<包容社会 分断を超えて>(上) 対話は力、強きをくじく - 東京新聞(2017年1月1日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201701/CK2017010102000119.html
http://megalodon.jp/2017-0102-1020-59/www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201701/CK2017010102000119.html

◇トランプ氏に侮辱された米兵遺族のイスラム教徒・弁護士キズル・カーンさん(66)
「米国第一」を掲げるトランプ氏が米大統領に就任する二〇一七年、世界の先行きは見えない。人びとの不安が排除や分断の動きを強める恐れもある。不安の解決に必要なのは社会の包容力だ。苦しむ人びとを包み込み、苦境から脱出させる社会へ。包容社会を目指す人びとに聞く。
私はイスラム教徒の米国人で、息子(米陸軍大尉)はイラクで戦死した。トランプ氏が出馬表明した二〇一五年、「全てのイスラム教徒の身元調査をする」と述べ、宗教や移民に差別的な発言をするのに対し「憲法違反だ」とメディアにコメントした。それが注目されて、一六年夏の米民主党大会に招かれ、演説で「トランプよ、憲法を読んだことがあるか」と突きつけた。合衆国憲法は宗教や人種による差別を禁じ、国民全員の平等を約束している。
今年、トランプ大統領の四年の任期が始まる。とても懸念している。だが、われわれには声を上げる力がある。
いま、イスラム教徒や移民らの子どもたちが学校で悩んでいる。「僕らは捨てられるのではないか」と。その心配を表にも出せないでいる。だからこそ、私たちが言葉にしてあげなければいけない。「大丈夫だ」と。「そんな不平等な扱いはさせない」と言って抱き締めるのだ。
私たちは恐怖を利用する人々に対して、「それは違う、憲法違反だ」と語り続けなければいけない。子どもたちや不安を抱える人々を抱擁していきたい。
私は党大会を機に各国での講演が増えたが、英国でもイタリアでもフランスでも「恐れ」が燃え盛っていると感じる。移民への恐れ、経済格差への恐れ。何も知らないことへの恐れ。いまは恐れの時代だ。
この恐怖を利用し、巧みに操って商売や自身の成功に結びつけようとする動きが各国である。中道的な思想は追いやられ、人々は幅広い結び付きよりも拒絶を選び、極端に右傾化している。人々を結ぶ橋よりも、壁をつくる方が好まれてしまうのはこのためだ。
だが現代の私たちは、世界で相互に依存しあい、助け合いながら生きている。壁ではなく、両岸から互いに橋を渡し合わないといけない。(米バージニア州シャーロッツビルで、石川智規)

◆沈黙ではなく声を上げてほしい
私は学生時代、パキスタンの大学で法律を学び、欧米各国の憲法を読み比べた。中でも米合衆国憲法の修正第一四条には心から感動した。民主主義とは何か、民主主義は何を人々にもたらすのかが書いてある。
私が米国に移り住もうと考えたのは、このようにすばらしい憲法を持つ国だからだ。私はいつも胸ポケットに合衆国憲法の冊子を持ち歩き、会話した人々に冊子を配っている。党大会でも、トランプ氏が憲法を読んだことがないのなら喜んで貸そうと話した。
私がなぜ憲法を、市民権を定めた修正第一四条を愛しているか。その答えは、実際に条文を読み上げることでお伝えしたい。
『合衆国で生まれ、または合衆国に帰化し、かつ合衆国の管轄に服する者は、合衆国の市民である』
『いかなる州も、法の適正な手続きなしに、何人の生命、自由または財産を奪ってはならない。いかなる州も、合衆国市民に対し平等な保護を否定してはならない』
私は欧米各国の憲法を読んだが、どこの国もここまでは書いていない。市民の平等と尊厳を認め、かつそれを守ろうとする強い意志の表れだ。もしわれわれが不当な扱いを受けたら、オバマ大統領を訴えることもできる。私が声を上げることを、誰も止める権利はないのだ。
その米国で、トランプ氏が大統領に選ばれた。私が各地で講演すると必ず、「彼の思想を受け入れることはできない。どう対処すればいいのか」と聞かれる。
答えは二つだ。一つは声を上げること。私は自分が信じる憲法の大切さと、よって立つ信条に基づいて、発言を続ける。声を上げなければ自分たちが望まぬ方向に物事が動いてしまう。
二つ目は、声を組織化し、抗議をすること。デモに参加するのもいい。権力者に対してデモは非常に効果的だ。米国であれば、ホワイトハウス前で抗議活動をするのもいい。声と抗議。私も実践していく。それは非常に効果的で、市民社会にとって必要だ。
いま、米国や欧州で燃え盛る移民への恐怖、経済格差への恐怖は、振り子のように右へ右へと向かっている。中道の時代は終わり、極端な移民排斥を訴え、多文化主義を否定する「オルト・ライト(alternative rightの略=オルタナ右翼)」運動が巻き起こっている。
だが、このような極端な思想はいずれ失敗に終わる。世界は相互に依存しているからだ。私たちは昔よりも互いに密接になっている。生活でも貿易でも、あらゆる場で世界とつながっている。このような世界で、壁をつくってはならない。
無言と中立は、迫害者を助けるだけだ。そして沈黙は苦痛を招く。何を信じるのか、自分のよって立つ考えを話すことが大切なのだ。沈黙ではなく、みなさんも声を上げてほしい。 (聞き手=石川智規)
      ◇
米国人弁護士。1950年パキスタン生まれ。80年米国に移住し、ハーバード大法科大学院卒。2016年民主党大会で演説後、登壇した妻についてトランプ氏が「(夫に)発言を禁じられていたのだろう」と述べ、イスラム教徒の夫妻を侮辱した。

