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2016-06-27

2016年上半期に見た新作映画ベスト10

さて今年も残すところ半分になってしまいました。たくさん映画を見たなーと思いながらも、案外見ていないかもなーなんて思ったり、日々の疲れがどっと出たり、日々暑いしで大変なシーズンです。じゃあ恒例の上半期ベストを。

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  1. 中島みゆき 夜会VOL.18 橋の下のアルカディア
  2. ホース・マネー
  3. ローカル路線バス乗り継ぎの旅 THE MOVIE in 台湾
  4. ロブスター
  5. ヤクザと憲法
  6. 同級生
  7. FAKE
  8. ブリッジ・オブ・スパイ
  9. 10 クローバーフィールド・レーン
  10. スティーブ・ジョブズ

こんな感じでした。ではそれぞれ雑感を。

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恐らく今年のベストはこの作品になるだろう。自分のいちばい弱い部分をエグるだけ、エグられた驚異的な作品。『夜会』は「コンサートでもない、演劇でもない、ミュージカルでもない「言葉の実験劇場」」をコンセプトにされており、『夜会18』は、最新公演を記録して劇場公開したもの。中島みゆきの歌唱力は素晴らしいと事前にわかっていながら感動してしまった。物語も完全にイカれている。橋の下を舞台に過去と現在が交錯し合い、しまいには輪廻転生が絡み『神無月の巫女』やムックの音楽性(哀愁と痛み)との親和性を感じる。全ての痛みを内包した驚異の傑作。見ながら死ぬかと思った。

悲痛なまでの”痛み”を物語った大傑作/『中島みゆき 夜会VOL.18 「橋の下のアルカディア」−劇場版−』を見た(感想) - つぶやきの延長線上

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孤独な男の記憶を巡る物語。はたしてこの映画はフィクションなのだろうか、ドキュメンタリーなのだろうか。それほどまでに「記憶」を見せつけられていた、とそんな気がしたのだ。まるでこちらも映画と一緒に迷宮にさまよったような感覚。最高のレイアウトとライティングによる強靭な画面の連続に、ただただウットリしてしまった。カメラが、音(靴音、電話の引きずる音、戦車…等)を捉え、暗闇から人物が現れる。ただただ、かっこいい映画だった。名古屋に来たらまた再鑑賞したい。

  • ローカル路線バス乗り継ぎの旅 THE MOVIE in 台湾(日本/119分)

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あの蛭子さんが大活躍するエンターテイメント・ムービー。今年これほどまでに映画に愛された作品はないんじゃないか?と、まるで劇映画のような奇跡的な瞬間にドキュメンタリーであることを忘れる。いや〜映画っていいね〜。

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東海テレビドキュメンタリー枠。『ホームレス理事長』も驚異的な傑作だったけど、ドキュメンタリーといった体制にも関わらずフェイクドキュメンタリーのような瞬間も見られ、フィクションとドキュメンタリーの差はないんだな、と思った作品。

「拳銃とかどこにあるんですか?いざという時どうするんですか?」

スタッフが本物の方にぐいっと攻めるときに、まるでフェイクドキュメンタリー的なはぐらかしかたに見えてしまってめちゃくちゃ面白かった。

東海テレビドキュメンタリー映画『ふたりの死刑囚』『ヤクザと憲法』『死刑弁護人』を3本みた雑感 - つぶやきの延長線上

  • ロブスター(ヨルゴス・ランティモス/アイルランド・イギリス・ギリシャ・フランス・オランダ・アメリカ合作/118分)

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とにかく悪意の塊みたいな映画。反体制のリーダー(レアセドゥ)の家で、カップル同士いちゃいちゃしているシーン最高だし、飛び降り自殺した女がギャーギャー騒ぐところを厭味ったらしく撮るシーン最高!それと横乳のほくろを撮る天才!最近のデ・パルマのお気に入り映画らしい。

  • 同級生(中村章子/日本/60分)

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恋に落ちる瞬間を捉えた教室のシーン絶品!60分の上映時間のなか、コマ割り、画面分割などでグイグイとテンポを上げ駆け抜ける!あとは背景のちょうどよさかなー。

ふたりが出会うとき−−−『キャロル』から中村章子『同級生』について(感想) - つぶやきの延長線上

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ゴーストライター問題でマスコミにボロクソにされた佐村河内守に迫った(?)ドキュメンタリー。テレビ局がフジテレビの特番に出演して下さいと迫った時の「真剣なのにバカバカしい」感じってのは絶品。「現実/虚構」の揺らぎをかじるような瞬間を捉えるのが上手い。それとコメディ映画に落とし込まれているのがすごかったなー。あと、猫かわいいよね。

