* あと一ヶ月で、4年になる!
 『咽喉過ぎれば熱さ忘れる!』だが、日々好日を心かけ過ごしている。
もう、債権機構からの弁護士への問合せもなくなり一年近くになる。
あと一年の5年が一つの目安。去年の今頃は、消費税の未払い分の件で、
弁護士事務所で国税の調査を受けたり、住友系債権回収機構から、郵貯
個人年金を数十万を差し押さえられたりしたが、その後は何も無し。
 この稀な経験のない人や、社会は、倒産=悪と勝手に決め付けるが、
この経験を通し分かったことは、何事も±の両面、いや多面があること。
病と同じで良質の内に先手を打つことで、悲惨な結果を避けることが出来る。
それには事業設計段階から、万一の備えを組み込んでおく必要がある。
 事業整理の目安を、資金繰りに追われる下ライン(中小企業の3分1)か、
装置産業もあるが)営業赤字に陥った段階を自主清算?と予め決めていた。
そしてリーマンショックから二年半、そのラインに触れた瞬間に決断。
そのため、準備段階を含めた45年間の事業人生で、資金繰りの苦労を
一切なしで終えることが出来た。一般債権、労務債権は、ほぼゼロ。
これらも一般常識からみて不思議のようだ。その上に、そのまま自宅に住んで、
何も変わらない状態が憶測の世間話をつくっている?のだろが、それを許す
ほど現実は甘くないのは周知のこと。何とか軟着陸だったが、15年の準備
期間と30年間の新潟駅前事業、合計45年間のエネルギー体(会社)を、
自ら潰すのは自殺に似ている。その苦悩、恐怖、痛さ、辛さが分かる筈がない。
それぞれが、そのレベルの価値感を講釈をするだけ・・ 得たもの失った
ものが多いが、その間、魂が被植民地化されてなかったことも事実。
 ニーチェが、『価値は、全てある観点から見たものに過ぎない。
確かな真理などというものはない。ただ、様々なパースペクティヴ
(=観点、見方)があるだけ』と述べている。 という、この論も、
私の枠内の価値の羅列で、身勝手な論法でしかない。日々、是、口実か。
でも、シリアスの側面からみれば、この結末も悪くはなかった?(>_<)
 少し考えれば分かるだろうが、こんなシリアスでリアルの経験もない!
幼児の頃から子守唄代わりに聞いていた、何?を自分が現に経験できた面白さ。
 その認識はそれぞれの教養と、両親の質に比例。洗脳された共同幻想のまま、
勝手に「決め打ち!」をするが、それが鮮明に見えてくる。 カントの認識論に、
「対象に認識が従うのではなく、認識が対象を従える」が、そのまま、鮮明
に見えてくるのが堪らなく?? アウトサイダーとは、そういうもの。
それも、過って自分も思い込んでいた共同幻想の認識とくるから・・
 娑婆など、軽薄そのもの。 いや、軽薄は、私の方か!〃゚д゚〃 *ノωノ)テッ
――――――
4744,閑話小題 ー3年前の日記より
2014年03月11日(火)
  * あれから三年経ったが
 3月11日といえば、東北大震災から三年になる。
10年日記帳には具体的な現象を記録しているので、振り返ってみる。
 震災と、倒産への、生々しい日々が書かれている。人生の大きな節目に、
こういうことが重なるのが不思議である! 忘れたいが、そうは言って
いられない。直視し、現在を見つめ直すしかない。それにしても、日本の
政治は明らかに変!
・2011年3月09日(水):昨夜半、数時間、眠れず。 正午、轡田氏、
 事務所に来訪。2時まで。 事業断念に向け具体的になってきた。
 年齢からしても、こんなものか。終わりの始まりということ。
・3月10日(木):16時〜17時45分(会計事務所と弁護士事務所の共同
 センターの一室で)支配人、副支配人、会計事務所の担当Jさん、
 弁護士と、打ち合わせ。6月か、ゴールデンウィーク明けか、秋口か? 
・3月11日(金):14時から支配人と、前日の話合いの内容をチェック。
 決断は私がするが・・ その時に、14時46分に大きな揺れ。どうも、
 揺れ具合が、普通ではない。これは何処かで大地震が起きたはずと
 TVを入れると、東北で、過ってないほどの大地震と報じている。
 そのまま見ていると、とにかく海辺の人は非難するよう絶叫。
 新幹線は不通、17時過ぎに長岡に向け、バスで帰ることにした。
・3月12日(土):昨日の地震は、時間が経つにつれ、想像を絶する惨状。
 津波で多くの街が水没していく内容がリアル。昼は近くのイタ飯屋の
 サエゼリアで食事。
・3月13日(日):報道が、福島原発の崩壊に向いている。TVは全局、
 この震災関連。福島は、かなり危険な状況。 YouTubeをみると、
 さっそく、リアルな投稿が多く流されている。
・3月14日(月):新幹線が不通のため、車で新潟に向かう。高速道路に
 車がいやに多い。新潟回りで東北に向かっている。
 11時に福島原発の二つ目が爆発、かなり危険のようだ。
・3月15日(火):福島原発、3つ目が爆発、ますます危険になってきた。
 そういえば、学生時代の友人の奥野君が、仙台の海辺に終の棲家にして
 いるはず。東京の加藤君に電話をする。奥野君とは連絡取れず!
