標高467メートル。周囲16キロメートル。面積350ヘクタール。
三輪山は大神神社の神体山として、大和青垣山のなかでもひときわ秀麗な円錐形の「神奈備山」とされる。 『古事記』『日本書紀』によれば、遠い神代の時代、オオナムチノカミが御自らの「幸魂・奇魂」を、 ヤマトオオモノヌシクシカタマノミコトと御名を称えて、この三輪山にお鎮めになったのが大神神社の始まりとされる。
三諸(みもろ)は 人の守(も)る山本辺(もとべ)は 馬酔木(あしび)花咲き末辺(うらべ)は 椿(つばき)花咲くうらぐはし山そ 泣く子守(も)る山 現代訳 三輪山は、人々が心をこめて大切に守り続けてきた山。その麓には馬酔木(あしび)の花が咲き、山の上のほうには椿の花が咲いている。なんと美しく、優しい山であろう。 まるで泣く子をあやして守る母のように、人の暮らしを包み見守っている山である。 歌の意味 この歌は、奈良県桜井市にある三輪山(みわやま/三諸山とも書く)を讃えた、自然と信仰が一体となった大和の山の讃歌である。 「三諸(みもろ)」は、古くから神が宿る山を意味する「神の依代(よりしろ)」で、三…
わが衣(ころも) 色に染めなむ うまさけ 三室(みむろ)の山は もみぢしにけり 現代訳 うま酒で名高い三輪(みわ)の三室山(三輪山)が、紅葉している。この山の色を、私の衣に染めてまといたいものだ。 歌の意味 「うまさけ」は奈良県桜井市の「三輪(みわ)」にかかる枕詞(まくらことば)。三輪の地は古来より酒造りの神をまつる大神神社(おおみわじんじゃ)の聖域であり、「うまさけ(美しい・神聖な酒)」の地として知られていた。 「三室の山」は三輪山(みわやま)の別名であり、神が宿る山とされてきた。 「わが衣色に染めなむ」は、「その山の美しい色を、自分の衣に染めたい」という意味。この「もみぢ」は、今のような真…
味酒(うま酒) 三輪の祝(はぷり)の 山てらす 秋の黄葉(もみじ)の 散らまく惜しも 現代訳 うま酒で名高い三輪の神山(三輪山)に仕える祝(はふり=神官)よ。その山を照らす秋のもみじが、散ってしまうのが惜しいことだ。 歌の意味 この歌は、奈良県桜井市の三輪山(みわやま)を詠んだものである。三輪山は古来より神の鎮まる山とされ、日本最古の神社の一つである大神神社(おおみわじんじゃ)のご神体。 「味酒(うまさけ)」は三輪にかかる枕詞で、大物主神(おおものぬしのかみ)を祀る三輪の地が、古くから「美しき酒」「神聖な酒」の産地であったことに由来する。 「祝(はふり)」は、神に仕える神職を意味する。 「山照…
こんにちは。 先日の「事任八幡宮」から、再び神社巡りが再開しそうではあるので、昔行った主だった神社を載せてみますね(掲載の順番と年代はバラバラです)。 10年位前は神社巡りしてた、と言いましたが、正しくは寺社巡り・・・神社仏閣巡り、です。お寺も行ってましたよ。 大体、2012~2014年辺りに集中していますね。丁度、「古事記」が話題だった時期もこの頃なので、重なっています(「古事記」は好きです)。 ・・・という事で、当時、寺社に行く度に撮影してきた記録(写真)の一部です。普通は、いつもこんな感じの写真を何枚も撮影して来るんですよ(前回の事任八幡宮がイレギュラー)。 多度大社(2012年・三重県…
桜井市の芝運動公園の前にある万葉歌碑 三輪山を しかも隠すか 雲だにも こころあらなむ 隠さふべしや この歌は、額田女王(ぬかたののおおきみ)が詠んだ『万葉集』の一首である。 「三輪山を、そんなにも隠すのか。せめて雲だけでも、心があるならば、三輪山を隠すようなことはしないでほしい」 その言葉には、離れゆく故郷と、そこに宿る神への惜別の思いが、静かに滲んでいる。 『万葉集』巻一17首目「味酒三輪の山あをによし奈良の山」の長歌に対する反歌(長歌の要約や補足)である。 歌の意味 原文:三輪山乎然毛隠賀雲谷裳情有南畝可苦佐布倍思哉 歌が詠まれたのは、天智天皇が飛鳥の地を離れ、近江大津宮へ遷都する際。額…
