第14回 KoSAC 合評会
2013年から2015年にかけて開催していたKoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)を再開します。第14回は二名の大学院生が研究発表し、それに対して評者がコメントする合評セッションです。より多くの人に話題を共有していただくことが目的なので、会場の参加者にも議論を開く形で開催します。プログラムは以下の通りです。
14:00 開会(13:40 開場)
14:10-15:10 「ミュージアム・ショップの歴史社会学的研究:雑誌月刊『ミュゼ』のバックナンバー調査から」
報告者:越後彩香(筑波大学大学院)、コメント:光岡寿郎(東京経済大学)
15:20-16:20 「アーティストブックと人類学——「共につくる」をめぐる実践的考察」
報告者:イン・シン(武蔵野美術大学大学院)、コメント:加島卓(筑波大学)
16:30 閉会
17:00 懇親会(国分寺駅付近)
KoSACでは大学院生や研究者に限らず、学生から社会人までどなたでもご参加頂けます。ご所属や年齢を気にせず、テーマにご関心がありましたら奮ってご参加下さい。また、今後KoSACで取り上げたい企画の提案も歓迎いたします。
■日時:2025年4月26日(土) 14:00~17:00
正門から入り直進。突き当たり正面左手に見える青いビルの7階です。
https://www.tku.ac.jp/campus/institution/kokubunji/
■報告者:越後彩香(筑波大学大学院)、イン・シン(武蔵野美術大学大学院)
■参加方法
(1)お名前(2)ご所属(3)自己紹介(4)懇親会への参加/不参加を、以下のフォームでご記入ください。当日参加も歓迎いたしますが、懇親会の開催を予定しておりますので、事前にお知らせ頂けると大変助かります。
https://forms.gle/TquyVVKystSxfeC57
■URL
https://oxyfunk.hatenablog.com/
※「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)」では、大学の街でもある「国分寺」を拠点に「社会」「芸術」「文化」などをテーマにしながら、毎回ゲストをお呼びしてお話を伺う機会を設けております。これまでについては以下で確認できます。
2024年:回顧と展望
コロナ禍5年目。というか、あれからもう5年。検温器をすっかり見かけなくなり、中身が空の消毒液は次々に撤去。マスクを着用する人も随分少なくなった。昨年以上に観光客の増加を感じるようになり、表参道や渋谷を散歩する回数も激減。神宮前に出来た商業施設「ハラカド」にはなんか盛り上がれず、丸善ジュンク堂が閉店した渋谷には足が向かなくなってしまった。ルミネカードを日常使いをするようになり、ポイント付与率を気にするケチ臭い生活に突入し、現金を引き出す機会が減った。
新しい職場は二年目で、授業も学務も増加。授業時間(100分→75分)の違いにまだ慣れない。土日祝日が休みなのはありがたいが、一日拘束される業務でもお弁当が支給されないのはショック。研究費は大幅に激減し、科研費の間接経費はすべて召し上げ。予想はしていたけれども、私立と国立の違いは大きい。
授業については反省点が多い。学部ゼミをもっと厳しくしたほうがよいのかどうかで悩む。人数が多いので緩めにやっていたら、報告担当回の前後にしか出席しないケースもちらほら。本務校ではゼミ指導と卒論指導が別々になっているため、二つをどう関連づけるかが今後の課題。卒論指導は合宿(鎌倉)などもできて楽しかった。
大学院ゼミは今年度から。インタビュー調査を予定している院生の多さに驚く。それはそれで重要だと思うのだが、本当にインタビュー調査が必要なのかどうかがはっきりしない。そこで「まずは聞きに行く」の前に「聞きに行かなくてもわかることを調べ、本当に聞きに行かないとわからないことを特定せよ」と指導しながら、歴史社会学へやんわり誘うことに。それから授業期間に博論審査が複数入ると、準備がなかなか大変なことに…。
今年の業績は以下の通り。
(1)学会や研究会での報告
・「書評:田中大介『電車で怒られた! 「社会の縮図」としての鉄道マナー史』光文社新書、2024年」社会解釈学研究会、2024年10月5日
