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ka-guの日記

2018-08-15

お盆の食事会と、【もし小児が、賞賛する大人に外傷的な失望を覚えると、理想化された親のイマーゴもその姿を変えないまま保持され、緊張ー制御的tension regulating心的構造へと変形されず、利用可能な『取り入れられたもの』introjectとしての地位を獲得せず、自己愛的なホメオステーシスの保持に不可欠な、太古的移行自己ー対象のまま止まる」】

22:06

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 今日は、お盆に帰省できない方や、全部帰省できない方と、伊良湖灯台茶屋さんで、食事会をしました!

女子は海老フライ定食!男子はミックスフライ定食!お腹いっぱいになりました!

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 大あさりもついていて、美味しかったです!

移動時は、小降りで助かりましたが、昨夜からよく降りました!

 車で伊良湖まで向かう車中、利恵さんは大はしゃぎ!こんなに嬉しそうな利恵さんは初めて見ました!

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 帰宅して、入浴して休憩したら、いのうえっちが(朝からされていたそうですがw)、タンバリンウクレレを持って、楽しそうにしていたので、皆さん合流?して、いつもの音楽会が始まりました!

 拓ちゃんは、女子(女性職員からもw)の歓声を浴びて、長淵みたいに歌っていました!まりちゃんは、なにを隠そう(隠してないかw)長淵ファンで、拓ちゃんカッコイイ!女性職員は、初めて見たのか?びっくりして、カッキ〜と、本当に驚いていました(笑)。いつもは皆さんにうるさい!(笑)と言われていますが(利恵さんは、相変わらずウルサイ!とシュプレヒコールw)、みなさん楽しそうですね!





 本は、夕方、ファミマで夕食を頂きながら、読みましたが、3回読み返しても、理解できなかったので(笑)、時間がある時に、じっくり読もうと、今日は諦めました(笑)。

 下記は、先日読んだ箇所ですが、愛着障がいなども、これくらい深く見て行かないと、本当はいけないのではないか?と、思わせてくれました。勿論、現場での支援も同じです!




 下記は、何度読み返したでしょうか?

 『しかし、もし小児が重症な自己愛的外傷を受けると、誇大自己は、自我の妥当な部分へは融合せず、その姿を変えないまま保持され、太古的な目標の達成を飽くことなく求める。もし小児が、賞賛する大人に外傷的な失望を覚えると、理想化された親のイマーゴもその姿を変えないまま保持され、緊張ー制御的tension regulating心的構造へと変形されず、利用可能な『取り入れられたもの』introjectとしての地位を獲得せず、自己愛的なホメオステーシスの保持に不可欠な、太古的移行自己ー対象のまま止まる」(p.27ー8)。』




第1章 『自己の分析』

2,自己愛転移総論

 〜「一次的自己愛の平衡は、母親のケアのどうしても足りない部分により妨害されるが、小児は、以前の完全性を、(a)誇大で顕示的な自己イメージ、つまり、誇大自己grandiose selfの確立と、(b)小児が賞賛する万能な(移行)自己ー対象、つまり、理想化された親のイマーゴidealized parent imagoへの、以前の完全性の委譲、の2つによって置き換える」(p.25)。

 「発達条件が適切な場合、太古的な誇大自己の顕示性と誇大性は徐々に和らぎ、究極的には構造全体が大人としての人格に統合されて、私たちの自我親和的な大志ambitionと目的、私たち活動の喜び、そして、私たちの自己評価の重要な側面に、本能の燃料を供給することになる。また、同様に好適な状況のもとで理想化された親のイマーゴは、いったん私たちの理想化された超自我として取り入れられると、その理想への道案内を果たすリーダーシップを示し、心的オーガナイゼーションの重要な要素になる。しかし、もし小児が重症な自己愛的外傷を受けると、誇大自己は、自我の妥当な部分へは融合せず、その姿を変えないまま保持され、太古的な目標の達成を飽くことなく求める。もし小児が、賞賛する大人に外傷的な失望を覚えると、理想化された親のイマーゴもその姿を変えないまま保持され、緊張ー制御的tension regulating心的構造へと変形されず、利用可能な『取り入れられたもの』introjectとしての地位を獲得せず、自己愛的なホメオステーシスの保持に不可欠な、太古的移行自己ー対象のまま止まる」(p.27ー8)。

