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地下生活者の手遊び このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-09-08 被害実態から目を背けているのは誰か?

科学はかならず被害者の力になる


応答をしなければならにゃーのだが*1、応答内容と深く関連することなのでこちらをまずあげておきますにゃ。



さて、上記にリンクした2つの記事のあいだには、一読して矛盾がありますにゃ。


PTSD心的外傷後ストレス障害)は過去の心的外傷が原因で発症しますから、

現在進行形の事態に対してPTSDを持ち出すことはそもそもおかしな話です。

また、あたかも「放射能を心配しすぎて」PTSDになるかのような説明は

間違っています。「心配しすぎて」PTSDになったりすることはありません。

PTSDはレイプ、虐待、戦争体験、交通事故などなど、生命が危険にさらされる

現実の出来事の後に生じる疾患です。

今、原発被害に関してPTSDを論じるのであれば、PTSDの予防ですから、

「安全な場所に避難すること」と「事実を伝えること」が必要です。


2011-05-15 - Eisbergの日記


と、現在進行形の事態に対してPTSDはありえないこと、放射線被曝を心配してPTSDになるのはありえないこと、PTSDは生命が危険に晒される現実の出来事のあとに生じること、総じて原発事故とPTSDとの関連を否定的に捉えている記事ですにゃ。


ところが


 母はJCOの敷地から約80メートル、事故現場の転換試験塔から約130メートルの地点にあった父の工場で被ばくし、その推定被ばく線量は約40ミリシーベルトであった。


 事故当日(9月30日)の深夜3時ごろ、母は激しい下痢に襲われた。翌日には多数の口内炎が現れた。数日して父の工場は再開されたが、元来仕事好きで、工場の主戦力であった母は寝たり起きたりの状態になり、仕事に行こうとしなくなっていた。今から思えばPTSD患者に典型的な事故現場からの回避症状なのだが、当時はそのような知識も十分持っていなかった。外から見ていると、母はひどい倦怠感に襲われているようで、体を動かすのがいかにもおっくうそうだった。たいていは、パジャマ姿のまま居間で横になっている。


中略


十月の末頃から、母は胃の痛みを訴えるようになった。医者に行ってみると、胃潰瘍が3箇所で活性化し、体重も6キロ落ちていた。原子力事故を身近に経験したストレスが母を蝕んでいたのである。だが、原因がわかれば治療すればいいだけである。約2週間入院し、退院時に撮った胃カメラでは、潰瘍はほぼ消失していた。ところが、退院後も、母の様子は入院前と変わらなかった。一日中、パジャマ姿のまま、寝たり起きたりの生活である。そののろのろとした動きが、うつ病になってしまった昔の友人によく似ていたため、精神科への受診を勧めると「うつ状態」と診断され、入眠剤抗うつ剤を処方された。


この状態で約2年半が経過したが、この間一度自殺企投を起こすなど、症状は一向に改善されなかった。そこで東京の専門医を受診したところ「JCO事故によるPTSD」と診断され、通院している病院や主治医もこの診断に沿った治療を行ったため、母は急速に回復した。


福島第一原発事故の精神的被害の補償について - 核と萌えの日々〜ライター大泉実成のたわごと


この事例では、事故直後からPTSDの典型的な症状があらわれ、そしてPTSDという診断に沿った治療によって「急速に回復」しておりますにゃ。

つまり、

現在進行形の事態に対してPTSDはありえないこと、PTSDは生命が危険に晒される現実の出来事のあとに生じること、という自称大阪の精神科医の見解を真っ向から否定していることになりますにゃー。


ありゃりゃ、こりゃどっちを信じればいいんでしょうかにゃ?


「大阪の精神科医」とやらは信用できない

PTSD(心的外傷後ストレス障害)の定義をご覧になれば歴然としたことにゃんが、放射能に関する強い恐怖心があれば、PTSDを発症してもなーんにもおかしくにゃーと思えますにゃ*2。これだけでももう自称「大阪の精神科医」とやらが信用できにゃーです。


ほかにも、あの「精神科医」の発言はソースもわかんにゃーし、そもそも文科省の文章 ※PDF注意を思いっきり誤読しておりますにゃ。文科省の文章には、津波や地震などの災害とPTSDの関わりは確かに書いてあるし、放射線の心理的ストレスが放射線被曝より有害であることも書いてありますにゃ。でも、放射線でPTSDと直接は書いてにゃーです。

はてブでもツィッターでも、ソース不明で誤読しまくりのこの陰謀論めいた与太記事を鵜呑みにしちゃっているお方が結構いたけど、こまりものにゃんな。

そして、単なる与太というだけでなく、この記事の立場は大きな問題を抱えてもいるのだにゃ。


ま、とにかく、自称「大阪の精神科医」については、ソース不明のうえ、発言内容も信用ならにゃー。ここはどう見ても大泉さんの記事のほうが信用性が高いってのは確実なところでしょうにゃー。実名ライターが自分の母親の病気のこと、裁判のことでウソってのもほとんど考えにくいしにゃ。


避難先、あるいは低線量被曝地域に居住している人たちが様々な自覚症状を訴えていますにゃ。それらのすべての症状が心理的なものだと断言するつもりはカケラもにゃーのだが、そのほとんどは心理的なものに起因するのではにゃーかな?

特に

チェルノブイリ事故において、被曝地域で18歳以下の子供を抱えた女性にのみ、DSM-III-Rという診断基準での精神疾患のリスクが高かったという論文もあってにゃー*3。もちろん、ガキを抱えた♀がこの事故で精神的な失調状態になることを、笑いものにしたり非難したりということは話にならにゃーですね。これは、明らかに原発事故の被害ですにゃ。実に深刻な被害にゃんね。


精神的な被害の深刻さを見誤るな

鼻血や下痢などの症状に際し放射線被曝との関連を示唆しない(あるいは否定する)医師を「御用」だのなんだのと忌避する動きが低線量被曝をしたひとたちの一部に見られるようですにゃ*4


放射線被曝を原因としていない症状を、放射線被曝のせいと決めつけてしまうことは、適切な治療の機会を逸してしまうことであり、これは個々人にとって実に危険なことですにゃ。例えば、大泉さんのお母さんの事例で、被曝を起因とする生物学的な問題だと思い込んでPTSDだと認めなかったら、さらなる自殺企図など生命に危険がおよぶ事態になっていたかもしれませんにゃ。


原発を推進したいヒトタチ、あるいは容認のヒトタチは、こう言うかもしれにゃー

「低線量被曝の被害なんて、しょせん、精神的なものにすぎないでしょ?」


「しょせん」? 「〜にすぎない」?

