前回(中編)では、上写真から見える視覚的情報のみから撮影時期と場所の絞り込みを試みてみた。前々回(前編)での矛盾点指摘分も加味すれば、上写真はおそらく『四日市市史研究』第2号P.100内の紹介文にあるような「大正5(1916)年3月」に「阿瀬知川鉄橋上で」撮影された「開業祝賀列車」ではないことはほぼ確定、といえる。 では、なぜ『四日市市史研究』ではこのような誤った解釈に至ったのか。これには著者である椙山満氏自身によるミスリードが大きく関係している。実は同レポート文中、この写真の直前P.99においてこのような一文が書かれている。 「…写真⑦は四日市駅構内南はづれに架る阿瀬知川鉄橋の西側に1888…