月)
       < ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー? >
 あまりに有名な幻覚?だが、序文の冒頭から以下のような刺激的な内容から
始まっている。 ーまずは、その部分からー
【ユソグは六八歳のとき、日課の散歩中凍った道路で滑って、くるぶしを折った。
その二、三日、はげしい心臓発作に襲われた。彼は病院で酸素とカンフル注射で
生き続けた。ユソグに付き添っていた護婦は後に、「私は、死にかけている人が
一種の白熱光で取り囲まれているのを見たことがありますが、あなたもそういう
光で取り囲まれていましたよ」と彼に語った。この状態でユングは、生と死の間
をさまよった人々によってしばしば述べられてきた幻影を経験したらしい。
その第一は、約千マイルの上空から見られ、青い光に浸された海と陸地のある
地球の幻影だった。彼は、赤味を帯びた黄色のアラビアの砂漠や雪でおおわれた
ヒマラヤ山脈を見分けることができた。つぎにそのそばに、彼は阻石のような
巨大な石の塊を見た。 しかしそれは、彼がインドで見たことがある、ある寺院
のようにくり抜かれていた。その入口の近くに、一人のヒソズー教徒が結珈趺坐
の姿勢で坐っていた。ユソグはこう言っている。 近づくにつれて、「私は、
あらゆるものがはがされて行くかのような感じがした。 私が目指したか、
欲したか、あるいは考えたあらゆるものや、走馬灯の様な地上の全ての光景が、
消え去るか、私からはぎとられていった。それは、この上ない苦痛の過程だった」。
そして彼が、そのヒンズ教徒によって、灯心が一杯ともっている寺院内部に案内
されたとき、「私の真の仲間であるすぺての人々」にまさに会おうとしている様
だという確信と、自分の生命の意義と自分が、この世に送られて来た理由が突然
わかったのだという確信をもった。そのとき、ヨーロッパの方角からなにかが
彼のほうへ浮き上がって来た。彼は、それが自分の治療をしていた医者だという
ことがわかった。しかしこの医者は古代のコスー医療の神、エスクラピウスの
寺院のあるところーの支配者に変わってしまっていた。その医者はユングに、
「あなたは死ぬことが許されないでしょう。少なくとも三〇人の女性があなたが
この地球を去るという計画に抗議をしています」と説明した。ユングは、
その幻影があせるにつれて、深い絶望感を感じた。自分はしぼらくの間死んで
いて、それから生によびもどされると確信していた多くの人々のように、
ユングはもどらざるをえないことに憤慨した。その医者が古代の王の形をして
ユングのまえにあらわれたので、彼は、この医者は死のうとしている 
ー実際その医者の死が、彼自身の死の代わりになるのだろうーと信じた。
一九四四年四月四日、ユングがベッドの上に坐ることを許された最初の日、
その医者は熱のために病床につき、その直後敗血症で死んだ。 ユングが、彼の
最後の患者だった。 それは幻影の時期であった。「毎晩私は、もっとも純粋な
至福な状態のなかに浮いて驚いた」。朝が近づくと、彼は「今灰色の朝が再び
やって来ると、今灰色の世界がその贈り物の箱をもってやって来る」と感じた
ものである。そして彼が肉体的により丈夫になるにつれて、幻影は止んだ。
ユングは幻影を、ある形の夢か幻覚とみなさず、根本的な現実に対する洞察と
みなした。「それは想像の産物ではなかった。幻影と体験はまったく現実的な
ものであった。それらについて主観的なものはなにもなかった。
それらはすべて、絶対的な客観視をもっていた」。 】
▼ これは、まさかと思えるほど衝撃的だった。ということは、私には父親が
 亡くなって10年ぐらい、妙な霊感が身に備わった。しかし、その直後に
結婚し、様々な事業体験で極限の経験をしてきた中で、その新たな感覚が増強
されていった。この感覚は他人に言っても信じてくれないことは
(自分が経験してない時を考えれば)分かりすぎるほど分かっていた。
その中で、この文章である!

