東洋の音楽は「訳のわからないメロディー」

東洋の音楽は「訳のわからないメロディー」

{どんな立派な演奏しても、彼の両親はインド
 音楽には関心がなかった。夫の父はロドリゴ
 のギターは聴いても、息子のレコードは聴か
 なかった。息子のコンサートに両親が来たの
 はロイヤル・アルバート・ホールだけだった}

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(41)
◇日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん(28)
広子さんと私はマークの母親からおよばれ(その5)

東洋の音楽は「訳のわからないメロディー」

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(72)

▼△第ニ章 放射線 vs 暴力団専門ライター(18)△▼

・「憚りながら支援者後援」・(その1)

京都でレンタカーを借り、福島県南相馬市に向かった

福島県 3・11 から1年4ヶ月後も県内外に16万人が避難生活

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(37)

▼△第ニ章 犧牲のシステムとしての原発、再論 〈11〉△▼
・自然環境の汚染・(その2)

現在でも、大気中及び海中の放射性物質が流出している事実

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(41)
◇日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん(28)◇
広子さんと私はマークの母親からおよばれ(その5)

東洋の音楽は「訳のわからないメロディー」

《「 ◇Mark Foster carries the Flame Olympic swimmer Mark Foster carries the Olympic  Flame through the centre of Southend during Day  49 of the London 2012 Olympic Torch Relay.) 私の夫の両親はインド音楽が嫌いだった。二 人はどうしようもない生粋の英国人で、熱心 なマルキスト、西洋のクラシック音楽は好ん で聴いていたが、東洋の音楽は「訳のわから ないメロディー」と考えていた。 だから、私の夫の不幸はそれだった。 どんな立派な演奏しても、彼の両親はインド 音楽には関心がなかった。夫の父はロドリゴ のギターは聴いても、息子のレコードは聴か なかった。 夫の父の好きな音楽はベートーヴェンだった。 息子のコンサートに両親が来たのは、ロイヤ ル・アルバート・ホールだけだった。 「私の息子はベナレスに五年もいたのよ。あ の目を背けたくなる貧しい国に五年も」 マークの両親は、一人息子を訪ねてインドへ 二度行ったと言った。 「クレムはインドのどこにいたの? 何年く  らいいたの?」 「カルカッタに三年、ミッドナプールという  田舎に四年です」 「まぁ、カルカッタにいたの。あの世界一貧  しいと言われるカルカッタに……」 私はそこで彼女に尋ねた。 「ミセス・ディッチコフスキーは、インド音  楽がお好きですか?」 「えっ? 好き……、ウーン」 そのとき、かたわらからマークの父が、 「まあ、息子が演奏するので仕方なく聴くけ  どね。私は、母国のショパンのほうがすき  です」 と言ったので、母親は、 「私もヴェルディロッシーニのほうが好き  です。インドのあのかん高い歌声よりイタ  リアのオペラのほう好きです」 と言ったので、私は笑ったがマークも笑った。 広子さんは無表情だった。 」》 ◎本文にベナレスと出てきますが、正確には、 ワーラーナシー(Varanasi、バラナシとも) と表記されます。インドを語るとき、ワーラ ーナシーを外すことができない、ヒンドゥー 教・仏教の聖地として重要な都市です。 ガンジス川河岸で、夜明けから巡礼者が沐浴 し、祈りを捧げる場所として、どこかでその 写真を見ていると思います。 インドではヒンズー教徒が80%を占めていま すが、ヒンズー教の教えにより、人々は生ま れ変わるつど、苦しみに耐えねばならないと されますが、ワーラーナシーのガンジス川の 近くで死んだ者は、輪廻から解脱できると考 えられています。 このためインド各地から多い日は100体近 い遺体が金銀のあでやかな布にくるまれ運び 込まれてくるのです。 