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ka-guの日記

2019-01-25

今日の散歩と、うたたね文庫と、【さらに言語により、かかわり合いは言語固有の非個人的抽象レベルへと移り、それ以外のかかわり合いの領域に特有な、個人的、直接的レベルからは遠のいていきます。】

21:53

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 今日も散歩担当になり、ラッキーでした!

真夏と真冬と雨天時には、いつも利用させて頂いているので、時々ソフトクリームを頂きます。

 売店の方が、遠方から来られたお客さんに、ここで9年働いていますが、冬にこんなに富士山が見えないのは初めてだと言っていました。

そういえばここから富士山が見えたのはいつだったでしょう?としちゃんに、今日も富士山見えないね.....。ばっかり言っている気がしました。

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 うたたね文庫に本を入れに行きましたが、この3年くらいでこれくらいしか読めてないのか....と、ちょっと肩を落としましたが(笑)、冊数よりも、どれだけ吸収できたか?ですね!時々読み直さないと忘れてしまいますが、同じ学派の本を読んでいたら、同じことが出ている時は、あっそうだったと思いだし、救われた気になるのも(笑)、事実です......。 


 先程、用事が終わって、ネットのニュースを見たら、こんなニュースが目に入りました!

新薬なのでは?何か心配ですね.....。有料なので、最後まで読めませんでしたが.....。


インフル薬ゾフルーザの耐性ウイルス、患者から検出:朝日新聞デジタル

https://www.asahi.com/sp/articles/ASM1S7JJYM1SUBQU01S.html?ref=yahoo





 下記は、単純に神田橋先生の、言語有害論を思い出しましたが、言語も使いようですね。

でも、深刻な状況の場合はそうも言ってられません。

こういう事が頭に入っていれば、適切な支援ができそうな気もして来ますが、みなさん勉強しませんから......。

 うたたね文庫も宝の山ですが......。


第8章 言語自己感

 〜しかし実際言語は、両刃の剣です。言語は私たちの体験を、自分自身の中で、あるいは他者との間で共有しにくいものにしてしまうこともある。言語は、対人間で同時に起こる2つの体験形式、すなわち、生の体験と、言語で表象される体験の間にくさびを打ち込みます。言語とは無関係に続く、新生−、中核−、主観的かかわり合いの領域における体験のうち、言語かかわり合いの領域によって包含されるのはほんの一部です。実際に起こったことがどの程度言語かかわり合いの領域での出来事となるかによって、それ以外の領域での体験は疎外されます(それらの体験の下部領域となるでしょう)。こうして言語は自己体験の分裂を引き起こします。さらに言語により、かかわり合いは言語固有の非個人的抽象レベルへと移り、それ以外のかかわり合いの領域に特有な、個人的、直接的レベルからは遠のいていきます。

2019-01-24

昨日の夜勤と、【社交的行動が部分的にでも表現主義の一形式とみなされるなら、調律はとてもよく理解できます。】

20:13

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昨日は、夜勤で仕事をいつも通りこなしていたら、0時を過ぎてしまい、アップは諦めました.....。

夜勤は大好きで、一番皆さんのことが分かる勤務ではないでしょうか?

 入浴や食事、片付け、掃除などしなければいけない事も多いですが、一息ついたときに、皆さんと音楽したり、風船で遊んだり等々することによって、距離がなくなり、本当に言いたかった言葉も聞けます。

 自己心理学の方々が、口を揃えて?言わんとしていることが、体現できます。

コフートスターンの言葉が、本当の臨床に対して行われていたんだなと、再発見させてくれる機会にもなります。

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 緊張からリリースされて、ポリベーガル理論が言う、顔の状態も本当によくわかります。

職員がバタバタとしていたら、皆さんもそれを取り入れて(職員が知らず知らずのうちに投影しているのか?)、顔の表情が硬くなりがちなので、忙しくても冗談を言える余裕を持ちたいものですね!ランチやディナーの時間帯のレストランでも、ウエイトレスさんが、息荒く対応しているとこっちまで、急かされている気分になるのと、きっと同じなんだと思われます。

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 それまでは、皆さん好きな事や自分の身の周りの事を頑張ってされていますが。

皆さんが集まると、自然に賑やかになって行きます!

 関西人なので、人を笑わせてなんぼのもん!という感覚もあるのでしょうか?


