オベリスク備忘録 このページをアンテナに追加 RSSフィード



オベリスク日録もどうぞ
Camera Obscura もどうぞ
Marginalia もどうぞ

2017-06-27

| 12:21 | ■を含むブックマーク

曇。
結構夜更ししたので、寝坊

相変わらず調子はよくないが、深刻というわけでもない。

この世界を受け入れていくというのは、航空自衛隊戦闘機爆音であり、近くを走る車のノイズであり、また本や CDPC で取り散らかった部屋だ。この宇宙に同期するというのは、結局どういうことなのだろう。

まあちょっと外へ出るか。

2017-06-26

こともなし

| 12:28 | こともなしを含むブックマーク

曇。

現在の自分課題がわかってきた。常に自分課題を把握することが大切だが、それがなかなかむずかしいのだよなあ。そういうときに「師」というものがいるといいのだろうが、それは残念ながら自分には当て嵌まらない。試行錯誤してやっていくしかない。

結局は基本なのだ。基本が大事

PC 遊びなど。
http://d.hatena.ne.jp/obelisk2+marginalia/20170626

2017-06-25

アレックス・ロス『これを聴け』

| 08:23 | アレックス・ロス『これを聴け』を含むブックマーク

日曜日。曇。
夜の間は雨だったようだ。起きてすぐ地震長野震度5強

ショパンバラード第一op.23 で、ピアノチョ・ソンジンピアノの音がきれい演奏もなかなかで、ここまで弾けるなら大したもの。個性はそれほど感じないが。

モーツァルト弦楽四重奏曲第十四番 K.387 で、演奏はハーゲンQ。この動画は音質があまりよくない。ハーゲンQ はかなり癖の強いカルテットであるが、やはりこれほど弾けるカルテットはめったにないだろう。一流のそれというべきだ。ただ、音質のせいか、ここではちょっと乱暴にも聴こえる。気のせいかもしれないが。

シューマン幻想曲ハ長調 op.17 で、ピアノエフゲニー・キーシン。色いろ考えさせられる演奏だった。キーシンが好きなタイプの聴き手なら、満点をつけるような演奏だろう。しかし、自分はそう簡単にはいかなかった。特に第一楽章根本的な違和感を覚えた。そもそもキーシンというピアニストは何でもショパンにして弾いてしまう人で、それがかなわない。これでは、この曲がベートーヴェン継承してさらに画期的であったことがまるでわからないではないか。それに、シューマンにしては楽天的に過ぎよう。それは第三楽章にも感じた。もっと毒をもって、危険に演奏してほしいのだ。しかし、外面的な第二楽章は、すばらしい出来でありました。こういうのはキーシンはさすがであり、あり余るテクニック音楽性で聴かせる。

図書館から借りてきた、アレックス・ロス『これを聴け』読了柿沼敏江訳。SHADE さんに教えてもらった本。アレックス・ロスはたまたま自分と同い年であるが、音楽についてもそれ以外についても大変な博識だ。音楽クラシック音楽だけでなくあらゆるジャンルの音楽に造詣が深い。また、(クラシックの)現代音楽作曲家になるための勉強をしていただけあって、完全に分析的なやり方で、あらゆるジャンルの音楽聴くこともできる。文章も上手い。情熱もある。とにかく、音楽評論家として、必要な才能をすべてもっているというべきであろう。恥ずかしい話だが、自分が知っているのは主にクラシック音楽の、それも一部のジャンルにとどまり、例えばバロック音楽オペラについてはほとんど何も知らないという偏りぶりである。分析的な耳もないし、また、演奏会での実演にもほとんど接せず、録音だけで音楽を聴いている。つまりは、アレックス・ロス罵倒する保守的で無知な聴き手にすぎず、これでは本書は正確には判断できないのである。けれども、わからないなりに勉強にはなった。いつになるかはわからないが、ビョークボブ・ディランなども聴ければいいと思っている。本書では、エサ=ペッカサロネンブラームスを扱った章が自分にはとりわけおもしろかった。

これを聴け

これを聴け

ブログ「本はねころんで」さんが小林勇を取り上げておられるが、小林勇とはまたなつかしい名前である。一時期読んでいたものにはこの名前が頻出したこともあり、小林勇編集者ではあるが、著書もあって何冊か読んだ記憶がある。しかし、それははたして何だったのか、たぶん探せば出てくるだろうが、よく覚えていない。幸田露伴など大家に気に入られる人で、一時期岩波書店を飛び出して立ち上げた「鉄塔書院」というのは、確か露伴が名付けた筈である。岩波新書を立ち上げたのも小林だったような気がするのだが、これもうろおぼえ。伝説的な語学者である河野與一の尻を叩いて翻訳をみずから口述筆記し、どんどん出版するとかいうこともしていた。物理学者ド・ブロイの『物質と光』とか、『プルターク英雄伝』は、そうして出版されたのだ。ちなみに河野與一訳の『プルターク英雄伝』は、谷沢永一がその訳文を口を極めて罵倒していたのを思い出すね。

