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ka-guの日記

2018-06-20

ギターがボロボロにと、【私たちの解釈はすべて確実な主張というよりも提案の性格を持っているべきで、これは単に患者を刺激しないためだけではなく、私たち自身実際に間違うことがあるからです。】

23:08

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 今日は、早番さんのお手伝いと、買い物と、夕方の入浴支援と、空いた時間に常勤換算を作っていました。

夜、帰宅してから、少しロバート・ジョンソンや、練習中のラグタイムギャロッピングの曲を弾いていたら、ギターがボロボロになっているのに気付きました。そういえば、親分が、割れてるんじゃないか?と言いていた気がします。割れていませんが、板が薄くはなって来ています。アコースティックは、ピックを使わないので、それじゃ爪もすり減るわけですね.....。



 本は、昼食をマックで摂り、その時に少しだけ読みました。

この本は、現場に参考になる箇所が沢山あるので、ほぼ読み終えていますが、だらだらと(笑)しつこく読ませて頂いています。

 精神分析が万能だとは(自分がきちんと理解していないだけですがw)思いませんが、参考になり使える箇所は使うべきですね!



 下記の2つは、神経症者、精神病者だけでなく、知的に障がいをお持ちの方々にも十分当てはまります。

 ご家族と、ご本人の思いが違い過ぎた場合、支援者のやり方と、利用者さんの思いが違い過ぎた場合に、不信と拒絶を感じる事が多々あります。

転移逆転移⇒逆々転移を見れば良いと言うことでしょうか?現場にいたら、他の職員と比較されていたり、他の施設と比較されていたり(利用者さん達に)していることがよくあります。ご家庭ともですね!その時を利用するのは、本当にそうだと思います。

それと、日中・夜間とか、それ以外の場所との比較があったりしますね。日中では元気なのに夜間は大人しいとか、その逆とか、色々あります。その理由は、表出の言語がある方なら、自分はハッキリ話し合います。ここでも腫れ物に触るようなやり方は、お互いに長い時間を無駄にするだけです。 表出の言語がない方には、遊びで対応させて頂いています。遊びの種類は無限なので、その方に合ったやり方を徐々に見つけて、あの時は好きで没頭できたのに、今回はこっちの方が没頭しているとか、いろんな角度で、いろんな目で見て行くと、いつかはお互いに答えが自然と出て来ます。

『分析の道程では、秘められたあるいは無意識的な不信と拒絶の表れを常に片目でうかがいながら、それらについて容赦なくとことん話し合うのがよいのです。』

『ですから、たとえばあまりにも大きなくしゃみをしたり鼻をすすったりすることで患者の美的感情をそこねたとき、あるいは患者が私たちの顔に不快を感じたり、あるいは私たちの体格をずっと立派な人の体格と較べたにちがいないとき、すぐ前の連想素材に基づいて私たちが常に自分で察知する以外道はありません。』

 こちらも、そうかもしれませんね? ぶちまける方が、お互いの将来の為だと思います。

 『十分にぶちまけてしまえば、たとえためらいがちであっても、声高な防衛の背後に隠された親愛の感情にも気づかざるを得ません。それによって場合によれば、潜在的素材へ、とりわけ(ふつう理解ない教育者によって)ある種の意地悪な性格特性への基礎が敷かれた幼児期の状況へ深く入り込むことが可能になるでしょう。』


 こちらは、福祉の現場でこういう職員が多いので、福祉がまがい物扱いされる原因ではないのか?と、思ってしまいます。おそらく自信と自分(主体)がないかたが、逆に突っ込まれるのが怖いので、高圧的な態度に出るのかも知れませんね......。

 主張より提案というのは、素晴らしい提案ですね。自分を主張したければ、何かを作ればいいと思いますし、言い切ってしまうのは、どうかとも思ってしまいます。その時には上手くいっても、同じ方法が次に上手くいくとは限らないので、on goingで、支援方法は考えていかなければなりません。