・3月16日(水):今日予定していた林さんとのコンサルト、この混乱で、
 中止。原発事故が、差合っての大問題。もしかしたら、金沢か、山陰
 あたりに避難? それより、会社のことがある。明日か、明後日に
 決断しないと!
・3月17日(木):前日は、車で自宅に。(新潟に16年間赴任していた
 大学時代の友人)東京の三崎君に電話を入れる。東京は、平静という。
 それより、明日にでも会社存続か、断念か、の決断である。
・3月18日(金):為替介入があって、79円ー>81・4円へ。大震災から、
 まる一週間になる。これで日本は新たな領域に入る。
 今日の、二人の役員との打合せで、事業断念を決定する。
 来週、弁護士と、その手続きに入る予定!
▼ 東北震災の中での、大きな節目。何か、いま一つ、現実感が無かった。
 しかし、動物的な感覚が、茹で蛙の自分を支配して、目の前の処理案件を
 淡々と一つずつこなしているのが見て取れる。 毎月、30年間、月次
 決算に来ていた会計事務所の担当が、「楽しんでいるように見える。
 不謹慎!」と、言われたが、この事態に現実感を持って動いては
 いられない。修羅場は修羅場で違う人格が現れ出る。ただ、後悔や、
 逡巡はしていられない。身近がまず、手のひらを返すのは当然だが・・
 あるのは、節目時の隠れた野生の感覚。 3月19日以降は、後日に
 書き出すが、この内容、自分でも、面白いのだから、第三者は、
 もっと面白い? 書き残す醍醐味か、変質者か? それでも大震災の
 ドサクサに、助けられた。
・・・・・・
4377, 「世間」の捨て方  ー1
2013年03月11日(月)
           ー「世間」の捨て方 ー ひろ さちや(著)
 創業は、既存の業界を根底から否定し全く新たな形態をつくること。
起業だけでなく、何かをなすということは、社会、世間に距離が出来てしまう。 
社会学を専攻した影響もあるが、内から目線(信念)と、自分を見つめる
上から目線が強くなる。この経済の大津波に押し流されても平然?として
いられるのは長年かけて作ったバイアスがあるから。世間など、とうの昔に
捨て去ってきた。しかし世間にどっぷり浸かってきた人には、新鮮で奇異
だろう。 ーまずは、アマゾンの内容紹介ー
【 景気に振り回される生き方はやめよう。世間はいつも狂ったもの。
 社会と距離をおき自分だけは愉快に楽しく暮らせばいい。
そのための考え方を 語り尽くす本。】  ーまえがきーより
≪ 「自己中心」の反対は何でしょうか? わたしは、それは「世間中心」だと
 思います。普段、わたしたちは「世間中心」で生きています。無意識の
うちに世間を気にしているのです。世間に気兼ねをしています。子どもの
ころから、わたしたちは「そんなことをすると、世間の人から笑われますよ」
と言われ続けてきました。「世間の人から褒められる人間になりなさい」
「立派な人になりなさい」と教えられてきた。つまり、世間の「期待」
に応えることが求められていた。しんどい生き方ですね。
 よく考えてみてください。世間の「期待」に応えるといっても、その「期待」
が何なのか、あなたに分かっていますか? 
