「共謀罪」対象犯罪 衆院事務局調査「316」 政府「277」と相違 - 東京新聞(2017年4月18日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201704/CK2017041802000103.html
http://megalodon.jp/2017-0418-0908-44/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201704/CK2017041802000103.html


犯罪に合意することを処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案で、政府が「二百七十七」と説明している対象犯罪の数が衆院事務局の調査では「三百十六」に上ることが分かった。金田勝年法相は、十七日の衆院決算行政監視委員会で「数え方に一定のルールはない」と説明。野党からは「ルールがない数え方で絞ったというのは非常に問題だ」との批判が上がった。(山田祐一郎、我那覇圭、岡本太) 
民進党山尾志桜里(しおり)氏が、二百七十七の対象犯罪数の根拠をただした。山尾氏は、今国会で衆院事務局がまとめた資料で「共謀罪」の対象犯罪が三百十六に上ると指摘。政府が説明する二百七十七の対象犯罪とは計上方法が異なり、犯罪数が三十九多かった。資料は、二〇〇五年に国会提出された共謀罪法案で法務省から提供された資料を参考に作成された。
例えば、衆院の資料では刑法の「激発物破裂」は「現住建造物等損壊」「非現住建造物等損壊」「建造物等以外損壊」の三つが個別の対象犯罪となっているが、政府は今回、三つをまとめて一つの対象犯罪とした。このほかにも「電汽車往来危険」「艦船往来危険」を、政府は「往来危険」として一つで計上している。山尾氏は「数字ありきで三百以下に抑えたのだとしたら、国民に対して大変失礼ではないか」と批判した。
政府は国際組織犯罪防止条約締結のために、法定刑が死刑や四年以上の懲役・禁錮の罪の共謀罪の創設が必要だと説明してきた。〇五年四月時点のこの対象犯罪数は六百十九だった。政府は今回、この犯罪数を六百七十六と説明しているが、今回の衆院の資料では八百四十一(今年二月現在)だったことも判明した。

◆野党議員の質問に「細部は官僚呼んで」 
金田勝年法相は十七日の衆院決算行政監視委員会で、「共謀罪」法案の対象犯罪の数について「数え方に一定のルールはない」との見解を示した。一方で、野党議員の突っ込んだ質問に対しては、政府参考人の法務官僚に答弁させるよう求める場面があった。
金田氏は、個々の対象犯罪を選定した理由を民進党山尾志桜里氏に問われ、「細部のことは法案作成に携わった政府参考人も(審議に)呼んでほしい」と述べた。
法案提出前に「成案を得てから説明する」と答弁を先送りしていた四十項目に関しては「今からでも法務委員会で質問してください。直ちにお答えする」と強調。その上で「具体的な質問通告はいただいていない」「通告は分かりやすくお願いしたい」などと質問者に注文を付け、踏み込んだ説明は避けた。
これに対し、山尾氏は「しっかりした答弁が出てこないのが議論を混乱させる最大の原因だ」と批判した。
金田氏は二月、共謀罪を巡り「法案ができた後に専門的知識のある法務省刑事局長も加わって充実した議論」をするよう求める文書を報道機関に配布し、野党から批判されて撤回した経緯がある。 (横山大輔)

木村草太の憲法の新手(54)教育勅語「国体」重視の教えは違憲 | タイムス×クロス 木村草太の憲法の新手 - 沖縄タイムス(2017年4月16日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/93420
http://megalodon.jp/2017-0417-1235-05/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/93420

