鎌倉五山第一位。 1253年、北条時頼が創建。開山は蘭渓道隆。
ちなみに、隣接する鎌倉学園中学校・高等学校は、その祖を建長寺の師弟教育に頂き、大正11年に門戸開放し中学校に改組され、戦後現在のような中学校・高等学校となったもの。
けんちん汁は建長寺が発祥との事。建長寺の汁→けんちんじると変化したとか。 食材がまだ充分になかった時代に、中国の僧が、ごぼうや大根など野菜の皮までをも、油で炒めて、汁にしたという。あるものを生かしきる禅の精神を具現した料理である。
今年6月にも千葉の実家に帰省した際、2本の巨樹に会いに行った。 まずは、鎌倉の建長寺にある、ビャクシンの木。 私は鎌倉と言っても、小学校の遠足で、大仏で有名な高徳院に行ったのと、22歳?ごろ、紫陽花寺として有名な明月院にデートで行ったくらいで、他の寺院を訪れたことがない。この年になって、神社仏閣めぐりが好きになっても、住まいは沖縄。遠すぎてそうそう訪れることができない。沖縄にも神社仏閣がないわけではないが・・・。 なんたって沖縄、内地の神社仏閣の境内に入った時から感じる独特の雰囲気とはやはり違う。周りに生えている熱帯植物、コンクリート?でできた鳥居や建造物、むわっとした暑苦しい空気。私が求めて…
日本で初の武士政権(鎌倉幕府)が生まれた鎌倉市。武士の英語表現と一緒に鎌倉市の見どころも学んでいきます。 1.きっかけ・情報源 今日の写真:建長寺 2.学んだこと ①武士とは? ②武士は英語で何と? ③鎌倉市の見どころ ・鎌倉駅 ・小町通り(こまちどおり) ・OXYMORON ・鶴岡八幡宮 ・建長寺 ・銭洗弁財天宇賀福神社 ・源氏山公園 ・佐助 ・フェアリーテイル ・高徳院(鎌倉大仏) ・長谷寺 ・相模湾 ・長谷駅 ・和田塚 ・畠山重忠邸址 ・三浦一族のやぐら ・鎌倉かつ亭あら珠総本店 3.コメントと参考英語動画 4.全国通訳案内士試験問題:鎌倉市関連 5.ブログ内リンク(トップページ含む) …
北鎌倉には禅寺がある。建長寺と円覚寺がその代表格だろう。私自身、十代の頃からヨガや禅に興味がある。ヨガと禅が親しい物だということは知らなかったが、大人になってそれらのルーツは同じなのだ、ということを知った。 袈裟をまとったユク坊。(半眼瞑想中) 私たちが知っているヨガというのは、メディテーションで長く座るための身体を整えるものだったそうだ。メディテーション、つまり瞑想と坐禅は、違うものなのかもしれないが、同じと言っても差し支えないほどのものと感じている。 円覚寺でかわいがられていたしのぶちゃんとの邂逅。 家の辺りにお経の合唱が聞こえてくる。雲水さんたちが托鉢に見えたのだ。ユクが番犬としての役割…
北鎌倉駅から秒で到着できる円覚寺の門の前です。 いつもならこの階段で写真を撮る人で賑わいますが....。
前回も脱線してしまいましたが北鎌倉巡り、最後の訪問地『建長寺』を紹介します❗かなり大きい敷地のお寺になります。 訪問場所 建長寺 訪問日時 2024年6月17日 主な撮影カメラレンズ・機材 ・Z 6II + 『NIKKOR Z MC 105mm f/2.8 VR S』 ・Z 50 + 『NIKKOR Z DX 12-28mm f/3.5-5.6 PZ VR』 備考 北鎌倉駅から徒歩15分程度の大きなお寺です。 紫陽花がちらほら美しく咲いてました。きれいに整備されていたので季節ごとに色々な花を見ることができそうです。 かなり大きい敷地です。 では中に入ります。 境内に入るとすぐに紫陽花や牡丹、桜…