 

 こうした発達上の固着と、その結果生まれる病理は、当然、治療関係を通して活性化されてきます。そして、「理想化された親のイマーゴの治療的動員mobilizationから発生する転移が、理想化転移であり、誇大自己の治療的動員から発生する転移が、鏡転移である」(p.28)。〜

2018-08-14

買い物と、【Kohutによれば幼児は、失われゆく万能感を、理想化された対象に託し、その対象とのかかわりを持ち続けることによって明らかそれを保持しようとします。】

20:31

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 夜勤明け、また、寝ようか?寝ないでおこうかと、悩んでいたら(笑)もうこの時間....。

お盆休みの方々は、帰省されたり、うたたねで過ごされたりで、今日は、親分運転で送迎やドライブに行ったそうです。

 お昼に、近くのコンビニに皆さんで買い物に行ったと、写メが送られてきました。

写っていない方も居られますが、選ぶのが早くて、写せなかったと、親分談(笑)

 ご自分で選んだものは、大好きなものなので、皆さん残さずに食べられたとのことでした。

 朝は、大分前から朝マックと決まっていたので、自分の時には、朝食をフレンチトーストかホットサンドを5時半くらいか作るので、気が緩んでしまったのかも知れませんね(笑)

 まりちゃんが、仕事だったので、マックには、いのうえっちと、利恵さんと3人で行って来て、テイクアウトしてきました。

皆さん嬉しそうですが、この前食べたばかりかも(笑)。6時半に貰いに行きましたが、すでに暑かったです.......。




 いつもは、適当にとる仮眠をとれず(楽な夜勤だったので、書類に目を通しながら、6時前にうとうとしていて、いのうえっちに起こして頂きましたがw)、本を読む気力もなく(笑)、真直ぐ帰宅しました(笑)。貯金があるので(現金のは、全くありませんがw)、余裕です。

 ボーっとしている時には、取り敢えずギターを持ってしまいます(笑)。それで一日が終わります(笑)今は、自分的に難しい曲を2曲同時に練習していて、どうしてもスムーズに運指出来ない箇所がそれぞれ1か所ずつあり、そればかり集中的に弾きこんでいます。

それと、遊びがてら、ロカビリーロックンロールのリフをいくつか引っ付けて、皆さんが踊れるようなリフの塊を、少しずつ増殖(笑)させています。




 読む本、読む本が新鮮に感じてしまうのは、やっぱり自分の勉強不足を露呈している様で、恥ずかしいですが、知らない、分からないことを、堂々と(笑)言えるのは良いことではないでしょうか?知ったかぶりなんかしていても、実力が上がるわけでもないですしね.....。

 ソクラテスのドクサの吟味ですね!


 下記は、英国学派でも対象やシンボルと言う時に使う概念の様な気もします。し、精神分析はもとより、福祉の現場でも、重度の方ほど、その方に少しでも近づくことができる支援者が、まず、その方の対象になって、そこから、他の支援者にも支援が出来るように(対象になれるように)していくことが重要なことだと思って、毎日支援方法を考えさせて頂いています。

 『自己対象との交流は、自己対象が目の前にいないと起こらないわけではありません。対象のイメージが心的内界に活性化できるなら、対象との実際の接触を必ずしも必要とはしません(前にあげた例で言えば、私はKohutに一度しか会ったことがありませんし、今はもう亡くなっていますが、それでも私の中において自己対象です)。』