とんでもにゃーことだ。

「チェルノブイリ事故の精神面への影響は生物学的なリスクに比べ非常に大きかった」とIAEAが公式にいっているし、この見解は他の国連機関や科学者共同体にも共有されているようですにゃ。これは「チェルノブイリ事故の被害はたいしたことない」ということを意味しにゃーのだ。その多くの部分は社会的・心理的なものであったけれど、それは確実にチェルノブイリ事故の広範で深刻なる被害なのですにゃー。


精神的に追い詰められれば、人間は健康を害し、時には死に至るのだにゃ。前回エントリでは、避難リスクは被曝リスクの2500倍、などとざっくり書いたけど、ようするに避難リスクに代表される、心理的・社会的に構成されるリスクというのは、被曝リスクよりも圧倒的にでかいというのがその趣旨でしてにゃ。チェルノブイリ事故の健康被害の実態は、そのほとんどが社会的・心理的なものだったってのはガチだろ。


困ったことに

この国は、精神的な被害を軽視する国だにゃ。民事の損害賠償請求裁判においても、精神的な被害は雀の涙にしかならにゃーことが多いようだにゃ。大泉さんのお母さんの事例でも、精神的な被害は裁判で認められなかったにゃ。まあ、精神的なものを軽視するってのは親方日の丸だけではにゃーだろうけど。にゃるほど、人の心を踏みにじり放題のこの国では自殺も多いわけだにゃ。


しかし

被害の大きな部分を占める、精神的な被害に関する速やかなる調査・手当て・補償は必ずされなければならにゃー。これは本当に深刻なんだにゃ。

個別の精神的失調についての因果関係を証明するのではなく、精神疾患における疫学的な因果関係*5が認められれば(まず間違いなく真っ黒にでる)、原発事故の精神的な被害への補償の道が開かれるはずだにゃ。

そして、これこそが東電と政府の責任をもっとも正面から問うものであると信じますにゃ*6

その技術的あるいは運用論的・リスク論的側面においても僕は原発に否定的だけど、なにより心を持った社会的な生き物であるニンゲンに受容できる技術ではにゃーと考えますにゃ*7


一応いっておくけど、ガンなどの健康被害を軽視するってのはありえにゃーですよ。そもそも、健康被害を軽視したら、社会的・心理的に被災者をさらに追い詰めることになるのは必然もいいところなのだにゃ。精神的被害の重視ってのは、被曝被害の重視と論理的に結びついているのだにゃ。

大事なのは被害の実態なのですにゃー。


被害から目を背けさせるのは何か?

そして、さらなる問題があるのだにゃ。

心理的・社会的な被害を軽視しているのは、原発を推進したいヒトタチだけではにゃーのだ。原発に反対しているヒトタチ・原発をやめたいヒトタチにも広く見られることなのではにゃーだろうか? いや、心理的な被害をもっとも軽視しているのは、実はこのヒトタチなのではにゃーのか?

だってさ

例えば下痢などの症状を放射線被曝を原因と見立てにゃーだけで「信用出来ない」「医者はしょせん政府とグル」などとおっしゃるお歴々がいるんだぜ*8。短時間に40mSv被曝した大泉さんのお母さんの激しい下痢・口内炎・倦怠感・胃の痛みなどの症状ををPTSDだと診断した医師が、こうしたヒトタチに何と言われるか? 多くの症状が心理的・社会的なものだと学者が発言したら、いったい何と言われるか? 心理的な被害が大きいことを前提にして「補償のためには調査を」と発言したら、いったい何と言われるか?

僕には目に見えるようにゃんぜ*9


被曝の影響を過大視し、心理的な被害を軽視することは、被害の実態から目をそらすことであり、被害の総体をかえって隠蔽することにもなるんだにゃ。

放射線医学的な被害に拘泥して、危険を増大させているのは何なんでしょうにゃー?

原発事故の被害実態から目を背けているのは誰なんでしょうにゃー?


奴らの認めざるをえないことを認めさせようぜ

先ほども書いた通り、チェルノブイリで精神的な被害が放射線による被害より圧倒的にでかかったというのは、IAEAをはじめとする国連諸機関や科学者共同体が認めていますにゃ。明らかな精神的被害については医師の診断書もとれますにゃ。


「チェルノブイリでは避難住民の寿命が65歳か ら58歳に低下しました。がんのせいではありません。鬱病アルコール依存症、自殺などのためです。移住は容易ではありません。ストレスが非常に大きくなります。そうした問題を把握するとともに、その治療にも努める必要があります。さもないと住民の皆さんは自分が単なるモルモットだと感じてしまうでしょう。」*10

と発言している山下俊一なら、喜んで事故の精神的被害について勤勉に調べてくれることでしょうにゃ*11


原発が巨大利権のカタマリだってのは事実にゃんが、その運用はタテマエ上は国際機関の公式見解に従わなければならにゃーってのも事実。被害への補償も原発の運用の一環であり、科学的になされなければならにゃーってタテマエを、政府も司法も決して否定することはできにゃー。


科学性(つまり、事実と論理)を放棄してしまったら、権力を相手に被害者救済のためのイデオロギーゲームをしても勝ち目があるわけはにゃー。被害を痛ましく思い、当然の補償を望むのであれば、ここではなによりも科学を武器にするしかにゃーのだ。そして、精神的被害のでかさは科学的に証明されているといってよく、IAEAをはじめとする国際機関も科学者共同体も認めていますにゃ。「奴ら」はそれを認めざるをえにゃー。それが科学的に事実とされれば認めざるをえにゃーのだ。