2017-06-24

小林敏明『夏目漱石と西田幾多郎』

| 10:28 | 小林敏明『夏目漱石と西田幾多郎』を含むブックマーク

曇。
寝過ぎ。どれだけでも眠れる。ひどい夢。魂が薄汚れてきているのを感じて、いい気分ではない。

昼から仕事

小林敏明『夏目漱石西田幾多郎読了

寝る前に荘子を読む。

2017-06-23

Mike Gancarz『UNIX という考え方』

| 03:46 | Mike Gancarz『UNIX という考え方』を含むブックマーク

晴。暑い
昨晩は夕食後に寝てしまい、1時くらいに起きる。

外部に出ないと停滞する。

ベートーヴェンの 32の変奏曲ハ短調 WoO 80 で、ピアノグレン・グールドCD版とは明らかに別テイクだが、基本的に同じでどちらもすばらしい。この前に色んなピアニストを試したのだがすべて合わず、結局あまり聴かないことにしているグールド聴くことになってしまった。ここでのグールドベートーヴェンは、全然エキセントリックではない、というか、もっともベートーヴェンらしい演奏のひとつであるといっていいだろう。まさしく天才的である。

シューマンピアノ五重奏曲 op.44 で、ピアノマルタ・アルゲリッチヴァイオリンはドーラ・シュヴァルツベルグ、ルチア・ホール、ヴィオラ今井信子チェロはミッシャ・マイスキー。これは白熱のライブ録音だ。アルゲリッチはこの曲が好きらしく、You Tube に上がっている CD化されていない音源も含めれば、相当の数の録音があるのではないかと思う。曲はもちろんロマン派室内楽代表する傑作のひとつで、僕も昔から大好きだ。また、演奏される機会も多いのではないかと思う。まだこの曲を聴いたことがない方は、この名曲まっさら状態で聴けるなんて、うらやましいくらい。

ショパンピアノソナタ第二番 op.35 で、ピアノユジャ・ワン

昼から県図書館。何か怏々として楽しまない。しばらく我慢するしかない。

夕方、樋の掃除。ウチには檜があるので、樋が檜の落ち葉で詰まるのである。

Mike Gancarz『UNIX という考え方』読了

UNIXという考え方―その設計思想と哲学

UNIXという考え方―その設計思想と哲学

2017-06-22

こともなし

| 09:16 | こともなしを含むブックマーク

曇。
変な夢を見た。玄侑さんの頭に毛がある夢。???

モーツァルトピアノソナタ第四番 K.282 で、ピアノレオン・フライシャー。僕はモーツァルトピアノソナタ演奏はあまり作為のないものが好みである。内田光子のなど、これ以上ないくらい立派な演奏ではあるが、意識的すぎて息苦しい。このフライシャー演奏にはかなり満足した。自分ピアノが弾けたら、こういう風に弾きたい気がする。ちなみにリヒテル晩年ライブ録音なども、素っ気ないくらいで好みだ。

メンデルスゾーン交響曲第五番 op.107 で、指揮はロリン・マゼール。緻密な演奏

シューマンリーダークライス op.24 で、歌手はディートリヒ・フィッシャー=ディースカウピアノはヘルタ・クルスト。

江藤淳は「フォニイ」と言ったが、現代においてそんなことを言っていたら生きていかれない。基本的に「フォニイ」しかないのだから。僕もそうだし、たぶんあなたもそうだ。フォニイの中で、江藤淳自殺してしまったのだな。形骸化した自分には耐えられないと。「フォニイ」などとは、困ったことを言ってくれるよ。

最近、とあるえらい JK が我々のために考えて下すった KKNO という蔑称がひどく気に入っている。まさしくこれだ、自分は KKNO なのにちがいない…そんな思いに感動させられる。そしてこの憐れみ視線。これは菩薩だ。菩薩ではあるまいか。宇宙での最下層民である KKNO。めくるめくマゾヒスティック恍惚だ。