 情動調律が自然とできるのも、この様な機会かも知れないなと、ふと思った夜勤でした。

スターンなどは、日常生活の簡単な挨拶、『おはよう!』とか『お休み!』とか、朝夕出て来る食事とか、当たり前で特に気にも留めないようなことが、毎日あれば良いとも言っています。

 自然なことが出来なくなってしまうと、おそらく(度重なってでしょうが)、防衛反応が出てしまうのですね。

 空気の乾燥が著しいので、皆さんが集まる食堂では、加湿器が欠かせない時期ですね!

お手入れも大変ですが、今一番しないといけない事でもあります。皆さんが休まれたら、職員さん達が綺麗に洗って、また早朝から動きます!




 夜勤明けでしたが、法務局に行ったり、商工さんに行かせて頂いたりしていたら、あっという間に夕方に、ニュースを見ていたら、あっという間にこんな時間に......。

 限界なので寝ます(笑)。 おやすみなさい!



 そうでした(笑)メールをチェックしていたら、久しぶりに桂九雀師匠メルマガが届いていました! タイトルが素敵ですね!

 

長生きも芸のうち

https://archives.mag2.com/0001341814/?l=ohk05efb82











乳児や小児はいやでもまず、生気情動、Langerのいう“感情の形式”を学びます。彼らは、彼ら自身の行動や身体の変化との相互作用を通じ、また彼らを取り巻き影響を与える社交上の行動を見たり試したり、反応したりすることを通じてそれを学んでいきます。また、外的物体に対する近くを内的感情へと翻訳する変形手段は、カテゴリー性の情動に関してのみならず、それ以外にもあることを学んだり、何とかそうした理解にたどり着かなければなりません。このような、知覚から感情への変容は、まず自発的、社交的行動を通じて習得されます。これらの変容を何年となく繰り返し、生気情動のレパートリーを作り上げてこそ、やっと子どもはこの体験を、外的に知覚されながら心でも感じられる体験として、芸術の領域へと導いていけるのです。

 社交的行動が部分的にでも表現主義の一形式とみなされるなら、調律はとてもよく理解できます。それを通じ表現主義の一型としてある行動を理解すれば、調律は芸術体験の前駆体とも言い得るのです。しかしながらそれだけでなく、調律は、発達にとっても重要な何かとなっています。

2019-01-22

今日の散歩と、満月と、【生気情動は、ある行動がいかにおこなわれるかに関係しており、どんな行動が行われるかにかかわっているのではありません】

22:50

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 今日もラッキーなことに、散歩に行くことが出来ました!

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 午前中は、曇りでしたが、午後からは晴れました。

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 今日も二階建てレストランバスが来ていて、カメラが回っているようで、その時だけ、二人で椅子に座って待ちました。

今日は、個人的にも沢山歩き、23,317歩、673Kcalでした!痩せるかな?(笑)



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 入浴介助を終えて、帰宅してすぐに、ひーひー王子の散歩に出たら、きれいな満月でした!

が、自分の携帯では、きれいに写らないのを知りながらも(笑)、衝動には勝てず(笑)、写してしまいました.....。



 今日も本を、早めに出てファミマで読みました。

アップは、スターンです。情動調律についてもっと知りたいな、って思っています。もう少しスターンコフート周辺のものを読まないといけませんね。ベティ・ジョセフを読み終えたら(クライン派ビオンを読み直したいと思っていますが.....)、その周辺を読みます。



 

 下記は、支援にも言えますね。

 『生気情動は、ある行動がいかにおこなわれるかに関係しており、どんな行動が行われるかにかかわっているのではありません』



 力動的は原因・結果の連続性とするならば、刺激・反応の連続性の(「条件付けられた反射」と「オペラント学習」)

オペラント学習付けとは、「行動の動機を学習させること」)行動療法とどうちがうのか?と少し前から思ってしまって、中々抜け出せなくなっています(笑)。が、自分が支援させて頂いている方々に一番合うやり方(ミックスになっても)にアレンジするしかその方に合うということにはならないので、ただただ、勉強あるのみです。勿論、現場中心に!