企業が「期待」する模範社員は、おとなしくて、あまり自分の意見を言わず、
仲間と協調する人間でしょうか? それとも、独断専行的ではあるが、行動力
のある人間でしょうか?場合によって違っています。とすると、あなたが企業の
「期待」に応えるためには、場合場合に応じて自分を変えねばなりません。
どう変えればよいのかさっぱり分からないままに、ともかく自分を相手に
合わさねばならないのです。疲れますよ。そんなことをしていると、人間失格
になってしまいます。だから、わたしたちは世間を捨ててしまいましょう。
世間の「期待」なんかに応えなくていいのです。だいたい優等生というのは、
相手の「期待」に応えようとして、うじうじ悩んでいる人間です。
いままでの時代は、そんな人間がある程度幅を利かせていたかもしれません。
でも、これからの時代、世の中がどう変わるか、誰も予測できません。
とすると、優等生的生き方をしていてはだめなんです。「世間中心」では
なしに、もっと大胆不敵に「自己中心」でいきましょう。
・・世間のほうがどうしてよいか分からず、われわれに気兼ねしているのです。
いまの時代をそのように読んでいます。本書において、わたしは自己流の時代
の読み方に従って、われわれの今後の生き方を考えてみました。これまで誰にも
言わなかったことですから、きっとあなたの生き方の指針になると思います。
ぜひお読みいただきたいと思います。 ≫
▼ 学生時代の武澤ゼミでのケーススタディ。15人位で、会社内のトラブルの
 現象の問題点と背景を捉え、原因と対策の意見を出し合い円座で議論する訓練。
プリントされた問題点には、多くの要素が隠されている。その答えは思いも
よらない分析と回答が用意されている。ゼミの出した結論と、それを対比し、
更に議論する。よい経験をしたものである。そして社会に出てみると、それぞれ
の具体的構造が、リアルに見え過ぎ戸惑うほど。事業の立上げには理想的経験。
で、最後は経済恐慌など三連発で、この様。でも、悔いもない。それを選択した
のが、私なのだから。東北震災の被害者は、その世間を根こそぎ失ってみて、
絆の暖かさと、逆に無意味さを感じ取っているはず。世間消滅も善し悪し!
・・・・・・・
4003,宇宙は本当にひとつなのか ー6
2012年03月11日(日)                  
* 多次元宇宙論と多元宇宙論 ー2 「宇宙は本当にひとつなのか」村山斉著    
 ♠ 多元宇宙論とは  ー 宇宙は一つではない ー
◇「多元宇宙」= 暗黒エネルギーを説明するためには、相対性理論量子力学
 を1つにした新しい理論が必要だ。その最有力候補の超ひも理論のよれば、
 まだ未完成だが、膨大な宇宙が存在するという結果が出てしまう。
 これが宇宙は10の500乗個も作られたという「多元宇宙」という考え方だ。
◇ ー三次元のサンドイッチー
 これまでの話をまとめると、多次元宇宙とは、宇宙自身は一つで、私たちが
見ることのできる三次元空間以外にも別の方向があるというものでした。
しかし多元宇宙は、その前提が大きく変わります。宇宙自身が一つではなく
たくさんあるという考え方が多元宇宙です。多元宇宙というアイデアの一つの
例として、三次元空間がサンドイッチのように何層も存在するというものが
考えられます。これは私たちが生活する三次元空間がいくつもあるのではないか
ということですね。 しかし、この場合は、たくさんあるといっても、全体から
見ればひとくくりの空間の中に収まります。ということは、一つの宇宙の中に
私たちが実際に見ることのできる空間と同じような三次元空間がいくつもある
ことにすぎないのです。実際、重いものを、この三次元空間の中に置くと、
別の三次元空間に影響が出ます。例えば私たちの宇宙が図の「宇宙」とします。
「宇宙2」にある星や物質は私たちの星や物質とぶつかったり反応したりする
ことはできません。しかし三次元方向で近くに来ると重力では引き合います。
もしかすると暗黒物質は重なった別宇宙の物質という説がある。
▼ 暗黒物質と暗黒エネルギーは、別宇宙の物質と考えると理にあう。 
 ヒモ理論が10次元の異次元宇宙の可能性を説いている。この本でも述べて
いるが、「人間原理」という、カント哲学風の「宇宙を認識するから
宇宙は存在する」という素朴な説が立ち現れる。
・・・・・・・
3637, 「みずうみ」 茨木のり子
2011年03月11日(金)
だいたいお母さんてものはさ  しいん としたとこがなくちゃいけないんだ
名台詞を聴くものかな!