 教師ぶった医師、それどころか単に権威的な医師の態度ほど分析に有害なものはありません。私たちの解釈はすべて確実な主張というよりも提案の性格を持っているべきで、これは単に患者を刺激しないためだけではなく、私たち自身実際に間違うことがあるからです。』


 明日は、何も用事のない休日ですが、事務仕事が山積して来たので(笑)一気に片付けようと思っています。

家にいると、ついついギターを触ってしまうので、事務所に行こうと思います。





 〜分析の道程では、秘められたあるいは無意識的な不信と拒絶の表れを常に片目でうかがいながら、それらについて容赦なくとことん話し合うのがよいのです。患者の抵抗が、自らに与えられた打ってつけの機会を利用しないでおくわけがないのはもとからわかりきったことです。どの患者も例外なく、医師の振る舞い、外見、話し方のごくわずかな奇妙さに気づくものですが、事前に励まされなければ、それを私たちに率直に言う決心はつきません。たとえそれによって分析の中核的基本規則にひどく違反するとしてもです。ですから、たとえばあまりにも大きなくしゃみをしたり鼻をすすったりすることで患者の美的感情をそこねたとき、あるいは患者が私たちの顔に不快を感じたり、あるいは私たちの体格をずっと立派な人の体格と較べたにちがいないとき、すぐ前の連想素材に基づいて私たちが常に自分で察知する以外道はありません。――分析家は治療において、しばしば数週間にもわたって、患者が自らの不快な感情を試してみ「非難の標的」の役割として自らを提供しなければならないことを、すでに別の機会に何度も説明してきました。もしそれを避けないだけでなく、臆病すぎる患者を機会あることにそちらへと励ませば、私たちの忍耐は、遅かれ早かれ姿を現す陽性転移の形で相応に報いられるでしょう。医師側の怒りや不快感がわずかでもあるたびに、しかし医師が自己弁護しなければ、患者は徐々にこの一方的な戦いに飽きるでしょう。十分にぶちまけてしまえば、たとえためらいがちであっても、声高な防衛の背後に隠された親愛の感情にも気づかざるを得ません。それによって場合によれば、潜在的素材へ、とりわけ(ふつう理解ない教育者によって)ある種の意地悪な性格特性への基礎が敷かれた幼児期の状況へ深く入り込むことが可能になるでしょう。

 教師ぶった医師、それどころか単に権威的な医師の態度ほど分析に有害なものはありません。私たちの解釈はすべて確実な主張というよりも提案の性格を持っているべきで、これは単に患者を刺激しないためだけではなく、私たち自身実際に間違うことがあるからです。〜   

2018-06-19

ねこさんと、いぬさんと、昨日の写真と、【患者は、治療の経験によってそれに値することが分かったときに私たちを信じればよいのです。】

19:52

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 夜勤明け、休憩を兼ねてファミマで本を読んでから帰宅したら、いぬさんと、ねこさんが、気持ちよさそうに寝ていました。

お二方とも、高齢なので、昼間もうとうとですね。昨日の血液検査で、いぬねこのアレルーギーが出てもそれはそれで、まあいいやと思っています(笑)。今更、良くないか?ですね(笑)



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 昨日の写真を整理していたら、素敵な写真があったので、アップしました!

利恵さんは、なんとなく松田聖子時代のアイドル的な雰囲気!

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こちらは、楽器のシャッフルの瞬間です。(笑)

男性陣は、自分が触りたい楽器をどんどんシャッフルされていました。喧嘩がおこならかったのが不思議なくらい、みなさん次々に違う楽器へと移って行きました。





 下記は、学歴や職歴をただ並べても、現場できちんと支援が出来ないことには、双方が納得できないのではないのか?と遠回しに行っている気がしました。 自分たちのような弱小な施設は、信じて頂いてこそなんぼのもんですね。 そのために日々みんなで努力させて頂いています。

