[哲学 心]


          「ナミヤ雑貨店の奇蹟」 
               監督、「余命1ヶ月の花嫁」の廣木隆一
   * リボーン
 昨日のテーマ「老人の壁〜‘生まれ変わる快感’」を書いた当日に、呼び
込まれるように、この映画を観ることになった。時空を超えた魂の交流と再生
をテーマにしている。「老人の壁」で(養老が)〈自分が知らなかったところに
行き着けば、自分が変わり、世界が突然、変わってしまう。「それまでのわたし
は、そのことを知らなかった」という発見です。〉というが、まさに、知らない
ことの恐ろしさ、知ることの大切さを暗示している。  評価:90点
  〜HPの解説より〜
【 東野圭吾の同名ベストセラー小説を、「Hey! Say! JUMP」の山田涼介と、
 西田敏行の共演で実写映画化。過去と現在が繋がる不思議な雑貨店を舞台に、
現実に背を向けて生きてきた青年と悩み相談を請け負う雑貨店主の時空を超えた
交流を描く。2012年。養護施設出身の敦也は、幼なじみの翔太や幸平と悪事を
働いて1軒の廃屋に逃げ込む。そこは、かつて町の人々から悩み相談を受けていた
「ナミヤ雑貨店」だった。現在はもう廃業しているはずの店内で一夜を過ごすこと
に決める3人だったが、深夜、シャッターの郵便受けに何かが投げ込まれたことに
気づく。投げ込まれていたのは1980年に書かれた悩み相談の手紙で、敦也たちは
戸惑いながらも、当時の店主・浪矢雄治に代わって返事を書くことに。やがて、
この雑貨店と浪矢の意外な秘密が明らかになり……。 】
  〜ネット検索による‘あらすじ’
【  第一章 回答は牛乳箱に
 コソ泥をして逃亡中の敦也・翔太・幸平は突然盗んだ車が動かなくなり、仕方
なく以前翔太が見つけた廃屋「ナミヤ雑貨店」に逃込み夜が明けるのを待つことに。
三人が店を物色していると、突然シャッターにある郵便口に手紙が投げ込まれる。
手紙を開けるとそこには、月のウサギと名乗る者からの悩み相談が書かれていた。
店に残っていた雑誌によると、ナミヤ雑貨店はかつて店主が投函された相談に一生
懸命答えてくれる事で有名だった。敦也は放っておこうというが、翔太と幸平は
こんな機会でないと人の相談に乗れないと返事を書く事を決意する。
   第二章 夜更けにハーモニカを
ミュージシャンを目指す克郎は、慰問演奏で児童養護施設「丸光園」を訪れた。
子供達は演奏を楽しく聞いてくれていたが、その中に一人だけ克郎を見ようと
しない女の子が居た。克郎はその子を喜ばそうと様々な曲を演奏するが、全く
効果はなかった。音楽に興味がないんだと諦め演奏会の終わりに必ず演奏する自分
のオリジナル曲を演奏すると突然女の子は興味を示し、克郎に話しかけてきた。
   第三章 シビックで朝まで
 ―以下、カット  】

▼ たて続けに二人の義兄が亡くなったが、6人きょうだいの半数、3人の連れ
 合いになる。この年齢になると、70年のスパンの広がりの人生は、それぞれ
広く深い。人生の悩みに、正しい答えなどあろう筈はないが、それでも、助言は
当人にとって大きな助けになる。 少しネタばらしになるが、3人が悪事を働いた
女実業家が何と30年前の相談者。迷う当人に、「バブルと、バブル崩壊、IT化
の潮流を教え、その知識が成功に導く」という、何とも奇抜な設定。
 昨日のテーマ日記と映画の「クロス」は私に何を暗示しているのか? 
< 知ることで、自分の壁を乗越えて、世界を広げ続けるべし!
 世界は広く、深い!無知は罪である> 人は原罪を背負って生きている。