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闇を照らしだす光の演出が冴えわたっていた。冒頭の真っ暗な部屋での目を疑うような入射光から、次のカットが昼間の濡れた路面と光を逃さない。また、カメラのフラッシュ、橋のシーンの巨大なライト、飛行機の巨大なレンズ…攻めまくった姿勢に泣いた。

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「逃げること」が追及されているが、最後に変化が起こる。雷の先に見える、あの城のような存在に『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』を想起してしまいまんまとやられた。

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アーロン・ソーキンの脚本の大勝利!はじめはあまりにものセリフの多さと、登場人物のキレまくりな演技に難色を示したが、見ているたびにどんどんとそれが楽しくなってしまった。完璧に飲まれた。そしてあのラストは泣くよ(泣いた)


【次点】

傷物語』はとにかく公開されたら、とかなりの覚悟で臨んで、結構面白かったのだけど、キマリまくっててちょっと引き気味だったのがフィーリングと合わなかったかな。でも、海のあの背景はすごかったし、何よりもキスショットちょーかわいい!『プリキュア』めちゃくちゃ面白かった!堀江由衣オンステージみたいになったところあったけど(笑)上記以外だと『貞子vs伽椰子』も丁寧な作りでよかったし、『父を探して』『パディントン』『アイアムアヒーロー』『ディストラクション・ベイビーズ』『心霊〜パンデミック〜フェイズ3』あたりもよかったですね。

【苦手だったの】

【最後に】
下半期はスコリモフスキの新作あったかな?あとは、ホンサンスの新作を待ち焦がれているのだけど、DVDスルーになる気がする。あとは傷物語がちゃんと公開されるか…

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2016-06-21

映画の誘惑とシステム/黒沢清『クリーピー 偽りの隣人』(感想・ネタバレあり)

黒沢清クリーピー 偽りの隣人』を見た。(ネタバレ=物語・展開についても触れています)

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クリーピー 偽りの隣人』初日に行ってきた。『リアル〜完全なる首長竜の日〜』、『岸辺の旅』とテン年代に入ってからの黒沢清の長編映画はどうもしっくりきていなかったのだが、『クリーピー』は最近でいちばんいいと思う。ただ、どうも『CURE』や『トウキョウソナタ』のような完全無欠の傑作と比べると、役者のありように「一癖あるな」という感覚がぬぐえなかったのだが、それは黒沢清が映画が「劇映画(フィクション)」であることを、誰よりも自覚しているからこそ起きることなのではないかとも思える。『クリーピー』の出演者たちはどこか心がスッポリと抜け切ったかのように行動したり、行動しなかったりする。

「映画における“リアル”って、ただの“安心”なんですよ」ーー黒沢清監督『クリーピー 偽りの隣人』インタビュー|Real Sound|リアルサウンド 映画部

黒沢清はよく役者に演技をつけられないと語っているが、『クリーピー』は極端に演技をつけない方向に振り切っているように感じられた。その理由はなんだろう?と思いながら、インタビューの「ダークファンタジー」といった言葉を見かけ、なんとなく腑に落ちた。彼のフィルモグラフィーのなかで「ダークファンタジー」といえば『スウィート・ホーム』だろうか。テレビの取材班が亡くなったある画家の屋敷で、番組を作っていると怪奇現象が起こり次々に取材班が殺されていく物語だ。すでに”怪奇現象”と言っている時点で、『クリーピー』と比べると明らかにフィクション性が強い作品である。ただ「一度関わったら死んでしまう」といったホラー映画特有のシステムのようなものが、『クリーピー』にも存在した。「隣の家の住人が実は…」と聞くと、どうも現実的な物語に聞こえるが、この映画はシステムを上手く機能させることで「寓話」に昇華したのである。

  • カーテンの「誘惑」

黒沢清の映画には「光と影」や「彼岸と此岸」といったように、2つの世界を意識させる演出が目立つ。その2つの世界を区切るのは、カーテンがその役目をすることが多い。『CURE』のクライマックスの廃屋での役所広司萩原聖人のシーンの前に、役所広司が透明なカーテンの先に怪しい人影を発見し、カーテンを開けるシーンがある。そこには人影はなく、のっぺらぼうのような写真が飾られている。「境界」を区切るものとして、存在するカーテン。正体を掴みたい「見るもの」と、すでにその世界のものではないのに、”現象”として存在したい矛盾を抱える「見られるもの」の目的の一致によって境界を区切るカーテンが機能する。

