「日本の伝統的宗教観、天皇教、靖国神社」についての愚考

日本人のための憲法原論 『日本人のための憲法原論(小室直樹著)』が面白い。
この本は一見何の関係もないように見える西洋近代史と日本とを見事につなげてくれる。目から鱗をボロボロと掻き落としてくれる一冊で、いわゆる「天皇教」についても解説されている。11章「天皇教の原理」がそれだが、ごくごく簡単にまとめてみると、
欧米列強の力を目の当たりにした明治の元勲たちは、日本という国を近代化・資本主義化する必要性を痛感した。そして国家の近代化・資本主義化には立憲政治が不可欠であり、憲法を制定するには宗教が必須の要素であると見て取った。ここでいう宗教とはキリスト教のような絶対神を擁する一神教であり、それまでの日本に根付いていた神道や仏教のような多神教ではない。日本に一神教の伝統がない。そこで明治政府が考え出したのが、天皇を日本人にとって絶対唯一の神とすること、天皇キリスト教の神と同じようにするというアイディアであり、これを実行に移した。
このことを裏付ける伊藤博文の発言が紹介されている。
「ヨーロッパにおける憲法は、いずれの歴史の中で作られて来たものであって、どれも一朝一夕にできたものではない。しかるに、我が国ではそうした歴史抜きで憲法を作らなければならない。ゆえに、この憲法を制定するに当たっては、まず我が国の『機軸』を定めなければならない。...ヨーロッパにおいて、その『機軸』となったものは宗教である。ところが、日本においては『機軸』となるべき宗教がどこにもない」
そして『機軸』として採用されたのが
「葦原の千五百秋(ちいおあき)の瑞穂の国は、これ吾が子孫(うのみこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり」
という天照大神の言葉の言葉、つまり、日本国は神によって繁栄を予め約束された土地だという、日本神話*1あった。この伝説は江戸時代の後期に既に「尊王思想」として理論的に完成されていたものであり、キリスト教の聖書にある「契約」と極めてよく似た構造を持つものである。これを明治政府は採用したのであった。

明治政府によって作り変えられた神道の教義

明治政府によって採用された神話は強化され、それ以後日本の『機軸』となった。この『機軸』が打ち立てられたことにより、日本は多神教の国から一神教の国へと宗旨替えをしたのだった。そして江戸時代までの「多神教的」神道は、明治政府によって弾圧されることになった。
一般的には明治初期に弾圧されたのは仏教であるとされている。廃仏毀釈運動があったことは歴史の常識だが、これも『憲法原論』によると徹底的に作り変えられたのは仏教よりもむしろ神道で、ここでは春日大社神職の話が紹介されているが、それによると「古くからの儀式はみんな明治時代で途絶えてしまった」ということらしい。また昔は集落ごとに数多く存在していた小さな神社も、ほとんどが統廃合されてしまった。これはわが和歌山県が生んだ博物学民俗学の巨星・南方熊楠の残した記述などからも明らかだ。
神道の教義が大きく変わったことは、明治以降に作られた神社の性格を見ることによってもよくわかる。靖国ももちろん明治以降のものだが、それ以外にも神武天皇を祀る橿原神宮桓武天皇平安神宮など、どれも天皇家の功績を顕彰するためのものだ。これは天皇教の権威、最高神アマテラスの子孫である天皇の神性、を強化する目的で作られたものである。ところが本来の「八百万の神々」の神道には、最高神などというものはなかったのである。たとえ最高神とされている神がいたとしても、それは一神教的な絶対の神ではなかった。古くからの神社の存在はそのことを表している。
例を1つ挙げると、菅原道真を祀る天神社。道真公は有能な人物であったらしいがそれゆえに大貴族の妬みを買い、大宰府に左遷され、その地で恨みを呑んで死んだ。その後、都でさまざまな天変地異が起こったことから道真公の祟りとされ、その祟りを「水に流す」ために北野天満宮に祀られる。その後は学問の神様として、未だに多くの人から崇められる存在になっている。祟りをなす怨霊も、祀られ「水に流す」ことが行われた後は、人々に恵みをもたらす善き神となる。これが日本の伝統的な宗教の姿なのである。
そしてこの天満宮の存在は、日本の伝統宗教では最高神の力というものがいかに貧弱なものかを表す好例にもなっている。そもそも最高神の力が強力なものであるならば、怨霊など何ほども恐れるものではないのだ。まして天皇最高神の子孫ではないか。その天皇が祟りを恐れたという事実は、天皇の祖先で最高神たる天照大神が当てにならないということを示している。