3月31日、政府は、憲法教育基本法などに反しない範囲で、教育勅語を「教材として用いることまでは否定されることではないと考えている」との答弁書を出した。教育勅語を完全に排除すべきではないとの趣旨の閣僚・政府高官の意見表明も相次ぎ、懸念が広まっている。
教育勅語は、明治23年10月30日付で示された、現人神たる明治天皇が教育に関する基本理念を述べた文書だ。その内容は、市民を「臣民」と位置づけ、大日本帝国の「国体」を「教育ノ淵源」と位置付ける。
「国体」とは難解な言葉だが、明治40年の文部省の公式の英訳では「fundamental character of Our Empire」とされた。帝国の基本的な性格くらいの意味に訳されている。
ポツダム宣言を受諾した日本政府は、憲法改正を決意し、1947年5月、日本国憲法が施行された。天皇は、現人神や大権の担い手ではなくなり、国家の象徴とされた。市民は、主権の担い手たる「国民」となった。こうして、神話的国家観に基づく大日本帝国は解体された。
当然、大日本帝国の「国体」は「教育の淵源」となりえなくなる。1948年6月19日、衆議院は、「主権在君並びに神話的国体観に基いている」との理由で教育勅語の排除を求める決議をした。参議院教育勅語の失効を確認する決議を行った。これを重く受け止めた政府は、決議当日の衆議院本会議で、森戸辰男文部大臣が、「教育勅語明治憲法を思想的背景といたしておるものでありますから、その基調において新憲法の精神に合致しがたい」と断言した。
今回の政府答弁書は、「我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切である」としつつも、教材としての利用は必ずしも否定しないという。この点、歴史の授業で教育勅語を紹介することは問題ないとの指摘もある。
しかし、歴史の授業だけを想定するなら、例えば「史料として用いることは否定しない」という言い方にすべきだった。答弁書の書き方では、歴史以外の授業での利用を促しかねない。
また、菅義偉官房長官は、4月3日の記者会見で、教育勅語に書かれた「親を大切にする、兄弟姉妹は仲よくする、友達はお互いに信じ合うなど、ある意味で人類普遍のことまで否定はすべきではない」と述べた。これは、歴史資料ではなく、道徳などの教材として利用することを想定するかのような説明だ。
教育勅語には、親孝行や家族愛、学問を修めることなど、そこだけを切り取れば問題なく見える部分もある。しかし、それらは、大日本帝国の「臣民」が「天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼」するために遵守すべき規範とされていた。教育勅語を教材とすることは、「親孝行や学問の目的は、現人神たる天皇の位を護るためだ」と教えることを意味する。そのような教育は、明らかに憲法等に反する。
前回論じた道徳教科書の検定問題にしても、今回の教育勅語答弁書にしても、道徳教育への不信を高めるものだ。本来、道徳とは、国民一人一人が自らの良心に従って探求すべきものだ。声高に道徳を押し付けてくる者には、警戒せねばならない。
首都大学東京教授、憲法学者

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<諫早干拓訴訟>司法のねじれ、解決みえず - 毎日新聞(2017年4月17日)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170417-00000104-mai-soci
http://archive.is/2017.04.17-232141/https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170417-00000104-mai-soci

“司法判断のねじれ”は決定的になった。国営諫早湾干拓事業諫干長崎県)を巡り、国に潮受け堤防の開門差し止めを命じた17日の長崎地裁判決。干拓営農者らは2013年の仮処分決定から続く3度目の勝訴に「開門を認めない司法の流れを決定づけるものだ」と強調した。漁業者側は「開門以外に有明海再生の道はない」と国に控訴を求めた。【加藤小夜、池田美欧、浅野孝仁、今野悠貴】
長崎地裁前では判決後、時折激しい雨が降る中、原告の営農者側弁護団が「勝訴」「差止判断三度続く!」と書かれた紙を掲げた。
原告の町田浩徳さん(54)=長崎県雲仙市=は法廷で傍聴し喜びをかみしめた。潮受け堤防の閉め切り後に造られた中央干拓地の約11ヘクタールで、ブロッコリーやタマネギなどを栽培する。初期投資は数千万円。最近ようやく「常に水があり排水設備も整っている。作業するには最高の場所」と思えるようになった。
開門調査を命じた2010年の福岡高裁判決を国が上告せず確定させたことに「到底納得できない」と訴訟に加わった。勝訴に安堵(あんど)しつつ「このまま判決を確定させてほしい」と話した。
営農者側の山下俊夫弁護団長は記者会見で「国は相反する法的義務を課せられているという言い訳に終始せず、開門せずに解決する方針にかじを切るべき時期に来ている」と訴えた。長崎県の中村法道知事も「国はやみくもに訴訟を長引かせるのではなく控訴せず、開門しない方向で真の有明海再生をめざしていただきたい」とコメントした。
「漁民だけが一方的に被害を受けている。判決は不当だ」。国側補助参加人として訴訟に加わるタイラギ漁師、平方宣清(のぶきよ)さん(64)=佐賀県太良町=は怒りを込める。堤防閉め切り後、タイラギの漁獲量は激減し福岡・佐賀では5季連続の休漁。タイラギ漁を営みながら親子3代で一緒に暮らすつもりだったが、稼ぐのは難しく長男は町を離れた。「諫干に夢を奪われてしまった」。国に控訴を求め「開門判決を訴えていきたい」と話した。
開門派弁護団の馬奈木昭雄弁護団長は「高裁の確定判決があるのに、どうして差し止められるのか。極めておかしな偏った判断で信じがたい」と痛烈に非難。18日にも国側補助参加人として福岡高裁に控訴する方針だが、最終的には国の控訴が必要。しかし「国は我々開門派の主張を採用せず負ける道を自ら選んだ」と疑念を示す。「話し合い以外に本件の解決はなく、有明海の再生には開門以外ない。それを求めて闘い続ける」と徹底抗戦の構えを見せた。

