kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「鍋パーティーのブログ」記事公開のお知らせ:#保育園落ちたの私だ も育児休暇も根っこは同じなのだよ、大馬鹿者。(杉山真大さん)

「鍋パーティーのブログ」に下記記事が公開されましたのでお知らせします。

本田美奈子が出した最高音はhihi C#(三点嬰ハ)かhihi C(三点ハ)か(追記あり)

ひょんなことからYouTubeで音楽の動画をたどってしまった。リンクはすべて省略するが、まず大瀧詠一が作った「さらばシベリア鉄道」を太田裕美岩崎宏美本田美奈子が3人で1994年に歌った動画を見て、この3人の中で一番すぐれた歌手は2005年に亡くなった本田美奈子だったよなあとか、大瀧詠一自身も2010年に「12月の旅人」になってしまったんだなあとか、死のことばかりを思いながら、本田美奈子坂本九の「見上げてごらん夜の星を」を歌った動画を見て、本田美奈子は38歳で、坂本九は43歳でともに若くしてお星さまになってしまったのだなあとか、坂本九日航機事故で死んだ1985年に本田美奈子がデビューしたのだという因縁に思いを馳せて感傷的になり、さらに、そういや本田美奈子ラフマニノフの「ヴォカリーズ」を歌ってなかったっけ、と思いながらネット検索をかけたら、なんと私自身が書いた記事が引っかかり、そんな記事を書いたことなどすっかり忘れていたことにわれながら呆れた。


上記記事からリンクを張った動画はリンクが削除されてしまっているが、現在は別の動画がアップされている。これもいずれ削除されるかも知れないからリンクは張らない。

本田美奈子の「ヴォカリーズ」は、2003年に発売されたアルバム「AVE MARIA」に収められているが、本田はラフマニノフが書いたソプラノ用の嬰ハ短調の楽譜を半音だけ下げたハ短調で歌っている。CDは持っていないものの、かつてNHK-FMラジオなどで何度も聴き、今でもYouTubeで動画が確認できるアメリカの名ソプラノ歌手、アンナ・モッフォ(1930?-2006)も同じハ短調で歌っている。原調の嬰ハ短調で歌っていることが動画で確認できたのは、キャスリーン・バトルキリ・テ・カナワ、それに日本人歌手の幸田浩子らだった。

要するに「ヴォカリーズ」の聴き比べをやってしまったわけだが、クラシックの歌手たちと本田美奈子の歌い方はやはり違う。ことに同じ日本人の幸田浩子本田美奈子の2人が両極端といえるのが面白かった。幸田浩子はビブラートをたっぷりかけた粘りっ気たっぷりの歌いぶりで、前半も後半も繰り返していてテンポもやたら遅く、その動画は8分21秒にも及ぶ。コメント欄でも "too much vibrato" として批判する意見が複数あったが、同感だった。私には、幸田浩子の歌唱は昔ながらの日本人がチャイコフスキーラフマニノフの音楽に対して抱いていた典型例であって、かつどの分野にもよく見られる「追随者は本家本元よりも過剰になる」傾向の表れかと思われた。

さて、本題である本田美奈子の「ヴォカリーズ」については、ダイヤモンド・オンラインの下記記事が引っかかった。ダイヤモンド社論説委員の坪井賢一氏が書いた「音楽史上初アイドル出身のクラシック歌手へ 背中を押した2人の音楽家(1999−2000年)」だ。非常に興味深い記事だと思った。

以下、関連箇所を引用する。

(前略)

 五月女京子さんは福井のコンサートの直前に東京シティ・フィル事務局を辞め、音楽事務所アルテ・エスペランサを設立しているが東京シティ・フィルの仕事は続けていた。

 翌2000年3月20日、五月女さんは「サリン事件共助基金」(現在のNPOリカバリー・サポート・センター」)が主催するチャリティー・コンサート「音楽、生命、そして希望」(東京国際フォーラム ホールC)の運営に関わることになった。オケは東京シティ・フィルに依頼し、五月女さんが舞台進行をつとめることになった。

 五月女さんは本田美奈子さんにも出演を依頼し、なんとラフマニノフの「Vocalise(ヴォカリーズ)」を歌うように勧めたのである。

(中略)

 どうして五月女京子さんは本田美奈子さんに「Vocalise」を歌うように勧めたのだろう?

「どうしてでしょうね。実はわからないのです。もともと大好きな曲ですが、突然、彼女の声でこの曲を聴きたくなったのです」(五月女京子さん)

 技巧的で音程を取るのが難しい曲である。世界中のクラシックの歌手が演奏している。五月女さんは、本田さんのファンクラブ会報に当時の様子をこう書いていた。天上の本田さんへ語りかける文章だ。その一部(段落は引用者による)。

「(略)私はあるクラシックの楽曲をリクエストしましたね。それはラフマニノフの“ヴォカリーズ”。この曲は、もともと歌詞はなく、「Ah…」など母音でその美しい旋律を歌っていくもので、とにかくただ、難しい。そして後半、かなりの高音域を歌わなければならない曲。本番まで美奈子ちゃんは『難しい~、できな~い、どうしよう~』の連発だったね。でも『できるよ、大丈夫』と私は言い続けていたの。(確かにそう思っていたから)

