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予定調和

(読書)
よていちょうわ

哲学者ゴットフリート・ライプニッツが形而上学説モナド論(モナドロジー)において提唱した考え方。

ライプニッツのモナドは合成体ではなく究極の単純な実体であり窓を持たず相互に関係を持たず、自己独自の内的論理のみに従って変化する。そこでモナド相互があたかも関係を持って変化し、ひとつの同じ世界を「反映」しているのは何故かという問いが生まれる。これは同時にライプニッツのモナドが魂でもあることから、心身の並行関係の根拠への問いともなり、複数の主観が同一の現実を経験しているとみなせる根拠は何かという問いでもある。
そこでライプニッツの答えは、神が、予め、個々のモナドが結果として一致して、ひとつの宇宙を反映するように、うまく初期状態を定めたからだ、ということであった。たとえば二つの異なるメカニズムの時計をそれぞれ同じ時刻に鳴るように仕組んだ場合、二つの時計の間に相互作用はないにもかかわらず、あたかも相互作用があるかのような一致が結果として生まれる。このモナドの相互調和、そしてそれによって反映される共通のひとつの宇宙が、可能世界のうちで「最善」の世界である。この反映される調和状態、宇宙が可能なうち「最善」の世界であるとされるのは、単に最も善いものを反映するように複数のすべてのモナドを強調させることは論理的に不可能であるかもしれないからだ。誰もがハッピーという状態は並存不可能だというのは明らかなところだろう。
そこで、神は、すべてのモナドが共通して反映しうるすべての世界のうちで、最善のものを選んだのだ、とライプニッツは考えた。したがってこの「最善」はありうるうちでいちばんマシという意味だから、この世界は完全ハッピーな世界ということではなくて、世界はこの状態がいちばんマシなのだ、という意味である。
この、予め神によってすべての孤立したモナドの間に仕組まれた調和が、元来の予定調和説である。

これが転じて、小説やドラマなどの物語世界において決まった結末が定められ、物語がその結末へ向けて収束する事を予定調和と呼ぶようになったようだ。
ミステリー小説においてはどのような形であれ事件は解決し、恋愛小説においては何らかの恋愛が成就する……というように多くの物語では一定の結末を迎える事が約束されており、何らかの予想可能な結末を迎える事になる。そのような意味から考えれば、物語は広い意味での予定調和の上に成り立っていると言えるだろう。

ただし一般的には、時代劇において悪代官や腹黒商人が、民衆の味方である先の天下の副将軍や退屈な旗本によって懲らしめられるといった予め結末はわかっている物語において、その予定通りの結末が描かれる事を予定調和と呼ぶ事が多い。
またゲームなどにおいては、どんな行動をとったかに関わらず一定の結末へ向かうようなベクトルが定められているものを揶揄する表現として使われる場合もある。

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