 『私たちは生気情動を、自分自身や他者の内部における力動的変化にあるパターン化された変化として体験します。』





どんな内的状態に対し調律が起こるのか

 調律は悲しみとか喜びなどの不連続カテゴリー性の情動にも、爆発、消衰などの生気情動にも起こりますが、大部分は生気情動に伴って起こるようです。

 第3章で、生気情動を次のようなものとして同定しました。生物と無生物を区別し、かつ生きているという有機的過程における感じ状態の束の間の変化に対応する力動的で力学的な感情特性。私たちは生気情動を、自分自身や他者の内部における力動的変化にあるパターン化された変化として体験します。この本で、生気情動をそれ自体独立した単位とし、かつ情動カテゴリーとか活性化と言われるものとあえて区別したのは、調律を理解するにあたり、生気情動こそその本質であるからです。

 〜生気情動は、ある行動がいかにおこなわれるかに関係しており、どんな行動が行われるかにかかわっているのではありません、ですから、調律行為と関係した主観的内的状態で1つとしての情動カテゴリーばかりではなく生気情動をも考えなければなりません。生気は調律主題として理想的です。なぜなら、そしては強さや時間といった無様式特性から構成されているからであり。しかもありとあらゆる行動に随伴し、かつ(変化はするものの)常に調律主題として存在するからですが、調律は、乳児がいかにおもちゃに手を伸ばし、積木をつかみ、足で蹴り、音なの耳を傾けるという感情の内的性質に対してもなされます。生気情動を追跡し、調律することによって、私たちはほぼ連続的に相手の内的体験と思われるものを共有し、その結果、他“共にある”ことができます。これこそまさに感情的につながれているという体験、言い換えれば、他調律し合っているという体験にほかなりません。こうした体験は連続線のように感じられます。それはあらゆる行動において各瞬間に起こっている活性化輪郭を希求し、コミュニオンの糸の切れることがないよう、その活性化輪郭を役立てるのです。

2019-01-21

2階建てバスと、【共感覚とは、ある単一感覚が刺激されるとその刺激に対する別の様式に属する感覚も誘発される現象をさします。】

22:43

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 最近、蔵王山で散歩していたら、2階建てバスをよく見るので、調べてみましたが、2月から3月まで(下記のアドレス)って書いてありました。しかも金曜日から日曜日とのことで、毎週金曜日は、寒い時期と暑い時期は利用させていただいていますが、今日は月曜日ですが....。と思って調べたら、繰り返しになりますが、2月からなので、試験運用でしょうか?

レストランバスってなんか素敵ですね!

http://www.city.tahara.aichi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/006/016/3.jpg






 今日は遅番で、ゆっくり起きて、ひーひー王子の散歩から帰って来たら、少し早めに行って本を読む時間になったので、出勤しました(笑)。コーヒーを頂きながら、ベティ・ジョセフの2冊目に入りました。クラインビオンの復習もできるので(ワークショップの方も)、しっかりと忘れていたことを思いだすことができて良かったです。

 特に、ビオンの『記憶なく、欲望なく、理解なく』は、いつも頭の片隅に置いておかなければならないものでした。無の境地見ないな感じでしょうか?水島広子さんの、ジャッジメントを手放すことにも通じる気もしました。


 

 アップはスターンにしました。

遅くの帰宅で、頭が回らないので、変な解釈は止めておきます(笑)。





 共感覚synesthesiaという現象をもって感覚の単一性の問題を描写したのは、おそらく心理学者たちが最初だったでしょう。共感覚とは、ある単一感覚が刺激されるとその刺激に対する別の様式に属する感覚も誘発される現象をさします。最もよくみられる共感覚は、“色のついた共感覚”です。特定の音、たとえばトランペットの音は、聴覚に加え視覚的に特定の色彩のイメージ(赤色)を作り出します(Marks 1978総説参照)。とはいえ共感覚の存在も、感覚の単一性のもつ魅力のほんの一部にすぎません。様式内等価性や相関性の問題は、いつの時代にも知覚を学ぶものの興味を引くところでした。そして心理学者は、最近その古い痕跡を取り上げたのです。この問題はMarksが等価情報学説と言うもののもとに包含されます。等価情報学説とは、感覚が異なってもそれらが与える外的世界に関する情報は単一性のものであるというものです。(Gibbons 1959,1969,1979).Piaget(1954),T.BOWER(1974)などによる理論や研究の多くもこの問題を扱っています。

 治療者にとってこの現象はとても馴染み深いものであるため、ついこれが、重要な知覚についての感情を伝達する当然の方法だと考えてしまいます。たとえば患者が、“私は彼女が私にどうあいさつしてくれるか、とても気がかりで不安でしたが、彼女が話しかけてくれた途端、ちょうど陽が昇ったかのように、私の気持ちは和らぎました”といえば、私たちはすぐさまその言わんとするところを理解します。様式の情報を交換する基本的能力がなかったら、隠喩が意味をもつはずはありません。

