オベリスク備忘録 このページをアンテナに追加 RSSフィード



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2017-05-25

| 08:50 | ■を含むブックマーク

雨。

バッハイギリス組曲第三番 BWV808 で、ピアノアミール・カッツ。

ハイドン弦楽四重奏曲変ロ長調 op.76-4 で、演奏Dover Quartet。好演。

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第十一番 op.95 で、演奏は Amphion Quartet。

2017-05-24

五十嵐太郎『日本の建築家はなぜ世界で愛されるのか』/セーレン・キェルケゴール『死に至る病』

| 12:35 | 五十嵐太郎『日本の建築家はなぜ世界で愛されるのか』/セーレン・キェルケゴール『死に至る病』を含むブックマーク

曇。
リセット(?)して頭がバカになって何にも考えられないにゃあ。

五十嵐太郎日本建築家はなぜ世界で愛されるのか』読了五十嵐先生にしてはいやにキャッチーな題だな。日本建築家スゲーって本。個性個性個性、奇抜な建築世界を覆っていく。自分の住むところはこんな風になりませんように。でも、今風の「個性的な」シャレオツ住宅は近所にどんどん増えていっているのだ。自然との調和も何もないが、まあ風景自体が壊れていっているからなあ。保守的かつ田舎者かつ時代遅れひきこもりおっさんニートにはさみしいことである。

セーレン・キェルケゴール死に至る病読了鈴木祐丞訳。バカなことをいうけれども、これは自分バカだからわかることであるが、キェルケゴールははっきり言って病人、あるいはキチガイである。いや、我々すべてもまた病人であり、キチガイであるが、じつにキェルケゴールはその比でない。我々はこういう人はもうそっとしておいて、遠くから桑原桑原と言うしかないのだ。いや、バカ丸出しですね。でも、例えば訳者キェルケゴール理解と彼の狂信的なキリスト教信仰をわけて、つまりはキェルケゴールのいう意味でのキリスト者でなくともキェルケゴール理解できるようなことを解説で書いているが、これは寝言である。キェルケゴールはそのような態度を断固否定するだろう。キェルケゴールキリスト教徒ですら、その殆どの者の人生はまったく下らないものであると確信しているし、非キリスト教徒などおぞましさの極致としか考えていない。そのことは本文に繰り返し繰り返し繰り返し強調されており、ふつうに読めば紛れようもないことだ。それはむしろ我々バカにしかわからないのかも知れない。かしこい訳者の陥っている欺瞞をみると、そうかも知れないと思う。まあしかし、自分の方がおかしいと思われるのだろうな。だってキェルケゴールの『死に至る病』といえば、世界古典と見做されているからね。とにかく皆さん、お読みになることをお勧めする。その上で、やっぱりこんなブログの言うことなど信用できないとなれば、それはそれでいい。

我々東洋人は、このような段階は既に3000年前に通過したのだ(ウソ)。

ブログ古本屋ツアー・イン・ジャパン」を読んでいたら、某零出版社が左川ちかの詩集を出すというニュースを知る。「古ツア」さんもグラフィックを担当されているらしい。かなり高価だが、買えない値段ではない。うーん、欲しいことは欲しいが、僕のような者がもっていてはいけない貴重な企画であることは間違いないし、どうしようか…。それにしても、左川ちかはマイナー詩人ではあるが、中身があれば間歇的に出版する人が出てくるものだなあ。そういう意味では、出版の魂というのはまだ失われていないと言っていいのかも知れない。
http://furuhonya-tour.seesaa.net/article/450195545.html

2017-05-23

こともなし

| 10:27 | こともなしを含むブックマーク

晴。

モーツァルトフルートハープのための協奏曲 K.299 で、フルートはサミュエル・コールズ、ハープ吉野直子、指揮はユーディ・メニューイン。この曲を聴いていると、これ以上に美しい音楽はあり得ないような気がしてくる。もっともモーツァルトらしい、天上的な音楽だといえるだろう。

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第十番 op.74 で、演奏は Perlman Music Program の卒業生たち。

まさしく「春眠暁を覚えず」で、いくらでも寝られる。おっさんがこうも寝ていいのか。人間のクズを指弾してやって下さい。

カルコス。コンビニへ寄ったらレジが(たぶん)東南アジア系の女の子で、「自動車税お願いします」って言ったらふつうにやってくれた。当り前か。

PC 遊び。

不審な添付ファイルの付いたメールを発見。これがウィルス入りの添付ファイルかあ。まあたぶん Windows 向けなのだろうが。こういうメールは初めてだなあ。

SHADESHADE 2017/05/24 16:21 新宿のコンビニの店員さんほぼ外国の方で驚きました。しかもやる気のない日本人の店員さんよりもテキパキと対応してくれるんてすよね…

obelisk2obelisk2 2017/05/24 23:05 いまやコンビニでは外国人の店員は少なくないですよね。別にそれで問題ないと思います。どういう経緯でこうなっているのかなというのは、ちょっと考えないでもないですが。

2017-05-22

ヴォルテール『哲学書簡』

| 10:00 | ヴォルテール『哲学書簡』を含むブックマーク

晴。

モーツァルトセレナーデ変ロ長調 K.361 で、指揮はチャールズ・マッケラス。絶品。ハモり方がものすごく気持ちいい。蕩けそう。曲はいわゆる「グランパルティータ」と呼ばれるものですね。木管楽器のみのアンサンブル演奏される。