夕方、図書館。酒屋。カルコス。

早寝。

2017-06-21

江藤淳『リアリズムの源流』

| 15:15 | 江藤淳『リアリズムの源流』を含むブックマーク

雨。強い。

夕方近くになるまでごろごろしていた。特に何かをする気がない。

シェーンベルクピアノ協奏曲 op.42 で、ピアノ内田光子、指揮はピエール・ブーレーズ。この曲はシェーンベルクの中では聴きやすいもので、ブーレーズなんかは確かかなり辛辣なことを言っていたのではないか(ちょっとうろ覚え)。しかし、そんなに貶すことはないんじゃないかと思う。別にポピュラー曲でもいいじゃん。自分は結構よく聴く内田光子ブーレーズのこの曲の決定盤ともいえる演奏で、じつは CD をもっているのでそちらを聴けばよいのだが、わざわざ探すのが面倒なので検索一発で聴いた。うん、いいねポリーニアバドでもいいと思う。しかしこの曲、思ったより You Tube に上がってなかった。あんまり選択肢がないような。

ベートーヴェンのいわゆる「エロイカ変奏曲」op.35 で、ピアノアルフレッド・ブレンデル何だかタッチがあまりブレンデルっぽくないという印象。重い。動画で音が悪いからかな。

時々飲んでいる。

夜、仕事

図書館から借りてきた、江藤淳リアリズムの源流』読了。まあ、すごくおもしろかったことはおもしろかったのだが…。ひとつわかったことがある。現代において、いやもう現代においてそういうことが言われることはないのかも知れないが、とにかく「文学は死んだ」とか「文学は決して死なない」とか、まあ何でもいいが、その「文学」とは、江藤淳のことなのである。それははっきりとわかった。それにしても、何という文学的才能。それは批評という形式を採っているが、これこそが文学なのだ。そして、しょうもないことばかり書くが、自分はその江藤淳文学に対する全面的な傾倒(?)が、次第に気持ち悪く感じられるようになってきたと白状する。気持ち悪いというのは正確ではないかも知れないが、何ともいいようがない。例えば、江藤淳の有名な「"フォニイ"考」は、本書に収録されていて、自分は初めて全文を読んだのだが、辻邦生加賀乙彦小川国夫丸谷才一は「フォニイ」であると一刀両断している、何ともすさまじいものである。「いかさまでもっともらしい人で、ごまかしで、にせもの」などと言っている間に舌がもつれてしまうから、正確な形容である「フォニイ」で済ます、その一言で足りるとはっきり述べている。僕も(自分などがいうのは滑稽であると承知だが、文脈上仕方がない)江藤淳の言っていることはそのとおりというしかないのだが、そんなことはどうでもよくないか。辻邦生加賀乙彦小川国夫丸谷才一は下らないし、マチネ・ポエティクも下らないが、そんなのは放っておけばいいのにと、まあとにかく自分などは思ってしまうけれど、どうしてそれを江藤淳は言わずにおれないのか。いや、それは言うべきであると江藤淳は確信していたにちがいない。自分もつまらぬことをいうとは思うが、どうしてそこまで文学に己の全存在を賭けねばならぬのか。それが何かたまらない気がする。
 江藤淳は、自分には「大人」に感じられる。自分は髪に既に白いものが混じりだしているおっさんではあるが、たぶん同い年のとき(いや、二〇代ですら)の江藤淳比較にならない大人だ。しかしそんな大人江藤淳が、伊東静雄の詩について書いているのを読むと、ちょっと愕然とする。というか、ギョッとするというか。ここでの江藤淳は何か虚無に捉えられているような感じで、目を背けたくなる。自分何だか、とんでもない勘違いをしているのかも知れないが。

リアリズムの源流

リアリズムの源流

しかし、自分はさらに江藤淳は読むだろう。読まないでいられない気がする。

2017-06-20

土屋惠一郎&中沢新一『知の橋懸り』/若松英輔『霊性の哲学』

| 11:10 | 土屋惠一郎&中沢新一『知の橋懸り』/若松英輔『霊性の哲学』を含むブックマーク

曇。
寝過ぎ。試験に致命的に遅れる夢や頭が悪くなる夢を見る。よくわかる、さもあらん。睡眠の後始末がまた大変。

土屋惠一郎&中沢新一『知の橋懸り』読了。副題「能と教育をめぐって」。対談集。土屋惠一郎は一応ホッブズ研究者で、読んだことはある。すごく変な(笑)研究書で、めっちゃおもしろかったのを覚えている。というか、ブログのどこかに書いてあるはずだ(参照)。で、もう辞められたそうだが能のプロデューサーで、「橋の会」というすごいことを24年間やっておられたらしい。いまでは明治大学学長なんだそうである。おもしろいなあ。中沢さんと対談するにはぴったりではないか。本書についての感想は書かない。自分のことだけ書くと、僕は自分センスの悪さにつくづくウンザリしている。結局、自分はセミオティックに対する感受性がにぶいのだ。本当にどうしようもなくつまらん俗衆であるが、まあ腐らずに修行していきたいと思う。