数千年の歴史を持つマニカルニカー(宝石の 耳飾りの意)・ガート(川岸に設置された階 段。巡礼者の沐浴の場として用いられる)は、 南北6キロのガンジスの岸辺のほぼ中央に位 置し、火葬場としての役割を果たしており、 死者はここでガンジス川に浸されたのちに、 ガートで荼毘に付され、遺灰はガンジス川へ 流されます。 お金が無い人、赤ん坊、妊婦、蛇に噛まれて 死んだ人はそのまま流されるそうです。 ガンジス川の岸にはたくさんのガートがあり まして、そこで人々は洋服を洗い、身を清め、 幸福感に満ちた顔で道を引き返していくので した。 ガンジス川は、死体も排泄物も花もすべてを 飲み込んで、永遠に流れています。 藤原新也は、この街の住人の顔には、世界の 中心に住んでいるという自覚からか、どこか 安定した感じが漂っていると書きました。 ちなみに、郊外約10キロにサールナートが あります。釈迦が初めて説法を行った場所。 仏教では鹿野苑と。紀元前33世紀にアショー カ王が設立した建築物の遺跡があります。 ◇ガートさまざま ★印度放浪 (朝日文庫) 印度放浪 (朝日文庫) (つづく) (Y334-146) **『外国の男と結婚した日本の女たちの話』 単行本:222ページ 出版社:展望社 (2012/02) 《――英国から万感の思いを込めてレポートする―― Inter Marriage と 日本女性のメンタリティ。異国に あってこそわかる……「日本」のこころ。〈東日本大 震災〉をとおしていっそう深まった母国への「愛」。 東日本大震災福島原発事故の現状を知って以来、私 は自分自身ががいかに「日本人」として母国に愛着が あるか改めて思い起こし、「日本」を書こうと決意し た。もう経済大国でも何でもない母国日本が、今は愛 しいと感じるようになった》 〔表紙帯から〕 〔目次〕 ・マルキストエジプト人と結婚した明子さんの場合 ・ロンドン生まれの英国人と結婚した三千代さんの場合 ・日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん   の場合 ・ジャマイカ人の男と結婚した友子さんの場合 〔著者〕 ☆高尾 慶子(たかお けいこ)☆ 1942年姫路市生まれ。私立播磨高校から調理師専門学校に 進む。カトリック系病院の調理師、カトリック系身体障害 児施設の職員を経て、1972年に英国へ。イギリス人音楽家 と結婚。1976年二人で帰国し京都で暮らす。1982年離婚。 1988年に再び英国へ。ロンドンの日本レストランのウェイ トレス、映画監督リドリー・スコット氏邸のハウスキーパ ーなどを経て、1998年『イギリス人はおかしい』を発表し、 注目を浴びる。現在は、英国政府から年金の給付を受けつ つ執筆活動に専念している 著書は『イギリス人はおかしい』『イギリス人はかなしい』 『イギリス人はしたたか』『まだまだ言うぞイギリス・ニ ッポン』『書かずに我慢できないイギリス・ニッポン』『イ ギリス・ニッポンの政治の品格』ほか。 外国の男と結婚した日本の女たちの話 参照: ・2009-11-30『まだまだ言うぞ イギリス・ニッポン』を読む2011-06-24『イギリス・ニッポン政治の品格 』(1)

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(41)

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(72)

《「原発はタブーの宝庫。だからオレらが儲かる!」   某地方の暴力団組長   −暴力団専門ライターが実際に動いたからこそ    書ける原発という巨大なシノギ−  「原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、   ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋な   しではとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の   俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る   衝撃の事実。日本最大のタブーがいま明かされる!   ―誰も書けなかった 命懸けの衝撃ノンフィクション―》   【表紙帯から】 

▼△第ニ章 放射線 vs 暴力団専門ライター(18)△▼

・「憚りながら支援者後援」・(その1)