昼から寝てた。

ベートーヴェンピアノソナタ第十四番 op.27-2 で、ピアノはヴァレンティーナ・リシッツァ。こんなポピュラー曲を聴きやがってと言われそうだが、僕はいわゆる「三大ソナタ」はきらいでない。グールドもこの曲は好きだったのだよ。リシッツァ演奏は取り立てて特徴のあるものではなく、まあ凡庸ではあるのだが、この曲を聴く上で不満があるわけではない。まずまずいい演奏だと思う。

マルティヌーヴァイオリンソナタ第三番で、ヴァイオリンはヨゼフ・スークピアノはヨゼフ・ハーラ。これはすばらしい演奏マルティヌーのこの曲はモダンで聴き応えがあり、自分の好きなタイプのそれだ。これほどの曲でも知らなかったりするものだな。演奏ヴァイオリンピアノもいかにも実力者たちという感じで、気持ちがよい。

ヴォルテール哲学書簡読了斉藤悦則訳。本書は新訳であるが、岩波文庫林達夫による翻訳が既にある。林達夫はもちろん著名な知識人であり、典雅かつ明晰な文章で知られ、彼を尊敬する知識人は一時期は多かった。自分も四冊の中公文庫林達夫イカれた口であり、ちゃんと著作集ももっていて愛読したものである。林達夫ヴォルテールとはぴったりな感じで、『哲学書簡』は洒落翻訳であった。しかし今回新訳を読んでみて驚いたのだが、自分林達夫の訳で何を読んでいたのだろうということである。『哲学書簡』にはこんなことが書かれてあったのか。僕は岩波文庫版は複数回読んでいる筈であるが、どうやら林達夫の文章は自分能力を超えていたようだ。この新訳は非常によくわかった。読んでよかったと思う。

2017-05-21

こともなし

| 09:16 | こともなしを含むブックマーク

日曜日。晴。

モーツァルトのディヴェルティメント変ホ長調 K.563 で、演奏アイザック・スターンピンカス・ズーカーマンレナードローズという名手たち。

フォーレ弦楽四重奏曲ホ短調 op.121 で、演奏はアマティQ。

スクリャービンピアノソナタ第三番 op.23 で、ピアノサンソン・フランソワ。僕は CDBOX でこの演奏をもっている筈だが、全然気づかなかった。へー、フランソワがスクリャービンを弾いているのかという感じで、意外感でつい聴きたくなる組み合わせである。フランソワっていうと、貴族的な顔立ちがカッコいいダンディですよね(笑)演奏スタイルもいかにも天才っぽく格好つけていて、それで実際に天才だったというめずらしい人である。録音は投げやりでテキトーっていうのがまたカッコいい。この曲はフランソワに合っている感じで、また最初から格好をつけているが、そのうち次第に乗ってきて、真剣に聴くべき深い表現に達しているところがおもしろい。個人的なことをいうと僕はスクリャービンの特に若い頃の曲を偏愛するのだが、日本のオンガクヒョーロンカという人たちがこれまでスクリャービンを殆ど無視してきたという歴史がある。まあよくわからなかったのだろうね。無理もない。

それにしても、スクリャービンというと「法悦の詩」っていう紋切り型は、いい加減に卒業したらどうだろう。さすがにもっと成熟した聴き方をするべき段階になったと思うのだが。ってエラそうですね。

昼から仕事

SHADESHADE 2017/05/22 08:29 そうなんですよねスクリャービンはコーナー無い店もあるし。未だに古い評論家さん達には前衛的なのかな?アシュケナージはかなり録音してますが、普通の演奏なので面白くもなんと無いかもしれないです...

obelisk2obelisk2 2017/05/22 08:55 初期のスクリャービンなんか、すごくロマンティックで決してわかりにくくないと思うんですけどね。それから僕は特にアシュケナージは好きではないけれど、スクリャービンはなかなかいいと思いますよ。というか、ロシアものはさすがに聴かせるんじゃないでしょうか。

2017-05-20

『柄谷行人講演集成 1985-1988 言葉と悲劇』/川本三郎『そして、人生はつづく』

| 08:36 | 『柄谷行人講演集成 1985-1988 言葉と悲劇』/川本三郎『そして、人生はつづく』を含むブックマーク

晴。
寝過ぎ。

バッハ協奏曲 BWV974 で、ピアノマリアム・バタシヴィリ。曲はマルチェッロのオーボエ協奏曲バッハ鍵盤楽器のために編曲したもの。聴けばわかるとおり、ポピュラー曲ともいうべき甘い曲で、バッハはたぶん気に入って自分で弾きたかったので編曲したような気がする。多くの人がそうであろうと思うが僕も元々はグールドの録音で知ったもので、グールド演奏はじつに美しいものだった。ここでの演奏も弱音が中心でなかなかいい。ところでこのピアニスト女性ですよね。整った顔立ちなので、スーツを着ているとハンサムな男性のように見える。女性ピアニストはあのぴらぴらのドレスを着て演奏する人が多いが、スーツってのもなかなかいいのではないかな。ってどうでもいいことを書いた。曲に戻るが、原曲マルチェッロもとてもいい曲ですよ。