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3394, おテレビ様と日本人 ー1
2010年07月11日(日)

 この本はテレビの与える弊害を書きつらねている。それも「7人の家族」「鳩子の家」
テレビ・映画の脚本家として活躍した人だから説得力がある。 テレビ局からの一方的な
押し付けで思考力を奪ってしまう弊害は大きい。
 4万年前の洞窟の絵文字から、人間は考え、それを他人に伝えてきた。その中から、
他者の持つ複雑な考えの意味を理解しようと勤め、自分の考えを進化してきたのである。
そして人間は、「考える動物」として、他の動物と違って、飛躍的に文化・文明を蓄積してきた。 
それが、テレビ様の御かげで、根本から破壊された。 人間が創りあげたテレビという機械に、
人間は勝ち目のない戦いをし、それに隷属されている。人生は短いのに、日本人の総白痴化が、
ここで顕著になっている。 経済、政治について語る日本人の内容の浅いのも「おテレビ」の
お蔭という。 「911・考えない・日本人」と合わせ、納得させられう点が多い。
 ーまずは、要約部分からー
≪ テレビのない時代、人間が余暇を過ごした方法の一つは読書だったから、テレビと本を
比較すれば言いたいことがわかるだろう。知的な刺激を求め、人間が本と親しんだその時間の
大部分は、今テレビに奪われている。 本には良書と悪書の区別があった。
だが今、テレビに「良番組」「悪番組」などの識別をすることはない。あまりにも一過性で、
人に判断の余裕を与えないからだ。この番組はコマーシャルをはさんで、すぐ次の番組に移る。 
焼け野原の都市に、本屋の数は少なかった。古本屋はアリババの洞窟のような魅力があった。
実際本の起源は洞窟から始まっているのだ。約四万年も前に、柔らかい岩や粘土に刻み込まれた
絵文字によって。人間は自分の考えを他者に伝えたい本能を持つようだ。また同時に人間は、
他者の持つ複雑な考えの意味を理解しようと努力を始め、自分の考えと同化させる努力を始めた。
同意・同感するたびに、あるいは異論を抱くたびに、人間は人間らしくなっていった。
その結果、何万年もかけて地球上でたった一種類の珍種哺乳「考える動物」が誕生したのだ。 
この珍種が、絶滅一歩手前にきている。本を失い、その代替としてテレビを与えられ、考えるカ
を失ったために。もうすぐ人間の最大の敵は、再び歴史以前、石器時代と同じように、他の動物、
野獣たちに戻る日が来るだろう。考えるカがついてからの長い期間、人間の最大の敵は、無論、
人間だった。それはお互いに自分の損得を優先して考えるようになったからだ。それは単に金銭、
物質の損得への考えだけではなかった。何よりも人間は、人間らしい人生を送ることへの損得を
考えた。 短く貴重な一生を、どうすればより実りの多い時間で満すことができるかの損得を考えた。
そのために競い合い、時にそれが暴力的な考えを誘発し、殺し合いもしてきた。考えることので
きない他の動物の存在は敵ではなく、単に危険な存在、もしくは食料の対象でしかなかった。 
だが本を読まなくなり、考える努力をしなくなった人間、考えないでテレビからの情報を鵜呑みに
するだけで満足する人間が増えた今、基本的に他の動物と同じ状態に戻ってしまっているのだ。≫
 ー地方のためか、本を読んでいる人が少ないようの思える。 その結果として考えてないのである。 
だから、考えている人が分からないのである。その元凶が「おテレビ様」というと、私に当てはまる。 
それでも考えてきたつもりだが最近になって、「深く考えてなかったのでは?」「テレビにドップリ
漬かりすぎ?」と反省をしている。 しかし野球、映画・ドラマ、世界の自然のドキュメント、
歌謡ショーも面白い。 それを熱中してみている家内の顔を見ると一種痴呆症的に見えることが
あるが、自分もそうだろう。テレビ視聴時間の制限も必要か、それとも今更か。