 そして実際、その本番の歌で後半の最高音の場面で、力むことなく、音程を保ったまま、すぅっと抜けた透明感のある、なめらかな声でそこを通り抜けた瞬間、鳥肌が立ってしまった。理想的な歌、この歌でそうあってほしい、と思っていた歌だったから。このときのことは、あまりに強烈な印象で決して忘れることのできない感覚でした。」(五月女京子、「美奈子ちゃんへ」「Blue Spring Club」2012年5月号、同事務局)

 セルゲイ・ラフマニノフ(1873−1943)はロシアの作曲家で、1917年の10月革命でボリシェヴィキ(のちのソ連共産党)が権力を掌握すると祖国ロシアを脱出し、1918年にはアメリカへ渡った。31年にスイスの別荘をヨーロッパの拠点とするが、ドイツではナチスが勢力を拡大していた。けっきょく、42年にアメリカのビバリーヒルズに移住し、翌年没している。

 革命に追われてロシアから逃れ、ナチスに追われてアメリカへ移住した「亡命知識人」の1人である。

 ロシア的な重い情念とロマン派の叙情をたたえた作風で知られる。「Vocalise」は1912年ごろにまとまった14曲の歌曲集の14番目の曲で、この曲だけ歌詞がなく、母音のみで歌う。キー(調性)は嬰ハ短調(C♯m)だ。1915年に改訂し、16年1月に自分のピアノ伴奏で初演している。

 オーケストラ伴奏版(フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、弦5部)もアレンジし、今日ではこのオケ伴奏ソプラノ独唱版がコンサートでよく演奏されているが、管弦楽のみの版、ヴァイオリン、オーボエ、フルートなどの器楽独奏版など、他の音楽家による編曲版も含めて多数存在する。

 ロシア革命の前年、帝政ロシアの貴族社会はすでに崩壊寸前、メランコリーがモスクワに漂う。叙情的でありながら祈りの歌にも聴こえるのは、出だしのミ・レ♯・ミー(E・D♯・E)という音形が、キリスト教の終末思想に由来するラテン語の「怒りの日」(Dies Irae)を表しているからだといわれる。モーツァルトの「レクイエム」はもちろん、ベルリオーズ幻想交響曲」の第5楽章にも使われている。西洋音楽にはよく登場する音形だ。

 第1テーマの18小節は繰り返され、第2テーマに入る。14小節の第2テーマはポップスではサビに当たる。第2テーマもリピートし、終結部(コーダ)に進む。つまり、AA+BB+コーダと、二部形式にコーダが付いたシンプルな作品だ。本田美奈子さんのこの日の演奏では、第1テーマと第2テーマはともにリピートされていない。リピートを省略する演奏はラフマニノフ本人を含めて多い。

 コーダはアウフタクト1拍プラス6小節と短い。ラフマニノフは4小節間で一点ホ(E、ミ)から最高音の三点嬰ハ(hihi C♯、ド♯)まで13度(1オクターブ+5度)を駆け上がらせ、聴き手を天上へ引き上げると、次の2小節で沈潜して二点嬰ハ(hi C♯)で終わる。

 最高音hihi C♯(ド♯)の次の音は長3度下のhi A(ラ)だが、8分音符分しか最高音の時間はない。作曲者はこの小節以降にritenuto(リテヌート=急に減速)を指示している。本田美奈子さんはhihi C♯からhi Aへ滑らかなポルタメントをかけ、かなり時間をかけて通過していくが、全体の速度はあまり落としていない。静謐にして優しさにあふれた表現だ。五月女さんが感動し、今も忘れられないのはそのためである。

 本田さんが参考にした演奏はあるのだろうか。太く強い声質でビブラートの振幅が大きいオペラ歌手の歌い方は参考にしていないだろう。声質の軽いコロラトゥーラ・ソプラノのキャスリーン・バトル(1948−)のCDは聴いていたかもしれない。

 バトルの録音は1987年で、ピアノ伴奏版(キングレコード)である。軽やかでビブラートは非常に細かい。コーダの最高音から下がる8分音符はやはりポルタメントを長めにかけて滑らかに降りながらリテヌートしている。本田さんの表現はバトルに近い印象を受けた。

 ラフマニノフ本人が指揮し、オケだけで演奏した「Vocalise」のCDがある(写真参照)。これを聴くと、コーダの最高音にいたる8分音符4つ分の速度を落として、最高音から下がるところは元のテンポにもどしている。ラフマニノフはこの小節の頭にリテヌートと記しているが、本人は最高音から元の速度に戻し、次の小節からまた速度を落としている。

「Vocalise」は2003年5月に発売された本田さんのクラシック・アルバム「Ave Maria」(日本コロムビア)」に収録されている。コーダの最高音のポルタメントは2003年3月のライブより少し短いが、表現法はほとんと同じだった。この録音の伴奏はラフマニノフのスコアではなく、井上鑑さん(1953−)によるアレンジだ。