というわけで、マルチェッロのオーボエ協奏曲ニ短調です。第二楽章など、恋愛映画音楽みたい、というか、これを使った映画ってきっとある気がする。この演奏オーボエ、ちょっと意識して一生懸命だけれど、まあ悪くない。いい曲ですね。

モーツァルトの弦楽五重奏曲第四番 K.516 で、演奏エマーソンSQ+キム・カシュカシャン。うーん、これはすばらしい。昨日に引き続きエマーソンSQ+カシュカシャンのモーツァルトだが、動画で上っているのはこれだけですか。CD になっていないかなあ。弦楽五重奏曲全曲が聴きたいものである。ところでこの曲の第三楽章自分にはむずかしいのですが。調性的にずっと宙ぶらりんな感じなのだが、残念なことに自分音楽教育を受けておらず、自分の感じが的はずれなものかどうかを確認することすらできない。このあたりが自分の限界で、きちんと音楽勉強しているひとはこのあたりがわかるのだろうなあと思う。終楽章の序奏も、明らかにその雰囲気を引きずっているように思われるのだが。

柄谷行人講演集成 1985-1988 言葉悲劇読了。先日も本書について書いたとおり(参照)、本書は大変におもしろかった。まあ先日書いたことを参照してもらえばよいのだが、色いろ考えたのでちょっと付け加えておく。たいぶ前にこのブログに書いたと思うのだが(参照)、柄谷行人文学から出発した人であり、本書でもそのことを強く感じた。自分のことを書けば学生の頃から柄谷をよく読んできたものであるが、最初は「現代思想における日本のヘゲモン」として柄谷行人を読むという、まあ何も知らない田舎出の若者そのものであったと思う。柄谷が文学者であったことに気づいたのは、さほど前のことでない。柄谷の「形式化」というのは、「野蛮」に対する抵抗の手段というか、武器のようなものであり、それを受け継いだ東浩紀氏などの形式化とは随分ちがうものなのだ。東浩紀氏の形式化とは一種の「パズル解き」のようなものであり、それゆえ秀才親和性が高い。柄谷行人を読んでいると、ドロドロとしたものとの格闘がまことにスリリングに感じられる。それが僕のいう柄谷の「形式化」なのである。本書からこれ以降、柄谷の形式化は次第に自己目的化されていき、それゆえに抽象的だがすっきりとわかりやすいものになった。僕は個人的に、文学者としての柄谷行人の方が好きであるが、時代はそのようになっていかなかった。そして、柄谷行人学問的にまちがっているということになってきたようだ。
 しかし、それは以前も書いたことだが、事実として正しい云々のところだけで柄谷を評価してはいけないのではないか。確かに、柄谷はしばしば、学問的には証明できない一種放言をなすことが少なくなく、それは緻密な実証によって否定されたり、そもそも証明不可能ということで問題視することができる。しかしそれは柄谷の不可避的な「発想」であり「文体」であって、それをなくせばすべてを殺してしまうのだ。本書の真ん中あたりの講演で、柄谷は「安易デカルト批判」を批判しているが、確かに何ともめちゃくちゃなことも多く言っている。そもそも柄谷には何だかわからないインスピレーションがあって、それはまあ才能ある多くの人に共通することであるが、それにあまりにも引きずられて、めちゃくちゃなことを言う傾向がある。でも、その中に、誰も考えつかなかったすばらしい思考が発掘されるのを、我々読者は見出すのであり、それが柄谷行人の魅力なのだ。ここではデカルト歴史上のその人ではなく、柄谷行人自身の投影である。そのようなものが現代アカデミズム評価される筈がないが、思想とはそもそもそういう(柄谷的な)ものなのである。そんな下らないものは要らない? いやいや、そんなことを言うのはまだ何もわかっていない証拠なのだ。でもまあ、殆どの人にはそんなことはどうでもいいことで、いまでは秀才もその「殆どの人」の中に入ったにすぎない。文学が死んだのも同じことである。皆んなインターネットを見るようになって、世の中にはバカしかいないように見えることに安心したわけだ。まあそんなことはいまさら言っても仕方のないことである。
 それにしても、正直言って柄谷行人を読みながら何だか悲しくなってくるような事態に至るとは、まったく意外なことである。このような悲しみは、吉本さんや中沢さんを読んでいるときはいまでもまったく感じないことだ。吉本さんや中沢さんは、たとえ読まれなくなったところで、日本語がつづく限りは読む価値がなくならないことは確信されている。僕は柄谷行人を読んでいると反論したくなってきて猛烈に考えるのだが、こういう対象がホントに少なくなった。例えば東浩紀さんなどは、正直言ってただどうでもいい感じで、すごいですね秀才ですねくらいしか言う言葉がないのだが。まあ東さんはいいので、かつての柄谷行人をきっと読み返してみようと思っている。

しかし思うのだが、文学とは(それに思想とは)特に「役に立つ」ようなものではないし、またむしろ役に立たない方がいいようなものなのだが、どうしてそんなものが大切なのか。ここでいう「文学」は、(自分はよく知らないのだが)パンクロックのようなものも含めてよいであろう。こういうものに親和するのは、本来少数者の筈である。そして本質的にはインサイダーのものではあるまい。本物の文学(それは確かに存在する)は危険なものであり、おだやかな人生破壊しかねないものである。それは、自由というものが稀少であることに繋がっているような気がする。