ふりかえると お下げとお河童と 二つのランドセルがゆれてゆく 落葉の道
お母さんだけとはかぎらない 人間は誰でも心の底に しいんと静かな湖を
持つべきなのだ 田沢湖のように深く青い湖を かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で それこそ しいんと落ちついて 容易に増えも
減りもしない自分の湖 さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖
教養や学歴とはなんの関係もないらしい 人間の魅力とは たぶんその湖の
あたりから 発する霧だ早くもそのことに 気づいたらしい 小さな二人の 娘たち
 ーー
 みずうみとは、 内省する時間、孤独の時間、過去を省みている時間。
この畔で水面にうつった周囲の景色や現在の自分の姿を眺めて、我を忘れ
佇んでいる静粛が永遠に通じる。
・・・・・・・・
3272, 裏読み日本経済  ー2
2010年03月11日(木)
 * 9・11テロを予測していた投機筋
為替のディーラーをしていた著書「新・マネー敗戦」に刺激的な文章があった。
「・・・2001年の7月からスイス買いが始っていたのである。それは、何らかの
危機が迫っているを察知していた投機筋がいたからだ。当時、北米からの資金が
スイスに大量に流れているという構図があった。 さらに、欧州通貨でみても
スイス買いが進んでいるのが英国ポンドである。ユーロではスイス売りが進んで
いるのに、ポンドでスイスが買われているということはつまり、欧州通貨内で
みる限り、米ドルに何かが起こることを示唆しているともいえるのだ。
以上の理由から、米国発、あるいは北米発の金融危機が起こるかもしれないとう
漠然とした予測が脳裏をよぎり、ドル・スイスに関しては「ドル売り・スイス
買いにしたままで、二ヶ月後の9・11を迎えた。これは偶然の一致の域を
超えていた。明らかにスイスはニケ月前から危険信号を発していた。
このトレードセンターの崩壊を明らかに察知し、それで儲けようとした一団が
いたのである。9・11の夜ほど、肉食系投資家という見えない存在の恐ろしさ
を感じたことはなかった。」ところが、先日に購入した「ドル亡き後の世界」
にも、「・・この日の一週間前から航空会社の株式の出来高が10倍になり、
航空会社株には大量の空売りが入っていた。このテロ後に、これらの投資家は
天文学的な大儲けとなった」とあった。誰がいったいテロが起こることを知って
いたのだろうか。当時、週刊誌に一時取り上げられたが、その後、何時の間に、
そのことを取り上げなくなった。世には、私たちの知らない世界があるようだ。
あのテロはアメリ軍事産業の業界に膨大の需要を発生させた。 数日前に
民主党の国際局長の議員が、9・11陰謀説を取り上げたことに、アメリカが
異常な反応を示した。 陰謀説の仮説は充分に説得力があるからだ。 
更にいえば(私の説だが)リーマンショックも、「100年に一度、500年に
一度の大恐慌になることを見越した陰謀」という仮説も成り立つ。 
これは私が当時から疑問に思っていたことである。6千兆円以上の返す当てない
国債を、毒入債権をアメリカ国内だけでなく世界中にばら撒くことにより、
一度、現在の通貨をチャラにするチャンスになった。グリーンスパン
「百年に一度の世界恐慌」と言わせ、フレーズにしてしまい何度も流し、
それなら新しい貨幣制度もいたし方あるまいと洗脳させ、まずは新しいドルに
替えて裏にもぐった金を表に叩き出し、その後、踏み倒しのための新ドル、
それも交換価値の数分の一に一方的に下げる。 9・11も、リーマンショックも、
元もと仕組まれていた借金チャラのための大芝居という仮説が、
生々しく筋として通ってくる。
 ・・・・・・・・・
2897,自民党はすでに死んでいる
2009年03月11日(水)
 ー自民党はすでに死んでいるー 上杉隆 (月刊SITGHT)
「STGHT」という雑誌に、政治ジャーナリストがインタビュー形式の
自民党はすでに死んでいる」が、正しく現在の自民党の姿を浮き彫りにする。
すでに死んでいるのなら、「あの連中」は、ゾンビの集団ということになり
彼等の信じがたい政策と右往左往の理由が理解できる。 戦後の大部分の間、
色いろあったにせよ、一応国民の支持を受けて日本の舵取りをしてきた。
小泉も含めて20年間、日本を彷徨える船のように衰退へ導いてきた。
最後の締めは、安部、福田、麻生という二代目、三代目が政権を放り出しを
含めて未曾有の無策を露呈してしまった。それを一番身近にみてきた政治
ジャーナリストが、彼らの崩壊過程の姿を辛らつに切り捨てているため往生際
の悪い醜態が漫画のように思えてくる。 結論の「自民党はすでに死んでいる」
の理由を、本の末尾で以下のように述べている。
