* 未来の大学の構造とは
《世界中から集まったクラスメイトと一緒に4年間、世界の7つの国際都市に
 住みながら、現地の企業、行政機関、NPO等でのインターンをする学生生活を
想像してみてください。授業は午前中の2コマだけ。午後は事前課題と自由時間
で、その国の暮らし、文化を体感し、多様性を身につけることができる学生生活。》
 これだけで、グローバル化の基礎が充分に身についていくのが理解できる。
世界を股にかけたキャリアの養成カリキュラムである。それも20歳そこそこで、
その基礎を身につけるのだから… まだ、開校以来二年半で在校生が300人。
厳選された若者に、このカリキュラムである。 
 インターンとは、【専門職につく前に研修施設で実施修練を行う者をいう。
医師のインターンは、独立して診療できる医師になる前の課程としての実習生。】
――
▼20歳で創業を決意し以来、独りでカリキュラムをつくり、それに沿った実体験で
自分づくりをしてきた。まず、イオンの創業に参加、その後、産能大編入後に、
再び体力づくりのため、金沢の新興衣料服チェーンに期限付きで入社をした。
その後、千葉市校外の5万人ほどのニュータウンの中央十字路にある新興商業地区
で郊外型飲食ビルを立上げた。 その後、実家の御家騒動で、急遽、Uターン。
実家の衣料量販店に4年半、従事し、その後、新潟駅前でビジネスホテルを立上げ、
30年。2001年の9・11テロ。2008年のリーマンショック、2011年の3・11大震災直後、
撤退を決意をした。 三匹の黒鳥(思いもよらない大変事)の到来も、振返れば、
「止めろ」というサインと思えば、諦めもつく。
 金沢時代にドルショック、千葉の立上げ時に、石油ショック。そして、21世紀に
入ってからは3羽の黒鳥である。その発信源は一部のシンジケートの意思による。
この未来の大学は、その発信源を抑えるには、現地にネットを張って置け!も
理解できなくもない。現実社会からのアップスケールしていく人材に変容する? 
解脱こそが、人間としての生きる目的に気づく? 所詮は娑婆は娑婆と。
 〜で、偶然だが、以下の去年同月同日の文脈に続いていく。 とすると、
一度、上記のコースで10〜20年、キャリアを積んだ上に解脱するのが理想?

・・・・・・
2016年01月31日(日)
5434,人生で最も大切な技術 ー?
    『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール  
  * エゴの対応
 誰にでもエゴという野獣が潜んでいるが、それを飼い馴らすか、檻に閉じ込め
ている。この管理が難しいのは当然だが、時には解き放さないと、暴れだす。
スポーツジムでも、自己中心の不在、いや、少ない人を見かける。世慣れている
のである。 私もそうだが、『閑』を良しとして、独り黙々と自分のコースを
こなしている人も多くいる。順番などの席は、全て相手に一歩譲るのがコツ。
 創業準備15年を含めた45年の事業人生、ある意味、『エゴ』の塊でないと、
ことは進まない。 その道を選んだからには、それに集中するしかない。逆に、
目先のエゴを捨てていたことも確か。で、終わってしまえば、どちらも同じこと。
それでも、良かったのか、どうかは、自分次第になる。 少し事象が違っても、
内容は誰も同じような自問自答?  〜その辺りから〜 
≪ エゴという独裁者から、たとえ部分的であれ自らを解放したなら、自発的で
自由な発想と行動ができるようになる。実際の経験者がそのことを明示している。
対照的なのが勝ち誇ったセルフの赴くままに流されるタイプだが、彼らは常に
精神錯乱の状態にある。情動科学研究の先駆者の一人、ポール・エクマン教授は、
「卓越したヒューマン・クオリティ(HQ)」の研究に長年熱心に携わってきた。
教授は、「HQの高い人に共通して見られるのが、親切な印象を人に与える、他者
がそう感じかつ高く評価する存在、公と私の態度が完全に調和している等の特徴。
これらはカリスマ的なはったり屋には見られないものである。
 彼等は善意そのもので、エゴのない状態を最大の特徴としている、と述べる。
これらの人たちは、自分の立場や地位や名声等、セルフの執着するものは、
まったくと言っていいほど意に介さない。そうした在り様が周りの人を勇気
づけるのだろう。自分の地位や重要性が社会で認められていようといまいと関係
ないのである。教授はさらに、「こうした自己中心性の不在は、心理学的見地
からは不可解としか言いようがない。周囲は本能的に、この人たちとの交わりを
希望したがる。うまく説明できないが、彼らと同席することで心が豊かになる」
と述べている。一言でいえば、彼らの善良さが強調されているのである。
▼ 小林秀雄の『無私の精神』の中で、行動家の特質の中に、エゴの推進より、
 『無私』を見出す。実践には、まずエゴをおさえることを経験上知っている。
 純粋意識が、その元にあれば、ことの本質を掴むことができやすい。エゴの
対応は、純粋に何かに打ち込むことが基本となる。 一番難しいことだが。
 で、不思議なことに、以下の内容に丁度良い脈絡につながっていく。
・・・・・・
2015年01月31日(土)
5070,閑話小題 〜夜明けのスキャット
 以下は、もう一つのブログ 『バードウォッチ』に、昨日、書いた文章
≪ 0〜4時までの半睡状態を楽しめるようになっている。
 ヨガの最後の5分間、死体のポーズで、宇宙に漂う感じの音楽の中、
先生が『雑念を入れないため、光の球体の中に、自分を入れったイメージを
持って下さい!』といっていた。夜半に、早速、半睡状態の中で同じイメージ
を試したら、その直後に、面白い夢をみた。「窓が明るいので、外をみると、
目の前に大きな球体が現れ、そこに宇宙船が周っている。その光り輝く球体の
光景は、この世のものと思えぬ位、神々しい・・ 
「こんなことが現実にあるのだろうか?」と、疑問を持つと、その場面は、
実は大型スクリーンの映像。それなら納得と感じた瞬間、それが夢と気づく。 
ところが、次の瞬間、廊下ごしの玄関に人の気配がしたため、襖を開けると、
私と同年代の背広を着た人品卑しからずの紳士が立っている。 誰だろう? 