 『患者は、治療の経験によってそれに値することが分かったときに私たちを信じればよいのです。』


 それまでには、ご利用者さんだけでなく、親御さんたちの抵抗をもきちんと受けなければ、本当の信用は生まれません。

 『遅かれ早かれ抵抗は治療目標と分析家にその鉾先を向けるのを忘れないでしょう。』






 〜分析は、あらかじめ定められた計画を現実のものとしようとする建築家の仕事と捉えるより、私たちの目の前で起こる発達過程と捉える方が適切です。したがって、分析過程に従うならばいずれは自らについてずっと多くを知ることができること、そして最後までやり抜けば人生の避けがたい困難に今まで以上の水準でより適切なエネルギー配分で適応できるであろうこと、いかなる場合でもこれ以上を被分析者に約束する誘惑に負けてはなりません。必要ならば、私たちは精神神経症や性格障害のこれ以上良い治療法も、多分これ以上根治的な治療法も他に知らないと言ってもかまいません。私たちは、はるかに早くはっきりとした治療の見込みを期待できる他の方法もあることを患者に秘密にすることは絶対ありませんし、また患者ができる暗示療法、作業療法、あるいは意志強化法を用いた治療をすでに何年も受けたと言っても気分を害することは全くありません。そうしたものを受けていないときは、私たちと関わる前にもっと期待できるそれらの治療方法を試すかどうか患者に任せます。しかし、私たちの方法や理論を信じていないという患者のおきまりの反論は認めません。私たちの技法は、そのような先取りの信頼などという過分な賜り物をはじめから期待していませんとまず説明します。患者は、治療の経験によってそれに値することが分かったときに私たちを信じればよいのです。もう一つの反論、つまりそういうこうしたやり方で分析家は、治療が万一失敗ときすべての責任を患者の短気のせいにするのだろうという反論を覆すことは私たちにはできませんので、この難しい条件のもとで治療のリスクを負うかどうかを患者に委ねるしかありません。こうした趣旨にそって患者側の問いをはじめに正しく片づけておかなければ、もっとも危険な武器を患者の抵抗の手に渡してしまいます。遅かれ早かれ抵抗は治療目標と分析家にその鉾先を向けるのを忘れないでしょう。

2018-06-18

音楽夜会と、【まったく苦痛なしに済ませることはもちろん精神分析の本分ではありません。それどころか、苦しみに耐えるようになることが精神分析の本分です。】

21:38

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 今日の夜勤も素敵な夜勤でした!

まさくんはかっこよくて、ロカビリーが聞こえて来そうですね!

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 利恵さんは、本当にノリがいいです!

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 いのうえっちは、ピーピー鳴るチキンのおもちゃを選択(笑)楽しそうにピーピーやっていました!

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 おっちゃんの怪しいアフリカのリズムで、みなさんノリノリ! 

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 最後は、施設と地域が違っても、距離が近づきます。ちょっと近すぎですが(笑)

音楽って、本当に良いですね! 自分のアイデンティティは音楽だと思っています。





 今日は、喘息の薬を頂きに午前中は病院に行きましたが、血液検査でアレルギー反応が出たとの事で、鼻に何やら突っ込まれて、検査したら大丈夫とのことでしたが、念のため、イネ科と犬猫のアレルギー検査もと、毎月行っている採血で、検査項目が増え、支払金額も倍くらいになり、ビックリしました(笑)雨なので、歩いて行って、歩いて帰りましたが、蒸し暑くてなんか嫌な感じでした。故郷である大阪で大きな地震があったせいもありますね....。

 帰りにファミマで昼食を摂りながら本を読みました。


 皆さん、きちんとクールダウンされてから就寝されました。最後の洗濯も乾燥してたたみ、ちょっと一息です。


 下記は(長い抜粋の部分)、自分が口酸っぱく言う、けじめのない人には、きちんとした支援が出来ない!と、自分の事を棚に上げながら(笑)言っていることだと思いました。

『思いやりとは感情移入の力』には、ガツンとやられた感がありました。感情移入のやり方が大事なのですね。いつも思い出すウィニコットの言う、ほどよい母親の行為とお思われます。


