中吊り倶楽部 宮崎哲弥, 川端幹人

中吊り倶楽部 「メディアの辻説法師」と「業界の地獄耳」の高級時事漫談

中吊り倶楽部 「メディアの辻説法師」と「業界の地獄耳」の高級時事漫談

朝日新聞社発行の『論座』で連載していた同タイトルの単行本化。中身は週刊誌批評。
対談相手に『噂の眞相』の元副編集長を持ってくる辺りがセンスだなぁ。
ミヤテツシンパと言われても言い返せないくらい宮崎哲弥は評価してるので、ウリが読むとどうしてもミヤテツマンセーになるんですが、9条支持者が論破されるのを見るのが面白いと感じる人にはオススメできるか。
ただ、時評なので時代遅れな話題もかなりある。昔のことはどーでもいいと思う人にはオススメできない。

かなり長いが、特に重要だと思った記述を今後のために引用しておく。基本的に表現の自由に関するもの。

p95-96 初出『論座』2006年2月号
宮崎−−デンマークの新聞がイスラム教の預言者ムハンマドの風刺がを載せてイスラム教徒の抗議を受けている問題。日本のメディアは肝心要がさっぱり理解できていないでしょ。そのくせ「表現の自由は絶対ではない」なんて、言論機関にあるまじきバカ話にすぐ流れる。
川端−−「敬虔な信仰心を傷つける権利までは、表現の自由にはない」という社説を載せた読売新聞(2月11日付)とかね。報道機関が何言ってんの、と愕然とした。表現の自由っていうのは、何にも制限されちゃいけないものじゃなかったの?
宮崎−−もちろん、プライバシー権などの他の人権と衝突するときは事後的に調整する必要がある。だけど、宗教に関しては一寸も譲ってはならない。なぜなら、そもそも表現の自由というのは宗教権力との闘いで形成され、思想信条の自由と表裏一体の関係にあるからです。つまり信教の自由が成り立つ最低限の条件こそが表現の自由なんだよ。同一平面上で比較衡量してはならないのです。こんな基本をまるでわかっていない!オウム真理教事件で宗教を腫れ物のように扱ってはならないことを、日本のジャーナリズムは強かに学んだはずなのに、またも元の木阿弥かい!
川端−−こんなもの認めれば、あらゆる宗教がそれを主張し始める。オウム真理教創価学会を批判、揶揄することが許されない社会を想像してみろ、ってことだよね。

確かに表現の自由は絶対ではない。
「敬虔な信仰心を傷つける権利までは、表現の自由にはない」のなら、もし傷つけた表現が事実だとすれば、たとえ事実だとしてもそのことを表現できなくなってしまう。これは事実の隠蔽に繋がる。
表現の自由が抵触する権利は、わいせつ、名誉毀損、犯罪の煽動だけである。
但し名誉毀損は、あくまで事実と異なる場合にのみ適用される。

P177-178 初出2006年8月
宮崎−−(前略)一刻も早く「靖国改革」に乗り出さなくてはならない。その点で、麻生太郎外務相が提案した「非宗教法人化案」は画期的だった。ていうか、私がかつて『論座』で提起した「靖国国有化案」とほぼ同じ。これに従来の「A級戦犯分祀や新施設構想を含め、「審議会」レベルの諮問機関を設置して検討すべきですよ。
川端−−僕はそこに、国家としては戦死者を祀らないという選択肢も加えてほしいけどね。
宮崎−−えっ。完全に国家追悼をやめろってこと?そりゃ無理だろう。だって国家、公共のために落命した人に対し、国として感謝し、追悼するのは義務じゃないの?
川端−−でも戦死者を祀るということは、逆に言うと、今後も国家のために国民に命を投げ出させるということでしょ。僕は国民に義務を負わせない、ゆえに戦死者は美化しないというのが正しい姿勢だと思うけど。
宮崎−−おっ、珍サヨクの地金が出てきたね。例えば、東京都慰霊堂という関東大震災東京大空襲の犠牲者のための都の追悼施設があって、春と秋に慰霊大法要が催される。もしあなたが言うように、公的追悼=美化という等式が成り立つとすれば、東京都慰霊堂は震災や空襲の犠牲者を美化しているということになるが、そうかい?それに、だいたい追悼や慰霊の儀式なんてのは、戦死者自身のためではなく、遺族や戦友のために執り行うのだから、多少の美化や検証があって当然でしょう。高橋哲哉氏とかはここらへんがぜんぜんわかっていない。
川端−−でも、軍人と犠牲者では、追悼の意味が違うでしょ。
宮崎−−逆ですよ。ごく普通の葬式だって、故人の遺志を偲ぶのが当たり前なのに、戦死者の場合、国家、公共のため、皆のために命を落としたんだよ!むしろ「国のために死ねるか」なんてバカげた、強迫的な問い掛けをするメディアや、追悼の対象を軍人に限ろうとする民主党小沢一郎代表の構想こそが非難に値するんじゃないかね。軍隊だけじゃなく、消防士や海上保安官や警察も、国や公共のためにかけがえのない命を落とすことがあるわけだから。
川端−−でも、彼らは靖国に祀られていないよ。
宮崎−−もちろん追悼の対象とすべきだと思う。だから「靖国改革」がの検討が必要なのです。ときに朝日の従軍記者が靖国神社に合祀されているの知ってる?そのとき、この新聞社は「通信職務遂行のために戦死した新聞記者が同神社に合祀されることは全く今回が初めてで遺族並に本社の光栄はこの上もない次第である。」(昭和13年10月7日付東京朝日新聞)と書いてある。
もし靖国合祀が戦死礼賛に繋がるというのが社論ならば、やはり朝日新聞は社として靖国神社にこの記者の分祀を申し入れるのがスジだと思うがなぁ。