奴らの認めざるをえにゃーことを、補償においても奴らに認めさせればいいんだにゃー。


最後に


現実にそこに被害があり

そして

僕たちが被害者によりそう意志を持っている限り


科学はかならず被害者の力になる

*1:必要な応答は別稿でかならずやります

*2:PTSDの診断基準が現場ではどうなっているのかわからんので、おかしかったら突っ込んでください>精神科医のかたがた

*3http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/9356574

*4:もちろん、こうした医師への忌避そのものが精神的なストレスを原因とするものかもしれない。話は何重にもこんがらがっている

*5:被曝を受けた地域・避難地域などで普段より明らかに特定の疾患が増えると、そこには絵医学疫学的な因果関係があるといえるだろう。相関関係とのちがいとかいう話はここでは面倒なのでパス

*6:精神的被害をどこまで補償するかの線引きはヒッジョーに難しい問題だが

*7:この話も詳しくは別稿になるかな。宿題たっぷりぷり

*8:ツイッターではけっこう見かけた。実際にどれくらいたくさんいるかは知らんけど

*9:僕は実際にエア御用呼ばわりされておりまつ

*10:ドイツ「シュピーゲル誌」のインタビュー

*11:一応いっておくと、放射線被害の影響が疫学的にあれば、山下はそれを認めざるをえない。科学的調査はそうそう思い通りになるものではない

2011-09-01 計算して比較してみた

避難リスクは被曝リスクの何倍?


の直接のつづき



僕たちのリスク評価というのは、それなりに歪みのあるものですにゃ。例えば、「リスクにあなたは騙される」という書籍において、以下のようなリスク評価のバイアスがあると紹介されていますにゃー。

リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理

リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理


1)大惨事の可能性⇒(時間軸上に分散された少数の死者でなく)一回の事件で多数の死者が出る場合、リスクの認識が高まる

2)馴染み⇒よく知らないあるいは聞いたことがないリスクは、余計に心配する

3)理解⇒活動あるいは技術の働く仕組みがよく理解できないと、危険意識が高まる

4)個人による制御⇒(飛行機の乗客のように)被害の可能性が自分で制御できるレベルを超えていると感じると(車の運転のように)制御できると感じる場合より心配する

5)自発性⇒リスクにかかわらないことにすると、余計に恐ろしく感じられる

6)子供⇒子供が関与すると、より深刻になる

7)未来の世代⇒リスクが未来の世代に脅威を与える場合、余計に心配する

8)犠牲者の身元⇒統計上の抽象概念でなく身元のわかっている犠牲者だと、危険意識が高まる

9)極度の恐怖⇒生じる結果が恐怖心を引き起こす場合、危険意識が高まる

10)信用⇒関係している機関が信用できないと、リスクは高まる

11)メディアの注目⇒メディアで扱われることが多ければ多いほど、余計に心配になる

12)事故の歴史⇒過去に良くない出来事があると危険意識が高まる

13)公平さ⇒一方に利益がもたらされ、他方に危険がもたらされる場合、リスクの順位が上がる

14)利益⇒活動あるいは技術のもたらす利益が明確でないと、明確である場合よりリスクが大きいと判断する

15)復元性⇒何かがうまくいかなかったときに、その結果を元に戻せないと、リスクは高まる

16)個人的なリスク⇒自分を危うくするものであると、リスクは高まる

17)出所⇒人工のリスクは自然起源のリスクよりリスクが大きい

18)タイミング⇒差し迫った脅威ほど大きく感じられ、未来の脅威は割り引かれる傾向がある


P102〜103


この他にも、リスク評価に際してどういうバイアスが見られるかについての記事をリンクしておきますにゃー。


どういう事故や事件がリスク評価を高めるかのリストを見てみると、原発事故による放射能汚染のリスクについては、ほとんどのリスクを高める要因にあてはまり、ほとんど「数えトリプル役満」状態にゃんねえ。


さ、では読者のみにゃさまに質問。

こうした認知の歪みを指摘された状態で、原発事故の放射線リスクと避難リスクのどちらがどれくらい大きいと思いますかにゃ? このあと比べてみるから(実は比べるやり方がある!)、ちょい目をつぶってイメージしてみましょうにゃー。


・・・さ、イメージできましたかにゃ? んじゃ、いってみましょうかにゃ。


放射線被曝でどれくらい寿命が縮むか

放射線リスクも避難リスクも、双方ともに健康リスクである以上、数値的な比較が可能ですにゃ。で、この比較方法は、低線量被曝リスクにおける閾値なし直線仮説というものの意味がちゃんとわかれば、簡単な四則演算でその概算値がでるものなのですにゃ。

ま、シロートのリスク計算なんて、桁が違ってなければ上出来なのよ。言い換えると、数値の意味を理解していれば、武田邦彦センセイよりはまともにリスク計算ができるということですにゃ*1


ここで必要な知識は、ICRP(国際放射線防護委員会)の提出している放射線リスクで

  • 1)積算100mSv被曝につき、0.55%、一生のうちにかかる致死性のガンのリスクが増える
  • 2)そのリスクは、被曝量に比例する

これだけ。

あと、必要なのは、致死性のガンに罹患した場合、一人あたりどれくらいの寿命短縮があるかの見積もりにゃんな。こんなのテケトーにやればいいんだけど、一応ガン統計を見てみると、ガン死亡時平均と平均寿命の差は7〜8年くらいですにゃ。これに、ガン以外の放射線リスク、あるいはガンにもともとかかるけど被曝によってガンになるのが早まるリスクがあること、あるいは子供の放射線感受性が高いことなどを考慮して、ざっとこれを3倍し、ガン一件あたり25年ほど寿命が低くなるとしてみましょうかにゃ。


すると、集団が100mSv被曝したとすると

  • 25(年)×0.0055=0.1375年 (日数にすると50.2日)

の寿命が短縮するということになるわけですにゃ。うーん、シンプル。

リスクと被曝量が比例するから、10mSv被曝では、0.01375年(5.02日)の寿命短縮リスクということになりますにゃー。


100mSvあたり0.55%の致死ガンリスクアップというのは、全年齢を平均したものだから、乳幼児だったらこのリスクを5〜10倍、年寄りならこの数分の1とみればいいんでにゃーかな?


