コンゴ民主共和国

(地理)
こんごみんしゅきょうわこく

Democratic Republic of the Congo(英)


南の方のコンゴ。アフリカ大陸中央に位置する。コンゴ川の河口部を別にすればほぼ内陸国。
ダイヤモンド、コバルト、銅など、鉱物資源については世界トップクラスに恵まれた国と言える。

  • 人口:6266万(2006年)
  • 面積:234万平方km
  • 独立:1960年
  • 公用語:フランス語
  • 首都:キンシャサ
  • 旧名:ザイール

略史

ヨーロッパ人が到達した頃は「コンゴ王国」が栄えていた。が、奴隷貿易の影響により衰退。
コンゴ川流域を探検したスタンリーの影響により、1885年にベルギー王レオポルド2世の私的領土というべき「コンゴ自由国」となる。
これは流石に無茶なので、1908年に正式にベルギー領となり、「ベルギー領コンゴ」となった。以後、資源に恵まれて鉱工業も発展していく。
1950年代末期になって独立運動が本格化し、ベルギーは1960年に独立を認めた。
選挙の結果、民族主義者のルムンバが首相に就任し、6月30日に独立。が、独立直後に兵士の反乱が発生し、さらに7月11日には南部カタンガ州が独立を宣言。これにベルギー軍が居留民保護を口実に介入した*1ことで本格的な紛争が始まった。世に言うコンゴ動乱である。コンゴ政府の要請によって国連のハマーショルド事務総長は平和維持軍の派遣を決定する。
が、ルムンバがソ連の援助を受け入れたことで事態はさらに混乱。ついにモブツ率いるクーデターが発生、実権を掌握する。12月にはギゼンガ元副首相がスタンリーヴィルで新政権の樹立を宣言し、共産圏諸国の承認を取り付けた。翌年1月にはルムンバが暗殺され、事態は混迷を極める。
1961年2月、ついに国連安保理によって武力介入が決定された。スタンリービル政権は和解に応じたが、カタンガを率いるチョンベは応じなかった。このため国連軍がカタンガを攻撃。ついでに9月には調停中のハマーショルド国連事務総長が飛行機事故死*2するなどの展開もあった。1963年1月に国連軍の攻撃によってカタンガが制圧されるが、ルムンバ派と政府との対決は続き、最終的にモブツが1965年11月に再度のクーデターを起こして、アメリカの暗黙の了解の元に独裁政権を樹立した。
1971年にモブツは国名をザイールと改め、民族主義的な政策を実施するが、一次産品の価格低迷から来る経済不振を克服できず、政情は不安定化。
1997年に反政府勢力ADFL(コンゴ・ザイール解放民主勢力連合)が首都入場を果たし、モブツ政権は崩壊。
しかしADFL内部の路線対立から、翌年にはルワンダ、ウガンダらを巻き込む形で内戦が勃発。アンゴラ軍などが政府軍を支援したため、国土が二分される形で戦況は膠着した。
2002年に和平協定が成立し、各国軍も撤退、翌年に暫定政権が発足した。
※「コンゴ民主共和国」は、日本の外務省による国名表記

リスト::国家

*1:本当の目的は地下資源の利権であったとされる

*2:原因不明。一応、撃墜でもテロでもなく事故であるとされている

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