 下記の2つは、福祉の現場でもそうかも知れません。腫れものに触るような支援をしているようでは、何も始まらないし、何も起こりません。待つだけで、その待っているものが来ないと死んでしまう、先日アップさせて頂いた原始生物のようですね。

利用者さんばかりに自律性を求めながら自分は全然自律できていない方の方が多いかもしれませんね........。そんなことばかりしていたら、無意識に切望する、私たちの影響から逃れる機会を作り出してしまうのですね.......。

『まったく苦痛なしに済ませることはもちろん精神分析の本分ではありません。それどころか、苦しみに耐えるようになることが精神分析の本分です。』

『とはいえ、思いやりのないやみくもな強要は、患者が無意識的に切望する、私たちの影響から逃れる機会を作り出してしまうでしょう。』


 夜勤に戻ります!





 〜こうした個人方程式のまだ未解決に残された部分に説明を与えようとするならば、そしてすでに他の人から分析を受けた大勢の生徒や患者をみる立場にあるとすれば、とりわけ私のように自分自身がかつて犯した過ちの結果と格闘しなければならなかったとすれば、僭越ながらこれらの差異と誤りのおよそについて手短に判断を述べる権利があるでしょう。何かをいつどのように被分析者に伝えるか、提供された素材を十分説明して結論をそこから引き出してもよいのはいつか、その伝達は必要に応じどのような形を装うわねばならないのか、患者の予期せぬ無用な苦しみになるのはいつかなど、こうした問題は何より心理学的な思いやりの問題であるという確信に私は達しました。お分かりの通り、「思いやり」という言葉は、魅力的で簡潔な定義の中にあいまいさをもたらしてしまいます。そもそも思いやりとは何でしょうか。この問いへの答えは難しくありません。思いやりとは感情移入の力です。多くの人の心の解剖から、と言ってもなにより自分自身の解剖からもたらされた私たちの知見の助けを借りることで、そうかもしれない、あるいはそうらしいが患者自身にはまだ思いもよらない患者の連想をありありと思い浮かべることができ、となれば私たちは患者のように抵抗と格闘する必要がないので、患者の抑えられた思考だけでなく無意識の傾向まで推察することができます。同時に私たちは抵抗の強さをいつも覚悟していますので、報告がどこまで現実なのか、そしてまた現実がどんな姿を装っているのかを判定するのは難しくないでしょう。この感情移入は、患者の抵抗を不必要にあるいは不適切な時に刺激することを防いでくれるでしょう。まったく苦痛なしに済ませることはもちろん精神分析の本分ではありません。それどころか、苦しみに耐えるようになることが精神分析の本分です。とはいえ、思いやりのないやみくもな強要は、患者が無意識的に切望する、私たちの影響から逃れる機会を作り出してしまうでしょう。

2018-06-17

今日の日中と、【しかし、実践的観点からみれば、平均的な才能しかない医師や学者の手にも分析が人間研究のための上質の道具を徐々に提案していることは、明白な進歩です。】

22:22

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 今日は、遅番でしたが、少しだけ早めに行き、昨日、まり子さんと利恵さんと約束したので、どこに食べに行こうかと話し合いました。

田原駅前に新しくできた、ららグランに決定しましたが、行ってみたら案外高かったので、まり子さんがめっくんハウスのかつさとにいくとのことで、かつさとに向かいました。着いたら11時35分だったので、お客さんで一杯でした。テイクアウトにしてもらいましたが、運よく席が空いたので、お店で頂く事にしました。

 ショートの方の入りの時間が違ったので、昼食は2班に分かれました。  

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 昼食後は、うたたねに戻り、女子だけで池ノ原にお薄を頂きに行きました。


 

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 また、うたたねに戻り、かおちゃんとジュースを買いに行ったら、場所を把握されているので、走って欲しい物の所に行かれましたが、お菓子の方は、今日は念入りに見ておられました。