というところで、完全に目が覚めた。二重構造の夢も面白いが、夜半の夢で、
光の球体の中に入った感覚が、不思議で奇妙であった。 ユング系の世界だ
ろうが、明日にも再び試してみる。何か怖ろしい世界の深みに入り込んしまう
不安がある? 現在読んでいる横尾忠則の本の影響もあるのか・・
 ところで、訪ねてきた紳士は、横尾というより、ユングのイメージ。
〜これ結構、引き込まれた内容でしょう?数時間前の夢で、ライブ風だから。 
 記録に残すため、明日の随想日記のテーマにする ≫
▼ 先ほどの同じ試みの結果は・・ 半睡の中、淡い光の玉の中に、踏み込み、
横たわった。そこは絶対幸福感が満ちていて、踏み込んだこと自体、忘れていた。
その後、面白い夢を期待はしたが、何故か覚めていた。そこが、目的地だった。 
面白そうな夢は、何度か試みているうちに、潜在意識が創作するのだろうが、
際どい、意味ある偶然の一致(シンクロニシティ)が、頻繁に起きるのでは?
 そういえば、後理屈付けだが、30年間の事業を断念かどうかの打ち合わせ
直後に、3・11が起きた。これも「止めろ!」という偶然の囁き、と受け
止めていた。世は面白いものである。続けるか否か、何か危なくなってきた?
ところで、本当か? ですかって。 < 秘境ツアーやホテルの立上げなどで、
三桁の至高体験をしてきたからじゃないか。 この経験は沈殿して残っている。 
その感覚は、少しのキッカケで、出し入れできるのです。> もしか痴呆症?
・・・・・・
2014年01月31日(金)
4705,末期がん、その日のための予習を ー3
     ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
 がんをポジティブに捉える提言である。この「がん」を、『挫折』か『苦難』
に置き換えると、人生訓になる。その時から、残された貴重な時間をどのように
過ごすかは切実な問題。最期の大仕事、それは淡々と死ぬこと!
  * 第二章がんになって見えてくるもの
がんとの闘い・自分自身との闘い  
  ー自分と闘い、支えるのは、自分自身。それに気づくのは自分
がんは人を哲学者にする      
  ー「人生とは何か」「より良い人生は何か」を考え直す機会にする
ムダを捨てれば頭も心もクリアに  
  ー死を前にして、虚飾、名誉も無駄 クリアになって人生を見つめ直すこと
がんだからこそ手に入るものがある 
  ーがんで疎外され、孤独、孤立をするが、それが自由に繋がる。
まず自由な時間が命よりたいせつなものを見つける  
  ーこれは人によって違う。自分で探すもの。それが最後の仕事。何だろう?
がんは生きる「WHY」を見つけるきっかけ 
  ー「HOW」から「WHY]へ重心を移動する機会。それが哲学
ほんとうの自分を見つける旅    
  ー社会的役割が削ぎ落とされた時、自分の本質が見えてくる
使命感があれば充実した日々    
  ー自分が何か必要とされているといないとでは、大きく違ってくる
自分が「なすべきこと」は何か   
   ー「やらなければならないこと」と「なすべきこと」は違う。
その見直しから暇を怖れず、暇を楽しむ      
   ー「何もしない」時間の必要性に気づく機会。
    暇を楽しむ、遊ぶ、心の切り替え時     
自分を変えることは感動のドラマ  
   ー外へのネガティブな反応を自分の内面へ切替えると、大きな変化がでる
がんは「人間力」を高めるチャンス 
   ー急激な石段を登った先には、全く違った視界が見えてくる。
辛いががんは親しい人たちを大きく育てる 
   ー家族など集団は、困難になるほど結束するもの・・
がんになっても「与える喜び」はある 
   ー感謝の念は、深いほど相手に伝わるもの。感謝、感謝、感謝
最高のプレゼントは笑顔   ー「笑顔」は、最大の言葉!ドキドキ*1怖ァ・・
死は敗北ではない     ー死は万人の通る道、それが何ゆえ敗北だろうか?
