突然思い出したのだが、深井氏の翻訳について、反省が不十分といっている人たちは、例えば辻信一氏に対しての反省は求めないのだろうか? 小生が考えるところ、学問上の不正などよりもよっぽど辻氏の”反省”がみえないことのほうが重要だと思うし、それなしで、大学が教授職につけたり、出版しているということのほうがずっと”反省”を求めるべきことだと思う、しかし、深井氏の研究不正について言う人たちは、そういったひとたちへの追及を行っているのだろうか?すくなくても小生にはそのような形跡は見えない。前にも書いたように、もし自分で深井氏が書いた典拠を確認できず、彼に求めても現物を見られなければ、それは自分は使わなければ…