👆父が生前、よく立ち呑みをしていた酒屋さん 以前の記事で、自分が存在しているという感覚は、 視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚、思い、といった、 〝6感〟から立ち上がってくる総合的な〝気配〟 によって成り立っている、というような事を書いた。 相手の目つきを見て、怒っている、と思ったり、 誰かの一言を聞いて、悲しい感情が出てきたり、 肌寒さを感じて、セーターを着ようと思ったり、 それら〝反応の活動〟を〝私〟だと捉えている。 しかし、怒ろうと思ったり、悲しいと感じたり、 セーターを着ようと〝決めている瞬間の自分〟を 絶対に捉えることはできない。 捉えた時にはすでに過ぎ去っている。 要するに出来事に対する…