クリーピー』の冒頭、西島が連続殺人犯に刺されたシーンの後、妻の竹内結子と一緒に引っ越し先の挨拶のため、近所をめぐることになる。ここでいかにも怪しい雰囲気を匂わせる香川照之と初めて接触する。ここで注目すべきは「家」自体である。香川照之の家には庭の前に柵があり、少し庭を歩いて玄関につながるような構造であるが、柵の少し斜め後ろ付近に物置なのか何か空間があり、そこに目隠し用の「カーテン」が存在する。この映画でカメラは決してそのカーテンの奥を映すことはないが、何度も映し出される揺らめくカーテンはこの家に近づく人たちを「誘惑」しているように見える。竹内結子がそのカーテンを気にしているシーンがあるように、竹内結子はすぐにこの「誘惑」に魅せられてしまう。

その証拠に竹内結子は、いかに香川照之に皮肉を言われて酷い扱いを受けたとしても、シチューを作って香川の家に運んだり、香川を家に招いたりする。その行動にいささか疑問を持つかもしれないが、これが誘惑に負けたものであり、映画のシステムにまんまと組み込まれてしまっているのだ。清水崇の『呪怨』で呪われた家に入ったものは抵抗虚しく伽椰子に呪い殺されてしまう。これは呪われた家に入る(関係性を持つ)ことで、遊園地のジェットコースターではないが、終わるまで決して「呪い」から逃れることができないのである。『呪怨』の終わりは「死」を意味している。『クリーピー』に置いて「ジェットコースター乗るか乗らないか?」の選択は、「柵」を超えることに変換される。竹内結子香川照之トンネルでのシーンを思い浮かべればよくわかるように、1度その「柵」を超えてしまったものは、そこから2度と抜け出せないのである。(竹内結子香川照之の握手)

  • 捜査(トラウマ)の「誘惑」

前項では主に竹内結子が「誘惑」される様について書いたが、西島秀俊も同じく「誘惑」されている。ただしそれはカーテンではない。まだ観客が映画に慣れていない映画ワンシーン目、柵越しのガラス窓が映される。会話から推測するに何やら連続殺人犯の犯罪心理に興味を持った刑事の西島が尋問しているようなのである。彼は自信家で犯人がその部屋から脱走し、一般市民を人質にしても恐れることなく犯人に近づく。しかし予期せぬ行動をとった犯人は西島を刺し人質も殺してしまう。その事件から刑事を辞職した西島は大学教授となり、犯罪心理学を教えている。しかしどこか心に引っかかりがあるのか、ひょんなことから未解決事件の情報を手に入れ現場検証をしにいってしまう。

そうこれは西島自身の中に存在する「事件(=トラウマ)」の誘惑である。彼は自分の失態から人質を殺されてしまった(というか自分が太刀打ちできない敵がいた)ことに対して負い目があり、まるで『CURE』の役所広司のように事件にのめり込んでしまう。事件にのめり込む瀬戸際に、やはりここでも「柵」という境界が存在する。初めて事件現場に来た時、柵の誘惑をなんとか理性で抑え込もうとする。ただ1度火のついたその誘惑に対しては、竹内結子同様に打ち勝つことはできない。事件現場の家でカメラが妙な上昇運動*1を始め極端な俯瞰に移ったとき、彼はもうシステムに組み込まれてしまっているのである。

この『呪怨』さながらの「関係性」で、過去に黒沢清はこのようなことを発言している。

「その後の映画のなかでは、ホラー映画じゃなくても、類似のイメージが再現されることがあります。機械がガタガタと動いていくっていう、あの感触ね。映画のなかでしかああいうことは起こらないし、機械が一回動き出すともう…運命の歯車がそちらに回った。そうなると人間は絶望して見ているしかない。そこに次々と死が現れてくるっていう。」−『黒沢清の恐怖の映画史

私は「関係性(関わる)」と書いているが、黒沢清は言葉のチョイスが絶妙にかっこいい。確かに「歯車」が回りだすと、その回転を止めることはなかなか難しい。平山秀幸の『学校の階段2』でも時計の歯車が、怪奇現象の狼煙をあげるのである。

  • 記憶喪失の女

黒沢清の映画では「記憶」に対して曖昧な人物が数多く見られる。『CURE』の萩原聖人や、『叫』役所広司。その他にも「記憶」が映画の断続(編集)と結びつき奇妙な感覚を持つ作品が多い。西島が惹かれてしまう未解決事件では、『クリーピー』一家3人が行方不明になり娘(川口春奈)だけが取り残され、取り残された娘に尋問をしているうちに証言がコロコロと変わったという。実際に西島に出会うとき、記憶を戻しかけていた。この川口春奈が演じる早紀は『クリーピー』の寓話性をギリギリのラインで保つための説得力を示す存在である。