久しぶりの建長寺。紫陽花を愛でに人でごった返していた近隣の明月院の喧騒が嘘のような静けさ。ただ、隣の鎌倉学園でなにかイベントをしていて、時折生徒の歓声が響いていたが。それでも鶯の声、吹き渡る風に揺れる木々の涼しげな緑に癒される。 京都や奈良と比べると鎌倉のお寺は、かなり小規模だけど、ここ建長寺は、さすが鎌倉五山の筆頭第一位の威風堂々とした風格が圧巻である。 安永4年(1775年)に建てられた三門は、関東大震災で倒壊を免れた。桜の時期のその景観の美しさは、あまりに有名だ。 仏殿は、芝の増上寺にあった徳川秀忠夫人崇源院の霊屋を建て替えに際し、譲渡されたもので、正保4年(1647年)に建長寺に移築さ…
明月院で紫陽花を愛でて、お昼にけんちん汁というコースを企ていた。明月院が大混雑と暑さでそれほど滞在できず、一旦駅の方に戻って円覚寺など他のお寺を参詣してからとも考えたけど、点心庵が人気で並ぶとのことだったので、とりあえず建長寺まで来た。 お店は、まだ開いてなく、ネットで書かれていた名前と人数を書くボードも出ていなかったので、とりあえず建長寺へ。散策したり、方丈の庭を眺めながら休んでだりしたけど、それでもそんなに時間を潰せず、一旦お寺の外に出てみると、お一人、点心庵の前に並んでいる人がいたので、後ろに並ぶ。開店は、11時だけど、まだ1時間ほど前。するとどんどん列は、長くなる。10時半頃だったかな…
今日のテーマは信仰ではなく文化 ^^ 仏像の髪型から大乗仏教の成立ちを考えるという、身の程知らずの企画ですm(_ _)m 建長寺の本尊は地蔵菩薩 d(^_^o) 髪型は坊主頭ですが仏像としては少数派! 古代インドでは、お釈迦様以前から出家者は髪を剃る決まりだった様ですが? https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/23/1/23_1_55/_pdf/-char/ja 仏像の髪型として思い浮かぶのは、パンチパーマみたいな螺髪(らほつ) ja.wikipedia.org 螺髪は一つ一つカールしていて、修行完成者「如来」の髪型とされますが、インドの上流…
庭のジュンベリーの鉢が満開になった。 満開と言っても こじんまりしたサイズなのだけど。。。❀ ブルーベリーもちらほら咲き始めたので 毎日日中はミツバチ達が数匹現れ 受粉をしてくれている。 見ていると ブルーベリーの花の方が ミツバチに人気の様に見える。 レモンの花の蕾が日に日に大きくなっている。そのうちここに アゲハ蝶が飛んで来るのだと思うと 待ち遠しい。 やっと咲いた桜を観に 週末、平日と近くをアチコチ散策した。 市内の引地川沿い。ソメイヨシノが並ぶ。 平日にもかかわらず、駐車場待ちの行列が見たことも無い位長くて。 桜の開花を観る事をニンゲンに我慢させると 人々の桜鑑賞熱は より燃え上がるの…
みんなさん、けんちん汁というと どんなイメージをお持ちですか? 建長寺の精進料理がその始まりと言われています。
今回は東京都東村山市の正福寺(しょうふくじ)について。 正福寺は市北西部の住宅地に鎮座する臨済宗建長寺派の寺院です。山号は金剛山。 創建は不明。寺伝によると鎌倉時代中期に建長寺の石渓心月によって開山されたとのこと。開基については諸説あり、北条時頼とも北条時宗ともいわれます。創建以降の沿革については寺記を焼失しているため不明ですが、地蔵信仰の寺として幕末まで近隣の庶民の崇敬を集めました。 現在の主要な境内伽藍は戦後の再建と思われます。境内の南西にある地蔵堂については室町前期の建築で、関東を代表する禅宗様建築として国宝に指定されています。 現地情報 所在地 〒189-0022東京都東村山市野口町4…
AIとは時にしてありがたいのです。 SNSで鎌倉の投稿ばかり見ていたら、ある日この講演のお知らせを私に提示してくれたのです。絶対聞きに行きます!