年のはじめに考える 不戦を誇る国であれ - 東京新聞(2017年1月1日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017010102000121.html
http://megalodon.jp/2017-0102-1020-35/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017010102000121.html

新年早々ですが、平和について一緒に考えてください。人類はなぜ暴力を好み、戦争がやめられないのか。どうしたらやめる方向へと向かうのか。
日本の平和主義を二つの観点から見てみましょう。
一つは、だれもが思う先の大戦に対する痛切な反省です。
振り返れば、日本は開国をもって徳川の平和から明治の富国強兵へと突入します。
平和論より戦争論の方が強かった。「和を以(もっ)て貴しと為(な)す」の聖徳太子以来の仏教の平和論をおさえて、ヨーロッパの戦争論がやってきます。
例えば「戦争は政治の延長である」という有名な言葉を記すプロイセンの将軍クラウゼヴィッツの「戦争論」。その一、二編はドイツ帰りの陸軍軍医森鴎外によって急ぎ翻訳され、続きは陸軍士官学校が訳します。海洋進出を説く米国の軍人で戦史家マハンの「海上権力史論」も軍人必読でした。
欧米の戦争を学ぶ。いい悪いはともかくも追いつかねば、の一意専心。帝国主義植民地主義。日清、日露の戦争。
そういう戦争精神史をへて突入したのが、満州事変に始まって太平洋戦争に至るいわゆる十五年戦争です。
最大の反省は人間が人間扱いされなかったことです。人間が非人間化されたといってもいいでしょう。そういう異常の中で敵側は人間以下であろうし、味方にもむやみな死を求める。
クラウゼヴィッツのいう政治目的の戦争ではもはやなく、ただ進むしかない、戦争を自己目的化した戦いになっていたといっていいでしょう。

◆ただの戦争嫌いでなく
その絶望の果てに戦後日本は不戦を尊び固守してきたのです。
守ってきたのは元兵士と戦争体験者たちです。
文字通り、命がけの訴えといってもいいでしょう。ただの厭戦(えんせん)、戦争嫌いというのでなく、国は過ちを犯すことがあるという実際的な反省でもあります。国民には冷静な目と分析がつねに必要だという未来への戒めです。
日本の平和主義についての二つめの観点とは、戦後憲法との関係です。
戦争勝者の連合国は敗者の日本、イタリア、西ドイツに非軍事化条項を含む憲法を求めた。
戦後冷戦の中で日本はアメリカの平和、いわゆるパックス・アメリカーナに組み込まれ、自衛隊をもちます。
その一方で稀有(けう)な経済成長に恵まれ、その資力を主にアジアの発展途上国への援助に役立てます。
ここで考えたいのは、平和主義とはただ戦争をしないだけでなく平和を築こうということです。前者を消極的平和、後者を積極的平和と呼んだりもします。
例えば積極的平和を築こうと一九六〇年代、平和学という学問分野が生まれ、ノルウェーにはオスロ国際平和研究所ができた。政治や法律、経済、国際関係、歴史、哲学、教育など科学を総動員して平和を築こうというのです。
実際にノルウェーは大国などではありませんが、イスラエルパレスチナの間に和平をもたらそうというオスロ合意を成立させた。中東の国連平和維持活動に出ていて、両者の争いを終わらせるのは武力でなく対話しかないと考え至るのです。今は失敗かとまでいわれますがその熱意と意志を世界は忘れていません。
日本国憲法の求める平和主義とは武力によらない平和の実現というものです。
対象は戦争だけでなく、たとえば貧困や飢餓、自然災害の被害、インフラの未発達など多様なはずです。救援が暴力の原因を取り去るからです。
NGО、非政府組織の活動が広がっている。ミリタリー、軍事から、シビリアン、民間への移行です。日常の支援が求められます。ミリタリーの非軍事支援も重要になっている。
だが残念ながら世界は不安定へと向かっているようです。