自分はふだんは殆ど死んでいるのだが、こういう本を読むときだけ生き返るような気がする。ゾンビちゃん。しかし、この効果は五分しか続かない。

ミニトマトの初物。

図書館から借りてきた、若松英輔霊性哲学読了。この人は本当に真面目でえらいのだが、くだらないところがないのだけは惜しい。いまの時代に「くだらない」というのはじつに重要だと自分は思っている。まあしかし、魂の高みだけを経巡っている人はまことに少ないから、こういう人がいるのはすばらしいことなのだが。ないものねだりをしてはいけないのだろう。

霊性の哲学 (角川選書)

霊性の哲学 (角川選書)

僕はパンクロックはまったく知らないが、現代こそパンクが必要な時代であることは心底知っている。時代劇の好きなパンクロッカーとか、まったくすばらしいではないか。ねえ。

しかし、真面目な人はこんなブログなぞを読むヒマがあったら、若松英輔を読んでみるといいと思う。マジですよ。

若松英輔というのは滑稽ということがまるでない人である。そこがじつに惜しい。蓮實重彦は「吉本隆明は滑稽である」と宣ったが、まあ蓮實さんはバカにして言っているのだけれど、それでも吉本さんが滑稽に思われておかしくないというのはさすがだ。中沢さんも多くの人にバカにされている。ここなのだ。自分もまた心底から滑稽さを滲ませることができるよう、つとめて修行したいと思っている。

TK from 凛として時雨聴く
たまたまこアルバムが手に入ったので聴いてみた。まだ凛として時雨自体は聴いたことがなくて、こちらを先に聴いてしまったわけだが、若い人たちのやっている音楽の中では稀な才能に驚いた。これはどういうジャンルなのかよく知らないが(笑)、かなりハードエッジだと思うけれど、音が乾いていてカッコいい。一種の(いい意味での)軽さを感じる。それに、ノイズもよくて、ちょっと感動すら覚えるね。いや、やはり才能ってのは出てくるものだな。凛として時雨自体も是非聴いてみようと思っている。

white noise(初回生産限定盤B)(DVD付)

white noise(初回生産限定盤B)(DVD付)

ただこれ、ボーカルはなんかむにゃむにゃ言っていて、何を言っているのかさっぱりわからないのはどうなんだろう。ちょっと声が甘ったれているしな。それを除けばなかなかいい。

SHADESHADE 2017/06/21 02:59 凛として時雨っ!まだお客さん5人とかの頃から観てました!

obelisk2obelisk2 2017/06/21 08:51 おー、さすがですね。聴いてみて、才能ってのはやはり出てくるものだなと妙に感心しました。

2017-06-19

アレックス・ロス『20世紀を語る音楽 1』

| 08:49 | アレックス・ロス『20世紀を語る音楽 1』を含むブックマーク

晴。

ハイドン弦楽四重奏曲ハ長調 op.76-3 で、演奏はアタッカQ。いわゆる「皇帝」。

コルンゴルトの左手のためのピアノ協奏曲で、ピアノハワードシェリー、指揮はマティアス・バーメルト

ブラームスの三つの間奏曲 op.117 で、ピアノドミニク・メルレ。自分にはえらく余韻の乏しい間奏曲に聴こえる。ちょっと素っ気なさすぎるのではないか。どうしてもグールド演奏比較してしまう。ピアノの音もきたない。

尹伊桑のヴァイオリン協奏曲第三番(1992)で、ヴァイオリンは Vera Beths、指揮はハンス・フォンク。すごい音楽だ。尹伊桑が現代音楽作曲家の中でも特筆すべき存在であるのは自分にはもはや疑いない。バリバリのハードな現代音楽なのに、バッハと同様に聴ける。まあバッハとの比較っていうのは上手くないですけれどね。いい形容が思い浮かばないな。

昼から県営プール今日は三人しか泳ぐ人がいなかった。機械がはたらいていなかったので水が冷たいから注意と言われて、冷水期間が二週間早まっただけだろうと思ったが、30分くらい入っていたらちょっと寒くなった。しかし外は暑い。どこが梅雨かという感じである。でも明日からは本格的に降るようだ。

図書館から借りてきた、アレックス・ロス20世紀を語る音楽 1』読了勉強になった。

20世紀を語る音楽 (1)

20世紀を語る音楽 (1)

JKが考える
最近の JK はすごいなあ…。しかし我々は不可触賤民か。一抹も希望がないのか。そう、この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ。それが KKNO の世界である。

