生年月日 | : | 1987年4月3日生まれ・牡・芦毛 |
生産者 | : | 吉田堅(北海道浦河) |
父 | : | メジロティターン |
母 | : | メジロオーロラ |
母の父 | : | リマンド |
馬主 | : | メジロ商事(株) |
管理調教師 | : | 池江泰郎(栗東) |
競走成績 | : | 21戦12勝 |
主な勝ち鞍 | : | 菊花賞 阪神大賞典*1 天皇賞(春)*2 京都大賞典*3 産経大阪杯 宝塚記念 |
備考 | : | 半兄メジロデュレン 1991年JRA賞最優秀5歳以上牡馬 1994年顕彰馬に選出 |
メジロマックイーンは栗東トレーニングセンター池江泰郎厩舎に所属した引退競走馬。親子三代天皇賞制覇という偉業を成し遂げた競走馬であり、JRA史上初の10億円馬としても有名。旧年齢表記明け4歳でのデビューで同期の僚馬メジロライアンが注目を集める中、秋シーズンまで目立つ存在ではなかった。菊花賞と同距離の古馬オープン嵐山ステークスから滑り込みで菊花賞に出走し優勝、メジロデュレンの半弟という背景もあり穴人気にこそ支持されていたものの、優勝した際に実況した杉本清アナウンサー台詞に「メジロはメジロでもマックイーンの方だ」という言葉が出たほどだった。暮れの有馬記念こそ回避したもが、翌年メジロアサマ、メジロティターンに次ぐ親子三代天皇賞制覇に向け盾男と呼ばれる武豊を鞍上に据え阪神大賞典から始動、天皇賞(春)も断然の人気で完勝し偉業を達成すると共に古馬の頂点に立った。続く宝塚記念ではメジロライアンに雪辱されている。
天皇賞春秋制覇の掛かった秋シーズンは一転不運に見舞われる。天皇賞(秋)にて武豊騎手は本馬のステイヤー資質や大外枠順による不利を克服するためスタート直後に斜行し他馬を妨害、プレジデントシチーなどが落馬寸前の不利を被った。公開されたパトロールフィルムは一目瞭然のもので審議の末1位入線後18着降着、天皇賞春秋制覇も水泡に帰すことに。結果としては6馬身もの大差で退けられたプレクラスニーが繰り上がりの優勝となった。陣営の抗議もあったものの、続くジャパンカップは4着、有馬記念は伏兵ダイユウサクに足元をすくわれ、結果後味の悪い無冠に終わった。
6歳となった春は前年の二冠馬トウカイテイオーとの天皇賞直接対決で注目され、1番人気こそ譲ったもののレースでは影をも踏ませぬ完勝で同一天皇賞連覇の偉業を達成。しかしながらこのレース後骨折が判明し初の長期離脱を余儀なくされる。1年間の休養後産経大阪杯をレコード勝ちのおまけ付きで復帰したメジロマックイーンには前人未到の天皇賞(春)三連覇が期待されたものの、関東の刺客ライスシャワーに屈し絶後の記録は成しえなかった。続く宝塚記念は完勝し4年連続GI制覇の記録を達成。夏を越え前年辛酸を舐めた秋の天皇賞に向け始動した京都大賞典では2分22秒7というレコードタイムで圧勝し依然として底を見せない強さを誇示したものの、このレース後左前繋靭帯炎を発症、天皇賞春秋制覇を成しえぬまま現役引退した。
種牡馬としては社台ファームに繋養され小粒な活躍馬こそ出しているものの自身に匹敵するような産駒は出しておらず、2006年4月3日17時15分に心不全のため繁養先の社台スタリオンステーション荻伏で死亡した。なお2007年後半から頭角を現した産駒にホクトスルタンがおり、勝てば親子制覇となる菊花賞は6着、古馬となった2008年は親子4代制覇のかかった天皇賞(春)に出走し7番人気で4着だった。
年月日 | 競馬場 | 距離 | 競走名 | 格 | 着順 | 騎手 | 備考 | |
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1990年2月3日 | 阪神競馬場 | ダ1700 | 4歳新馬 | 新馬 | 1 | 村本善之 | ||
1990年2月25日 | 阪神競馬場 | 芝2000 | ゆきやなぎ賞 | 500 | 2 | 村本善之 | ||
1990年5月12日 | 京都競馬場 | 芝2200 | あやめ賞 | 500 | 3 | 村本善之 | ||
1990年9月2日 | 函館競馬場 | ダ1700 | 渡島特別 | 500 | 2 | 内田浩一 | ||
1990年9月16日 | 函館競馬場 | ダ1700 | 木古内特別 | 500 | 1 | 内田浩一 | ||