             これは何故生きる?の問いと同じ
人生の目的は「品性の完成」    
 ー成功したか、より、如何に誠実に生きたかを自分に問うてみるほうが先決。
死というだいじな仕事が残っている ー人生の最後の大仕事!死を悟ってから、
  それまでの一生分を生きることになる!
「ありがとう」のひとことを家族に ーたった、この一言で、残された人
の悲しみが、喜びに変わる。最期は感謝!になる。
▼「より良い人生は何か?」 死を前にして、初めて考える人が多い。
その人によって様々だろうが・・ 今回、倒産という死の疑似体験に近い
体験をした。そして「事(自)業自得!これが自分。それでも面白かったから、
これで良し。」 これが、そのまま、その時の答え! 
「本当に、これで良かったのだろうか?」の疑念の海での筏の言葉?*2
・・・・・・
2013年01月31日(木)
4338, 嘘と真実
   * 嘘は真実の糸を織り込んである
 最近、耳に残った言葉に「嘘には真実の糸を織り込んである」がある。
私も真実を伝えたいために少しオーバーにいう癖がある。嘘と穿った噂は、
その辺りから生じてくる。自分の思いもよらない噂話を聞いて驚いたことがある。
伝達の過程で脚色されたのだろうが・・ この一連の件で、面白おかしく脚色
したのが流れたはずだろうが、元より承知で、深入りをしなかった。 
 象(地球、宇宙)の皮膚(世界)の襞(国)に巣くう虱(会社などの社会)に、
更に寄生するダニ(個人)と割り切ればよい。もちろん自分も含まれるが、
それを常に忘れないで、一日一日を楽しむしかない。で、嘘の話に戻る。
何かの喩えで考えると、詐欺がある。相手を信用させ嘘で固めて金を騙し取る
のが仕事。そのために真実を、丁度よい割合に混ぜ込む。噂も同じこと。
ーそこで、嘘と真実についての格言を調べてみた。
・ いちばん嫌らしい嘘は、いちばん真実に近い嘘だ ージイド
・ 嘘とは何か、それは変装した真実に過ぎない   ーバイロン
・ 嘘つきの受ける罰は、誰も信じなくなるというだけでなく、
       誰も信じられなくなることである。 ーバーナードショウ
・ 嘘つきの名人でないならば、真実を語るのがつねに最良策だージェローム
・ 嘘とは、私がつくったものでなく、階級に分かれた社会に生れたものである。
   だから私は生まれながらに嘘を相続している。 ーサルトル
・ 人生において最も難しいことは、嘘をつかずに生きること。
   そして、自分自身の嘘を信じないことだ。 ードストエフスキー 
・ 誰かが嘘をついていると思ったら、信じているふりをすればよい。
   そうすれば、もっと嘘をついて正体を暴露する。 ーショウペンハウェル
・ 半分の真実は嘘より恐い           ーフォイヒタースレーベン     
・ 我われの肉体が衣服で包まれているように、精神は虚偽に包まれている。     
                          ーショウペンハウェル
 それでは真実とは何か? 主観的な思い込みを真実と解釈しているだけでは
ないか?という疑問が残る。 あるブログに、次のようにあった。
『自分が信じる事実、それがその当事者にとっての真実。しかし、それは
その当事者にとっての真実であり、別の当事者にとっては別の真実があっても、
何の不思議もない。なぜなら、それぞれ違った自分勝手な思惑で物事は起こるから。
事実は一つでも、それぞれの当事者の勝手な思惑がそこに加われば、真実は一つ
ではなく、いくつもの真実が発生してしまう。このような状況の中、人の世で、
真実を見極め、物事の本質を見極めるには、心で物事を見、心で聞き、感じる
しかない。』 カントの「認識は対象に従うのでなく、主観に対象が従う」
ということか。深入りしないこと!