あ、そこのチミ、眉にツバつけてるな? でも、考え方は間違ってにゃーぞ。

では一応、専門家の作った10mSv被曝あたりの寿命短縮表がのっている書類をリンクしておきますにゃ。


で、上記書類に年齢別のリスク評価があるけど、全年齢では10mSv被曝につき4〜5日の寿命短縮リスクがあるということのようですにゃ*2。乳幼児のリスクはこの4〜5倍。


というわけで、ここで政府の設定した暫定基準値である年間20mSvの被曝の健康リスクを見てみると

  • 20mSv被曝につき、平均して約10日寿命が縮む。乳幼児は50日寿命が縮む。

避難ではどれくらい寿命が縮むか

では、避難リスクはどれくらい寿命を縮めるものなのでしょうかにゃ?


シュ:事故による精神的な影響についても調査しているのか。


山下:もちろんです。チェルノブイリの経験から、心理的な影響が非常に大きいことがわかっています。チェルノブイリでは避難住民の寿命が65歳か ら58歳に低下しました。がんのせいではありません。鬱病アルコール依存症、自殺などのためです。移住は容易ではありません。ストレスが非常に大きくな ります。そうした問題を把握するとともに、その治療にも努める必要があります。さもないと住民の皆さんは自分が単なるモルモットだと感じてしまうでしょ う。


山下俊一インタビュー ドイツ「シュピーゲル誌」

http://ex-skf-jp.blogspot.com/2011/08/blog-post_9917.html


というわけで、山下によるとチェルノブイリ避難者は7年ほど寿命が低下したみたいにゃんね・・・・・って、みにゃさま、どしたの?

・・・ああ、山下なんて信じられないって? うむ、にゃるほど。嫌われてるもんにゃー。



んじゃ、これ見てくださいにゃ。

以前にもリンクしたやつにゃんね。信頼性がとっても高い書類ですにゃ。

この10Pに「職業層別平均余命のグラフがありますにゃ、これね。

f:id:tikani_nemuru_M:20110831233535p:image:w360

平時のエゲレスで職業層によって平均寿命が6〜7年違うのがわかりますにゃ。絶対的貧困が健康や寿命に影響をあたえるのは当然として、最近の「社会疫学」なる学問分野は、相対的貧困などの社会的排除が健康に大きな影響を与えるということを実証しつつありますにゃ。

平時において職業層別で寿命が6〜7年違うのだから、チェルノブイリのように突然何の準備もなく避難を強制され、そのまま故郷に帰ることもできず、さらに絶望的な被曝リスクを吹きこまれた人々の寿命が7年縮まるなんてことはおかしくもなんともにゃーですね。


山下が信用できないという感覚をどうこうできるものではにゃーし、リスクについての桁を過少に発言したこともあるようですにゃ*3。しかし、チェルノブイリ避難民の平均寿命7年低下というのは、社会疫学的に確立された知見を考慮すると、十分に信頼してよい数字と思われますにゃ。海外の専門家の目にもさらされる外国雑誌のインタビューだしにゃ。


というわけで、ここでは【チェルノブイリ強制移住の避難民は7年(約2500日)の寿命が縮んだ】という数字を仮に採用しておきますにゃ。他に説得力のある数字があったら、いつでも差し替えるから教えてね♪


寿命短縮に換算した暫定的なリスク比

年間20mSvの被曝という前提で

  • 平均的な被曝による寿命短縮10日に対して避難民の寿命短縮2500日
  • 乳幼児の被曝による寿命短縮50日に対して避難民の寿命短縮2500日

もちろん、これらは暫定的な概算だにゃ。僕、ドシロウトだし。

チェルノブイリを参考に寿命に換算したリスクは、乳幼児限定で50倍、一般的には250倍くらい避難リスクのほうがでかいってところにゃんな。年寄りだったら1000倍くらいだろか?

これは単年度で計算してあるから、2年目からの被曝量がゼロとはいわにゃーが、何年間も20mSv/年の暫定基準値を続けることを容認する専門家は僕の知る限りいにゃーし、そんなのはトンデモにゃーことだ。除染することが前提。


さて、みにゃさまのイメージしていたリスク比はどうでしたかにゃ?

リスク評価における認知の歪みを実感していただけたのではにゃーでしょうか?


もちろん、ロシアと日本ではいろいろと条件がちがうから、これがそのまま日本にあてはまるというつもりはまったくにゃー。しかし、社会的な排除がなされる場合、数年単位で寿命が縮むことがありえるのはまあ固いところのようですにゃ。

今の日本における社会的排除が、当時のロシアよりマシだと言い切る自信は僕にはにゃーんだな。つまり、もしかしたら日本の避難リスクはチェルノブイリよりもヒデエかもしれにゃーんだ。


しかし、話はまだおわらにゃーんだね。今したのはリスク総量の比較だにゃ。

リスクというのは分配されるものなのですにゃ。


避難リスクはどのように分配されるか?

答えを端的に言えば

  • 避難リスクは、まず弱者に分配される

となりますにゃ。


避難先で知的障害者が何人か亡くなっているという記事がありましたにゃ。キャッシュしか残ってにゃーようなので、記事の最後に置いておきますにゃ。



身体や精神に病気や障害を抱えているヒトタチにとって、避難リスクは健康に著しい影響をあたえ、しばしば致命的といえますにゃ。知的障害者と家族にとって、避難がどういうものであるかについては

これを読むことですにゃ。凄まじい文章だよ。必読。



福島・双葉病院で患者と医療スタッフが引き離され、結果的に患者が20人以上亡くなった*4のもこの典型例といえますにゃ。

原発がどうなるかまったくわからなかったあの状況で、避難を強制したこと自体は仕方のにゃーことだろう。それを責めようというのではにゃー。

しかし

心身の健康に不安を抱える者にとって、避難とその長期化がいかなるリスクをもたらすのかは認識しなければならにゃーだろう。


次にどういうヒトタチにリスクが配分されるか?