このところ、日本の箍が外れてしまったことをひしひしと感じる。制度疲労が蓄積し、ついに破断したのだ。2017年日本終了の年として、永く語り継がれるに相違ない。

2017-06-18

ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ『自然魔術』

| 11:04 | ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ『自然魔術』を含むブックマーク

日曜日。曇。

後始末がしんどい。とってもキモい

モーツァルトピアノソナタ第十七番 K.570 で、ピアノエミール・ギレリス

昼から仕事

人気のシロクマ先生ブログなどを読んでいると、自分時代遅れぶりをまたしても痛感させられてあまりいい気分でない。僕は「ゼルダの伝説」について長々とブログに「批評」を書いてしまうおっさんには到底なれないことであろう。(エロサイトについてなら書きたい気もほんのちょっとだけするが。)何だかネットを見ていると、お前などはさっさとこの世から退散したらどうだね、この時代遅れ田舎者めというような被害妄想に駆られないものでもないのである(それが本気になってきたら病人である)。まったく時代適応していない、そのとおり。まあ、もう少し無駄な努力をしてみるつもりではあるが。

そうだなあ、そのうちまたゲームもやるかなあ。これでも学生の頃は結構ゲームもやったんですけれどね。「ドラクエ3」くらいはやりました。「ブラックオニキス」も「ダンジョンマスター」もやったし、ゲーセンで「バーチャファイター」にもハマったぜ。「リッジレーサー」とかも懐かしいなあ。齢がわかるぜ。もうでも、そういうのは面倒で仕方がないのだ、くたびれたおっさんは。ゲームをしていると、どうでもよすぎて何かむなしくなってくる。おっさんになってもゲームができるのというのは、尊敬に値するなあ。

プロコフィエフピアノソナタ第七番 op.83 で、ピアノはカティア・ブニアティシヴィリ。いやあ、よかった。このコ(?)なかなかかわいい顔をしているのに、えげつない演奏でよかったし。曲はもちろん二〇世紀音楽ポピュラー曲ともいうべき傑作。第六から第八番までを総称して「戦争ソナタ」というが、プロコフィエフがどういうつもりでそういうことにしたのか知らないけれど、超カッコいい曲である。カッコよすぎて、現代音楽範疇に入れない人もいそうだが、いつ聴いてもフレッシュだ。この曲は不協和の鮮烈な部分だけでなく、叙情的・瞑想的な部分がまた聴かせるのであり、プロコフィエフの円熟した作品はすべてそうであるといえるだろう。初演者スヴャトスラフ・リヒテルの何種類もあるライブ録音がベストだが、若きポリーニの録音など、他にもいい演奏はいくらでもある。(リヒテルは、是非第八番を聴くべきである。全身総毛立つ演奏というのはこういうものだ。)特に若い人の演奏が気になってしまうな。

シューベルトピアノソナタ第十四番 D784 で、ピアノスヴャトスラフ・リヒテル。1979 Live. 吉田秀和さんではないが、リヒテルシューベルトは巨大すぎる気がする。この演奏など、フォルテッシモはやり過ぎではあるだろう。しかし、第一楽章である。そのなかでも特に、第二主題だ。僕はリヒテル演奏でこれを聴く心臓が止まりそうになるというか、目が水分を発することが止められない。なんというか、本当にささやかな音楽なのだが。こういう感じは他のどの作曲家音楽でも覚えないことである。結局、シューベルトピアノソナタは、傑作は他にいくつもあるけれど、バランスの悪いこの曲が自分にはいちばんこたえる。じつに危険な演奏である。どうも、ブレンデルあたりの演奏聴くのが本当はよいのかも知れない。

松崎ナオの「川べりの家」ってホントにいいな。何回も聴いてしまう。

ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ自然魔術』読了。澤井繁男訳。本書の歴史的評価とは別に、僕としてはデッラ・ポルタ意図してかそうでなしにか、とにかくとんでもない法螺を平然と(?)並べ立てている部分がおもしろい。じつにどうでもいいのだけれど、それが笑えるくらいである。例えば(女性の)「しわの寄った額への対策」という部分。「亜麻仁油のかすが良い。オリーブ油のかすも良い。オリーブ油アラビアゴム、トラガカントゴム、マスチック、樟脳と混ぜて塗ると、乳房のたれさがりにも良い」とか(笑)。誰かやってみます? また、「アヒルをいかにして素手でつかまえるか」という部分。「アヒルがいつも水を飲む場所を観察して、そこの水をとりのぞいてワインを入れておく。ワインを飲むとアヒルは倒れてしまって、簡単につかまえることができる」なんて、どういうつもりで書いているのか(笑)。まあこんなところばかり引用してはデッラ・ポルタは怒るかも知れないが、おもしろいのだよねー。

