秘密保護法 言わねばならないこと(30)戦争 近くなった感じ 講談師 神田香織氏-東京新聞(2014年9月14日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2014091402000155.html
http://megalodon.jp/2014-0915-1703-34/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2014091402000155.html

日本は憲法九条のおかげで六十九年間、戦争で人を殺さず、殺されずにきた。集団的自衛権の行使を認めた七月一日の閣議決定は、この九条を骨抜きにした。特定秘密保護法に続いて安倍晋三首相はどこまでやりたいことをやるんだと、怒りを通り越して、あきれてしまう。

日本が先兵となって米国を守る。すると、日本が憎しみの対象になってしまう。日本にテロ行為を呼び込むようなこと。福島の原発事故で苦しむ子どもたちを放置している政府が、今度は戦争の最前線に若者を送る。安倍首相は「国民の平和を守るため」と言うだけで、集団的自衛権の必要性を国民にきちんと説明できない。

「講釈師、見てきたようなウソをつき」

お話を面白く聴いてもらうためオーバーに表現するのが講談の特徴。安倍首相は東京五輪招致で「(福島第一原発の汚染水の)状況はコントロールされている」と言うなど、お株を奪われてしまったようだ。原発集団的自衛権では首相がウソをついて、講談師が本当のことを言って歩いている。

一九八六年から「はだしのゲン」を語っているが、当時よりも今の方が戦争にずっと近い感じがする。ウソばかりの大本営発表で、知らないうちに国民の命を危うくした。こんな状況に近づいている。原発事故では肝心な情報を出さず、国民に無用の被ばくをさせたが、秘密保護法は事故を収束したことにしたいからつくったとも思える。

秘密保護法ではピンとこなかったが、集団的自衛権の行使ではおかしいと感じて声を上げる人が増えてきている。危機感を持ち、発信し続けたい。世の中あきれ果てることばかり。でも、あきれ果てても、あきらめない。

週のはじめに考える 記憶の力、伝える力-東京新聞(2014年9月14日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014091402000161.html
http://megalodon.jp/2014-0915-1705-38/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014091402000161.html

周りの景色が少しずつ、変わり始めているようです。聞かせてください。あの時何があったのか。私たちは記憶のチカラを信じ、それを伝え続けます。

エンドロールが出る前に、年輪を刻んだ男の顔が大写しになりました。しわの一つ一つから、記憶という名の“お宝”がしたたり落ちてくるようです。

映画「坑道の記憶〜炭坑絵師・山本作兵衛」(大村由紀子監督)は、九州の名もなき一人の坑内員が、画用紙に墨で描いて残した記憶の記録です。

倉本聰さん父 投稿で摘発 信仰、戦争の標的に-東京新聞(2014年9月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014091502000123.html
http://megalodon.jp/2014-0915-1708-31/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014091502000123.html

倉本さんは投稿文を「理解に苦しむくらい回りくどい」と苦笑する。文中で世界平和を願う一方、戦死を恐れることを「か細い感傷」と批判もする。当時のもの言えぬ空気が行間からにじんだ。

戦後、山谷さんは日本野鳥の会の再結成に尽力し五二年に亡くなった。倉本さんは、戦後信仰から遠ざかったものの、正義感は父から受け継いだとの自負がある。代表作のドラマ「北の国から」では、主人公が食事前に神に祈る。父が戦時中も祈りを欠かさなかったからだ。倉本さんも、スポンサーに表現を制限されて苦々しく感じたこともあった。「信仰を規制されることがどれほど嫌なことだったか」

自由な表現が再び制限されかねない特定秘密保護法が成立し、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がされたことに危機感をおぼえる。言論統制を受けた父の世代はほとんど亡くなり、空襲を経験した自分たちの世代も減りつつある。「血のにおい、硝煙のにおいを、少なくとも私はかいだ。今の政治家は戦争を知らなすぎる」

戦時下のキリスト教弾圧 国は戦争のために国民の思想統制を進め、信仰にかかわらず天皇を神と信じるよう求め、礼拝時に君が代を歌い、皇居の方角を拝むことを義務付けた。宗教者たちは特高に監視され、反戦を唱えたり神社参拝を拒否したりした場合、治安維持法違反などを理由に摘発された。国の意向で、プロテスタントは約30の教派が日本基督教団に、カトリックも日本天主公教教団に、それぞれ統合され、戦意高揚や資金面で戦争に協力した。

平和、反原発 6年前から毎日1編 84歳 詩に託す命 茨城山中侑子さん-東京新聞(2014年9月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014091502000122.html
http://megalodon.jp/2014-0915-1712-37/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014091502000122.html

へいわってすてきだね


せんせいが生命を拾って下さった

もう充分と思っていた私を

はげまし

もう一度元気でくらせる

生命をいただいた

 (中略)
あと何年いきられるかな

この少年のためにも

私は残った人生

平和を守るために

がんばりたい

小さな少年の詩に涙がにじむ

それは生きてる

あかし

私はぐっと

拳骨(げんこつ)をつくり

ぎゅっと結ぶ

山口淑子さん死去:中国でも哀悼の意 - 毎日新聞(2014年9月14日)

http://mainichi.jp/select/news/20140915k0000m040069000c.html
http://megalodon.jp/2014-0915-1118-43/mainichi.jp/select/news/20140915k0000m040069000c.html

