(名護市長に渡具知氏)「基地疲れ」経済を重視 - 沖縄タイムス(2018年2月5日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/204905
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名護市長選は、政府・与党が全面支援する前市議の渡具知武豊氏が、3400票余りの差をつけ初当選した。
新基地建設に反対する翁長雄志知事ら「オール沖縄」勢力が推す稲嶺進氏は3選を果たすことができなかった。
辺野古の海を切りさくように次々と護岸が造られる中で迎えた選挙である。
「もう止められない」との諦めムードをつくり、米軍普天間飛行場辺野古移設問題を争点から外し、経済振興を前面に押し出すのが渡具知陣営の一貫した戦術だった。
渡具知氏は選挙期間中、全くといっていいほど辺野古を語っていない。現職の失政が市の閉塞感を招いたとして流れを変えようと訴え、暮らしの向上を求める市民の期待票を掘り起こした。
勝利の最大の理由は、一にも二にも自民、公明、維新3党が協力体制を築き上げ、徹底した組織選挙を展開したことにある。
菅義偉官房長官が名護を訪れ名護東道路の工事加速化を表明するなど、政府・与党幹部が入れ代わり立ち代わり応援に入り振興策をアピール。この選挙手法は「県政不況」という言葉を掲げ、稲嶺恵一氏が現職の大田昌秀氏を破った1998年の県知事選とよく似ている。
注目すべきは期日前投票が2万1660人と過去最多となったことである。有権者の44・4%に及ぶ数字は、企業や団体による働き掛け、締め付けが徹底していたことを物語っている。

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前回選挙との大きな違いは、主投票だった公明が、渡具知氏推薦に踏み切ったことだ。渡具知氏が辺野古移設について「国と県の裁判を注視したい」と賛否を明らかにしなかったのは、公明との関係を意識したからだろう。
両者が交わした政策協定書には「日米地位協定の改定及び海兵隊の県外・国外への移転を求める」ことがはっきりと書かれている。
安倍政権が強調する「辺野古唯一論」と、選挙公約である「県外・国外移転」は相反するものだ。
本紙などの出口調査では、辺野古移設反対が64・6%に上った。選挙によって辺野古移設反対の民意が否定されたとはいえない。
渡具知氏が「県外・国外移転」を公約に掲げて当選した事実は重い。市長就任後もぶれることなく「県外・国外移転」を追求し、地位協定見直しに向け積極的に取り組んでもらいたい。

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新基地阻止を強く訴えた稲嶺氏だったが、地域活性化や医療など生活に密着した課題への対応が見えにくかったという印象は否めない。
稲嶺氏が敗れたことは、新基地建設反対運動だけでなく、秋の知事選に大きな影響を与えるのは確実だ。
翁長知事による埋め立て承認撤回に不透明さが増し、一部で取り沙汰されている県民投票も見通せなくなった。
翁長知事は今後、公約である新基地阻止をどのように実現していくのか。
県議会与党とも早急に対応を協議し、新たな方針を打ち出す必要がある。

