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伊東忠太

(アート)
いとうちゅうた

建築学者、工学博士
慶応3年10月26日−昭和29年4月7日(1867年−1954年)
米沢座頭町生まれ
米沢藩士伊東祐順(平田東助の実兄)の次男

学歴

外国語学校独逸語科
第一高等学校
東京帝国大学工科大学造家学科
東京帝国大学大学院


法隆寺研究の論文、明治31年「法隆寺建築論」*1は日本建築史における最初の論文。
1930年「造家学」を「建築学」と改称した。
1932年東京帝国大工科大学助教授
1938年同教授。
その後は、帝国学士院会員、帝国芸術院会員、東京帝国大名誉教授、そのほか
明治工業史編纂委員、関東大震災後の帝都復興院評議員、外務省対中国文化事務局委員、日独文化事業評議員、史蹟名勝天然記念物保存協会評議員、国宝保存会会員、法隆寺壁画委員会委員長。

著作

「伊東忠太建築文献」
「支那建築装飾」など

作品など

東京築地本願寺をインド様式で設計
伊勢両宮、明治神宮、平安神宮、靖国神社、震災記念堂、台湾神宮、樺太神宮、朝鮮神宮、米沢の上杉神社等を造営。

叙勲など

昭和18年文化勲章。
昭和29年2月、名誉市民。米沢市

その他

建築史学者、批評家、デザイナー、日本画家、漫画家、文筆家、世界中を旅した探検家などとしても偉大な足跡を残した。
そもともと画家(漫画家)になりたかったということで、日本画やマンガ、とくに妖怪画などを残している。

*1:34年博士論文

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