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 紅茶の方は、いつも迷いなく、同じものにされます。



 今日は、本が読めていません(笑)明日は夜勤なので、ゆっくり寝させて頂こうかと思いましたが、予約の電話を5時に起きてしないといけませんでした(笑)

 今日のアップは、また、元の位置に戻ったので、雰囲気が違う感じですね。

次回からは、脈絡が出来て来ると思われるので、我慢して読んで頂ければと思います。

 もうすぐ読み終えるので、『臨床日記』を買ってもらおうかと思案中です。読みかけの本も2冊ありますが(笑)、この機会に、フェレンツィをもう一冊読みたいと思っています。




 下記の様なことが本当にできるのなら、昨日アップさせて頂いたような事件は、未然に防げそうですね。

『しかし、実践的観点からみれば、平均的な才能しかない医師や学者の手にも分析が人間研究のための上質の道具を徐々に提案していることは、明白な進歩です。これは外科学と似ています。』







精神分析技法の柔軟性 (一九二八)

 フロイト精神分析技法への注意を刊行して以来、私たちは方法論的な心の研究を始める上での手がかりを持っています。師に教えに従う労苦を惜しまない者であれば誰でも、たとえ心理学的天才でなくとも、健康なものであれ病的なものであれ他者の心的生活の思いもよらぬ深みにまで入り込むことができます。日常生活における失錯行為、夢、とりわけ自由連想の分析が、隣人について少なからず知ることを可能にしてくれるでしょう。そうした理解は以前であれば例外的な病のみに可能でした。奇跡的なものへの人間の偏愛は、ある種の職人芸における人間知の術がこのように変えられることを、腹立たしく見つめるでしょう。とりわけ芸術家や作家は、こうしたことを自分たちの領域へのある種の侵害とみなし、最初の興味が薄れたあとは、面白くもない機械的な活動形態として精神分析を遠ざけがちのようです。この反感は驚くに値しませんでした。科学は確かにどこまでも進む脱錯覚であり、神秘的で目を引く説明のかわりに、その単調さがすぐに退屈を、その揺るがぬ必然性が不快を呼び覚ます、いつでもどこでも同じで逃れようのない法則で置き換えるからです。もっとも部分的に心の慰めになるのは、あらゆる職人芸でそうであるように、当然ここにも私たちが進歩と新たな視野を期待するような芸術家的例外人が常にあることでしょう。

  しかし、実践的観点からみれば、平均的な才能しかない医師や学者の手にも分析が人間研究のための上質の道具を徐々に提案していることは、明白な進歩です。これは外科学と似ています。麻酔法や防腐法の発見以前には、外傷医の「医術」を施すのはごく限られた人の特権でした。そうした人のみが「角谷かにだった安全における楽々と」働けましたけどおそらく、今日にも外科的技術が達人がいるでしょうが、人命を救うことさえ多い有効な活動を何千人もの平均的医師がみな繰り広げることができるようになったのはこの進歩のおかげです。

 もちろん心の分析の外部においても心理学的技術について語られてきましたが、そこでは心理学実験室の測定方法のことと理解されてきました。この種の「心理技法」も今日流布しており、単純な個々の実践課題のためにはそれでも十分かもしれません。分析ではずっと高次のもの、つまり自分状況全体の場所、力動経済の把握が問題であり、それを実験室のすばらしい装置なしに、しかし絶えず高まっていく信頼性への希求と、なにより比べるもののない高い能力でもって行います。

2018-06-16

今日の日中と、関西の事件と、【私が最終的に得た結論は、分析家の願望、性向、気分、好感や反感などに対する研ぎ澄まされた感覚を患者がもっているに違いないというものです。】

20:35

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 今日の日中は、時間差で賑やかでした。

自分は休みでしたが、送迎者がまだ不調なので、朝と夕方の送迎に出たり、送迎シフトを直したりしていました。

 少し時間が空いたので、シフトの見直しをしていました。

その間、一瞬(笑)だけうたたね茶会をしました。入浴中の方もおられましたが、送迎の時間になったので、その方のお薄を点ててから赤羽根や渥美の送迎に向かいました!