彼女は事件の前後ほとんどの記憶をなくしてしまい、数年経った今少しずつ記憶を回復しているという。彼女と西島とのシーンは奇妙なシーンが多く、彼女の尋問をしている間、まるで記憶の深淵を覗いているように照明が徐々に絞られ「暗闇」へ移行する。彼女はなぜか歩きながら記憶を思い出し、べちゃくちゃとしゃべりだす。黒沢清の映画ではキャラクターが部屋をあちこち移動しながら会話する…といったことはよくあるが、近年の作品はさらに複雑な動線設計で、まるで「見ているもの」を映画に誘惑しているかのようである。川口春奈は西島の尋問に嫌気が差し帰ってしまうが、記憶の「誘惑」に勝てることなく、また西島の元で話をすることになる。

この映画がダークファンタジーとすると、まさに川口春奈西島秀俊が対峙するシーンがダークファンタジーに見えてくる。この映画のなかでもずば抜けて奇妙なシーンであり、その他の論理的説明のつかない奇妙なシーンのハードルが下がり、「この映画は寓話だったんだ」と認識することができる。(というかそう理解した)

  • 仮装のいけにえ

黒沢清はトビーフーパーのファンであり、彼の映画評でも何度も言及がされている。『DOORIII』の鉄扉はまるで『悪魔のいけにえ』のようであり、今回の『クリーピー』でも『悪魔のいけにえ』のような鉄扉。そして、あの殺人一家のような家族が現れる。しかし『悪魔のいけにえ』にはダークファンタジーの匂いはしない。『クリーピー』の面白いところは「隣に住んでいた家族が本当の家族ではなかった。」ということだろう。香川照之の娘として自然に振る舞う藤野涼子は、ある日「お父さんじゃありません。」と西島に告白する。それまで自然すぎるほど自然に”振舞っていた”ように見えた藤野涼子であったが、娘を演じていたのである。そして『DOORIII』でも登場した鉄扉を越えた先では「お父さん」と呼ばずに「おじさん」と呼んでいる。「仮装・西野一家」のなかでの彼女の”振る舞い”が、この映画の違和感だった人物描写に説得力をもたせていると感じた。

西島は過去の事件のトラウマからか、自信たっぷりの犯罪心理から離れて他人を追い詰めるような攻撃的な取調をするようになる。彼も自分の深淵に眠るトラウマを大学教授を”演じる”ことで隠していたが、事件に関わることで理性で隠す(演じる)ことができなくなった。結局のところ劇映画(フィクション)であれ、役者が他人を演じている。『クリーピー』ではあえて人物を馬鹿馬鹿しく見せることで、この映画の”演じる”者たちの「仮装性」を印象深くするのだ。

  • 「解放」の産声

黒沢清は「人生にかかわる怖さ」をホラー映画だと語っている。例えば、『ジョーズ』がいくら怖くてもサメを殺してしまえばその恐怖からは逃れられるといったように、解決方法があればホラーではないといったことになるが、同時に「全ての映画はつまりホラー映画なのだ。」といっているように、なかなか難しいことをいっているように聞こえる。

さて『クリーピー』ではどうだったろうか?香川によってシャブ中にされた竹内結子西島秀俊を裏切り、まるで『CURE』のバスのように空を飛ぶ車を運転する。一旦、香川は廃屋で次の計画を話すが、犬が邪魔になり殺そうとする。西島は黒沢清のいう「歯車」にガタがあることに気づいている。それは香川が自分の手で犯罪を犯そうとしないこと。香川は拳銃を西島に渡し犬を殺せと命じるが、西島は「これがお前の落とし穴だ」と香川を撃ち殺してしまう。何を隠そうこの香川の生み出すシステムは「完璧」ではない。むしろ欠陥だらけだったのだ。そういった落とし穴を補うために寓話性をもたせたのではないか?と。

そして解放された竹内結子は狂ったように号泣する。そのまま映画は終わっていくのだが、この泣き声どうもエフェクトがかけられているのか、徐々に赤ちゃんの「産声」のように聞こえてくる。つまり「解放」を「誕生」をかけて「境界」を突破した意味合いに見せたのではないかと考えられる。いつ殺されるかわからない、「生と死」の狭間で生きていたわけなのだ。*2

解放されたように見えるが、その後、彼女らが解放され幸せな生活をしたかというと少し疑問も残る。『CURE』のようにあの異空間を運転してきた竹内結子は帰り道もわかっているのだろうか。映画が終わっても尚、そういった怖さのようなものを感じてしまった。