諫早湾干拓 国の罪深さが招く混迷 - 東京新聞(2017年4月18日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S12896671.html?ref=editorial_backnumber
http://megalodon.jp/2017-0418-0907-22/www.asahi.com/paper/editorial2.html?iref=editorial_news_one

この混迷からどうやって抜けだすのか。行政が本気で解決にとり組まなければ、対立と分断で地域は疲弊するばかりだ。
国の干拓事業によって諫早湾が鋼板で閉め切られて、今月でちょうど20年になる。
そしてきのう、干拓地で農業を営む人々が起こした裁判で、長崎地裁が潮受け堤防の水門を開くのを禁じる判決を言い渡した。開けば農業に重大な被害が生じる恐れがあるとの判断だ。
7年前には福岡高裁が、逆に漁業者の主張を認め、水質調査をするため期限をきって開門するよう命じている。相反する司法の結論に疑問が広がる。
だがこの事態は予測できた。干拓により漁業被害が出ていることを、今回の裁判で国が正面から主張しなかったためだ。
福岡高裁は両者の因果関係を一部認め、だからこそ開門を命じた。国はこれを受け入れ上告を断念した。にもかかわらず、理解しがたい対応である。
矛盾を指摘されながら改めようとしない国の態度が、矛盾する判決につながった。高裁の確定判決があるので口では「開門義務を負う」と言いつつ、本音ではそうさせないように、つまり国が進めてきた公共事業が失敗だったことが明らかにならないように立ち振る舞う。
その結果、有明海では不漁が深刻化し、漁業者の後継者難もより厳しさを増した。一方、開門の約束を果たさないことで、いわば罰金として国が漁業者側に日々支払う間接強制金の総額は、年内に10億円を超える。営農者は営農者で、引き続き中ぶらりんの状態におかれる。
どの観点から見ても、罪深い行いと言わざるを得ない。
国が何よりとり組むべきは、漁業者と営農者の双方が折り合える解決策を粘り強く探ることであり、干拓事業者の立場に固執することではない。
国は開門調査に備え、4年前に243億円を予算計上し、農業被害にも対処できると説明した。だが営農者を説得できないまま、毎年繰り越されている。
農業対策とは別に、02年からは海底に砂を入れて耕すなどの有明海再生事業も手がける。しかし、昨年度までに約500億円を投じても、漁獲量の減少傾向に歯止めはかかっていない。かつての「豊穣(ほうじょう)の海」を取りもどすには、やはり開門して調べるしかないのではないか。
営農者を抱える長崎県も、開門に反対するだけでなく、ともに調整にあたる姿勢を見せてほしい。こじれた感情を解きほぐすのは容易ではないが、その営みなくして問題の解決はない。

諫早分断 融和は政府の責任で - 東京新聞(2017年4月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017041702000130.html
http://megalodon.jp/2017-0418-0908-12/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017041702000130.html