 早朝から送迎があり、早い朝食を食べながら、ネットのニュースを見ていたら、障がい者施設のニュースが2つあり、昨日読んでいた個所に、そうならないための心構えみたいな個所があったので、ニュースの後にアップしました。

 ニュースをお読みいただいてから、フェレンツィを読んで頂ければ、よく分かっていただけると思われます。

 貯金を置いておいて(笑)今朝、打ち込んだもののアップです。



障害者施設の職員逮捕 入所者を暴行死の疑い

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180616-00010000-asahibcv-l27&pos=2

「逃げないように」寮長が生徒に2時間馬乗り説教 兵庫自立支援施設

https://rdsig.yahoo.co.jp/_ylt=A7YWPhPp4iRb7RcA.N0y4TMj/RV=2/RE=1529230441/RH=cmRzaWcueWFob28uY28uanA-/RB=qSyAhfJ4pCEwFKepinR4BpFBdp4-/RU=aHR0cHM6Ly9oZWFkbGluZXMueWFob28uY28uanAvaGw_YT0yMDE4MDYxNi0wMDAwMDAxMC1rb2JlbmV4dC1sMjgA/RK=0/RS=JfnlYYUWol2OtsvosiW6WqtrrFs-








 下記は、いつも自分が、周囲に漏らしている、障がいをお持ちの方々を舐めたらあかん。ということだと思われます。上から見下す方が多いので。

『私が最終的に得た結論は、分析家の願望、性向、気分、好感や反感などに対する研ぎ澄まされた感覚を患者がもっているに違いないというものです。たとえそういった感情に分析家自身まるで気づいていなくてもです。』


 現場では、ついつい楽をしようとか、昔のことばかり(フォーマルな情報ばかり)知ればいいやと思いがちですが、本当に大事なのは、今ここで起きている現象だと、改めて気を引き締めてくれる個所です。 

『患者の連想から察知しなければならないのは不快に満ちた過去の事柄だけではありません。抑圧されたり押し込められたりしている分析家への批判を今まで以上に察知しなければなりません。』


 下記は、現場では、利用者さんたちに、心無い言動を浴びさせられて、逆転移を抑えられなくなる時がありますが、それに何とか耐えろ!と言われている気がします。

『内的、外的の両方にわたる自らの不快な特質をすべて知ることで、患者の連想に隠された憎しみと軽蔑の中身がたとえ何であれ直面する心の準備をしておかねばなりません。』


 下記は、こちらもいつも自分が周囲に言っている、表面だけのやさしさ・おもいやりは全て利用者さんたちはお見通しだ!ということを言っていると思われます。

『患者が抑圧している批判は、その大部分が、職業的偽善と呼ぶことのできるものに関係しています。』



 下記の2つは、上記にあった、耐えろという次におこなうことを教えてくれています。サリヴァンでさえ、何回も何回も同じことを言う患者さんにキレて、そんな話しは何度も聞いた!と直接患者さんに言っています。暴言暴力は勿論いけませんが、勢いが非常にある方には、同等の勢いで、言動を止めないといけない時もありますし、そうする事で、その方が現実に戻ることができて、基底欠損水準から、少しだけエディプス水準に近づけることがあります。

『そんなときには、障害の原因を私たち自身のなかに探し当て、患者の前でそれを会話に乗せるほか出口があろうとは思えません。そうかもしれないと認めるだけではだめで、事実として認めるのです。』

『たとえ外傷的ヒステリー発作に襲われるとしても、ずっと和らいだものになって、同時に過去の悲劇的出来事が思考のなかで再生できるようになり、再生によって心的平衡が再び失われることがありません。患者の人格水準が全体的な高まったようにさえ見えます。』