江戸時代の中ごろ、東海道・保土ヶ谷宿近くの永田村周辺で、思いがけず禅文化が花開いた。幕末頃の保土ヶ谷宿の様子は、歌川広重の浮世絵(Wikipediaより)から知ることができる。手前の川は帷子川(かたびらがわ)で、橋は帷子橋である。江戸から旅経ち、今まさに保土ヶ谷の宿に入るという場面で、旅人たちや宿の女中たちの姿が描かれていて、当時の宿場の様子がよく表わされている。さらに、広重はブルーの表現が得意で、この絵にも活かされている。 永田村はこの宿場の向こう側にある。今昔マップを用いて、明治39年測図(左側)と現在を並べて表示すると下図のようである。左図で上部右に黄色の矢印で示したのが帷子橋で、そこを…
ch.kanagawa-museum.jp あこがれの祥啓展図録 室町時代の画僧・祥啓の図録をゲットす。 正直、名前すら全然知らなかった人です。 鎌倉建長寺の僧で京都相国寺に度々滞在し、 当地にて中国絵画を学んだそう。 雪舟よりも一世代後の人らしい。 南宋画・元画の影響を感じさせます。 一見雪舟風ですが雪舟のような乱暴力はなく、より端正で実直な感じ。 模倣・贋作は日本美術・中国美術の常ですが、 「啓書記」といって彼のスタイルで描かれた後世の作品が随分あったようです。 影響的には「東の祥啓・西の雪舟」くらいの人らしい。 そんな絵師なのにすっかり忘れ去られてしまい、 生没年さえろくにわかっていない…
ブログへお立ち寄り頂きありがとうございます。 随分と間が空いてしました。 ▼この道の駅 川場田園プラザがすぐ近くの、吉祥寺を参拝してきました。 www.bluemoonbell.work 青龍山 吉祥寺 創建は南北朝時代の1339年、中厳円月禅師を開山和尚として創建されました。 宗派は臨済宗、本山は鎌倉の建長寺。 建長寺派のたくさんの寺院の中で一番北になるため、建長寺の北の門と呼ばれることもあります。 「え?吉祥寺?きちじょうじ?」とうるさい男組(笑) 都内の地名を始め、同じ名前は全国にたくさんありますが、ほぼ全て関係ないそうです。 アクセス 川場田園プラザから車で移動しましたが、徒歩だと25…
大国・元の脅しに対して、徹底して無視を決め込んだ鎌倉幕府。しかし幕府も、必ずしも無策でいたわけではない。この時点で幕府がとった対策は「そうだ!寺社に祈祷してもらおう」というものであった・・・これを読んで、思わず脱力してしまった人もいるかと思うが、当時の人たちは大真面目だった。それだけ祈祷には力がある、と信じられていたのだ。 取り急ぎ幕府は「異国降伏」の祈祷を、建長寺・寿福寺(臨済宗)、極楽寺・多宝寺(律宗)、大仏殿・長楽寺(念仏宗系)、浄光明寺(四宗兼学だが、メインは律宗)の有力寺院らに依頼したのだが、これがまた日蓮にとっては耐え難いことであったのだ。 日蓮にしてみれば、この世にはびこる「邪宗…
今日の給食は、ご飯、牛乳、まぐろと大豆のあおさソースかけ、キャベツのゆかり和え、けんちん汁でした。 こちらのクラスでは、金曜日が自由席ということで、1人で食べたい人、2人、グループで食べたい人と、それぞれ机を動かして食べていました。 けんちん汁は、神奈川県鎌倉市にある建長寺でうまれたといわれています。数人「行ったことある」「この前行ってきた!」とのことです。だしが効いたおいしいすまし汁でした。
甲州街道を歩く 2 上高井戸宿〜日野宿 その1 の続きです。 目次 8 府中宿 9 西府・谷保 10 日野の渡し 11 日野宿
