ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

素地を豊かに育んで

昨晩、ヘルマン・ヘッセの『世界文学をどう読むか』を高橋健二訳(昭和26年・昭和39年21刷・新潮文庫)で読んでいたところ、次のようなことが書いてありました。

日本人もまた私は忘れてはならない。もっとも中国人ほどには到底私を熱中させず、私にかてを与えてくれもしなかったけれど。――日本といえば、われ〜はドイツと同様好戦的な国としてのみ知っているのであるが、日本には数世紀この方、禅のように、雄大で、しかも機知にとみ、極度に精神化されていて、しかも遅疑なく、いや、たくましく実生活に即したものがあったし、今でもある。禅は、仏教国のインドや中国も関係があるのだが、日本において初めて完全に開花することのできた精華である。禅は、凡そある国民がものにした最良の宝の一つであって、仏陀老子のクラスの知恵と実践とである。それから、長い間をおいてからであるが、日本の叙情詩もまた私を非常に魅了した。とりわけ、極度な単純さと短さに対する彼らの努力が。――日本の叙情詩を読んだ直後には、現代のドイツ叙情詩を読んではならない。でないと、われ〜の詩は、やりきれなくぶく〜して間のびがしているように見える。日本人は十七音節詩のような賛嘆すべきものを思いついた。芸術は、らくにすることによって良くなるものではない、その反対によって良くなるものである、ということを日本人は常に知っていた。たとえば、ある時ひとりの日本の詩人が二行詩を作った。まだ雪に埋れた森の中に二、三の梅の枝が花をつけた、というのである。彼はその詩をその道の人に読んでもらった。すると、その人は「たゞ一本の梅の枝で充分だ」と言った。作者は、相手の言うことがいかにももっともで、自分がまだほんとの単純さからどんなに遠いかということを悟って、友人の助言に従った。彼の詩は今日でも忘れられずにいる。」(pp.76-77)

こういう本を当然のように読んでいたのが私の学生時代だったとすれば、その後、自ら選んだわけでもないのに国際交流基金に派遣されたことでマレーシアと関わるようになり、今のイスラーム動向との絡みで話が通じにくくなったアカデミアの状況を、どのように理解すればいいのかと思わされます。
特に、日本が「好戦的な国」とヘッセに見られていた点は、忘れてはならないことです。同時に、「西洋対イスラーム」という枠組みでムスリム側から否定的に語られがちな西洋にしても、日本人が自分達の文化を高めようと他者から学びつつ黙々と努力していた間に、きちんと日本文化の真髄を見抜いて、真っ当に評価してくださった経緯がここに見られます。他のことを余り知らずに、いきなりイスラームに向かっていって、「イスラームの理解が足りない」と非ムスリムを叱咤する日本人研究者が時々いますが、そういう人は「西洋の基礎教養と一般常識が足りない」と非難される対象でもあるのでしょうか。
昨日の続きになりますが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121109)、現在、もしも欧州や米国の文化的凋落が起こっているとするならば、このような日本に対する見解までもが埋もれてしまう可能性を秘めているわけで、だからこそ、安穏と「オバマ礼讃」をしていられないのではないかと思うのです。
昨日は、大阪のシンフォニー・ホールで、ゲルギエフ指揮でマリインスキー歌劇場管弦楽団の演奏会を堪能してきました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121109)。メシアンラフマニノフショスタコーヴィチと豪華でスケールの大きい曲目ばかりでしたが、音の波に身を委ね、メロディーにさまざまな想像を搔き立てられながら、このような音楽を生み出した文化的土壌に対する素直な敬意をもっと大事にしなければと痛感させられた次第。この演奏会については、一週間前のいずみホールでの演奏会と共に、改めて書く予定です。
昼食時、主人が話してくれたのですが、「理系分野に関しては、博士号は必ずしも全体の能力の高さを保証しない。それほど実力がなくても、博士号が欲しいだけならば何とか取れるのが今の状況。自分だって、病気でさえなかったら、やっていたと思う。男の場合は、どうしても仕事をしなければならないという社会状況があるから、資格取得としてやっているのであって、女性ならば、無理に合わない環境でストレスをためながら、業績なんて言う必要はない。それよりも、本当に自分にとって重要だと思うテーマを続けてきて、それをまとめたいというのであれば、自分と考えの合いそうな人を大切にして、その中でやっていけばいい。生活費と学費に関しては、今、仮に仕事を辞めさせられたとしても、これまでの貯金と退職金などを合わせれば何とかなるのだから、焦らず、無理せず、チャレンジすればいい」「パイプス氏なら、そういう相談もできそうだし、何らかの人脈や方法論を知っているはずだろう。パイプス氏に会いたかったら、フィラデルフィアまでの飛行機は、こういうのがあるよ」「パイプス氏が左派嫌いで他人の個人攻撃を書いているとしても(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120804)、日本とアメリカとでは文化的な相違があって、受け止め方が違うのかもしれない。あの人にとっては、若い頃からそういう生き方が合っていたんだろう」「ラシュディー事件とか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121101)、マレー語聖書の話とか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120623)、テーマとしては大事だけれど、それをまとめたからといって、大学の学問としての主流にはなり得ないだろう。でも、それがわかった上で、自分としては必要だと考えて、ユーリもパイプス氏もやってきた。その点では考えも思想も合うんじゃないか?」と。
ただ、訳文30本を送っても、まだウェブサイトに掲載されないままだし、レヴィ君も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121026)「うん、もっとスピード・アップしなければと思っているよ」とは返事をするものの、今後を見据えて「資本主義とは何か」考え直しているようですし、やはり今回の大統領選の結果は、相当衝撃的なのでしょう。
以下は、米大統領選の最終結果です(http://sankei.jp.msn.com/world/news/121111/amr12111108410001-n1.htm