なお、本書は原書の三分の一程度の抄訳であるらしい。まあこれでも内容はだいたいわかるようである。

2017-06-17

こともなし

| 04:14 | こともなしを含むブックマーク

晴。
早起き

バッハイギリス組曲第二番 BWV807 で、ピアノアリシア・デ・ラローチャ

フォーレピアノ五重奏曲第一op.89 で、ピアノピーター・オース、 アウリンQ。これはおもしろかった。最初はもう少し濃厚な方がいいかなと思って聴いていたが、そのうちこの演奏の繊細な美しさがはっきりしてくると俄然おもしろくなる。これだけ脆くともフォーレはこれでいいのだな。絶品とすら言えようか。この曲は最後の開放感がたまらないね。

コルンゴルトピアノ五重奏曲 op.15。これはすごいコルンゴルトってよく知らなかったが、こんなすごい作曲家だったのか。モダンだ。もっと聴かれてしかるべきだな。無知を恥じたい。

普段は朝食は取らないのだけれど、早起きしたときは食べる。トーストコーヒーがすごくおいしく感じられる。自宅の夏みかんから老母の作ったマーマレードがおいしい。ふつうに作っているだけだと思うが、市販のものとは比較にならない。そういやウチの味噌農協婦人部の手作りの素朴なものだが、これに替えてからは味噌汁の味が劇的にかわった。もう元のメーカー製(わざわざ高いものを買っていたのだが)には戻れません。ハム地元町おこしで作っているやつだが、これは地元で既に市民権を得ている。って僕は都会の意識の高い系とはまったくちがう田舎者だが、どうも何か変な感じである。何か「メーカー」とか、おかしいんじゃないのか。日本酒なんかでは既に「メーカー」というと、三流品というイメージになって、小さな酒蔵がおいしいお酒を作るようになってからだいぶになるね。ウチでも近くにある小町酒造を愛飲している。

ポリーニの Complete Recordings on Deutsche Grammophon なんて出ているのだね。知らなかった(というのが多すぎるな)。まあ全部もっている筈だから買わないけれど、56枚組で 2万円以下か。お得すぎるな。

なお、最新録音のショパンアルバムは入っていないみたい。70年代空前絶後の録音を聴くためだけでも買う価値があると思う。もうこんなピアニストは出ない。

山下達郎の最初の四枚のアルバム70年代なんだよね…。70年代ってどんな時代なのか、例えば60年代に比べて、あんまりいわれないのだけれど。オイルショック? 80年代自分が育った時代だが、後半はいわゆるバブルだな。ひだまりのようなのんびりした幸福な時代だった。何でも日本いちばんで、ふやけた時代だったともいえるだろう。音楽YMO か。あんなレヴェルの高いものが大人気だったとは、ちょっと信じがたい感じがする。いまのふつうの子供たちが聴いている無内容(って何も知らないおっさんが思うだけだが)の音楽とは正反対で、これってどういうものなのだろう。でも、僕らの世代って才能がほとんど輩出していないのだよね。うーん。

PC 遊び。

2017-06-16

岡崎武志『詩集 風来坊ふたたび』

| 09:28 | 岡崎武志『詩集 風来坊ふたたび』を含むブックマーク

晴。
夢をたくさん見る。empty な感じ続く。本当に精神生活が貧しいからな。しかし、むしろこの領域に留まるべきかとも思う。これは同時代的なものだから。

バッハフランス組曲第一番 BWV812 で、ピアノはタチアナニコラーエワ。なるほど、これがニコラーエワのバッハか。

バルトークの「中国の不思議な役人組曲で、指揮はエドワードガードナー。まったく知らない指揮者だが、中堅の実力者らしい。切れ味の鋭い演奏で堪能した。バルトークは中身がいっぱいに詰まっているな。

武満徹の「カトレーン」で、指揮は小澤征爾武満徹聴くというのは、心に水や肥料をやるようなものだと思う。僕は武満の音楽無意識のどれくらい深くから発してきているのか、まだよくわからないくらいだ。武満は寝る前に聴いたりするといいんじゃないか。それから、小澤征爾はやはり立派。

武満を聴いて寝ころがっていたらとても具合がよかった。皆さんに武満徹を聴いてお昼寝することをおすすめしたいが、そんなヒマな人はいないか。

古書善行堂さんのネットショップ参照)で岡崎武志さんの詩集を注文したら、すぐに送って下さった。いかんいかん、さっさと振り込まないと。

ということで、岡崎武志詩集 風来坊ふたたび』読了。いつもブログを愛読している岡崎さんの詩集で、出版の話ができてくる過程で気になっていた。この詩集には前作があるようで、だから「ふたたび」なのである。前作の風来坊は二〇代後半の若者イメージで書かれたそうであるが、本書の風来坊はどうなのであろうか。まだ若いようにも見えるが、おそらくは既に中年男性という気がした。苦い人生を辛くも渡ってきたという、くたびれ感とさみしさが漂っている感じである。齢を取れば取るほど、気持ちはさみしくなりくたびれてくる、それでもどこかへ歩いていかねばならない、そんな人生真実がにじみ出ていて、感銘を受けた。自分のような甘っちょろい人生を生きてきた人間でもそういう感慨を抱かされるのだから、渡世のつらいすべての人々にこの詩集を贈りたい気分である。これはお世辞でなくいいものですよ。

