江戸の名手である。 とくに町人、悪所を書かせたとき、この人の右に出る者は何人いるだろうか。まるで、暖簾の向こうで見てきたようまちの風情を描く。たいした筆力だ。ただただ恐れ入る。 大団円を迎えるまで、地味なシーンに時間を掛ける。それには理由があるし、そこがいい。何かが起こった後の話しなので、基本、何も起こらない。こうだったああだったということになる。でも、前に進むことだけが今を生きるということなのだろうか。振り返りを続けることでかえって今が明瞭になることもあるのではないか。そうして見えてくる今とは、なぜ、こうした今があるのか、という理解が進んだ今であり、「腑に落ちる今」を手にいれるということだ。…