図書館から借りてきた、川本三郎『そして、人生はつづく』読了。なかなかよかった。自分は以前から川本さんが苦手なので、修行になる。文章も平明で悪くない(エラそうだな)。まだ読んでいない著書が図書館にある筈なので、もう少し読んでみるつもりだ。それにしても、東京人というのは自分には異国の人と変わらない。いまひとつ同国人だとは思えない。

そして、人生はつづく

そして、人生はつづく

SHADESHADE 2017/05/20 20:09 キム・カシュカシャン(声に出して言いにくい日本語)はECMから出しているアストリアスというスペイン&アルゼンチン曲集のアルバムが好きです。他にもヒンデミットのソナタとか出してますよー。機会があればぜひぜひ。

obelisk2obelisk2 2017/05/20 20:28 おお、ありがとうございます。ヒンデミットはヴィオラには定番ですね。スペイン&アンゼンチンものとかはさっぱり知らないので、是非聴いてみたいです。いつも本当にありがとう。また教えて下さいね。

2017-05-19

安原顯編『私の好きなクラシック・レコード・ベスト3』

| 11:11 | 安原顯編『私の好きなクラシック・レコード・ベスト3』を含むブックマーク

晴。
寝坊

モーツァルトの弦楽五重奏曲第三番 K.515 で、演奏エマーソンSQ+キム・カシュカシャン。当代一流の演奏であり、聴き始めてすぐに自分のレヴェルを超えていることが判明。聴いてお勉強でした。なので、演奏のよし悪しは判断できないのだが、CD化レヴェルであることは一目瞭然である。それにしても終楽章チャーミングですね。エマーソンSQ現代代表するカルテットのひとつで、何を演っても一定以上の高いクオリティにもってくる実力者たちである。個人的にはブラームスメンデルスゾーン全集記憶に残っている。

ショパンピアノソナタ第二番 op.35 で、ピアノブルーノレオナルド・ゲルバー。古典的に退屈な演奏。退屈というのはよくない言い方かも知れなくて、迫力はあるし、きわめて音楽的に弾かれた演奏であるが、自分の心はこれでかき乱されることはない。平静なものである。退屈という他ないのであるが、一方でこの「退屈さ」は果たしていけないものなのであろうか、と思う。古典というのはかくもすべて退屈なものなのではないか。聴いていてちょっと「古今和歌集的退屈さ」というような言葉が思い浮かんだが、これはあまり適切な比喩ではないかも知れない。少なくとも、この曲が傑作であるという、そのことがはっきりわかる演奏ではあるまいか。退屈なのに、もう少しゲルバーが聴きたくなってくる。

バッハ無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌを、ブゾーニピアノのために編曲したもので、ピアノブルーノレオナルド・ゲルバーである。これは見事な演奏で、文句のつけようがない。この有名な編曲ではどうしても無伴奏ヴァイオリンのための原曲が背後に意識されるのがふつうであるが、このゲルバーの演奏を聴いていると初めからピアノのために書かれたブゾーニの曲という感じがする。あまりバッハの曲という感じがしない。それにしても再度見事という他ない音の大構築物である。

ベートーヴェンピアノ協奏曲第三番 op.37 で、ピアノ内田光子、指揮は小澤征爾、サイトウ・キネン・オーケストラ。ふだんはこういう演奏は聴かないのであるが、ゲルバーを聴いて初心に戻ってみたくなったので聴いてみた。ふだんは聴かないというのは、こういう組み合わせならいい演奏に決っているからである。しかし、小澤と内田とサイトウ・キネン・オーケストラというのは、何とも明治より0からクラシック音楽を吸収し続けてきた日本人音楽家たちの総決算というところであるが、いまやこれが世界トップレヴェルであることに世界の誰も特に驚かないであろう。よくもまあ、ここまできたものかなと変なことに感動したりしてしまった。まったく正攻法の、マジメで深いベートーヴェンなのである。いや、ホントにふだんはこういうのは聴かないのですけれどね。

安原顯編『私の好きなクラシックレコード・ベスト3』読了。yomunel さんの日記で教えられた本で、リテレール・ブックスとはなつかしくてたまらない。かつてなら岐阜田舎にいてこのような古い本を探すのは至難であったろうが、いまは簡単ネットで探し出すことができる時代になった。古書価も全然大したことはありませんでした。「リテレール」誌は僕が学生の頃に短期存在した特異な書評誌で、いまは亡き編集者安原顯編集していたものだった。当時はお金がなかったので「リテレール」を、その頃リニューアルされて気に入っていた近所の恵文社一乗寺店にいりびたって立ち読みしていたのもなつかしい。いまでは恵文社一乗寺店全国的に有名な書店になりましたね。本書は安原が得意にしていたベストものである。89人もの人が書いているということで、「自分クラシック音楽はよく知りません」系、カッコつけ系、「三枚では困る」系などなど、色いろあっておもしろかった。まあ皆んな多かれ少なかれカッコつけなんで、やっぱりなあと思いました。三枚の選択自分にぴったり納得できたのはほとんどなくて、やはり好みなどというのは千差万別が当然というのを再確認したが、いちばん「おお」と思ったのは編者の安原顯のものだった。これはよくわかる。それから、出久根達郎さんのは短編小説みたいなあざやかなもので、文章は記憶に残らざるを得なかった。那珂太郎氏の歴史的かなづかい(本書で唯一)の文章と、一見凡庸選択も印象深かった。しかし自分で選んでみよと言われれば難渋必至で、「三枚では困る」系にならざるを得ない。まあ無理ですね。