 芸術家、中でも詩人にとって、感覚の単一性は当然のことです。詩の多くは、知覚様式−交叉的な類似や隠喩が誰にでもすぐわかるという暗黙の了解なくしては意味をもちません。中でも19世紀フランスにおける象徴主義詩人の中には、情報の知覚様式−交叉的等価性という事実を作詩過程の基準原理に登用した者もいます。

2019-01-20

アトリエ・カーグとバンドクラブと、【問題となっているのが感覚の単一性、つまり、目に見える世界と、聞こえ、感じる世界が同一のものであるという認識や体験へと究極的には立ち至るものだからです。】

20:50

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 今日は、菜の花を描きました!

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 おかもっちゃんは、本当に貫禄が出ています。

力強く、配色も素敵です!

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 ゆうこちゃんも素敵でした!



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 なおきワールド炸裂!でした。個性があるって、良いですね!

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 きんちゃんは、菜の花昆虫を描いておられました!

昆虫が可愛いですね!

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 ゆうちゃんは、まりちゃんと河邉画伯の応援があって(笑)、面白い菜の花になっていました!

2枚目は、大好きな飛行機を描かれたようです。

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 まっつんは、いつものキャラクターの頭に、菜の花を描かれていました。

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 まさくんは、いつものように!

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 こばちゃんも、いつものように、写実的に!

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 りえさんは、今日は頑張って、雪と風を描かれていました!

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 いのうえっちは、普段通りですが、力強くなってきましたね!

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 たかちゃんは、色鉛筆の黄色と緑で、ゆっくり描かれていました!



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 PAのセッティングは、おかもっちゃんが、自分がマックにごみを捨てに行っている間に、してくれていて、完ぺきでした!

いつも感謝です!

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 今日は、選抜の行進曲に選ばれたということで、どんなときもをたくさん練習しました。

世界にひとつだけの花は、皆さん完璧なので、余裕でしたが、こちらはきちんと練習していなかったし、メロディーがちょっと複雑ですね。

 また来月練習します!

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 今日は、ドラムの師匠がお休みだったので、リズムマシンの操作を、おかもっちゃんがしてくれました。

フットスイッチが使えると思っていましたが、ON・OFではなくて、リズムを刻むだけでした......。取説をじっくりみます.....。


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 リズム隊は、いつも一番元気です!






 アップはスターンですが、急に飛んでしまったので、ちょっと変な感じがしますが、感覚の単一性というのも、現場で支援をさせて頂いていると、必要かな?と思う時があります。その方の中で、ばらばらになっている物や事を、繋ぎ合わせて(または新しくして)統合していかないと落ち着かない方を見させて頂いていると、そう感じます。例えば、ご家庭や施設で暴力を振るわれているな、と思われるような、怯えた目や仕草・態度などを見せる方々には、特に大事なことかもしれません。ここにいれば、安心・安全なんだ!と思って頂けるのが、一番はじめにしなければいけない支援だと思われます。それができれば、後はスムーズにことが進みます。

 『目に見える世界と、聞こえ、感じる世界が同一のものであるという認識や体験へと究極的には立ち至るものだからです。』




感覚の単一性

 このように、形、強さ、時間はいずれも無様式のものとして知覚されるようです。そして実際、哲学心理学、芸術などは、長い歴史の中で、形、時間、強さが(心理学用語では)体験の無様式特性、あるいは(哲学用語では)体験の根本特性であることを示してきました(Marks 1978,参照)。この問題には長い歴史があります。というのは、問題となっているのが感覚の単一性、つまり、目に見える世界と、聞こえ、感じる世界が同一のものであるという認識や体験へと究極的には立ち至るものだからです。

 感覚の相関学説、言い換えれば、感覚の単一学説を初めて考え出したのはアリストテレスです。彼のいう第6感覚すなわち共通感覚は、基本的(つまり無様式)感覚としての性質をもち合わせた感覚であり、色彩が視覚に属するといった具合に、ある1つの感覚にだけ属するのではなく、むしろすべての感覚によって共有されるものです。アリストテレスは、どの様式からも抽出でき、抽象的な形で表象されたすべての感覚様式間で翻訳され得る基本的感覚を列挙しました。強さ、動き、静止、単一性、形式、数がそれです。哲学者たちは、その後もどの知覚属性が基本特性としてひとまとめの必要条件を満たすかについて論じてきましたが、強さ、形式、時間はたいていその中に含まれています。

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