名護市長選:辺野古反対の現職敗れる 渡具知氏が初当選、稲嶺氏に3458票差 - 沖縄タイムス(2018年2月5日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/204885
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【名護市長選取材班】任期満了に伴う名護市長選挙は4日、投開票され、辺野古新基地建設を推進する政府与党が推す無所属新人の渡具知武豊氏(56)=自民、公明、維新推薦=が2万389票を獲得し、建設に反対する無所属現職の稲嶺進氏(72)=社民、共産、社大、自由、民進推薦、立民支持=に3458票差をつけ初当選した。経済振興や生活向上の訴えが浸透した。渡具知氏は新基地建設の是非を明言していないが、市長権限での建設阻止を掲げた稲嶺氏の落選で、建設は進展する見通しとなった。
1996年に米軍普天間飛行場の名護市沖への移設案が浮上。政府が2014年7月に新基地建設に着手してから初の選挙で、現職の稲嶺氏が、新基地建設問題を訴えたのに対し、渡具知氏は経済振興を前面に出して選挙戦を戦った。
辺野古推進の政府与党と、反対を掲げる翁長雄志知事ら「オール沖縄」勢力との事実上の代理戦となった。稲嶺氏の落選によって、辺野古阻止を県政の最大の柱に掲げる翁長知事の求心力の低下は避けられず、11月にも予定される知事選への影響は必至だ。
渡具知氏は辺野古問題について、「県と国の裁判の行方を注視する」として是非を明言せず、工事が進む現状を踏まえ「現市政は一つの問題にこだわりすぎている」と批判。2期8年の現市政が「経済の停滞を招いた」として支持を広げた。政府与党の幹部が何度も名護入りしてテコ入れを図ったほか、前回は自主投票だった公明と維新の推薦も追い風となった。
稲嶺氏は「オール沖縄」を構成する政党や企業などの全面的な支援を受けたが、辺野古沖の護岸工事が進む現状や経済停滞などといった渡具知氏の市政批判を覆せなかった。
当日有権者数は4万8781人。投票率は前回から0・21ポイント上回る76・92%だった。
渡具知氏、辺野古の裁判「行方を注視」
渡具知武豊氏は当確が報じられた後、支持者に対し「これまで本当にみなさんに支えていただいた。これからが大変だと思う」と感謝した。また渡具知氏は「名護を変えてくれ、もっともっと明るい街、発展させてくれとの強い思いがあった。子育て世代に対する支援など全般的に支持されたと思う」と述べた。
辺野古新基地建設については「何度も申し上げた通り、県と国が係争中なのでその裁判の行方を注視する。行政の長は法律に従う以上のことはできない」とした。県が勝った場合の対応については「仮定の話なので話すときりがない。その時点で判断する」と述べた。支援を受けた政府与党に対しては「誠実に名護の現状を話し、必要な予算はお願いする」とした。
知事選への影響には「いろんな考えがある。何らかの影響を与えると思う」とコメントした。


渡具知武豊氏(とぐち・たけとよ) 1961年8月12日生まれ。名護市許田出身。第一経済大(現・日本経済大)卒。保険代理店経営を経て98年に名護市議に初当選。連続5期。自民系会派「礎之会」会長を務めた。座右の銘は「為せば成る」。妻と1男2女。

飯塚事件 死刑執行後の再審可否 6日、福岡高裁で決定 - (毎日新聞2018年2月3日)

https://mainichi.jp/articles/20180204/k00/00m/040/089000c
http://archive.today/2018.02.05-075440/https://mainichi.jp/articles/20180204/k00/00m/040/089000c


目撃証言の信用性など争点
福岡県飯塚市で1992年、女児2人が殺害された「飯塚事件」で2008年に死刑が執行された久間三千年・元死刑囚(当時70歳)の再審請求即時抗告審で、福岡高裁(岡田信裁判長)は6日、再審開始の可否について決定を出す。死刑執行後に再審開始決定が出た例はなく、再審が認められれば死刑制度の存廃論議が高まる可能性がある。目撃証言やDNA型鑑定の信用性が争点で、福岡高裁の判断が注目される。
久間元死刑囚は一貫して無実を訴え、事件への関与を示す直接証拠はなかった。確定判決は、女児の遺体などから採取された血液のDNA型鑑定や血液型鑑定、目撃証言などを総合評価し有罪と認定したが、弁護側は再審請求審でこれらの証拠には信用性がないと主張。福岡地裁決定(14年)はDNA型鑑定の証拠能力の低さは認めながら、その他の状況証拠を総合考慮して再審請求を棄却した。
即時抗告審では、状況証拠の一つとされた目撃証言の信用性が大きな争点となった。弁護側は、遺留品発見現場で久間元死刑囚の車と特徴が似た「紺色のワンボックスタイプで後輪がダブルタイヤのワゴン車」を見たとの証言について、事前に久間元死刑囚の車の特徴を把握した警察官の誘導があったと指摘した。さらに現場での走行実験結果などから、カーブが連続する下り坂で証言されたような詳細な車の特徴は把握できないと主張した。
DNA型鑑定(MCT118型鑑定)については、鑑定に使われたネガフィルムの解析から「久間元死刑囚とは違う真犯人のDNA型が出ており、鑑定結果は改ざんされていて信用性はない」と改めて指摘。他に実施された3種のDNA型鑑定についても「久間元死刑囚のDNA型は出ていない」と強調した。遺体から採取された血液については「B型の久間元死刑囚と違うAB型だ」と主張した。
これに対し、検察側は「審理し尽くされた論点の蒸し返しだ」と反論。「目撃証言は自然かつ合理的だ。DNA型鑑定は改ざんされておらず、血液型鑑定も久間元死刑囚と符合していて有罪認定は揺るがない」としている。【平川昌範】


