鈴木薫『オスマン帝国の解体:文化世界と国民国家』

オスマン帝国の解体―文化世界と国民国家 (ちくま新書)

オスマン帝国の解体―文化世界と国民国家 (ちくま新書)

 現代のバルカンや中東で、民族浄化などを含む先鋭化した民族紛争が何故おきているか、近代ヨーロッパと「ネーション・ステート」がイスラムオスマントルコの宗教を機軸とする多文化統合にどのような衝撃を与えたかという観点から追求する。単純なオスマン・トルコの歴史ではなく、世界各国の民族紛争と民族浄化が何故起きるか、オスマントルコの統合の変化から追及するという問題意識から書かれている。
 第一部は議論の前提について整理。世界各地の文明はそれぞれ独自の統合システムを持ち、近代ヨーロッパに見られる「ネーション・ステート」というシステムが特殊ヨーロッパ的なものであること。19世紀以降ヨーロッパの帝国主義的拡大にともなう「西洋の衝撃」が、非西洋世界の諸社会に「西洋化」の必要と、国民国家システムと従来の統合システムの相克を引き起こしたことを指摘。ヨーロッパの拡大が「単一のグローバル・システム」を形成したとか、19世紀より前のヨーロッパの影響力については異論もなくはないが。オスマン・トルコに限れば、確かに他の地域と比べて、ヨーロッパの圧力を早くから感じたのは確かだろうけど。
 第二部はイスラム教の国際関係や統合の規定について。イスラム教においては、本来イスラム教徒は政治的に統一されているのが前提だったが、支配領域の拡大にともなって政治的分裂が常態化した。しかし、この個々の国家の支配を正当化する政治思想は体系的に構築されず、イスラム法の擁護者として程度しか正当化されない脆弱なものだった。また、人々の帰属意識についても、ムスリムについてはムスリムであることを前提に、地縁・血縁・職業など重層的なアイデンティティが形成され、また「イスラム世界」の中には、「啓典の民」としてユダヤキリスト教徒が多数含まれるなど、多様性が強調される。
 第三部は、オスマン・トルコを題材にした「西洋の衝撃」のケーススタディオスマン・トルコはバルカン半島から中東・北アフリカまで広範囲を支配し、非常に多様な集団を従えていた。また、支配集団の中核も元キリスト教徒の奴隷であるイエニチェリが中核を占めるなどエスニック的にも多様であった。これらの社会は、宗教を機軸に緩やかに統合されていた。しかし、「西洋の衝撃」のなかで、支配下の諸民族のネーション・ステート化の志向が拡大、「オスマン臣民の平等」という方向への模索も行なわれたが、最終的に分裂、トルコ本体もネーションステート化した。しかし、オスマン・トルコの旧領では、宗教や民族のモザイク状態が村内など小社会まで貫徹するエスニック紛争の「入れ子構造」が存在し、「新しい統合と共存のシステムを確立しえなかったこと」に問題があると指摘。


 ヨーロッパや日本では地域団体を核とした団体主義的な地域統合が長い間に発展してきたが、世界の大半の地域では血縁や属人的な統合の原理が基本であった。そもそも、「国民国家」のシステムを世界に敷衍すること自体に無理があるのだろう。かといって、資本主義・総力戦体制・近代工業に適合的な制度は他に無いし。
 ついでに言えば現在の民族紛争の類は、ヨーロッパが何百年もかけてやってきたことの短期間の再現であるとも言える。15.16世紀以降、ユダヤ人を事実上消滅させ、遊動・遍歴する人々を徹底的に弾圧し、社会の周縁に押し込んできた歴史を鑑みるに。「近代」の無残さの再現というか。

佐藤次高『イスラームの「英雄」サラディン:十字軍と戦った男』

 エルサレム奪還の立役者サラディンの伝記。アラブの英雄の栄光と蹉跌。
 これを読んで印象的なのは国家や支配の流動性サラディンの父親アイユーブの経歴を見ると本当にあちこちを動き回っている。また、アイユーブ朝支配の脆弱性も印象的。エルサレムは奪還したものの、最終的な十字軍国家の消滅にはその後100年待たなければならなかった。未完の時代。
 これも10年来の積読。今回すごく面白く読んだが、買った当時は、なかなか読み進めなかったんだよな…

横江公美『第五の権力:アメリカのシンクタンク』

第五の権力 アメリカのシンクタンク (文春新書)

第五の権力 アメリカのシンクタンク (文春新書)

