8月15日阿佐ヶ谷ロフトで「戦後67年」トークイベント

 たぶん異色の組み合わせでしょう。

以下、阿佐ヶ谷ロフトのサイトから転載。

戦後67年特別企画 ―Beyond The Postwar―「戦後」を超えて
憲法から原発まで徹底討論〜

今年「戦後」は67年を迎える――。憲法、国防、外交領土、歴史観、民主主義、そして原発
山積みの課題を抱えたまま、いま私たちは戦後を生きている。
今宵、終戦の日、世代を超えた論客たちにより、いま一度「戦後」の問題を考えてみたい。
いま、日本人の水面下で湧き上がる新しい動き。
昨今の「デモ」と「ネット」から浮かび上がった新しいこの国の骨格とは…?
政治、経済、歴史etc…それぞれの言論空間で活躍する気鋭の論客が結集。
「○まで生テレビ」では絶対観れない熱い一夜が開幕する!

【テーマ】
1)いつまで「戦後」を続けるのか?
――いつまでこの国は「戦後」を続けるのか?憲法改正核武装・領土・日米安保歴史観…、それぞれのテーマについて激論!

2)いまデモを考える。ネットのマグマは左右の壁を突き破るのか?
――フジテレビデモ、原発デモ、ネット右翼ニコニコ生放送…ネットのマグマは左右の壁を突き破るのか?

【出演】
鈴木邦男一水会最高顧問)
1943年生まれ。新右翼一水会」最高顧問。主著に『右翼は言論の敵か』『愛国者は信用できるか』『夕刻のコペルニクス』『赤報隊の秘密 朝日新聞連続襲撃事件の真相』など

山口祐二郎新右翼民族派活動家)
1985年生まれ。我道会会長、思想家、作家、イベントプロデューサー。主にコアマガジン社「実話・劇画マッドマックス」、世界書院「イチゼロ」などの雑誌に記事や漫画原作を執筆中。

田中秀臣上武大学教授)
1961年生まれ。経済学者。上武大学ビジネス情報学部教授。主著に『最後の冬ソナ論』『不謹慎な経済学 』『AKB48の経済学』など。

古谷経衡(著述家)
1982年生まれ。雑誌編集長・アニメ評論家。主著に『フジテレビデモに行ってみた!』『韓流、テレビ、ステマした』など。

久野潤(皇學館大講師)
1980年生まれ。歴史学者皇學館大学大阪国際大学講師。専門は昭和戦前期政治外交と背景思想。

...and more!!

OPEN 18:30 / START 19:30
予約¥1,500 / 当日¥1,800(共に飲食代別)
ご予約は阿佐ヶ谷ロフトAメール予約と電話予約にて受付中!
※ご入場順はメール予約→電話予約 の順です。

・メール予約ご希望の方は下記のアドレスまで、

loftareserve[at]gmail.com

[お名前]
[公演日]2012/8/15
[公演名]『戦後67年特別企画』
[人数]
を明記の上メールをお送り下さい。メール確認後こちらから折り返し整理番号を返信致します。

※メールアドレスは[at]を@に変更してお送りください。
※携帯からご予約の際は、上記アドレスからのメールを受信できる設定にしておいてください。

・電話予約:03-5929-3445(17:00〜24:00)

“埋蔵金”はなかったのか?ー答:依然としてある

 
 渡邉哲也さん@daitojimari が、チャンネル桜の経済討論(http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20120710#p1)で、「埋蔵金はなかった」という発言をされてて、かなり気になったので少し調べてみることにした。

 簡単にいうと

 1)埋蔵金はある
 2)民主党政権はそれを有効に使うつもりはない。
 3)「埋蔵金はなかった」とか「埋蔵借金」などは財務省発の詭弁⇒埋蔵金議論を封印して増税シフトを狙っていた(2010年ぐらいから)

 ということである。渡邉さんの発言は、民主党の「バラマキ政策」に持続的に使える埋蔵金ということを今朝ほど注釈いただいのだが、その意味では「持続的」という意味で100年くらい考えるならばそんなものはないでしょう。ただし20数兆円はあるようなのでそれを利用していく、2010年や11年の埋蔵金の発掘実績のように1兆円規模ぐらいなら10数年は使える程度はあるということだと思います。

 また注意が必要ですが、多くの特別会計埋蔵金のもと)の財政構造に特段の変更がないかぎり、一回発掘してもまた「貯まる」でしょう(フローとストックの関係からそれは自明です)、つまり「再発掘」も将来的には可能です。それはそれで問題ですが。