オバマフロリダ州も勝利 全州確定」
2012.11.11 08:40
 【ワシントン=佐々木類】6日の米大統領選で結果判明が遅れていた南部フロリダ州当局は10日、民主党オバマ大統領(51)が同州で勝利し、選挙人29人を獲得したと発表した。この結果、選挙人獲得数はオバマ氏332人、ロムニーマサチューセッツ州知事(65)206で確定した。
 オバマ氏は2008年選挙で獲得した365人に届かなかったが、激戦7州すべてで競り勝ち全勝。オバマ氏は26州と首都ワシントン、ロムニー氏は24州で勝利した。ただ、全米の得票率はCNNテレビなどによると、オバマ氏51%、ロムニー氏48%だった。
 このほか、11州で行われた知事選の結果も確定。非改選分と合わせた新勢力は民主党が1州減の19州、共和党は1増の30州、無所属1州となった。

結果的に全米得票率は3%の相違であり、いくら負けたからとはいえ、ロムニー氏ないしは共和党全体が、アメリカ国内で全否定されたわけではないとは言えます。つまり、二分化している状態で、安易な克服はすべきではないし、しばらくは様子見というところでしょうか。
今年3月26日頃、ダニエル・パイプス先生から「僕の米国内での位置づけを誤解しているね。僕は、共和党では中央にいて強いんだよ」と虚勢を張ったようなメール(実は、当時、3月中旬のイスラエル旅行の後、帰国してすぐに西海岸を忙しく講演旅行中だったため、多忙と疲れからなのか、私の書いた内容を読み間違えていたことから来た反応)をいただいたことを思い出します(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121026)。あの頃は「中東情勢は悲観的だ。中国もさらに困った状態だ」という主張で仲間の活動家達と論陣を張りつつも、私に対してはまだ前向きで明るく元気いっぱいでしたし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120904)、秋の大統領選では挽回するぞ、という意気込みや目標があったのでしょう。今から思えば、結果にがっかりしながらも、非米国市民の私としては、何だか予想がついた成り行きでもあります。
ロムニー氏の感謝の言葉です。数日経って、やっと届きました。

Friend,


Ann and I cannot thank you enough for supporting and believing in our cause.
This was more than just a campaign -- this was a national movement.
Thank you for the work that you did -- going across neighborhoods to knock on doors and put up yard signs. Thanks for making phone calls, coming to rallies, donating funds, and convincing friends and family to join our team.
What's really inspiring is that you came together because you care about America.
We still believe that better days are ahead. It's up to us to rally together to renew America's promise and restore American greatness.
From the bottom of our hearts, Ann and I thank you for your support, prayers, efforts, and vote. We are forever grateful to each and every one of you.
Today's a new day. Keep believing in America.



