室町時代後期の武将。三河と駿河を治めた戦国大名。今川氏親の子。正室は武田信虎の娘(信玄の姉)。子に氏真。 初め仏門に入っていたが、兄・氏輝が死ぬと還俗し、花倉の乱で家督を掌握する。 その後、勢力の拡大に努め、「海道一の弓取り」といわれた。 また、太原雪斎の献言により、甲斐の武田信玄、相模の北条氏と同盟を結ぶなど、外交政策も精力的に行った。 1560年、上洛途中の桶狭間の合戦で戦死、以上のような実績がありながら、「桶狭間で信長に奇襲で討たれた人」として有名。
豊明市には、「お化け地蔵」という少し怖い名前を持つ地蔵尊があります。このお地蔵様は、ただの古いお地蔵様ではなく、今川義元の亡霊が出没したという伝説と深く結びついている、興味深い史跡です。 お化け地蔵の由来 お化け地蔵は、嘉永6年(1853年)に尾張藩士によって建立されました。この地蔵が建てられた背景には、当時この地域で今川義元の亡霊が出没するという噂が頻繁にあったことがあります。このお地蔵様を建立したところ、亡霊は現れなくなったため、「お化け地蔵」と呼ばれるようになったそうです。 画像引用(豊明市教育委員会所蔵):豊明市ウェブサイト お化け地蔵のある場所 お化け地蔵は、高徳院の敷地内にあります…
www.bs11.j 2月1日にBS11で放送されるらしいです。歴史にあまり興味のない人からすると「大原雪斉って誰よ?」なのかもしれません。下にリンクを貼っておくので、時間がある方にはそちらをご覧いただきたいんですけど、まあ物凄く簡単に言うと、戦国時代の今川家における《軍師&相談役&外務大臣》的な人で、例えて言うなら国民民主党で言うと、玉木さんが今川義元で、雪斉が榛葉幹事長的な人と言うのか(笑)。 ja.m.wikipedia.org この人がもう少し長生きしていたら、桶狭間の合戦は起きていなかったかもしれません。だとすると戦国時代のそれ以降の展開も、私が知っているものとだいぶ違ったものになっ…
「海道一の弓取り」と称された戦国武将 Wikipediaより 皆さん、こんにちは! 今回は今川義元に関する雑学をご紹介します! 今川義元は戦国時代の日本の大名で、駿河(現在の静岡県中部)、遠江(静岡県西部)、三河(愛知県東部)の国を支配した今川氏の第10代当主です。 彼の生涯は、戦国時代の日本における権力闘争の縮図であり、その戦略と政治的手腕により一時的に中部地方で大きな影響力を持ちました。 今川義元の生涯 幼少期と家督相続 今川義元は永正16年(1519年)、駿河の守護大名・今川氏親の次男として生まれました。 幼少期は出家して仏門に入り、僧名を「玄広道灌」(げんこうどうかん)と名乗っていまし…
今川わんこ【今川義元】【家紋】【グッズ】価格: 1980 円楽天で詳細を見る ### 太原雪斎の名言と現代社会を生き抜く知恵 戦国時代の智将であり、禅僧でもあった太原雪斎(たいげん せっさい)は、その卓越した戦略と深い精神性で知られています。 彼の名言の中で特に心に響くのが、「冷静に心を保つことが、勝利への道である」という言葉です。 この言葉は、現代社会においても多くの教訓を与えてくれます。 #### 名言の背景と意味 太原雪斎は、今川義元の参謀としてその知略を発揮し、多くの戦で今川家を勝利に導きました。 また、彼は禅僧としての修行を通じて深い精神性を培いました。 「冷静に心を保つことが、勝利…