ちょっと書いておきたいのはクラシック音楽を聴き始めた頃の自分の「ポリシー」みたいなもので、それは CD を買う際、演奏者か曲のどちらか、まだ買って持っていないそれの CD を選んで買うべしという規則(?)である。どうしてこんなことを考えていたものか、しかしそれは10年くらい原則にしてまずまず守っていたものだった。それからもうひとつ、室内楽CD を多めに買うということも決めていて、それも忠実に(?)守ってきた。本当に、変なことを考えていたものだと思うが、結局それは現在の自分の聴き方にもつながっていることだろう。それはよかったのか、どうか。

早寝。

2017-05-18

ガリレオ・ガリレイ『星界の報告』

| 09:52 | ガリレオ・ガリレイ『星界の報告』を含むブックマーク

晴。

バッハイギリス組曲第二番 BWV807 で、ピアノはグリゴリー・ソコロフ。1989 Live.

モーツァルトピアノ協奏曲二十三番 K.488 で、ピアノブルーノレオナルド・ゲルバー、指揮はロリン・マゼール。ゲルバーの古典的な退屈さがすばらしい。

米屋肉屋スーパーモスバーガードライブスルーで昼食。

外はすばらしく爽やかな五月。恐らく一年でいちばんいい季節で、庭は花が咲き乱れて天国のようであるが、しかしゴロゴロ寝て過ごす。一日中ゴロゴロしていたい気分だが、夜は仕事

ガリレオ・ガリレイ星界の報告』読了伊藤和行訳。たぶん既に旧訳(岩波文庫版)を読んでいる筈だが、何も覚えていなかった。別にこれを読んでもたぶん何も得になったりはしないが、おもしろいではないですか。簡にして要を得た訳者解説も参考にすると、人類で初めて月の表面を望遠鏡で詳しく観察し、また木星の四つの衛星を発見したガリレイの興奮が想像できるというものである。ま、それほど読みやすいわけではないけれど、それは原文からしてそうなのであろうし、訳文に曖昧なところは気づかなかった。ガリレイの発見は彼が思っていた以上に世界を変えたのだから、大変なものである。恐らくガリレイは、最初の科学者と言っていい人なのではないだろうか。よく知らないのだけれど、ちがいますか? ちなみに、ガリレイが「それでも地球は回っている」とつぶやいたというのは、たぶん伝説にすぎません。

2017-05-17

柄谷行人の講演集成を読む

| 11:07 | 柄谷行人の講演集成を読むを含むブックマーク

曇。

シューベルトの「さすらい人」幻想曲 D760 で、演奏スヴャトスラフ・リヒテル。おそらく普通に CD で入手できるリヒテルのスタジオ録音である。自分はこの曲が大好きなのだが、どういうわけだかポリーニの録音と、リヒテルのこの録音でしか満足したことがない。これは、それほど演奏者を選り好みしない自分としてはめずらしいことだが、どれだけ聴いてもそうなのである。この曲は圧倒的な技巧とリリシズムを兼ね備えた、ストイックヴィルトゥオーゾにしか弾けない曲で、そういうピアニストとなるとポリーニリヒテルというわけだ。若い人ではエレーヌ・グリモーさんあたりに期待しているが、どうであろうか。ちなみに、リヒテルはいちばん好きな曲はこの「さすらい人」幻想曲だと言っていて、なるほどと思ったことがあった。

夕方、久しぶりにカルコス。久しぶりなので結構買った。外は爽やかな好天。

Ruby で描いてみました(参照)。

柄谷行人の講演集成を読んでいる。既読のものであるが、新たに文庫化されたので読み直しているわけだ。非常におもしろい。柄谷行人はどこか間違っている。柄谷は本書の最初の方の講演で、「それは構造にすぎない」という否定的言い回しを使うが、それは正しいとしていいだろう。すると、本書の中に「構造にすぎない」論理が頻出することに気がつく。自分などが若い頃かぶれた、「共同体の間に立て」というのも、構造にすぎないであろう。というか、柄谷は共同体に属さないことは不可能であるから、不断にそこから脱出しつづけるというような言い方を好んでするが、それが構造にすぎないのは誰でも気がつくと思う。そして何が柄谷をそうさせるかだが、それに関係があるかわからないけれども、柄谷には隠された「仏教への強い生理的嫌悪」のようなものがあるのではないかと気づいた。例えば柄谷は本書で禅に対し数多い発言をしているが、その一箇所も肯定的に禅をとらえたものはない。「悟り」の理解についても、慎重にではあるが、結局はそれを実体化させてしまっている。禅の実体理解方便的にはあり得るが、本質的には不可能なことである。というか、逆にそれこそが「悟り」であろう。まあそれはよい。どうも柄谷の仏教嫌悪は骨絡みのようだ。
 などというから自分は柄谷をバカにしていると受け取られたら、それは正反対であると返そう。柄谷行人はじつにおもしろい。この人は哲学について語るが、自分哲学者であるとは思わない。哲学者というのは例えば永井均のような人のことをいうので、自分にはあまり興味のもてない人種である。柄谷はまぎれもない思想家であり、思想家は現在はほぼ払底してしまった。柄谷以後、いまの日本人で大思想家といえるのは、わずかに中沢さんくらいのものであろう(というようなアナクロなことをいうから、自分はあんまり(というか全然)相手にしてもらえないのだが(笑))。柄谷のどこが間違っているのかなどと真剣に考えるのは最高の愉悦のひとつだ。自分が何者であってもである。