・(討論者)「送り手研究の新たな可能性:空間とルーチンへの着目」日本メディア学会2024秋季大会、2024年10月26日、オンライン
・「学園都市の戦後史:神奈川県厚木市と東京都八王子市を事例に」第97回日本社会学会、2024年11月10日、京都産業大学
・「Media history of what?」、第4回人文社会系研究交流セミナー、2024年12月13日、筑波大学、https://www.jinsha.tsukuba.ac.jp/node/408
(2)論文や著書
・「大阪万博とデザインの歴史社会学——専門家から市民参加へ」、暮沢剛巳・飯田豊・江藤光紀・加島卓・鯖江秀樹『万国博覧会と「日本」: アートとメディアの視点から』勁草書房、2024年3月、pp.77-101、https://www.amazon.co.jp/dp/4326654449/
・「広告制作者と広告批評」、宮﨑悠二・藤嶋陽子・陳海茵(編著)『広告文化の社会学』北樹出版、2024年10月、pp.136-145、https://www.amazon.co.jp/dp/4779307627/
(3)その他
・「亀倉雄策:日本の紋章は新しい」『文藝春秋』(第103巻第1号)、文藝春秋、2024年12月、pp.374-375、https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h8985
・(コメント)「セルフレジ 誰のための便利なのか」『AERA』朝日新聞出版、2024年2月26日、https://dot.asahi.com/articles/-/214790?page=1
・(コメント)「ハンズ“個性的品揃え”のヒミツ」『ONE』東海テレビ、2024年8月29日
正直言って、今年はスランプ。年内刊行を目指していた企画がコケてしまい、なかなかスイッチが入らなかった。とはいえ、科研費が採択されたので、来年は立て直しの一年にしたい。査読論文を書き、新刊の企画も進め、『デザイン史の名著(仮)』にじっくり取り組みたい。
ここ数年でいろいろあったので、この一年は静かに過ごしました。老眼が進んだのは泣けてくるが、今年も健康に過ごせたのは嬉しい。「引っ越ししないの?」とよく聞かれますが、まだ私は東京の西側から離れることができません。
本年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
2023年:回顧と展望
コロナ禍四年目。5月以降は検温機を見かけなくなり、消毒液の設置もじわじわと減り、猛暑でマスクを外すようになった。渋谷や新宿は竹下通りや六本木のように観光客で溢れかえり、休日に都心へ足が向かわなくなった一年となった。
2023年は1月に移籍が決まり、4月からの新しい職場は片道100km(神奈川→東京→埼玉→千葉→茨城)の通勤に。それでも帰りにトーキョーに寄れるのは嬉しい。引っ越すつもりはなく、トーキョーの西側への愛が強まった一年。インフレのせいか、1500円以下で食事をするのが難しくなった。北千住はピンとこないが、下北沢まで戻るのは遠い。いろいろ試した結果、根津駅や東京駅あたりで落ち着いた。
今年の業績は以下の通り。
(1)学会や研究会での報告
・「柏木博と日本の社会学:デザイン史、広告史、広告都市論」社会解釈学研究会、2023年2月11日
・「計画的陳腐化とデジタル・メディアのデザイン」日本メディア学会2023年春季大会、2023年6月25日、奈良県立大学
・「コメント:林凌『〈消費者〉の誕生:近代日本における消費者主権の系譜と新自由主義』以文社、2023年」歴史社会学研究互助会、2023年8月11日、東京大学
(2)論文や書籍など
・「コミュニケーションシステム論とメディア研究:書評 佐藤俊樹著『メディアと社会の連環——ルーマンの経験的システム論から』」『神奈川大学評論』(第103号)、神奈川大学広報委員会、2023年7月、pp.168-169
・「書店:邪道書店の平成史」、高野光平+加島卓+飯田豊(編著)『[新版]現代文化への社会学:90年代と「いま」を比較する』北樹出版、2023年12月、pp.144-154、https://www.amazon.co.jp/dp/4779307228/
・「外食:セルフサービスの時間と空間」、高野光平+加島卓+飯田豊(編著)『[新版]現代文化への社会学:90年代と「いま」を比較する』北樹出版、2023年12月、pp.169-178、https://www.amazon.co.jp/dp/4779307228/