 ・・・・・・・・・
3019.旅する力ー深夜特急ノートー3
2009年07月11日(土)
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
 ー第二章 旅の始まりー
* 果たして陸路でロンドンまで行けるのだろうか? 不安を抱えたまま躊躇していた私の背中を
押してくれたのは、1973年暮れに出た雑誌に載ったある文章の一節だった…。それは井上靖
書いた「アレキサンダーの道」という紀行文の連載第一回の文章であった。掲載誌は「文藝春秋」
の1974年の一月号である。  その冒頭で井上靖は、こう書いていた。
 《昭和48年の5月~6月にかけて、アフガン、イラン、トルコの主として古代遺跡だけを漁って、
自動車で巡った。約一万キロくるまに揺られた荒い旅であったが、私にとってはすべてが
初めての経験だったので、面白かった。一行は、考古学の江上波夫、画家の平山郁夫両氏の他に、
島弘三、・・・などが同行された。これを読んだ時に「アフガン、イラン、トルコ」というのは、
まさに私が行こうとしているルートそのもの。・・・》
解)書物を通して、経験者が声が多くの人を動かす。経験の持つ力は、後進の人の力を喚起させる。
  だから一生を通して読書はしなければならないのである。
* 出発に際して、持ち物の「一覧表」を作った。しかし、参考になる例を知らなかったので一人で
考えるしかない。旅先で新たに買うことも出来るものもあったが、旅先では買うのは極力抑えたい・・
 私はリストを作り変えることにしたが、それは無限の引き算をするようなものだった。
  これらをバックにつめ、それを背中に背負い、ショルダーバックを肩にかける。その中味は
以下の通りであった。
  ・パスポート ・証明写真 ・トラベラーズ チェック ・現金 ・航空券 ・カメラ
  持っていく本は、最後に三冊に絞った。『星座図鑑』『西南アジアの歴史』、中国詩人選集の
『李賀』である。
解)旅行先では、意外と本を読む余裕はない。 その先々で、じっくりとする余裕があれば、
その読書は特別な意味を持つはずだ。 経験主義と合理主義の二つの効果が十二分に発揮する。
 金沢の地で大本教の出口王二三郎の本を貪り読んだが、あれは私にとって鳥瞰の視点の一つを
 得た機会になった。 人生は、何がなくとも、その時々の本である。
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2654, 結論で読む人生論
2008年07月11日(金)
 「結論で読む人生論 ?トルストイから江原啓之まで」勢古 浩爾 (著)
                              ー読書日記
 古今の人生論を批評しながら著者の人生論を展開する本。
 著者の「わたしを認めよ」「まれに見るバカ」「この俗物が」を読んだが、非常に軽妙で、
 自虐的な文章が私の性に合って面白かった。この人生論も、勢古の人生論批判で「結局何なんだよ?」
 という彼の主観が面白い。まずは、アマゾンの内容紹介文と、まえがきの一部を紹介して、次からは、
 それぞれの章の面白そうなところを抜粋しながら、考えてみる。
 人生論は、哲学と同じく読まなくてはならない。それが自分の人生の司令塔になるからである。
 ーまずは、この本の概要からー
  ー内容紹介ー
 (字数の関係でカット09年07月11日)
 後記) 勢古の本を数年、読んでなかった。その間に多くの本を出していた。
何処にもいる普通の才能の人が、自虐的に書いているから、親しみを覚えるのである。
特に古今東西の人生論を、彼の目線で書いているから,同調するのである。
人生論は人生という旅の歩き方に似ている。地図としてみれば、位置や方角がわかるし、
訪れたい場所と他の場所との位置関係もわかる。人生論を考えない者は、地図無しで異国にいる
ようである。自分が道に迷って、混乱している者にとって、どの角も道も同じように見える。