・・・・・・
5684,閑話小題 〜 第四人称について
2016年10月07日(金)
           <「20歳からの人生の考え方」外山滋比古著>
  * 第四人称とは何ぞや
 この本の目次で、「第四人称」という言葉があった。〜その意味とは〜
< 通りを歩いている人が、よその家のケンカをしているのを見たとする。
 実際には犬も喰わないケンカであったりするが、通行人には、わけもなく、
気が惹かれる。家のなかにいるのは、第一人称、第二人称、そこにいない
のが第三人称。通りすがりの人はその第三人称に入らないことに気づいて、
第四人称の範疇をつくった。第一から第三までの人称の世界で起こっている
ことは、局外の第四人称ではまったく別の受け取り方をされる。
当事者が面白くないことも、第四人称の人にとっては、面白く、見える。
その人にそなわっている感性である。p164 >
 〜アマゾンの評論に簡潔に以下の説明があった。
<著者が定義づける「第四人称」は、小説の作者ではなく、また作者の想定
した読者でもない、作者作品読者といったコンテクスト(文脈、状況、背景)
の外にいる”アウトサイダー”。要するに、作品世界の作者を第一人称、
それを読む読者の立場が第三人称、そして≪翻訳≫の立場にある者が第四人称
といったところ。
 傍観者の視点を第4人称と定義し、多種多様な状況に置いて第4人称の果たす
役割を考察している。傍観者であることの効果、傍観者がいることの効果という
切り口で様々な物事を読み解く視点が面白い。>
▼ 40,50歳代に、年2回の割合で、異秘境を中心にしたツアーに参加して
 きた。30,40,50回と、数を重ねるうちに、成田に向かう電車に乗ると、
「ああ、戻ってきた!」という気持ちになる。その先々での非日常の視点が、
旅行の度に、広がっていき、「第4人称」としての自分が確立したような。
それぞれの旅が数珠のように繋がり、別世界を拡大していく感覚になる。
そこは、日本での日常とは全く違った別世界。この良さは、普段、目を
瞑って、思い起こせば、何時でも入っていけること。
 オリンピック個人総合優勝を持つ内村航平選手が、インタビューで、
<自分の脳内に、『小さな自己』がいて、そこから競技の指示をする。>
と語っていたが、これは何人称? 
・・・・・・
5319,不平等を歴史に学ぶ 〜?
2015年10月07日(水)
      【『21世紀の資本』トマ・ピケティ を私はこう読んだ 特集】
     〜‘不平等を歴史に学ぶ’柴山桂太著(新潮45・2015年3月号)
 * アメリカの格差拡大と、そもそも「“資本”とは何か」
 「アメリカの千分の一世帯が、九割の世帯とほぼ同じ資産を持つ!」という。 
情報化によるグローバル化は、その格差を更に大きくする。TPPで、世界の
GDP40%の環太平洋の経済圏が出来ることになった。関税の垣根が低く
なることは、競争の激化は、アメリカ並みの格差の拡大を意味する。 
 恐ろしいが、この流れは止めようがない。 〜その辺りから
≪ アメリカは、先進国でも別格に富の集中が進んでいる。
 上位1%の所得が国民所得全体に占める割合(所謂“1%占有率”)は、
1986年には9%だったが、2012年には19%にまで増えている。小さい数字に
見えるかもしれないが、日本(2010年の段階で9.5%)やフランス(8%)
と比べるとこの数字は際立っている。資産格差のほうはもっと深刻だ。
エコノミスト』誌の記事によると、アメリカの上位0.1%に当たる16万世帯
の資産総額は、下位90%の1億5000万世帯の資産総額にほぼ匹敵するという。
21世紀の資本』は、所得や資産の上位層への集中を示すデータ
(“1%占有率”や“10%占有率”)を用いて、それがなぜ生じたのかを
歴史的・理論的に明らかにする本である。今までのところ、富の集中は
アメリカで顕著に表れているが、本書の議論に従うなら、これはアメリ
社会に固有の現象ではない。先進国なら今後どこでも生じるだろうと予測。
 今現在、日本ではアメリカほど極端な富の集中は起きていない。
“1%占有率”は1980年代(7%台)から現在(9.5%)までそれほど変わって
いない。だからこれまで日本の格差論争では、富裕層とそれ以外の不平等は
それほど重要視されていなかった。ところが、ピケティ氏らが整備した
『世界高所得データベース』を見ると、上位10%の占有率は日本でも上昇中で
あることがわかる。2010年には40%と、先進国でもアメリカ(48%)に次いで
大きい。因みに、日本の上位10%の平均所得は約900万円である。
日本ではアメリカのような大金持ちは少ないが、“小金持ち”の割合は
着実に増えている。“1%vs99%”の対立はまだ起きていないとしても、
“10%vs90%”の対立なら日本でも既に始まっているのだ。ピケティ氏は
複数のインタビューで、「日本も遠からず上位層への富の集中が激しくなる」
と警告している。では、なぜ富の集中が起きるのか。そこにはどんな
カニズムがあるのか。 『21世紀の資本』の内容を確認しておこう。
 格差や不平等の説明には、これまで様々な説が存在した。工業化の初期段階
で起きるとする説(クズネッツ仮説)はよく知られているが、それ以外にも
最近では、IT等の新技術の登場に適応した高技能労働者の賃金が上昇している
とする説(賃金プレミアム仮説)や、労働節約型の技術進歩が失業や低賃金を
生んでいるとする説(“機械との競争”仮説)、また金融の規制緩和等政治
と一部の利害団体の結託が不当な利益を生んでいるとする説(政治原因説)等、
様々である。だが、どの仮説も実証的な見地からの反論が多く、決定打に
欠けていた。他方、『21世紀の資本』でピケティ氏が提唱するのはもっと
シンプルな仮説だ。タイトルにもあるように、「“資本”が不平等の
歴史的な推移を説明する有力な変数となる」というものだからである。
「“資本”とは何か」というのは経済学における大問題だが、ピケティ氏は
これをあっさりと「人間以外の資産として所有できて、何らかの市場で取り
引きできるものの総和」と定義している。具体的には、工場等の物的設備・
不動産や住宅・株や債券等の金融資産がそれに当たる。日常的に用いられて
いる用語では、資産とほぼ同じ意味と考えて良い。資産を持つ者が持たない者
に比べて多くの収入を得るのは自明だ。労働による所得に加えて、利子や
配当等資産から発生する収益も得られるからである。・・・ ≫
▼“10%vs90%”の対立は、既に起こっているのは実感する。それが、端的に
 現れ出るのが、現役勝組と、資産を持たないリタイア負組の格差である。
その勝組も、準備不全だと、直ぐに下流老人の仲間入りになる。 水面下で
世界恐慌に入った現在、株価の大暴落を切欠に、我々を直撃する。
他人事ではない。現に私はリーマンショックで、事業清算をしている。
・・・・・・
2050年の世界 ー16  
2014年10月07日(火)
    「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                   〜英『エコノミスト』編集部 (著)
    第九章 おぼつかない自由の足取り ーのまとめ