・「デザイン批評と日本の社会学——柏木博を中心に」、北田暁大+東園子(編)『岩波講座 社会学 12 文化・メディア』岩波書店、2023年12月、pp.49-72、https://www.amazon.co.jp/dp/B0CN2P8RQG/
(3)その他
・「「ワークショップ時代」と文化芸術におけるファシリテーション」tobotobo、2023年3月31日、https://tobotobo.org/2023/03/31/202303_takashi_k/
・「大阪万博のデザイン史 1970/2025」『科学研究費補助金基盤研究(B)18H00639「万国博覧会にみる『日本』——芸術・メディアの視点による国際比較」シンポジウム記録集」東京工科大学、2023年3月、pp.26-33
とにかく健康第一で過ごした一年。老眼が確実となり軽く凹む。実は今年は本当にいろいろなことがあり、この社会には沢山の沈黙があることを知った。いつか話せる時が来たら、聞いてくださいね。
来年は『デザイン史の名著(仮)』の執筆を進めつつ、これまでの論文をまとめた本を出版する予定。担当授業も増えるので、今後の方針をじっくり考えたい。
本年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
東海大学の思い出
2023年3月末で東海大学を退職しました。2010年4月着任なので、13年間お世話になりました。着任当時は34歳で、気がつけば白髪交じりの47歳です。
文化社会学部(着任時は文学部)広報メディア学科ではメディア論や社会学に関する講義科目を担当しました。また調査系の科目では『ワードマップ エスノメソドロジー』を教科書に芸人のやりとりを分析する演習を行い、広告系の科目では商品企画とデザインをリニューアルする演習を行いました。
ゼミでは都市論や都市社会学系の文献を読み、商業施設や公共空間におけるメディアやデザインを調査する質的研究で卒業論文指導を行いました。このテーマにしたのは、新宿や渋谷などに魅力をほとんど感じていない学生たちに、本厚木や海老名、相模大野や町田と何がいかに違うのかを実際に調べてもらいたかったからです。以下は、これまでの卒業論文の題目です。
- 2012年度:「女子の女子による女子でいるための居場所」「保育所化する駅」「ESPRESSIVO!表情豊かな「クラシック音楽」と聞いて人は何を想像するのか?」「本屋のテーマパーク化」「治安と広告都市」「人から見るコミュニティ、街から見るコミュニティ」「コミュニケーション能力の高いおたく女子はオタクなのか」「スター」「<金沢は都市なのか、郊外なのか・・・>」「宗教という物語」「ギャルにおける見た目とコミュニケーション~言動の真意と世間の反応~」「女の子の空間遊び 新ラブホテル論」「街の変化 -個性ある街と個性を失う街-」「カフェから見る消費社会論 ~記号消費から空間消費へ~」「制度に回収されない都市(文化)は可能か」「今、オタクはどこに居るのか?~オタクを探して明らかになる視覚的都市アキハバラ~」「「○○女子」のイメージ戦略と「DIY女子」の実態の差」
- 2013年度:「Barでの空間消費方法と参入障壁について」「本屋の雰囲気を作り出すのは何か」「東京なのに「地下」」「個人化を促す都市とゲーム」
- 2014年度:「ノスタルジアの失敗 ~レトロ商店街における胡散臭さの正体とは~」「ラーメンと女子 ~おひとりさま女子の居場所~」「脱高額化する女子の消費 ―なぜ高額商品は売れなくなってしまうのか―」「書店に個性は求められているのか? ―個性派書店の「個性」とは何か考える―」
- 2015年度:「文房具は個性を表すか 制限を受けない自己表出の道具としての文房具」「「大人向け」とは誰のためのものか」「“re”とは何か? 「再」はオリジナルに代わりえるのか」「イートインスペースの利用状況の現状 〜空間設計と滞在時間の関係〜」「どうして監視カメラの位置は不規則なのか?」
- 2016年度:「私たちにとって交番とは何か~どうして交番はそこにあるのか~」「スポーツ施設の多機能化、複合化とは何か?〜指定管理者時代のスポーツ施設というゾーンの変容〜」「人間にとって歩車分離社会とは何か」「商業施設のトイレの多機能化~プライベート空間の演出~」「劇場は大衆化しているのか〜観客が作る観劇文化〜」「商店街を歩くとは如何なる事か〜構成要素としての街路灯〜」