もう1つは、理想化の対象としての機能です。Kohutによれば幼児は、失われゆく万能感を、理想化された対象に託し、その対象とのかかわりを持ち続けることによって明らかそれを保持しようとします。この理想化された自己対象の機能が、段階的に託し十分消化されて内在化(これをKohutは、変容性内在化と呼びます)されると、自己評価調整機能や、緊張緩和機能となります。一方、理想化できるような対象に恵まれなかった場合幼児は、そうしたきをつけて的欠損部分を補おうと、いつまでも『太古的な自己対象』(幼児的なレベルで理想化し、その理想化を保持できる関係)を希求し続けることになる。その治療的活性化が理想化転移です。

 成熟した形で理想化の対象となる自己対象を求める気持ちも、生涯を通じて続きます。私の例にもどれば、「この本をKohut(あるいは日本での師)が読んだらどう思うだろう」と思いつつ書く私の中には、いつも理想化された自己対象のイメージが宿っていますし、もっと言えば、精神力動的な精神療法という世界自体が、私にとっての自己対象であるとも言えましょう。

 自己対象は実在する対象(相手)であると書きました。実際Kohutの著作を読んでゆくと、表現上、自己対象という言葉が実際の母親を父親を指しています。とは言え、自己対象との交流は、自己対象が目の前にいないと起こらないわけではありません。対象のイメージが心的内界に活性化できるなら、対象との実際の接触を必ずしも必要とはしません(前にあげた例で言えば、私はKohutに一度しか会ったことがありませんし、今はもう亡くなっていますが、それでも私の中において自己対象です)。

『自己の修復』においてKohutが記載した自己対象の機能は以上の2つですが、それに加えてKohutは『分析的治癒の機序』において、第3の自己対象機能を論じています。それが、『自己対象分析』と『自己の修復』においては鏡転移の亜型として分類されていた双子(分身転移です。〜

2018-08-13

お化け(笑)と、【Kohut理論において自己対象は、実際の母親のように、実在の対象(相手)です。】

22:09

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 今日も、いのうえっちが、みんなの笑いをとろうとして、色々と、頑張っていましたが、反応がいまいちだったので(笑)

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 突然(笑)お化けになりました(笑)

が、本当に突然だったので、皆さんびっくりされていました(笑)

 ある面では、成功だったのかもしれませんが、急だと、リアクションに困ります(笑)



 今日は、夜勤なので、朝、近くのファミマで、ジムが開くまで本を読み、ジムでしっかりと、ストレッチと筋トレ、ランニングマシーンをやってきました。

ジムから帰り、仕事を横目に(笑)ギターも弾き込んでから、出勤しました!指の痛みが、思ったより早く治ったので、良かったです。



 下記は、逆に言えば『太古的な自己対象』を、見つけだせたら、その方の鏡転移の仕方が分かるので、持って行き方が、分かり易くなるということでしょうか?

『もし乳幼児がそうした自己対象ニード恵まれないと、『融和した自己』期と呼ばれる自己の発達段階に固着を起こし、いつまでも『太古的な自己対象』を希求し続けることになります。この『太古的な自己対象』が治療的に活性化されたのが鏡転移です。』




3.コフート理論の概要

 〜ある精神科レジデント(1児の母)が言った「(Mahlerも含めた)伝統的精神分析の発達理論に比べ、自己をその検索の中心におくKohutの発達理論は、私の育児経験にずっと近い」という言葉を心の片隅にとめておくと、さらに理解しやすいかもしれません。

 自己の始まりについてKohutは、「母親がはじめて赤ちゃんを目にし手に触れた瞬間に、人の自己を構築する過程は『実質的』に始まっている」(『自己の修復、p.100と述べ、母親を心の中のイメージとしてあるその自己を『実質的virtual自己』と呼んで、自己の起源と考えます。その自己は、産まれながらにして生への確固とした自信を持っており、その生を支える情緒的環境を当然のことと期待します。新生児の呼吸器が大気中の酸素を何の迷いもなくあてにするように、新生児は、心理的ニードと期待を濃やかに感じとってくれる共感的環境を、何のためらいもなく当てにしている」(自己の修復、p.2)と記載する時Kohutは、伝統的精神分析が描く、頼りないhelpless乳児をその前提とはしていません。共感的環境としてある母親に自分の要求をためらいなく向ける、アーサティブな存在を考えています(ここでアーサティブとは、自分らしさを求めて自分を出す態度です)。