・民主主義は、先進国と自由主義国で後退し、後進国と独裁国で前進する。
・中国は、一党独裁国家ならではの脆弱性に直面しなければならないだろう。
 インドは、複数政党制ならではの欠点と挫折に苦しめられるだろう。
一党独裁の政治体制のもとでは、民主主義という言葉は、人々がウェブ
 などを使って反政府活動をする共通のキャッチフレーズになりうる。
・逆にある程度の民主主義が保証されている国では、複数政党制のなか、
 ロビイストの暗躍や、圧力団体と官僚、政治家との癒着腐敗、政府の巧妙な
 マスコミ操作など、民主主義ゆえの欠点が見えやすくなっている。
・前者を中国、後者をインドに当てはめればわかりやすい。中国では民主主義が
 前進し、逆にインドは、複数政党制ゆえの混乱で民主主義は苦しむことになる。
・民主主義のアキレス腱は二つある。ひとつば金で、ひとつは選挙に対ずる
 さまざまな形のバイアスのかかり方である。
・第一のアキレス腱は、企業や企業の圧力団体が、政治家に献金をし、
 規制当局に圧力をかけるということだ。
・第二のアキレス腱は、民意がマスコミ、等を通じて操作されやすいこと。
 ウェーブの力はそうは言っても限定的で、マスコミはさまざまな形で
 情報操作を受けている。
・こうした民主主義の脆弱性を補う一手段として、法の支配の貫徹がある。
・さらに他人のことを思いやる「公共心」が、この民主主義の欠陥を補う。
・しかし、二〇五〇年までに、すべてを効率と個人の利益に換算して考える
 「経済第一主義」とこの「公共心」が大きな対立事項となり、民主主義を
 揺るがしていくことになる。
▼ 民主主義が果たしてネット社会でベストの政治体制だろうか?という疑問
 が出てくる。ある意味で、法による絶対的な支配も必要になる。特に、この
変動期において考えなければならない問題。世界は、ある一握りの権力者で
支配されているという。実際のところ、そうだろう。自由、平等、博愛が、
民主主義の前提にある。しかしグローバル化には、その前提を受け入れない
世界が無数に存在している。それらが距離の壁が取り払われ、一緒になれば、
そこに争いが出てくるのは当然のこと。自由にも色いろある。しかし、
そこには自ずから、制限があるが、その制限が違うから問題が多く派生する。
それが世界を混乱に陥れることになる。
・・・・・・
4212, 閑話小題 ー旅行仲間の便り
2012年10月07日(日)
   * 旅行仲間から便り
 先日、7年前に北イタリアのツアーで一緒した神戸の夫妻からアイスランド
のビデオ(DVD)が送られてきた。ご主人は元NHKのカメラマン。リタイア後に、
ご夫婦で世界各国を旅行している。当時、私たちがアイスランドに行った
直後で、「そこを勧められたことを思い出して送ることにした」と、手紙に
添えてあった。その直後に手紙で、イングランド南部のツアーに誘われたが、
既にギリシャに決めていたこともあり、次の機会にと、お断りをさせて
もらったいきさつがあった。それもあり、その次の旅行先にイギリス一周
コースを選んだが、ウェールズなど片田舎は何ともいえない歴史の深さの趣き
があり、「あのツアーも良かったはず」と思ったもの。 ビデオは、ご主人が
元プロでカメラ視線が決まっており、奥さんがナレーターをした本格的な内容で。
羨ましい趣味である。ご夫婦は旅行先は欧州が中心だったようだ。
ツアーのキャリア組みには、価値共有の仲間意識が出来ている。自慢するで
なく、互いの行ったところを披瀝し、情報交換の楽しみが共有できる。
イスラエルパタゴニアも、新羅ウィグル地区からカラコルム・ハイウェーを
抜けアフガン国境のツアーなど、現に行ってきた人の「生の話」を聞いたから
こそ行けたもの。財産として、金か、土地として残すか、「こと=行蔵」として
残すか、その人の考え方による。私は、感動、感激を求める「こと」の方を
選択してきたが、それで良かったと思っている。秘境ツアーなど贅沢の極みだが、
本気になり探すと信じられないほど格安で、内容のあるツアーは幾らでもある。
また、それを探すのが面白く楽しい。現在、隔日ごとに、行った先の世界の旅
番組を見ているが、それぞれの旅行の延長を、そのまましている気持ちになれる。
ツアーとしても、それぞれの旅は、帰ってきてからも続いている。
先も短いこともあり、来年から年一度の旅行を再開したいが、
世相が悪くなる中、いざとなると迷いが出るだろうが?
 ・・・・・
3847, 創造的破壊
2011年10月07日(金)
「創造と破壊」について考えてみる。何か新しいものが創造される時に、
古いものの破壊が、そこにある。新しく創造されたものも、時間と共に古くなり
破壊される運命にある。破壊をマイナスだけで捉えるのではなく、創造のベース
として捉えることが創造的破壊である。 人生での挫折は、新しい自己へ生まれ
かわるための破壊になる。但し、それを糧に生まれ変わった場合だが。 
社会的な立場だけでなく、内面も重ねての人生の再生である。破滅の際だから
こそ変われる。順調に来た人ほど後半になっての挫折は、心に大きい重石となる。
しかし挫折は人生の節目をつくる機会でもある。竹の節は、これがあるから
大風の時に折れない機能として全体のシナヤカさのバネになる。
予定挫折のいう言葉もあるとおり、人生で無くてはならない節目は必要のこと。 
半年前の挫折?で、比較的平然でいられるのは、人生の前半に、多くの節目が
あったためである。 節目時は耐えるしかない。 しかし挫折経験こそ人生を
充実させてくれる。 どちらにしても人生に挫折の2や3つはつきもの。  
創造というと、まず「創造的破壊」が浮かんでくる。 ネットで調べると、
【 創造的破壊とは、オーストリアの経済学者シュンペーターによって
 唱えられた考え方で、非効率な古いものは効率的な新しいものによって駆逐
されていくことで経済発展するという考え方であり、その新陳代謝のプロセスを
そう呼んだ。不況は創造的破壊に必要であり、政府による介入はこれを妨げる
ものとして否定した。 現在ではこれを読み替えて、 企業活動の中で古いもの
を打破し全く新しいものを生み出す行動、という意味合いで使われることが多い。
 ドラッカーは、これに近い意味として体系的廃棄という言葉で述べているが、
組織でも何でも発展にはイノベーションが不可欠。「脱皮できない蛇 は死ぬ」
も、脱皮しおえた蛇はまたその外皮が支えられる体型までは急速に成長するが、
そこまでいくと、退化が始ってくるという意味。 創造と破壊は、対をなして
いるといってよい。・・・ 】
▼ デジタル化、ネット化は、この創造的破壊を加速する。
 情報化とグローバル化は、NO1以外のものを即座に駆逐するため、
創造利益を得るのが一部に限られる。しかし効率性からみて、最良のものが
生き残るシステムも決して否定できない。現在の世界の政治、経済の大混乱も、
ネット世界が現実世界とは別に出来、上位にたってしまった結果生じている
創造的破壊。この中で生き抜くことは至難の技。 全ての技がデジタル化し、
合理化を促すからだ。「面白こわい時代」である。 今回の私の挫折を
創造的破壊とすると、如何いうことか?考えるほど、人生の際(きわ)
が見えてくる!次の段階に踏み込め!ということ?