月曜日朝の善福寺公園は曇り。急にすっかり秋めいてきた。 けさの上池のカワセミは、オスのマルちゃんらしいのが1羽。 ヤエちゃんの姿をみなかった。 下池に向かっていると、葉っぱの下に逆さになってとまっているガ。 帰って調べたらマメノメイガとわかった。 どこがマメなの?と思ったら、幼虫は大豆や小豆、ササゲなどマメ科植物を食害するのでこの名がついたらしい。 もともとアフリカからアジア熱帯および亜熱帯圏に分布していて、日本では主に九州や四国から被害が報告されていたが、次第に北上してきているようだ。 下池をめぐっていると、けさはやけにアオサギが目につく。 高い木の枝に何羽ものアオサギがとまっていた。 ナガ…
諸国の家臣達が「いざ鎌倉」という時に急いで鎌倉に駆けつけられる軍事道の脇にあった畑が分譲の為、造成が始まりもうそこから根岸線を撮影出来なくなると知りカメラを持って行ってきました。 この写真の奥に見える山の向こう側が、ちょうど円覚寺や建長寺や鶴岡八幡宮のある場所。 横浜市といってもかっては、鎌倉郡だった私の住む町には、鎌倉に通ずる歴史の道が何本も通っています。 源頼朝が幕府を開いた時に造った鎌倉道の「中の道」「下の道」。幕府第三代執権の北条泰時が1240年に造った中の道の新道にあたる「山の内道」などです。 鎌倉時代は、馬2頭がやっと並んで走れる幅2m程の古道。もちろん当時の面影はありませんが、こ…
こんにちは、しゅー太です。なんか8月に🎉5周年🎉迎えてたらしいですよこのブログ。年4回記事になればいい方だけど、割と続いてて笑う。直近だと、夏は抹茶パフェ食べに関東から離れない範囲で西へ東へ大移動。静岡、埼玉、群馬、群馬、静岡とほぼ一週間おきに食べに出かけてた。勿論移動は長期休暇のお供、青春18きっぷ。まぁ、思い付きで買ってやりたいこと見つからなかったからこんな使い方になったんだけどね。無計画で買うのはやめようね!最近のトピックスは周りの人たちが結婚モードに入り始めたことかな。まぁ30歳前後だしね。同棲したり、式を挙げたり。自分にはいくら考えても縁がないというか"できない"ことだから、素直に人…
日蓮に関しては、これまで数多くの著作が出ている。何冊か読んでみたが、最も客観性があって面白かった本が、日本中世史・仏教史学者である、松尾剛次氏の著した「日蓮・戦う仏教者の実像」である。以降の記事の内容の多くは、この本に書かれていることを参考にしている。(また記事後半に出てくる「真言律宗」に関しても、同じく松尾氏の著作「忍性・慈悲ニ過ギタ」を参考にしている。) 1252年、日蓮は遊学先より安房国・東条にある清澄寺に帰還する。そしてかの地において、遂に立教開宗を宣言するのである。 実のところ、前記事で述べた彼の教義の多くは、時の経過によって幾分か変遷している。例えば「お題目を唱え、即身成仏を目指し…
2025年4月19日〜6月15日に奈良国立博物館で開催される「超 国宝 -祈りのかがやき-」で数多く出品されそうなのが書籍の分野だ。 展示発表済み ・金光明最勝王経 (国分寺経) 奈良国立博物館 ●経典 ・法華経・無量義経・勧普賢経・大般若経は選り取り見取り。奈良博の得意分野なので、あまり展示されないものの出品を期待したい。 ・一切経(中尊寺か金剛峯寺)も展示があるだろう。 ・愚賢経(大聖武)は祈りの始まりと言っても過言ではない国宝。東大寺、前田育徳会、白鶴美術館、東博のものが国宝だが、夢の勢ぞろいが完成したら、それだけで「超」が付く国宝展として語りつくされる。(国宝・手鏡の冒頭の大聖武の断簡…