◆武力によらない平和を
格差とテロとナショナリズム。それらが絡み合って国や民族が相互不信の度を高めつつある。しかし不信がつくられたものなら、解消することもできるはずです。
そういう時だからこそ、私たちは平和主義、世界に貢献する日本の平和主義をあらためて考えたいのです。
ただの理想論を言っているのではありません。武力によらない平和を求めずして安定した平和秩序は築けない。武力でにらみあう平和は軍拡をもたらすのみです。
理想を高く掲げずして人類の前進はありえないのです。

<大人って…成人年齢引き下げ>18、19歳のホンネトーク (上)理想のオトナは?:千葉 - 東京新聞(2017年1月1日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201701/CK2017010102000122.html
http://megalodon.jp/2017-0102-1020-06/www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201701/CK2017010102000122.html


「大人」の定義が変わろうとしている。政府は、明治以来、二十歳としてきた民法成人年齢を十八歳に引き下げる民法改正案を、通常国会に提出する見通しだ。公職選挙法は昨年、一足先に選挙権年齢を十八歳以上とした。十八、十九歳は「大人」について何を思うのか。ホンネに耳を傾けてみた。
     ◇
十八、十九歳が「大人」に仲間入りする民法改正案の是非から座談会の議論は始まった。
改正されれば、十八歳でも自分の判断でローンやクレジットカードなどの契約ができるようになる。一方、トラブルに巻き込まれても未成年を理由に取り消せなくなる可能性もある。
大学一年の葛巻朱里(くずまきあかり)さん(18)は「高校卒業直後はまだ経験不足。契約にまつわるプラスとマイナスの両面を大学や両親から学ぶなど、大人への準備時間が必要」と語り、二十歳成人の維持を求める。
高校三年の鎌田麻里さん(18)は、たばこや酒の十八歳解禁に反対する。「トラブルが増えそう。コントロールできないものは二十歳からでいい」
二人は選挙権年齢の引き下げは歓迎する。昨年七月の参院選で投票デビューを果たした葛巻さんは「十八歳成人とは別の話。自分の意見を表明できるので(十八歳選挙権は)うれしい」との意見だ。鎌田さんは参院選時点では選挙権はなかったが、「少子高齢化で若者の意見が反映されにくくなる中、(十八歳選挙権で)政治に興味を持ち、調べるきっかけになった」と話す。
若者の政治への関心は、決して低くはない。県選挙管理委員会によると、昨年の参院選で投票した十八、十九歳の投票率は49・89%。うち十八歳は53・92%で県全体の52・02%を上回った。
若者はどういう人を「大人」とみるのか。ご当地アイドルの「りなたん」(19)は「(生活費は)まだ全部親が支払っている。初任給をもらえたら大人と思う」と考える。鎌田さんも「自分でお金を稼ぎ、生活できる人が大人」と語る。二人は、大人の条件を経済的自立とみているようだ。
大学一年の山内寛也さん(18)は「周囲から尊敬されている人が大人と思う。仮に四十歳になっても、下(の世代)から評価されなければ大人ではない」との意見だ。
司会の千葉商科大専任講師の常見陽平さん(42)はこの意見が響いたようで、「上(の世代)がつかえていて、自分も四十二歳だけど、まだ若手と言われる」と笑った。
「憧れの大人」も尋ねてみた。鎌田さんは、日本人最年少で世界七大陸の最高峰登頂に成功した南谷真鈴(みなみやまりん)さん(20)を挙げた。「年齢も近い。常に挑戦する姿勢が大切。まねしたい」
他の三人は身近な人を選んだ。「写真部の先輩」と答えた山内さんは「仕事と趣味を両立している。自分もそんな大人になるのが理想」。「りなたん」は「ママ。中学高校でいじめられた時、誰にも相談できないのに気づいてくれ、守ってくれた」。葛巻さんは「両親があこがれ。励ましてくれて自分を強くしてくれた」と答えた。
全国大学生活協同組合連合会の「2014年大学生の意識調査」によると、85%の大学生が「高校までの友人と今も交友が続く」と回答。身近な人間関係を大切にし、維持する傾向があるという。山内さんも「バレーボール部で一緒だった中学の友だちは気が合う」と語った。
若者の「つながり」を大切にする思いは共感する歌からもうかがえる。「りなたん」は、歌手の絢香さんが身近な人への感謝をうたう「ありがとうの輪」を挙げ、「友だちや母親への気持ちに泣いた」と話す。
常見さんは「支えてくれる人がほしい、今までの歩みを否定されたくない思いから共感するのだろう」と指摘している。