 ただ上記の2)と3)を合わせて考えればいまの政権及び、財務省の影響力が強いいまの自公を含んだ与野党勢力の大半にとっては埋蔵金は埋めなおされてしまったわけです。渡邉さんの意図がどうあれ、「埋蔵金はなかった」というレトリックが独り歩きすると、それは容易に3)のように増税議論を支持してしまう、実体のともなわない宣伝に利用されないかが心配です。

 高橋洋一さんの『バランスシートで考えれば、世界のしくみがわかる』(2010年)はとてもいい本なのでこれをベースにして最近のデータを照らし合わせましょう。いくつも埋蔵金の発掘先はあるのでここでは労働保険特別会計をみてみます。

 この平成22年度の決算書をみると終りのページの方に3つの勘定の合算したバランスシートが掲載されている。これでみると平成22年度の「資産負債差額」は約7兆円(正確には6973952百万円)である。高橋さんの同書によれば、「資産負債差額」が埋蔵金とのことであるので、22年度末の同会計の埋蔵金はこの額になる。

 この埋蔵金のうちどれほどをどれだけ使うか、またそれに伴う法案の策定などは別問題であるが、とりあえず高橋さんの定義による埋蔵金はちゃんとある。

バランスシートで考えれば、世界のしくみが分かる

バランスシートで考えれば、世界のしくみが分かる

財政政策でデフレ・ギャップは埋まるか?(田中秀臣・野口旭・若田部昌澄編著『エコノミストミシュラン』より)

 藤井聡氏のこの発言を読んで、デフレ・ギャップは財政政策で埋まるのか、という問題について、2003年の我々の著作から野口旭さんの発言を引いておく。

 野口旭:財政派に対する不満をもうひとつ指摘すると、彼らももちろんデフレギャップを重視するわけですが、それがなぜここまで拡大し続けてきたかに対する認識が決定的に甘いと思います。リチャード・クーは、資産デフレで企業のバランスシートが悪化して、企業が投資をせずに借金返済にばかり走っているからデフレギャップが開くんだと主張しています。でも、資産デフレによるバランスシートだけの問題なら、企業がこれだけ調整を積み重ねるなかで、デフレギャップがこのようにどんどん拡大し続けるはずはない。先ほどのバーナンキクルーグマンの見方では、デフレギャップは90年代後半のほうが前半よりもむしろ大きくなっている。バブル崩壊の後始末としての過剰債務処理なら、そんなのは97年くらいでとっくに済んでいる。にもかかわらずデフレ・ギャップがその後も拡大し続けるのは、デフレ経済への本格的な移行のなかで、デフレ期待がどんどん高まっていったからです。投資を手控え、借金を返済し、キャッシュ・フローを積み重ねるという行動を、企業がその後ますます強めていったのは、このデフレ期待のためです。
 だから、とにかく政府が財政支出で需要を支え続けて、企業のバランスシートがきれいになるまで待てばいいという、リチャード・クー流の待ちの戦略ではダメなんです。というのは、いくらバランスシートを改善しても、デフレ期待が続く限り、企業は投資をしませんし、家計は消費をしませんから。そして、人々が支出を拡大させない限り、政府は財政赤字をもって膨大なデフレギャップを永遠に埋め続けなければならなくなる。しかし、小渕内閣のあの超拡張財政をもってしても、結局デフレは止まらなかったわけですから、要するにデフレギャップは完全には埋まらなかったのです。われわれのような金融派が、インフレ目標政策のような金融政策によっつて、人々のデフレ期待そのものを壊してしまわない限り、自律的な成長経路には決して復帰できないだろうといっているのは、そのためです(『エコノミストミシュラン』93頁)。

 『エコノミストミシュラン』が出版されたのは03年であるが、その後も日本の「緩やかな小幅のデフレの持続」は続いている。この基本にはデフレ期待を定着させてしまう日本銀行の金融政策のスタンスがあると我々は考えている。

 今日の藤井聡氏の前述のインタビューに代表される「財政政策でデフレギャップを埋める」という財政政策中心的発想は、このデフレとデフレ期待の20年近い継続について事実上まったく関与していない。それが財政政策中心主義と、我々いわゆるリフレ派との違いだといえるだろう。今日的な文脈でいえば、自民党などの国土強靭化計画で10年で200兆円を使おうが(ちなみに90年代は7年で120兆使ったがデフレは継続)、デフレ期待の払拭(そのためには金融政策のスタンスの転換がキー)がないかぎり、経済が中長期的に再び失速を繰り返すと私は考えている。

 なお、財政政策に対する一般的な見解は、このエントリーを参照されたい。

 またある種の財政政策(それは金融政策のスタンスの変更を伴うものや、恒久的な財政政策の転換を伴うものなど)では、デフレ期待の転換が可能であると考えるが、そのいくつかの手法については、このエントリーを参照のこと。

エコノミスト・ミシュラン

エコノミスト・ミシュラン