・・・・・・
3482, ライフログのすすめ −2
2010年10月07日(木)
  『ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! 』
                ゴードン ベル , ジム ゲメル (著)
 この本を読んでいると、SFの世界に足を踏み込んでしまった気持ちになる。
デジタル機器の進歩と、値段の劇的な安さの実現と、その記録も無限大に可能
になり、その分析も可能になってきた背景がある。モバイル携帯など、それらを
可能にする端末を身につけて、超小型のデジカメ、ビデオ、ナビなどで収集し
ネットに記録保存をすればよい。それらは眼鏡や帽子のツバなどに埋め込んで、
モバイル携帯などで自動的に転送されて記録されていく。これに近いのが
モバイル携帯である。 万歩計、GPSがつき、デジカメも、デジビデオも、
ついている。それが記録されるサイトに自動送信すればよい。モバイル携帯の
一回り大きい更に多機能のタブレット式パソコンが爆発的に普及を始めたが、
これに身体に付けたライフログの情報端末が連動すれば、より多くの種類の
記録が可能になる。 何処に出かけたとか、その道筋とか、誰と会ったとか、
何をしたとか、誰と電話をしたとか、血圧はどの位だったとか、何を鑑賞し、
どんな写真を撮ったとか、自動的に記録保存して、牽引をつけ整理し、
パターンごとに振り分ける。電子メール、デジカメ公開サイト、ソーシャル
ネットワーキングサイト、写真や動画の管理サイトなど、ライフログ技術が
利用されている一方、多くの部分がつながりに欠け、バラバラだ。 共通の
ツールセットで統合されてないし、共通のインターフェイスでまとめられてない。
 私のHPと著者のライフログの決定的な違いがある。 私はライフブロガーで、
著者は公開を否定している。公開は妨害とかのマイナスが多くなるという。
自分の全てを電子記憶にし、自分の存在を発見し、記録として残すことを目指す。
公開は自ずから正直なことが書けないうえ、制限がでてきてしまう。 
ライフブログの多くは露悪趣味になりがちである。
 ここで仲間のビル・ゲイツの著書の言葉を引用している。「僕たちはいつか、
自分の目にしたものや耳にしたものすべてを記録できるようになる」と。
その何時かは必ず訪れる。何故なら、電子記憶がことごとく実用化されているから。
その何時かは、誰かが生きている間に訪れる。それが著者自身じゃないという
理由はないという考えに夢中になったのである。
 私が、ライフブログを続けてきたのは、10年前に書斎HPを推奨した
久恒啓一の著書の「ブログ=墓場」という言葉である。この本を読んで自分の
Web上の書斎を持ちたいと強く思ったからである。しかし書斎というより
「居間」、兼「応接室」、兼「書斎」になってしまった。 したがって、
私と著者のそれは、根本が違うのである。著者は「人生の「すべて」をデジタル
に記録する! 」であり、私のWEB書斎とは違うのである。 前回に書いた
「ライフブログを続けていたことになる」は、正確にいうと、間違い。
著者は人生の完全記録であるが、私のHPは主観的な毎日の「随想」であり、
思い付きの記録。しかし可能な限り写真や、毎日の読書や日常をデジタル化して
ファイルしていることは、同じである。「ライフログブログ」いや、
ライフログ」のシステム化されたものが、あるはず。これを読んでいて
デジカメの記録をHPに、より多く載せる気になってきた。 
二度とない人生の記録か!