“ギロチン”と呼ばれた鉄の堤防が諫早湾を分断して二十年。長く複雑な訴訟合戦を経て、海と陸、漁業と農業を隔てる壁は厚みを増すばかり。国策の誤りを認め、和解へ導く責任は政府にある。 
二百九十三枚の鋼板が魚湧く宝の海をドミノ倒しのように切り裂き、長さ七キロの潮受け堤防が出現し、諫早湾の三分の一を閉め切った。その模様は“ギロチン”と形容された。ムツゴロウがはい回る国内最大級の干潟が消えて、六百七十二ヘクタールの農地ができた。
戦後の食糧難がまだ続く一九五二年に構想されて、世紀をまたいだ二〇〇八年に完了を見た国営諫早湾干拓事業。国策は時代の変化に適応できず、完成だけを目的とする、典型的な“止まらない”巨大公共事業と化した。 
政府は米余りの時代の到来だけでなく、干潟の持つ海水の浄化能力も視野に入れてはいなかった。
空から湾を見下ろすと、陸側にできた真水の調整池と、堤外の湾の海面の色が明らかに違っているのが分かる。工事が進むに従って、赤潮の頻発で名産のノリの収穫が激減するなど海に異変が起きた。そこからがややこしい。
有明海沿岸四県の漁業者が〇二年、工事差し止めの仮処分を求めて提訴。〇四年、佐賀地裁はこれを認めた。巨大公共事業を止めた初めての司法判断と注目された。
仮処分は取り消されたが、その後の本訴で、潮受け堤防の排水門を五年間開門するよう命じた判決が一〇年、福岡高裁で確定した。
これを受け、干拓地に入植した営農者は一一年、利水や防災上の支障が出るとして、開門差し止めを求め、長崎地裁は一三年、仮処分を決めた。
国策の誤りを認めることになるからか、国は開門に踏み切れず、今は一日九十万円の制裁金を漁業者側に支払い続けている。開門すれば、営農者側への制裁金が課されることになっている。
最高裁は、下級審の事実認定を変更できず、両地裁の判断を統合することは不可能だ。法や制度の不備をここで指摘しても始まらない。長い訴訟合戦で明らかになったのは、裁判では解決できない問題なのだということだ。
政府がまず国策の不備を認めて、対話のテーブルに戻るよう誠意を尽くして双方を説得し、利水や防災に配慮した、農業も持続可能な開門の在り方を模索するしか道はない。
漁業、農業、そして地域をこれ以上疲弊させてはならない。

リンカン?  歴史教科書が大変わり(ふしぎ探検隊) - NIKKEI STYLE(2017年3月24日)

http://style.nikkei.com/article/DGXMZO14387720T20C17A3000000?channel=DF280120166608
http://megalodon.jp/2017-0418-1038-07/style.nikkei.com/article/DGXMZO14387720T20C17A3000000?channel=DF280120166608

日本最大級の前方後円墳は? 江戸幕府の直轄領は? 南北戦争時の米国の大統領は――。文部科学省が公表した小中学校の新学習指導要領案で聖徳太子の表記が話題となっているが、歴史の教科書は既に大きく変わっている。何がどう違うのか。30年前と現在の教科書を比べてみた。


(私説・論説室から)ピルトダウン事件に思う - 東京新聞(2017年4月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017041702000132.html
http://megalodon.jp/2017-0418-0909-09/www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017041702000132.html

花見がてら東京・上野の国立科学博物館に立ち寄った。大英自然史博物館の膨大な収蔵標本からえりすぐった約三百七十点を展示している。本邦初公開との触れ込みである。
興味をひかれたのは、科学史上最悪の捏造(ねつぞう)事件と呼ばれたピルトダウン人のニセ化石。一九一二年、大英自然史博物館の地質学者アーサー・ウッドワードは、アマチュア考古学者チャールズ・ドーソンが英南部のピルトダウン村で発掘したという化石を、類人猿とヒトを結ぶ五十万年前の人骨と宣言した。
大英帝国の権威が発信したこのフェイク・ニュースは、フッ素による年代測定などで、頭はヒト、下あごはオランウータンの骨と判明する五三年まで約四十年間、世界を欺き続けた。でっち上げの真犯人はドーソンだったと特定されたのは、最近のことという。
進化論のダーウィンを生んだ覇権国家にとって、人類史を書き換えるような化石の出土は大きな夢だったらしい。ドイツでは一八五六年にネアンデルタール人が、フランスでは六八年にクロマニヨン人が、九一年にはインドネシアジャワ原人が発見されていた。
ナショナリズムの高揚につけ込んだアマチュアの欲望と引きずられたエリート。事件の背景にそんな構図を思い浮かべるのは大げさか。フェイク・ニュースが簡単に拡散する現代。誰かを利するための情報ではないかとまず疑ってみることが大切だろう。(大西隆

「森友」問題はどこへ行った 首相と与党は質疑阻むな - 毎日新聞(2017年4月18日)

https://mainichi.jp/articles/20170418/ddm/005/070/109000c
http://archive.is/2017.04.18-001040/https://mainichi.jp/articles/20170418/ddm/005/070/109000c