 筆者は「Ave Maria」を初めて聴いたとき、いちばん驚いたのが「Vocalise」だった。クラシックの声楽家のようにダイナミック・レンジを大きくは取らず、ビブラートも控えめで、静かでみずみずしい美しさをたたえていた。ミュージカルで声がまったく変わったことは百も承知していたが、正真正銘のクラシックにここまで迫っていたことに驚いたのである。

(後略)

(DIAMOND ONLINE 2012年11月30日付 坪井賢一・ダイヤモンド社論説委員署名記事「音楽史上初アイドル出身のクラシック歌手へ 背中を押した2人の音楽家(1999−2000年)」より)

専門的な分析を加えた、素人の私などには到底書けない興味深い記事だ。著者が「本田さんの表現はバトルに近い印象を受けた」と書いたキャスリーン・バトルのキング・レコード盤は実は私も持っている。購入記録を見ると1987年5月16日に買った。このCDは当時テレビコマーシャルに使われて大人気を博したヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」を冒頭に、「ヴォカリーズ」を最後に収めたものだが、カラヤンが指揮した1987年のニューイヤー・コンサートにも出演してヨハン・シュトラウスの「春の声」を歌ったバトルの人気を当て込んだのか、わずか30分強しか収録されておらず、レコード会社の便乗商法のあざとさに怒った記憶がある。そのバトルの歌唱に本田美奈子の歌唱は近いという。確かに他のクラシックの歌手よりはバトルに近いとは私も思う。

ただ、惜しむらくはこの記事は「AVE MARIA」に収められた「ヴォカリーズ」がラフマニノフの書いた楽譜から半音下げたハ短調で歌われていることに触れていない。何度も動画で確認したが、本田美奈子はアンナ・モッフォと同じキーで歌っていて、キャスリーン・バトルキリ・テ・カナワ幸田浩子よりは半音低かった。もちろんそれは本田美奈子やアルバム「AVE MARIA」の価値を下げるものでもなんでもないし、本田美奈子にはhihi C#は出せなかったのだ、などとは思わない。たとえば同じ坪井賢一氏が書いた クラシック・アルバム「AVE MARIA」完成、浄化された独自の音楽世界を創り出す(2003年) | かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史 | ダイヤモンド・オンライン(2013年2月8日)には、本田美奈子ドビュッシーの「美しい夕暮れ」を原調のホ長調ではなく半音下げた変ホ長調(往年の名ヴァイオリニスト・ハイフェッツの編曲版らしい)で歌ったと指摘し、

本田さんは一点ニ(D、レ)からクライマックスの三点変ニ(hihi D♭、レ♭)まで、ほぼ2オクターブを驚くほど美しく滑らかに進み、聴き手を夢幻の彼方へ運ぶ。

と書かれている。「ヴォカリーズ」の最高音である三点嬰ハ(hihi C#、ド#)とは、三点変ニ(hihi D♭、レ♭)と同じ高さの音の別名だ。「美しい夕暮れ」の音源には接することができなかったが、私は上記の記述を疑わない。だから、本田美奈子は「ヴォカリーズ」を原調の嬰ハ短調で歌おうと思えば歌えたはずだ。

だが、ステージではどのキーで歌っていたかは知らないが、アルバムでは「ヴォカリーズ」を半音下げて歌っていたのは事実だ。

せっかくの好記事だからこそ、この事実に触れられていないことが惜しまれると思ったのだった。

それにしても本田美奈子は本当に良い歌手だった。彼女の生前最後に見たのは、2003年だったかに見たNHK-BSの番組だったが、歳をとるとともに衰えを見せていた岩崎宏美(確か同じ番組に出ていた)などとは段違いの歌唱力に驚かされた。一種凄絶ともいえる印象を受けたとは、あるいはその後の本田美奈子の早すぎる死によって記憶が変形されてしまったのかもしれないが、現時点ではそのように思い出される。

それだけに、38歳の死はあまりにも早すぎた。「神様に愛された人たちは早く天に召されてしまうのか」という言葉が思い出されたが、なんとネット検索をかけたらこの言葉も本田美奈子についてこの日記にかつて書いたことがあったのだった。恥ずかしいからリンクは示さない。

[追記]

本田美奈子は三点嬰ハどころか、なんと三点ヘ(hihi F)まで出していたようだ。これも上記坪井氏の記事による。

http://diamond.jp/articles/-/29385?page=7(2012年12月14日)より

 ここで本田美奈子さんは、「too late」の中間部でアドリブ・スキャットを入れている。途中でなんと一点ヘ(F、ファ)から4小節間かけ、ポルタメントでゆっくり2オクターブ上がるという離れ業を披露している。

 つまり、三点ヘ(hihi F、ファ)まで上がって延ばしたのだ。これには驚いた。hihi Fといえば、モーツァルト魔笛」の「夜の女王のアリア」に出てくる最高音で、ここまで自由に出せる歌手は声楽家でもそれほど多くはない。クラシックでは実用上の最高音だといえよう。ポップスのカバーを活用して、本番中にハイトーンの練習をしていたとさえ思える。