ことば【飯塚事件
1992年2月、福岡県飯塚市の小学1年の女児2人が行方不明になり、同県甘木市(現・朝倉市)の山中で遺体で見つかった。県警は94年9月、久間三千年・元死刑囚を死体遺棄容疑で逮捕、同年10月には殺人容疑で再逮捕した。久間元死刑囚は一貫して否認し、公判では無罪を主張した。福岡地裁は99年9月に死刑を言い渡し、最高裁が2006年9月に上告を棄却。再審請求を準備していた08年10月に死刑が執行された。09年10月には久間元死刑囚の妻が再審請求。14年3月に福岡地裁が請求を棄却したため即時抗告していた。

「安保法」訴訟 あぜんとする国の主張 - 朝日新聞(2018年2月3日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13343426.html
http://archive.today/2018.02.03-004703/https://www.asahi.com/articles/DA3S13343426.html

安全保障関連法をめぐる訴訟で、国が驚くような主張をして裁判所に退けられた。安保・防衛論議の土台にかかわる問題である。国民に対する真摯(しんし)で丁寧な説明が必要だ。
舞台になったのは、安保法の成立をうけて現職の陸上自衛官が起こした裁判だ。自衛官は、集団的自衛権の行使は違憲との立場から、法が定める「存立危機事態」になっても、防衛出動の命令に従う義務がないことの確認を求めていた。
一審の東京地裁は「出動命令が出る具体的な可能性はない」などと述べ、踏みこんだ審理をしないまま訴えを却下したが、東京高裁はこれを否定。「命令に反すれば重い処分や刑事罰を受ける可能性がある」として、自衛官が裁判で争う利益を認め、審理を差し戻した。
あぜんとするのは、裁判で国が、存立危機事態の発生は想定できないとの立場を終始とり続けたことだ。安倍首相が北朝鮮情勢を「国難」と位置づけ、衆院選を戦った後の昨年11月の段階でも「国際情勢に鑑みても具体的に想定しうる状況にない」「(北朝鮮との衝突は)抽象的な仮定に過ぎない」と述べた。
説得力を欠くこと甚だしい。ならばなぜ、長年の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認し、強引な国会運営で安保法を成立させたのか。
広範な疑問の声を抑えこみ、「国民の平和と安全なくらしを守り抜くため不可欠だ」と法の成立を急いだのは安倍内閣だ。ところが裁判になると、自らに有利になるよう「存立危機事態は想定できない」と主張する。ご都合主義が過ぎる。
高裁が、国の言い分を「安保法の成立に照らし、採用できない」と一蹴したのは当然だ。
どんな場合が存立危機事態にあたり、集団的自衛権の行使が許されるのか。安保法案の国会審議を通じて、安倍内閣は納得できる具体例を示さなかった。
首相が当初、象徴的な事例としてあげたホルムズ海峡の機雷除去も、審議の終盤には「現実問題として具体的に想定していない」と発言を一変させた。
一方で小野寺防衛相は昨年夏、米グアムが北朝鮮のミサイル攻撃を受ければ日本の存立危機事態にあたりうると、国会で前のめりの答弁をした。
裁判での国の主張とは相いれない。ただ共通するのは、存立危機自体の認定が、時の政府の恣意(しい)的な判断に委ねられている現状の危うさである。
判決を機に、安保法がはらむこの本質的な問題を改めて問い直す議論を、国会に望む。

言わねばならないこと(107)国による誘導 しっかり監視 舞台美術家・妹尾河童さん - 東京新聞(2018年2月4日)