安倍晋三首相と自民党は、このままダンマリを決め込めば人々の関心は薄れると考えているのだろうか。
大阪市の学校法人「森友学園」の国有地売却問題について、国会ではこれに関する質疑さえままならない状況が続いている。
例えば介護保険関連法改正案などを審議していた先週の衆院厚生労働委員会だ。森友問題に関し民進党議員が、首相の妻昭恵氏が公の場で説明するよう求めたところ、自民党は「議案と関係ない」と猛反発し、改正案を強行採決する事態となった。
確かに改正案とは無関係だ。だが与党は昭恵氏らの証人喚問を拒み続けている。この委員会での質疑は適さないと言うのなら、森友問題に関する集中審議を行えばいいはずだが、それも拒否している。
民進党議員は報道機関の世論調査では関係者の証人喚問が必要だと考えている人が多いともただした。すると首相は「その調査によると内閣支持率は53%で、自民党の支持率、あるいは民進党の支持率はご承知の通りだ」と言い返した。
高支持率だから喚問は不要とでもいうような答弁に驚くばかりだ。
昭恵氏をめぐっては、昨夏の参院選自民党候補を応援した際、夫人付の政府職員が計13回同行したことも明らかになった。公務員の選挙運動は法律で制限されている。
政府は旅費は昭恵氏が負担し、選挙応援は昭恵氏の「私的な行為」と説明している。一方で職員の同行は職務遂行のための「公務」と位置づけながら「自らの判断」だったとも言う。全く理解に苦しむ。
公私の区別がはっきりしない昭恵氏の行動は森友問題解明のための焦点の一つだ。しかし夫人付職員が問題の土地に関して財務省に問い合わせていた事実が判明した際、首相側が「職員の個人的な照会」と強引に結論づけたために、その後も無理な説明を重ねているように思われる。
与党が質疑を阻むのは、首相側がきちんと説明できないことをそんたくしているからではないかと疑う。
そもそもなぜ売却価格は格安になったのか。昭恵氏は本当に関与していないと言えるのか。解明はまだ何も進んでいない。
改めて昭恵氏ら関係者の記者会見や証人喚問を強く求める。

悪ノリ安倍首相 銀座の商業施設オープンイベントで“忖度発言” - スポニチ(2017年4月18日)

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2017/04/18/kiji/20170418s00042000006000c.html
http://archive.is/2017.04.18-052024/http://www.sponichi.co.jp/society/news/2017/04/18/kiji/20170418s00042000006000c.html

安倍晋三首相が17日、東京・銀座に完成した複合商業施設「GINZA SIX(ギンザ シックス)」のオープニングイベントであいさつし、地元の山口県産品をPRしようと忖度(そんたく)を要求する一幕があった。施設で扱う各地の名産を紹介する一方で「(あいさつの)原稿には残念ながら山口県の物産がない。忖度してほしい」と述べた。

国会では学校法人「森友学園」への土地の格安払い下げを巡り、官僚が首相の意向を忖度したのではないかと野党の追及を受けたばかり。安倍内閣の閣僚から失言が相次ぐ中、テーマは違い、冗談交じりとはいえ、首相の“忖度発言”には、森友学園問題の解明へ誠実さが足りないと野党が批判する可能性もある。

催しには、小池百合子東京都知事も出席した。首相は「銀座と言えば、デュエット曲の“銀座の恋の物語”だ。小池さんと一緒に歌ってもいい」と表明。日本が観光競争力ランキングで4位になったことを強調した上で、「満足してはいけない。“2位じゃ駄目なのか”ということでは下がってしまう」と述べるなど、完全な“悪ノリ”状態だった。

(余録)奈良の興福寺は法隆寺と並んで… - 毎日新聞(2017年4月18日)

https://mainichi.jp/articles/20170418/ddm/001/070/145000c
http://archive.is/2017.04.18-001206/https://mainichi.jp/articles/20170418/ddm/001/070/145000c