Thank you and God bless America,



Mitt and Ann Romney


モルモン教については、私の学生時代には「保守であれリベラルであれ、キリスト教の主流派から見れば異端」と決まっていたのですが、個人的には、日本で活躍している芸能人にもモルモン教の人達がテレビに出ていたりして、それほど社会的に問題があったわけではなかったように思います。もっとも、同じようなスーツを着込み、似たような髪型で、自転車に乗って伝道活動をしている青年達の姿は、時々見かけていました。一度も話したことはありませんが、手持ちの讃美歌のピアノ伴奏の楽譜にも、ユタ州のきれいな大教会が写真に掲載されていたりして、(なるほど、アメリカとはそういう国なのか)と思った記憶は鮮明です。
それは別として、上のような言葉は、いかにも懐かしいアメリカという感じがするのですけどねぇ...。
ダニエル・パイプス先生が「ロムニーに共感」していたというのは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121024)、イスラエルに親身的な共和党であるからこそ。(私はいささか不安を感じていたので訳出しませんでしたが)エルサレムでのスピーチにも感動していたようですし(http://www.danielpipes.org/blog/2012/07/romney-remarkable-speech-in-jerusalem)、中東情勢を、ブッシュ政権の失敗や誤りを軌道修正しながら、何とか昔通りの外交路線で進めて行ってもらえたら、という願いから来ていたのだろうと臆測しています。もちろん、厳しい批判も忘れてはいませんでしたが。

さて、前置きは随分長くなってしまいましたが、最近のやり取りから、ちょっとおもしろいと思ったパイプス・メールを一部ご紹介いたしましょう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121109)。
パイプス先生が、1974年という、まだういういしい(?)20代半ばの大学院生だった頃に、イスラエルとの和平についてエジプトを考察した論文があります。いささか生硬ではありますが、現在のエジプト情勢を考えると、非常に洞察力に満ち、何とも預言的でもあると思ったので、10月半ばに邦訳を提出して掲載していただきました(http://www.danielpipes.org/12096/)。この論文は、本名ではなく、ペンネーム(Seth Castellani)が使われていますが、直観で、聖書的な名前(創世記4:25)かつイタリア風だと思ったので、「セツ・カステラニ(ダニエル・パイプスのペンネーム)」と訳させていただきました。その時、ふと書き添えたのは、「イスラエルから帰国した直後の5年前に、初めて先生のエルサレムに関する論文を読んだ時のことを思い出しました。その時、『ダニエル・パイプス』とはペンネームだと思ったのです、お父様のお仕事を知るまでは」でした。
それに対するお返事。

僕がペンネームを使ったのは、中世(イスラーム)史の院生だったので、トラブルを恐れていたからなんだ。確かに『カステラニ』はイタリア語に聞こえる。でも僕がそれを選んだのは、アラビア語でもあるからだよーQastallani」。

今では強硬派のタカ派と言われ、グーグルサイトでは、9.11以降、閲覧数がずっと上位に位置し、メディアでもおなじみの顔として、怖いもの知らずの強気の発言を(大統領選挙の結果が出るまでは)されているのに、若い頃には‘トラブルを恐れていた’なんて、素直でかわいいじゃないですか。地位が人をつくるというのか、経験を積み重ねるうちに変化していったのでしょうか。
そこんとこはさすがに私も伏せておき、次のようにお返事を書きました。

シャフィイ派のイマームだったアル・カスタラニのことですね?アル・ガザーリは有名ですが、彼(アル・カスタラニ)は、少なくともイスラームの非専門家の間では、ここではめったに知られていません。私がいつも思うのは、中世イスラームは哲学の面できらびやかに輝いていたのに、近現代になると、政治的イスラームあるいはイスラーム主義との関連で、大変に悲しい騒動や厄介な状況があるということです。イタリア風の『カステラニ』をお使いになったのは、お父様の自叙伝によれば、米国に移住される前にイタリアとコネクションをお持ちだったからだと、初めは思いました」。

そのお返事。

まさにその通り!イタリアについては、いい推測だけどね」。

お会いしたこともないのに、11ヶ月も経つと、こういうやり取りができる間柄になって、何だか非常に不思議でなりません。私はあくまで受け手ですが、パイピシュ先生の方は、一体全体、メールだけの交流をどのように位置づけていらっしゃるのでしょうか?