奈良県桜井市金屋から、朝倉に向かって歩くと、少しずつ人の気配が遠のいてゆく。剣道199号線から徒歩5分ほどだが、秘境と呼んでも差し支えない大神神社の末社「金拆社(かなさきしゃ)」がひっそりと鎮まっている。地元の人に聞いても、名前も場所も知らない。大神神社から最も遠い末社である。 金拆社は、大神神社の末社のひとつ。場所は桜井市金屋、三輪山の南麓にあたり、老木の林に囲まれている。鳥居も社殿もなく、ただ大地そのものを神と仰ぐ、そんな古代の信仰の気配が濃厚に残っている。 大神神社の縁起が三輪山そのものを神体とするように、金拆社もまた山中の磐座や巨木を拝する形で祀られてきた。『大神神社史』には「老樹林立…
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩の内 ③ 三輪山みわやま(奈良)は、大神おおみわ神社の御神体になっていて神奈備山かんなびやまとよばれる。山そのものが御神体であるため、本殿はない。拝殿御神体の間に三つ鳥居が置かれ、祭神の大物主命おおものぬしのみこと・大己貴命おおなむちのみこと・少彦名命すくなひこなのみことの三神を一体にしたものだといわれている。 神道では出雲の大国主命おおくにぬしのみことと大物主命は同体とされ素戔男尊スサノオの子とも六世孫ともいう。もともと大和三輪の先住民の王であった大物主命が、大和朝廷に敗北し国譲りして出雲に流され、後に出雲大社として祀られたとする「神々の流竄るざん」梅原猛説がある 平安時…
子どもの頃、あれほど待ち遠しかった夏が、いつから億劫な季節に変わってしまったのか。2015年に雪山にのめり込むようになってから、夏はただの「避ける季節」になった。 虫が多く、蒸し暑く、ただ冬の訪れを待つだけの日々。好きだった季節が夏から冬へと移ったとき、日本の夏はすでに取り返しのつかないものになっていた。 物事は変わる。物事は壊れる。それを止めることはできない。受け入れるしかない。それでも、かつての夏がもう一度戻ってくることを、心のどこかでまだ願っている。そんな途方もない願いを抱くとき、小さな存在を無意識に見つめてしまう。大きな世界を動かすのは、国家や政治ではなく、目立たない小さな存在かもしれ…
磐座神社(いわくらじんじゃ)は、奈良県桜井市三輪にある日本最古の神社・大神神社の摂社(本社の祭神と縁の深い神を祭った社)。創建は不明で、本殿はなく、鳥居の奥は磐座のみ。 磐座信仰の神社 磐座神社の祭神 コラム:磐座神社、岩の前で、ただ立つ 磐座信仰の神社 磐座(いわくら)とは、古神道において神が降臨し、鎮座する場所とされる岩や岩石。大神神社のように社殿が造られる前から存在する神社は、磐座(いわくら)を信仰した。現在のような社殿が建てられるようになったのは、第10代天皇・崇神天皇からと考えられている。 三輪山の磐座 奥津磐座(三輪山の山頂):大物主神 中津磐座(三輪山の中腹):大己貴命 辺津磐座…
ヤマト内の信仰の変化 崇神天皇(すじんてんのう)の皇女である豊来入姫(豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと) 『日本書紀』)はヤマト入りすると、宇佐の祭神である月読ノ尊(つくよみのみこと)の信仰を広め、人気を集めたということです。魏の使節・政は彼女をヒミコの後継者に指名したということです。魏志倭人伝の卑弥呼(豊玉姫)の後を継ぎ、女王として国をまとめ戦いを終わらせた「台与(とよ)」であると出雲口伝では伝えています。 物部軍のヤマト侵入により当時三輪山山麓で太陽の女神を祭っていた賀茂氏(出雲系)の勢力を進軍してきた豊国の軍勢が攻撃し、追い払いました。このとき富美家(とびけ)のヤマト姫は、三輪山の太…