  • 最後に

役者の馬鹿馬鹿しさに対して紙一重のバランスでフィクションとして保たれているように書いたが、SNSなどで感想を見ているとこの部分についてかなり指摘が多かった。起こることの事象については映画だから、フィクションだから、問題はないのかもしれないが、人物に迫ったときに黒沢清は違和感を処理することはできないのだろうかと感じる。というか、おそらくそこには興味がないから今後も変わりようがない気もするのだが。考えてみると黒沢清Vシネ時代の作品に出演した哀川翔は本当に天才的な役者だったのかもしれない。あれだけ黒沢清の世界観に馴染みながらも、役者自体の生々しい魅力を獲得していた。西島秀俊香川照之も悪くはないのだが、黒沢清に対立するような魅力を発揮していないような気もする。最近、監督と役者は殴り合って(表現として)、いい作品ができるような気がしていて、西島や香川に関しては黒沢清(その世界観)にコントロールされすぎているのかもしれない。それが故、役所広司萩原聖人の存在感が際立った『CURE』とは果てしない差が開いているように感じる。映画は戦いであり、戦場でもあるような、そんな風に感じられるのだ。

クリーピー (光文社文庫)

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映画はおそろしい

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黒沢清の恐怖の映画史

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黒沢清と“断続”の映画

黒沢清と“断続”の映画

CURE [DVD]

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*1ドローンによる撮影らしい

*2:最近だと『傷物語』でキスショットが死ぬ直前に泣き声(こちらは産声も再生された)を出すが、生と死といった境界であり、同じような使い方ではないかと思った。

2016-06-18

今年は『クリーピー』と『ダゲレオタイプの女』が公開されるので何となく黒沢清7選

今年は『クリーピー偽りの隣人』と『ダゲレオタイプの女』と黒沢清の映画が2作品も公開される。『一九〇五』こそ企画倒れなってしまったが、『リアル』以降は、『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』(2013,短編)、『Seventh Code』(2014,中編)、『岸辺の旅』(2015,長編)とコンスタントに作品が公開されている。特に『クリーピー』は久しぶりに、ミステリー作品であり、どうしても『CURE』を期待してしまう。そんな期待からか、この2週間くらい黒沢清を見直しまくっていた。そんなこんなで黒沢清7選を選んでみてみることに。これが僕の黒沢清ベストか?と言われるとまた難しいんですが…(順不同)

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  • 『蛇の道』(1998)

蛇の道 [DVD]

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黒沢清『リング』脚本家高橋洋と組んだVシネ作品。娘を殺された香川照之が復讐をしようとする狂った様が見れるが、本当に恐ろしいのはそんな狂った香川に「お前はどうしたいんだ」と問いかけをする哀川翔だろう。物語の後半までは「なぜ?哀川翔香川照之の手伝いをしているのだろう」と不思議に思えるのだが、彼の空虚さを感じる雰囲気からか「こういうことしてみたかった」といった言葉に騙され、後半の展開に見事に震え上がる。ロケハンが素晴らしく、広々とした廃工場跡のようなところで、香川が生活する狭いスペースから拉致監禁している広々とした場所までのカメラワークが素晴らしい。今回選ばなかったが、続編である『蜘蛛の瞳』は、本作で何者かわからない哀川翔が「何者か」を問われる恐ろしい映画である。こちらも超傑作。*1

トウキョウソナタ [DVD]

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香川照之小泉今日子主演の“「家族」ムービー”と言えば聞こえはいいのだが、これまた怖い作品である。彼の作品ではあまり家族についての関係性のような映画はなく、ここまで自覚的に家族とい題材を使って映画を撮ったのは初めてじゃないだろうかと思える。*2様々な人が指摘している点であるが、それまでの彼の映画にしては画面が妙に狭い。ロングショットも意識的に封じているように思える。家族であることの息苦しさのようなモノを描いているように思え、お得意の「境界」演出が冴えわたっている。そんな家族の空虚さからか、透明な雰囲気に感じられるが、役所広司が登場してからは妙に映画っぽい生々しさ(フィクション)のようなものが浮かび上がってくるから不思議だ。これが俳優の力ってもんなんだろうか。

降霊 ~KOUREI~ [DVD]