     

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 
  今日のYoutube

 昨日のシネマは、「ナミヤ雑貨店の奇跡」を観てきた。評価は90点。
前評判が良かったようで… … 30数年前の、個々の悩みが様ざまある。
1969年といえば、丁度、社会に飛び出していった頃。神戸の垂水で。
月面着陸のニュースを見ていた。最近、想い出すのは、20歳代のこと。
刺激的で、危なく、面白い日々が続いていた。社会が右上がりで、夢が
あり、豊かな空気が満ちていた。

 偶然だが、上の写真が、当時の私の心象風景そのものといっていい!
 




・・・・・・
・・・・・・
 
3482, ライフログのすすめ -2
2010年10月07日(木)
  『ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! 』
                ゴードン ベル , ジム ゲメル (著)
 この本を読んでいると、SFの世界に足を踏み込んでしまった気持ちになる。
デジタル機器の進歩と、値段の劇的な安さの実現と、その記録も無限大に可能
になり、その分析も可能になってきた背景がある。モバイル携帯など、それらを
可能にする端末を身につけて、超小型のデジカメ、ビデオ、ナビなどで収集し
ネットに記録保存をすればよい。それらは眼鏡や帽子のツバなどに埋め込んで、
モバイル携帯などで自動的に転送されて記録されていく。これに近いのが
モバイル携帯である。 万歩計、GPSがつき、デジカメも、デジビデオも、
ついている。それが記録されるサイトに自動送信すればよい。モバイル携帯の
一回り大きい更に多機能のタブレット式パソコンが爆発的に普及を始めたが、
これに身体に付けたライフログの情報端末が連動すれば、より多くの種類の
記録が可能になる。 何処に出かけたとか、その道筋とか、誰と会ったとか、
何をしたとか、誰と電話をしたとか、血圧はどの位だったとか、何を鑑賞し、
どんな写真を撮ったとか、自動的に記録保存して、牽引をつけ整理し、
パターンごとに振り分ける。電子メール、デジカメ公開サイト、ソーシャル
ネットワーキングサイト、写真や動画の管理サイトなど、ライフログ技術が
利用されている一方、多くの部分がつながりに欠け、バラバラだ。 共通の
ツールセットで統合されてないし、共通のインターフェイスでまとめられてない。
 私のHPと著者のライフログの決定的な違いがある。 私はライフブロガーで、
著者は公開を否定している。公開は妨害とかのマイナスが多くなるという。
自分の全てを電子記憶にし、自分の存在を発見し、記録として残すことを目指す。
公開は自ずから正直なことが書けないうえ、制限がでてきてしまう。 
ライフブログの多くは露悪趣味になりがちである。
 ここで仲間のビル・ゲイツの著書の言葉を引用している。「僕たちはいつか、
自分の目にしたものや耳にしたものすべてを記録できるようになる」と。
その何時かは必ず訪れる。何故なら、電子記憶がことごとく実用化されているから。
その何時かは、誰かが生きている間に訪れる。それが著者自身じゃないという
理由はないという考えに夢中になったのである。
 私が、ライフブログを続けてきたのは、10年前に書斎HPを推奨した
久恒啓一の著書の「ブログ=墓場」という言葉である。この本を読んで自分の
Web上の書斎を持ちたいと強く思ったからである。しかし書斎というより
「居間」、兼「応接室」、兼「書斎」になってしまった。 したがって、
私と著者のそれは、根本が違うのである。著者は「人生の「すべて」をデジタル
に記録する! 」であり、私のWEB書斎とは違うのである。 前回に書いた
「ライフブログを続けていたことになる」は、正確にいうと、間違い。
著者は人生の完全記録であるが、私のHPは主観的な毎日の「随想」であり、
思い付きの記録。しかし可能な限り写真や、毎日の読書や日常をデジタル化して
ファイルしていることは、同じである。「ライフログブログ」いや、
ライフログ」のシステム化されたものが、あるはず。これを読んでいて
デジカメの記録をHPに、より多く載せる気になってきた。 
二度とない人生の記録か!


・・・・・・

3107,つれづれにー閑話小題
2009年10月07日(水)

 * 中川昭一の死について
 実際のところは藪の中になるだろうが、状況からみたら誰からみても自死
父親の死も当初は色いろな説が乱れ飛んだが、自死に落ちついたのは数年経ってから。
あの酩酊?会見で自民党も大きいダメージになったことは否めない。1年前には鳥をも落とす勢いだったが。
そして落選、政治の世界は一寸先は闇とは、よく言ったものである。 鈴木宗男も政治的に致命傷を負った。
直接、間接的にしても中川親子の死に大きく影響を与えたことになり、敵に包囲されてしまった。
中川が政治的な挫折をもたらしたのは身から出た錆。 あれこれみて政治家だけはなりたくはない。
  ~~
* オリンピックの東京の落選
 石原都知事も政治的には大ダメージになってしまった。 権力を持つと人間は変わるものである。 
時間の経過とともに慇懃になっていくが気になっていた。 やはり二期で辞めるべきだった。 
立候補をした時に、もし東京が落選をしたら都知事として責任をとるといっていたようだが、
ここに及んで辞めないと言葉を翻したが、普段言っていることと違うじゃないかい、と言いたくなる。
それにしても、招致のお祭り騒ぎはいい加減にすべき。日本一国が150億円の予算のかかるシステムは
根本から変えるべきである。 しかしブラジルの決定は正しい。世界の良識が働いたようだ。
昨年の中国は問題があったとしても順番からいって正当だったし、次の英国も順番としてよい。
今度の決定も、一度も開催されたことのない南米の開催は一番真っ当。そうこうみると次々回はインドか、
エジプトあたりにか。いや先進国と新興国との交互と考えると、1900年来行われてないパリ。
  ~~
* 新潟国体も終わり、恐慌景色が再びか~!
 7月半ばの新潟競馬から始った恒例の夏景気と、秋の五連休、そしてミニ神風の新潟国体も終わって、
来週から再び大不況の冷たい風に曝される。(週末は身障者の大会がある)
予約状況からみると5月の連休明けの異常な事態。一応は来年の二月決算の目途は立ったが、
それでも日本全体の景気が上向かないと、どうもこうもしようがない。
やはり中小・零細企業の三年間返済ストップは必要のようだ。そうもしないと、パニックは必定である。
 