山口さんの訃報を受け、山口さんを直接知る中国の関係者らが14日、哀悼の意を示した。中国では「80代以下の人はほとんど知らない」(北京の80代の共産党関係者)のが実情だが、一部メディアは、山口さんが2005年、小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝を批判する文章を公表したことなどを伝えた。

二つの祖国 将来案じ 山口淑子さん死去-東京新聞(2014年9月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014091590070228.html
http://megalodon.jp/2014-0915-1107-07/www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014091590070228.html

戦後六十年の二〇〇五年の夏。首相の靖国神社参拝をめぐる議論について本紙が取材した際、山口さんは「自国の加害行為に目をつぶり、独り善がりの美しい歴史につくり変えてはいけない」と穏やかに訴えた。

靖国神社ホームページで、一八九四(明治二十七)年の日清戦争から日中戦争、太平洋戦争までの戦争を「皮膚の色とは関係ない自由で平等な社会を実現するため、避けられなかった戦い」などと説明していた。

これに対し、山口さんは「『アジアを解放するための戦争だった』というのは後から付けた理屈だった。日本には当時、アジア蔑視の考え方があったのに、『アジア解放』と言っても理解されない」と話していた。

中国との感情的な衝突が続く中、最期まで「二つの祖国」の将来を案じていた。


関連)

60年目の戦後<中>傷つけた心癒やす努力を 元女優山口淑子さん-中日新聞(2005年8月14日)

http://archive.today/tgbo5
http://megalodon.jp/2014-0915-1116-33/archive.today/tgbo5

小泉純一郎首相の靖国参拝問題を一つのきっかけに、中国人の抗日の感情が噴き出したのを、私は理解できるんですよ。

十八歳で中国人女優「李香蘭」としてデビューした直後、生まれて初めて祖国日本の土を踏みました。連絡船を下りようと旅券を見せた時の入国係官の言葉が心に突き刺さりました。

「一等国民の日本人が三等国の中国の服なんか着て恥ずかしくないのか」。祖国の人々が、私が生まれ育った母国の中国を見下すことが悲しかったし、そういう日本が嫌いでした。

靖国神社はホームページで、一八九四(明治二十七)年の日清戦争から日中戦争、太平洋戦争までの戦争を「皮膚の色とは関係ない自由で平等な社会を実現するため、避けられなかった戦い」などと説明しています。

でも私は、「アジアを解放するための戦争だった」という後から付けた理屈で、自国の加害行為に目をつぶり、独り善がりの美しい歴史につくりかえてはいけないと思う。

本当に中国を対等だと認めていたなら、「満州国」という傀儡(かいらい)国家はつくらないでしょうし、中国人を差別しなかったはずです。

小泉さんには、日本の戦争指導者を祭る靖国神社の参拝が、どれだけ中国人の心を傷つけるか理解してほしい。

満州の撫順(ぶじゅん)に住んでいた十二歳の時、憲兵らが中国人労働者の頭を銃の台尻で殴る拷問を目撃しました。後から調べると、抗日ゲリラへの報復で、四百人とも三千人ともされる中国人が集団虐殺された「平頂山事件」(一九三二年)の一場面でした。

最近よく、「大東亜戦争侵略戦争というのは誤った歴史観だ」という声を聞きますが、私が見聞きした限りでは、少なくとも中国に対しては、侵略という意味合いが強かったのは間違いない。

六十年前の夏。当時暮らしていた上海の新聞は「李香蘭、銃殺刑へ」と報じました。「中国人でありながら、中国を冒涜(ぼうとく)する映画に出演して日本の大陸政策に協力し、中国を裏切った」という罪状で軍事裁判を受けたのです。

その時は日本人だと証明でき、死刑にはならなかったのですが、戦後四十年ほどして、出演した国策映画を見た時、眠れないほど打ちのめされました。旧日本軍に両親を殺された抗日少女が、日本人の男に殴られ愛に目覚めるという、中国人にとってあまりに屈辱的なストーリーでした。

いまだに戦争被害に遭われたアジアの方々から個人補償を求める声が上がりますね。私が副理事長を務める「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)は、日本政府と国民の協力で元「慰安婦」の方々に、おわびと反省を表す事業をしていますが、政府としてやるべきことはまだまだあります。

多額の政府開発援助(ODA)で「十分償った」という声も聞きますが、政府の個人への戦後補償の仕方を見ていると、人間の尊厳を傷つけられた人たちの心の痛みを癒やす気持ちが足りない気がします。

参考) 

私の思い 大鷹淑子

http://www.awf.or.jp/pdf/k0008.pdf

山口淑子(本名・大鷹淑子)さんは自民党の婦人局長の時代から元従軍慰安婦の救済の問題に熱心に取り組み、引退後はアジア女性基金の呼びかけ人として謝罪と賠償に尽力しました。