貧乏人だろね。


例えば、ホテルで生活する避難民と学校の体育館で生活する避難民の、どちらが多くのストレスと健康リスクを抱えるかはいうまでもにゃーだろ? カネやコネがある人が、体育館で避難生活をおくると思うかにゃ?


福島からの避難者が、職場復帰を先延ばしにしたまま解雇される事例もでてきていますにゃ*5。子供を連れて不案内な土地に避難し、そうそう簡単に再就職できるものなのでしょうかにゃ? 先ほどリンクした「健康の社会的決定要因」にも、就業と健康状態のはっきりとした関連が指摘されているのですけどにゃー。


そして、社会的なネットワークを持っているかどうかも、健康に大きな影響を与えることもわかっていますにゃ。


逆に言えば、避難・移住リスクを心配しにゃーでいいのは、以下のようなヒトでしょうかにゃ。

  • 1)家族みんなが心身ともに健康であり、適応力がある
  • 2)十分なたくわえがある
  • 3)土地に依存しないスキルがあり、どこででもしっかり稼げる
  • 4)土地に依存しない人的ネットワークを持っていて、孤立はありえない

こういうヒトと家族だったら、被曝リスクだけを心配してもいいのではにゃーでしょうか。福島を中心とした放射能汚染が深刻であるのは事実だし、無視出来るようなリスクではにゃーですからね。

しかし

心身の健康に不安があるとか、カネがないとか、コネがないとか、そういう事情を抱えたヒトタチには、優先的に確実にリスクが大きく配分されるということになるでしょうにゃ。


生活の質、という観点

最後に、生活の質、いわゆるQ.O.L.(クオリティ・オブ・ライフ)という観点を導入してみますにゃ。

一般的に病気はQ.O.L.低下の大きな要因となりますにゃ。ただ、順番としては病気が原因となってQ.O.L.が低下するわけで、病気にならにゃーヒトのQ.O.L.は低下しにゃーですね。アタリマエ。

しかし

避難・移住が健康リスクを引き起こす場合は、Q.O.L.がまず低下して、それが病気に結びついてくるわけにゃんね。つまり、病気になっていなくても Q.O.L.は一般的に低下するわけだにゃ。


ということは、避難・移住などにともなう社会的排除から起きる健康被害による寿命短縮と、放射線被曝などの純粋に生理的要因における健康被害による寿命短縮が同レベルで起きたと仮定すると、社会的排除による Q.O.L.の低下は桁違いにでかい、という論理的な帰結となりますにゃ。


そして、 Q.O.L.の充実を誰よりも必要としているのは、子供なんだよ。

Q.O.L.が充実してるってのは、要するに幸せってことにゃんから。


娘溺愛歴7年のバカ親としては、ガキのためにどんなことでもしてやろうという気持ちはよくわかるんだけどにゃ、無理して Q.O.L.下げてはガキのためにならにゃーってのもキモに銘じておかにゃーと。そのためには、自分の健康もカネも仕事も人的ネットワークも必要だにゃ。


まとめ

  • 健康リスクを寿命に換算すると、避難リスクは20mSv被曝リスクの250倍。乳幼児に限っても50倍
  • 「生活の質 Q.O.L.」の低下リスク倍率は、さらに桁が違う
  • 健康リスク・ Q.O.L.低下リスクは、健康弱者・経済弱者・社会的弱者に確実に優先的な配分がなされ、ただちに生命の危機を招くこともある

最後に

ガキのためを思うなら、リスクを比較しましょう。この駄文が参考になれば何よりです。

で、東電と政府にはガッチリ除染と補償をさせましょう。


資料 毎日新聞の記事


東日本大震災:知的障害者、相次ぐ急死 避難先で発作など 苦痛、伝えにくく

 ◇震災後に環境一変

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で避難した高齢者らが慣れない避難先で死亡する「災害関連死」が問題化する中、原発周辺の入所施設から避難した知的障害者の死亡が相次いでいる。毎日新聞の調べでは少なくとも11〜67歳の男女4人が死亡し、中には津波で夫が行方不明となった妻が知的障害者の長男を災害関連死で失うケースもあった。専門家は「知的障害者は苦痛を伝えにくい上、多くは持病などを抱え、長時間の移動や環境の変化が致命的影響を与える場合もある」と警鐘を鳴らす。【野倉恵】

 原発から約5キロの福島県富岡町の知的障害児施設「東洋学園」に入所していた小野卓司さん(当時23歳)は震災翌日の3月12日、入所者ら計約200人と同県川内村の系列施設へ避難し、避難指示範囲の拡大に伴い夜に村内の小学校へ移動。周辺住民と一緒の慣れない環境からか落ち着かない入所者が相次ぎ、13日に同県田村市の通所施設(定員40人)に移った。28日夜、持病のてんかんの発作が起き、服薬で収まったが、間もなくあおむけのまま動かなくなり、29日正午過ぎ、救急搬送先で死亡。逆流した食物でのどを詰まらせたとみられる。

 「本当に(頭の中が)真っ白になりました。3週間で2人が……」。同県新地町に住む母みね子さん(55)は嘆く。漁師の夫常吉さん(56)も震災当日に海へ漁船を見に行ったまま戻ってこない。

 卓司さんは幼いころ呼びかけても振り向かなかった。障害が判明した時、夫婦は「一緒に育てよう」と励まし合ったが、卓司さんは外に飛び出しては家に戻れなくなった。小学校に上がる時、東洋学園に入所。障害は重く、成人後も着替えや入浴に介助が必要だったが、みね子さんは学園行事に必ず出かけ、盆や正月の帰省時は常吉さんが車で連れ出した。車中や母の手料理の並ぶ食卓で卓司さんはいつも笑顔だった。

 「ずっと続くと思っていた」日々は震災で一変した。「でも、私は2人に守られた気がするんです」とみね子さん。多くの家が津波で流された中、自宅は無事だった。今、卓司さんと一緒に施設にいたやはり障害者の次男(22)が気がかりだ。「いつもお兄ちゃんが近くにいた。今あの子はぽつんとしているのじゃないかと」