なお、本書は古書善行堂さんの処女出版である。それはそうと、岡崎さんの前作はいまでも手に入るのかな。本書には ISBNコードがついていなく、大手による流通は考えておられないようだ。それもまたひとつの行き方であろう。

ATM での振り込みのため、国道ロードサイドへ。梅雨とは思えないカラリと晴れ上がった青空。ひさしぶりに BOOK OFF へ寄ってみる。何となく河出文庫柴崎友香と、岩波文庫丸山眞男の二冊を買う。棚を見ていても喚起されることがなく、最近の出版事情に冥いことがはっきりしている。そういや、「ブ」でのセドリの人たち、このところ見かけなくなった気がするなあ。

心境がどうであれ、世界はひたすら美しい。

早寝。

SHADESHADE 2017/06/17 05:08 あああー凄い写真キレイ!

obelisk2obelisk2 2017/06/17 05:36 ありがとうございます。散歩していただけなんですけれど、世界がすごく美しいってありますね。

2017-06-15

Haskell のお勉強

| 11:12 | Haskell のお勉強を含むブックマーク

晴。

ベートーヴェン交響曲第七番 op.92 で、指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。これはめったにない、すばらしい演奏パーヴォ・ヤルヴィにはしたたかに感心させられた。そもそも僕はこの曲は、特に終楽章が無内容な感じがしてあまり聴く気になれないのだが、ヤルヴィはじつに音楽的。とにかく変なことをまったくしていない。いや、すべての楽章をアタッカで繋ぐのはちょっと変っているが、あとはいちいち納得できる。自分の苦手な終楽章もじつにクリア。それなのに、ベートーヴェン特有の生命力、爆発力にも欠けていないという見事さで、はっきりいって最後は盛り上がりますよ。父親ネーメ・ヤルヴィは高名な指揮者だが、パーヴォ・ヤルヴィはもっと聴いてみたいな。幸い、パーヴォ・ヤルヴィベートーヴェンはまだまだ他に You Tube に上がっているようだ。いやー You Tube、すごいですね。

Haskell 事始めノート - Marginalia
半日 Haskell のお勉強。最初のあたりではパターンマッチがおもしろい。途中までの知識で「エラトステネスの篩」を実装してみようとしたが、きれいに書けない。関数型言語というのはオブジェクト指向言語とまったくちがうので、なかなか頭に発想が浮かんでこないのだ。つい変数が使いたくなってしまう。

すごいHaskellたのしく学ぼう!

すごいHaskellたのしく学ぼう!

2017-06-14

加藤典洋『敗者の想像力』

| 10:05 | 加藤典洋『敗者の想像力』を含むブックマーク

晴。
しょうもないことばかりやっているせいで、精神が empty な感じ。

モーツァルトピアノ協奏曲第十二番 K.414 で、ピアノ内田光子、指揮はジェフリー・テイト

バルトークの「管弦楽のための協奏曲」で、指揮はピエール・ブーレーズ。すごい演奏だな。まさしくシカゴ響のための曲。

ブーレーズの第二ピアノソナタで、ピアノマウリツィオ・ポリーニ自分にはいまだに前衛たることを已めていない演奏。若い人には是非挑戦して欲しい古典だ。

東京その他での「ポリーニプロジェクト」とか、録音がないのかね。あったらいつか聴きたいものだが。

とかで検索していたら、ポリーニ新譜が出ていることに気づく。おお、何ということ! ショパンアルバムということである。たぶんもうダメな演奏だろうけれど、ポリーニだから買うしかないな。しかし、シュトックハウゼンなんかはついに録音しないで終わるのか知らん。

Hetalia&Doodle page
わたくしはこの Tumblr が好きである(エロじゃないっす)。

加藤典洋『敗者の想像力読了。まあまあだった。僕は加藤という人はよく知らないが、まずまず勉強もされている方だと思う(エラそうでごめんなさい)。しかし「まあまあだった」とは書いたが、僕はたぶん本書がまったく読めていないと思う。文体に強度がなさすぎて、文章の意味を取るのが自分にはむずかしい。たぶん自分には加藤氏は読めないのだろう。だから、この感想はほとんど意味がない。まあ加藤氏はそのうちまた読んでみたいと思う。なお、本書オビに著者の顔写真が載っているが、理不尽な発言で申し訳ない、僕はこのツラは文章家としてダメだと思う。そもそも僕は結構ひとを顔で判断するので(見当ちがいもしょっちゅうありますが)。バカですね。