《2001年4月に、小泉首相が誕生した時に、山本一太さんと会う機会が
あった、その時彼は「自民党は、小泉という奇人が登場、たまたま助かった。
だけど、小泉がいるから助かったので、この人がいなくなったら自民党は終わる」
と。その時に喩えたのが自民党は恐竜だったと。その恐竜は、森政権が最後で、
倒れてしまったけど、小泉が一人出てきて、それが支えてきただけ。それが
いなくなれば倒れるだけと。7年前の山本さんの話は、そのとおりであった。》
 ーここで上杉隆自民党の現状を冷たく以下のように切り捨てているー
麻生内閣の支持率が下がるのは、今さら驚くことではない。問題は、
 自民党がまだ古い自民党の手法、政治体質を維持している麻生に「ノー」
 といっていることに、気がついてないことである。
・麻生は、小泉が体現した総理の権限、官邸主導の強さを一番真近で見て
 きたので、それを在任期間で使わないと死ぬに死ねない。もう全ての人は
 彼を見捨てていている。彼は死んだまま存在しているに過ぎない。
  (字数制限のためカット 2011年3月11日)
・・・・・・・・・
2533, 人間魔界図鑑 
2008年03月11日(火)
(字数制限のためカット 2015年3月11日)

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 3・11といえば、東北大震災。まる4年になる。
まる三年経つと、翌年から急激に一般から話題が減るという。
500年~千年に一度の大震災のため、風化は当分はないのだろうが・・
 と同時に、当時は、私にとっても一大イベントがあった。
まだまだ国内は、この事態の深刻さに気づいていない?と
思われる。誰が助けてくれるわけでなく、必ずツケは、国民
一人一人にまわってくる。 それが、わからない様だ。
 我々の世代が、次世代、次次世代にツケをまわしているだけ。

 高度成長期に巡り合わせが良かった世代は、この世に生がある限り、
恵まれて終わるが、団塊世代の子供たちは、死ぬまで、悪い巡り合わせで
終えることになる。そのことを彼らは分かってない。 世代間格差は、
ますます大きくなる。

 つくづく思うことは、結果がどうであれ、そのプロセスが
面白かったと実感できることが、最も大事ということ。
だから、現在の状況で喪失感は皆無。 充実感が残っているため?
 ただ、少し肩身が狭い?が・・・ 私には、これで丁度良いのかも?


・・・・・・
2897,自民党はすでに死んでいる
2009年03月11日(水)
  ー自民党はすでに死んでいるー 上杉隆 (月刊SITGHT)

「STGHT」という雑誌に、政治ジャーナリストがインタビュー形式の
自民党はすでに死んでいる」が、正しく現在の自民党の姿を浮き彫りにしている。。
すでに死んでいるのなら、「あの連中」は、ゾンビの集団ということになり
彼等の信じがたい政策と右往左往の理由が理解できる。
 戦後の大部分の間、色いろあったにせよ、一応国民の支持を受けて
日本の舵取りをしてきた。小泉も含めて20年間、日本を彷徨える船のように
衰退へ導いてきた。最後の締めは、安部、福田、麻生という二代目、三代目が
政権を放り出しを含めて未曾有の無策を露呈してしまった。 
それを一番身近にみてきた政治ジャーナリストが、
彼らの崩壊過程の姿を辛らつに切り捨てているため往生際の悪い
醜態が漫画のように思えてくる。

結論の「自民党はすでに死んでいる」の理由を、
本の末尾で以下のように述べている。
《2001年4月に、小泉首相が誕生した時に、山本一太さんと会う
機会があった、その時彼は「自民党は、小泉という奇人が登場して、
たまたま助かった。だけど、小泉がいるから助かったので、この人が
いなくなったら自民党は終わる」と。その時に喩えたのが自民党は恐竜
だったと。その恐竜は、森政権が最後で、倒れてしまったけど、
小泉が一人出てきて、それが支えてきただけ。それがいなくなれば倒れる
だけと。7年前の山本さんの話は、そのとおりであった。》
ーここで上杉隆自民党の現状を冷たく以下のように切り捨てているー
麻生内閣の支持率が下がるのは、今さら驚くことではない。問題は、
 自民党がまだ古い自民党の手法、政治体質を維持している麻生に「ノー」
 といっていることに、気がついてないことである。
・麻生は、小泉が体現した総理の権限、官邸主導の強さを一番真近で
 見てきたので、それを在任期間で使わないと死ぬに死ねない。もう全ての
人は彼を見捨てていている。 彼は死んだまま存在しているに過ぎない。
しかし、その権限の絶大なことだけは知っている。その効果も・・
自民党はだれでもいいんでしょう。 
 政権与党でいることが自民党の目標であるから。
・2009年、大きく変わることは3つある。政治と、行政と、
 メディア、この3つである。なぜ国民が国民が必死になって
 自助努力をして、家族を抱えながら、やっているのに。
