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201系

(一般)
にひゃくいちけい

この項では、国鉄時代に製造を開始し、日本国有鉄道・JR東日本・JR西日本において運用された電車201系について説明する。
1979年、当時の国鉄(日本国有鉄道)が開発・製造した通勤用直流電車。

現在の運用範囲

JR西日本 大阪環状線、大和路線、おおさか東線。

かつての運用範囲

◆JR東日本
中央線(快速)・中央本線(中央東線)・中央総武緩行線・武蔵野線・青梅線・五日市線・八高線・京葉線・外房線・内房線・東金線。
◆富士急行
富士急行線(JR乗り入れ運用)。
◆JR西日本
東海道・山陽緩行線、和田岬線。



仕様

国鉄が15年以上製造してきた103系電車に変わる20M4ドア通勤電車として、1973年のオイルショックを背景に設計された省エネ電車。
チョッパ制御という、制御方式を使用。
スイッチのON/OFFを連続的に切り替えを行い、その切り替え比率によりモーターに任意の量のみ電気を取り入れるシステムを搭載。
必要量のみの無駄が無い電力消費を実現(従来の抵抗制御では、常にモーターに電気を送るようにして、無駄となった電気を熱に変換していた)。
また、減速時にモーターを発電機として使用し、発生した電力を架線に戻して再利用する、回生ブレーキを採用した。
車体は従来の形式を引き継いだ鋼製であるが、台枠部分外板接合面の設計見直しと、ステンレス無塗装部品の多用を実施。
雨どい部分の張上げ屋根構造と合わせて、従来の車両構造に対し大幅に洗練される。
ジンカート処理を用いたブラックフェイス採用の、左右非対称の正面デザインが斬新である。
製作当時、京急800形とほぼ同じ正面デザインになるはずだったが、国鉄がそれを聞きつけて車両メーカーに抗議したため、国鉄201系は左右非対称。京急800形は左右対称のデザインに改められたといわれる。

バリエーション

落成時原型先頭形状。
バリエーションとして、
・試作車
・標準量産車(ただし運行番号はLED表示化。)
・軽装車(窓のバランサーを省略した。)
・中央快速線継続使用適応車(山間部への乗り入れ・快速運転複雑化への対応・雪害対策などを施した重装車)
・四季彩車両(観光用改造車)
・体質改善N30更新改造車(西日本のリニューアル車)が主に存在する。
種別表示を取り付けた中央快速線継続使用適応車。
総武線から青梅・五日市線専用に転用された車両。軽装車のみ。
四季彩 編成イメージ。警笛を鳴らし東京圏に別れを告げる廃車時。
四季彩 正面と改造窓側。2009年7月20日のラストランイベント走行時。
体質改善N30更新改造車。鶯色の塗装は、大和路線専用色。

    • カラーリング

オレンジバーミリオン 中央線(快速)・中央本線(中央東線)・武蔵野線・青梅線・五日市線・八高線・篠ノ井線(臨時)・南武線(臨時)。
富士急行線(JR乗り入れ運用)。大阪環状線・桜島線。
カナリアイエロー 中央総武緩行線。
ウグイスグリーン 関西本線(大和路線)、おおさか東線。
スカイブルー 東海道・山陽緩行線、和田岬線、京葉線・内房線・外房線・東金線。
四季彩色(新旧) 四季彩。

歴史

通勤型電車の系譜の上では103系の後継にあたる。千代田線直通車両の203系も電機子チョッパ制御車であり、「兄弟車」とも言える。
電装品に専用の高電圧対応部品などを使用した影響で制作費が高いという問題があり、201系の設計を流用して中距離運転に対応した車輌は製作されずに終わった。
1985年に、汎用電装品部品比率が高くよりコストダウンした205系に製造を引き継いで製造終了。中距離電車の置き換えも205系設計ベースの車輌が本命となった。
国鉄時代に導入した線区は中央線・青梅線・五日市線・総武緩行線・京阪神緩行線。

車両運用の歴史 JR東日本

E233系投入により中央線・青梅線・五日市線用のオレンジ色201系は2006年末より順次置き換えられ廃車となっている。
極少数であるが、運用車輌確保の為、廃車を免れ水色に塗り替えられて京葉線に転じたものもある。
JR東日本の中央線で運転している中央快速線専用車及び中央総武緩行線は、以下の様な状況となっている。
■1993年
中央線使用車両の内、オレンジバーミリオンの快速使用車両の先頭部に、電照式列車種別表示を搭載。
■1997年
大月駅で発生した列車事故により、廃車発生。
■1998年
209系500番代の中央総武緩行線への導入により、中央総武緩行線から201系の転属が始まる。
■2001年
11月28日を持って、中央総武緩行線での運用を終了。黄色いカラーの201系は終了となる。
■2006年
秋口に後継車両のE233系の導入開始。11月より運用開始。当初はE233系は2編成のみ導入。
■2007年
夏季運行の、諏訪湖花火大会臨時列車が、この年の臨時列車を持って201系運用を終了。
甲府駅にて。
下諏訪にて。
分割編成の201系置き換え開始。
高麗川にて。
■2008年
2008年1月29日のH1編成運行終了。
 H1編成最終日の最後の上り列車運用。
残り5編成まで減少。
2008年3月を持って、青梅線・五日市線・八高線・富士急行線直通の、分割編成運行終了。
2008年4月の段階で残り3編成となる。
中央線高架工事での武蔵小金井車両区の配線完成延期に伴い、2008年3月で運行終了を取りやめ運用期間延長。
2010年7月頃まで使用を目安に運用継続の為、残存させる車両にデジタル無線受信工事を実施。
H4編成6月10日・H7編成8月8日にデジタル無線装備で工場出場。
■2009年
s千駄ヶ谷付近を行く201系。

