ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

平和と文化的寛容の教科書分析

昨日の「ユーリの部屋」の文末に書いた中東の教科書分析が気になり、とうとう今日の午前中は、それに夢中になってしまいました。(こんなことをやっている場合じゃないのに)と思う一方で、目から鱗が落ちるパウロですね!)ような鮮やかな思いがしました。やっぱり、一神教のきちんとした学問的理解(それは「日本の多神教の方が平和だ」とか、「だから宗教は問題が多い」と論点をすり替えたり、観光旅行者気分で自分が接した人々の様子から判断するのとは全く違います)があってこその、教科書分析だと思いました。そして、なぜ、ユダヤ系とリベラルなクリスチャンの聖書学者が、文献学的研究のみならず、あちらこちらで発掘調査までして聖書本文を批判的に研究しているのかの意味と意義が、ようやくわかってきました。その積み重ねと積み上げがあってこそ、自信を持ってここまで教科書分析ができるのだろうとも思いました。
中東から見れば、東南アジアのイスラームは辺境扱いされているとよく聞きます。これは、マレーシアやインドネシアイスラームを一段見下げるためでもあれば、都合よく「穏健で平和的な共存志向のイスラーム」の事例として持ち上げるためでもあります。いずれにしても、マレーシアなどから、イスラームの勉強のために植民地時代よりアラブやエジプトなどに留学していたムスリムが常に一定数はいたのですから、その人々が帰国した暁に持ち帰って地元の人々に伝え広めるイスラームは、最低限、中東版の焼き直しであると考えられます。
また、同じムスリムでも、中東留学ではなく西洋留学のコースもあります。そういう人々は、より開かれた視野を持ち帰り、イスラームよりも民族主義的な思想の持ち主であるというような分析を、1990年代までは見かけました。しかし、現在のところはどうなのでしょうか。例えば、Nonie Darwish氏の『異端者と呼ばれている私』にもあるように、政治的正しさをアカデミズムで実践し過ぎると、ムスリム学生達の前では、本当に考え感じるところを何も言えなくなってしまうという事態が、アメリカでは現に起こっているのです。氏以外にも、著作をものするクリスチャンからも、このことは以前から表明されていたところです。「異なる価値観に寛容になれ」とよく言われますけれども、繰り返しになりますが、これまで培ってきた価値観や身につけてきた能力などを犠牲にしてまで、相手に迎合するような態度は寛容とは言えません。しかし、マレーシアのあるクリスチャン・リーダーに言わせると、「この頃、これ以上事態を悪化させないために、西洋人達はムスリムに対して丁重になってきた」とのこと。丁重になり、理解を促進することは望ましいのですが、だからといって、自分達が妥協するようになっては、ある意味で「服従」の一形態とも言えるのではないでしょうか。これは、まじめに考えると、とても困難で苦痛を伴う問題です。