 金融だって、農業だってとっくにオープンになって、それでも
 頑張っているのに、なぜマスコミと、役人と、政治家だけが護送
 船団方式で安全なところにいて、一切変わろうとしないんだ。
・「自民党政権は、政権担当能力がないことを自ら認めているのだから、
 もう下野でしょう?と」国民は深く実感しているのに、字もマトモに
 読めないアフォウ首相が政権に汲々としている。国民からしたら、
 民主だろうが、自民だろうが、もともに政治をしてくれればよい。
 自民党は耐久年数が、すでに終わっている。
 ー
 以上だが、さすが政治ジャーナリストである。現在の自民党への
 国民のさめた目を、チャンと押さえている。政治家、官僚が悪いと
 思っていたが、マスコミの腐りを指摘している。 国民はマスコミの
 コントロールを冷静に見ているし、またインターネットという
 別チャネルを獲得している。そして、先ほどの「三者」のいい
 加減さをネット上で指摘、批判をしている。そりゃそうだろう、
 何にも分かってない若い記者が、知った風に書いても、人生経験の
 深い人がネットをフルにつかって情報を得ている。むしろ一般の方が
 遥かにプロ化している。それは政治に対してもいえること。
 ゾンビの醜態劇場も、とにかく大衆の民度が低いと騙される可能性がある。
  ここまで酷いと大丈夫だろうが・・・ 
 
・・・・・・・・・
2533, 人間魔界図鑑 
2008年03月11日(火)

この事業を始めて28年になるが親戚縁者は、一人も入れてない。
実家の会社で子供の頃から父と兄との葛藤や、親戚の従業員の
イザコザを見てきたからだ。親戚の場合、首を切りにくい。
彼らは親戚の立場を利用しようとするから歪みが出るし、これほど
使うほうからして、タチの悪い相手はいない。
その逆も言えるのである。立場違えば、これほど微妙な相手はいない。 
姉の舅も20年近く勤務していたこともあるが・・ まあ、やめておこう。
次の文章が、人間の本性を辛らつに書き表わしている。
 ーー
 「金と口の出し方」
Pー25
「君はまだ若いから、わしの意見をきいておけば、何かの参考には
なるだろう。わしはね、これでもずいぶんひとの面倒をみた。
ぽんぽん金もやった。たくさんんの人間を一人前にしてやった。
ー君、君もすこしは人に知られるような人間になってみなさい。
蟻やら蝿みたいな奴が、ウヨウヨとたかってくるよ。
そんな奴にかぎって、みんな面倒をみられ、金をもらい、一人前
にしてくれるのを当然と思ってるな。そうした意味でいちばん不愉快
なのは、あかの他人より、知人親戚という奴だな。
わしがこうなるまでには、血の小便を出すほど奮闘した。
しかし、むろんわしひとりの力とは思わん。恩になったひとは
ずいぶんある。しかし、そういう知人親戚と称する奴とは何の
関係もないな。なかには、生まれてから、いちども顔をみず、
名も知らなかったような親戚が続々と現れてくる。
叔母の従兄の細君の妹が嫁にいった先の義弟なんて連中だ。 
あの安藤も、わしを叔父さんと呼んどるが、その口だ。
むろん、わしには一切合切みなたかるがままにしておいた」
「・・・・・・」
「ところがだ、それが、ちっともありがたがらんのだ。いや、
ありがたがってもらいたくないが、恩を仇でかえす連中が多いのだな。
これをわしの不徳のいたすところなんて、ていさいのいいことを
わしはいわん。かんがえてみると、はじめからただで人にたかろうなど
という気を起こす人間は、所詮それだけの人間なんだ、むろん、それは
それでよろしい。そういう連中にかぎって、あまりものにならん。
そいつらはたかっただけの勘定を、どこかでじぶんで支払うことに
なっとるようだが、それはわしの知ったことじゃない。ただ、よくよく
見ていると、はじめわしが金をやり、面倒をみてやったことが、
かえうて害をなしておるのだね。世の中はこれで通ると甘くみる
根性をうえつけたらしいのだな。
そうと知ってからは、わしは一切無意味な金は出さんことにした。
人間は、自分のカだけで生きてゆくべきものだ」 「・・・・・・」
損得をいえば、はした金をやって悪口をいわれん方がトクだよ。
しかし、わしもこの年になれば、死んだあとで馬鹿者の悪口がのこる
ことより、この世にじぶんの養成した馬鹿者をのこすことの方がいやだ。
ーしたがって、わしは、わしにちかづく人間はだれでも、
その人間の値打ちだけの待遇しかせんのだ」  『極悪人』
・・・・・・・・、
2007年03月11日(日)
2168, 池田晶子が亡くなった!ー 2
            おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ 
先日、8年前に出版された『考える日々』の中古本をネットで買ったが、
最近の本を読んでいるためか、一つピンとこない部分があった! 
