スマートフォン用の表示で見る

間寛平

アート

間寛平

はざまかんぺい

高知出身コメディアン。芸人。俳優。映画監督。本名は間重美

1949年7月20日生まれ(団塊の世代)。宿毛市出身。

吉本興業所属。

大阪の高校を卒業後、1970年岡八郎に憧れ吉本興業研究生として入社。

後の漫才ブームで大ブレイクするB&B島田洋七と共に貧しい下積み生活を送りながらも、なんば花月での吉本新喜劇に出演し、じょじょにその存在を大きくしていった。

やがて、木村進(現:三代目博多淡海?)と人気を二分するようになった寛平は、1974年、初の座長公演を行い、吉本新喜劇における人気を不動のものとする。特に岡八郎桑原和男との絡みは場内を沸かせ、親友・池乃めだかとの掛け合いである「ネコとサル」は今でも吉本新喜劇では伝説となっている絡みの一つである。

また、同年リリースしたレコード「ひらけ!チューリップ*1」が大ヒット。関西のパチンコ店を中心に大ブレイクし、翌年には神代辰巳監督の映画『濡れた欲情』の副題にも起用された。

1976年には人気時代劇『必殺からくり人』のレギュラーに大抜擢され、山田五十鈴緒形拳森田健作といった名優と共演。最終回では名監督・工藤栄一演出の下、重要な役回りを熱演し、全国区での評価も高くなっていく。

その後も吉本新喜劇を中心に活躍し、「かいーの」「アヘアヘ」「アメマ!」などの一発ギャグや、杖を振り回すオーバーアクションのギャグで観客を魅了し、1977年には8歳年下の光代夫人と結婚。順調な芸能生活を送るものと思われてきたが、そう上手くはいかなかった。

自身のギャグの一つである「アメマ!」が大ヒットしたことから、自身の出演する番組でイメージキャラクター「アメママン」を製作。「これは行ける!」と思った寛平は、キャラクターグッズ「アメマバッチ」を10万個発注。ところが、その番組は僅か3週間で打ち切られ、寛平のもとには大量の在庫と借金だけが残ってしまったのだ*2

莫大な借金を抱えてもなお、仕事を頑張ってきた寛平であったが、なんばグランド花月の完成、漫才ブームの到来などで、寛平率いる吉本新喜劇は地方巡業へと追いやられ、仕事の規模もじょじょに小さくなっていった。

吉本新喜劇自体も縮小され、人気も下火になってきた1989年。寛平は一大決心をする。吉本興業を辞め、東京進出に挑戦しようとしたのだ。ところが、本社幹部により説得された寛平は、吉本興業東京事務所へと移籍。当時東京事務所に一人だけ在籍していた明石家さんまと共に、東京での活動を開始する。

ところが、関西での知名度は高くとも、東京、及び全国区での知名度はほとんど無いに等しかった寛平に満足な仕事はなく、萩本欽一の紹介で仕事をしたり、レギュラーは週1回のラジオ番組だけと、目立った活躍も出来なかった。

1990年明石家さんまから『痛快!明石家電視台』のレギュラーに誘われた寛平は、まもなく訪れる「吉本ブーム」の波に乗り、一気にレギュラーを増やしていく。往年のギャグ「かいーの」「アヘアヘ」は当時の中学生を中心に爆発的なヒットとなり、『マジカル頭脳パワー!!』『邦ちゃんやまだかつてないテレビ』など、当時一時代を築いたバラエティー番組レギュラー出演し、人気を不動のものとする。

寛平、完全な復活である。

また、池乃めだかに勧められて走り始めたマラソンランナーとしての活動も大きなプラス材料となり、1992年から始まった、日本テレビ24時間テレビ 愛は地球を救う』の「チャリティーマラソン」では、必死に走る姿が全国の視聴者の共感と感動を呼び、1992年*31993年、1995年の3度にわたって激走。芸能人マラソンランナーして認知され、幅広い年齢層のファンを獲得することに成功した。

もちろん舞台での活動も活発で、2000年にはベンガル大竹まことと共に「ダイオキシンブラザーズ」を結成。また、2003年には吉本新喜劇の若手リーダー、辻本茂雄と共に5大都市ツアーや、「2003年寛平まつり」を行うなど、衰えは全く感じられない。

痛快!明石家電視台』のクイズコーナー、「アホちゃいまんねんペアでんねん」での回答イラスト*4が密かな話題を生み、グッズとして販売されることにもなるなど、意外な活躍も見られる。

現在までにバラエティー番組に出演する傍ら、俳優業も精力的にこなし、テレビドラマでは『琉球の風NHK大河)』『ぴあの』?『悪意(東野圭吾原作)』『明日があるさ』などに出演。映画では『ファンキー・モンキー・ティーチャー』『OUT(平山秀幸監督作品)』『釣りバカ日誌14』などで活躍しており、俳優としての評価も高い。『ファンキー・モンキー・ティーチャー フォーエヴァー』では監督として初めてメガホンを執った。

2003年には関西テレビ開局45周年記念番組『間寛平少年物語』が放送され、少年時代がドラマ化されるほどとなった。

54歳になった現在でもマラソンランナーとしての活動は精力的で、ギリシャスパルタスロンなどのウルトラマラソンに挑戦。最近ではアメリカで行われた「ウエスタン・ステイツ・エンデュランス・ラン」を完走。脚力に衰えは見えない。

現在、長女の美代さんは教師になり、長男の慎太郎君は大学に通う傍らミュージシャンを目指しており、家族全員で寛平をサポートするなど、円満家庭の芸能一家としても有名だ。

明石家さんまタモリビートたけしらから厳しい突っ込みを受けながらも、寛平は天性のひらめきと人を惹きつける魅力で、第一線を走り続ける。

大の福岡ソフトバンクホークスファン*5でもある。

(文中の一部をhttp://osaka.yomiuri.co.jp/new_feature/kousai/031007.htmより引用しました。)

代表作

  • 映画
  • テレビドラマ
      • 他多数
  • バラエティー
      • 他多数
  • ギャグ
    • 「かいーの」
    • アヘアヘ
    • 「アメマ!」
    • 「血ぃ吸うたろか」
    • 「引きずり女は福招く」
    • 「チャッチャマンボ チャチャマンボ
    • 「ワオワオ!」
      • 他多数
  • 舞台
      • 他多数

*1:作詞・作曲はタイムボカンシリーズ山本正之

*2:実は上沼恵美子の夫がこの番組のプロデューサーだった。

*3:この年は完走できず。

*4:動物に眉毛を描いたり、常人では理解しがたい美的センスが生み出した生物など。

*5南海ホークス時代から

*6http://www.earth-marathon.com/間寛平アースマラソンオフィシャルサイト