・・・・・・
2012年01月31日(火)
3963, 貧乏ばあさん
「女一生の働き方」―貧乏(BB)ばあさんから
       働くハッピーばあさん(BA)へ ー 樋口 恵子 (著)
  * 核家族の果ての貧乏ばあさん
 長寿社会も豊かさがあってこそ明るいのであって、多くは決してハッピー
ではない。私が見る限り、そこそこの蓄えがないと楽しくはないようだ。 
が、その中でドッコイ世のため働いて幸せなオバアサンが多く存在している。 
そこそこ蓄えと、知恵さえあれば、現在の娑婆には面白いことは山ほどある。 
その辺をバランスをとりながら老後を如何に過ごすかにある。
 ー内容紹介ー
≪ 日本という国では「女の老後」が貧乏になるようにできているのを知って
 いますか?そう、日本の高齢女性は、実は「BB」=「貧乏ばあさん」ばかり。 
日本は他の先進国に比べて女性の就業率が低く、就労しても、結婚・出産、
夫の転勤、親の介護などの事情で、途 切れ途切れの細切れになりがち。さらに、
多くの場合、男性よりも低賃金でパートなど雇用が不安定なため、年金をはじめ
とする社会保障につながりにくいことが、「BB」を大量発生させている原因です。
 しかし、どっこい、女はめげない、へこたれない! 今こそ「BB」(貧乏ばあ)
に甘んじていないで、自らの手で幸せをつかみとる「HP」(ハッピーばあ さん)
になるべきです。高齢女性には男性や若い人たちにはないスキルがいっぱい。
老いてこそいきいきと働き、人様のお役に立ち、そして見合った収入を得る。 
これこそがこれからの日本女性が目指す道です。本書では、人生100年時代を
迎えるにあたって、「BB」「HB」の実情に迫り、元気いっぱいの女の働き方を
多数紹介。また、複雑でよくわからない年金システムや、それにまつわる矛盾も
本書を読めばよくわかります。≫
▼ 世界一の長寿国になった日本。平均寿命は女性が86.39歳、男性が79.64歳。
その中でリッチの年寄りは僅かであり、男より7歳も長生きする女性は、収入は
僅かになる。そこで今まで、あまり聞いたことがない「貧乏ばあさん」という言葉
が生まれてくる。旦那に先立たれ独居のオバアサンは公営住宅でギリギリの
6〜8万の年金で生活せざるを得ないのが実情。しかし、その中にあって人生の
過去のスキルを使って、人のため働いているハッピーばあさんが、多く見られる
という。本格的恐慌に入ろうとしている現在、弱者に皺寄せが来ることになるが、
その大きな塊が「貧乏ばあさん」である。
・・・・・・・
2011年01月31日(月)
3598、 閑話小題
 * 日本の自殺率は、世界で何番目 ?
 日本の自殺者が十数年間、三万人を超えている。では、世界の中で日本は
自殺率はどの位かと調べてみた。以前にも書いたことがあるが、一位から四位が
旧ソ連・東欧圏で、それについで五位が日本である。ちなみに韓国が日本の八割
で八位、中国が六割で27位、アメリカが四割で41位、英国が三割で52位。
イタリア、スペインなどは日本の二割でしかない。 日本のGDPは中国に
抜かれたとしても世界第三位。旧共産圏の生活の貧しさとは違うようだ。
北欧の自殺率が大きいのは老齢化と、冬の期間が長いこと、逆に生活の苦しさに
直面してないことが重なっているため。日本の自殺率の多さは北欧病に似ている
ためか? 日本の都道府県では秋田県の自殺率が日本で一番多いという。 
政令都市では新潟市が一番。分かるような気もしないではないが。
 * 中国にエジプト全土デモが飛び火?
 チェニジアについでのエジプトの全土デモ。 これから想定できるのが、
飛び火が中国全土に全土デモが広がり、(紅衛兵運動で当時の体制の権力者など
2〜3千万人が虐殺された事態が)今度は共産党党員へ同じ事態起こるのでは?
という連想が出てくる。 あの国には共産党という特権階級への乾いた藁(不満)
が山のように積み上がっている。それがネットで瞬く間に火を噴く可能性がある。
「この程度のことも20~200万年以来の断層の小さな一現象でしかない。
それも入り口の数ミリの出来事でしかないと考えると、現在起っている現象が
理解できる。この見方も決してオーバーでない。」という脳の奥からの言葉が
不気味に湧き出てくる。ネット社会は、もう既成の体制の価値観を根こそぎ
消滅を始めてきた。20万年前に道具を、200万年前に言葉を使い始めてから、
人間は他の動物から違う歩みを始めた。これから人類に数百年先が存在して
いるかどうかだが、その時点から現在が、人類の断層の割れ目の時期になる。 
激変は辛いが、しかし ? ? !
・・・・・・・
2010年01月31日(日)
3233, 死は‘別れ’のとき ー2
 * あなたと出会って良かった !
 昨日は高校の同級生の葬儀。150人位の参列者で、同級生は15〜6人位。
通夜は11名で、通夜と重なっている人をならすと22〜3名。それぞれが
背負って生きてきた人生の全体が垣間見えるのが葬式である。高校の同級生の
葬式といえば、次は誰かと互いに詮索し押し付けあうのが恒例。
ところで葬式で、火葬場の最後の別れの場面が人生模様の圧縮が表出する。
実は、この場面が好き。悲しみと同時に故人と家族の愛が全体を包むからである。
故人の奥さんの絶叫が涙を誘った。御棺の顔部分の蓋を閉めるとき、奥さんの
声が聞こえてきた。「あなたの奥さんで良かった! 幸せな人生でした。 
ありがとう。ありがとう。ありがとうございました。 ありがとう。
ありがとうございました。」と。同時に家族全員が号泣。そして娘さんが遺体を
焼却炉に入れる直前に、「いや、入れないで!」と絶叫。 これまで、数かぞえ
切れないほど、その場面に立ち会ってきたが、これほどの感動的な悲しい場面は
初めて。 会場の殆どの人が涙を流し、立ちすくんでいた。奥さんと家族の感情が
自然に堰を切ったように出たのである。火葬場からの帰りのバスの中でも涙が
止まらなかった。自分の家族に、果たしてこんなことを言ってもらえるだろうか。 
無いだろう!ところで、本人の死に顔は気の毒なほどやつれていた。 
すざましい苦痛との死闘があったのだろう。 ご冥福を! 