 良くも悪くも中の人的意見だなと感じる。
 本書は2004年の出版。当時は、保守系シンクタンクの全盛期といっても良かったと思う。だが、ブッシュ政治が完全に破綻した今の時点から見るとどうだろう。ネオコンは分裂・衰退しているし、これらの言論の拠点となったシンクタンクの信用性にも疑問符が付くのではないだろうか。『ネオコンの真実:イラク戦争から世界制覇へ』(ISBN:9784591077207)を読んで博士持ちがこのレベルの言論かよと唖然としたおぼえがあるが、政治に近づきすぎた学問の問題というか、アメリカの社会科学のレベルへの深刻な疑念というか、そんなものが強力にあるのだが。特に、第5章はシンクタンクの限界も如実に示していると思う。
 確かに政府外に、それに対抗できるレベルの政策情報・企画能力が蓄積しているのは重要ではあると思う。日本についても、官僚に対抗できるだけの情報の蓄積が必要だろう。しかし、アメリカのシステムが日本に適合的かどうか。
 ものすごく極論に走れば、アメリカの政治システムは基本的に貴族寡頭制的なものである。少なくとも「名望家支配」ではある。産業、政治、学術、官僚のエリートがほぼ一つの集団になっている状況が「民主主義国家」として適切なのかどうか。ここ10年ほどのアメリカの国内政治を見ていると疑問を感じる。金持ちによる金持ちのための政治・制度に対案が出にくい状況。
 翻って、官僚、産業、政治のエリート間で人的交流がほとんどない日本の現状のシステムがいいのかどうかも問題ではあるのだが。


 アメリカの大富豪の生態については、「ミイラにダンスを踊らせて」(ISBN:9784560038796)が適切だろう。メトロポリタン美術館の内幕本だが、ここに見える大富豪とその生態、特にパトロネージ的行動は、事実上の貴族といった性格を備えているように見える。
 エリートが一体化することの問題点は安全行政に一番現れるだろう。アメリカの航空機運行の規制官庁のポストが業界関係者に与えられることによって、安全性が蔑ろにされてきた状況。「危ない飛行機が今日も飛んでいる(上)(下)」(ISBN:9784794208903 ISBN:9784794208910


以下メモ:

 ブッシュ大統領イラク攻撃の論拠は、九・一一連続テロ事件を再び引き起こさないために、大量破壊兵器を持つ国を徹底的に叩きのめすことだった。つまり、敵をオサマ・ビン・ラディンに限定するのではなく、イラク、イラン、北朝鮮といった「悪の枢軸」国まで対象を拡大し、その一つとしてイラクを攻撃するとしたのである。つまり、戦いによって悪の独裁者から人民を解放し民主主義国家を構築することが、真の目的となる。
 この論拠を作っているのがネオコン系と呼ばれるシンクタンクだった。ネオコン系のシンクタンクで最も有名なのが、イラク戦争開戦によって一躍、膳マスコミの注目を集めることになったPNAC(Project for New American Century)だ。一九九七年設立の新興シンクタンクで、会長はウィリアム・クリストル。p.44

ファンタジー
知的堕落もいいとこ知的堕落だよなあ…

 一九七九年にヘリテージ財団に入ったバトラーは、荒廃した都市部を復興させるために、荒廃地区の規制や税制を緩和する必要があるという「エンタープライズ・ゾーン(Enterprise Zone)」構想を発表した。p.94

都市問題関係。メモ。しかし、私はこの方法に反対だ。

 この背景からか、中東問題に関するワシントンの二つのシンクタンクが急に関心を集めるようになった。ワシントンでは、イスラエルパレスチナの代理戦争が行なわれているからだ。学術研究が中心だが、比較的パレスチナよりで平和解決を主張するのが中東研究所(MEI:Middle East Institute)。親イスラエルの立場をとるのは近東政策ワシントン研究所(Washington Institute for Near East Policy)である。p.192

 一九九七年、AEIの研究員ダグラス・カービーとカリン・コイルは、「学校の授業として性教育が必要である」と結論づけた研究結果を発表した、この研究では、「コンドームの使い方も含めてエイズにまで言及する性教育」と「全く性教育を行なわずに節制が重要だと説く教育」を、中学生と高校生に行い、そのインパクトを調査したところ、「純潔教育」ではそれほど成果が上がらなかった派、「具体的な性教育」の方は、エイズなどの性感染症や妊娠を減少させるという結果が出た。そこで、具体的な性教育の学校プログラムを提案した。アメリカでは、学校での性教育プログラム実施が奨励されており、すでに一九九七年の時点では二十三の州が学校で性教育を行なうことを政策として明示していた。p.212

メモ。