敗者の想像力 (集英社新書)

敗者の想像力 (集英社新書)

日本屋へ行ってきたのだが、いまや新書はつくづくヒドいことになっていますね。特に老舗の講談社現代新書劣化が著しい。ここにいまの日本の文化状況の一端が見えていると思う。まあ仕方がないね。

いまジャンバッティスタ・デッラ・ポルタの『自然魔術』の翻訳を読んでいるのだが、相も変わらず「マヨラナ」を「マヨナラ」と書き誤っている。前にも何度か書いたのでまたかと思われる人も…いや、そんな人はいないと思うので同じことを書いておくが、この植物ハーブ一種であり、ラテン語では majorana、英語でいうマージョラムで、「マヨラナ」が正しい。これも前に書いたが、かの碩学林達夫までも誤っているくらい*1日本では猖獗を極めた「伝染性誤謬」(トマスブラウン)である。けれども、さすがに最近では正しい表記が殆どになってきたと思っていたが、こんなところで再見した。原語を見ていて誤るとは考えにくいが、著者の思い込みか、それとも辞書の誤りか、何なのだろうか。かつて誤謬拡散したのは、たぶん最初の頃の辞書が誤っていて、その辞書を引き写したその後の辞書に受け継がれたものであろう。この「辞書の引き写し」で新しい辞書を作るというのはかつては散々行われていて、当の林達夫がそれについて一文を草しておられるくらいである。林達夫が何度もエッセイの題材としているとおり、翻訳というものはむずかしいものであるな。

*1:『歴史の暮方』所収「拉芬陀(ラヴェンダー)」というエッセイ中公文庫版で確認した。なお、これは坪内逍遥訳のシェイクスピア翻訳誤訳ではないかというもので、その合間に西洋本草学の蘊蓄が語られるという洒落エッセイである。なお、管見の限りでは、現代におけるシェイクスピア翻訳林達夫考察を取り入れているものは見たことがない。まあよく知らないのでいい加減ですが。

SHADESHADE 2017/06/15 05:03 http://slave-shade.tumblr.com/ 私のTumblrです^q^

obelisk2obelisk2 2017/06/15 09:25 おお、なかなか楽しいですな! ちょくちょく見せてもらいますね。

2017-06-13

Ruby 遊びが藪に

| 08:01 | Ruby 遊びが藪にを含むブックマーク

晴。
気持ちよく晴れた朝だな。

モーツァルトセレナーデ第十二番 K.388。いい演奏だな。これはセレナーデではあるが短調の聴き応えのある曲で、ときどき無性に聴きたくなる。モーツァルトも気に入っていたのだろう、のちに弦楽五重奏編曲したのは御存知のとおり。でも、最後長調に転調して、とってつけたように終っているのは何なのだろうね。

モーツァルト幻想曲ニ短調 K.397 で、ピアノヴィルヘルム・ケンプ東京でのライブ録音らしい。ケンプはかつて日本で人気の高かったピアニストであるが、いまでは聴かれることはあまり多くないような気がする。自分には謎めいたピアニストで、非常に大きな射程をもった音楽家であるが、標準的演奏家からは少しズレているような感じを受ける。ケンプというとドイツ音楽ということであろうが、標準的解釈者ではないところが謎な印象を与えるのだろう。これこそがケンプにぴったりな音楽というのがない感じ。むずかしい。

バッハピアノ協奏曲第二番 BWV1053 で、ピアノアナスタシア・インジュシナ、指揮はラルフゴトーニ。聴き始めて直ちに洒落演奏だと思った。インジュシナピアノは繊細なタッチで、バッハキーボードコンチェルトは切れ味が必要なので多少物足りないし、音が少し小さいが、それでも印象的である。特に第二楽章は聴かせる演奏で、琴線に触れた。指揮者も好サポート。このコンビでキーボードコンチェルトCD があるらしい。なかなか微妙なところだな。

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第八番 op.59-2 で、演奏はドーヴァーQ。これはすばらしい演奏。聴衆の熱狂賛同したい。この曲はクラシック音楽を聴き始めた頃から好きなのだが、好みというものは変わらないものだと思う。今でも同じように感動させられるのだ。

夕方、カルコス。いい天気で暑いくらい。

軽く Ruby で遊ぶつもりが藪に入ってしまった。半日パーって、何をやっているのだか。
Ruby インタラクティブ・グラフィック TODO - Marginalia

ドラゴン曲線を描いてみたり。

ドラゴン曲線を描く(Ruby) - Camera Obscura

by obelisk 2009-2017.