京都でレンタカーを借り、福島県南相馬市に向かった

《「――暴力団取材をしながら福島に通った。忙しくとも運動と食事 制限は厳守した。ゴールデンウィーク後半、夜半に車を走らえるしか 方法がなく、京都でレンタカーを借り、福島県南相馬市に向かった。 原町第三小学校で「憚りながら支援者後援」が炊き出しをする。その 取材のためだ。 この支援活動をバックアップしていたのは、その前年、山口組を引退 し得度し、「憚りながら」を上梓してベストセラーになっていた元山 口組直参で元後藤組組長の後藤忠政という人物である。支援隊は堅気 のボランティアだ。5月7日午前8時過ぎ、福島県南相馬市の原町第 三小学校に「G・RISE日本」のトラックが到着した。 計1000人分の食料を積載し、総勢50名のボランティアが降り立 ち、ひっそりとした構内でイベントの準備を始めた。 本格的な屋台の準備が始まった午前11時には、同行した芸能人も炊 き出しを手伝った。多くのヒット曲をもつい松原のぶえは、私服にエ プロン姿で奮闘した。 彼女がB級グルメのの代表格・冨士見焼きそばを作って振る舞うと、 住民から楽しげな声が漏れる。あちこちから写真を撮らせてくれと頼 まれ、松原はそのすべてに応じていた。 ――」》 ヤクザと原発 福島第一潜入記文藝春秋 (2011/12/15) ・〈目次〉・ 序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」 →第1章 私はなぜ原発作業員となったのか 第2章 放射能vs.暴力団専門ライター 第3章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘 第4章 ついに潜入!1Fという修羅場 第5章 原発稼業の懲りない面々 終 章 「ヤクザと原発」の落とし前 ◎日本の政治家には、ときあるごとに、核武装を、臆面もなく、口に する議員たちがいます。それは、興味深いことには、三世議員によく 見られる傾向なのです。すなわち、麻生太郎、阿部晋三、中曽根康弘 らであります。彼らには、核武装への憧れのような心情が強く、その 結果、原発推進は、必須のスッテプなのでしょう。 北朝鮮が核実験の実施を発表した直後の二〇〇六年十月十七日、当時 外務大臣の職責にあった麻生太郎は、衆議院安全保障委員会で、次の ように答弁していました。 「日本の核政策の変更の議論というものは全くされておりませんが、 その当時、核兵器というもの保有について検討べきか、だんだん隣が みんな持っていくときに、日本だけ何の検討もされていないのはいか がなものか」 かように、麻生外相は非核三原則の堅持を口にしつつ、核武装の検討 を明言するのでした。

福島県 3・11 から1年4ヶ月後も県内外に16万人が避難生活

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(37)

《経済成長も安全保障も「犠牲」の上に成り立っている。  『靖国問題』以来、6年ぶりの書き下ろし新書!  本書のテーマは、犠牲のシステムとしての福島と沖縄  である。それは、一九四五年の敗戦以後、今日までの  日本を「戦後日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、  戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犠牲のシス  テムを表しているからだ。》【表紙帯から】
▼△第ニ章 犧牲のシステムとしての原発、再論 〈11〉△▼
・自然環境の汚染・(その2)