- 2017年度:「「イートイン」と「テイクアウト」 −イートイン化する社会のなかのCVS−」「喫煙空間の変容 喫煙をコントロールすることはまちづくりになりえるのか」「なぜゲームセンターはなくならないのか? 「競争」と「共有」から見れる空間の仕組み」「雑誌通販 なぜ雑誌通販は無くならないのか」「路上の転用とグラフィティ なぜ、落書きは無くならないのか」「観光客の地図事情 デジタルサイネージに出来ることは何なのか?」「多様化する屋上の活用 屋上は危険な場所から安全な場所に変わったのか」
- 2018年度:「移行空間 異世界に向かうための道」「ギャンブル空間におけるハマる仕組みとそのデザイン 環境が生み出すギャンブル依存」「コインランドリーの変容 サードプレイスとしてのコインランドリー」「公園は誰のものか ~禁止する公園~」
- 2019年度:「工夫という視点からみた「待つ」空間:パーティションと感情の関係」「サインは人々の行動を変えるか:当たり前の行動とルール」「公衆トイレにおける無言のコミュニケーション:貼り紙から見る利用者と管理者の関係」「掲示板のメディア論:「言葉」の掲示板」「プレミアム化による新たな空間の誕生と消費行動の関係:課金と格安を使いこなす意味とは」「自由空間としての銭湯:銭湯の可能性」「「声」の空間・雀荘:誰が暗黙の了解を作るのか」「商店街のチェーン店がつまらないのは?:和菓子屋から見える商店街の個性」「リノベーション建築と馴染みの社会学:空間に秘める善意と記号論」「ストリートか?駅直結か?:渋谷再開発がもたらした簡略化とその実態」
- 2020年度:「地下空間のナビゲーション ~地下街にどう入るのか、どう歩くのか~」「トラブルに応じてどのように変わるか:駅前広場が都市空間たらしめる要素とは」「無視される入口:入口はどんな動作をもたらすか?」
- 2021年度:「看板・張り紙から読み解く公園~公園という自由な空間~」「変化し続ける自動販売機:自動販売機は環境や需要によってどのように変化、進化をしているのか」
広報メディア学科ではゼミや卒業論文が必修ではなかったので、年度によって提出数が異なります。またコロナ禍になってからは、ゼミを履修する学生が減少しました。
振り返ってみると、テーマを決めたゼミ生に参考文献を紹介したうえで調査サンプルを100個提出させるやりとりが一番楽しかったです。「見たいところしか見ない」学生には、この作業が苦痛だったようです。こちらとしては「一度は嫌いになってもらい、それでも調べる必要があるのか?」を確かめる作業だったので、残念ながらここで諦めてしまった学生もいました。
サンプルを100個集めるためにはそれなりの工夫が必要で、その工夫がどういう前提に基づいているのかを聞き出したり、集めた後にどのような基準で分類しているのかを言語化してもらうことで、指導を深めていきました。結果的には、この13年間で商業施設や公共空間におけるメディアやデザインにどのような変化があったのかという記録になったように思います。パンデミックによって変わる前の社会の風景の記録という感じでしょうか。
この13年間で沢山の出会いがありました。心よりお礼申し上げます。そしてみなさんのこれからのご活躍をお祈りしております。4月からは筑波大学(人文社会系、社会・国際学群社会学類、大学院人文社会科学研究群国際公共政策学位プログラム)で働くことになりました。今後ともどうぞよろしくお願いします。
2022年:回顧と展望
コロナ禍三年目。ワクチンの三回目を2月末、四回目を10月末に接種。感染者数が少し落ち着いた4月と5月はライブへ行き、6月は対面のメディア学会で研究仲間と再会。長らく控えていた会食を再開したのは8月下旬で、11月初旬の日本社会学会の頃には締まりのない状態に。秋から冬にかけて「第8波」と言われるようになったが、もう何がなんだか。感染した知人も増えるなか、ひたすら手指消毒、手洗い、うがいの日々。健康管理を最優先に、心身の回復に努めた一年となりました。
今年の業績は以下の通り。