 色々と仕事が湧いて出る日々ですが、職員によって感じ方が違うようで、常勤換算は、当施設は余裕でクリア(ショートステイの支援区分を定員全て6で計算しているので、余裕があります)していますが、ぎりぎりの配置でと思う職員がいたり、別に大変だと思わない職員がいたりです。どちらが良くてどちらが良いとかは言うつもりはありませんが、両ニュースのコメント欄を見させて頂くと、両方の職員の気持ちを代弁しているコメントが沢山ありました。上司がそれにいち早く気づいて、手当てをしていかないとそうなってしまうのなら、ぎりぎりで....と言っている職員の仕事量を考えないといけないと思い、直ぐに動きますが、それに対しても賛否両論が出ます。しかし、取り返しがつかなくなる前に、自分は動きます。自分が何か言うと、西田物指しだとか、あんたはできるから......とか、自分的には傷つくような言葉を職員たちからかけられますが(笑)、トヨタさんの改善ではありませんが、改善していくしかないですよね。

 勿論、自分もそうですが、自分の実力・能力以上のものが来た時には、何かしら目には見えないものに圧倒されるのでしょう。

案ずるより産むが易し、なのですが、中々それも分かっていながらできないのも、人間なのかも知れませんね.......。

 大変な方をお預かりして、夜勤帯いくら大変でも、いつかは朝が来ます。本当に大変なら、他の職員に助けてもらうということも、何も恥ずかしいことでもありません。誰でもできないこと、知らないことは沢山あるという前提で、また、自己否定をまずはしてから、仕事(福祉だけでなく)に入って行かなければ、何も始まらないし、何も解決しません。一人では、施設は運営できません!






大人と子どもの間の言葉の混乱――やさしさの言葉と情熱の言葉 (一九三三)

 私が最終的に得た結論は、分析家の願望、性向、気分、好感や反感などに対する研ぎ澄まされた感覚を患者がもっているに違いないというものです。たとえそういった感情に分析家自身まるで気づいていなくてもです。ヒステリー様の興奮を起こした例外的瞬間的にだけ、ということはほとんど無意識状態になってやっと反抗に立ちあがります。通常は、分析家が特別に許したりあからさまに批判を奨励したりしないかぎり、私たちを批判することを自らに許しませんし、それどころか批判などついぞ思いつきもしません。患者の連想から察知しなければならないのは不快に満ちた過去の事柄だけではありません。抑圧されたり押し込められたりしている分析家への批判を今まで以上に察知しなければなりません。

 私たちはそのとき少なからず抵抗にぶつかりますが今度は患者へのなかの抵抗ではなく私たちのなかの抵抗です。まず先に私たち分析家が十分すぎるぐらい「徹底的に」分析を受けておくことが必要です。内的、外的の両方にわたる自らの不快な特質をすべて知ることで、患者の連想に隠された憎しみと軽蔑の中身がたとえ何であれ直面する心の準備をしておかねばなりません。



 患者が抑圧している批判は、その大部分が、職業的偽善と呼ぶことのできるものに関係しています。患者が部屋に入ってくると、私たちはれいぎ正しく挨拶して、重要連想を始めて下さいと求めながら、患者の言葉に心から耳を傾け、持てるかぎりの関心を患者の回復と謎の解明という仕事に捧げることを約束します。しかし実際は、患者の外的なあるいは内的な特徴の何かに我慢できなくなることもあります。大切な仕事上の事柄あるいは個人的な事柄は内心引っかかっており、面接時間中ずっといやな気分に悩まされることもあります。そんなときには、障害の原因を私たち自身のなかに探し当て、患者の前でそれを会話に乗せるほか出口があろうとは思えません。そうかもしれないと認めるだけではだめで、事実として認めるのです。

 今まで避けがたいと思われてきた「職業的偽善」をこのように放棄しても患者を傷つけることがなく、顕著な安堵感をもたらすことは注目に値します。たとえ外傷的ヒステリー発作に襲われるとしても、ずっと和らいだものになって、同時に過去の悲劇的出来事が思考のなかで再生できるようになり、再生によって心的平衡が再び失われることがありません。患者の人格水準が全体的な高まったようにさえ見えます。〜

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