個人的にはA級戦犯分祀すべきだとは思っていない。(合祀すべきだと考えが固まってる訳でもないが)
少なくとも戦前と戦後の体制が違うのだから、国が新しく追悼施設を作り、戦後の戦死者等についてはこの施設で追悼すべきだとは思う。
靖国神社がこれらの死者に対して追悼するか否かは国の判断は入れない方向で。

p190 初出2006年9月号
宮崎−−私は改憲論者だけど、「憲法は国民の名による統治権力に対する命令なり」という近代立憲主義のプリンシプルを徹底すべしという立場。この原則に照らして、9条および96条の改定を唱えている。だけど、一部の保守派が主張している「国民の義務」条項の増設は、この近代憲法の原理に抵触する。
(中略)
憲法憲法を欧米流のオーソドックスな立憲制とは逆に、「国民を規律する最高規範」と捉えるのは中国由来の法概念に基づいている。「義務条項を増やせ」論者には病的なまでの中国嫌いが多いけど、自分たちが知らず知らずのうちに中国流に染まっていることに気づいていないなんて、恥ずかしいよなあ。

この原則は非常に大切。憲法は神から与えられた聖典ではない。
構造的には国民自ら支持したものであり、統治権力に対する命令である。故に国民に対する義務は法律にのみ明記できる。
故に26条第2項、27条、30条も変えるべきである。


第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。 
第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
第30条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
 

国民が戦後と比べて変化しているのに、憲法だけが時代を経て全く変化がないというのは明らかにおかしい。
9条に関してはもちろん問題あるし、変えるべきだとは思うが、現時点で変えるべきではないという人が相当数いる現状を鑑みて優先順位は低いとみる。
個人的には真っ先に変えるべきは、実質憲法改定を阻害している96条の2/3規定だと思う。
天皇制を廃止するにしても、この条項の変更抜きには実質不可能なんですよ?
故に護憲論者は、天皇制を否定する資格は全く無いと思うのだが。


第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

p358-359 初出2008年3月
宮崎−−今回のプリンスの行為は民事上の債務不履行の問題として、あるいは商道徳の次元としては当然批判されるべきだし、日教組が被った損害に対する賠償金を支払わなければならない。でも、憲法の規定が私企業をも縛ると捉えるのは間違いで、それなら、そもそも日教組の予約を断る自由はないことになってしまう。今回の事例は一旦締結された使用契約を、ホテルが自らの都合で一方的に解除したのが問題であって、はじめから予約を受け付けなければなんら問題なかったんだ。他方で、神奈川県箱根町で、「箱根九条の会」が集会のため、町の施設を借り受けようとしたところ、町教育委員会に「九条堅持に偏って主張することは避けること」などと条件を付けられたそうな。これは憲法の規定に抵触する。本末転倒でしょう。私が人権擁護法案に強く反対するのも同じ理由で、それが私人の活動を制限するものだからですよ。人権というのは第一義的には中央や地方の政府の権限や活動を制限するものであって、公権力の作用に対する反作用みたいなものなんです。本来、私権や私人の活動を制限するものではないし、制限してはならない。
川端−−それはたしかに明快だね。
宮崎−−まあ、原理はそれでいいんだけれど(笑い)、悩ましいのは、例の児童ポルノの所持禁止法案ね。映像物や印刷物の単純所持を禁ずるというのは明らかに「表現の自由」の制限。でも、写真や動画はその製作過程で、虐待などの犯罪か、犯罪に等しい行為が行なわれている可能性が高く、明らかに被害を受けている児童がいる。さらに、そうして製作された画像がネットに出回れば、その子の名誉が生涯にわたって棄損される可能性も捨てきれない。そうなると、ストレートには反対できない。
川端−−僕は公共性の崩壊を法規制で食い止めようとする動きがここまできたかって感じで、違和感がある。ネットについても、同じような動きがあるでしょ。
宮崎−−うん。そういうネット情報管制への権力の欲望は顕著になってきてるね。私は原則反対していくつもりだけどね。

プリンスの行為はwikiプリンスホテル日教組全体集会拒否問題の項を参照。
単純所持の問題は確かに悩ましい。
だが、少なくとも二次元に関するものに関しては被害者が存在しないが故に、これが争点にはなり得ない。