・Takashi Kashima, "This Excess Called Lassen: What is it that Art History Cannot Write?", in Why Art Criticism? A Reader, eds. Beate Sontgen and Julia Voss (Berlin: Hatje Cantz), 2022: 379-385, https://www.hatjecantz.de/why-art-criticism-a-reader-8050-1.html
・Takashi Kashima, Tokyo 2020 emblem problem and sociological description: Focus on the way of making and using designs (English version), 『東海大学紀要文化社会学部』(第7号)、2022年2月、pp.107-122、https://researchmap.jp/takashi-kashima/published_papers/36486261
・Takashi Kashima, Media History and the Historical Sociology of Media in Japan, 1990s-2010s. (English version) ,『東海大学紀要文化社会学部』(第8号)、2022年9月、pp.127-143、https://researchmap.jp/takashi-kashima/published_papers/39872112
・Takashi Kashima, "Design history of the Tokyo 2020 Olympic Games: Emblem Selection and Participatory Design", The Review of Japanese Culture and Society, Vol.33, 2021, University of Hawai'i Press, forthcoming, https://muse.jhu.edu/journal/604
コロナ禍で海外出張できなかったので、業績を英語化。『ラッセンとは何だったか?』(フィルムアート社、2013年)に収められた拙稿「ラッセンという過剰さ:美術史は何を書くことができないのか?」はクリスチャン・ラッセンのメディア・イメージを社会学的に論じたものだが、これが英語圏の美術史・美術批評のreaderに掲載されるとは予想もしない展開で、とても嬉しかった。また『年報社会学論集』(No.33、2021年)に掲載された「2020年東京大会エンブレム問題と社会学的記述」と、『マス・コミュニケーション研究』(No.93、2018年)に掲載された「メディア史とメディアの歴史社会学」も英訳。紀要の電子化でアクセスが容易になったので、国際発信に便利。あとは東京大会のデザイン史に関する英語論文が日本研究の国際査読誌に掲載される予定。英語論文での投稿は今後も進めていきたい。
・「学生街としての相模:青山学院大学厚木キャンパスと本厚木」+「幻の厚木モノレール構想」、塚田修一(編)『大学的相模ガイド』昭和堂、2022年、pp.159-173、pp.174-176、http://www.showado-kyoto.jp/book/b612292.html
2月に集中して調査した原稿。厚木市立図書館に何度も通い、面白い資料を見つけて興奮した。やはり調査は楽しい。夏には愛川町にも出かけ、ベトナム寺院・カンボジア文化センター・在日本ラオス文化センターにも訪問。テーマを決めるまで時間がかかったけれども、今後の展開可能性をいくつも見つけられ、充実の仕上がり。初めての地域研究。
・元森絵里子+加島卓+牧野智和+仁平典宏「ワークショップ時代の統治と社会記述:新自由主義の社会学的再構成」『年報社会学論集』(第35号)、2022年8月 、pp. 24-31
関東社会学会での研究委員会企画(2020年度〜2021年度)はメンバーに恵まれ、とても楽しかった。歴史社会学で博士論文を書いた四人がそれぞれに目の前の事象と向きあい、社会学者として何ができるのかを考えた二年間だった。
・「東急ハンズとその時代――「手の復権」からカインズによる買収まで」新潮社Foresight、2022年5月 、https://www.fsight.jp/articles/-/48835