奈良の興福寺法隆寺と並んで国宝の仏像の収蔵数は日本一だが、明治初めの廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)では廃寺寸前だった。寺僧全員が還俗(げんぞく)してしまい、今や奈良を象徴する国宝の五重塔も危うく焼却されそうになったという。
五重塔は二百五十円で買い手がついたが、焼き払って金物だけ取っても二百円にならないと沙汰(さた)やみとなった。三重塔は自分が三十円で買って遊び場所にと思ったが、兄に諫(いさ)められて諦めた」。後年、地元紙で当時の人が回想した。
一説にはこの時に五重塔は観光客を呼べるから残した方がいいという意見もあった。長い時の試練をくぐりぬけた一国の至宝を見ても、売り物にならぬ古材から金物を取り出す算段や、観光客の落とす金しか思い浮かばない人もいる。
こちらは後者の流れを継ぐ閣僚の「一番のがんは文化学芸員」発言である。学芸員文化財保全や研究にあたる専門職だが、山本幸三(やまもとこうぞう)地方創生担当相はこの人たちが観光客へのサービス精神を欠くと、講演で「一掃」を訴えたのだ。
文化財保護とその公開の仕方とのジレンマは時に論議のあるところだが、当人は発言が物議をかもすとすぐ撤回して謝罪した。つまり学芸員の何たるかもよく知らぬまま、観光振興のかたき役に仕立てて座のウケを狙ったようである。
五重塔も観光のおかげで破壊を免れたかもしれないから、文化財の見せ方に工夫をこらすのは結構である。だが文化財の価値を熟知し、それを子孫に手渡そうという専門家は頑固なくらいでちょうどいい。

分かれ道に直面する「軍事研究の全面解禁」(杉田敦さん|WEBRONZA) - 朝日新聞社(2017年4月17日)

http://webronza.asahi.com/science/articles/2017040700008.html
http://megalodon.jp/2017-0418-0911-49/webronza.asahi.com/science/articles/2017040700008.html

日本学術会議が、学術界での軍事研究のあり方について「声明」を発表した。会議では1950年と67年にも声明を出して、「戦争を目的とする研究は行わない」と宣言している。
今回の声明は、軍事研究が機密性などの面で学問の健全な発展を阻害するという、学問の自由(憲法23条)に関する懸念を前面に打ち出した。大学に対する防衛省の「安全保障技術研究推進制度」も、この観点で「問題が多い」とした。
一方、9条に関する記述では「平和」という言葉を使わなかった。自衛や戦争の定義についての議論は見送り、成果が軍事目的に転用される懸念から「資金の出所等に関する慎重な判断を求める」といった表現にとどめた。
ただ、軍事的とみなされうる研究の審査など、具体的な対応を大学に求めたのは、過去の声明にはない大きな特徴といえる。議論をまとめた「安全保障と学術に関する検討委員会」の杉田敦委員長へのインタビュー(朝日新聞4月13日、朝刊オピニオン面)の詳細版を掲載する。(構成:朝日新聞科学医療部 竹石涼子、嘉幡久敬)

――今回の声明は、大学側のあり方まで踏み込みました。

大学などの研究機関での軍事的手段による国家の安全保障に関わる研究が、学問の自由や学術の健全な発展と緊張関係にあることを示し、大学や学会に対応を求めた点が大きなポイントです。
重大な問題であるにもかかわらず、軍事研究は行わないとした1950年と67年の声明から半世紀。日本学術会議は、議論を継続せず、考え方を示してこなかったという反省があります。今回の声明は、過去の声明を『継承』しました。
日本学術会議が 1949 年に創設され、1950 年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対に これを行わない」旨の声明を、また 1967 年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研 究を行わない声明」を発した背景には、科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び 同様の事態が生じることへの懸念があった。近年、再び学術と軍事が接近しつつある中、 われわれは、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究、すなわち、軍事的な手段に よる国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にあ ることをここに確認し、上記2つの声明を継承する。(「軍事的安全保障研究に関する声明」から)

――過去の声明を「堅持」するとすべきだとの声もありました。

堅持とは、そのままにするということ。でも、過去の声明のもとで事態はかなり進行しています。2015年度に防衛装備庁が大学などに研究を委託する『安全保障技術研究推進制度』を始めたことが、今回の議論のきっかけになりました。いま、米軍からの大学や学会などへの資金援助は8億円を超えている状況です。
今回の声明は、学術と軍事の間の緊張関係や大学が負う責任を明確にして、大学や学会などに対応を求めることまで踏み込みました。過去の声明を発展的に継承すると考え、継承という言葉を使いました。

――学術と軍事の緊張関係とはなんでしょうか。

何よりも学問の自由が脅かされます。学問の発展にとって、自主性、自律性、そして研究成果の公開性が大事です。一般に軍事研究では、それらが保証されません。委員会でも学問の自由が学術の健全な発展につながることに異論はありませんでした。
日本の場合には特に軍部が台頭した1930年代を中心に、政府の側が学術の内容に介入して、特定の学説を押しつけられたり、別の学説は排撃されたりしました。天皇機関説事件や矢内原事件があり、具体的な抑圧の経験があるのです。憲法学などの学問が弾圧される一方で、戦争遂行のために科学者が動員され、核兵器につながる研究さえしていたわけです。その反省が日本学術会議の原点です。