 東洋学園では他に千葉県鴨川市の青年の家に集団で再避難した20日後の4月27日、小学6年の久保田菜々さん(当時11歳)が授業中に施設前の海でおぼれて死亡している。


     ■

 福島県相馬市の障害者支援施設「ふきのとう苑」では大内恵美子さん(当時54歳)=写真・姉の美恵子さん提供=が急性循環不全で急死した。原発事故で協力病院の医師らが避難したため3月23日、他の入所者と群馬県渋川市の施設へ6時間かけ車で移動。30日午前7時過ぎ、受け入れ先の職員がたん吸引した際は異常なかったが、同8時ごろ朝食を運ぶと動かなくなっていた。

 「何で、と最初は思いました」と、福島県飯舘村の姉美恵子さん(62)。恵美子さんは長年同村の実家で暮らし、美恵子さんの3人の娘も「えみちゃん」と慕った。歌や踊りが好きで、村の盆踊りで3年連続で仮装の賞をとったこともある。

 40代になるとてんかんの発作が頻繁になった。両親が相次ぎ亡くなり、風呂場やトイレでも倒れ目が離せなくなり施設に入所。骨折で車椅子に乗り声 も十分出なくなったが、美恵子さんが週1度訪ねる度に笑いかけてきた。「恵美子は今は両親のところへ行ってゆっくりしているのだと思いたい」と美恵子さん は言う。

 他にも富岡町の知的障害者施設「光洋愛成園」の67歳男性が3月12日に福島県三春町の避難所に移動、4月15日に群馬県高崎市の国立障害者施設に入り、5月5日に高熱のため病院に入院して6日未明、肺炎のため亡くなった。厚生労働省は障害者施設利用者の災害関連死を「把握していない」としている。


毎日新聞 2011年6月17日 東京朝刊

*1:武田センセイよりまともなんて何の自慢にもならにゃーけどな

*2:実は、この書類は昨夜見つけたんだけど、もともとの概算していた数字が上の通りでほとんど一致してたので、自分でもびっくりして同居人に自慢しちゃったよ

*3:「100μSv/hを超さなければ健康に影響を及ぼさない」とかいう桁間違いの発言をやらかしているようだ。ただ、100μSv/hだと年間で876mSvの被曝となる。年間100mSvまでは大丈夫という何度も繰り返した他の発言との整合性がとれず、これは意図的なものではないと判断できる。まあ、専門家が桁を間違えるのはもってのほかだけどな。山下の住民への説明はパターナリズム全開で、ときには国家の指針に従うことを強要したりと、リスクコミュニケーションとしてはgdgdだが、基本的におかしな数字はあげていないと見ている

*4:この事件については、http://www.kotono8.com/2011/03/18futaba.html を参照のこと

*5http://www.nikkansports.com/iphone/general/news/p-gn-tp0-20110814-820101_iphone.html

2011-08-13 醜悪なタワゴトをつぶしつつ

差別落書への対応について


承前


id:y_arimが渋谷駅での「視覚的ヘイトスピーチ」を塗りつぶした行為に対して、id:Thscが程度のひくいいちゃもんをつけましたにゃー。これがいかに程度が低くかつ矮小なものであるかを確認しつつ、差別落書への対処を考えてみますにゃー。


まるで的ハズレであることの確認


件の張り紙を「晒す」ことで得をしたのは誰で、損をしたのは誰か。

得をしたのは、まず、自分(たち?)の目論んだ方法よりはるかに広くメッセージを拡散してもらえた差別セクト。そして、「差別を許さない!」と自らの善性をアピールする機会を得た反差別セクトである。

一方損をしたのは、本来なら読まずに済んだ敵対的なメッセージを、ご丁寧に意訳付きで突き刺された中国・朝鮮(・韓国)人である。


http://d.hatena.ne.jp/Thsc/20110811


これがそもそもまったく駄目。

差別セクトと反差別セクトの結託を指摘し、本当の被害者である中国・朝鮮(・韓国)人の味方であると高らかに宣言したはずなのに、ブクマコメで当の在日や中国系の方にきついダメ出しをくらっておりますにゃー。

id:cyunchol

在日韓国人として言われせてもらえれば、「決然と無視」されて放置された方が、はるかに損。社会が差別を差別としてきちんと排除する姿勢を示すことは有益。解決する気もないくせに馬鹿言ってんじゃねぇって感じ。


id:sillyfish 差別, これはひどい

もともとこの「メッセージ」をいかなる意味でも向けられていないあなたなら、いくらでも「決然と無視」できるだろうよ。端からあなたには「無効」だからね。戯言けるな


http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Thsc/20110811/p1


他にも当事者ほかからブクマコメでいろいろ適切にも批判されているわけにゃんが、批判に対して「悪意で歪曲」だの「はてサにとって反差別がファッション」だのと、わめきちらすってのはどうしようもにゃー。

  • 「これは差別セクトと反差別セクトの結託。損をしたのは中国・朝鮮(・韓国)人」

         ↓

  • 当の中国・朝鮮(・韓国)人からキツイ駄目だし

         ↓

  • 「はてサが悪意で歪曲した。はてサは反差別がファッション」

という、醜悪を絵に描いたがごとき流れるような豚言動を御開陳なさってますにゃー。

うっわー。

これだけで、id:Thscがなんのために、誰を利用して、この駄文を書いたのかはダダ漏れ。言っていることにハナも引っ掛ける必要がにゃーのは明らかにゃんね。ほとんどネット産業廃棄物なみの文章にゃんが、反面教師としてリサイクルを試みますにゃー。