哲学者も8年で大きく成長するようだ

彼女を偲んで、印象的な彼女の文章を幾つか書き出し考えてみる。
 ーー
『人生のほんとう』 ー人の死は悲しいのかー 
・・・親しい人が死ぬと、当然「悲しい」という感情が起こります。
ただ、なぜ悲しいのかなと少し距離を置いて考えてみると、第一に
「もう会えない」という思いがあります。その次がたぶん、「かわいそう、
気の毒だ」「死んだひとは悲しいんじゃないか」そういう思いもありますね。
でも、これはよく考えてみると、わからないんですよ。ひょっとしたら
それも思い込みではないかと考えることもできます。死んだ人が悲しいと思って
いるかどうかはわからない。死ぬのが本人にとって悲しいことなのかどうか、
われわれにはあくまでもわからないんですよ。だって、われわれは死んだ
ことがないわけですから。 (略)けれど、たいていは、「もう会えない」
という感情のほうが、悲しみの内容としては強いのでしょう。でも、
その「もう会えない」とはどういうことかと考えてみると、裏から言えば、
会えたこと自体が、そもそも奇跡的なことだったと気がつくことになる。
つまり、なぜ存在するのかわからない宇宙に、なぜかわれわれは存在して
いて、なぜだかわからないけれども、その人と出会ってしまったわけです。
これはすごく不思議で、これ自体が奇跡的なことだったと気がつくと、
悲しんでばかりでもなくなる。驚きとともに、感謝にも似た感情も起こって
きますね。また、会えたこと自体が奇跡ならば、なぜまた会えないことが
あるのか、という考え方もできますね。さきほど「無というものはない」
といいましたが、いなくなるということは、実は無がないかぎり「ない」
のですから、いなくなるということ、無くなるということはないともいえる。
おそらくそれが、われわれがなぜだか出会ってしまったという
奇跡の意味でしょう。 「一期一会は存在の構造です」
 ーー
解)昨年末に義母が亡くなった時に悲しんでいる家内に、
{亡くなったとしても、自分の生きてきた過去が消えるわけでなく、
 母親が生きているより身近な存在になっただけ。「いま・現在のここ」
で母親を思い出せば、会っていると同じではないか。もう会えないと
いうこと自体、将来のことで今のことではないか。いま、キッチリと
母親と心の中で会話ができれば、それでいいじゃないか。}
と諭したところ、「それでも会えないという事実は事実。」と言い張る。
「それでは、貴女が明日、来月生きている確証がどこにある?灰になって
しまった母に会いたいというのはセンチメンタルな感情。
 それはそれで良いが、悲しいという気持ちは、死という在りもしない
言葉に縛られた感情でしかない。そこを早くしないと、『母の死という
イメージ』に降りまわされているだけ!死のイメージを早く払拭すればよい!」
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『あたりまえのことばかり』
ー言葉はそれ自体が価値であるー

生きるために必要なものは、言葉であって、金ではない。
なぜなら、金のために生きる人もまた、なぜ金のために生きるのかを
問うためには、言葉によらなければならないからである。生きている
全ての人は、問わなければならないからである。「なぜ人は生きるのか」。
したがって、言葉はそれ自体が価値である。人がそのために生きるまさに
その価値である。価値とは思わないもののために人は生きることをしない。
それなら、「真善美」という言葉は、われわれの全生活をその根底に
おいて衝き動かしている価値そのものではなかろうか。価値ではないものを
間違えて価値だと思うためにも、これらの価値による以外にないのだから、
われわれの人生とは言葉そのものなのである。「売れなければしょうがない」、
そう言う彼らが間違えているのは、損得という価値と善悪という価値だ。
しかし、値段は価値ではない。逆に、言葉に値段がつくと思うそれが
その人の生の価値だ。だから、安い言葉を大量に売り飛ばして平気なのである。
「読まれなければしょうがない」、言葉を仕事に選びながら、なぜそう言う
ことができないだろうか。
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解)言葉自体が価値とは、自分が絶対と信じていることそれ自体が、
言葉の羅列としてこびり付いている絶対確実言明でしかない。
その絶対確実言明(信じきっている価値)自体も小さな自分の体験か、
親か世間様の価値をそのまま信じた結果でしかない。頭の良し悪しは、
言葉がストンと脳に入るかどうかで決まってくる。
他人事ではないが、「本を読まない人は、ストンと言葉が脳に落ちない」
のだ。体験を経験に落とし込むには、そこに言葉を介して脳に刻み込む
作業が必要になる。 その為にも言葉への変換能力と、
逆に言葉から脳への変換作用が必要となる。~ヾ(´ω`●)バイ(●´
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2006年03月11日(土) 1803, 閑話小題
 (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○

ー日曜日の殿町
先週の話になるが、家内が所用で留守なので日曜の殿町に
ウオーキングを兼ねて行ってみた。日曜日に飲み屋街に行くのは十年に
一度あるかないかである。 17時半の殿町の実態は! 