――「学問の自由」は、なぜ大切なのですか。

学問の自由は、研究者が個人的な判断だけで何でもやっていいことと誤解されがちですが、それは憲法学などの知見から言っても間違いです。学問が政府などから過度に介入されてはならないという意味であり、国内外に開かれた教育・研究環境を維持する責任が大学にはあります。
大学を聖域化するな、との意見もありますが、大学の研究者は自分で研究テーマを決められる点で、企業などとは立場が違います。いかに民主的な政治権力であっても、社会のすべてをコントロールすることは、長期的にみて社会のためになりません。大学という自律性を持った空間は残しておくべきです。

――企業研究者も対象にしないと、共同研究などを通して大学の研究がゆがめられる危険性があるのでは。

委員会のヒアリングでも、何人かの専門家から指摘されました。1950年や67年の時点では、企業に基盤を置く研究者は多くありませんでした。また、いわゆる産学共同も、ある時期までは学内で批判の対象でした。
しかしその後、産学共同それ自体を批判する議論は、かなり縮小しています。すると結局、「軍産」と「産学」がつながれば、間接的に大学と軍事がつながるのではないか、という懸念です。この問題は、委員会審議でも、ずっと意識されています。

――明確な軍事研究は認めないが、自衛のための研究なら許されるとの意見もありますね。

この声明はそうした立場をとっていません。1928年の不戦条約で戦争が違法化されて以来、国際法上ほとんどの戦争が、『自衛権の行使』などとされ、戦争と呼ばれなくなりました。自衛という概念が非常に拡張され、戦争という概念が縮小している中で、自衛目的ならいいとか、狭い意味での戦争目的でなければいい、とかいう安易な基準では、軍事研究の全面解禁につながります。

――むしろ現代においては、明確な軍事目的と呼べる技術はほとんどないのでは?

まさにデュアルユースという問題です。多くの技術は、両方に使えます。デュアルユースは最近の新しい傾向のように言う人がいますが、昔から存在する問題でした。およそ技術というものには、デュアルユースの側面があるのです。
だ、最近までは、軍事的技術のほうが先行しており、それを民間に転用するというのが主流でした。ところがそれが逆転して、民生的な技術のほうが高度化している。そこで政府も、軍事的な技術開発に対して研究者に協力してもらうために、「軍事研究だけではありません、民生にも使えます」と説得しているわけです。
今回の防衛装備庁の制度も、民生技術にも使えることを期待する表現にしています。そもそも軍事にしか使えないような研究分野というものは、かなり限定されます。しかし、声明は、資金の出所を検討したうえで、目的・方法・応用の妥当性の観点から、その研究が適切かを技術的、倫理的に審査することを求めているわけです。

――憲法9条に照らした議論に踏み込みませんでしたね。

たとえば集団的自衛権が認められるか認められないかという問題も、国論を二分し、個々人でも判断が分かれています。9条があって自衛隊があって日米安保がある、ということの帰結で、日本学術会議が学術的に特定の結論を出すことはできません。
自衛のためならいいじゃないか、自衛隊は認められているではないか、という議論はずっと続いてきました。でも、それではなんの歯止めにもなりません。自衛という概念は肥大化しています。どんな技術研究でも、「侵略が目的である」という言う人はいませんから、自衛目的を掲げているというだけでは、なんのフィルタリングにもならないのです。
だから自衛研究の是非を議論したところで、何もやったことにならない。9条の論議を避けたというより、やっても意味がないということなのです。
防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015 年度発足)では、将来の装備開発に つなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、外部の専門家でなく同庁内部の 職員が研究中の進捗管理を行うなど、政府による研究への介入が著しく、問題が多い。学 術の健全な発展という見地から、むしろ必要なのは、科学者の研究の自主性・自律性、研 究成果の公開性が尊重される民生分野の研究資金の一層の充実である。(「軍事的安全保障研究に関する声明」から)

――声明では、防衛装備庁の制度について「問題がある」と明記しました。なぜでしょうか。

防衛装備庁の制度の目的は、防衛技術の開発につながる基礎研究と明示されています。研究成果は公開できるし、介入はしないと言っていますが、防衛装備庁の職員が研究の進捗管理をし、助言をするのはかなり強い関与になる。学問の自由から見て著しく問題があります。軍事的な目的が主眼でなければ、明確な軍事的な研究ではないという意見もありますが、この声明の考え方とは異なります。