さて、上記の「学校教育における平和と文化的寛容をモニターする研究所」(Institute for Monitoring Peace and Cultural Tolerance in School Education)(http://www.edume.org)によるイスラエルパレスチナ、シリア、サウジアラビア、イラン、エジプトの各報告書について、簡単に概略を述べましょう。本当は、ヨルダンやレバノンも入るともっと明確なのでしょうが、まだ作業中なのかどうかは不明なものの、今のところ提示はなされていません。この研究所は、元の名称を「平和への影響をモニターするセンター」(Center for Monitoring the Impact of Peace)といい、1998年設立の非政府系組織です。代表者はDr. Yohanan ManorとDr. Arnon Groissのお二人で、その他に何人かの評議員がいるようです。ユダヤ系色が強いのは、本研究の目的が、イスラエル国家と周辺アラブ諸国がどのように平和共存するかという現実的な動機によるものだからでしょう。
UNESCO基準で各国の教科書を調べたと述べていますが、確か、UNESCOは政治色が非常に強くなってきたため、1980年代ぐらいから日本では名前をあまり聞かなくなったように思います。むしろ、人道支援を中心とするUNICEFやUNHCRの方が知名度が高くなったようです。そのために、なぜUNESCO基準を採用されたのかの背景はよくわからない点がありますが、少なくとも、勝手な選り好みで分析記述したのではないという意思表示の現れであるとは思います。
さらに、当然のことながら、各方面からの批判も寄せられているようですが、それも隠さず公開し、往信書簡の形式で掲載しています。少なくとも、私が驚いたのは、その公開性と透明性であり、分析資料の多さです。分析結果や解釈については、立場が異なれば異論が出るのは自然としても、目的や意図がここまではっきりしているのであれば、それはそれとして信頼性は高いと思われます。
私の関心事は、これら教科書分析の結果から、イスラームから見た「他者性」をキリスト教やクリスチャンを中心に検討したいというものでした。国によって多少違いがありますが、それは国内のキリスト教人口の多寡によるものでもありましょう。ただし、「ジハード」や「殉教」や「イスラエル」関連(シオニズムイスラエル国家の承認可否、ユダヤ人やユダヤ教など)の記述内容には、ほぼ一致した見解が見られます。「ジハード」解釈にも少し開きがあるようですが、基本的には、ムスリム共同体やムスリムの土地やムスリム国家を侵略する者に対する防衛軍事的な戦い、というニュアンスが濃いようでした。Nonie Darwish氏のいう「ジハードは内的努力を意味するなんて、中東での30年間の生活で一度も聞いたことがありません」という主張は、上記分析に依拠するならば、正しいと言えます。
イスラエルの教科書については、分析者がヘブライ大学関係者だったことも大きく影響しているためか、最も好意的な評価となっています。ただし、感情的な否定的な教科書記述については、表にして欠点も列挙し、改善点をも並べています。イスラエルの場合、本音はどうなのか別として、公教育では建前としてアラブやイスラームとの関係に最も心を砕くようで、従って、キリスト教やクリスチャンについての項目や記述は、分析のタイトルからは漏れています。おそらく、イスラエル国内のキリスト教人口が極めて少ないことと、イスラエル国家建設の引き金の一つとなったキリスト教圏内での迫害や差別の長い歴史が影響しているのであろうと思われます。問題は、しかし、キリスト教を省略していることではなく、アラブやイスラームに対してどのような記述を心がけているかという点です。調査者の要約によれば、客観的に理解を促進するようなものへ力点が移行しているようです。また、「敵」だとか「憎しみの相手」とか「滅ぼすべき対象」などとは書かれていないそうです。それ故に、中東の中で、最も高度な民主的社会を築くことができているのではないかとも思われます。
この続きは、また後ほど...。できるだけ正確な書き方に留意しているつもりではありますが、専門外なのと時間の関係もあり、多少は思い違いも含まれているかもしれません。その点は予めご了承いただき、詳細は上記ウエブサイトにて、ご自身でご確認されますよう、誠に勝手ながらお願い申し上げます。

(追記)メーリングリストで、以下のようなうれしいお知らせが届きました。(宣伝も兼ねて、許可なく引用させていただく無礼をお許しください。)

2008年05月15日(木)萬晩報通信員 園田 義明

 いよいよ五月二十日に『隠された皇室人脈 憲法九条はクリスチャンがつくったのか!?』が講談社+α新書より発売される。前著『最新アメリカの政治地図』(講談社現代新書)から四年振りとなる新著は、皇室周辺のクリスチャン人脈を取り上げた内容となっている。

 新著の特徴として第一にあげられるのは、現実主義者としての昭和天皇像を浮き彫りにしたことである。極めて戦略的にキリスト教との接点を持とうとしたことから見出したのだが、この背景には昭和天皇の他宗教に対する八百万的な共生と寛容の宗教心もあったはず。生物学者として南方熊楠とも交流があった昭和天皇は、自然の中に神々の息吹を感じ取っていたのかもしれない。[ユーリ中略] 
 実際には、この鈴木や吉田茂らが中心となって、昭和天皇の戦争責任訴追回避のための憲法九条を生み落とした。いわば憲法九条は「皇室を救い出す」ための究極のトリックだったとする見方を打ち出したのが、第二の特徴である。
 第三の特徴として、新著はクリスチャンたちを極めて好意的に取り上げている。残念なことに、日本ではまだまだクリスチャンに対する偏見が残っており、そうした書籍も数多く見かける。日本のために生涯を捧げたソヴェール・カンドウ、今上天皇の家庭教師として知られるエリザベス・グレイ・ヴァイニングらを取り上げたことで、こうした偏見が少しでもなくなれば幸いである。[ユーリ中略]
 彼らが書いた本をほとんどすべて取り寄せて読んでみたのだが、残念なことに、現在の日本人より、クリスチャンである彼らの方がはるかに繊細な自然観を持っていた。八百万の神々に導かれて日本にやってきたのではないかと思えるほどである。[ユーリ中略]
 しかし、出版社側の意向からそのタイトルは二転三転する。麻生政権誕生を睨んだ『クリスチャン宰相、麻生太郎の源流』から、麻生氏が敗れると『皇室人脈憲法九条はクリスチャンがつくったのか!?』となり、最終的に「隠された」という週刊誌風文句が追加された。[ユーリ中略]
 そこで、インターネットを通じて『クスノキ楠木正成』を蘇らせる。題して『隠されたクスノキ楠木正成』。そのために、遅ればせながら公式ホームページまで開設した。(http://www.sonoda-yoshiaki.com/)これを読めば、『隠された皇室人脈 憲法九条はクリスチャンがつくったのか!?』の「まえがき」と「あとがき」に籠めた想いもより一層理解していただけるだろう。