織田有楽斎(織田長益)
安土桃山時代〜江戸時代にかけての武将、茶人。信長より13歳年下の十男といわれる。信長の死後、秀吉・家康に仕える。茶は千利休に学び、利休七哲の1人にも数えられる。東京都千代田区有楽町の名は彼の住居跡に由来。また、数寄屋橋も有楽斎が拝領した土地に数寄屋を多く建てたことからの町名とも言われる。有楽流の茶道は彼の次男、織田道八に伝えられる。現在も有楽流七宝会として存続。
1547年 (天文16年)生まれる
1560年 (永禄3年) 桶狭間の合戦 13才
1575年 (天正3年) 長篠の合戦 28才
1582年 (天正10年) 本能寺の変(二条御所から脱出) 35才
1584年 (天正12年) 小牧・長久手の合戦 37才
1592年 (文禄元年) 文禄の役(〜1596) 45才
1597年 (慶長2年) 慶長の役 50才
1600年 (慶長5年) 関ヶ原合戦(東軍) 53才
1614年 (慶長19年) 大阪冬の陣(秀頼の補佐) 67才
1615年 (元和元年) 大阪夏の陣(京都東山に隠棲) 68才