しかし実は違うことを人生論の中で示唆してくれる。 人生論を読み、哲学書を読んで考えない限り、
到着した場所はただ行き着いた場所でしかない。 それはそれで良いのだろうが、
その人のレベルでしかない場所だけである。 実際のところ、書いている自分が一番、身につまされる。
若い時に、より多くの地図を見て、計画を緻密にたて、多くの場所を見ておけば良かったのに!と、
この歳になって気づかされる。  携帯電話が、若い人に、こういうジックリ考える機会を奪っている。
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2007年07月11日(水)
2290, 「豊かさ」とは何か?、そして図れるのか
                         (。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆
豊かさとは、決して経済的な豊かさだけではないが、しかし「経済的豊かさがあってこそ」という
のも決して否定できない。真の「豊かさ」とは何か?は、考えれば考えるほど難しい問題である。
そこで「豊かさとは」と検索したら、去年の11月の「豊かさ指数」というネット新聞記事がでてきた。
ーまずは、その記事のポイントを要約してみるとー
「豊かさ指数」というのがある。 この指数とは、国連開発計画(UNDP)が1990年より世界
177ヶ国・地域を対象に毎年発表している「人間開発指数」のことをいう。「人間開発報告書」
では国民の生活の豊かさは経済的な指数だけでは表せないとして、健康、教育、所得(具体的には
平均寿命、就学率、国内総生産など)などをもとに、人間の豊かさを国別にランクしたもの。
ー2006年の報告では、
1位・・・ノルウェー(6年連続) 2位・・・アイスランド 3位・・・オーストラリア
4位・・・アイルランド      5位・・・スウェーデン 6位・・・カナダ
7位・・・日本  8位・・・アメリカ 9位・・・スイス  10位・・・オランダ
ーこのほかでは
韓国・26位、ロシア・ 65位、ブラジル・69位、
中国・81位、インド・126位、最下位ニジェール(前年同じ)
ー2006年11月ー
 国連開発計画(UNDP)は9日、06年版の「人間開発報告書」を発表。
経済力に教育や健康を総合して「人間の豊かさ」を示す人間開発指数で、日本は177カ国・
地域中7位だった。05年は11位で、初めてベスト10から転落したが、今年は景気の回復も
反映して再浮上した。
 人間開発指数は、1人当たり国内総生産(GDP)のほか、識字率や平均寿命などをもとに算出。
1位はノルウェーで01年から6年連続。次いでアイスランド、オーストラリア、アイルランド
スウェーデン、カナダの順。日本が順位を上げたのは、大学院などの就学率や平均寿命、1人当たり
GDPがそれぞれ向上したためだ。ちなみに日本は1990年,91年,93年ではなんと1位。
バブル崩壊でその後10位以下に。(1999年は4位) 2000年?4年間は9位 2005年11位  
2006年日本経済の回復から7位になっています。   
 ー以上であるが、
他のHPに 豊かな社会の構成要素を、次のようにあげていた。
1. 不幸がない社会  2. 自殺数  3. 最弱者の生活が保障される社会  4. 格差がない社会
5. セイフティネットがある社会  6. 選択肢の豊富さ  7. 時間的余裕
 これをみると、日本は到底豊かには思えないが、世界と比較すれば、まったくかけ離れて
豊かということだろう。
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以上が検索から調べたことだが、日本が1990年から3年間、世界で一位とは?何を基準にしたのだ
ろうか疑問が残るが!、といって現在世界で7番目というのも、あながち外れているとは思えない?