とまあ、まだ読んでいる途中なのですが、あんまりおもしろいので。

2017-05-16

こともなし

| 09:25 | こともなしを含むブックマーク

晴。
起きて声の出処を破壊する。

夕方、県図書館

Chrome Extension 遊び。

2017-05-15

冨田恭彦『カント入門講義』

| 04:09 | 冨田恭彦『カント入門講義』を含むブックマーク

曇。
早く寝てしまったので真夜中に起きる。読書

バッハ管弦楽組曲第三番 BWV1068 で、指揮はトン・コープマンオリジナル楽器による現代的な演奏であるが、どうも現代オーケストラによる昔の厚化粧な悪趣味ともいわれそうな演奏がなつかしい気もする。

バッハピアノ協奏曲第一番 BWV1052 で、ピアノは牛窪レイ。これ、悪くないですよ。ピアニストについては何も知らないが、将来を嘱望される若き日本人ピアニストのようである。このカッコいい曲を、なかなかカッコよく弾いている。ホールの残響はもっとあった方が好みなのだが、このデッドな響きだと粗がよくわかってしまう筈なので、それでこれは大したものだと思う。ピアノはカワイかな? それからようやく気づいたのだが、この曲ってオケは弦楽のみなのですね。いままで気にしたこともなかった。

キーシンピアノシューベルトの「さすらい人」幻想曲を聴いていたのだが(参照)、我慢できなくなって中断。パワー系のピアニストであるキーシンとは相性のよい曲だと思ったのだが、完全なるミスマッチとしか聴こえなかった。シューベルトをまるでショパンのように弾いていて、音楽的なのかも知れないが、自分には意味不明

シベリウス弦楽四重奏曲ニ短調「内なる声」op.56 で、演奏コペンハーゲンSQシベリウス音楽自分にはかなり難解である。でも惹かれる。

午前中しばらく寝る。

昼から県営プール何だか一日中寝ていたい気分なのだが、面倒だけれども出かけたところ、すごく身体が軽かった。いつもの一二割増しくらいのペースで泳いでも全然疲れない。あとからドッと疲れてくるのかも知れないが、楽に泳いで終った。まったく何のかよくわからない。

ウチの庭に夏みかんの花のいい匂いが立ち込めている。ナチュラルな薄い匂い

とても古い PC に bunsenlabs をインストールする - Marginalia
まったくこんなことばかりしていますね。本でも読めよといわれそう。

冨田恭彦カント入門講義読了。副題「超越論的観念論ロジック」。これは刺激的な本だった。カントの『純粋理性批判』の中核を、きわめてわかりやすく整理したものである。自分のことで恐縮だが、僕はカントが好きで、二〇代のときから時々カントを読み返してきた。もちろん自分には(いまでも)難解であるが、カントという人はちょっとちがうと思い続けてきたものである。で、むずかしいなりに読み解いてきたところが、じつに明快に整理されてやさしく説かれているのを読むと、正直言ってガックリくるようなところもあった。まったく俗物であるが、それくらい本書はわかりやすく、しかもまったくレヴェルを落としていない本だと思う。さらに、まだ自分のよくわかっていなかったところも少なからずあり、頭のよい人はちがうなと思わされた。若い人が本書から学べば、『純粋理性批判』の最重要部分は最速でマスターできるということになろうか。
 なお、これほどブリリアントに『純粋理性批判』をまとめておきながら、著者の意見が述べられてある最終章は、自分には半分寝言にしか思えなかったのは奇怪である。たぶん自分がよくわかっていないのかも知れないが、著者はカントカテゴリー(あるいは本書で言う「純粋知性概念」)が一定不変であると思えないというのだ…。これは自分にはまったく意外な意見であり、ではカントカテゴリーがどう変容するというのか。また、「物自体」がカントでは完全に認識不可能であるというのを著者が否定するというのも、まったく理解することができない。たとえば著者は物理学は「物自体」の解明であるというようなことを述べているが、自分の考えでは物理学がやっているのは、いわば「数学を使った表象の再編成」のようなものであり、どれほど物理学が発展しても「物自体」が知覚不可能であることに変わりはないのである。そんなことは自明ではあるまいか?
 まあ自分の意見などはよいので、これからもカントが読まれ続けてほしいものである。本書はそのための捷径になるであろう。本書を読まれたら、是非カントテクストに挑戦してもらいたいものだ。自分もまたカントが読みたくなった。

中沢さんではないが、僕は人間「心」作動メカニズムは、例えば縄文時代の頃(いやもっとその前)から何ひとつ変化していないと考えているし、人間人間である限り未来永劫変化しないと確信している。それが変化するとすれば、それは既に「人間」ではない。