 このアーサティブな乳児に共感的環境を与える母親――乳児が自分の一部として感じる母親――が自己対象です。Kohut理論において自己対象は、実際の母親のように、実在の対象(相手)です。




 〜その自己対象としてある母親が、乳幼児に対して果たす役割が2つあります。

 1つは、鏡としての機能です。自己対象は、生得的にプログラムされた『自分』を、共感的環境のもとで誇らしげに展開する乳幼児の自己を映し出し、その展開を促進します。そうした自己対象が与えられてはじめて自己は、幼児的(これをKohutは太古的archaicと呼びます)な自己対象ニードから抜け出し、より成熟した形の自己対象(『大人同士の関係』)から自己愛的な満足を得られるようになります。たとえば、こうしてKohutに関する原稿を書いている私にとっては自己対象は読者であり、読者(という鏡)からのフィードバックという映し出しが、私にとっての成熟した自己愛の満たし方であるといえましょう。もし乳幼児がそうした自己対象ニード恵まれないと、『融和した自己』期と呼ばれる自己の発達段階に固着を起こし、いつまでも『太古的な自己対象』を希求し続けることになります。この『太古的な自己対象』が治療的に活性化されたのが鏡転移です。

マックと、【とすれば、抵抗を惹き起こし「洞察を阻んでいる」のは患者ではなく治療者ということになります。】

08:28

昨夜、ブログの更新をしていましたが(笑)途中で何かをしていて、アップするのを忘れていました(笑)

せっかくしたので、変な時間ですが、アップしておきます。

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 昨日は、日中賑やかだったので、2班に分かれました、自分は外食組になり、ドライブがてら豊橋マックに行きました。

写真には写っていませんがJ君が来られるときは、マックと決まっているので、行きました。

 皆さん(自分もですがw)、マック大好きですね!体に悪い物ほど、美味しいですものね!

たまにはいいかも?ですね!




 本は、いつもの如く、早めに出て、ファミマで読みました。

 下記も、現場で気をつけないといけない事の一つですね!

『患者との『抵抗』の場合も同じです。患者が抵抗を示すのは、「事実を見たくないから」というより非共感的な治療者によって傷付けられるのをおそれているからなのかもしれない。』

 





6)抵抗

 ジャンボ・ジェット機747は、いったん飛び立つと限りなかき安定性を示し、「落そうとしても落ちない」と言われます、人の性格も同じで、いくら治療同盟を結んで治療に入っても、それを変えようとすれば「現状維持力」が強力に働くであろうことに疑いの余地はありません。問題はその「現状維持力」の持つ意味です。

 

 患者との『抵抗』の場合も同じです。患者が抵抗を示すのは、「事実を見たくないから」というより非共感的な治療者によって傷付けられるのをおそれているからなのかもしれない。とすれば、抵抗を惹き起こし「洞察を阻んでいる」のは患者ではなく治療者ということになります。

 治療者の存在を抜きにして、抵抗は語れません。










7)エディブス葛藤

 精神分析を知っていることを自認する人なら誰でも、1つや2つはエディブス葛藤の「素晴らしい」例を知っています。私は、記憶にも、スーパーバイザーから聞いた、「素晴らしい例」があります。「昼休みに家です帰ると5歳になる息子が一瞬、『お前なんか帰って来ない方がよかった』と『射殺す』ような目付きで私を見た」。