「溜める」靖国神社

ところが明治以降、天皇教となって一神教に衣替えをした日本では、神たる天皇がとても頼りがいのある存在へと変身する。その象徴が靖国神社である。

靖国神社は、明治2年(1869)に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争徳川幕府が倒れ、明治の新時代に生まれ変わる時に起った内戦)で斃れた人達を祀るために創建された。
 初め、東京招魂社と呼ばれたが、明治12年靖国神社と改称されて今日に至っている。
 後に嘉永6年(1853)アメリカの海将ペリーが軍艦4隻を引き連れ、浦賀に来航した時からの、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、明治10年西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった神社である。

この記述は靖国神社のHPからの引用である。「尊王思想」は明治維新の原動力であり、この靖国神社(東京招魂社)創立の趣旨にもその一神教的思考が既に反映されている。招魂(=魂を招く)とはおそらく天皇に捧げた魂を招くということであろう。ここには鎮魂(=水に流す)はなく、あるのは顕彰(=溜める)である。だが創設の時点ではまだ「過去に斃れた」人たちを祀るための神社であった。
時代が進み、国の『機軸』が定められ、列強との生存競争が激しくなるにつれ、この神社が「過去に斃れた人」のための神社のみならず、将来斃れる人のための神社に変身していくのは当然の流れであったろう。そしてこの背景にはやはり絶対神となった天皇の存在がある。絶対神であるから、伝統的神道のように祟りなど怖れる必要はない。神の国天皇のために斃れた人たちが、どういう思いを呑んで死んでいったかなど、お構いなしになってしまった。天皇のために死んでいった人は英霊として顕彰される。これは絶対神たる天皇が定めたことであるので、だれも変更できない。靖国はそういう教義を体現する神社となった。
そしてさらに天皇教を『機軸』と定めた明治政府の教育(=布教)が行き届くようになるにつれ、絶対神に帰依する兵士が続々と誕生した。天皇の戦士を顕彰する靖国神社という舞台装置と相俟って、日本は「聖戦(=神の名の下の戦争。現在でも一神教世界には頻発している)」に突入する体制が整った。「聖戦」の目指すものは『八紘一宇』であった。

神の座から降りた天皇 神の亡霊にすがる靖国

代替文聖戦は日本の無条件降伏にて終了した。そして昭和天皇人間宣言
マッカーサーと並んだ昭和天皇の写真が新聞に掲載され、それまで「絶対神」と教え込まれていた天皇が宣言の通りの「人間」であることを国民は知った。これにて明治の元勲たちが作り上げた神話は崩壊したはずであった。
戦後に制定された憲法において、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」となった。この規定は戦力放棄と引き換えに日本が勝ち取った条項だとされており、またGHQが日本の占領を穏便に行うためには必要な条項だったのかもしれない。しかし、ここにはまだ一神教的な色合いが残されている。
明治以前の日本の伝統的宗教観(=日本教)からすれば、天皇は祭主であった。明治以前にも天皇絶対思想がなかったわけではない。中国の「徳治思想」を取り入れ「天皇=皇帝」*2と為そうとした動きもあったが、後醍醐天皇による「反乱」を最後に、明治維新までそうした思想が日本の中心思想になったことはなかった。江戸期に興隆した「尊王思想」も江戸期においては異端の思想であった。
憲法を日本に押付けるに際して、GHQは日本の伝統的宗教観を研究すべきであったかもしれない。天皇を「日本国民統合の象徴」ではなく「日本教の祭主」と位置付けていれば、今日の靖国を巡る混乱はなかったであろう。
日本の伝統的宗教観から戦後の靖国を見れば、靖国で祀られる英霊たちは英霊ではない。英霊とは顕彰される者であり、何を顕彰されるかというと「天皇のために死んだ」という事実である。この事実は絶対神により一方的に顕彰される。だが、絶対神たる天皇がいなくなった今、彼らの死は鎮魂されるべきものとなる。恨みを呑んで死んでいったかどうかは定かではないけれども、彼らの死は鎮魂され、水に流され、人々に恵み(=平和)をもたらす神となるはずだ。
そういった意味では、現在の小泉首相が「心ならずも死んでいった人たちの魂を慰め、平和を祈る」ために参拝するのは正しい。
 