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これまた恐ろしい映画である。「気づいたら女の子を誘拐していた。」といったもので、これをもし体験したら震え上がるだろうな…と思う。また、効果音技師である役所広司の存在が、デ・パルマの『ミッドナイトクロス』を想起してしまい「こりゃあ悲劇しかまってないだろう」なんて思うのだけど、そこは流石の黒沢清で「泣」には振らない。風吹ジュンの神経質そうな演技が見事。冒頭で出てくる赤い服の幽霊は、『DOORIII』(1996)を経由することで、『花子さん』(1994,『学校の怪談』)から、徐々に『叫』(2007)の葉月里緒奈のニュアンスに近くなっている。設定は『CURE』にそっくりじゃないかと思うが、『CURE』ではなく、『ドッペルゲンガー』(2003)の原型のような方面へ進む。

叫 プレミアム・エディション [DVD]

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「気づいたら恨まれていた」なんて何とも恐ろしいことだろう。カイヤットの『眼には眼を』も「気づいたら恨まれてた」映画であったが、そこに『パトレイバー2』のような空虚な東京(埋立地)も盛り込まれている。Jホラー的な湿気がまた気持ち悪いったらなんのって(笑)彼の中で赤い服の女といえば『叫』を確立してしまった作品であるが、何だろうか『花子さん』から永遠と続く赤い女の『呪い(復讐)』シリーズなんじゃないかと思う気もする。黒沢清のベストは?と聞かれるとこの作品を上げることが多い。

学校の怪談f [VHS]

学校の怪談f [VHS]

30年の歴史を閉じようとする学校の物語。学校には学校の語り継がれる物語が存在する。例えばそれが単なる噂話だったり、実はが捻じ曲げられたりしても、語り継がれた物語は本物に違いないだろう。そういった物語が終わる日が来る。30年の蓄積した怪談話が廃校の2週間前に「現象」として去りゆく在校生の前に現れる。黒沢清の映画にしては繊細な映画に仕上がっているのも『学校の怪談』の口承される物語性からなのだろうか。関西テレビ学校の怪談』の中でも『木霊』や『花子さん』の恐怖とは違った味わいを感じるだろう。

黒沢清フィルモグラフィーのなかでも『よろこびの渦巻』は最もわけがわからない作品じゃないだろうか。(全作観ているわけではありませんが)この気の狂った作品をテレビで放送していたというのが何よりも信じがたい。占い師の父親の「よろこびだ」といった発言に嫌気が差し松田ケイジは家を出る。なぜだかわからないが「わかるよ」と共感する謎の男は、スナイパーに計3回撃たれ次第に血だらけになってくるし、囮捜査に使われた松田ケイジの友だちは、まんまと囮としてグサッと胸をひとつきされる。占い師の因果が周り巡ってくるような物語になっているように、カメラはつながりを意識させるように横から横へ移動を繰り返し、物語をつなげる。全くデタラメな物語であるが、映画技法のてんこ盛りであり、超ロングショット+長回し、反復など、映画をぶっ壊しながらも「映画」を目指したテレビドラマだろう…。ちなみに歌の歌詞は助監督だった青山真治が考えたとか。

勝手にしやがれ!! DVD-BOX

勝手にしやがれ!! DVD-BOX

シリーズモノでキャラクターが「何をやっているんだろう」とか、自分の存在の意義や、自分の行っていることへの疑問を感じだしたら要注意だ。そうれは終焉の信号である。押井守は『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』で、シリーズを終焉させようと「日常」を破壊しにかかった。(実際は続くわけだが)楽しい「日常」はいつまでも決して続くことはない。そんな当たり前で、残酷な事実を突きつけられるのは覚悟が必要だ。どうしても身構えてしまう。そんな背景からか、黒沢清で一番怖いといったらこの作品を選ぶかもしれない。シリーズ全体を通してアクション・コメディといっていいのか、今の黒沢清でもなかなかお目に抱えることができないロングショットとキャラクターの動き(アクション)の心地よさ。そして何と言っても哀川翔前田耕陽のコンビによる掛け合いの意心地の良さ。全6本中5本の満たされる多幸感。それが、「空虚」への転じるシリーズ最終作。彼らはロシアに行けたのだろうか。『Seventh code』で見せるその目配せに思わず、グッときたのは言うまでもない。


