仏教で使用される用語のこと。仏教発祥の地であるインドが起源。その後、仏教用語は中国に伝わり、発音に漢字を当てはめて音訳や意訳され、中国語化した。更にそれらの漢字化された仏教用語は日本に伝わった。「有頂天」や「玄関」などは、このようにして伝わった仏教用語で、一般社会においても日常語として使用されている。
こんにちは。 私たちは時々「言語道断(ごんごどうだん)だ!」などと見聞きします。 その意味は、とんでもない事に対してや言うまでもなく悪い事を非難したものです。 ですが、この「言語道断」は元は仏教用語です。 本来の意味は少し違いまして、 仏法の真理は言葉にできるものでは無いもの、という事を表現しています。 「言語」…言葉で表現すること 「道断」…手段が断たれる事 本来は全く否定的な意味ではありません。 こう知ると、普段見聞きする「言語道断」という言葉も今後は感じ方も少し違ってくるように思います。 さて、例文を作ってみました。 1.坐禅は素晴らしいものだとお伝えしているのに、それでも坐禅しないなん…
こんにちは。 昨日は、2週間ぶりの通院で、朝8時半から夕方4時半までずっと病院にいました。前にも書きましたが、こちらは待合室にいたり、ベッドで寝転んだりしているだけなのですが、やはり疲れます。途中、点滴の間にはおやつは食べましたが、もちろん本格的に食事をとることはできませんので、空腹もあって、最後はヘロヘロになっていました。とはいえ、その時間からガッツリ食べてしまっては、今度は夕食に差し支えますので、コンビニで軽くおにぎりを買って帰りましたが、何だかイマイチでした。とくにご飯が・・・。 最近は何処のコンビニも、おにぎりに関してかなり工夫が進んでいるという話を聞いていたのですが、私の感想は、「前…
「六波羅蜜」(ろくはらみつ)とは、 この世に生かされたまま、 仏様の境涯に到るための六つの修行を言います。 「波羅蜜」(はらみつ)とは、 梵語の「パーラミター」のことで、 煩悩・迷いの世界である「此岸(この世)」を離れ、 今、生きているこの身このままに、 悟りの境地である「彼岸」に到るように 精進していくということです。 「六波羅蜜」と「十波羅蜜」があり、 「六波羅蜜」(ろくはらみつ)は、彼岸へ到る為の六つの実践方法を説くのです。 布施(ふせ・ほどこす) 持戒(じかい・つつしむ) 忍辱(にんにく・しのぶ) 精進(しょうじん はげむ) 禅定(ぜんじょう・心身を静める) 智慧(ちえ・学ぶ) 布施(…
こんにちは。 今回も普段何気なく使っている言葉が実は仏教用語という事例のご紹介です。 百科事典マイペディアより 食堂【じきどう】 寺院建築の一つ。古代では大衆(僧で身分の低い人)が食事をする建物で,主要な建物の一つであった。禅宗では斎堂(さいどう),僧堂として残っているが,他宗では庫裡(くり)に移行した。法隆寺に奈良時代の遺構があり,東大寺,興福寺に遺跡がある。 ❝しょくどう❞ ではなく ❝じきどう❞ と読むそうです。 普段 食堂(しょくどう)という場所のイメージは、わきあいあいと大勢で食事を楽しんだり、飲み物を飲んで休憩するイメージがあります。 ところが、もとは修行の場である 食堂(じきどう…
A.仏教用語のサティの英訳です。
こんにちは。 自在(じざい)とは仏教用語です。 ブリタニカ国際大百科事典によると次のとおり、 自在 じざい 仏教用語。心が煩悩の束縛から解放されて自由となり,何事でも思うがままになしうる能力をいう。仏,菩薩にはこの力がそなわっているとされる。 どうやら我々人間は煩悩に束縛されて、思うようにならない状態のようです。煩悩をコントロールする為にも坐禅があるようなのですが、はや6年ほど坐禅を続けている私は、どれだけ煩悩の束縛を解けたのでしょうか。はっきりとは分かりません。ただ、以前ほど短気で怒ってしまったり、衝動的な誘惑に流される事はなくなったと感じています。 ちなみに、以前にご紹介した「自由」も「自…
こんにちは。 時折見聞きするフレーズ「不退転(ふたいてん)の決意」。 weblio辞書でその意味を調べると、以下のようになっています。 堅固に意志を固めて、けっして志を曲げたり屈したりしないと誓う心意気。強い決意を表す言い回し。 この「不退転」、もとは仏教用語です。 「退転」とは一度悟りを得た修行者が悟りを忘れて元の状態に戻ってしまう事を言うそうです。そして「不退転」はしっかりと悟りを忘れないという事。 悟りを得るという事は、修行者でない私にとって解説はできませんが、理解を得たり、理解していたものが分からなかったり(退転)するものなのでしょうか。 例えていうなら、あるとき数学の公式が理解できた…
こんにちは。 「自由」と聞くと、一般的にfreedomの意味で捉えられていますが、実は「自由」はもともと仏教用語です。そしてその意味は少し違います。 仏教では「自らに由る(みずからによる)」とされます。 他人に依存するのではなく、自己が独立し、自分で考えて判断し、行動する。そう解釈しています。 ですから、自由を得るには相応の人間的な器や知性、責任感といったものが関わるように思われます。 常日頃「もっと解放されて自由になりたい」などと考えている凡人の私などは、ちょっとした勘違いだと思えてきます。自由になるには相応の覚悟がいるなと。そう自戒を込めて思います。 考えると、坐禅は常に自分の内面に向けた…
スポンサーリンク // 今回のテーマは「覚悟」です 一般的に使われる覚悟の意味は、心構えをすること、 強い決意をすること観念することだと思います。 覚悟の、「覚」(覚める)も「悟」(悟る)もどちらも「悟る」という意味です。 つまり、覚悟というのは、もともと、悟りを開いたということを意味する言葉です。 もともと、ブッダが悟りに至ったのは、厳しい修行に打ち込んでいたのですが、 なかなか悟りを開くことができず、菩提樹という木の下に座って悟りを開くまでは ここを立たないぞとまさに生きるか死ぬかの強い決心を持って臨んで35歳の 12月8日に悟りに至ったと言われています。 そういうことなので、覚悟というの…