しかしながら、現在の靖国は未だ、創立時の宗旨から宗旨替えをしていない。絶対神たる天皇がいなくなったにもかかわらず、いまだその亡霊を引きずってその教義に執着している。A級戦犯*3を英霊とすることができるのは、その背後に絶対神があるからである。絶対神には平和も何も関係ない。その絶対神にどのように帰依したかを絶対神が一方的に判断し、顕彰する。靖国がいまだ守る教義とはかつての日本が『機軸』とした教義だ。そしてそれを守ることは新たな憲法で認められた宗教法人の権利ではある。
しかし、そのような宗教法人に現在の憲法によって身分を定められた公務員が参拝することは許されない。なぜならば現在の憲法は、その宗教法人の教義を否定することによって生まれてきた憲法だからである。ゆえに公務員が靖国を参拝することは、現憲法の精神を否定することになるのである。このことは決して「個人の自由」などではない。そのような自由が許されるならば、憲法など何の意味も持たない。

宗教のない社会などない

日本人の多くは、自らを「無宗教」だと思い込んでいる。靖国を巡る混乱の大元はここにある。当人が自覚しているか否かに関わらず、人は何らかの宗教観(=価値観)に縛られている。靖国を巡る論争がかみ合わないのは、それが神学論争であるからである。
現在でも靖国を支持する人たちがいて、その人たちは靖国に英霊が祀られていると感じることで安らぎを得ることができる。これは靖国の教義を支える絶対神を信仰しているからである。そしてこの場合、必ずしも絶対神天皇とは限らない。そもそも神とは、存在するかしないかは証明することができないものであって、その人が信仰する限りにおいて実存するといったものだ。
かつてこの教義が日本に大きな不幸をもたらしたのは、神が実際に存在すると考えたからである。天皇=神と考えられ、天皇の意思(と思われたもの)が絶対となった。天皇教に限らず、これはどの宗教でも見られる現象であり、過去のキリスト教においてもこの現象が起こったがために宗教的対立から抗争が繰り返し行われた*4。このことは逆に、神が信仰の中でのみ実存する限りにおいては、大きな抗争を引き起こすことがないということを示してもいる。
話は脱線したが、靖国の神を信仰しない人が、靖国の神から安らぎを得られないのもまた、当然のことなのである。そしてこの人たちは靖国を別の宗教観(=価値観)を元に否定する。これでは議論のかみ合うはずもない。
政治(=まつりごと)を行う者たちは、自らがどういった価値観(=宗教観)に基づいた法によって己の身分を定められているのか、そこにもっと自覚的であるべきだ。むしろ公務員には信教の自由などないとするべきかもしれない。これはこれでまた大きな問題を孕むのだけれど。

修正

「現在の小泉首相が「心ならずも死んでいった人たちの魂を慰め、平和を祈る」ために参拝するのは正しい。」

「現在の小泉首相が「心ならずも死んでいった人たちの魂を慰め、平和を祈る」ために参拝するのなら正しい。」

*1:この神話は天武・持統天皇の頃に確立したものであるが、これは日本の伝統的な思想を書き表したものではなく、むしろそれまでの「大和」の思想を否定するために作られたという説がある。これ もまた極めて興味深いものなので、また別の機会に紹介したい

*2:天皇」に「皇」の字が使われていることからも「徳治思想」から日本教も影響を受けているのは間違いない

*3:先ごろA級戦犯合祀を巡っての昭和天皇の「お心」を表すとされるメモの内容が公表されて、さまざまに議論となっている。私が昭和天皇に抱いている感想からすれば、「不快感」は当然だろうと思う。昭和天皇は戦前においても自らを「絶対者」と考えたことはなかったはずだ。美濃部達吉天皇機関説を支持したといわれているし、軍部に偶像として祭り上げられた自分を自覚していたであろうから。そのことで昭和天皇自身の戦争責任が完全に免責されるとは考えないが、それは措くとして、昭和天皇が自分を偶像として祭り上げた指導者(=A級戦犯)たちとその偶像によって死に追いやられた英霊達とを同列に置くことに不快感を持つことは、一人の人間として至極もっともな感情だと思う。

*4:「絶対」を認めない仏教においては、宗教対立による抗争が起ったという記録がない。ただし日本だけは例外で、日本では仏教間の教義を巡っての対立から抗争・弾圧が行われている