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戦争はある日突然、始まるんじゃない。土砂崩れの前に小石がパラパラ…と転がるような兆しがある。安全保障関連法に続いて改憲の流れになり、今は地滑りが始まっていると思う。
二十年前、記憶の風化という危機感から「少年H」を書いた。あの時代の大人たちは戦争に加担したという気持ちがどこかにあって、戦前を語らない。鬼畜米英、聖戦に勝つって言ってるうちにエーッと思うくらい空襲があって敗色が濃くなり、でも、疑問が口に出せなくなっていく。その恐ろしさを伝えたかった。だから、のんきに遊んでいた少年の暮らしにどのように戦争が近づき、巻き込まれていったかを書いた。
戦争中は「お国のために」と言ってた教師が、戦後「これからはデモクラシー」と言い始めた。戦争万歳を叫んでいた人々が「アカ」とか「危険分子」と呼んでいた共産党の指導者、野坂参三氏の集会でワーって拍手していた。同じ大人たちがですよ。国民が簡単に誘導される。それが怖い。
戦争放棄を宣言したから日本は七十二年間、外敵から攻撃されなかったが、自民党憲法草案はドンパチも許されるものにすり替わった。それなのに、自民党が昨年の衆院選で勝ったのは、みんなが自分の生活の安定を優先したから。戦後、あれだけ戦争はこりごりだと思ったのに、直後の衆院選で翼賛体制を推進した連中が勝ったのと似ている。
政治家は百年の計を持ってほしい。土砂崩れの起きない山をつくるには、時間をかけて樹(き)を植えないと。国民も目先の餌をうのみにしないで、国がどの方向に誘導しようとしているか、監視すべき。五十年先を考えて選択しないと、日本は滅びます。

<せのお・かっぱ> 1930年、神戸市生まれ。舞台やテレビ美術のほか、エッセー「河童が覗(のぞ)いた」シリーズなどでも知られる。少年の視点で太平洋戦争を描いた自伝的小説「少年H」は映画化された。

少年H(上) (講談社文庫)

少年H(上) (講談社文庫)

(東京エンタメ堂書店)こんな世界があったなんて… PTA - 東京新聞(2018年1月29日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/entamedo/list/CK2018012902000171.html
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こんな世界があったなんて。昨年四月に初めて子どもの小学校のPTA役員を引き受けたところ、聞いていた以上の忙しさと、そこで交わされる会話の昼ドラ並みの激しさに、開始二週間でノックアウトされました。あなたもPTAの世界をのぞいてみませんか。(生活部・今川綾音)
うっかり引き受けてしまった役員。正直、ルポ記事にでもしなければやっていられないと思うほどの物理的・精神的負担です。ただ、自分の体験を記事にするのはまだ早いと感じます。あまりにも生々しすぎるからです。
PTAは、それぞれの学校にある、P(ペアレント=保護者)とT(ティーチャー=教職員)の組織。小学校のPTA会長を3年間務めた体験を『ある日うっかりPTA』(KADOKAWA、1404円)に赤裸々につづった書評家の杉江松恋(まつこい)さんも、出版まで6年間の冷却期間を置いています。「エピソードもせりふもほぼ実話。もめている時の話もそのまま書いてしまったので、人間関係を考えるとこのタイミングでよかった」と振り返っています。
この本で書いているのは、突然の電話で会長就任を打診され、「その金髪、黒く染めていただけませんか?」と言われて一度は断りながらも「うっかり」引き受けてしまった経緯。「息切れしないPTA」を目指して着手した、一部業務のシルバー人材センターへの委託や、会長3年目に起きた役員同士の感情の衝突とその対応。よくもまあ、ここまで包み隠さず…と心配になりましたが、登場人物は仮名と知り、ほっとしました。
加納朋子著『七人の敵がいる』(集英社文庫、670円)は、フルタイムで働く女性が主人公の小説です。子の小学校入学をきっかけにPTAや子供会への参加を求められ、周囲と衝突しながら突き進む6年を描きます。主人公の陽子は「役員なんて専業主婦でなければ無理では?」と保護者会で言い放ち、多くの親を敵に回してしまいます。
兼業主婦と専業主婦。両者を色分けする無意味さも含め、この小説は母親の抱えるもやもやを刺激します。少し過激だけれど、陽子が発する言葉にスッとする人も多いのではないでしょうか。ラスボス(最後のボス)ともいえる女性PTA会長との対決シーン、それに続く後日談もさわやかな後味です。
体験談でイロハを学び、小説でスッキリした後には現実が待っています。大塚玲子著『PTAがやっぱりコワい人のための本』(太郎次郎社エディタス、1620円)には、保護者の対立の泥沼化を避ける方法や活動の断捨離術など、具体的なノウハウが紹介されています。
専業主婦を主な担い手としていた頃の活動は時代遅れだと、改革の動きも出ています。毎日新聞の記者でもある山本浩資(こうすけ)さんが、完全なボランティア制に小学校PTAを生まれ変わらせた『PTA、やらなきゃダメですか?』(小学館新書、821円)には、変えていくためのヒントが詰まっています。
ヘルシンキ大非常勤教授・岩竹美加子さんは、また別の角度からPTAの在り方に疑問を呈しています。著書『PTAという国家装置』(青弓社、2160円)では、PTAの成り立ちについて、これまで語られてこなかった戦前の「大日本連合婦人会」や「母の会」とのつながりを指摘。「子を臣民として錬成するために母の奉仕と修養を求めた天皇制国家の制度を、なぜ今も続ける必要があるのか」と問い掛けます。