1990年9月23日 | 函館競馬場 | 芝2000 | 大沼S | 900 | 1 | 内田浩一 | ||
1990年10月13日 | 京都競馬場 | 芝3000 | 嵐山S | 1500 | 2 | 内田浩一 | ||
1990年11月4日 | 京都競馬場 | 芝3000 | 菊花賞 | GI | 1 | 内田浩一 | ||
4ヶ月間休養 | 調整 | |||||||
1991年3月10日 | 中京競馬場 | 芝3000 | 阪神大賞典 | GII | 1 | 武豊 | ||
1991年4月28日 | 京都競馬場 | 芝3200 | 天皇賞(春) | GI | 1 | 武豊 | ||
1991年6月9日 | 京都競馬場 | 芝2200 | 宝塚記念 | GI | 2 | 武豊 | ||
4ヶ月間休養 | 調整 | |||||||
1991年10月6日 | 京都競馬場 | 芝2400 | 京都大賞典 | GII | 1 | 武豊 | ||
1991年10月27日 | 東京競馬場 | 芝2000 | 天皇賞(秋) | GI | 18 | 武豊 | 1位降着 | |
1991年11月24日 | 東京競馬場 | 芝2400 | ジャパンC | GI | 4 | 武豊 | ||
1991年12月22日 | 中山競馬場 | 芝2500 | 有馬記念 | GI | 2 | 武豊 | ||
1992年3月15日 | 阪神競馬場 | 芝3000 | 阪神大賞典 | GII | 1 | 武豊 | ||
1992年4月26日 | 京都競馬場 | 芝3200 | 天皇賞(春) | GI | 1 | 武豊 | ||
12ヶ月間休養 | 骨折 | |||||||
1993年4月4日 | 阪神競馬場 | 芝2000 | 産經大阪杯 | GII | 1 | 武豊 | ||
1993年4月25日 | 京都競馬場 | 芝3200 | 天皇賞(春) | GI | 2 | 武豊 | ||
1993年6月13日 | 阪神競馬場 | 芝2200 | 宝塚記念 | GI | 1 | 武豊 | ||
4ヶ月間休養 | 調整 | |||||||
1993年10月10日 | 京都競馬場 | 芝2400 | 京都大賞典 | GII | 1 | 武豊 |
牡馬 | 性 | 生年 | 母 | 母の父 |
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ホクトスルタン | 牡 | 2004年 | ダイイチアピール | サンデーサイレンス |
メジロアトラス | セ | 1995年 | メジロモントレー | モガミ |
タニノゴードン | 牡 | 1997年 | タニノセブンツー | ヴァイスリーガル |
ツジノワンダー | 牡 | 1996年 | ツジノチドリ | マルゼンスキー |
マイネルユニバース | 牡 | 1998年 | ユウミロク | カツラノハイセイコ |
マイネルヘンリー | 牡 | 2004年 | エンプレスマティルダ | Sadler’s Wells |
牝馬 | 性 | 生年 | 母 | 母の父 |
メジロサンドラ | 牝 | 1996年 | カンパナ | Sadler’s Wells |
エイダイクイン | 牝 | 1995年 | ユキノサンライズ | ホリスキー |
ヤマニンメルベイユ | 牝 | 2002年 | ヤマニンアリーナ | サンデーサイレンス |
ネオマックイーン | 牝 | 1997年 | シヨノサンフラワー | ベリファ]] |
ユレルオモイ | 牝 | 1997年 | フリースピリット | リアルシャダイ |
タイムフェアレディ | 牝 | 1998年 | トキファイター | カツラギエース |
GⅠに勝てないレッテルを貼られたサトノ家のジンクスを覆そうと近視眼的になってしまうサトイモの話。 サトノ家は競馬界に対し多大なる金銭的貢献をしながらもGⅠウマ娘を出すことが出来ず嘲笑を受けていた。 GⅠ勝利はサトノ家の悲願となり、凄まじい重圧とプレッシャーがまだ幼き少女に背負わされたのである。 アプリ版キャラストではそんな重責を物ともせずパワフルに自分の使命を肯定するサトイモの姿が描かれた。 アニメ版ではA-partはジンクス破りを試みるギャグアニメとして描かれていったがB-partは一気に転換する。 近視眼的に視野狭窄となるサトイモに対しマックイーンさんによるメンケアが施されるのである! メ…