この上げられている殆どの国には行っているが、順位は正しいようにも思える。
(観光旅行でわかるのか?というが、観えている部分の比較から垣間見ることはできる)
デンマークが入ってないのが、少し不思議だが。オランダとスイスは、なるほど豊かだが、
イギリス、フランス、イタリア、ドイツは、移民や南北地域の格差で民度が落ちている。
そこで「豊かさとは、どういうことか」と自問自答すれば、まずは三つの側面から考える。
   ・空間的な豊かさ、 ・時間的な豊かさ、 ・金銭・物理的な豊かさ、次は、・人的側面、 
・家庭的側面、 ・教養的側面、をあげることができる。時間的側面は、いかに自由な時間を持ち
えるか。空間的側面は、自分の置かれた空間がゆったりとしているか。
金銭・物理的側面は、自分の生活をエンジョイするに適当なストックとフローがあるか。
人的側面は、友人関係や職場で嫌な人より相性の合う人に恵まれているか。
家庭的側面では、両親や兄弟、連れ合いに恵まれていたか。教養面では、自分の心を自由、かつ
豊かに保つための知識を培ってあるか。またライフワークを培ってきたか。ー以上を自分の心でよし!
といえる人が豊かな人と定義する。これも、あくまで私の定義でしかないが・・・。
ところで私は豊かかな?? 豊かかどうかは捉えかた次第だが!
まあ、豊かということにしておこう!
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2006年07月11日(火)
1925, シャイン  
              ?映画観想日記
何げなくDVDレンタルショップで借りてきて観た『シャイン』という映画が素晴らしい。
今も活躍している天才ピアニスト、デビッド・ヘルフゴットの半生を描いた映画である。
そんなことも全く知らないで観ているうちに『シャイン』の世界に引き込まれてしまった。
この映画の成年期の主役の演技が素晴らしいと思ったら、何と彼は、この映画でアカデミー
主演男優賞をとっていたのだ。ジェフリー・ラッシュはこの映画の後、「レ・ミゼラブル
「恋に落ちたシェークスピア」「エリザベス」「テイラー・オブ・パナマ」などに出演していた。
「それでも人生は続いていく」という主人公の最後のセリフが、耳の奥に残っている。 
この映画の中で演奏された「ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番」が素晴らしい。
何度か聴いたことがあるが、これを演奏できるのは限られた天才のみ!である。クラシックの
良さが少しだが解るようになってきたのは、一年以上の間、クラシックを寝る間際に一時間、
聴き続けた結果だろうか。映画の主人公の父親の、息子に対してスパルタ教育と異常な歪んだ愛。
そして二人の葛藤の何とも激しく、矛盾に満ちていた。「愛情は自分のエゴでしかない」ことが
自覚できない父親の愛が哀しい。多くの印象的なシーン
(字数制限のためカット 2010年7月11日)
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2005年07月11日(月)
1560, トヨタ流 仕事の哲学    ー読書日記
                  若松 義人 (著)
著者は、この書で一番いいたかったことは「当たり前のことをトヨタほど徹底的にやり続けるは、
何と難しいか」である。「日々改善、日々実践」を50年以上も積み重ねこそ現在のトヨタがある
という。トヨタ流の基本は「人間はすごい」であり、「人間の智慧に限界はない」である。
トヨタの強さの源泉は、創業以来脈々と受け継がれてきた暗黙知にある。この書はトヨタ式の
物の見方、考え方、行動の仕方が解りやすく書いてある。トヨタといえば、「かんばん」や
「ジャスト・イン・タイム」など経営手法ばかりが注目されてきた。
この本はトヨタの精神性ー「哲学」が明らかにされていること。換言すれば、「トヨタそのもの」
がテーマになっている。そこから見ている限り、トヨタの哲学は見えてこない。 この書はトヨタ
のブラック・ボックスの部分を、トヨタ生産方式の生みの親である大野耐一氏の直弟子で、
トヨタ式の伝道師」とも言える著者が、自らのノートを紐解きながら語っている。
(以下、字数の関係でカットしました。 2008年7月11日)
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2004年07月11日(日)
 1195, 授かった不思議な力
ー鈴木秀子の本を何冊か読んだことがある。先日図書館で借りてきた対談集を読んで、その中の
臨死体験の話に興味を引かれた。何かこの世には私の窺い知れない何かがあるような気がする。
何回か書いたことがあるが、私の場合何回か幽体離脱?の経験がある。歳を重ねれば重ねるほど
「不思議」という言葉の奥行きの深さを感じるようになってきている。
私自身「自分の接した人の運勢が良くなる」話しは、かって聞いたことがない。
神憑りである、いや今風にいうと「上げまん」だろうが、これは結婚した場合である。
有能な右上がりの人は、周囲に似た現象が生じるだろうが、全ての人の運勢を良くはしない。
やはり、何かの特殊能力が臨死体験以降身についたのだ。人間には、本来持っているが退化して
隠れてしまった能力が多くなるような気がしてならない。あるキッカケでそれが飛び出して
くるのだ。 以下は、ある対談集を書き写しました。 まずは、ごらんあれ!