・・・・・・・・・
2742, サブプライムの本質とは?
2008年10月07日(火)
 
「資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす 」ー 竹森 俊平 (著)

サブプライム・ローンの分析については、分かりやすい文章である。 喩えで言えば、債務不履行
いう債権入りの毒饅頭アメリカの格付け機関の保障付きで世界中にばら撒いてしまったのである。
そのため他の健全な住宅ローン債権まで売買ができなくなったのだから、問題は大きい。
その上に、アメリカのドルや債権まで不信感を持たれるようになったのである。アメリカの一極
支配のドル体制が崩壊をしたのである。 それだけ、この激震は大きいことを何度も書いてきた。
 ーまずは、その部分から
P-27  サブプライムについては、日経新聞だと「信用力の低い個人向け住宅融資」という注釈が
必ず付くことになっている (筆者も日経の紙面に書いた時に経験したので間違いない。)筆者は
ひそかにこの注釈がなくなるXデイを楽しみにしている。これだけ毎日、新聞に顔を出す単語なのに、
いつまで注釈が必要なのか。ともかく、このローンは審査基準が非常に甘い住宅ローン。
普通のプライムローンは、連邦政府による与信審査のガイドラインがあり、金融機関は厳格な与信
審査をしなければならないのに、サププライムは、このガイドラインに従わないからである。 
だから、「特殊」な住宅ローンというわけだ。サブブライムが連邦政府ガイドラインに従わないのは、
それを供紹する金融機関、すなわち住宅ローン業昔が、連邦政府の監督下に置かれていない場合が多い
からである。 実際、住宅ローン業者全体の半分だけが連邦政府の監督下にあり、残りの半分はよリ
ルーズだといわれる州政府の監督を受けている。さて、日経のサブプライムについての注釈は
「信用力の低い個人向け」ということだが、何もサブプライムの供給者が、「うちは信用力の低い
個人を相手にしている」と宣伝しているわけでない。プライムローンを申請しても、承認される見込み
のない「信用力の低い個人」が、そのローンを借りに行くのである。 サブブヲイムローンの審査は
本当にいいかげんらしい。 「所得なし」「審査なし」「資産なし」でも審査に通る。住宅ローンの場合、
住宅が抵当に取られているから、最低限の安全性は確保されているという判断があるのかもしれないが、
それにしてもなぜ、こんなに危険な住宅ローンが罷り通るのだろうか。理由はおそらく政治である。
クリントン政権ブッシュ政権と続く歴代のアメリカの政治は、普通のローンの審査には通らない
低所得者が、特殊なルートであっても持ち家を持てるようにすることが政治的に有利と判断した。
それに加えて、クリントン政権とか、ブッシュ政権の「オーナーシップ・ソサエティー」の哲学とかも、
「サブブライム」の存在を正当化する根拠になっている。
 2004年末において、アメリカにおける住宅ローンの60%は証券化されていた。 当時EU証券化
15%でしかなかった。「住宅ローン抵当証券」は、最初は普通の住宅ローンについて開発されたが、
90年代半ばから政治的空気に押されてサブプライム・ローンの証券化が開発された。普通のローンも
サブプライムも、証券化をする原理はかわりないからだ。それが諸悪の根源になったのである。 
サブプライムの歴史がなかったことと、住宅が右上がりに上がりだしたこともあり、サブプライム
危険性が見落された。さらにサブプライムの市場では連邦政府の規制や、監督が不十分なため、
モラル・ハザードが起こりやすくなった。更に、このサブプライムの毒性を隠す現代錬金術として、
投資適格性を審査するムーディーズやS&Pなどの主要格付け機関は、それにトリプルAという最上
の格付けを与えてしまった。格付け機関が有毒廃棄物にお墨付きを与えてしまった。
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世界の景気を主導してきたのは、アメリカの住宅バブルと言ってよい。住宅産業は、産業のあらゆる
要素が含まれている。国内景気を維持するためにドルを刷って、アメリカ国内の「信用の少ない人たち」
に、ほぼ無審査で貸し出していたのである。ヘリコプターから貧民街に金をバラマクようにである。
その毒入債権を保証書付きで撒いたのだから根は深い。

