(前編からの続きというか補足) もう一つ、これはやや余談じみた話として、「言語は使用されて初めて意味を持つ」という議論で思い出したのが、中世哲学研究で知られる山内志朗の『天使の記号学』(岩波現代文庫、2019)のことだ。この本の中で、「天使にも言語は必要なのか」という、凡そ現代の人は思い付きさえもしないような、しかしある時代のある文化圏の人たちにとっては重要な論点となり得たであろう議論が取り上げられていて、そこでは、コミュニケーションの可能性・コミュニカビリティみたいなものがまずはじめにあって、言語による発話は一番最後に行われるものであり、そこで初めて何が話されるか、また話されたことの意味が定…