 そうした例も話としては面白いのですが、5歳の時のそうした葛藤が大人の病理を生んだと、私を納得させるような症例には一度として出会ったことがありませんですそれに、神経症・ほとんどが、4〜6歳の時の葛藤をもとにして出てくるとはとても考えられない。かつてレジデントの頃、患者の生育歴から精神力動的な定式化を考える際、事実というよりは、理論的推論で形を整え、それに不全感を覚え続けたのを今でも思いだします。

 Kohut理論に出会った時、こうした疑問のいくつかが、私の中で解決されました。

2018-08-11

お盆休みと、指のけがと、【つまり、養育者がある時点でしたことというより、その養育者のあり方が問題なのです。】

20:43

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 今日から、お盆休みが始まった方も多いのではないでしょうか?

うたたねの利用者さん達も、帰宅できる方は、帰省されたので、帰省できない方々と、お盆はご馳走を食べに行く約束をしました。

 帰省される方も色々で、ご家族と一緒にいても変わらない方、ご家族といると、一次的になられて、現実味が顔の表情からなくなる方と、色々ですね。ご家庭でも、施設でも、きちんとけじめをつける事ができないと、現実味のない表情になってしまう傾向があります。

 小羊学園の理事長の稲松さんが、人は生まれた時から、平等ではない。と言われていましたが、利用者さん達の表情を見ていたり、環境を考えると、帰省できるできないで、幸不幸は量れないかも知れないなと、ふと思いました。

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 先程、ひーひー王子との散歩では、空がきれいでした!

空を見ていると、ふと下記の言葉が頭を過ぎりました。何の脈絡もありませんが(笑)


 愛なき力は暴力であり、力なき愛は無力である。

愛力不二(少林寺拳法創始者宗道臣


 力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。なぜならば、つねに悪人は絶えないから、正義なき力は弾劾される。それゆえ正義と力を結合せねばならない。パスカル


 刀(拳)は磨かなければならないが、抜かないに越したことはない。大山倍達


 きっと自分が、世の中の流れに、愛を感じる事ができなくなったからでしょうか?



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 ギターを弾くので、指先には細心の注意を払っているつもりですが(笑)、先日、すろーじゃむに行った時に、雑草が沢山生えていたので、無意識に、素手で沢山抜いていました(笑)が、指を痛めてもいました(笑)。

 それでも、絆創膏を強く巻いて、ギターを弾き続けてしまうのはなぜなのでしょうか?自分でも分かりません......。

今日も休日でしたが、早番さんがいなかったので、志願して早朝に2時間くらい仕事をしてから、帰宅して、常勤換算を仕上げました。

 仕事はいくらでもありますが(笑)今日はそれだけにしておきました(笑)。


 本は、早番でしたが、早めに出て、読んだり、昼食時に読んだりしましたが、中々進まず(笑)。でも、確実に身になっている気がしています。読むだけなら早く読めそうですが(笑)、本当に良い本なので、じっくり読ませて頂きます。







5)psychosexual development,固着点、退行

 精神科の疾患は、「おのおのの疾患に特徴的な、発達段階(口唇期、肛門期、エディブス期など)上、「固着点への退行」として説明できるとする仮説は、分析理論の中でも一番理路整然とした部分であり、魅力的な部分です。にもかかわらず(あるいはそれゆえに?)、私にとってはそれが最も受け入れにくい部分でした。私の想像の中ではどうしても、精神病と1歳児、強迫神経症・性格と3歳児、エディブス葛藤と5歳児が結びつかないのです。退行は「発達段階という時間の流れに沿った逆行性の動き」だから「精神病の患者は1歳児と同じ」という議論は持ち、退行を「事象のとらえ方、見通し」という枠組みで考えて、「精神病の患者のもののとらえ方は1歳児と同じ」、「強迫神経症・性格の患者の見通しは3歳児のレベル」としても、納得できないのです。まして、それぞれの病理の発端あるいは葛藤の『初版』が、そうした発達段階、ある特定の点(固着点)にあるとなると、もうとても納得できない。実際、そうした仮説が正しいことを証明するデータは、ここ50年、1つとして発表されていません。