差別落書はただの落書きではない


差別落書という言葉がある。

これに対し「差別犯罪たるべきものを落書きなどと軽い言葉で呼ぶのはけしからん」という議論もしばしば聞かれる。

が、的外れである。

差別落書は「落書き」でなければならない。

なぜか。

差別「落書き」を行った犯人は、内容が伝わることを期待しているからだ。

それを「落書き」と扱うことで、取り合うべき内容もないと烙印を押し、メッセージを無効化できる。これが犯人にとってはいちばん嫌なのだ。だから、差別「落書き」はただ何の意味もない「落書き」として管理者の手で撤去・消去されるべきなのだ。


http://d.hatena.ne.jp/Thsc/20110811


はい、駄目。

差別落書への対応は、単なる落書きへの対応と同じにしてはならにゃーんだ。

  • www.pref.tottori.lg.jp/secure/224574/02差別落書対応要領.pdf ※PDF注意

他にも地方自治体の差別落書対応マニュアルはネットで見られるけど、だいたい同じようなものですにゃ。

即ち

  • 事実確認⇒記録⇒現場処理・関係諸機関への報告⇒分析・対応

などは差別落書の対応としては必須にゃんね。


「差別「落書き」はただ何の意味もない「落書き」として管理者の手で撤去・消去され」てしまうと、記録も関係諸機関への報告も分析・対応もなされにゃーだろ? これらのことをちゃんとしなければ、差別落書なんてやり放題ではにゃーか。


記録の重要性

特に、差別落書を記録し、しかるべき機関にそれらの記録を集積しておくことは重要であると考えますにゃ。

なぜか?

  • 差別主義者は、都合の悪いことを【なかったこと】にするのが大好きだから

だいたい、歴史修正主義ってのも、都合の悪いことを【なかったこと】にする下衆な欲求のままに事実をねじ曲げた結果にゃんからねえ。事実の記録と集積なしには、声のでかいだけの恥知らずどもが大手をふるだけに終始するでしょうにゃ。

つまり、差別落書が「ただ何の意味もない「落書き」として管理者の手で撤去・消去され」るべきというのは、差別主義者をアシストすることにしかならにゃーわけ。恥知らずのウソツキの味方にゃんな。


そして、集積された記録(ある意味ではデータ)は分析や対応の役に立つわけにゃんね。特に、教育というのは差別落書への対応の核となるものでしょうにゃー。


反差別教育の有効性

反差別教育(=人権教育)については、その有効性を疑問視するどころか、かえって有害なんじゃねえのという意見があるようですにゃ。

しかし、


人権教育について市民意識調査を実施すると、自由記述欄によくこのような内容のことが書かれてきます。


「小中の同和教育で、初めて被差別部落について知った。同和教育があったから、被差別部落の存在も知ったし、差別される存在であるということも知っ た。それによって、自分との違いを意識するようになってしまった。いわば、同和教育によって、私の中に、ある種の差別感が芽生えていってしまった。同和教 育なんかないほうがいい」


 授業で人権教育について言及したときも、かなりの学生がミニッツペーパーにこういう趣旨の感想を書いてきますね。


 しかし、この意見はナンセンスです。なぜならば、「学校の同和教育によって被差別部落について初めて知った人」は、「近隣や親、友人、知人、先輩 などからインフォーマルな形で部落についての情報を初めて聞いた人」に比べて、被差別部落への差別的態度が明らかに弱い、ということが各種の調査からわ かっているからです。


 たとえて言えば、同和教育は生ワクチンのようなもの。受けることによって、自覚しない程度の軽い偏見に感染してしまう。けれども、そのおかげでひ どい差別意識を発症せずにすむわけです。だから、人権教育を《やるべきかどうか》という次元では、答えは明らかで、やるべきなのです。


人権教育の問題点 - Whoso is not expressly included


金明秀が「「学校の同和教育によって被差別部落について初めて知った人」は、「近隣や親、友人、知人、先輩 などからインフォーマルな形で部落についての情報を初めて聞いた人」に比べて、被差別部落への差別的態度が明らかに弱い、ということが各種の調査からわかっている」と断言しているんだから、これはちゃんと根拠のある話のはずですにゃ。


そして、これらの「 被差別部落への差別的態度が明らかに弱い」という状況へ導く人権教育の中身というのは、被差別部落の歴史と差別の実態がどのようなものであったか、そしてそれらは決して許されないものであるという明確なメッセージにゃんね。

  • それらは許されないというメッセージとともに、差別の実態を伝える反差別教育(=人権教育)は有効である

差別的メッセージを否定的に【上書き】が可能

実際に、部落解放同盟の主催する展示などで、記録済みのひどい差別落書が写真やテキストとともに公開展示されておりますにゃ。id:Thscの理屈では、これでは被差別部落民が損をすることになるはずにゃんねえ。



差別「落書き」を行った犯人は、内容が伝わることを期待しているからだ。


このカス理屈がThscの主張の主要要素にゃんが、彼の理屈が正しいのなら、部落解放同盟が部落差別主義者と結託していることになりますにゃー。

アホくさ。


部落解放同盟が差別落書などの記録を公開展示しているのは、先ほど述べた反差別教育、つまり「 それらは許されないというメッセージとともに、差別の実態を伝える反差別教育」の実践の一形態なのですにゃ。

しかるべき文脈に置けば、卑劣な差別落書もその持つ意味を転換することになるわけにゃんね。


「 差別「落書き」を行った犯人は、内容が伝わることを期待しているからだ。」などと抜かすThscのような馬鹿も現実にいるけど、善意に解釈しても差別的な言動についてまともに考えたことがまったくにゃーんだろ。差別落書にしろ、ネットへの差別的な書き込みにしろ、

  • 差別的言動を行う者が期待しているのは【自分たちのしている差別は正しい】という内容が伝わること

なのですにゃー。

少なくとも、差別的言動をしても誰にも反論されにゃーという状況。何の騒ぎにもならにゃーという状況は、差別言動をする者にとっては「自分たちの言っていることは正しい。この社会に受け容れられている」ということの確認にゃんね。

「これこれこういう差別的言動がありましたが、本当に差別発言をする奴は卑劣でどうしようもないですね」

という差別発言を否定的に上書きするメッセージの拡散こそ、ああいう馬鹿どもの嫌がることなのだにゃ。差別発言といえども、どういう文脈に乗せるかによってそれは反差別のメッセージになりえるという、ごくごくアタリマエもいいところの話ですにゃ。

文脈による意味の転換という基本的なことがわからにゃー輩は、字が読めにゃーのとほぼ同じだと思いますにゃ。で、こういう文盲が攻撃的ってのは救いがにゃーよな。


差別落書はなぜ速やかに隠されるべきなのか?