桜と菜の花の名所、東中野の築堤区間を走る201系。都心部で桜の下を走る201系の姿は、2009年が最後となっている。
立川〜日野間の残堀川を走る。
■2010年
E233系のソフトウェア更新に伴う予備車両確保として、更なる運用期間延長を実施。
 2010年元旦の終夜運転で2編成共に運用。水道橋にて両編成の並びが見られる。
1月中旬から、3月までの間は、「愛されて30年」ステッカーを掲示し定期運用に充当。
 愛されて30年ステッカー取り付け。
3月13日に一旦運用終了状況にあったが、4月以降定期運用に充当。
4月からは、「さよなら中央線201系」キャンペーンを実施。
第一弾をH4編成を使用。
 さよなら201系H4編成。キャンペーン用ヘッドマーク。
H4編成は6月20日の「さよなら中央線201系H4編成 山梨、そして信州へ」を持って運用終了。
 2010年6月20日。松本から長野までH4編成回送運用。聖高原にて。
 2010年6月20日。長野に到着したH4編成。その後最終目的地となる北長野へ回送。
H7編成は引き続き使用。10月15日までの間、キャンペーン第二段と定期運用を並行して運用をこなす事となる。
 H7編成定期運用。2010年の記録的猛暑の中の8月3日定期運用のひとコマ。国分寺にて。
 H7編成定期運用。8月3日18時過ぎの夕刻ラッシュ充当。荻窪にて。
 H7編成キャンペーンで、豊田車両区にて、京葉線所属車(ケヨK51編成)と並ぶ。
 9月13日に、H7編成種別表示幕の破損が発生。(盗まれたという説も)東京にて。
H7編成は、2010年10月14日、鉄道の日に定期運用を終了。
2010年10月17日の「さよなら中央線201系H7編成 山梨、そして信州へ」を持って、運用終了となった。
(sashimimann氏撮影。)
なお、同形式引退を持って、中央線のオレンジ色単色塗装の電車は、全て運行終了となった。
(ひでちゃん氏編集。)

京葉線は、唯一スカイブルーの201系が走っていて、首都圏最後の銅製単色塗装車であった。
しかし、こちらも205系や209系やE233系によって残りケヨK54+K4編成のみとなっていたが、6月20日に営業運転を終了し、同月23日に廃車回送された。これにより、スカイブルー・東日本の201系は消滅した。
■1999年
中央総武緩行線から転属車両が発生。試作車も転属した。
■2000年
京葉線・外房線・内房線・東金線で営業運転開始。
■2005年
ケヨK72編成に入っていた、900番台を廃車。残りのケヨK72編成・K73編成の量産車で組み替えてケヨK73編成を欠番。ケヨK51+K1編成は中間車を除いてケヨK72編成と組み替え。
■2007年
幕を交換。幕の上に細く赤地に白字の京葉線という文字が入った。
また、中央快速線から10両貫通編成が京葉線に投入された。(ケヨK70編成・ケヨK74編成)
■2008年
10両貫通編成廃車。これにより、JR東日本からサハ201形が消滅。
■2009年
ケヨK72編成・ケヨK73編成が廃車。
■2011年
3月11日、東日本大震災により、201系ケヨK51+K1編成のモハ201-514が脱輪。(後に復旧)
4月 5日、京葉線ケヨK53+K3編成が廃車。
4月26日、京葉線ケヨK52+K2編成が廃車。

5月17日、京葉線ケヨK51+K1編成が廃車。


6月 7日、京葉線201系引退を控え、引退記念ヘッドマークを提出。

6月20日、京葉線ケヨK54+K4編成が、81運行新習志野8時45分着を持って定期運行終了。
奇しくも中央線H4編成引退の丁度1年後である。
6月23日、京葉線ケヨK54+K4編成が廃車。これにより、JR東日本から201系が消滅した。
ラストラン(20日)の時のケヨK54+K4編成。この3日後に廃車回送された。

2000年代以降 近年の動き 西日本

JR西日本の201系は、2005〜07年の321系投入により東海道本線・山陽本線(JR京都線・JR神戸線)からは撤退した。
8両編成に組みかえられて森ノ宮電車区(現:吹田総合車両所森ノ宮支所)に転属し、大阪環状線で103系の後継車として2005年12月より営業運転を開始した。
これにより従来水色の201系しか見られなかった大阪で、オレンジ色の201系が登場している。一部は水色のまま森ノ宮に転出し、後から塗り替えられた。
大阪環状線置き換えと並行して、2006年12月にウグイス色に塗り替えられ、6両編成となって奈良電車区(現:吹田総合車両所奈良支所)に転属した車両が大和路線で営業運転を開始した。
現在は車体更新が完了し、森ノ宮支所に配置されている車両は大阪環状線・桜島線(JRゆめ咲線)で、奈良支所に配置されている車両は大和路線・おおさか東線で運行されている。
2012年には行き先表示機をLEDに交換された編成も登場している。

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