映画はこういうことさえできるのかと思い知る。主人公クラリスが見たもの、聴いたものは、本来ならば彼女以外は誰も共有できないはずのものだ。それはクラリスの主観であり、極めてパーナルな思念だからだ。しかしこの映画はそれを具現化した。絶対不可能と言ってもいいはずなのに、「クラリスだけの世界」を観客に共有体験させてしまった。クラリスが聞いたピアノの音を同じように聞き、クラリスが見た家族を同じように見た。さらには未来までも見ることができたし、夫と対話することさえできた。観客はクラリスと同一化した。だから、だから我ら観客は悼むことができたのだ。本当ならば他者はわかりようもないはずなのに、ありありと悼むことが…