――軍事研究には、ほかに、どんな問題がありますか。

国防や国民の安全に関わるような問題である、と言われると、断るとか、途中から協力をやめるのが難しい。企業に対して、自分の研究をそういう用途に使ってもらっては困る、と言えても、防衛問題となると、断ることは事実上、非常に難しいでしょう。
そこで、今回はあえて、踏み込まなかった。これは、学問の自由の問題として議論しているゆえの難しさなのです。こちらとして、軍事研究が学問の自由に及ぼすリスクや影響についての基本的な考え方を示したうえで、各大学や学会などの対応に期待します、というスタンスでないと、そもそも学術会議自体が信頼を失う恐れもあります。
 理解して欲しいのは、学術会議はこれまでも学問の自由や学術の自由と直接関係のない論点については、特定の制度に対して「これは、やめるべきだ」「こういう制度にすべきだ」ということも、きちんと提言しているということです。たとえば高レベル放射性廃棄物の問題でも、地層処分はせずに地表で厳重に保管すべきだと提言しました。埋めてしまうとうまくコントロールできない可能性があることを、警告しています。またゲノム編集の問題でも、そもそもこうした研究をやっていいのかどうかについて、かなり踏み込んでいます。こうした個別の問題と、今回のような、学術コミュニティ全体のあり方にかかわる問題とは性格が違います。

――声明をガラス細工のように精緻な表現だ、と評価する声もあれば、玉虫色との声もあります。自治の名のもとに、軍事研究に踏み切る大学も出てくるかもしれません。

声明をよく読めば、できないと受け取るのが自然ではないでしょうか。防衛装備庁の制度は、政府による介入が著しく、問題が多い、としているわけです。極めて問題が多いと指摘された制度を利用するなら、なぜ可能なのか、開かれた研究や教育環境を維持できると判断した根拠は何か。利用する大学や研究機関が説明責任を負います。そもそも、大学の自治は、政府との緊張関係のうえに成り立つことを大学は意識すべきです。

――防衛装備庁の問題ですか。

違います。防衛装備庁の問題に限られません。研究者の意図を離れて攻撃的な目的に使われる懸念も指摘し、研究に入る前に資金の出どころについて、まずは慎重な判断も求めています。問題が多い機関の資金をもらっていいのかどうか。米軍はだめと明示的には書いていなくても、米軍の性格を考えれば、攻撃的に転用される懸念は、自衛隊以上に大きいとも考えられる。さまざまな資金について、こうした観点から各大学が判断することになります。
今回の声明は、研究目的なども厳しく審査するよう求めています。資金の出どころだけでは割り切れないことは委員会の審議でも明らかになりました。軍事的な機関以外を経由する形で事実上の軍事研究が進むこともありえます。だからこそ、声明は個別の機関や制度の是非よりも、審査制度の整備を求めているのです。自分たちの研究がどのように使われるか、大学や学会で継続的に議論することが大事です。

――技術の使われ方の議論には想像力も必要ですね

その通りです。若い人は抵抗感が薄いという報道もあり、危惧しています。研究の適切性は、これまで研究不正や研究費の不正使用ばかりが注目されてきましたが、科学技術と倫理との関係といった問題について、対話を広げていく必要があるでしょう。
また、教育機関には、国内外に開かれた自由な環境であることも求められます。留学生や外国人研究者との共同研究に制約が生じて、大学では困ることもありえます。安全保障に関わる研究が浸透していくと、特定の国の留学生はあまり受け入れなくなる可能性もある。十分に考えないと、外部から批判されるでしょう。

――軍事と学術の関係は、どれだけ危機的な状況でしょうか。

研究費不足、ポスト不足などの厳しい状況の中で、研究を続けるために研究資金を選べないという声があります。防衛など、特定の目的に役に立つとされる研究だけに資金投入が続くと、学術全体の健全な発展に悪影響が及び、ゆがみが生じます。そういう危険性が見えてきた。研究者の自主性を生かす民生資金が非常に大事なのです。
極端な例とはいえ、米国のように研究費全体の半分ぐらいが軍事的色彩を持つようになると、軍事的な研究資金をあてにしないと研究ができなくなり、研究全体に関する軍の発言力が強まります。それでいいのか。今が分かれ道なのです。