2021年の年末に発表されたカインズによる東急ハンズの買収。『無印都市の社会学』(法律文化社、2013年)の拙稿「縦長店舗と横長店舗:東急ハンズ」を大幅に加筆修正した原稿で、当初は別のサイトに掲載される予定だったけれども、新潮社Foresightに掲載。多くの方に読まれた。続編をお願いされているのだが、ズルズルと年を越すことに(すみません)。
・「2025年大阪・関西ロゴマーク選考と市民参加」『科学研究費補助金基盤研究(B)「万国博覧会にみる『日本』——芸術・メディアの視点による国際比較」中間報告書』東京工科大学、2022年3月、pp.30-40
ドバイ万博へ行く予定だったのだが、コロナ禍で結局行かれず。大阪・関西万博や市民参加をテーマに研究をまとめる方向へ。
・「デザインと社会学をめぐる群像:嶋田厚・柏木博・東京大学社会情報研究所」第74回文化社会学研究会、2022年9月24日、オンライン
・加島卓「計画的陳腐化と社会学的記述」第95回日本社会学会大会、2022年11月12日、追手門学院大学、https://jss-sociology.org/news/20220829post-13215/
・加島卓「ワークショップ時代の芸術文化と市民参加」文化芸術におけるSDGsのためのファシリテーター育成事業、2022年12月11日、東京大学、https://sites.google.com/g.ecc.u-tokyo.ac.jp/art-sustainability/
・加島卓「宅地開発と郊外型大学:少子化とグローバル化のなかの青山学院大学厚木キャンパス」東海大学文化社会学部広報メディア学科FD活動、2022年12月14日、オンライン
・加島卓「大阪万博のデザイン史 1970/2025」万国博覧会における「日本」――芸術・メディアの視点による国際比較シンポジウム、2022年12月17日、オンライン
秋から冬にかけて、研究報告が続いた。日本社会学会での報告は、関東社会学会の研究委員会での企画を個人的に引き継いだもの。文化社会学研究会では社会情報研究所を軸に発表したけれども、実際の原稿は柏木博さんを軸に吉見俊哉さんとの交流、そしてデザインの社会史、広告の社会史、広告都市論への展開などを書くかも。
今年の3月に父を送り、喪に服した。同じような経験をした方から暖かい声をかけられ、思ったよりもこの社会は優しいことを知った。今の私にできることは『デザイン史の名著(仮)』の執筆などを進め、新しい報告を天国に届けられるようにすることである。
本年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。
2021年:回顧と展望
コロナ禍二年目。オンライン授業に慣れて少しは楽になるかと思ったが、昨年とは質的に異なる疲れを感じた一年だった。四月からの緊急事態宣言下では飲食店のラストオーダーに合わせて移動する生活が長く続き(研究室を18時に出ないと間に合わない…)、またライブなどでストレスを発散する機会も少なく、なかなか思うようには過ごせなかった。7月と8月にワクチンを接種し、感染者数が減り始めた9月から少しは楽になるかと思いきや、これまでの疲れがどっと出てペースを落とすことに。はい、「中年」をちゃんと受け入れた年になりました。
今年の業績は以下のとおり。
・「デザイン選考における専門家と市民の関係:2025年大阪・関西万博ロゴマークと2020年東京大会エンブレムの比較」『東海大学紀要文化社会学部』(第5号)、東海大学文化社会学部、2021年2月、pp.1-22、https://researchmap.jp/takashi-kashima/published_papers/32109136
・「2020年オリパラ東京大会のデザインを振り返る」、Tokyo Art Beat、2021年10月21日、https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/olypara2021_series1_
専門家と市民の関係については科学技術社会論で長らく論じられてきたが、いよいよデザインの専門家も市民参加を無視できなくなった。「みんなが褒める専門性」から「みんなが突っ込める専門性」への移行期なんだと思う。
