宗教家。教育者、同志社大学創設者。 英語名:Joseph Hardy Neesima 1843年2月12日(天保14年1月14日)生まれ。 1890年(明治23年)1月23日死去。
群馬県出身の新島襄は、群馬県の「上毛かるた」において29枚目の札「へ」で次のように詠まれている。
「平和の使い 新島襄」
新島襄の手紙 (岩波文庫)
小説・新島八重 新島襄とその妻 (新潮文庫)
*1:翌年到着
2025年は福島県の会津エリアに行くぞー!ということで。会津と所縁のある大河ドラマ『八重の桜』見まして。これまで8回に分けて1~40話について綴りました。 yu1-simplist.hatenablog.com ~40話では襄と結婚した八重は、同志社英学校、また女学校の運営のために日々大忙しです。近代化が急速に進んでいく日本、そして京都でさまざまなトラブルに巻き込まれながらも学校運営はどうなってしまうのか。今回は40話~についてネタバレ交えて綴っていきたいと思います。 第41話 覚馬の娘 第42話 襄と行く会津 第43話 鹿鳴館の華 第44話 襄の遺言 第45話 不義の噂 よもやま話 第41話…
2025年は福島県の会津エリアに行くぞー!ということで。会津と所縁のある大河ドラマ『八重の桜』見まして。これまで7回に分けて1~35話について綴りました。 yu1-simplist.hatenablog.com ~35話では京都にやってきた八重を含む山本家。これからは知識が武器になるということで八重さんは、覚馬から勉強すること、そのために女紅場(当時の女学校)で舎監として住み込みで働くことを指示されます。そんなある日、アメリカから帰国した新島襄と出会い、ついに彼からのプロポーズされOKすることに。今回は36話~についてネタバレ交えて綴っていきたいと思います。 第36話 同志の誓い 第37話 過…
2025年は福島県の会津エリアに行くぞー!ということで。会津と所縁のある大河ドラマ『八重の桜』見まして。これまで6回に分けて1~30話について綴りました。 yu1-simplist.hatenablog.com ~30話では八重たち会津の人々がどのように時代に巻き込まれて、会津戦争に至ったのか。そしてその後、どうなってしまったのかが描かれており、ここまでで第1章といったところ。31話からは新章に入る気配です。今回は31話~についてネタバレ交えて綴っていきたいと思います。 第31話 離縁のわけ 第32話 兄の見取り図 第33話 尚之助との再会 第34話 帰ってきた男 第35回 襄のプロポーズ よ…
December 23, 2024 6日目:函館:元町公園→北海道第一歩の地碑 11:55am:元町公園 中華会館からすぐのところに元町公園がある。函館の歴史が凝縮された公園。港を見下ろしたり、歴史をかみしめたり、思い思いの休み方ができる。 とのことだが、雪なので、休むことはできなかったが、すでに上の方にコナンの映画で出てきた建物が見えたので向かった。 ハイカラさんの像があった。 隣にはペリー提督来航記念碑が。思えば、明治維新はこのペリー来航から始まったのかと思うと、新撰組が函館で最期を迎えるのは不思議なものだ。 ペリーが来て、世界に目を向けた若者が日本を変えたのだ。 階段が雪だらけで歩くのが…
明治3(1870)年5月に熊本藩政の大規模な刷新が始まり、その一環として創設されたのが熊本洋学校です。 徳富蘇峰はその翌年に9歳で入学しますが、年少を理由に退学させられ、明治8(1875)年に再入学します。 その後明治9(1876)年にキリスト教のトラブルから熊本洋学校は廃校になります。 結局蘇峰は東京に出向くのでですが、キリスト教的雰囲気に慣れていた蘇峰は、心酔できる人格への飢え(?)から京都に向かいます。 早川喜代治『徳富蘇峰』によれば、蘇峰が京都に着いたのは明治9(1876)年10月20日の夕方。 148年前の今日です。 京都に着いた夜には同志社の教師ティヴィスの祈祷会に出席します。 そ…
永観堂の北側、哲学の道の南端を若王子山に向かって歩いていくと、住宅街の細い道を抜けて、同志社墓地への入り口にたどり着く。 ここからは山道になるので、学校法人同志社が用意してくれた竹杖が役に立つ。 途中にある京都市営若王子墓地の先、若王子山山頂に同志社墓地がある。 この間、20分くらいだろうか。 同志社の創設時代に関係する人物が眠っていると思われるが、墓地の一角には「同志社共同墓地」も設けられている。 新島八重のお墓 八重の兄で、禁門の変で活躍した会津藩士山本覚馬(後に京都府顧問)のお墓 徳富蘇峰のお墓
もう少し暖かくなったら京都に旅行に行こうと思っています。メインの目的はタイル巡り(タイルが素敵なお店を巡る)なのですが、せっかくなので久しぶりに趣味の学食巡りもしたいな〜、と。以前京都大学には行ったことがあって、学食もオシャレでおいしくお土産にオリジナルのビールも買って帰ったのですが、次に行くなら「同志社」と決めています。なぜなら私は大河ドラマ「八重の桜」が大好きだったから♡八重の二人目の夫がキリシタンの新島襄で、新島襄が私学の大学として作ったのが「同志社」の元となる学校。ドラマの中でも大学づくりのために奔走する姿が描かれていました。 (大河ドラマの中でも一、二を争うくらい好きなドラマでした♡…
正直、新島襄さんのことは大河ドラマ「八重の桜」のやんわりとした知識しかなく・・・ 函館観光の予定を立てているとき、 Googleマップの中に新島襄の名前を見つけた。 なぜこんなところに? どうやら、新島襄は幕末に海外へ密航していて その海外へ向かった地が箱館らしい。 箱館には、 ・新島襄ブロンズ像 ・新島襄海外渡航の地碑 があった。 ブロンズ像は、海外渡航150年を記念して作られたもので、 そのときの新島襄をイメージしているらしい。 新島襄ブロンズ像 地碑は、少し奥まったところにあった。 新島襄海外渡航の地碑 地碑には 吉田松陰が下田で海外渡航を試みて捕まったのを考慮して 箱館からから渡航する…
ガロのヒット曲「学生街の喫茶店」 今出川⇔新町間に喫茶店を探す 40年もたつと記憶と一致しない構内 新島襄が以前よりも活躍していた ガロのヒット曲「学生街の喫茶店」 私が10代だったころ、ガロという3人組のフォークグループが人気を博していて、その代表的なヒット曲に「学生街の喫茶店」というのがあった。ウィキペディアで調べてみると、発売されたのは1972年とあるから、私の大学在学中には、旬のヒット曲というより、すでにスタンダード曲の仲間入りを果たしていたのかもしれない。 いずれにしろ、学生時代によく通った喫茶店とそのころの「君」との想い出を歌った歌は私のお気に入りだった。歌詞のなかに、「ボブ・ディ…
熊本洋学校 そろそろテレビを観なくなっていた時分だったが、NHK 歴史大河『八重の桜』だけはときどき観ていた。綾瀬はるかさんが主役だったからだ。 前半の盛上りである会津戦争までは、綾瀬さんばかり観ていた。舞台を京都へ移しての後半、新島襄や同志社が出てきてからは、綾瀬さんそっちのけで、ドラマに観入った。熊本バンドの描かれかたは鮮烈だった。熊本洋学校が閉鎖になって、同志社へ大挙して移籍してきた猛者たちのことだ。 旧藩主、豪農、学者(多くは儒者)に進取の気質に富む賢人が多かった地域(藩→県)は、文明開化の立上りも早かった。熊本では明治四年に洋学校が開校された。知事(旧藩主)細川喜延は私財を投じた。 …