灰色で小さなムーミンのご先祖のトロール。ムーミンよりも長い尻尾を持っています。水浴び小屋の物置に住んでいましたが、ある冬にムーミンがそこを開けてしまったためムーミン屋敷に引っ越してしまいます。ムーミン屋敷の中で居心地のいい場所を作ろうとひとりで模様替えをしますが、結局はストーブの中に住みついています。
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アレルギー ひとそれぞれ 器 あって それが アレルゲンであふれると アレルギー症状が起きる 病 きっと わたしの 病の器 あふれて… あふれていても ずっと おんなじようにして からだ冷やしつづけ 無理をかけつづけて 塊になってしまうまで おんなじようにして いまも そうして… って からだに ごめんなさい 言っていた それでも… 病 も 身 わたしの からだが つくったもの って でも でも… ご先祖さまには ほんとう ごめんなさいだなあ って… お仏壇のまえ すわった 病院も 歯医者さんも ゆけなくなってしまっているのに ねがわくは… お寺へ お寺へ ゆけたらなあ… ゆきたいなあ… おば…
12月25日はもちろんクリスマス。これ有名です。 我が国では仏教系の幼稚園でもツリーを飾って盛大にお祝いします。 そもそもそれってなんの日? キリストさんがなくなった日ではないみたいです。それは西暦33年4月3日だとか。見届けた人はこの間亡くなってしまったから、今じゃ誰も知りません。 産まれた日だと言われていますが、25日はローマ帝国時代に広く信仰されていた「太陽神ミトラ」の誕生日なんだそうで、聖書にはキリストの誕生日の記載がないのだそうです。難しいこといわずに誕生日ということにしておけばよいのに、なまじ実在の人物だから、いろいろ考証して、それでもわからなかったから、結論は「誕生日不明」という…
お盆ですね 8月15日、終戦の日、お盆です。 今ではしっかりとやっていませんが、同居していた父方の祖父が生きていたころは、私の実家では仏間に様々な飾り物が出され、お盆のころは鮮やかなお部屋になっていました。 花などが描かれた、あれは灯籠と言う名前で合っているのでしょうか、違うのかな? ぼんぼりみたいなやつです。 夕方になると、たくさん飾られたそれらに明かりがつき、幻想的でした。 信心深かった祖父は私が高校生の頃に亡くなり、そちらの血筋はそんなに親戚の人数も多くなかったので、今ではおそらく叔父夫婦がやって来るのみではないかと思います。 私や姉も、わざわざこの時期に合わせての帰省はしていないし、い…
先日、『君が代』の歌詞の意味をはじめて知った。 意味もわからず学校で歌わされていた子供時代は 「なんか暗い歌」というイメージだった。 いつまでも幸せな世が続きますように。 日本をつくったご先祖さまたちの 子孫にむけて幸せを願う歌だった。 私はそれを知って自分が死んだ後の子供たちの未来を 考えるようになった。 私の子供たち、孫たち、ひ孫たちそして 顔も見ないかもしれないそのまた曾孫たちが 幸せに生きてほしい。 日本と世界が、戦争もなく幸せな世であってほしい。 自分が死ぬまでだけでなく、もっと先まで。 それからバルコニーで未来のことをお祈りするのが日課になった。 屋根が無い屋上バルコニーでいつも空…
お盆の初めはご先祖さまをお迎えする。 最後の日はお見送りする。 子供の頃は祖父母の家に行って、松を灯してきちんとやっていた記憶がある。 大人になってからは、きちんと出来ていない。 もう少し何か形を取りたいと思う。 お見送りするのは明日以降だが、空を見上げて送る感じがあるので、ふと昔「竹取物語」という沢口靖子さん主演の映画があったことを思い出した。 今となっては古い映画で私もちゃんと見たことがないのだが、Stay with meという曲が使われたことは知っている。 何か思い出したので、Youtubeで拾ってみました。お借りします。 音楽って自分が昔に戻れるのが不思議です。 皆さんは思い出の曲はあ…
「供養してください」 「供養しましょう」 などよく言ったりしますけど、供養ってなんなの?って話なんですけど 供養というと 「故人様の冥福を祈る」みたいなことが一般的に言われてますが、深く考えたことはあまりないかと思われます。 「供養」という字ですが 「供えて養う」と書きます 仏様やご先祖様に供物を捧げ、感謝の気持ちを伝えるだけでなく、自分自身の心を育てていくための大切な行為です。 供養の意味 供養の「供」には「捧げる」という意味があり、主に以下のような供物を捧げます。 水: 仏様やご先祖様に清らかな心を象徴する供物です。 ご飯: 感謝の気持ちを込めて、日々の糧であるご飯をお供えします。 お花:…
逃げても 落ちても 生きていたら 自分 はげまして ひとつ と つなげられる こころに 祈り ありがとう つなげていたら ゆきつくところ たどりつけるところ かならず ある って 知ってる 生きてる わたし シーちゃん ありがとう! と めざめられた 逃げてるのは 恐怖から なのに 逃げて もっと 恐怖が かさなってく… ひとつ かるく は ほんとうに うれしくて ありがとう と おばあちゃんに お祈りした ご先祖さまが つなげてくれた その おかげで いま ここにいて 姉上さまに ささえられて できていることだ ありがとう もう ほんとうに いらないもの なのに 捨てられなかったもの 捨てて…
二泊三日の旅の行程荒ぶる天候をモノともせず無事、ミッション完了(安堵 さすがに今宵は目が回っています スイッチを切り替えるためにもしっかり睡眠とらないとね 今日はここまで、また明日
多分、今年最後になる北軽井沢、長野原。 金曜日の深夜に到着して、土曜日の午前は祖父母とご先祖さまのお墓の掃除と両親のお墓の掃除。まずは雲林寺さんにある祖父母とご先祖さまのお墓の掃除に行く。今回は落ち葉を綺麗にすることが目的。ほぼ綺麗にできたと思う。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 雲林寺さんからのこの景色は、自分にとっては思い出の風景・・・丸山(丸岩)がポイントなのだが、小さい頃の弁天橋やら長野原の思い出が蘇る。ここに来るたびにいつも思い返される。 雲林寺さんから望む丸山 雲林寺さんが済むと北軽井沢の両親のお墓の掃除へ。いつ…
お盆に来られなかった北軽井沢。約2ヶ月ぶりの北軽井沢・・・やることがたくさんあります。今回はその中で最低限のところをやってきました。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); お彼岸ということで、祖父祖母とご先祖さんが眠る長野原町の雲林寺さんの墓地と両親が眠る北軽井沢の墓地へいき、掃除をして、花をしんぜて(お供えして)、お線香をあげてきました。 雲林寺さんからのいつもの情景 写真はその雲林寺さんの墓地から南側の山並みを写したもの。吾妻の険しい山並みがいつもと変わらずそこにはあります。戦国時代には真田氏の領地だったこの辺り・・・山の様子…