ーー
臨死体験後、不思議なことがありました。 結婚式に招かれて待機をしていたら、背広を着た
人が男性がいらして、「あなたのような人にようやくお会いできました」っておっしゃるんです。
自分は高野山の系統の住職で、生まれたときからひとを見ぬく特別の能力がある。
そして、あなたの授かったような能力を自分も欲しかったけれどもらえなかった。
どういう能力ですかと聞くと、大きな大宇宙の力が私を通って出会う人に伝わって、
どんどんその人の運勢が良くなる能力だというんです。私も最初はその能力をまじめには
信じませんでしたが、
           (字数の関係でカット 2008年7月11日)
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2003年07月11日(金)
828, アラスカ旅行記?3
デナリ国立公園ーb
 ーマッキンリー遊覧飛行ー
一度ホテルに帰ってきて、3時間ほど休んだ後にオプションのマッキンリーへの遊覧飛行に
参加をしてきた。230?と少し高いオプションで他のメンバーは誰も行かないが、ここまで
きて行かないてはない。「食事抜きのコース」を選択、朝夕食は部屋で近くのスーパーで
買ってきた果物や持っていった食料で食いつなぎ昼はスナックで済ました為に、その分の振り
替えと思い、迷わずに参加した。そして大正解であった。 ホテルまで迎えに来た車で小さな
飛行場まで行って、他の白人3人と供にオモチャのようなセスナに乗った。
20分ほどマッキンリー山脈の峰の間をフライトしてマッキンリー山まで行き、北米大陸最高峰
の6194?ある山頂を、下から螺旋状に30分もかけ5~6回も旋回をしたのだ。その雄姿だけ
でなく、山頂付近の広大な氷河の世界や、どこまでも広がるアラスカの大地が、この世のもの
とは思えない景観で、今回の旅行のハイライトであった。「植村直己もこの風景を見た後亡く
なったのだ!」という思いがフト頭をよぎった。ギアナ高地テーブルマウンテンの遊覧飛行
に匹敵する感動感動の連続。 マッキンリーの山頂に200??近くまで接近をして、数十の
山々を従えて神々しく聳え立つ姿を至近でみている時間は「至福の時間」であった。思わず
『ありがとう』という言葉を口ずさんでいた。この遊覧で、この旅行の価値が数倍になったと
いっても過言ではない。いつも旅行で経験するのが「あと一歩を踏み出すかどうか」。
本当に人生と同じである。ヨルダンのぺトラに行った時のこと、翌朝疲れきっている中、更に
ぺトラの奥にある遺跡まで行ってきた。家内はダウン、早朝に同じグループの元気の良い
オバサンと二人、3時間かけて修道院まで行ってきたが、その遺跡とそこからみた景観がまた
素晴らしいのだ。またぺトラの朝日に染まった朱色の輝きが言語に絶するものであった。
あと一歩踏み出したお陰であった。 何事も経験、帰ってきて同じ星野道夫の写真集を見ても、
全く違って見えてくる、もちろん文章もである。特にガイドの伊藤さんが星野道夫の親しい
友人で、多くの逸話を多く話してくれたこととアラスカの大地のこの目で見た為だ。  
また行蔵のお宝が一つ増えた!ような気分である。