韓非子五十五篇の11「孤憤」とは、法術の士が重臣に妨害されて才能をあらわせないことの憤りを言い、韓非の自著とされる重要な篇である。 ここに、「主の利は労有りて爵禄するに在るも、臣の利は功無くして富貴なるに在り。」との記述が有るが、まさしく、今、我が国の国会議員を含む行政機関、およびマスメディアは、国主である私たち国民の利益を最優先しているとは言えない。 これを知る者としては、聞く人無くとも、誰ぞ、術士・能士の目に触れられるために、「孤憤」をつづるわけである。 果たしてそこに意義はあるのか?と訝しる人もいる。 そこで、先日のエイプリルフール、ちょっとした有名人から、♡をもらったというフェイク画像…