差別落書への対処マニュアルにおいて、差別落書をすみやかに人目にふれにゃーようにするのは重要ですにゃ。なぜなら、落書というのは「こういう落書をするのは卑劣であり許されない」というメッセージとともにそのままにしておくのが極めて困難だからですにゃー。

差別落書をそのまま放置することは、「こういう落書をすることは許される」というメッセージにしかならにゃーですね。差別落書の周囲に「こういうことをしてはいけない」などとさらに落書するわけにはいかにゃーからね。


言ってみれば、ここに【落書というメディアの特異性】があるといえるのではにゃーでしょうか?

落書にはこういう特異性があるので、差別落書は速やかに人目から隠されなければならにゃーわけだ。


しかし、差別落書を含む差別的言動を言論で取り上げることはこの限りではにゃーよね。なぜなら、言論においては「差別を否定的に上書きする」ことが可能だからですにゃ。

もちろん、差別を否定的に上書きするってのはなかなかにムツカシイことではあるので、それなりに気をつけてやる必要はありますにゃ。

今回のありむーの行動にゃんが、はてブでの反応も含めて「差別を否定的に上書きする」ことに、少なくとも失敗はしてにゃーと僕は判断していますにゃー。むしろ、ありむーのキャラもあいまって、この事例についてはそこそこ成功してるんでにゃーの? まあ、ネットでこういう行動をすることには危うさもあるし、異論もあるかもしれにゃーが、僕は支持する。


差別落書への対処

差別落書については、被差別部落関連で多くの事例があり、部落差別落書については西日本を中心にそれなりの対応が公的になされるようになっておりますにゃ


しかし、東日本で、しかも外国人差別の落書という事態に対し、「確認・記録・報告・分析・対応」というマニュアルはまだまだ徹底されてにゃーように思えますにゃー。JRにしても、差別落書にそういう対応をしてくれるとは思えにゃー。

まあ、各都道府県の人権センターでは外国人差別落書へも対応してくれるようではありますにゃ。ありむーもまずそのあたりの機関に申し入れるのが本筋ではあったのかもしれませんにゃ。

僕も差別落書をみたらその手の機関にまず通報するつもり。で、どういう動きをしてくれるかを確認するってところかにゃー?


とはいえ、差別落書を含む差別的言動を、ネットで否定的に上書きして拡散する、という手法を僕は否定できにゃーんだな。落書については特異性があるとはいえ、言論の俎上にのせた上で否定的に上書きってのはアリだと考えますにゃ。

なるべく言論でやるべきだと思っているし、言論の自由を支持する身としては、こうでにゃーと整合性がとれませんにゃー。

ま、いまの状況を考えると言論でやっていられる余裕があるか、という話もなくはにゃーのだが。


おまけ ヘイトスピーチとは暴力のこと

Thscのタワゴトについて、主なところは潰しましたにゃ。その上、細かいところまで突っ込んでいたらいくらでも突っ込む箇所があってやってられにゃー。とはいえ、どうしても見逃せにゃーところをひとつだけ突っ込んでおきましょうかにゃ。


さて、ここまで執拗に「ヘイトスピーチ」と鍵カッコに括ってきたのは「ヘイトスピーチ」なる語を認めないからである。

「ヘイトスピーチ」なる語は、相手を絶対悪とする完全な決め付けを行うためだけに用意された語だ。自分の思いのままに相手を一方的に糾弾するやり方を正当化するための術語であり、非常に悪質なレッテルである。

裁けば差別は消えてなくなるのか?なくなるわけがない。第二第三の差別が無限に引きも切らず現れる。差別との戦いは殲滅戦ではない。撃破して も弥縫策でしかない。対立する者の主張をまずもって把握し、しかるのち軋轢を解体し、差別の根源から解消していかねばならない。相手を差別主義者と断ずる にせよ、差別主義者として生まれついたわけではない者の、差別主義以前の心情の表明をも読まねば解決はない。

「ヘイトスピーチ」なる語は、そんな理想を捨てたことを意味する。対立者の訴えの全てを一顧だにする価値無きものと切り捨て、自らの立場を絶 対とし、問答無用で圧し潰す横暴極まりない処断主義に堕したことを意味する。極めて浅く一面的だ。正義を掲げて敵を排撃するという心地良い一面に傾倒する 者はナチスでありポルポトである。


http://d.hatena.ne.jp/Thsc/20110811

あのな>馬鹿

「一顧だにする価値無き」ものってのはあるんだよ>馬鹿

大人が大勢で小学生のところにでかけて「ゴキブリは出ていけ」とわめきちらすことのどこに「一顧だにする価値」があるんだ?

この手の連中の心情をいちいち考慮しなきゃならにゃーのか?

大切なのは被害者の心情なのではにゃーのか?

必要なことは、まず連中を黙らせることだ。

子供のところに押しかけてゴキブリ呼ばわりするような連中を、「問答無用で圧し潰し」黙らせることが、最低限必要なんだにゃ。

まず暴力をやめさせる。

暴力をやめたら、その心情でもなんでも考慮してやる、というのが順序というものだにゃ。


以上。

Thscは差別についてまともに考えたことはまったくにゃーと断じる。

何も考えてにゃーカスがタワゴトをいったので、少しでもものを考えたヒトタチが批判したら、「はてサがー」「反差別セクトがー」と、これまた的ハズレでな泣き言をたれ流しているだけ。具体的・論理的な反論がまったくできにゃーので、属人的・党派的に誤魔化すだけ、醜悪で矮小なカス。

ここで挙げた以下の論点にまともな反論はできにゃーことも予言しておく。たぶん「反差別セクトがー」「はてサがー」くらいしかいえにゃーだろ。

  • 在日や中国人から駄目だしくらってもそこはシカトではてサのせい
  • 差別的言動を否定的に上書きできることを考慮していない
  • 一顧だに値しない言動はある