代表的歌人百人の歌一首ずつを集めたもの。藤原定家が小倉山の別荘で撰したと伝える「小倉百人一首」が最も有名で、これを模倣して種々のものが作られた。カルタとして正月の遊びになったのは江戸時代以降。百人首。
なお1首目は「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」(持統天皇) ・・・・・・三省堂「大辞林」より引用
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 触れる白雪 (あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに よしののさとに ふれるしらゆき) 坂上是則 〈現代語訳・口語訳〉 夜が明ける頃あたりを見てみると、まるで有明の月が照らしているのかと思うほどに、吉野の里には白雪が降り積もっているのではないか。 坂上是則
ありあけの つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし (ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし) 壬生忠岑 〈現代語訳・口語訳〉 明け方のつきが冷ややかに、そっけなく空に残っているように、あなたが冷たく見えてあの別れ以来、夜明けほどつらく思えるものはありません。 壬生忠岑
河原の大臣亡せたまひてのちに、いたりて、塩釜といひしところのさまの荒れにたるを見てよめる きみまさで けぶりたえにし しほがまの うらさびしくも みえわたるかな 君まさで 煙絶えにし 塩釜の うらさびしくも 見えわたるかな 河原の大臣が亡くなってのちにやってきて、塩釜という場所が荒れてしまっているのを見て詠んだ歌 あなたさまがいらっしゃらなくなって、塩を焼く煙を絶えてしまった塩釜が、うら寂しく見えていますよ。 この歌は、古今和歌集(巻第十六「哀傷歌」 第852番)に入集しています。 「河原の大臣」は第52代嵯峨天皇の皇子で左大臣の源融(みなもと の とおる)のこと。その邸宅の庭に、奥州の塩釜を…
心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花 (こころあてに をらばやをらむ はつしもの おきまどはせる しらぎくのはな) 凡河内躬恒 〈現代語訳・口語訳〉 無造作に折ろうとすれば、果たして折れるだろうか。一面に降りた初霜の白さに、いずれが霜か白菊の花か見分けもつかないほどなのに。 凡河内躬恒(おおちこうちのみつね)
山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば (やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめもくさも かれぬとおもへば) 源宗于朝臣 〈現代語訳・口語訳〉 山里はいつの季節でも寂しいが、冬はとりわけ寂しく感じられる。尋ねてくる人も途絶え、慰めの草もかれていまうのだと思うと。 源宗于朝臣
みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きちてか 恋しかるらむ (みかのはら わきてながるる いづみがは いつみきとてか こひしかるらむ) 中納言兼輔 〈現代語訳・口語訳〉 みかの原を湧き出て流れる泉川よ、その「いつ」という言葉ではないが、その人をいつ見たといっては、恋しく思ってしまう。本当は一度たりとも見たこともないのに。 中納言兼輔(藤原兼輔)
小倉山 峰の紅葉ば 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ (をぐらやま みねのもみぢば こころあらば いまひとたびの みゆきまたなむ) 貞信公(藤原忠平) 〈現代語訳・口語訳〉 小倉山の峰の美しい紅葉の葉よ、もしお前の哀れむ心があるならば、散るのを急がず、もう一度の行幸をお待ち申していてくれないか。
三条右大臣(藤原定方)の生涯 家族背景と幼少期 定方は貞観15年(873年)に内大臣・藤原高藤の次男として生まれました。母は宮道弥益の娘である宮道列子で、彼の姉・藤原胤子は宇多天皇の女御でした。このため、定方は醍醐天皇の外叔父にあたり、彼の政治的な昇進に大きな影響を与えました。 政治的な経歴 定方は宇多天皇の時代に内舎人として任官し、醍醐天皇の即位後は右近衛少将に任命されました。その後、参議、中納言、大納言を経て、延長2年(924年)には右大臣に昇進しました。右大臣として、彼は藤原北家の嫡流である藤原忠平と並び、宮廷政治の中心的な役割を果たしました。 彼の政治的なキャリアは、天皇の外戚としての…
名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな (なにしおはば あふさかやまの さねかづら ひとにしられで くるよしもがな) 三条右大臣(藤原定方) 〈現代語訳・口語訳〉 「逢う」という名の逢坂山、「さ寝」という名のさねかずらが、その名に違わぬのであれば、逢坂山のさねかずらを手繰り寄せるように、あなたのもとにいく方法を知りたいものです。 ※三条右大臣 藤原定方のこと。藤原定方(873年~932年)は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。内大臣・藤原高藤の次男。醍醐天皇の外叔父。官位は従二位・右大臣、贈・従一位。三条右大臣と号する。 三条右大臣(藤原定方)
このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに (このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみぢのにしき かみのまにまに) 菅家 〈現代語訳・口語訳〉 今度の旅は急いで発ちましたので、捧げるぬさを用意することも出来ませんでした。しかし、この手向山に美しい紅葉をぬさとして捧げますので、どうか、お心のままにお受け取りください。 ※菅家(かんけ) 菅原道真のこと。 ※幣(ぬさ) 神に祈る時に捧げ、また祓(はら)いに使う、紙・麻などを切って垂らしたもの。幣帛(へいはく)。御幣(ごへい)。