【まとめ】
7選といったわりにこれがベストか?と言われるとものすごく難しい。彼の映画の中でいちばん映画ファン(広い定義で)受けをするのは『CURE』だと思うし、何度見ても底知れぬ面白さがある。ただベストか?と聞かれるとそうでもないなと思うのである。伊丹十三との『スウィート・ホーム』でロングショットを意図的に抑えられ、アップショット、クローズアップの多用と「決定権」に泣いた黒沢清だけれども、それでさえ『スウィート・ホーム』も面白いし、人が燃えて粉々に朽ちていく姿を撮ったのはすごいと思う。どの作品を見ても、どこかハッと思わせるシーンを見せる手腕には脱帽である。また、『蛇の道』の続編である『蜘蛛の瞳』も入れたかったが、あの映画の持つ空虚さにおいて『英雄計画』でも代弁できるかなと思い入れなかった。また『アカルイミライ』もとんでもない傑作であり、『ドッペルゲンガー』も大好き。『LOFT』も『893タクシー』も・・・。このところ上映時間が延びている黒沢映画であり『クリーピー』にも若干の不安も覚えつつ、本日鑑賞してこようと思います。では。

黒沢清と“断続”の映画

黒沢清と“断続”の映画

映像のカリスマ・増補改訂版

映像のカリスマ・増補改訂版

*1DVD廃盤だけど、海外版で『蛇の道』・『蜘蛛の瞳』がパッケージされた物が販売されています。また最近WOWOWで放送していましたのでそういった機会に

*2:『ニンゲン合格』(1998)も家族を取り扱った傑作

2016-06-12

映画が見たけりゃバットを振れ!『ビリギャル』(テキトーな雑感)

どうやら黒沢清ビリギャルを絶賛していたらしい…といった話を数ヶ月前に聞いて、「うおおおお見なきゃ」とか思う前に記憶の片隅から消え去り、先日WOWOWで放送してたのでラッキーと思い録画してボチボチ鑑賞。『トウキョウソナタ』撮っているときにたまたま『ラルジャン』を見て「影響を受けた」と語っていたし、もし『クリーピー』公開前に『ビリギャル』見ていれば、影響受けてんじゃね(多分、見たのは撮影後だと思うけど)的な見っけモノあるかなと。

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そこで『ビリギャル』だけど、感情の起伏には主に台詞がキーになって役者が行動していく…って流れは、いかにもテレビ的なステレオタイプな演出であまりグッとこなかった。だけど、120分といった短くもないランタイムのなか、勉強すれば勉強するほどギャルから清楚系に落ち着いていく有村架純がどんどん可愛くなっていくのは「怪物」以外の何物でもない存在感を出していてなかなか良い。『アイアムアヒーロー』で芝居しているんだか、ただ、そこにほっぽられたんだかって感じの有村架純だったけど、なるほどこういった人間の匂い(性の匂い)を全く感じさせることなく、そこにある(象徴)としての存在感(可愛さ)が備わっている。これは確かに黒沢清は好きそうだなと思えた。

肝心の内容だけど原作読んでないので知らないけど「学年ビリのギャルが1年で偏差値40上げて慶應大学に現役合格した話」以外にも、「家族」が物語を構成している。父親が自分の夢を息子に押し付けて、口答えする娘の親であることを放棄して母親に全てを任せる。学校でも上手くいかない娘に楽しいことやりなさいといった母親。それに従うように友人との遊びを覚え全く勉強をしない。母親だけが娘を信じて、父親との間に挟まってストレスが溜まっていく…。ネタはあれとか的確に言えないけど、よく聞くステレオタイプな家族の問題を物語の中核に置いている。映画で問題が起きている家族がいれば、大体はぶっ壊れるのが筋ってもので、有村架純の弟が「才能」に負けてヤンキーのパシリ使いになり、野球部を辞めて親と口論になる。ここでハッと思わせたのは母親であった。弟の父親へのプレッシャーを影ながら気がつき、父親の「夢」をなんとかつなぎとめていた母親であったが、息子がバットを振らなくなった代わりに、彼女がフルスイングしてバスのガラスを粉々に割ってしまう。

味園ユニバース』でのバットの存在は、シチュエーションもさながら極めて映画的で破壊と再生の役目を担っていたが、『ビリギャル』は破壊の用法。母親に対する父親の態度、父親のプライド何から何まで粉々にぶち壊す。映画で銃が撮られたならば銃は撃たなければならない*1といったように、映画でバットが出て来ればそりゃバットを振るだろうと渾身の一発だった。しかも、「あんたが振るんかい」と確かに考えてみれば振る人は彼女しかいないだろうけど*2、思わずハッとしてしまったシーンだった。父親が夢破れて、弟も「才能」に敗れながら、有村架純がガムシャラな「努力」で、希望を見せたといった流れはとても綺麗。しかし『味園ユニバース』も2015年だったし、「2015年バットの旅」だったんだなー。

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トウキョウソナタ [DVD]

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*1:それを外してきたのが例えばイーストウッドの『ホワイトハンター ブラックハート』(1990)