*1:〃゚艸゚) 本との出会いで自分が変わる ー膨大な時間と不安の中で、良い出会いが                あった本と、読みたかった本を手に取ること 許し許されることが最大の癒し ー「死ぬ前にしておきたいことは何」に、                「人に会うこと」と答える人が一番多い   「黄金の藁」に頼りすぎない ーほぼ効果のない「藁(健康食品等)」に                すがりたい患者がいるが、あるわけがない? 死もまた「ありがたくいただく」ー死も生と同じく、自然からいただくもの。                なら有り難く頂けばよい|ョ゚Д゚ll

*2:;◔ᴗ◔;

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  今日のYoutube

 何か、もう早春の感じになってきた。
今日で一月が終わり、明日から二月なら当然かもしれない。
一月生まれもあり、夏場より、冬場が好きだが、初春の頃もいい。

 




・・・・・・
3233, 死は‘別れ’のとき ー2
2010年01月31日(日)

 * あなたと出会って良かった !
 昨日は高校の同級生の葬儀。 150人位の参列者で、同級生は15~6人位。 
通夜は11名で、通夜と重なっている人をならすと22~3名。それぞれが背負って生きて
きた人生の全体が垣間見えるのが葬式である。 高校の同級生の葬式といえば、次は誰かと
互いに詮索し押し付けあうのが恒例。 ところで葬式で、火葬場の最後の別れの場面が
人生模様の圧縮が表出する。 実は、この場面の立会いが好きである。  
悲しみと同時に故人と家族の愛が全体を包むからである。故人の奥さんの絶叫が涙を誘った。 
 御棺の顔部分の蓋を閉めるとき、奥さんの声が聞こえてきた。
「あなたの奥さんで良かった! 幸せな人生でした。 ありがとう。ありがとう。
ありがとうございました。ありがとう。ありがとうございました。」と。
同時に家族全員が号泣。そして娘さんが遺体を焼却炉に入れる直前に、「いや、入れないで!」
と絶叫。 これまで、数かぞえ切れないほど、その場面に立ち会ってきたが、これほどの
感動的な悲しい場面は初めて。 会場の殆どの人が涙を流し、立ちすくんでいた。
 奥さんと家族の感情が自然に堰を切ったように出たのである。火葬場からの帰りのバス
の中でも涙が止まらなかった。自分の家族に、果たしてこんなことを言ってもらえるだろうか。 
無いだろう! ところで、本人の死に顔は気の毒なほどやつれていた。 
すざましい苦痛との死闘があったのだろう。
   ご冥福を! 
・・・・・・・・
2009年01月31日(土)
 2858, 人生を振り返り、俯瞰してみると -2
63年を振り返ってみると、人生は自分しか歩けない一本道ということがわかる。
その時節ごとに、それぞれの時代背景があり、その度に色いろな人との出会いがあった。
その時どきには、それが全てに思え、またそれしか見えなかった。
前回書いたように、それぞれの年代を上から下へと断層面として眺めると面白い。
断層面としてみると俯瞰がしやすいのである。 「父が現在の私の年齢の時には私が22歳。 
そうか父は私を大きな期待と不安を持って見ていたのか!」とか等々。
十年単位の断層を見ていたら、「私の周期は9年」ということが見えてきた。
9,18、27、36、45、54、63歳である。 この時期に大きな節目になっている。
これからすると、次は72歳になる。もしかしたら、あの世への御門が待っているか? 
それとも今年? ーところで、人生をビルに例えて階層を重ねてみたら解りやすい!