あることがきっかけで、ふとインターネット検索で「ダニエル・パイプス公式サイト」に辿り着き、途端に興味を持ってメーリングリストの受信を始めたのが、2011年11月23日のこと。ちょうど1年ぐらいになります。当時は、メディアで話されている内容も、英語は聞き取れるのだけれど、どういう文脈でおっしゃっているのか、どうしてこのような強面の番組ばかりに出演されているのかなど、これまでなじんだ大学の環境とは全く異なっているように見えたので、非常に戸惑いました。
先程、これを書きながら、当時の第1回目のメーリングリストに紹介されていた、書評やらブログ記事やらテレビ出演やらインタビュー記事などを読み直してみたのですが、今では全くよくわかります。結局、英語そのものというより、文脈や内容が重要なのであって、これも、一年経つと学校の学課のようで、初心者から若葉マーク取り外しぐらいまでは成長できたように思います。

他の訳文については、次のように書き添えました。2000年6月の長いインタビュー記事で、スーフィー穏健派のムハンマド・ヒシャム・カバニ師がアメリカ国内のムスリムは過激化していると間接的に遠回しに打ち明けている内容です(http://www.danielpipes.org/6337/muhammad-hisham-kabbani-muslim-experience-in-america)。確かに、これを読むと、9.11の伏線はずっと前から知られていたのであり、あの事件発生は、アメリカに原因があったというよりは、中東由来のイスラーム過激派運動の一端が担ったもので、穏健ムスリムが迷惑を被っていたこともわかります。そこで、私は書きました。

このインタビューは、少なくとも2001年の9.11直後には、日本でずっと広く知られていなければなりませんでした。しかしながら、私の知るアメリカ研究のある日本人専門家は、あの時以来、まるでアメリカ人自身が、他者の声を無視して、あのようなカタストロフィーを作り出したかのように非難していました。当時も今も、私は言いたい。もし、アメリカ研究の専門家だと主張するなら、まずはアメリカ人の専門家の声を聞くべきだ、と」。

それに対してはただ一言。

その通り!

多くの国々で、長い間、大学が左派になってきている。例えば、日本がそうだ。多くの学生達はそこでワイルドな年月を過ごし、その後、もっと根付くのだ」と書いてあったインタビューに対して(http://www.danielpipes.org/1759/the-end-of-american-jewrys-golden-era)、次のように書きました。

私が思うには、それは大学や学部によります。日本の全ての大学が左派ではないと思います。例えば、私の母校はとても静かで穏健でした。『第三世界』研究、社会科学、歴史、経済などのような特定の分野は、確かに、幾つかの主流の大学機関で左派傾向にありますけれども。ここでの現在の主な問題は、全体としての学術水準の劇的な悪化です」。

それにはただ一言、

言い得て妙

のお返事。
プラハPLOと会食」(http://www.danielpipes.org/12097/)については、プラハというセッティングがおもしろかったことと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090313)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090321)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120622)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)、パレスチナに対する強硬な発言の関係で、米国内では親パレスチナのアラブ系の学生達や左翼活動家達から大学講演でも非難囂々浴びていたはずのパイプス先生が、実のところ、丁重にPLOの全権大使からもてなされ、パイプス先生もアラビア語の会話で応じ、贅沢な邸宅や車や豪華な食事や飲み物を提供されていた、という事実そのものが、非常に皮肉で新鮮だと思いました。従来から、日本語で、ある一部の人々によるパイプス批判を鵜呑みにしていた読者にとっても、その意外性が教訓的ではないかと思ったのです。そこで私は書きました。

このエピソードは、私にとって、著作の中でも最も楽しいものの一つでした。近い将来、このような興味深いご経験について、もっと読めることを希望しております」。

そのお返事。

ありがとう。あれは楽しい経験だった。このようなことをもっと詳しく書き上げるべきだね」。

そうですよ。英語で直接読んでいる方ならば、恐らく軽々しいパイプス非難はしないし、そもそもできないでしょうけれども、こういう幅広い貴重な経験をお持ちの学識者に対して、一部だけを取り上げて悪く書くなんて、質が低いどころか失礼の最たるものだと思うのです。あのパイピシュ先生のこと、手持ちの未発表原稿や保存してある膨大なデータの中には、公表したらあっと驚くような情報が隠されているのだろうと思っています。楽しみにしていますよ!
そもそも、オバマ政権が二期目になったとしたら、中米関係重視に加えた私の予測としては(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121109)、「中東、南アジア、東南アジアで、非ムスリムを抑圧することによって、イスラーム/イスラーム主義運動がもっと盛んになるでしょう」というものです。だから、「近い将来、世界中で、ある一定の混沌とした混乱状況へと導くでしょう」と。
それに対しては、パイプス先生は特に回答を寄こされませんでしたが、少なくとも反対はされないだろうと思われます。
こんなに集中して著作に引き込まれたのも、「マレーシアに関する研究テーマ、ユダヤ史、聖書学、クラシック音楽、古典文学への深い関心」が素地としてあったからだ、ともメールで書き添えました。