七人の敵がいる (集英社文庫)

七人の敵がいる (集英社文庫)

PTAがやっぱりコワい人のための本

PTAがやっぱりコワい人のための本

PTA、やらなきゃダメですか? (小学館新書)

PTA、やらなきゃダメですか? (小学館新書)

PTAという国家装置

PTAという国家装置

一票の不平等 2倍は合憲ラインか - 東京新聞(2018年2月2日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018020202000168.html
http://web.archive.org/web/20180202001138/http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018020202000168.html

昨年十月の衆院選をめぐる一票の不平等訴訟で「合憲」の高裁判決が相次ぐ。格差は最大で一・九八倍。まるで二倍が合憲ラインのようだ。本来は限りなき平等を求め続ける選挙制度でありたい。
これまでに「合憲」判決を出したのは東京、大阪など六つの高裁だ。全国十四の高裁・高裁支部段階の判決は三月中にも出そろい、年内に最高裁が統一判断を示す見通しである。
最大格差の一・九八倍という数字に着目してみる。それ以前の二〇〇九年から一四年にかけての三回の総選挙では二・四三倍から二・一三倍の最大格差があった。そして、三回連続で最高裁が「違憲状態」と判断している。
二・一三倍と一・九八倍の差は、たったの〇・一五。これは裁判所が二倍という数字を「合憲ラインだ」というメッセージを発していると受け止められはしないか。もしそうなら〇・五票の人がいる矛盾を許すことになる。
かつて最高裁は格差の根源として「一人別枠方式」を指摘した。だが、法律から削除しただけで事実上、温存している。それをある高裁は「格差が二倍未満となった以上、そういう評価はできない」と述べた。本当なのか。
確かに一九九四年に小選挙区比例代表並立制が導入されて初めて二倍未満となった。選挙制度改革による一六、一七年の法改正で、小選挙区の定数を「〇増六減」し、九十七選挙区の区割りを見直した結果でもある。
どの判決もこれを高く評価しているが、わずか〇・一五倍しか減らなかった改革を抜本改革とは呼ぶに値しない。かつ、裁判所は今後の「アダムズ方式」と呼ばれる議席配分方法の導入に期待を寄せている。
都道府県の人口比を反映しやすいと言われている。だが、この方法は「ある数」で都道府県の人口を割り算する。その小数点以下を繰り上げるので、議席を「一つ」足すことと同じだ。
つまりあらかじめ議席を各都道府県に「一ずつ配分する」のが一人別枠方式。後から「一ずつ足す」のがアダムズ方式。これが本質ではないか。そうなら抜本改正になるとは限らない。
二倍ラインすれすれでも「未満」なら合憲? この説が跋扈(ばっこ)すれば、選挙制度改革の足取りは重くなる。選挙は民主主義の基礎であるから、それを問う裁判については、もっと厳格に審査すべきであろう。