こうした市民参加を「新自由主義」と結びつけて理解するかどうかは、議論がわかれるところ。市民参加を行政のコストカットと見なして一足飛びに批判するのではない社会学的な記述を目指したのが、関東社会学会での研究委員会の活動。6月のテーマ部会は盛況だったが、来年は解題に何をどのように書けばよいのか…。
・加島卓+元森絵里子「解題 第68回大会テーマ部会B報告 : ワークショップ時代の統治と社会記述 : まちづくり・ワークショップ・専門家」『年報社会学論集』(第34号)、関東社会学会、2021年7月、pp.29-36
・(司会)「ワークショップ時代の統治と社会記述――現代史の社会学的再考――」関東社会学会研究例会、2021年3月21日、オンライン、http://kantohsociologicalsociety.jp/meeting/information.html#section_2
・(司会)「ワークショップ時代の統治と社会記述——「新自由主義」の社会学的再検討」第69回関東社会学会大会テーマ部会B、2021年6月12日、オンライン、http://kantohsociologicalsociety.jp/congress/69/points_themeB.html
延期されていた「佐藤可士和展」も二度目の緊急事態宣言下に開催され、三度目の緊急事態宣言で会期が予定よりも早く打ち切りに。この展示も評価がわかれたのだが(https://oxyfunk.hatenablog.com/entry/2021/04/29/182859)、この仕事をきっかけに「デザイン・ミュージアム」について本格的に考えるようになった。文化資源学会での報告を通じて、業界団体や経済産業省から声がかかるようにもなった。また、東京都現代美術館で開催された「石岡瑛子展」の図録解説に博論本への言及があったのはとても嬉しかった。
・「佐藤可士和論」、『佐藤可士和展 公式図録』国立新美術館、2021年2月、pp.283-299、https://www.asahi.com/event/SDI202103036216.html
・Takashi Kashima, Kashiwa Sato: Sociology-Based Study of Design in Japan, in Kashiwa Sato, eds. The National Art Center (Tokyo: TBS):340-357
・「デザインを展示するとはいかなることか」文化資源学会特別講演会、2021年7月18日、オンライン
今年の一冊を挙げるならば、トーマス・S・マラニーの『チャイニーズ・タイプライター』。これは書評を書く機会までいただき、本当にありがたかった。新聞書評(900字)は最後の150字くらいで勝負するのだが、その前置きがいかに大変なのかを知った。マスコミ学会でのワークショップでは仙台にある古本屋「火星の庭」の前野久美子さんらとやりとりできたのが楽しかった。
・「漢字実装めぐる苦闘の物語:書評『チャイニーズ・タイプライター』」『日本経済新聞』2021年7月10日朝刊、https://www.nikkei.com/article/DGXKZO73728030Z00C21A7MY5000/
・「都市と広告」、横浜国立大学都市科学部(編)『都市科学事典』春風社、2021年、pp.620-621
・(討論者)「書店がつなぐローカルとパブリック――小さな経済とコミュニティの可能性」日本マス・コミュニケーション学会2021年春季大会、2021年6月6日、オンライン
年末に柏木博先生がご逝去(https://www.yomiuri.co.jp/culture/20211215-OYT1T50223/)。竹尾賞をいただき、博士論文の審査をしていただき、『オリンピック・デザイン・マーケティング』の帯に推薦文も書いていただきました。実は二ヶ月までメールでやりとりをしていたので、突然のお知らせに驚きました。ご冥福をお祈りいたします。
来年は英語論文がいくつか出る予定。国際ジャーナルに"Design history of the Tokyo 2020 Olympic Games: Emblem Selection and Participatory Design"(査読有り)、紀要に「2020年東京大会エンブレム問題と社会学的記述」の英訳版、それからドイツで出版される Why Art Criticism? というReaderに"This Excess Called Lassen: What is it that Art History Cannot Write?"というラッセン論が掲載されます。海外の研究者との交流が進んだのは嬉しかった。