 屋上ー
8階ー80歳代以降は、一日一生で、毎日を味あう時期。
7階ー70歳代は、人生の整理の時期に入り、全てをシンプルに変えていく時期。
6階ー60歳代は、人生の豊穣の時で、それまで出来なかったことを新たに始める時になる。
5階ー50歳代は、大きな人生の回り角、競馬でいうと第三コーナーを回って直線に差掛かる時期。
4階ー40歳代は、人生の八割がたが決まり、一息つけるが胸突き八丁でもある。
3階ー30歳代は、それまで蓄積した全てを創造に向けて吐き出す時期。
2階ー20歳代は、泥まみれになりながら、社会人としての基礎を身に付ける時期。
1階ー10歳代は、スポーツと勉強を通して、選別されていく時期。とにかく、学ぶ時期。
  それぞれにフロアーは一年一年ごとの10の回り階段になっているとイメージすればよい。
 地下は母親の胎内?、それとも姉・兄?  基礎構造は家庭、そして祖先。 
だから家庭は大事になる。しかし相方との長期の相性は、実際のところ5分5分だから難しい。
相手の家庭を見れば、絶対に止めておいた方が良い人は分かるが。

・・・・・・・・・
2008年01月31日(木)
2493, 読書の腕前 -1
           [ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
「読書の腕前」 岡崎武志著 ー 読書日記
面白そうなところを何箇所、書き写してみた。なかなか含蓄のある読書論であり、何度も肯いた。
 ーー
川面に多くの舟が漂っている、私たちはひとりひとりが違う舟に乗って流されている。
中には錨を下ろしている舟がある。川の流れを時の流れ、舟を人生にたとえたらいいだろうか。
そして、本を読んでいる時間は、動かぬ舟の中で、川の流れを感じるようなものだ。
川は永遠に流れていく。水がある限り、流れることをやめようとしない。そんな悠久の流れを、
ひととき止めたりを舟の中で感じる。本を読むということは、そういうものだと思っている。
 ーー
 飯島耕一が「何もつよい興味をもたないことは /不幸なことだ /ただ自らの内部を /目を閉じて
のぞきこんでいる。/ 何にも興味をもたなかったきみが / ある日/ ゴヤファーストネーム
が知りたくて / 隣の部屋まで駈けていた。」
「生きるとは / ゴヤファーストネームを/ 知りたいと思うことだ」
 ーー
読書に費やしたこれまでの膨大な時間を、もっと別の有意義なものに置き換えられなかったのか。
そんなふうに悔やんだことは一度もない。一度もない、といま気づいたことに驚いている。
ほんとうに、一度もないのだ。そうして生きてきたのだ。だから、明日からも同じように生きていく。
 ー―
「本を読むことで得る大切な収穫の一つは、他者を知ることだと思います。」色川武大
「読書の楽しみの一つは、私にとってこの他人を生きること、他人になれる喜びかもしれない」遠藤周作
「僕は本を読む労働のための忍耐力をつちかったのである」大江健三郎
 本は膨大な人間のモデルを提供してくれる。しかも、相手の忖度を気にせず、
 思うまま、自由にそのモデルと触れ合うことができるのだ。
 ーー
田辺聖子が読書論の中で、「もし出世と引き換えに何をとるか、ということになったら、それは何か」
と、同年代の友人たちと、あるとき話題になった。さまざまな意見が飛び出した。
いい女房を持つ、硬骨に生きる、世間を捨てて山頭火になる・・。
しばらくして、誰かがしみじみ言ったことに、みんながうなる。
「出世せんでもええ、毎日読みたい本を読んでたのしく暮らせたらええなあ・・」
--
以上だが、今のところ読書が人間にとって、一番良い習慣である。最近はインターネットと
いうトンデモナイ手段が出てきたが、それでもジックリと他者と対話が出来るのは本である。
この本も、直ぐにアマゾンの中古本を発注したが、まだまだ面白い箇所が多数ある。
                 バイ(´・ω・         ーつづく
・・・・・・・・
2007年01月31日(水)
2129, 熟年離婚とセックス
              Σ(≧д≦)LOVE   オハヨウ!
 図書館で借りてきた昨年の「文藝春秋・11月号」に、「熟年離婚とセックス(千人調査)」という
特集があった。55歳あたりから急激な精力減退を実感し、歳を重ねるほどに後退?当初は自己存在
の喪失の感覚になりかけて焦燥感になったが、今はバイアグラの力を借りて・・何とか?●?∀?))☆*。
こういう話は、気心が知れている人に酒を飲んだ勢いの時にしか聞けない。
といって、下ネタは具体的な話をしてはいけないという男の暗黙のルールがある。
「実際のところ同年代は?」と思ってところ、千人調査のアンケートというから丁度良いタイミング。
少し際どい?が、男にとって切実の問題である。このレポートの概要を主観をこめてまとめてみた。
ー調査対象が1947~1951年生まれの男女500人ずつを対象に調査ー      (*′з(’Д`●)・:*:・
・性生活が全くないが、何と52パーセント。年数回が17、5?。月一が11?。月2~3回が11?。
 週一以上が8,6? 全くない人が半分いる反面、月一以上が3割もいる。なるほど!
・相手が 妻が85?、特定の妻以外の人、12?、不特定が3?。
・不倫に関しては、83?は無し、過去にいた9?、現在いるが8?。
 やはり男が20?と高く、女は6?。収入の額が高くなるほど、不倫の率が高い。
 年収1千万以上の男性の三人に一人がしているのに対し、150万以下では、4?になってしまう。
 それなりの収入ができると 助平根性がでるようだ。
・寝室別室が35?。
・自愛(マスターべション)は、男が過半数を超えた54?、女性はその三分の一以下になる。
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この世代は、性や恋愛に対するタブー意識を破ってきた性解放世代。といって、本当に恵まれていた
のは都会の文化エリートか、不良といわれた(性の方だけにエネルギーを絞って)社会的に頓挫した
両極端だけの人たち。その世代より一年上ということで、私の同年代は団塊世代の露払いとして、
「競争が少ない幸運?」に恵まれてきた。特に男はその対象が団塊の女性のため、男一人に女が
トラック一杯という需給のバランスで恵まれていたはずだったが・・実際は?、やはり恵まれていた!?
少し年代が下とはいえ、3割が毎月一度以上あるというし、半分以上がセックレスというのも驚き。
まあ、三分の一辺りというところ? ハイ!