2017-05-14

納富信留『哲学の誕生』

| 09:49 | 納富信留『哲学の誕生』を含むブックマーク

日曜日。晴。

シューマンの「子供の情景op.15 で、ピアノクララ・ハスキル

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第九番 op.59-3 で、演奏Jasper String Quartet。うん、これはなかなかいいな。ところでこのすべて異なるカルテットによるベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏会の録音だが、どれもホールの残響が少ないというか、録音の響きがきわめてデッドなのは惜しい。弦の音がむきだしに聴こえる。

ヘンデルの「主は我が主に言われた(Dixit Dominus)」HWV232 で、演奏ジョン・エリオット・ガーディナーヘンデル、ホントにカッコいいな。ガーディナーの作り出す音楽は極美。ところで、このアンコールの超美しい音楽は何ですか。作曲者も曲の名前も知らない。きっと有名な曲にちがいない筈だが。

松任谷由実聴く
ほとんど無意味音楽だが、無意味功徳というものもあるであろう。まあ聴いてよかったと思う。さらに続けよう。

悲しいほどお天気

悲しいほどお天気

納富信留哲学誕生読了

2017-05-13

リチャード・ブローティガン『ロンメル進軍』

| 08:14 | リチャード・ブローティガン『ロンメル進軍』を含むブックマーク

雨。

バッハパルティータ第二番 BWV826 で、ピアノマルタ・アルゲリッチ。おばあさんになったアルゲリッチの生み出す音楽は瑞々しさの極みである。まるでいまその場で音楽が生まれているような感じがする。

バッハパルティータ第一番 BWV825 で、ピアノシプリアン・カツァリス。結構小細工を弄した演奏

ベートーヴェン交響曲第三番 op.55 で、指揮はゲオルク・ショルティ。ふつうの演奏といえばそうなのだが、これで充分な気がする。個人的に得るところが多かったので、聴いてよかったと思う。ショルティというのは異常なところがまるでない人だ。ポジティブで引き締まった音楽を作る。それにしてもこれはカッコいい曲だな。ベートーヴェン自分シンフォニーでこの曲にいちばん自信をもっていたそうだが、さもありなん。

図書館。傘を暗証番号ロックがついた傘立てに入れたのだが、どうも番号をまちがえてセットしたようで錠が開かない。がちゃがちゃやっていたらある桁の番号が思っていたのと二つずれて開いた。アホやね。

図書館から借りてきた、リチャード・ブローティガンロンメル進軍』読了高橋源一郎訳。ブローティガン訳者に恵まれているなあ。本訳詩集には大胆なことに原詩も収録されているので、優れた訳者ってのがどうやるか、はっきりとわかることになる。まあ面倒なのでそんなに対照して読んだわけではないけれど、すごいものだな。読後感としてはあーよかったの一言。人生ってまったくさみしいものでかなわんなあと思う。独身ひきこもりニートおっさんの感想です。市図書館ブローティガンはこれからも大いに利用させてもらうつもり。

Linux Mint 18.1 Cinnamon Release Notes - Linux Mint
Linux Mint 18 を 18.1 Serenaアップグレードする。

昼から仕事

古い PCDebian 8 を入れてみたのだが、無線LAN がどうしてもつながらない。何をやってもダメで、明け方近くになってしまった。諦めてもう寝る。

2017-05-12

ヴォルフガング・シャウフラー編『マーラーを語る 名指揮者29人へのインタヴュー』

| 09:46 | ヴォルフガング・シャウフラー編『マーラーを語る 名指揮者29人へのインタヴュー』を含むブックマーク

晴。のち曇。
起きてひどい顔をしているなと思う。本を読んでいないと美容に悪い(?)。インターネットも美容に悪いし。

モーツァルトピアノソナタ第十番 K.330 で、ピアノクリスティアン・ツィマーマン。さすがはツィマーマン。申し分がない。安心して聴ける演奏

統合インターネットと従来の領域統合するのはむずかしいな。禅坊主たちなんかは何をやっているのだ。ちゃんとやらなきゃダメでしょう。

近くの川にカキツバタが自生しているので、撮ってきた。(後記:ネットで調べてみたら、これはいかにもカキツバタっぽいけれど、どうやらキショウブというものらしい。同じような疑問をもっている人が他にもいた。)