 固着点と退行という考え方には、その基本として、「ある時点における精神的外傷」という、初期フロイト理論の仮説が強く生きています。しかし、フロイト以後の研究によって明らかなように、精神病理の大部分、特に性格病理は、ある瞬間的な外傷というより、養育者との間で繰り返される関係パターンを通して起こってきます。つまり、養育者がある時点でしたことというより、その養育者のあり方が問題なのです。そして、その養育者のあり方は、プリエディパル期、エディパル期はもちろん、その後も、ある一貫性をもつパターンとして、将来の患者との間で繰り返されたはずです。そしてその蓄積が病理を生むのです。病理の出発点はどこでしょう?たとえ3歳の時にそのパターンの1回目が起こったとしてはたしてそれが病理の原因であると言えるのでしょうか?

2018-08-10

すろーじゃむと、【人間には、ただただエネルギーの発散を求める欲動だけでは説明しきれない、生得的にプログラムされた「生きる動機」があるはずです。】

20:11

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今日は休みでしたが、3回呼び出しがあり(笑)現場に向かいました。

その内1回がすろーじゃむだったので、草ぬきを少しと、それをいちごの上に被せて、暑さ対策をして来ましたが、全滅に近いくらいですね.....。イチゴを植えてから、4年くらいになりますが、こんなのは初めてです......。

 空は綺麗ですが........。

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 ぶどうは、台風で大分やらてしまいましたね........。


 本は、ジムが開くまでと思って読みましたが、ジムがお盆休みになっていました.......。

せめて今日までやって欲しかったですが、木曜日が定休日なので、仕方がないですね.......。

 今日、読んだ箇所は、閃く事が沢山あり、イギリス学派よりやはり自分はサリヴァンを含めた、アメリカの方が合っているのかな?と思ったりしましたが、クラインの妄想ー分裂ポジションや、抑うつポジションなどは、自分には現場での支援を組み立てる時には、分かり易いし障がいをお持ちの方々にも当てはまるところが多いし、なによりも、フロイトという天才が生み出した概念は、時代背景に沿って考えれば、間違う事も少ないのではないか?とも思えます。批判ばかりしていても、何も始まらないし、何も残せない方ほど、批判が大好きですよね?(笑) ニュートンが言うように、自分たちは先人の肩に乗って、物事を考えられるので、時代や自分の現場に合ったり、応用できるものはさせて頂かないと、もったいないですね。

 今回のアップは、復習的ですが、先になると、段々効いてきます(笑)



4)欲動

 この用語も、人間の心を劇画風に描くには好都合であり、複雑な人間の心に初めてメスを入れるのに欠かせない役割を果たしました。実際、フロイトの時代、現在の感覚でいえば短期精神分析的治療によって、限られた範囲の葛藤を、比較的健全な患者を相手に治療している限り、欲動という用語は実に便利で有効であったと考えられます。問題は、フロイトに続く分析医たちが、正統派の立場を固守するあまり、精神分析的治療の期間や対象が変化した後も、その用語にしがみつき過ぎたことです。

 たとえば、欲動と共感の関係。精神分析的治療の中心が欲動の盛衰の理解にあり、その過程で共感が重要な役割を果たすとすれば、治療者は、目的性も持たない欲動という『車のエンジンのようなエネルギーの塊』に、いかに共感したらよいのでしょうか?ちょっと考えただけでも、人間の複雑な心のプロセスが変化目的も方向性も持たない2つの欲動によって説明できるわけがありません。それは、ノルアドレナリンセロトニンだけで人の抑うつ気分を説明しようとするのにも増して科学性を欠きます。人間には、ただただエネルギーの発散を求める欲動だけでは説明しきれない、生得的にプログラムされた「生きる動機」があるはずです。

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