憲法70年の年明けに 「立憲」の理念をより深く - 朝日新聞(2017年1月1日)


http://www.asahi.com/articles/DA3S12730163.html?ref=editorial_backnumber
http://megalodon.jp/2017-0102-1019-04/www.asahi.com/paper/editorial.html?iref=comtop_gnavi

世界は、日本は、どこへ向かうのか。トランプ氏の米国をはじめ、幾多の波乱が予感され、大いなる心もとなさとともに年が明けた。
保守主義者として知られる20世紀英国の政治哲学者、マイケル・オークショットは、政治という営みを人々の航海に見立てている。
海原は底知れず、果てしない。停泊できる港もなければ、出航地も目的地もない。その企ては、ただ船を水平に保って浮かび続けることである――。
今年の世界情勢の寄る辺なさを、予見したかのような言葉として読むこともできるだろう。
と同時にそれは本来、政治にできることはその程度なのだという、きわめて控えめな思想の表現でもある。
昨今、各国を席巻するポピュリズムは、人々をあおり、社会に分断や亀裂をもたらしている。民主主義における獅子身中の虫というべきか。
オークショットのように抑制的で人気取りとは縁遠い政治観は、熱狂や激情に傾きがちな風潮に対する防波堤の役割を果たす。

■人々の暮らしの中で
不穏な世界にあって、日本は今年5月、憲法施行70年を迎える。
憲法もまた、政治の失調に対する防波堤として、大切な役割を担ってきた。その貢献の重みを改めて銘記したい。
立憲主義」という言葉の数年来の広がりぶりはめざましい。政治の世界で憲法が論じられる際の最大のキーワードだ。
中学の公民の教科書でも近年、この言葉を取り上げるのが普通のことになった。
公の権力を制限し、その乱用を防ぎ、国民の自由や基本的人権を守るという考え方――。教科書は、おおむねこのように立憲主義を説明する。
それは人々の暮らしの中で具体的にどう働くのか。
例えば、政党機関紙を配った国家公務員が政治的な中立を損なったとして起訴されたが、裁判で無罪になった例がある。判断の背景には、表現の自由を保障した憲法の存在があった。

■民主主義をも疑う
立憲主義は、時に民主主義ともぶつかる。
民主主義は人類の生んだ知恵だが、危うさもある。独裁者が民主的に選ばれた例は、歴史上数多い。立憲主義は、その疑い深さによって民主主義の暴走への歯止めとなる。
根っこにあるのは個人の尊重だ。公権力は、人々の「私」の領域、思想や良心に踏み込んではならないとする。それにより、多様な価値観、世界観を持つ人々の共存をはかる。
ただ、こうした理念が、日本の政界にあまねく浸透しているとは到底いえない。
自民党立憲主義を否定しないとしつつ、その改憲草案で「天賦人権」の全面的な見直しを試みている。
例えば、人権が永久不可侵であることを宣言し、憲法最高法規であることの実質的な根拠を示すとされる現行の97条を、草案は丸ごと削った。
立憲主義に対する真意を疑われても仕方あるまい。
衆参両院の憲法審査会は昨年、立憲主義などをテーマに討議を再開したが、議論の土台の共有には遠い。
どんな立場を取るにせよ、憲法を論じるのなら、立憲主義についての真っ当な理解をより一層深めることが前提でなければならない。

■主要国共通の課題
立憲主義にかかわる議論は、欧米諸国でも続く。
一昨年のパリ同時多発テロを経験したフランスでは、非常事態宣言の規定を憲法に書き込むことが論じられたが、結果的に頓挫した。治安当局の権限拡大に対する懸念が強かった。
同じくフランスの自治体が、イスラム教徒の女性向けの水着「ブルキニ」を禁止したことに対し、行政裁判の最高裁に当たる国務院は「信教と個人の自由を明確に侵害する」という判断を示した。
個人、とりわけ少数者の権利を守るために、立憲主義を使いこなす。それは今、主要国共通の課題といっていい。
環境は厳しい。反移民感情や排外主義が各地で吹き荒れ、本音むき出しの言説がまかり通る。建前が冷笑されがちな空気の中で、人権や自由といった普遍的な理念が揺らぐことはないか、懸念が募る。
目をさらに広げると、世界は立憲主義を奉じる国家ばかりではない。むしろ少ないだろう。
憲法学者の長谷部恭男・早稲田大教授は「立憲主義の社会に生きる経験は、僥倖(ぎょうこう)である」と書いている。
であればこそ、立憲主義の理念を、揺らぎのままに沈めてしまうようなことがあってはならない。
世界という巨大な船が今後も、水平を保って浮かび続けられるように。