宝永2年6月15日。今年の津嶋祭はとりわけ人が集まる。夜、久屋と鍛冶屋町の間の下馬杭の側の道で50ぐらいの男を裸にして、4ヶ所を切って殺し、サイミ(ママ、細身か?)の帷子で巻いて俵に入れて捨ててあった。江戸において本寿院様が四つ谷の屋敷へ入る。岩之丞様が同道するが途中でわざと帰られる。即刻、国用人河村九郎右衛門、用人嶋沢代右衛門が使いで本寿院様はそこに留まるようにと云々。道具などはすぐに持ち運ぶ。本寿院様を始め女中などはずいぶん驚くと云々。本寿院様は元来淫乱で人の道からは外れていた。そのため公儀からの内意で蟄居する。今後は殿様の対面もないはずである。近頃も一位様の気分がすぐれない際に、様子が変…