  『で、どうした』 「少し安心しました!」
  『ほれで?』   「黒田節を思い出しました」
  『何、それ?』  「使わないと錆びますと!」 
                      (。・ω・。)ノ? バイ
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 2006年01月31日(火)
1764, 袖に涙のかかるとき・・
「袖に涙のかかるとき」と検索をしたところ次のHPのコーナーに行当たった。
リハビリに励んでいる人達の「名言・名句」だから深く魂に響いてくる。 深い心の底から、
人間を、健常者では知りえない世界を、見つめている。そして「生きている、それだけで素晴らしい!」
ことを知っている。実際に絶望の淵に立たなければ、その言葉の奥行きは解らない。
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あるHPの ー心に残る名句名言集ーより
 リハビリに励んでおられる患者さん、家族の皆様から寄せられた ”心に残ることば”を
「名言・名句集」としてご紹介いたします。 同じ障害をもった皆様に、これらのことばが
少しでも励みになることを念じております
□病気になってみえてくる一番大切なことは、人間の生命が生きてそこにあることが実に不思議な、
 貴重なことだと気づくことである。                    (西江孝之)
 そうです。生きているってこと自体がすごいことなんですね。これからは、 生きている
ことに感 謝してまいります。
□言う言葉がないから、よく家内に頑張れ頑張れって言っていたが、失語症なった多くの
人達の場合は、実は見えないところででも頑張っている。     (西江孝之)
 私もつい「頑張れ!頑張れ!」といっていました。そんな自分を恥ずかしく感じました。
□君は看よ。双眼の色。語らざれば憂い無きに似たり。(良寛
       ことばはでないけれど、主人の表情はとってもすてきです。
 字数の関係でカット(2008年01月31日カット)
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名言、名句に対するコメントも味わい深い! そして全ての名言・名句が深く心を揺り動かす!
誰もが病に倒れしみじみと、この言葉を味あう日がくる。
そして、如何に人生の表面しか生きてなかったことを思い知ることになる。
他人事ではない! 健常の今日という日々を噛みしめて生きなくては!  
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2005年01月31日(月)
 1399, NHKと朝日新聞
昨日の朝日新聞天声人語が時期が時期だけに、少し際どい?内容であった。(後でコピー)
「政治的圧力の有無の報道の件」は、誰がみても朝日新聞の方が正しい。
予算承認という伝家の宝刀を自民党が持っていて、その時の権力者が口を出すのは当たり前。
と言って、修正前の番組内容も酷い偏向内容だったようだ。問題は政治的圧力をかけたことが悪い。
しかし今は時代が変わってしまった。自民党の権力ボケどもが陰で左右しようとしても、今回の
ようなことになる。
-字数の関係でカット(2008年01月31日カット)
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2004年01月31日(土)
1032、「リクルートナレッジマネジメント
  ー読書日記ー1      
 図書館で、この本を買ってきて読んでみて、さっそく会社で3冊を買った。
それだけインパクトの強い内容であった。現場からの視点でつくりあげたイントラネット
一つのカタチとしての 凄みを感じとることができた。「普通の会社なら、3日で首でしょうね」
と役員がいっていたのもうなずける。サブタイトルが「やれるものなら、やってみな」もよい。 
下の子供が勤めている外資系の会社のホームページに、丸ビルにある本社の事務所の写真が
何枚か貼り付けてあった。優秀事務所デザイン賞と書いてあった。机と椅子とノート型パソコン
があるだけ。ペーパーレスだけでなく、個々人のセクションのコーナーがない。正月に帰省して
きた息子に、「自分のデスクは、どこまで昇進したら もらえるのか」と聞いたところ、
「取締役」だという。 全てはコンピューターの中なら、自分の机など必要がないのだろう。
 ナレッジマネジメントも、現場の知恵・情報の蓄積と活用を中心にしたものと、経営戦略を
中心にしたものがあるが、この本は現場の情報や知識の活用を中心にした内容である。 
以下はインターネットで検索をしてコピーした。
 これだけでも、何回も繰りかえして読む価値は充分ある素晴らしい内容だ。     
限りなく金髪に近い茶髪の女、森本百々子が 営業がよろこぶために必要なものは
ナレッジだったと気づくまでのこと。
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2003年01月31日(金)
667,「成功する読書日記」-読書日記
 ー読書日記帳の基本パターンはー
                 「成功する読書日記」 著者 鹿島茂
ーこの本の引用とレジェメー
これに、書き込んでファイルに溜め込む。大学ノートに一冊読んだごとに書き込めばよい。
引用やコメントは初めは無理して書なくてよい、そのうちに自然と書き込むようになる。
とりあえずこれを続けることに意味がある。
・量がたまってきたら,しめたものである。