*2:昔、夫に怒鳴ったことがあると語ったのが前振りでもある。

2016-06-09

とりあえず殴ってみようか?/黒沢清『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』感想

クリーピー』の公開が近いし、黒沢清でも再見しようかなーと思いつつ、『東京藝術大学大学院映像研究科映画選考第七期生修了作品集2013』(タイトル長)に収録されている黒沢清の短編『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』を見ていなかったなーと思い再生したところ面白かったので、ついブログUPの流れに。(ネタ=物語展開にも触れています)

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最近の黒沢清というと『岸辺の旅』や『リアル』は、いいシーンはあれど完全には頷くことができなく、正直あまり好きではなかった。ただ前田敦子主演の『Seventh Code』は突然始まる暴力に思わずガッツポーズをしてしまい、商業的な世界から離れたところで、攻めた作品を作ることから「やっぱり、アクションをやりたいのではないか?」と睨んでいたわけである。『Seventh Code』は突発的なアクションで観客をハッとさせたわけだが、この『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』は、殴る、蹴る、刺す、投げる、絞める、ガラスを突き破る、鈍器使う、警棒使う…で、黒沢清フィルモグラフィーを見ても、ここまでアクションに徹している作品はなかなかないだろう、と思うほどアクションのテンコ盛りである。では30分の短いランタイムの中どういった物語が展開されるかというと…

湾岸地帯の再開発を目論む都市設計会社社長の天野(柄本佑)は、視察に訪れた埠頭で美しい港湾労働者の高子(三田真央)と出会う。以来、一目惚れした彼女に執心の天野だったが、高子は彼に全く目もくれない。そのつれない態度に業を煮やした天野はある日、高子の私物を奪って逃走。後を追う高子の前に、次々と天野の部下が立ち塞がる。だが、高子はその屈強な男たちを次々となぎ倒して進む。-Movie Walkerより

このあらすじのままといってもいい。強いて言うならば「私物」ではなくて、おそらく会社のシフト確認とか誰が入っているかわかるようにする為のものだと思うんだけど、「名札」が奪われる。ようは会社の備品が取られて取り返しにいく物語。そんなもの取られてしまっても新しく作ればいいじゃんって思うし、会社には「変態に名札取られました」っていえばいいからね。ただこの映画の場合は、人間を動かす為に、物を取り返すといった理由が欲しい。理由なんてどうでもいいじゃんってのがある。だから名札でも奪われればいい。じゃあなんで三田真央が強いのか?っていったら…

「わたしは海の底で生まれた。そこは弱肉強食の世界…」

といった台詞が一応の理由付けになっている。「ああ、弱肉強食の世界で生きてきたから強いんだ」って納得してしまえばいい。納得しなくても面白ければいい。「行き当たりばったり」な映画に見えるかもしれないけど、全てに意味があるように表現されている。シネスコの横長画面を活かすように、高い建物はほとんど主体として映さず、カメラも横移動したり、人間も横から横へ逃げていく。横長だから海はあるけど、海に落ちることはない。柄本佑が三田真央に「海の向こう側にいこう。アメリカに…」といった台詞をいうのも、そういった意味合いからなのかな?と思わなくもない。

「とりあえず人動かせば面白いじゃん」と黒沢清が言っているような気がしないでもないが、そのくらいシンプルなアクション映画として仕上がっている。先日、ジェームズ・マンゴールドの『ウルヴァリン:SAMURAI』(2013)を見直していて、「理由がどうあれ人が右往左往動きまくるのは面白い」と感じていたところだったので、妙にこの映画との親近感(全然違う映画だけど)を感じてしまった。やっぱり映画はハッタリが見たいし、デタラメでもいいから面白ければいいじゃんってシンプルな感覚が必要なのかねと。黒沢清の短編といえばテレビだけど『よろこびの渦巻き』なんかもデタラメだけど面白い。逆に『ビューティフル〜』のようにわかりやすい物語ではなくて本当に意味わからない。だけど映画原理主義的な面白さを追求していてとてもすばらしい。もう嘘だろ?と思うくらいのロングショットも決まっていて、意味わかんないけど見入ってしまうすごい作品。

ただちょっと気になったのが、”名札”がとられるといった背景。もし三田真央がもう少し空虚なキャラクターであればなんとなく「名前」が奪われた者として物語が浮かび上がってくるのかなと思ったのだけど、家族と電話しているシーンがあるんですよね。変な動機付けで動くキャラクターの割には結構人間味のあるような気がした。まあ、そんなこと抜きにしも面白いのでとにかくアクションをしっかりみたいといった人なら頷ける作品だと思う。ホント「とりあえず殴ってみよか?」的な映画。傑作です。