侍・和柄・戦国武将Tシャツ(今川義元)【公家】【送料無料】【お土産】【プレゼント】【半袖】価格: 2420 円楽天で詳細を見る ### 今川義元の名言と現代社会を生き抜く知恵 戦国時代の武将、今川義元(いまがわ よしもと)は、多くの人に知られた戦国大名です。 彼の言葉の中でも特に印象深いのが、「義をもって己を律する」というものです。 この言葉は、現代社会においても多くの教訓を与えてくれます。 #### 名言の背景と意味 今川義元は、駿河(現在の静岡県中部)を中心に勢力を広げた大名です。 彼は戦略的な知恵と高い教養を持ち、内政と軍事の両面で優れた手腕を発揮しました。「義をもって己を律する」という…
歴史人物スイング 今川義元 戦国時代4人目 - 素振り文武両道 (suburin.jp) 今川義元。駿河と遠江の戦国大名。 足利家一門でもあった。武田信玄などとも同盟を組み、 三河と尾張にも勢力を伸ばす。桶狭間の戦いで、 織田信長に敗れ戦死する。息子の代のときに 武田信玄と徳川家康とに攻められ大名家として滅亡。 足利一門とは知りませんでした。 武田信玄は今川お父さんのとき、同盟を組んで、今川息子のとき、滅ぼすか! 現代の政界は、2代目3代目、結構守られて、良いですね。(引用はここまで) 今川義元は優秀だったが(海道一の弓取り)、氏真の代で、戦国大名としての今川家は滅びる。 武田信玄は優秀だった…
ここからは、織田信長にまつわる人物や戦いの20選になります。 義元謀殺(上)新装版 (ハルキ文庫) [ 鈴木英治 ]価格: 817 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 今川義元は軍師太原雪斎が亡くなってから数年経ち、家中の求心力が衰えていることを感じる。そんな雰囲気を一掃するために、長年の懸案だった織田信長に攻め込み、そのまま上洛して足利幕府を支え、太守としての器量を家臣たちに知らしめようとする。 そのためにも織田領との境に領地を持つ山口一族に対して、濡れ衣とも言える離反の噂を取り上げて駿府に呼び寄せて、だまし討ちの形で粛清した。対して織田信長は、義元がいつ上洛するかを探り、今川軍を迎え撃つため…
*Amazonより 【あらすじ】 応仁の乱の余塵が残る頃に公家の名門中御門家の次女に生まれた悠姫は、好奇心旺盛で結婚を夢見る少女。そんな折、駿河国主の今川氏親から縁談の話が舞い込む。公家は荘園が横領されて貧乏を強いられる中、治安の悪い京よりも、財力にも恵まれている名門今川家も良いかと思い嫁入りを決意する。 夫の今川氏親は悠姫より17歳も年上。見かけも老けていてちょっとショックを受けるが、悠姫に優しく接してくれる。義母にあたる北川どのは悠姫と同じく京から駿河に輿入れした経歴を持ち、夫が早世したため幼い氏親を抱え家督相続争いに巻き込また苦労人。兄の伊勢新九郎(北条早雲)の助けを借りて氏親を国主とし…
戦国武将の相関図を作成しました。 戦国時代は応仁の乱〜大坂夏の陣までの約150年間と長期に渡るため、勢力図も変わって行きますが、上記図解は桶狭間の戦い(織田信長vs今川義元)らへんの勢力図です。 ■目次 ■人物紹介上杉謙信武田信玄北条氏康今川義元織田信長長宗我部国親毛利元就大友宗麟島津義久徳川家康足利義昭 ■年表 ■使用素材について ■人物紹介 上杉謙信 戦国時代最強を謳われた越後国(新潟)を支配した武将。武田信玄と川中島の戦いを契機に12年間、5回の戦いを行うも決着がつかなかった。毘沙門天を崇拝している。敵である海無し県民の武田に塩を送ってあげた優しいエピソードがある。(商売だった説の方が高…
こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の徳川家康ゆかりのお寺は、38歳で生涯を閉じた築山御前が眠る『西来院』から歩いて約5分と近い『宗源院』です。こちら『宗源院』の東南一帯にある的場で、浜松城にいた頃の家康公は弓の稽古に励んだといいます。