ギリシャ共和国のサモトラケ島で発掘され、現在はルーヴル美術館に所蔵されている勝利の女神ニケの彫像。 ヘレニズム時代の彫像の中でも貴重な、女神ニケを題材にした彫像。 1863年に胴体が発見され、それ以後に方翼、右腕が発見された。
http://www.louvre.fr/jp/oeuvre-notices/%E3%82%B5%E3%83%A2%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%B1%E3%81%AE%E3%83%8B%E3%82%B1
フランス3日目はルーブル美術館がメインです。 昨日夕方からは晴れていたのに、朝はまた雨。どうもフランスは天気に恵まれません。 ルーブル美術館が開くまで近くをブラつきます。雨だから屋根のあるところ中心に。 パレ・ロワイヤル 太陽王ルイ14世が幼少期過ごした王宮 王族が住んだから王宮=パレがついたらしいです。 元々はリシュリュー枢機卿(三銃士の)の住居だったのを王族に彼が遺贈したみたいです。 そっちの方がへ〜って感じですよね。 確かベルばらでは王弟のアジトみたいになってましたよね。 ビュランの円柱 映えスポットらしいですよ 同じくパレ・ロワイヤル 噴水 通路 開いていたらじっくりみてみたかった雑貨…
私が初めてインターネット上で顔も名前も知らない他人と交流したのは中学一年生のとき。 当時Z会の通信教育を受けており、インターネット上にZ会の会員限定の交流サイトというものがあった。2ちゃんねるのような掲示板で、会員が自由にスレッドを立てたり、そこに書き込めるようになっていた。 当時父が仕事で使っていて家にあったiMac DV。学校のパソコンがWindowsだったのでマウスの扱いに苦戦した。 私はその頃、「インターネットは怖いところ。不特定多数の人に個人情報を一切漏らさないようにしなければ」という漠然としたリテラシーが備わっていたので「ほにゃたろう」というハンドルネームを名乗り(性別も悟られない…
また 気まぐれに「ルーブル」を覗いてきた。 『サモトラケのニケ』は 数え切れないほど 何回も何回も見ているが 毎回感動に心を揺さぶられる。 紀元前200年から180年の間くらい 作者は特定されていない。 弱小国家ロードス軍が 大国シリアとの海戦に勝利したことを記念して 『サモトラケ島』に 海戦の行われた海域を望む方向に向いてつくられた 記念モニュメントの 目玉だったはずの彫刻。 1865年頃発見されたが 大小1000個以上の破片に割れていたのを 組み立てたらしい。 いざ敵艦隊に向けて発進せんという時 天井から『勝利の女神ニケ』が旗艦に天下り ギリシア側の勝利を伝えてロードス軍を鼓舞し シリア軍…
初めての外国体験 トイレで … 生まれて初めての外国旅行は、ヨーロッパ団体旅行。 およそ40年前 ? 飛行機が給油のために立ち寄ったのは、○○○○ストクだったと思います。 給油している間に、飛行場のトイレへ。 ギョッ !! ダンセー用ベンキが高い。 高額という意味ではありません。 身長173センチあった私は、何とか。 隣を見ると、背の低いおじさんが四苦八苦 … 。 これが、初めての「外国体験」でした。 最初から、臭い話ですみません。 フランスに着き、飛行場からパリ市街へ。 古い街並みにビックリ。 カメラのシャッターを押しまくります。 どこまでも続く、旧い街並み。 高さ制限と、外観の規制。 ニホ…
私は持ち歩く荷物が多いので、バッグは大きくないと困るし、いつも重くなって しまいます。 なので、最近は少しずつ軽くする努力をしています。 その一環で、持ち歩くジャーナルも小さめで軽いものを作っています。 ページを減らしたり取り替えたりしやすいように、糸とじはせずヘアゴムで固定 するのみにしました。 思い浮かんだことを忘れないうちにササッと書いておけるものが必要な年になって きたので臨機応変が重要なんです(涙) 画像は自分のものを多めに使い、ポケットを大きめに作って、書くところやメモ用紙 の多いジャーナルにしたいと思っています。 以下は途中経過です。 ここまでで使ったものは「サモトラケのニケ」の…
9時オープンのルーヴル美術館、9時20分現在まだ開かず 9時25分、遂にルーヴル入館! まずは、サモトラケのニケ 前回来たときはいなかったから初対面、勝利の女神 モナリザ ハンムラビ法典 スフィンクスへ ミロのヴィーナス 後姿 ルーヴルはストの影響かオープン時には最上階が閉まっていた closedと言ったスタッフの人の表情が複雑そうだった オルセー美術館へ 10月06日~10月11日 フランス旅行
( パリで行きたい場所と言ったら思いつく場所はただひとつ ルーヴル美術館だった。 そのルーヴルで観たいものは?って聞かれたら サモトラケのニケとフェルメール、自由の女神。 現実のルーヴルは「美術館」というより「宮殿」というほうがしっくりきた。 『三銃士』とやフランス革命関連の物語の舞台は あぁ、ここだったんだ!という実感がじわじわと迫ってきたんだ。 最初にとびこんだフェルメールの部屋は貸切状態。 東京で観るための、あの人ごみや行列にはもう戻れなくなっちゃいそうだ。 そして、印刷物ではなんどもなんども繰り返し目にした絵画が まるで早押しクイズのように次から次へと並んでいて・・・ なんてこった! …
2011年12月30日の続き お昼をどこかで食べたはずですが、どこで食べたか全く思い出せません、、、多分デパートの中で食べたんじゃないかな、、、('◇')ゞ でまた地下鉄に少し乗って、セーヌ河を渡ってシテ島へ。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ これはアルコル橋の上からですね。 で、ノートルダム寺院に行きました。 でも、入場を待つ人々の列がかなり長い、、、(;´Д`)、、、親としては待っても良かったのですが、息子二人は「ヤダ」と、、、(;´Д`)(;´Д`)、、、しようがないので、外部だけ写真に収めて立ち去ることに、、、。私は卒業旅行でパリに来た時に中に入っていますし、奥さんも以前来たことがあるというこ…