あとは、『デザイン史の名著(仮)』ですね。柏木博先生にも執筆を宣言しておりましたので、来年こそこれを書き進めます。本年もお世話になりました。来年もどうそよろしくお願いします。
佐藤可士和展について
緊急事態宣言の発出に伴い、国立新美術館「佐藤可士和展」が予定よりも早く終了。展覧会については、五十嵐太郎さんによる展覧会評がポイントを抑えている(https://artscape.jp/report/review/10168018_1735.html)。ここで注目したいのは「セルフ・プロデュースのデザイン展」と「学芸員のキュレーション」の関係で、ミュージアム関係者からは後者をもっと見せてほしかったという声を少なからず聞いた。「せっかく国立新美術館でやるのだから…」というわけである。
この点について担当学芸員は「今回の展覧会が特別なところは、可士和さんご自身が出品物の選択や構成だけではなく、空間全体をディレクションなさっている点。可士和さんがすべてをディレクションすることが、クリエイティブディレクターの展覧会として非常に重要で、可士和さんにしかできない空間構成になっています」と説明している(https://6mirai.tokyo-midtown.com/project/pjt07_27_01/)。「セルフ・プロデュース」や「学芸員のキュレーション」というより「すべてをディレクションすること」を依頼した、というわけである。
それでは、どうしてこのような関係になったのか。一つには、そもそもデザインはクライアントや消費者に使ってもらうために作られており、鑑賞目的には作られていないことが挙げられる。今回の展覧会で佐藤可士和は自らの制作物を現代美術作品の素材のように扱っている(巨大なロゴの展示)。つまり「商品」を「作品」に変換する作業が今回の展覧会では必要だった、と考えられる。
二つには、ホールのような巨大空間を展示スペースにした国立新美術館が会場だったことが挙げられる。今回の展覧会で佐藤可士和は展示スペースを博覧会会場のように見せている(セブンプレミアムや日清カップヌードルミュージアム、UNIQLOのUTストアなど)。つまり「店舗」から「企業パビリオン」に変換する作業が今回の展覧会では必要だった、と考えられる。
三つには、佐藤可士和には空間デザインの業績も多いことが挙げられる。五十嵐太郎さんが「建築家の展覧会がしばしばそうなるように、セルフ・プロデュースのデザイン展だろう」と書いているように、展覧会を自分でディレクションすることは空間デザインの専門家によくあることなのかもしれない。
このように考えれば、担当学芸員が佐藤可士和に「すべてをディレクションすること」を依頼したのもわからなくはない。「商品」をいかに「作品」に見せるか、そして「店舗」とは異なる空間をどのように作るか、さらに空間デザインにも詳しい佐藤の専門性を踏まえれば、それなりの理由があったと言えそうである。
しかしながら、今回の展覧会はここで指摘した三つのことを展覧会の会場で十分には伝えていなかったようにも思う。そのため、よくある展覧会と同じように鑑賞すると「商業的」に見えることが気になってしまう。これはもったいない。「商品」を「作品」に変換していること、「店舗」を「企業パビリオン」に変換していること、そしてこうした変換こそ佐藤による空間デザインの評価できる点であることなどを入口などで丁寧に説明していれば、「こういう展示の仕方もありなのか!」と国立新美術館の使い方を広く楽しんでもらえたように思う。
ミュージアムにおけるデザインの展示は、簡単なようで難しい。「キュレーターが考える見せ方」と「デザイナーが考える見せ方」の二つがあって、最近は両者がアイデアを出し合っているように見える(https://designmuseum.jp/)。さらにこれに「クライアントが考える見せ方」や「ユーザーが考える見せ方」を加えると、ミュージアムでの展示にこだわらないほうが「デザイン」の固有性を適切に伝えられるのではないか、と考えている。
ご覧になれなかった方は、公式図録をお求めいただけると幸いです(https://kashiwasato2020.com/goods/zuroku/)。