仏教が、大乗か小乗なんて気にする人は・・・仏教学者とか、学生、仏教マニア? 大半の人にとっては、どうでもいいようなことだろう。 先日、例の松岡正剛著『知の編集工学』を読んでいると、 『 私がいつも強調することなのだが、情報はつねに「乗り換え」と「着替え」と「持ち替え」を起こしている。どんな情報もつねに何かの乗り物に乗り、何らかの着物を着て、あれこれ持ち物をぶら下げている』・・・この行を読んだとき、 釈尊が悟り、仏教原理になった『諸行無常・諸法無我・涅槃寂静』というモノも『情報』とすると、『乗り換え、着替え、持ち替える』・・・つまり、時代とともに時代にふさわしい『形態』をとる、と、ここまで考えた…