下は何だかわからない草。母の話だと外来種ではないかという。

図書館から借りてきた、ヴォルフガング・シャウフラー編『マーラーを語る 名指揮者29人へのインタヴュー』読了。なかなかおもしろかった。現代の著名な指揮者たちへの、マーラーに関するインタヴュー集である。色んな指揮者が選ばれており、いちばん感心したのはロリン・マゼールへのそれだった。マエストロの思慮深さがよくわかった。僕はマゼールマーラー録音をもっていて、それは第四番で若い頃に買ったものだが、じつは当時その演奏はよくわからなかったものである。非常に精緻なマーラーであったと覚えているが、自分理解を超えていた。それから長いこと聴き直していないので、いま聴いたらどうかわからない。というか、マゼールは他の曲も殆ど聴いたことがない。何でも、マゼールは指揮する曲のスコアすべてを完全に記憶しているそうで(ふつうスコアを覚えているというのは、そこまでは要求されない筈である)、そんな指揮者は他にいるのだろうか。厳格きわまりない指揮者であるが、インタビューも思慮に満ちていた。
 あとよかったのは、ベルナルトハイティンクとかエサ=ペッカサロネンへのそれであろうか。共に尊敬できる音楽家である。グスターボ・ドゥダメルなんかは、無邪気な感じがおもしろかった。ちょっとそのマーラー演奏を聴いてみたい感じ。ピエール・ブーレーズはさぞかし辛辣だろうと予想していたら、思ったより常識的な対応で意外だった(笑)。ただ、何故かショスタコーヴィチ一刀両断して切り捨てているのもおもしろい。ショスタコーヴィチはその音楽語法はきわめて保守的なので、それはまったく理解できるのだけれど。彼はエドガー・ヴァレーズなど、「初歩的」の一言でドブに捨てている(笑)
 それにしても、当然というべきか、インタビューはどれもこれもクセが強くて、読んでいてかなり疲れる。やはり西洋というのは「個性第一文化で、自分他人とちがうというのはそもそも最初の大前提であり、いくら日本人が「個性尊重」と言ってもレヴェルがちがう。実際、日本人ピアニストを聴いてみても、ちょっと聴いただけでは随分と個性が薄く感じられる。誰も彼も同じで区別がないような感じなのだ。それは最近でもある程度そうだと思う。けれども、自分は必ずしもそれがいけないとも思わないのだ。そういう道を行っても突き抜ければやはり独特なのであり、そういう文化も確かにかつてはあったと思うのである。いまではそういう仕方で突き抜ける日本人は少なくなってしまったけれど、いないことはない。それは悪くないというか、西洋人もちょっとはそれを見習ってもいいような気もするのだけれど、その日は永遠にこないことであろう。

2017-05-11

こともなし

| 09:14 | こともなしを含むブックマーク

曇。

ブラームス弦楽四重奏曲第二番 op.51-2 で、演奏は Jerusalem Quartet。よく知らないカルテットだが、これはすばらしいブラームスだ。柔らかい音とメリハリのある音楽作りがブラームスにぴったり。これほどのブラームスは滅多に聴けるものではなく、聴衆もよくわかっていて、各楽章間に拍手が起こっている。いや、これはいいものを聴きました。このカルテットで他にもロマン派弦楽四重奏曲を聴いてみたいものだと思う。

モーツァルトピアノソナタ第七番 K.309 で、ピアノは Alexander Yakovlev。知らないピアニスト。この演奏は終楽章をどう取るかであろう。第一第二楽章月並み。終楽章否定的にも評せようが、自分おもしろいと思った。かなり速いテンポで、多少乱暴だが新鮮な演奏だと思う。まあそれ以上ではないのだが。

サン=サーンス交響曲第三番 op.78 で、指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。退屈で中身の少ないポピュラー曲。どうやったら聴衆が感動するか、計算しつくされている。もーかなわんという感じ。こういうのはカラヤンがやったらおもしろいだろうな。聴いてみたい気がする。しかし、曲が終って聴衆が興奮してブラヴォーを叫ぶのがわかり切っているのが何ともいえない。ま、いまのポピュラーソングなんかも多くが計算しつくされていますけれどね。まあそういうのに感動したっていいのだが。ちなみに You Tubeおすすめで聴いてみました。

シューベルトの「楽興の時」D780 で、ピアノはヴィルヘルム・バックハウスバックハウスはよく精神性の人とかいわれるし、自分もそれにまったく異存はないのだが、ふつうに聴くとむしろ明らかにザハリッヒな音楽作りをするピアニストだと思う。だからこれはそっけない演奏だと思っても全然まちがいではないし、You Tube視聴者否定的評価をつけている人が結構いるのも、たぶんそのあたりが原因だと思う。いわゆるシューベルトらしい演奏ではむしろない。自分理性的には、全体的にテンポが速いと思う。けれども、特に第三曲や第四曲など、どうも深い感動を禁じ得ない。そのあたりがバックハウスのすごいところなのであろう。でも、決して万人向きではないような気がする。

何かプログラミングしたいけれど、このところやっていないので題材が思いつかない^^; 本当は数値計算ルンゲ=クッタ法とか勉強したいのだけれど、それはちょっといまは面倒だし。これ、いまの理系学生さんならふつうに授業でやるよね。独学のおっさんだからなあ。ありがちだけれど、そのうち二重振り子アニメーションとか作ってみるかなあ。もう既にやられていることばかりだけれど、なかなか Ruby でのドキュメントがないので、やってみれば誰かの役に立つかも。それと、あとは二次元迷路は作ったので、立体にするというのもアリか。しかしこれ、視覚化がむずかしいので、最初から OpenGL3D視するしかなさそう。いまいちモチベーションが湧かんな。

いわゆる「スライドパズル(15パズル)」もどきを Ruby で解いてみる - Camera Obscura
プログラミングしてみました。

SHADESHADE 2017/05/12 08:33 obeliskさんCD屋さんのクラシックコーナー担当でバリバリ出来そう^^

obelisk2obelisk2 2017/05/12 09:41 いやー、You Tube とかでテキトーに聴いているだけで、最近人気の音楽家が誰とか全然知らないんですよ。これじゃあダメじゃないですかね^^; 昔は「レコード芸術」誌とか買っていてこまめに情報を仕入れたりしていたものですが。

by obelisk 2009-2017.