スナック・バーは殆んど休み。駅前のチェーン店の居酒屋は全て営業。
個人の居酒屋の三分の一が営業。ピンク系はホボ休み。そこでマンション
の1Fにある古びた居酒屋に入ってみた。40年営業を続けていて、
マンションなどの立ち退きなどで、この店で三店目という。
居酒屋にしては、ネタがそろっていたが、客単価は居酒屋として
上の下?ー4000円位。「開いていて客が来てくれれば、それでよし」で、
用が無いかぎり店は開いているという。
何軒か店を覗いてみたが、その時間帯でも数人の客が入っていた。
 (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? C□^(゚◇゚;)ノ゙ アチチ!
道州制についてー
道州制について以前にも書いたが、最近になって新聞に大きく扱われだした。
市町村大合併の次に、道州制も流れだろう。47の都道府県を五分の一にして、
思い切った権限委譲は、日本国をスリムにするベスト?の方法である。
情報化が進んだ現在、県そのものの機能は遅かれ早かれ必要はない。
時代の変化に対応していく為にも必要なことである。反面、州都の所在地
以外は間違いなく寂れるだろう。ある新聞の全国知事調査で、道州制賛成の
知事が47人中27人。反対が二人。 どちらでもないが18人という。
知事のかわりに首相制度にして、現在の日本の首相制度を大統領制度にすれば、
役割がハッキリする。その位のことをしなければ、日本の行革は追いつかない。
ー自民!どうしたー
自民党ライブドアの送金指示メール問題で、前原民主党代表への
風当たりがあまりにも弱い。推測するに、前原代表が改憲論者で憲法改革が
待ったなしの現在、自民党にとって前原の方が組みやすいからだ。
小沢一郎が表舞台に出てきたら、自民党にとってマイナスになる。
国会対策委員長渡部恒三になったのだから、鳩山が代表、幹事長が
小沢も考えられる。それにしても、渡辺恒三が国会対策委員長になったと
同時に、風が変わるのだから、政治は面白いものである。
                   ε(´',_c')зβyё
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2004年03月11日(木)
1072.つれづれにー今日はお笑いの日ー3
 ーお笑い   ジョーク・ユーモア辞典より
(字数の関係でカット2009年03月11日) 
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 2003年03月11日(火)
706, スーパーTV-コンビニ戦争

 昨日の21時のスーパーTVの番組が面白い。私の初めの事業の立ち上げが、
郊外型貸しビル。ところがドルショックがカウンターパンチになってしまった。 
誰もテナントが入らないのだ。これが良かったのか悪かったのか?! 
いかなる場合でも最悪を想定しなくてはならないことが、骨の髄まで知ることになる。
その一角で養老の滝のフランチャイズに参加して、日本で初めての郊外型居酒屋を
始めた。日経流通の記事に大々的?出た。まあそれはそれでよい!
 二年前に長男が失業した時に、息子の仕事にコンビニと考えた。
そしてまずは情報を取った結果は、すざましい内容で、開いた口が閉まらない世界。
土地持ちの酒屋や、自然消滅寸前の小売店を狙った搾取商売そのもの。
無知の敗者を狙った残酷物語。しかし自殺より良いのかもしれない。
出店では当たりと外れの部分がある。当たりると本部は、その店を基点として
周辺に店を出すのだ。卑劣そのものの世界である。しかし彼らからすれば
他の競合店が出る前に自社の店を出すのは当然のことである。
 当たり外れは実際のところ店を出してみなくてはわからない。
セブンイレブンの場合、当たりは一日あたり100万円、外れは50万円だ。
平均が62?63万万である。外れは、そのマニュアルがあってハイサヨナラの世界。
当たりの場合が、それをダシにして他のオーナーに売りこむ。無知ー無力のオーナーは、
如何にもならないのだ。「よくやるよ!」という世界である。今の北朝鮮
ドン様と人民の世界である。しかし契約の世界なら仕方がないのが現実である。
 当然家庭内は崩壊のケースが多くなる。子供の非行や離婚や自殺が多いのは当然の事。
何よりも、商売がなによりすきかどうかが問題になる。そうでない人が安易にやるから、
こじれるケースが多い。好きな人がヒットしたらこれほど面白い仕事もないだろう。
したがって決してなるべきでないといってはいない。
やる前に熟考して、覚悟をしてやるべきだといっているのだ。
 フランチャイジーの立場から見れば、家賃分は入るし一日60万の売り上げがある。
しかし、オーナーは大体夫婦一人当たり時給7百円位の人件費の収入にしかならない。
それで満足するかどうかである。人の褌で相撲をとるとロクなことはないが、
能力がないことには仕方がない世界である。