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2007年10月6日 
2378, 邪視の思想 -2
                    (。・∀・)ノ゛おっは~
我々は人を褒めてあげなさいと教えられるが、イスラム圏ではむしろ、あんたの子供は可愛くないと、
わざわざ言う場合もあるという。邪視の思想の原型は、イスラム教よりずっと以前の古代ローマ
インドなどで信じられてきたもので、東アジアを除けば世界的に昔からあったという。瞳を覗き込むと、
黒い部分に相手の姿が小さく写っているのが見えるが、昔の人にとって、これが不思議に見えて、
それを怖れたという説もある。インドでは王や聖職者など位の高いものが持っているとされ、反対に、
エチオピアなどでは身分が低いものが邪視を持つと思われたという。特に、国を持たないジプシーと
軽蔑されたロマは誰もが邪視を持っていると欧州では思われてきたようだ。だから欧州では人をジロ
ジロ見ないのである。パキスタンカラコルム・ハイウエーをバスで駆け抜けた時のこと、フンザ
近くの村に差し向かったときに、「絶対に村民を見ないでください。ここは見られることに異常に敏感
なところで、
殺されることもあります」と言われ、全員が硬直して前を見据えていたことがあったが、邪視の思想の
名残りでったのだろう。欧米、特にアメリカや日本などは、相手をみたら良いところを見つけ褒めて
やるのがエチケットと推奨されるが、元々は褒めるということは、逆に恨みや嫉みの元と考えて嫌がる
のが本来の考え方だったのである。世界では、これだけの違いがあるのである。エジプトなどでは、
子供の名前を雑巾という悪い意味の名前をつける親もいるという。だからエジプトなどでは、日本
みたいに「お子さんは何人ですか?」という質問ができないという。 子供が多くいると羨ましがられる
から、聞くのはマナーに反するという。動物学者の畑ムツゴロウが、「動物は、視線に関して人間が
想像する数倍も敏感である」と言っていた。 試しに電線にとまっているカラスをジッと見ると
ソワソワする。若い時に視線恐怖症や赤面症になるのも動物の名残りなのであろうか。東アジアでは
視線に関しては無頓着で、邪視の思想は殆どないのはアジアは大らかということ。 
一歩外に出ると今まで持っていた常識とやらは通用しないということだ。島国日本の常識は、
世界の非常識と思ったらよい。
                  (○´ω`○)ノ**SeeYou**
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2006年10月07日(土)
2013, 居酒屋離れ
             (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ~
先日の新聞記事によると、居酒屋が、この十数年で30?以上も売り上げが減ったという。
(1992年の1兆6千億に対し、2004年度で1兆1千億)しかも今年になっての飲食業の研究機関の
調査で‘団塊の世代’が、「居酒屋をほとんど利用しない」と46?も回答、「料理がどこも同じ」
「うるさい」という答えが理由の上位を占めている。団塊世代の飲酒頻度は「だいたい毎日」と
いうから、自宅か、家族で週末にレストラン辺りで飲むのだろう。月の酒代は50代で3万円弱、
20代で2万円弱だという。居酒屋も、団塊の世代が定年を向かえる2,007年を控えて危機が迫って
いる。彼ら企業戦士たちが居酒屋からも大量に‘卒業’するからだ。少なくとも連れ立ったオジサン
たちの姿は激減するだろう。私自身を振り返ってみると、以前に比べて半分以下になっている。 
その理由は、
・このHPをもったお陰で日々が充実したことと、
・大型TVとDVDレコーダーを4年前に購入、店で酒を飲んでも家で飲んでも大して
かわらなくなってしまった。
・さらに一年ほど前に晩酌の時間に、同じ目線で居酒屋で飲む番組を放映。
家で缶ビールを飲みながらみていると、ほとんど一緒に飲んでいる錯覚になる。
といって60歳を過ぎた現在も週一は‘会’で飲んでいる。さらに家内とは、ほぼ毎週のように
駅周辺の居酒屋チェーンか、自宅の至近にあるイタ飯チェーンの「サエゼリア」で食事をしている。
家族二人だから、行けるのだろうが。社会人になってから、居酒屋に行く機会が多くなった。
しかし、今から考えてみると回数が多くなったのは、現在の仕事を始めてからで、それまでは居酒屋は、
出張と家族と旅行にでたとき位であった。私の場合、少なくとも10~20年は命を縮めた。 
緩慢なる自殺である。
最近の居酒屋の流れは、
・個室化、個性化をしていて、  ・ハモとか、湯葉とか、専門料理店が出している料理を格安に、
・メニューの内容を流動化していて、・客単価が3000円以下で
・駅至近距離で目立たないところ。  
女将が独りの小料理屋や、夫婦でやっているような旧来の個人店は大苦戦中で、死滅?
直前の状態である。それにしても、よく飲んだものである。
               \(^▽^*)バイ!
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2005年10月07日(金)
1648.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・
 7・うちの商法ー2

宗親
こちとら月に一度は、その産地に行ってさセリに一緒出たりさして、いろいろやっているのが解らない
んだ。それと築地に一日おきに行くの。マグロの部分買いもしているんだ。それと見せ商品も買ってさ。
マグロ以外は絶対に手をかけないのがミソだ。マグロだけだらさ、それだけ集中しているから安く買えるんだ。
店の開店までさ、彼らの数倍の知恵と時間を使っているんだ。もう店が開いた時は、勝負がついているのさ。
酒もさ、新潟の酒のメーカーから直接仕入れるんだ。一社だけだね、これは通でも素人でもわかる美味しさだ。
ほぼ越の寒梅と同じかそれ以上だ。〆張り鶴という酒なの。蔵元が一緒といっていたが、事実かどうか解ら
ないがね。つきだしにトロを少しだけど出すんだ。 これもこれだけで1000円はするの。
240円しかもらってないの。ビールの大ジョッキーと日本酒の小と付きだしで960円。
うちは税込みだから、1000円でおつりつくの。これにマグロの焼き鳥で1時間という人が3分1もいるんだ。 
内じゃ「1200円セット」といってるの。何処にもこの価値は出せないね。火曜日は酒類を半額にするの、
平日の1,5倍の客数が来るから荒利は一緒なんだ。ビールは生ビールしか出さないの。ビンの半額に近いからね。
それを特大ジョッキーで出すの、480円でね。1リッターに見えるけど、実際は700mlなんだ。
これに新潟の酒を出すんだ。絶対に大瓶で出さない。 酒を味わってもらわなくてはね。
それと「日本酒5本以上は出しません」といってあるの。価値のある酒だからね。結構日本酒儲かるんだ。
それとビンごと売るんだ。その店で一応出してね一合だけね。あとは持って帰ってもらうの。
これだと国税から文句来ないの。一回来たが理屈を言ったらそのまま帰ったね。
それらしき人がきて、しつこく封を切れず売れといったがね。これはまもらなくて法律違反になってしまうからね。 
それでも結構売れるんだ。3800円でね。それにしても十分価値があるの。原価が2400円もするんだからね。
酒は一合でも実際使うのは7勺も使わないんだ。それで60?以上の荒利取れるんだ。バックマージンあるしね。