・その為には無理をしないで、事務的に書き続けることだ
・遭遇時情報も大事である。新聞で見つけて買ったとか、図書館で何時借りて何時返したとか。
・その評価の☆とりも大事の一つ
・レジュメー特に自分がここが印象的という主観でよいから書き留めることー写す
・本選びは、自分の気に入った本屋を数軒決めて、定期的に行くこと。図書館もだ。
・トイレ、書斎・居間・通勤電車などの本を、そのつど決めておく
・飛ばし読みOK これを続けていくと、たんに読んだ本を書きとめているより、むしろ「収集」
 しているのではないかという感覚になる。ある程度の量になるとそれがジャンル別になってくる。 
そうすると体系化への志向が生まれ、それ自身が意思を持ち始める。コレクション的になって
きて喜びが生まれてくる。読書日記や映画日記を続けていると、何時しか、コレクションが
「開かれる」という現象が起こってくる。一つに集中していたジャンルに、ある日そこに夾雑物
が混じりこんできて、その夾雑物が次のジャンルを導く。これが繰り返されて色々なジャンルが
できると、ジャンルそのものの比較検討が可能になる。SF小説、冒険小説、推理小説、時代小説
などなど。そのジャンル相互の類似と差異が目に付くようになる。そして「小説」そのものに
ついて、批評意識を抱くにいたります。量がある域を超えると、「質」という問題を意識に
のぼらせる様になる。この量を超えて「質」を掴めたということは,そのまま「抽象」を行った
ことを意味する。
「量」というのは、思っているよりはるかに重要である。これを軽んじるものは「質」で躓く。
「量」をこなしてない批評家は信用できない。随想日記を書き続けていて、その感覚は解る。
 理想をいえばー
自分では一切本を持たないで、図書館の本を徹底的に利用することである。
図書館から借りてきた本から必要部分をすべて引用しておき、読書ノートを書庫代わりにすることだ。
但し図書館がすぐ近くにあることが条件だ。
ーコメントー
以上が大体のこの本のレジェメだ。これを読んでいて、私の旅行に似ているのに驚いた。
アフリカ大陸、ユーラシア、南米、インド・シルクロードオセアニアイスラム世界と
いつの間にかジャンルができてしまう。そして今度はどこのジャンルのどこにしようかという
見方で選択を始める。そしてジャンルー南米とアフリカの類似と差異を見たり、アフリカだったら、
ケニアタンザニアの差異と類似が見えてくる。その為には、とりあえずある量ー回数を
こなさなければならない。この本を読んでいて、何でこれだけ量を読んでいながら読書日記や
映画日記をつけなかったか今更悔やまれる。こういう本の存在を見つけられなかったからだ。
実際に何回か挑戦したが、ノートに引用しているうちに、書く事に気をとられてしまい、
そのマイナスが大きく足を引っ張ってしまった。でも、読んだ本と、著者、出版社、買った動機、
借りた図書館、日時位とちょっとしたコメントは書けたはず。この習慣は必ず身につけることを誓う!
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2002年01月31日(木)
 317,あだ名
中学の同級会に出るとは、男は全員あだ名で呼び合う。私は「ハチ」である。
小学校は「八ちゃん」である。ある男が「よく巧いあだ名をつけるもんだ」といった。
全くない男が「今考えると、あだ名をつけて貰ったほうがよかった」
そして特に、「おいら」というあだ名の話題になった。無口の愚直の味のある男「おいら」
というあだ名がピッタシ。誰がつけたという話になった。無口の男が重い口を開いた。
おいら「おい堀井お前だ!」 私「エー!・・・嘘だ!」
おいら「中学の一年のときの、皆既日食の時、理科の時間にしき版に墨を塗り、
それをとうして見ようとした。うっかり落としてしまったのをお前が拾い‘落ちてるぞ、
誰んだ?’と聞いた。思わず‘おいらんだ’と言ってしまった。堀井がその時‘おいら’
とつけた」全く忘れていたが、それを聞き記憶が戻った!40年の記憶が一瞬で戻る快感。
しかし、その人にとってトラウマー心の傷?ーで残っていたのだろう。 罪なことだ?
参考のため同級生のあだ名を他に挙げてみる「カボ、ボラ、せ~の、六角・・・」
考えてみれば「ハチ」と言われることが一番いやだった。あの年ごろは一番気位が高い。
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1月31日 金曜日 1969年
8時に起床。起きるのがやっとであった。最後の授業の人事管理である。武沢先生の授業は
これでおしまいである。ゼミの高木と喫茶ウィーンに行く。彼はこのところ角が取れてきた。
面白い奴であった。スウェーデンに恋人がいて、一緒にヨーロッパに行ったとき別行動で
彼女の家に泊まってきた。その後、どうなったか聞いてないが、行動力は凄い。
午後はゼミ。私の人生の最後の授業である。途中、川崎がきて頼んでいたコピーを置いていく。
武澤先生が比較社会主義的発想と問題中心主義的発想について語られた。面白い内容でよく
理解することができた。これで終わったのだ、ああ素晴らしい学生時代が!感慨無量であった。
これからは、いままで培ったものが全て試されるのだ。それを前面に出して発揮しなくてはならない。
面白そうな反面、友人達との別れも辛いものだ。一歩足を出す為には、捨てるべきは捨てなくては。 
栄光の未来と前途に行こう!さて、今日は事務管理しかできなかった。明日は価格理論と事務管理
予定として、10時起床、2時まで人事管理。15時から18時まで人事管理。