現在でも、大気中及び海中の放射性物質が流出している事実

《「――ヨウ素一三一については、福島が一六万テラペクレル、広 島が六万三〇〇〇テラペクレルで、福島は広島型原爆のニ・五個分。 内部被曝の原因となるストロンチウム九〇は、福島が一四〇テラペ クレルで、広島が五八テラペクレルなので、福島は広島のニ・四個 分(前掲東京新聞)。 熱量でいうと、福島は広島型原爆のニ九・六個分(東京大学教授・ 児玉龍彦氏の、七月ニ七日、厚生労働委員会における発言)ともい われている。 それに加えて今回の事故では、放射性物質が大量に海に流失してい ることも忘れることはできない。 日本原子力研究開発機構などが九月八日までまとめた報告によると、 三月ニ一日から四月三〇日までに海に、流失した放射性物質の量は 一万五〇〇〇テラペクレル以上。想像を絶する量の放射性物質が、 こうして大気中と海中に流失させられたのである。 念のために付け加えれば、これはあくまでも限られた期間の流失量 にすぎない。現在でも量は減ったたとはいえ、大気中及び海中の放 射性物質が流出しているという事実がある。 ――」》 ◎元湯浅誠内閣府参与「内閣府の内部は複雑な調整の場であった」 年越し派遣村村村長として知られる湯浅誠さんが、今年3月7日に 内閣府参与を辞任しましたが、一社会運動家が、政権内に入って見 た所見は、示唆にとんでいました。ナルホドと。 「ブラックボックスの内部は、政党や政治家、省庁、自冶体、マス コミなど、あらゆる利害関係が複雑に絡み合い、限られた予算を巡 って要求がせめぎ合っていた」 「こんな状況で自分の要求をすべて通すのは不可能に近く、玉虫色 でも色がついているだけで御の字、という経験も多くした」 (毎日新聞夕刊「特集ワイド」2012/03/30)
福島民報社のニュースサイト
犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)集英社 (2012/1/17) ・〈目次〉・ 第一部 福島 ・第一章 原発という犠牲のシステム ・第ニ章 犠牲のシステムとしての原発、再論 ・第三章 原発事故と震災の思想論 第ニ部 沖縄 ・第四章 「植民地」としての沖縄 ・第五章 沖縄に照射される福島 ★★★本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今日ま での日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、戦後日 本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表しているか らだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上稀に 見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サンフランシ スコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政下に置かれ、 一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国の米軍専用施設の 約七四パーセントが沖縄に集中しているという、このことをさして いる。 ★沖縄返還の代償 核と基地 密使・若泉敬の苦悩 [単行本] 沖縄返還の代償 核と基地 密使・若泉敬の苦悩

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔夏〕 天文  青嵐さっとシュートの決まりたる
http://shop.bungak.com/products/detail.php?product_id=143

≫平成万葉集

読売新聞社 (編集)、「万葉のこころを未来へ」推進委員会 (編集)
馬鈴薯の太りゆくらし畑土のはつかに膨らみ日のあたたかし
山城初子(64歳)沖縄県

◆◇◆悪魔の辞典より◆◇◆

アンブローズ ビアス (著)、Ambrose Bierce (原著)、 西川 正身 (翻訳)
無情な(callous adj.)
自分以外の者に災いがふりかかっても、それに 耐るほど偉大な剛毅の精神に恵まれた。 新編 悪魔の辞典 (岩波文庫)

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

こういうの欲しいな。
I wish I had one kike this.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> Wikipedia:岩村圭南 ※この番組の放送は4月1日で終了しています。

◎◆◎アートのたのしみ《英国篇》◎◆

J.W. Waterhouse“オフィーリア”
(1894年) (Ophelia) ◆ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス (Jhon William Waterhouse〈1849-1917〉) ・イギリス ラファエル前派・ ウォーターハウスは、父が画家でたびたびローマに滞在して いた関係で、ローマで出生。この年、イタリアではガリバル ディのシャツ隊がローマを占拠する統一戦争が起こり、イギ リスでは、アカデミズムに反旗を翻したラファエル前派の作 品がロイヤル・アカデミーなどの美術展に初めて出品された ました。 ウォーターハウスは、父親のアトリエで絵を勉強し、1870年 にアカデミー美術学校に入学。アルマ・タデマの影響もあっ て、古代史に題材を取った絵が多い。ロイヤル・アカデミー でも成績がよく、「魔法の円」が国に買い上げられたり、多 くの賞を取っています。後期の作品にラファエル前派的な作 品が多い。バーン・ジョーンズのように詩情にあふれていま すが、ウォーターハウスの方がより造形性、素描力が優れい ます。古典と新風がよく調和した画風を世におくりました。