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2004年10月07日(木)
1283, 原油高騰の不安

原油が、あれよあれよいう間もなく高騰を続けている。昨日の段階で51ドルで、このまま行けば、11月以降
61ドルもあり得るという。イラク戦争後、原油供給国の政情不安を引き金に始った暴騰に歯止めがかかっていない。
産油国はフル生産をしているが追いつかないという。 この高騰には、イラク戦争の政情不安だけでなく、
中国経済原油消費が「底なし沼」のためという。既に日本を抜いてアメリカに次いで世界第二位の消費国になった。
これに・ベネゼイラの政情不安  ・ロシアの石油大手ユコス社の輸出大幅減 ・メキシコ湾を襲ったハリケーン
よる影響による精製施設の稼働率のダウン などが重なった為である。これを材料にヘッジファンドが、巨大な
資金をつぎ込んで先物取引市場をあおる。いわゆる「ペーパー取引」は9月、実需の2.5倍もあったという。
ユダヤ資本が動いているのだろう。いずれにしても、日本経済にとってはボディ・ブローになるのは時間の問題である。
デフレという前門のトラ、インフレ懸念という後門の狼の気配がしてきた。原子炉に対して多くの批判があるが、
(必要悪としても)日本にとって造っておいて良かったことになる。中国は世界にとって大きな波乱要素になりつつある。

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2003年10月07日(火)
ある時間の断片 

1968年11月9日     
・10時起床。 瓜生のところで、30分お茶を飲む。その後、洗面をして、今度は佐藤の部屋でコーヒーを飲む。
そこで、大妻女子大祭に行くからこないかと誘われ、尾形と佐藤と3人で行く。知っている人が居ないし、
一人で途中で帰ってくる。その後米林が部屋に遊びに来る。風呂に行き帰ってくると、再び米林が来る。早稲田の
二年であるが、哲学や文学などかなり突詰めている。その後。駒村の部屋でTVデ「ハニーを銃を取れ」をみる。
なかなか面白い。明日はハイキング、どうなることやら!
11月10日 
・6時半起床。 長瀞にハイキング。 お相手は「文化服装学院」。あまり乗り気がしない。
池袋から、東上線で寄居から長瀞へ行く。電車の中で少し気分が悪くなる。長瀞駅で引き返すつもりであったが、
持ち直す。ロープウエーで山頂に行き食事。その後ゲームなどをして、13時半に山を降りる。途中で半々に
分かれて、16時まで長瀞駅で待つことにする。駅裏の川辺が何ともいえない景色。絵に描いたような自然が
何とも素晴らしい景観であった。いつかどこかで見たようなイメージであった。16時14分の電車に乗る。
佐々木さんと、相手がたの女子大生4人のグループと分かれる。気が乗らず、新宿で3人と分れ帰寮する。
まだ誰も帰ってない、24時まで佐藤とビールを飲む。

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542, K-1が面白い
- 2002年10月07日(月)

1昨夜のK-1が面白い。これは10年近く前から始まった総合格闘技である。寝技を認めてないのが、
プライドという格闘技と少し違うところだ。キックと空手とカンフーの頭文字のKの字を取ってK-1にしたものだ。
異種の格闘技だから、たまらなく面白い。最近はプロレスとの対抗戦やプライドや極真空手との対抗戦があって、
エキサイテングの多い内容が多い。極真空手も最近は苦戦をしている。(最近は世界最強の格闘技と言わなくなった)
この10年間のK-1のトップクラスの選手が全盛期を超えてしまった。その上に世界には幾らでも強い選手はいる。
昨夜もk-1の選手が、格闘技を始めたばかりのパンチさえまともにうてないアメリカン・フットボール
元選手に軽く負けてしまった。 見方によってはk-1の全面否定でもある。相手は筋肉の塊の2メートル、
170キロの選手でただ力任せにパンチを振るストリー・ファイター。それに負けてしまうのだから面白い。
前回は反対に、プロレスの実戦派の強豪が軽くK-1の選手に負けてしまった。
最近は金網の中で、噛み付きと急所の攻撃以外なんでもありの総合格闘技の放映を始めた。
もちろんアメリカ本土の内容だが、寝技が中心になっていて、内容は凄惨過ぎる。
最近は月に一~二度は、面白いボクシングかk-1が見られるのがよい。

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[177] 世間様ー2  2001/10/07
あまりに程度の低い言葉なので書きたくないが、実感している言葉として、その言葉を多用している‘痴呆症(病)
の無恥蒙昧’(自身も含め)に捧げるためにかく。しかしこの言葉の被害者になったり、加害者になったりして
いるからことは重大だ! それこそ「みな皆いっている」これが‘世間というやつ’の正体の、いや現象の表皮の
世界の(俗に言う世間の)テクニックとして通用しているからことは重大だ。ある話を聞いてこれは面白い!
利用してやろうという時、「皆言っている!」と知的レベル? 低い人間を探していう。 あるいは相手を混乱
させる目的に言う。  それでは「皆言っている」にどのようなが含まれているか?
1、誰も言わなくとも自分の主張強調するために使う。 2、一人に聞いたとき、誰かに話を強調するために使う。
3、噂の場合につかう。        4、聞くほうは実際どうか解らないが、それをまた人に使うに都合よい。
5、相手を実際やりこめる場合の言葉のテクニックとして有効。